子どもに関する事件【事例】



注 :
被害者の氏名は、書籍等に掲載された氏名をそのまま使用させていただいています。ただし、加害者や担当教師名等については、個人に問題を帰すよりも、社会全体の、あるいは学校、教師全体の問題として捉えるべきではないかと考え、匿名にしてあります。
また、学校名については類似事件と区別するためと、隠蔽をはかるよりも、学校も、地域も、事実を事実として重く受けとめて、二度と同じ悲劇を繰り返さないで欲しいという願いを込めて、そのまま使用しています。
S.TAKEDA
000400 いじめ転校 2004.4.18新規
2000/4/ 神奈川県川崎市多摩区の市立南菅小学校で、中国人の父と日本人の母を持つ女子児童Kさん(小3・8)が、複数の同級生らからいじめを受けて転校。PTSDと診断される。
経 緯  1998/4/ Kさんは小学校1年生の入学当時から、男子児童Aから「ハーフだからいけない」「中国人だからだめ」などと言われ、いじめられた。

2000/4/ 3年生になってから、Aを中心とする同級生6人のいじめグループができ、いじめがひどくなる。

秋頃、保健室によく行くようになる。母親は、養護教諭から「中国人と呼ばれみんなからいじめられている」と聞く。

12/ Kさんは学校を休むようになる。
父親が校長に被害を訴え、担任教師に指導させるよう伝えた。

2001/2/ Kさんが不登校になる。

3/ 転居して、横浜市内の小学校に転校。その後もPTSDと診断され通院。

2004/2/6 川崎市議会総務委員会で、同小のいじめが取り上げられる。
いじめ態様 同級生6人が中心。いじめは毎日のように続いた。

父親が中国人であることをからわれる。「中国人」「中国人っぽい」「中国服ばかり着ている」「うんこ」「のろま」「くさい」などと言われる。

頭をたたいたり、足をけられたりした。髪の毛を引っ張られる。無視される。

給食の時間に机を離され、給食が配られないこともあった。

Aは、頭をたたく、足をける、髪の毛を引っ張るなどの暴力をくり返し、顔や足にあざができることもあった。

女子児童Bは、暴力を受けているのをみて、いつも大笑いをして、クラスの女子を集めて、わざと無視する行動をとるなどした。
教育委員会の対応 2000/5/末 小学校から報告を受けた川崎市教育委員会が調査を開始。

12/ 本格的に調査を開始。

2002/8/ 教師の妨害などで1年3カ月かかる。
当時の担任教師、学年主任から聞き取りをする。直接、聞き取り調査に応じたのはKさんと同じクラスの児童1人のみ。

2002/9/ 市教委は、「学校の指導監督上の過失があった」と判断。学校に通知。

2002/11/ 市教委が、いじめについての調査結果をまとめ、学校を指導。

2004/1/29 市教委が学校に改めて通知書を送る。
「民族差別を背景に暴力及び、侮辱を中心とする、きわめて悪質ないじめであり、学校と市教委の責任は重大と認識している」「当時の学校関係者の対応はまことに不適切で、被害児童への精神的ケアや、関係児童への指導もなされないまま、いじめが繰り返され、被害児童が心身に異常をきたしたことは弁明の余地すらない事実」とした。
1.いじめに関係した児童に対して十分な指導を行う、2.関係する保護者に本件が正しく理解されるよう務める、などを学校側に求めた。

3/29 夜、同小学校の校長室で、市教委と当時の校長と教頭、担任ら10人が出席して児童と家族に正式謝罪。女児の治療費などの賠償を約束。
父親は学校側の謝罪を受け入れ、学校関係者の民事責任を問わないことを約束。

担任の対応 いじめていた児童への注意はその場限りで、いじめではなく「からかい」と認識。
Kさんの保護者が担任に連絡帳で改善を求めたが「注意したい」と言うだけで何もしない。

2000/9/中旬 担任が校長に「児童が中国人とからかわれているので励ましてくれ」と言ったことを受けて、校長は被害児童を呼んで「日本から見れば中国は先生のようなもの。伝統のある国の父親を誇りに思いなさい」と話した。

3年生の終わり頃、担任が謝罪文を渡す。「(自分が)若いから許してくれ、8歳の子どもたちのやったことだから」と書いてあった。

市教委が児童全員の聞き取りを求めた際、「子どもを傷つけるので、やめてほしい」「クラス児童がナーバスになる」などとして、再三にわたって拒否。
学校・ほかの対応 2000/12/ Kさんの父親からいじめの実態を聞いた校長が、被害児童といじめの中心だった男子児童の席を離し、学級会を開催。男子児童がいじめていたことを認めて謝罪。

学校は学年懇談会を1回のみ開催。Kさんの母親がいじめについて説明するが、「被害者にも問題がある」という声が保護者からあがり、教頭も同調。

2004/1/27 学校側が保護者を対象に報告会を開催。現在の校長、教頭、市教委の職員が出席。100人以上の保護者が出席。「被害を受け転校した家族にとって耐え難い根拠のないうわさがもれ聞こえる」などと話した。
被害者

中学生になっても、PTSD(心的外傷後ストレス障害)に苦しんでおり、通院、投薬治療を受けている。

加害生徒と保護者の対応 訴えを受けて開催された学年懇談会で、いじめていた児童の保護者が「女子児童にも問題があったのではないか」と発言。

いじめた児童の母親が、子どもがいじめをしているかを確認しに1週間ほど学校に通う。

2004/4/初め 2人の児童の両親に対して、謝罪を求める文書を内容証明で送るが、相手は弁護士を通じて「事実は認められない」と文書で回答。
誹謗・中傷 転居後も、いじめていた児童の親たちが、「父親は暴力夫で母親はしつけができない」と言っていると聞く。

PTSDと診断された女子児童の通院費などを市に請求していることに対して、保護者間で「金がほしいだけだ」などと噂が飛び交う。
その後 2001年度から、教師や用務員、給食調理員を含めた全職員による給食訪問を開始。職員以外がクラスを回り、児童と一緒に食事をする。

2002年度から、毎月1回、全職員による「児童指導部会」を開き、児童について気づいたことを報告。

5、6年生で、「振り返りカード」をつくる。児童がその日、感じたことや思ったことを書き、毎日、教師に伝える。

NPO法人の職員を講師に招き、全職員に人権研修を実施。
教師の処分 2002/9/ 調査が終わった後も処分を「検討中」。
2004/3/12 市教委は、当時の校長と教頭、担任(3人は別の小学校に勤務)を処分。
元担任教師は、民間企業に転職。
裁 判 2004/4/14 いじめられていた女子児童の両親が、同級生の男子児童Aと女子児童Bの両親計4人を相手に、総額740万円の損害賠償を求めて横浜地裁川崎支部に提訴。
被告側の言い分 被告側は裁判における「答弁書」のなかで、「女児の行動に問題があったから注意しただけ」で「暴力は振るっていない」といじめを否定。一方で、「両者はすでに和解ずみ」と主張して、市教委の調査と教育長の「通知書」を全面的に批判。
参考資料 朝日新聞神奈川版 2004/1/28、2004/1/29、2004/1/30、2004/1/31、2004/2/1、2004/2/2、2004/2/7、2004/3/31、2004/3/12、2004/4/15、東京新聞2004/1/29、毎日新聞2004/1/29、週間金曜日第501(2004年3月26日)号、 第512 (2004年06月18日)号



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