わたしの雑記帳

2006/9/27 服部太郎くの裁判、東京高裁で判決。


2006年9月27日、東京高裁824号法廷にて午後1時15分から、服部太郎くの裁判(平成ネ4196)の判決が言い渡された。
控訴人席には、田代博之弁護士、杉浦ひとみ弁護士、児玉勇二弁護士と、1審原告(控訴人)の服部太郎くんとお母さん。お父さんは傍聴席で見守っていた。

房村精一裁判長は、「原判決を次のように変更する」と言った。(利息などを省いて記載)
1.「被控訴人Aは、控訴人服部太郎に対し金450万円控訴人(太郎くんの父)及び同(太郎くんの母)に対し各金22万5000円を支払え。

2.被控訴人B、同C及びDは、各自、被控訴人Aと連帯して、控訴人服部太郎に対し金65万円控訴人(太郎くんの父)及び同(太郎くんの母)に対し、各金3万2000円を支払え。

3.控訴人らの被控訴人A、B、C、Dに対するその余の請求並びにその余の被控訴人らに対する請求をいずれも棄却する。

4.訴訟費用は、第1、2審を通じて、これを20分し、その4を被控訴人Aのその1を被控訴人B、C、Dの、その余の控訴人らの負担とする。

浜松地裁の1審(原審)では、Aに、太郎くんに対して金300万円、両親にそれぞれ15万円の支払い命令。主犯を除いた4人に、太郎くんに対して50万円、両親に2万5千円の支払い命令(4人の連帯賠償金額の合計は52万5千円)だったから、1審より、太郎くんの損害、言い換えれば少年らの責任が重く認められたことになる。


なお、太郎くんに控訴を決意させたPTSD認定期間の短さについては、判決文に次のように書かれていた。(要約)
原判決では、「白川医師が控訴人太郎をPTSDと診断した平成12年4月20日の段階において、DSMの診断基準に照らして、控訴人太郎にPTSDの各症状があったことが認められるから、この時点において、控訴人太郎がPTSDに罹患していたことは明らかである。」と認めたものの、「同年6月以降の段階においては、控訴人太郎のPTSDの症状はある程度収まった状態にあったものとは認めることができる。」としていた。

それに対して高裁判決では、「しかしながら、@白川医師は、平成13年7月13日、PTSDの部分症状があると診断していること、A控訴人太郎は、平成13年11月から平成14年4月までT病院に入院し、白川医師によるPTSDの治療を受けていること、B控訴人太郎は、平成14年3月28日及び同年4月5日、白川医師の構造化面接(CAPS)を受け、その結果、中程度のPTSDと診断されていること、C控訴人太郎は、その後も平成15年12月から平成16年4月までT病院に再入院して白川医師によるPTSDの治療を受けていることに照らすと、平成12年6月の時点で、控訴人太郎のPTSDは完全に快復していたのではなく、快復と憎悪が繰り返す中で緩解の時期にあったものと考えるのが相当である。」
(中略)

「以上によれば、平成12年6月ころの段階で自然治癒が可能な状態になっていると医師が判断していたからといって、控訴人太郎のPTSDの症状が完全に快復していたと判断するのは相当とはいえず、第1事件と相当因果関係のある控訴人太郎のPTSDによる損害を同日ころのものまでに限るのは相当ではない。(中略)本件事件によるPTSDから控訴人太郎が一応完全に快復したと考えられる時期は、必ずしも明確に確定することはできないものの、同人が再入院したT病院から退院した平成16年4月ころのことであったと推認するのが相当である。」

「なお、被控訴人らは、最初に控訴人太郎を診断した医師が、ストレス反応と診断していたなどと主張して、控訴人太郎がPTSDに罹患したことについても疑問を呈している。しかしながら、PTSDは、外傷体験があった後1か月以上経過しても再体験、回避又は麻痺、過覚醒の症状を継続させていることが診断基準となるのであるから、平成12年2月2日段階で控訴人太郎がPTSDと診断されなかったことは当然というべきであり、この意味では、同月21日に白川医師が控訴人太郎をPTSDと確定診断できなかったのも不自然といえないから、被控訴人らの上記主張を採用することはできない」

原審では、平成12年4月20の診断から6月まで、事件発生(1月26日)から計算したとしてもPTSDの期間を5、6カ月しか認定していなかったが、高裁判決では、必ずしも確定できないとしながらも平成16年4月までの4年間をPTSDと認定している。

そのうえで、「控訴人太郎は、第1事件により、被控訴人Aから長時間にわたる執拗な暴行を受けて、加療約38日間を要する傷害を負っただけでなく、これが原因の一つとなってストレス反応を起こし、登校することもできなくなり、さらには、PTSDに罹患して、日常生活にも支障が生ずるようになったものである。そして、その治療のために多大の時間や快復のための努力を要することになったほか、進路の変更も余儀なくされるなどこれによる精神的苦痛は極めて重大なものであったというべきである。」とした。

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判決から思うこと。

太郎くんは暴行事件によって身体的な後遺症は残らなかった。しかし、精神的な後遺症が残ったことに対して、身体的精神的苦痛に対する慰謝料として450万円という金額を認定した。
今まで軽視されがちだった精神的な苦痛に対して、これだけ認められたことの意味は大きい。
一方で残念なのは、太郎くんは第1の事件(1/26の集団暴行)以上に、第2の事件(1/28の集団で自宅に押しかけてきた事件)で、「殺されるかもしれない」恐怖を強く感じ、それが心の傷になったと主張していた。その第2の事件に対しての損害が認められなかったことは残念に思う。
他のリンチ事件でも、殴ったり、けったりした少年たちの不法行為は認定されても、それを周囲で見ていた少年たちの被害者に与えた精神的圧迫等は加害に加担したことにはなかなか認められない。

それでも、1審よりよい判決が出てよかったと思う。
裁判所が仲介して和解を勧めたものの、ついに最後まで、加害少年らは太郎くんに謝罪することを突っぱね、和解を被控訴人からけって、判決に至った。
「心からの謝罪がほしい」と願った太郎くんのその願いは最後まで叶わなかったが、そのことに対する公的な立場の判断が下った。
裁判のなかで、原告側は「PTSDでもないのにPTSDに罹患したと大袈裟に言ってウソをついている」と被告側から攻撃される。そのことが、PTSDに苦しみ続けた太郎くんにとって、どんなに辛いことだったろうと思う。本当にそれがウソであればどれだけよいかと一番思っていたのは太郎くん自身であり、その両親だったと思う。
加害者側は最後まで認めようとはしなかったが、裁判所は認めたくれた。そのことが、これからの太郎くんの精神的な立ち直りに大きな力を与えてくれると思う。

金額についてはもちろん、多いほうがよい。責任の重さを民事裁判では、金額でしかはかることはできないから、4万5千円の慰謝料と450万円の慰謝料とでは意味がまるで違う。
それに、世間で思っているほど原告は儲からない。
太郎くんのところの裁判費用を具体的に聞いたわけではないが、いろんなところで聞いても、たいてい弁護士費用は100万円は下らない。担当弁護士が多ければ、それに掛ける人数分になる。(法律扶助協会を使うとかなり安価にすむ。一方で、そのために引き受ける弁護士が少ないときく。この制度も近々なくなるとか)
弁護士との打ち合わせにかかる費用もばかにならない。まして、太郎くんは浜松。弁護士の交通費、親子3人の交通費や時には宿泊費。裁判は平日に行われることから、仕事を休まなければならない。膨大な情報収集や資料作成に費やす時間。生活全般に影響する。そして、弁護士に対して成功報酬を支払うことも多い。
まして、太郎くんの場合、精神科医にかかったり、何度も入院したりしている。
私の知っている多くの例で、多少なりとも慰謝料や賠償金が出たところで、収支は赤字となる。
お金がなければ、訴訟を起こしたいと思っていても起こせない現実がある。
みな、子どもの将来のための貯蓄を切り崩して、訴訟費用にあてている。
そして、たとえお金がもらえたとしても、誰が自ら進んで被害に遭いたいと思うだろうか。それこそ、そのお金を支払ってでも、被害にあう前の自分に戻りたいと思うだろう。
また、誠意のない相手にあっては、どんな金額が提示されようと関係なく、支払おうとはしない。「ないものは払えない」と開き直られたり、最初の1、2回のみであとは支払われず、居場所もわからない。そんなときでも裁判所は何もしてくれず、自分で相手の居所を探し出して請求するしかない。場合によっては、支払ってもらうための裁判を再び起こすしかないなどの話もきく。
提示された金額だけをみてうらやんだり、妬んだり、電話をかけたりすることはやめてほしい。

判決後に太郎くんは言った。「PTSDのことでうそつき呼ばわりされたことも、この先の同じ思いをするひとたちの分を自分が受け止めたと思えばいいと思える」と。
そして、「高裁になってから自分でも裁判に対する考え方が変わってきた。地裁のときには自分のために裁判をしている感じだったが、高裁になって、他のひとたちの分もいい結果になりたいと思うようになった」「この判決が、今後のひとたちに生きることになればうれしい」と。
地裁より、高裁判決は重要視される。判例集にも載ったりする。今後、多くの被害者がこの裁判の判例を頼りに、PTSDの裁判をすすめていくことだろう。

多くのいじめ事件で、精神的な苦痛にどれだけ苦しんでいても、そしてその快復に5年、10年、20年かかったとしても、肉体的なけがや後遺症がないことを理由に傷害として認められない、相手の不法行為が認められないということがたくさんある。
心の傷が傷害として、きちんと認められなければ、被害者は救われない。まして、精神科医にかかるのは抵抗感も大きく、お金もかかる。
カウンセリング料にしても、健康保険が適用されず、初回の1時間30分で15,000円、2回目以降、1回50分で11,000円 〜 13,000円(一例)という金額をどの親も用意できるとは限らない。
目で見て痛いことがすぐわかる外傷ならいざ知らず、心の傷は目に見えないことから、周囲の理解も得られにくい。お金がなければ、あるいは地方で、専門の医師がいなければ、PTSDという診断名も下されず、訴訟をするにしても、「PTSDに罹患していた」という証明さえ難しいのではないかと思う。
今回、そういう意味で、太郎くんが白川医師とめぐり合えたのはラッキーだったと思う。この判決に及ぼした影響も大きい。
災害や学校のなかの人間関係で、とくに子どもが心に深い傷を負ったとき、誰でもが無料で安心して、専門医の診断とケアが受けられる仕組みが必要だと思う。受けた被害をこれ以上、ひどくしないためにも。

今回の裁判の傍聴には、川崎市小学校のいじめ事件(000400参照)被害者のお父さんが傍聴に来ていた。心に深い傷を負ったわが子。それを見守る親のせつなさ。思いは共通する。(次回の裁判については裁判情報参照)

この判例を次に生かすこと。そして、もう同じ苦しみを子どもたちに背負わせないこと。ここからは私たちおとなの仕事だと思う。ここまでがんばってくれた太郎くんに感謝したい。そして、太郎くんがここまでがんばってこられたのは、お母さん、お父さんの力、そして、弁護士の先生方、白川先生の支えがとても大きかったと思う。せめて、支えるひとを支える一人になれたらと思う。




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