本件訴訟を初めにあたって、訴状の要旨と審理の進め方について、裁判所に対する原告側の希望を申し述べます。
1.本件で原告が求めているものは、原告の長男高山裕太がなぜ16歳の若さで自殺しなければならなかったか、その原因と責任を究明し、直接的には責任者に対して応分の損害賠償を求めることにありますが、原告の真の願いは、このような不幸を二度と絶対に繰り返えすようなことがないように、いじめや暴力に苦しむものをなくすに、行政や教育者は何をすべきかを司法の場で明らかにすることによって、裕太の死を決して無駄にしたくない、少しでの有意義なものにしたいという思いがあることは、先ほどの原告の陳述でお分かりいただけたと思います。
2.高山裕太君が小中学校時代をどのように過ごし、いかなる性格で、丸子実業高校にどのような夢と願いをもって入学したかについて、また入学後、バレーボール部の上級生の陰湿ないじめにあって苦しみ、一度は登校できない状態になったが、原告のはげましなどで一学期は無事に終えることができたものの、同じ上級生のいじめと暴力でついに絶望的な思いに追い込まれて家を出、原告の必死の捜索によって発見され自宅にもどったこと、ところが被告のT校長をはじめ教師や教育委員会がいじめ問題について真摯に受け止めず、無責任な態度をとったばかりか、うつ病に陥った裕太君を無理矢理登校させようとしたために、ついに自殺するまで追い込んでしまったことについて、原告がそのあらましを申し述べました。
被告等は答弁書で原告の請求を棄却するよう求めておりますが、その内容については原告が提出した書証で明らかであり、これを真摯に検討すれば被告も請求原因のほとんどを認めざるをえないと考えております。
3.ことに本件では特に裕太君がうつ病を発症させた以降の、被告T校長を初めとする丸子実業高校の教師と長野県教育委員会の対応が、単に不適切であったというより、まさに犯罪的としか言いようのない、うつ病の患者を自殺に追い込む典型的なやり方であったことを裁判所に理解していただきたく、ここでそのことに関して若干敷衍させていただきます。
裕太君が8月30日に家を出て東京に向かったときの心理状態は、被告Kによる陰湿ないじめと暴力によって絶望的な気分に追い込まれ、すでに相当程度のうつ状態にあったと思われるが、上野での1週間近い野宿生活で満足な食事も睡眠もとれず、心身共に疲弊したばかりか、孤独感に襲われ、死にたいと考える程にうつ状態を昂進させたものと考えられます。
ところが、運良く警官に発見され、迎えにきた母親に付き添われ家に帰ったが、それを聞いた原告が、バレーボール部の監督や担任、それに校長先生に懸命になって訴えても、誰一人としていじめや暴力を真摯に受け止めず、いじめをなくす具体的な対策をとる姿勢を明確に示してもらえなかった。
家に戻った後は、勉学を続ける意思をもっていた裕太君も、その成り行きを見ていて絶望感を募らせ、うつ病を昂進させていったことは明らかであると思われます。
4.ご存じのとおり、これまでの裁判で争われた「いじめ自殺事件」については、いじめの事実が存在したかどうか、だれがどの程度のいじめを加えたかということと、いじめと自殺との因果関係、それに教師や学校当局がいじめの事実を知りまたは知りうべき立場にありながらこれを放置し、適切な対応をしなかったことに責任があるかどうかが争われてきました。
5.ところが本件ではいじめの内容や暴力行為のあったことはすでに関係者が認めているとおりであり、すでに述べたとおり、それが嫌で登校できなくなり、絶望感から家を出て野宿したことが病状を悪化させ、帰った後の学校側の不適切・不誠実な対応によってうつ病を昂進させたことは、その経過からも明らかであると思われます。
本件が他の「いじめ自殺事件」と較べて極めて特異なのは、専門医がうつ病と診断し、希死念慮が出現していることまで明記した診断書を3度にわたって作成し、その都度、原告がそれを丸子実業高校に提出しているにもかかわらず、校長の被告Tがこれを全く無視し、原告が中止を申し入れたにもかかわらず原告が参加できない状況の中で「保護者懇談会」を開催したり、原告が昼間、仕事で留守にしており自宅で休んでいる裕太君が受け取るしかないことを承知のうえで、わざわざ書留郵便にして、「欠席が今後も続いていきますと、欠席時数が規定を超え2年生への進級が極めて困難になります」という通告書を添えて、「欠課時数超過生徒の指導について」と「丸子実業高等学校の学習成績の評定・単位認定について」という文書を送りつけたり、さらに「その後も欠席が続きまして欠課日数が11月28日をもって1/3の規定を超える科目が出て、2年生への進級が極めて困難になります。裕太君の一日も早く登校できますよう願っています」という通告書を「欠課時数超過生徒の指導について」という書面と一緒に送りつけ、これらを見た裕太君がその都度、うつ病を昂進させ、そのことが原因で睡眠がとれなくなり、食欲もほとんどなくなってしまい、原告にも死にたいということをたびたび言うようなひどい状態に落ち込んでしまったとのことです。
6.そこで原告は、校長の仕打ちは県の教育委員会と相談しながらやっていると考え、これを何とかやめさせてもらいたいという思いで、被告長野県知事田中康夫に対し、「長野県の教育委員会、丸子実業高校の教師は人殺しをするのですか」「11月28日付けで進学が困難だという通知を見て“死にたい”といっています」と訴えるとともに、県教育委員会こども支援課にも「裕太は学校の酷い手紙を見てショックで夕飯も食べない。一人の子どもを大人がよってたかって何をしている」「このような人間が教師や教育委員会にいるから自殺する子どもがなくならない」という文書を送りつけました。
7.ところが、丸子実業高校のT校長も長野県教育委員会子ども支援課もこれを真剣に受け止めず、これを全く無視して裕太に登校を迫るために12月3日の土曜日に、T校長の命を受けて教頭と担任が県教育委員会の職員を伴って原告宅を訪ねてきた。
原告は怒りを抑えて出迎えたが、これまでのやり取りを巡って話が紛糾したために4時間にもわたって行われ、最後は校長の代わりにきたという教頭が、「裕太君、欠席がね、ほら多くなっちゃっているから、月曜日ね、自力でこれるよね。I県議さんに甘えなくていいよね」「裕太君、ほら、いつもと少し休んでいたのに電車に乗ったりするから、いろんな人たちとも会うし、だから、そういうことはもう当然のことだから、うちだって頑張らないとだめだよ」などと説得して、月曜日からの登校を無理に約束させました。
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