子どもに関する事件【事例】



注 :
被害者の氏名は、書籍等に掲載された氏名をそのまま使用させていただいています。ただし、加害者や担当教師名等については、個人に問題を帰すよりも、社会全体の、あるいは学校、教師全体の問題として捉えるべきではないかと考え、匿名にしてあります。
また、学校名については類似事件と区別するためと、隠蔽をはかるよりも、学校も、地域も、事実を事実として重く受けとめて、二度と同じ悲劇を繰り返さないで欲しいという願いを込めて、そのまま使用しています。
S.TAKEDA
000126 暴行傷害 2002.9.30 2005.11.10 2007.8.23更新
2000/1/26 静岡県浜松市の市立東陽中学校の服部太郎くん(中3)が、下校時に同学年の男子生徒5人(中3)に囲まれ集団暴行を受け、全身打撲と頸部捻挫の傷害を受ける。さらに2日後(1/28)加害者らを含む少年10数人(中3・14-15)が自宅へ押しかけ恫喝(どうかつ)。
重いPTSDを発症し、以後、父親が経営する会社と自宅以外の外出ができなくなった。
経 緯 1 2000/1/26 15時頃、太郎くんは友人4人と話しながら下校中、校門を出て70メートルあたりで、同学年の少年グループのひとりでリーダー格のA(中3)がいきなり、プロレス技のラリアットのような形でぶつかってきた。太郎くんは首から肩のあたりに強い衝撃を受けた。
驚いた太郎くんが「やめろよ」と言って振り払おうとして出した左足が偶然、Aの指先に当たった。Aはその場で太郎くんを殴った。うずくまると立ち上がらせたり、引きずったりして、断続的に殴る蹴るの暴行を加えた。

一緒にいた太郎くんの仲間の少年たちは恐れをなして逃げてしまった。
Aの仲間の少年たち5人はAと太郎くんの周囲を取り囲み、はやしたてた。太郎くんはAを含む3、4人から50発以上殴る蹴るの暴行を受けた。
Aは太郎くんの身体を掴んで、用水路の橋上から転落させようとしながら、「これも社会の教訓だ」「お前がこの中学の生徒じゃなかったら、血まみれにしてやるところだ」と言った。
ほかの少年らも「Aに手を出すなんて、命知らずだ」などと言った。
少年たちは、太郎くんが殴られているところを、使い捨てカメラでフラッシュをたいて写真を撮った。

太郎くんは「ごめん、もうやめてくれ」と言ったが、少年たちは「ごめんじゃ許されん」と言って、約233メートルにわたって暴力をふるい続けた。その間、側を下校中の生徒たちが何人も通ったが、誰も助けてはくれず教師や大人を呼ぶものもいなかった。

太郎くんは、少年らが立ち去ったあと自宅より近い学校には戻らず、父親の会社事務所に助けを求めた。腹部の激痛を訴え嘔吐。事務所にいた母親が救急車を呼び病院へ搬送。
経 緯 2 2000/1/28 暴力を受けた2日後の4時40分頃、激しい全身の痛みのために親の介護を受けながら寝て過ごしていたところへ、加害少年らを含む(ただしAは除く)少年10数人が自宅へ押しかけた。ドアチャイムを連続して鳴らし、ドアを開けようとしてノブをしきりに激しく引っ張った。

驚いた母親が外へ出ると、マンション空き地に少年10数人がいた。用件を尋ねると、「太郎が先に手を出した。太郎が悪い」「てめえ、なんだと、太郎が悪いと言ってんじゃんか」などと、少年らは恫喝(どうかつ)。(アパートの大家さん、父親の会社の従業員2名も目撃)
脅威を感じた母親が学校、警察、太郎くんの父親に連絡。
父親到着後、東陽中学校の教師4人が到着。教師らは少年らを学校に連れていった。
被害1 1/26の暴行では、幸い骨に異常はなかった(季節がら寒かったために制服の下にジャージを重ね着していたことが幸いした?)。全身打撲と頸部捻挫で、1週間は全身の痛みのため身動きできず、家族から全面介助を受ける。
その後も、肩の運動制限と頸部の痛みのため、約1ヶ月の運動制限と着替えや入浴に家族の介助を要した。
2000/3/3まで1カ月余りの通院加療を要した。

太郎くんは暴行から1週間を「風邪」という理由で休み、その後、卒業まで不登校を続ける。
被害2
(PTSD)
1/26の暴行事件に加えて、1/28の集団行為は、太郎くんに「もしドアの鍵があいていたら殺されたかもしれない」「いつ殺されるかもしれない」という強い恐怖感を与えた。
以降、太郎くんは重いPTSD(心的外傷)を発症。
2001/2から精神科に通院したり入院もし、カウンセリングや薬物療法を受ける。

外出ができなくなり高校進学を断念。通信制高校で学びながら、父親の会社で働く。
被害者の
その後
いじめ自殺した前島優作くんのお父さんから、「私たちの子どもは亡くなったが、あなたは自分が受けた傷をしゃべることができる」と言われたことに勇気を得て、提訴後の記者会見で顔を出し、実名を公表して被害を訴えた。

両親は静岡県内で、「静岡いじめを考える会」を立ち上げる。
加害者 太郎くんの母親の連絡で駆けつけた学年主任が、少年らに謝罪させようとするが、本人らにその気は見えない。
2001/7 主犯のA のみが家庭裁判所に送致され、家庭裁判所の審判で暴行(1/26)に対して、保護観察処分。 
背 景 グループの少年らは入学当時からいくつかの問題を起こしていたが、年々、エスカレートしていた。休み時間などにグループの少年らがトイレでたむろしていると、生徒は怖がって入れない状態だった。自分たちより弱い人間を誰彼かまわずいじめていた。

少年グループらは、理由もなく、近くを通るだけで手加減なくおもいっきり殴ってきたり、後ろから蹴りを入れたりする。太郎くんも1日1回くらい殴られていた。
(事件以前の)学校ほかの対応 学校は少年グループの行動を見て見ぬふりをし、暴力等をやめさせようとする態度がみられなかった。

中学2年の時、1度だけ太郎くんが教師に言ったが、教師は「わかった」と言って、暴力をふるった生徒を呼び、「彼らも反省しているのだから」と言って、加害者と太郎くんを握手させて終わりにした。その後も暴力などのいじめは続き、さらにひどくなった。
(事件後の)学校の対応 1/26 下校中の事件ということで、中学校は事件のことを知る。

1/27 夕方、教師2名が服部宅を訪ねる。両親が学校に加害少年らへの事情聴取と指導を依頼したが、「やってます」とのみ回答。主に受験のことや健康センターの手続きについて話していった。

また、教師は「欠席理由は風邪になっている。インフルエンザが流行しているから、1週間くらいは何とかなる」と言った。それに対して被害者らは、暴行を受けてけがをしたことを正しく伝えてほしい、安心して登校できる方法をきちんと提示してほしいと頼んだ。

その後、教師らは「(加害少年らを)学校で1時間かけて、ちゃんと指導した」と言う。(しかし、1/28に少年たちが服部家に押しかけた約1時間後には、大食いカレー店で完食達成記念の写真を撮影していたことが後に判明)

1/28 教頭は、「押しかけた生徒の氏名等は今晩中に連絡する」と言ったが、その後拒否。服部さんからの強い要望にようやく、開示する。

校長や教頭は、1/26の事件を「仲間同士のけんかであって暴力ではない」とし、「いじめはなかった」とした。また、「彼ら全員、反省しているから」と言う。
情報の収集 浜松市の情報公開制度を利用して、「事件に関わる文書の一切」という請求内容で2回、開示請求。結果、「学校事故報告書」1通のみ開示。学校、教育委員会は「これ以外に公文書はない」と回答。
事故報告書
平成12年3月9日
事故の名称 下校時の事故
事故の程度 全身打撲 
事故発生の日時 平成12年1月26日(水曜日)15時10分頃
場     所 東陽中学正門を出て校地に沿って70M東進した辺
事故の概要
及び原因
下校中Aが、からかって服部の肩の辺りに軽く手をかけた。その時服部は、突然肩から首にかけて衝撃を感じた。驚いてふり返ると、Aの手が下がるのが見えたので反射的に蹴った。そのことでAが激怒し、服部の腹にひざ蹴りをした。
その後もAの怒りはおさまらず、服部は腹を蹴られたり、頸部や顔面を殴られたりする等一方的に暴力を受けた。服部はその後帰宅し、身体の痛みを母親に訴えた。
学校のとった
処  置
服部帰宅後、母親から連絡を受け事実を知った。そこで救急車の手配を指示するとともに、担任等が家庭訪問をし、また市教委にも報告した。その後、担任と教頭が病院へ行き、本人の症状を確認し、事情を聞いた。またA本人と保護者を学校に呼び、事実を確認し、病院病院へ見舞うように伝える等、今後の対応についても助言した。
翌日より学校とA家で謝罪や見舞いを目的として、服部家を訪れた。
そ の 他 3年の学年集会を開き、校長が今回の件の報告や今後の生活について話をした。全学級で、いじめや暴力が許されないことの指導を行った。またアンケートを取ったり、いじめ対策委員会を開き、他のいじめの発見にも努めた。
職員に対しても、いじめ指導資料をもとに、再発防止に対する指導をした。


註 :
 事故報告書の事故程度欄に必須記載事項である診断期間が抜けている。
 3月9日(事故報告書日付)の時点で、「全治38日間」の診断書が出ていることを知っているはずなのに記入していない。
 学校側は、救急病院で最初に出された「全治10日間」の診断書期間で統一してPTAや外部に話をしていた。

警察の対応 警察は加害少年らの言い分のみを信じて、太郎くんが先に手を出したのだから、太郎くんにも責任があるとする。両親の抗議に対しては「加害者にも人権がある」と言う。
心的外傷は警察では扱えない」といって、怪我の診断書の受け取りについても拒否。

供述調書は何カ所も訂正印が押されて、文章が変えられた。太郎くんの「足がAの手に当たった」という証言は、「手を蹴った」と書かれる。殴られたり蹴られたりした数は半数まで減らされていた。
親の認知と対応 両親は恐怖から登校できなくなった太郎くんに、「学校にいかなくてもいい」「高校に入るのなんかも1年や2年遅れたって別にどうってことない。行けるようになったら行けばいいんだから」と言った。

卒業式には父親が同伴して参加。
外出できない太郎くんを自宅近くにある自分の会社に受け入れた。

両親は学校側に数10回にわたり調査を依頼。警察にも相談。
周囲の反応と対応 不登校になっても毎日のように手紙や予定表を届けてくれた友人たちがいた。
訴 訟 2001/11/21 太郎くんと両親が、元同級生11人とその保護者学校設置者の浜松市に対して、総額2420万円の損害賠償を求めて静岡地裁浜松支部に提訴。

元同郷生に対しては、いじめが原因で身体的、精神的苦痛を受けたこと。
保護者には、監督責任が不十分だったこと。
学校は、安全配慮義務を怠り、対応が不適切だったことを理由とした。
被告少年らの主張
1.事件前の太郎に対する「いじめ」はなかった。マスコミ報道によって「いじめ」による集団暴行事件のように扱われてしまった。1月26日の事件は、太郎が、Aに暴行を振るったことが発端となった、一人の少年による偶発的な「喧嘩」。集団暴行事件ではない。

2.1月28日は、少年らは「事件の説明に行っただけ」。太郎の両親が、少年らの話を冷静に聞くことなく、少年らに対して罵声を浴びせた。両親が太郎に知らせるまで、太郎は知らなかったので「恐怖を感じることはなかったはず」である。

3.原告らが被告らの謝罪を受けとめなかった。太郎にも会わせてもらえなかった。
学校側の主張 怪我の診断期間とPTSDの診断を否認。
「安全配慮義務は欠いていない。事件後の対応については争う」姿勢。
裁判の証言 2002/1/21 浜松地裁の初公判で、太郎くんが冒頭に口頭陳述。
「1月26日の事件が、なぜ起きたのか、いまだに僕は全くわかりません」「事件前のように普通の生活に戻りたいそれには加害者たちからの心からの謝罪が必要です」「自分の経験を通して、同じ苦しみを持っている人を勇気づけたい。同じことは二度と起きてほしくないと願っている」と述べた。
証拠書類ほか 「被告に対する文書送付嘱託申立」を行い、「1月26日、28日の事件に関する報告書」「被告少年らの指導要録と事件に関する記録」「職員会議録」「(2000年3月)PTA臨時常任理事会会議録」「(事件後に2回行われた)いじめアンケートの調査結果の資料」などを請求。

主犯格のA少年の「(1/26の傷害事件についての)家裁の事件記録」を受け取る。
暴行時に撮影された写真5枚(24枚中)が証拠として添付されていたが、コピーを重ねたものであるうえ、暴行場面は写っていなかった。ネガは家庭裁判所の判断で「処分」済み。
裁判の結果 2005/3/2 浜松市と和解成立。
原告が損害賠償の請求を放棄し、市が太郎くんに起きた暴行の事実と体と心に傷を負ったことを認めること、訴訟に至った経過、また、訴訟の経過から得たものを生かし、今後の事件の再発や予防に繋げ、また事件が起きたときによりよい解決を図ることなどを条件に和解。

被告少年らとの和解は決裂。
1審判決 2005/7/20 浜松地裁で一部認容。

判決要旨

主文 (要約)
1.1月26日事件の主犯は、太郎に対して、金300万円、両親にそれぞれ15万円を支払え。
2.1月26日事件の主犯を除いた4人は、太郎に対して50万円を、両親に2万5千円を支払え(注:4人の連帯賠償。4人の合計金額が、52万5千円)。
3.その他の被告の請求は、棄却する。
4.訴訟費用については、1月26日事件に関わった5人へ20分の3から1の連帯賠償。


判決理由(主なものについて抜粋)

<1月26日事件について>
1.主犯が無抵抗な太郎に対して執拗かつ一方的に暴力を加えた。主犯が供述しているような軽いものではなく、重大な暴行を加えているもので、不当行為責任があることは明白である。
2.主犯を除いた4人は、暴行を積極的に助長するまでの意図はなかったとしても、面白半分、興味本位で同行していたもので、単なる傍観者とは言えない。4人が太郎の周囲で暴行を受けている様子を見ているという行為自体により、助けを求められないという絶望的な気持ちやみじめな気持ちを増大させるもので、多大な精神的打撃を与え、不当行為が成立する。
3.4人は主犯に加勢して暴行を加えようとか、逃げられないようにしようとかする意図は有していたとは認められない。偶発的な事件であったため、主観的な共同不当行為は認められない。しかし、主犯との人的関係並びに時間的場所的関係に照らすと、社会通念上、主犯に対する暴行行為と客観的に関連した共同行為と認められる。

< 1月28日事件について >
1.被告少年らは両親に、事件の発端を説明しようとしていたものであり、太郎に文句を言うつもりではなかった。その後の両親との激しいやり取りは 偶発的な出来事である上、太郎に向けられたものではなく、太郎の権利を侵害したとはいえない。
2.母親でさえ、出来事を太郎に伝えることによって、太郎の症状の変化を予想していなかったと認めていることをすれば、被告少年らがこれを予見することはできなかったと言わざるを得ず、故意や過失により、間接的に太郎を威迫して、損害を与えたとは認めることはできない。

<PTSDについて>
1.1月26日事件は、PTSDの診断基準にいう外傷体験と認められる。平成12年4月の医師の診断から、PTSDに罹患していたと認める。
2.平成12年6月5日の段階においてPTSDの症状は治まったと認めるのが相当である。

控訴審 原告側は、1審判決を不服として高等裁判所に控訴。

東京高裁への控訴理由として、
@ 1月26日の事件の加害程度の認定の誤り
A 1月28日事件の加害認定の誤り
B 太郎の精神的被害についての認定の誤り
C 保護者責任についての認定誤り
等4つを挙げた。

浜松地裁で11人だった被告少年らうち、反省がみられた少年と裁判経過の中で関わりが少ないと思われた少年4人を、控訴審では被控訴人(地裁でおける被告)から外し、7人の少年らを被控訴人とした。

控訴審第1回目に、太郎くん自身が陳述を行う。(陳述書参照)
その後 2005/10/31 浜松検察庁に被疑者不明で、暴行現場の写真の偽造についての告発状を提出。
2審判決
2006/9/27 東京高裁(房村精一裁判長)で、原告勝訴の判決。(平成ネ4196)

判決要旨

主文(要約)
1. 被控訴人Aは、控訴人服部太郎に対し金450万円
控訴人(太郎くんの父)及び同(太郎くんの母)に対し各金22万5000円を支払え。
2.被控訴人B、同C及びDは、各自、被控訴人Aと連帯して、控訴人服部太郎に対し金65万円控訴人(太郎くんの父)及び同(太郎くんの母)に対し、各金3万2000円を支払え。
3.控訴人らの被控訴人A、B、C、Dに対するその余の請求並びにその余の被控訴人らに対する請求をいずれも棄却する。
4.訴訟費用は、第1、2審を通じて、これを20分し、その4を被控訴人Aのその1を被控訴人B、C、Dの、その余の控訴人らの負担とする。


なお、PTSDについては、判決文に次のように書かれていた。(要約)
@白川医師は、平成13年7月13日、PTSDの部分症状があると診断していること、
A控訴人太郎は、平成13年11月から平成14年4月までT病院に入院し、白川医師によるPTSDの治療を受けていること、
B控訴人太郎は、平成14年3月28日及び同年4月5日、白川医師の構造化面接(CAPS)を受け、その結果、中程度のPTSDと診断されていること、
C控訴人太郎は、その後も平成15年12月から平成16年4月までT病院に再入院して白川医師によるPTSDの治療を受けていること
に照らすと、平成12年6月の時点で、控訴人太郎のPTSDは完全に快復していたのではなく、快復と憎悪が繰り返す中で緩解の時期にあったものと考えるのが相当である。」
(中略)

以上によれば、平成12年6月ころの段階で自然治癒が可能な状態になっていると医師が判断していたからといって、控訴人太郎のPTSDの症状が完全に快復していたと判断するのは相当とはいえず、第1事件と相当因果関係のある控訴人太郎のPTSDによる損害を同日ころのものまでに限るのは相当ではない。(中略)本件事件によるPTSDから控訴人太郎が一応完全に快復したと考えられる時期は、必ずしも明確に確定することはできないものの、同人が再入院したT病院から退院した平成16年4月ころのことであったと推認するのが相当である。

なお、被控訴人らは、最初に控訴人太郎を診断した医師が、ストレス反応と診断していたなどと主張して、控訴人太郎がPTSDに罹患したことについても疑問を呈している。しかしながら、PTSDは、外傷体験があった後1か月以上経過しても再体験、回避又は麻痺、過覚醒の症状を継続させていることが診断基準となるのであるから、平成12年2月2日段階で控訴人太郎がPTSDと診断されなかったことは当然というべきであり、この意味では、同月21日に白川医師が控訴人太郎をPTSDと確定診断できなかったのも不自然といえないから、被控訴人らの上記主張を採用することはできない。

控訴人太郎は、第1事件により、被控訴人Aから長時間にわたる執拗な暴行を受けて、加療約38日間を要する傷害を負っただけでなく、これが原因の一つとなってストレス反応を起こし、登校することもできなくなり、さらには、PTSDに罹患して、日常生活にも支障が生ずるようになったものである。そして、その治療のために多大の時間や快復のための努力を要することになったほか、進路の変更も余儀なくされるなどこれによる精神的苦痛は極めて重大なものであったというべきである。

※ 判決については me060927 参照
参考資料 2001/11/21中日新聞、2001/11/21静岡新聞、2001/11/21産経新聞、「浜松いじめ訴訟ニュース」、ちくまプリマーブックス150「絶望するには早すぎる いじめの出口を求めて」/宇都宮直子/2002.6.10筑摩書房、裁判の傍聴、家族の話しほか
サイト内 me030127 me051117 me060311 me060419 me060608 me060710 控訴審陳述書 me060927 


  「日本の子どもたち」(HOME)  http://www.jca.apc.org/praca/takeda/
  いじめ・恐喝・リンチなど生徒間事件  子どもに関する事件・事故 1
  教師と生徒に関する事件  子どもに関する事件・事故 2
  熱中症・プール事故など学校災害  子どもに関する事件・事故 3


Copyright (C) 2005 S.TAKEDA All rights reserved.