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『亜空間通信』731号(2004/02/03)
【英BBCケリー事件逆転の先例に米CBSヴェトナム嘘報道攻撃先例あり日本で朝日新聞実質敗訴快報
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転送、転載、引用、訳出、大歓迎!
多事、多端、多難、特に重要で、他人が触れない、または避ける難問題のみに限って、知られざる情報を収集、分析することを旨としているのに、それでも、どうにもこうにも、多すぎて、処理し切れない。
今の今も、目の前には、注文を受けた拙著の送り先の宛名を、パソコンで打ち出した紙片が重なっている。ああ、処理し切れないことが多すぎる。
私は、昨年、イギリスの化学兵器専門家、ケリー博士の謎の死に関して、英米イ筋の謀殺の線で、数多い投稿を発した。以下は、亜空間通信の一つである。
---------- 引用ここから ----------
http://www.jca.apc.org/~altmedka/2003aku/aku672.html
http://www.asyura.biz/biz0310/war40/msg/116.html
『亜空間通信』672号(2003/09/30)
【ガーデイアン:ハットン委員会でケリー事件の陰謀論の終わりと言うが、こりゃ逆に読めるぜ】
[中略]
記事の全体の流れは混濁しているが、誰がケリーを殺したか、とか、労働党の会議で過去の21人の科学者の1人としての殺人を疑うリーフレットを配布していた、とか、アラブのテレヴィ放送局がケリーの死後、1時間以内に、殺人の線で聞いてきた、とか、むしろ、わが阿修羅戦争掲示板などの疑惑情報を裏付ける記事になっちょるのである。
[後略]
---------- 引用ここまで ----------
つまり、簡単に言うと、私は、ハットン委員会を疑っていたのだが、「法律は手品の一種」(イギリスの俳優、劇作家、マクリン)、その疑いは見事に的中した。すでに各種の既報があるので、細部は省略するが、ハットン委員会は、BBCの取材の仕方に、簡単に言うと、「裏取り不十分」と難癖を付けて、ブレア首相らを免罪にしたのである。
これと同じことは、ヴェトナム戦争の時のウェストモーランド米援助軍司令官の「輝ける嘘」こと、ヴェトナム側の兵力を過小評価し、兵力増派を求めた情報操作、米軍部の大嘘に関してのCBS報道への報復攻撃でも起きた。
私は、湾岸戦争後、1994年に発表した拙著、『電波メディアの神話』の中で、ヴェトナム戦争から湾岸戦争に至る過程でのアメリカの大手メディア再編の状況を描き、CBSについては、以下のように記していた。
---------- 引用ここから ----------
CBSは、投機会社に買収された。CBSの株を二五パーセント買いしめて役員会にのりこみ、たくみな戦術で社長としての最高権限をにぎるにいたったティッシュは、ホテル・チェーン経営で成功したのち、評判のわるいやり方で企業のっとりをつづけていた。ふだんは「主義主張にかかずらわる人間ではない」が、「イスラエル国家の存続問題」は「唯一の例外」だった。CBS株買収に「異常ともいえる」ほど「熱中」した際には、「大ニューヨーク・ユダヤ人連合前会長」の立場と関係づける言動をしめした。ニュウズウィークはその当時、ティッシュの前任のCBS社長、ワイマンが、「ティッシュは熱烈なイスラエル支持者なので、そのためにCBSニュースの独立した報道を傷つけるのではないかと心配していると無造作に発言した」と報道した。ワイマンは発言を否定したが、別に記事の訂正や謝罪をもとめてはいない。
ティッシュがCBSの実権をにぎるにいたった経過に関しては、湾岸戦争勃発のちょうど一ヵ月前にあたる一九九〇年一二月一七日に日本語訳がでた『ニュース帝国の苦悩/CBSに何が起こったか』にもかなりくわしくえがかれている。原題の直訳は『だれがCBSをころしたか?/アメリカ随一のニュウズ・ネットワークの堕落』である。ただし、原題および日本語訳の題のように、この本の記述はCBSのニュウズ部門を中心としている。ティッシュがユダヤ系で「熱烈なイスラエル支持者」だったことにはふれていない。
なお、カーター政権の国防長官だったハロルド・ブラウンも当時のCBSの役員だった。私は拙著『湾岸報道に偽りあり』や『週刊金曜日』(94・1・14)の掲載記事「誰が水鳥を殺したか」などで、アメリカが一九八〇年からイラクを仮想敵国とする湾岸戦争の準備をはじめていた証拠の議会記録の存在を指摘した。ブラウンは、そのときに国防長官として最初の予算請求をした責任者だった。つまりブラウンはすくなくとも、湾岸戦争の準備がすすんでいることを熟知しながら、CBSの重役会に出席していたことになる。
[後略]
---------- 引用ここまで ----------
この時のアメリカの体制派で、アメリカ国内においてでさえ、「右翼」と位置付けられる連中の攻撃の手法は、やはり、CBSの軍部批判特集番組、日本語の題名で「輝ける嘘」の「裏取り不十分」であった。
以下は、このウェストモーランドの件に関する電網検索のごく一部である。
1)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
---------- 引用ここから ----------
http://www.jca.apc.org/beheiren/nen1968.htm
年表1968
[中略]
1968年2月13 米国防総省、ウェストモーランド司令官の要請に応じ米軍、1万5千を急派。
◎この月末、CBS,NBC放送など、戦争に対する強い疑念を報道。
1968年3月
22 更迭。後任はクレイトン・エイプラムズ将軍。
[後略]
---------- 引用ここまで ----------2)・・・・・・・・・・・・・・・・
http://rkrc5w2q.dyndns.org/army_intelli/961133161.html
なぜアメリカはベトナム戦争で負けたの?
[中略]
16 名前:米派遣軍最大54万とかいうけど、投稿日:2000/06/16(金) 21:25
実戦部隊はその1割、五万4千人です。ハルバースタムの「ベスト&ブライデスト」からの引用だけど、南越+米軍は、毎年、北ベトナム兵士を10万人以下しか殺せなかったけど、北は毎年、10万人以上の兵士を補充できたんだと。こりゃウェストモーランドならずとも、もっと米軍を!!と叫びたくなるわ。
ちなみに南ベトナム解放戦線は1968年のテト攻勢で消耗させられ、あとは北ベトナム共産党にのっとられたというのが当方の意見。
当時、開高健、日野なんとかとか、皆、上記意見を主張したが、ベ平連に罵倒された。
22 名前:ヴェトナム戦争ファン 投稿日:2000/06/17(土) 22:27
以下の3冊は、冗談抜きで、1962~64年に、75年の敗北を予言した名著。南ベトナム軍が、いかに戦う気がなかったか、どれだけ米軍を投入しても絶対勝てるわけなかった、ということを肌で感じた人々の著作。
[後略]開高健「輝ける闇」(新潮文庫)
デビッド・ハルバースタイム「ベスト&ブライテスト」(朝日文庫)
ニール・シーハン「輝ける嘘」(集英社)この3冊を読むと、1965年のダナン上陸にはじまる米軍の武力介入など、まるで無駄だったと叫びたくなる絶望的名著。
[後略]
---------- 引用ここまで ----------
つまり、ウェストモーランドの「輝ける嘘」は、世間周知の事実である。しかし、その後、大手メディアが体制派の攻撃に屈し、報道、批判が途絶えると、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」民衆は、再び、騙されるのである。
もともと、憎まれっこ世にはびこる」のであって、私自身も、直接、自称平和主義者、「偽」市民運動家、潜り込んでは「女たらし」専門の破落戸に、「証拠があるのか」と、居直られた経験がある。その破落戸は、つい最近にも、「有事法制を立ち枯れする」云々集会では、集会の実行委員会の顔役風で、うろうろしていた。
似たような下品の標本、「心情左翼と食い物にする商売」の典型が、似非紳士、朝日新聞であるが、その朝日新聞が、上記の英米の実例、「裏取り不十分」攻撃を駆使した裁判で、実質敗訴となった。
御同慶の至りである。これも、すでに報道例が多いが、スキャナー読み込みで、週刊新潮記事だけを紹介する。
---------- 引用ここから ----------
週刊新潮04.2.5[特集]
「朝日新聞の良心」と言われた
看板記者が受けていた
「豪華スキー接待」安比高原スキー場と岩瀬氏
朝日の看板が泣く(本多氏と右は故・疋田氏)元朝日新聞記者の疋田(ひきた)桂一郎(02年に死去)、本多勝一(72)の両氏が、リクルート社からスキー旅行の接待を受けていたと報じられた記事を巡る訴訟に、1月21日、東京地裁の判決が下った。「旅行はリクルートの接待と言える」。裁判所の見解は明快だったが、両氏と争っていたジャーナリスト、岩瀬達哉氏(48)にも損害賠償を命じるなど、スッキリしない面が残った。
足掛け7年に及んだ裁判の争点はリ社による元朝日記者への接待の有無だった。小野剛裁判長は、リ杜の江副浩正社長(当時)が現地で主催した高額の懇親会を含め、
「費用のほぼ半分しか負担しておらず、旅行はリクルートの接待と言える」
と明確に述べ、本多氏に200万円、故・疋田氏にも50万円をそれぞれ岩瀬氏に支払うように命じた。が、一方の岩瀬氏に対しても、
「ホテル代とリフト代を一切支払わなかったという記述は真実ではない」
として計176万円の支払いを命じた。何とも歯切れの悪い判決である。
講談社が発行していた月刊誌『Views』(休刊)誌上で、岩瀬氏が朝日新聞批判の連載記事を開始したのは、97年1月号から。訴訟に発展したのは「朝日にもあったリクルート汚染」と題された第1回目の記事である。
〈朝日新聞東京本社内には、社会的にも著名な大記者たちで作られていたインフォーマルなスキーグループがあった〉(同誌記事)
岩瀬氏はこのグループが、87年4月、リ杜の関連会社が経営する岩手県「安比高原スキー場」へ2泊3日のスキー旅行に出かけ、リ社の接待を受けたと書いている。記事中、イニシャル表記されていたのが、本多氏と疋田氏だった。
91年に朝日を退社した本多氏は、カツラとサングラスがトレードマークの名物記者で、『戦場の村』など多数の著作がある。もう1人の疋田氏も『天声人語』を執筆していた名文記者で、「在籍当時は朝日随一の記者と言われていました。エリート行員が幼い娘を餓死させて自殺をしたという自社の記事に疑問を抱き、幹部向けの『調研室報』に書いたレポートは、上前淳一郎氏の著書『支店長はなぜ死んだか』で採り上げられたほど。“朝日の良心”と言われた大記者でした」(朝日OB)
その2人の看板記者がリ杜の接待を受けていたというのだ。岩瀬氏が言う。
「本多氏側の反論は、当初は“接待ではない”といったものでしたが、徐々にエスカレートして僕の記事を捏造とまで主張するようになった。そうまで言われては黙っていられないので、僕が先に1000万円の損害賠償を求めて告訴したら、彼らが併せて1億7800万円を求めて反訴してきたんです。判決では9割方、こちらの主張が認められたと思っています」
岩瀬氏の記事が出た後、本多氏は『週刊金曜日』などで反論し、疋田氏も『書かれたらそれまでよ日誌』という本を自費出版したが、特に本多氏の反論は凄まじかった。一例を挙げよう。
〈この捏造記事を書いたのは岩瀬達哉というパパラッチ記者であり(中略)、講談社の飼い主にカネで雇われた番犬・狂犬の類であって、よく卑しい職業の例にあげられる売春婦よりも本質的に下等な、人類最低の、真の意味で卑しい職業の連中である〉(『週刊金曜日」97年10月3日号)
到底、『日本語の作文技術』などを著している記者の文章とは思えない。
〈被告本多記事は、原告に対する人身攻撃であって、原告記事と対比してその方法、内容においてやむを得ないものと考えられる限度を超えているといわざるを得ない〉(判決文)
ホテル代一つとってみても、「接待」の事実は明白だ。「ホテル安比グランド」に宿泊した本多氏らのスキーグループは、チェックアウト時に21万円余を支払っているが、実際の費用は66万円強。ホテル側はリクルートコスモスに残額の支払いを求める請求書を発行している。〈リクルートコスモスないしリクルートは、本件請求書にかかる45万4000円を安比グランドに対して支払ったと認めるのが相当である〉(同)
本多氏の代理人である高見澤昭治弁護士は、「依頼人と語し合い、近く控訴するかどうか決めます」と言うが、「接待はなかった」とする看板記者たちの主張は、まるで説得力がない。
朝日新聞社広報部は、
「弊社のOBが退職後に個人として起こした訴訟であり、社としてコメントする立場にありません」
と言う。朝日の記者だからこそ、接待を受けたのだという認識はないようだ。
腰が引けた判決
「スキーツアーの前に、朝日は就職問題を巡りリクルートに対する批判キャンペーンを展開していました。疋田さんや本多君は、そのへんのことをどう思っていたのでしょうかね」
と言うのは、本多氏の同期である本郷美則氏(朝日新聞・元研修所長)である。
「費用の一部を払っているから接待ではないという論理は通用しません。本多君は“接待だったら筆を折る”とまで書いていた。裁判所から接待であると認定されたことで、今後の自身のあり方にも腹をくくらなければならないでしよう」
本多氏は知床の自然を保護すべきだという主張をしてきた。その氏が、自然破壊そのものとも言えるスキーリゾートで「接待を受けていた」と認定されたのだ。
「要するに言行不一致なんです。判決文を読むと接待を受けたのは明らか。現役なら厳罰は当然で、社友の資格も剥奪するべきです。朝日人の多くは、本多氏らの弁解は強引すぎると見ていました。“腰が引けた判決だ”と電話をかけてきたOBもいましたよ」(別の朝日新聞関係者)
日大の板倉宏教授の話。
「判決文には訴訟費用の8割を本多氏が負担せよとあります。これを見ただけでも本多氏の実質的敗訴であることは明らか。記事の基本的なところは真実だと認めながら、一方の請求も認めるというのは最近の裁判の傾向なんですが、こういうのは問題です。相手が朝日の記者だから、両成敗的な決着のつけ方をしたとは思いたくありませんが」
このスキーツアーの翌年、朝日の報道でリクルート事件が社会問題化したわけだが、「竹下内閣を倒した朝日のリ社報道を貶めた」というOBらの声を本多氏はどう聞くだろうか。
---------- 引用ここまで ----------
私は、この裁判のほとんどを傍聴した。これも論評の時間がないが、簡単に言うと、何と、「人権派」として知られる旧知の弁護士が、『Views』の取材を、朝日新聞の関係者への「裏取り不十分」として、法廷の床の上で、演技過剰の熱弁を振るったのである。
それでも、判決の基本は、「旅行はリクルートの接待と言える」となったのだから、実質、大勝利なのである。私は、傍聴の際には、朝日新聞側の旧知の弁護士の面を、しげしげ眺め、時には「ぶつぶつ」批判の野次を飛ばし、裁判官に注意されたが、それぐらいやれば、裁判所も、少しは役に立つのである。
しかし、心は無限、身は一つ、ハットン委員会の傍聴までは、手が回らなかった。
似非紳士、朝日新聞の報道は、現在のイラクの問題とも深い関係があるので、の全体像に関してのみ、手打ち、いや、刀で首を斬るのではなくて、電網にはないので、仕方なく、『Views』の複写を見ながら、パソコンのキーボードを、わが手の指で打って、いささか論評する。
問題の『Views』の連載は、大型も大型、6回にも及ぶものだった。今は、岩瀬達哉著の文庫版になっているそうであるが。題名と要点のみ示す。手許には、1回から6回の『Views』の連載記事の実物の複写がある。
この内、裁判で問題となったのは、1回目の「朝日にもあったリクルート汚染」のごくごく一部、スキー接待の件だけなのである。
連載の題名は、「正義を売る商店」「株式会社朝日新聞社の正体」であった。取材・文=岩瀬達哉となっている。「怒りの内部情報が噴出!」ともある。
毎回の記事の扉には、毎回、違ったリードの文章が掲載されているが、最後の6回目では、以下のようになっている。
日本を代表するオピニオンリーダーとしてふるまっている朝日新聞。だが、その実情を知れば知るほど、彼らが日頃、唱えている「正義」のうすっぺらさが見えてくる。企業からの接待、情実入社、天下り、税金を使ったイベント・・・・・・・・。リストラもやれば、社内いじめも差別もある。いったいどこが「社会の公器」なのか。
以上。