2006年6月5日(月)、午後2時から、東京高裁824号法廷にて、服部太郎くんの裁判(平成17年(ネ)第4196)の証拠調(証人)があった。裁判長は房村精一氏、裁判官は打越康雄氏、奥田隆文氏。
証人は、浜松の地裁でも証人として出廷された白川美也子先生。
想像していたよりずっと若々しい印象。しかし、中身は超ベテランで、今年(2006年)3月までは独立行政法人国立病院機構天竜病院精神科医長を務められ、現在は浜松市保健福祉部に所属して、新たにつくられる精神保健福祉センター設立準備に当たられている。
PTSDに関しては今まで300例以上にかかわってきているという。
主尋問の時間は予め45分と決められていた。時間的制約もあるのだろう、幾分早口で、しかも専門用語が多く、内容を書き取ったり、把握するのにいささか苦慮した。服部さんからいただいた白川先生の意見書等を読んでようやく理解した部分もある。聞き取った内容の詳細については、正確さにあまり自信がない。そのあたりを考慮して読んでいただきたいと思う。実際のやりとりは、杉浦ひとみ弁護士の質問に答える形で行われたが、ここでは要点のみを書く。
平成12年4月21日に、太郎くんをPTSDと診断した。問診をした結果、回避、再体験、過覚醒の全てに該当していた。
PTSDのチェックリストに書き込んだかどうかについては、必ず記録に残さなければならないものではなく、あくまで治療目的できていたので、話をしながら判断した。
一審の判決では、IES-R検査の結果、平成12年6月5日頃には治癒していたと認定しているが、それは誤りである。
「カットオフ」については、当時「IES-Rの点数が25点以下は、PTSDの診断にならない」という診断基準が設けられていた。
ただ、実際の症状と経過と異なることから臨床上の疑問は多くあった
。IES-Rは自記式のアセスメント(評価)リストであり、麻痺や回避が強いひとは、精神科医の診立てより低くでる。「カットオフポイント」(正直いって、私自身、この言葉がいまひとつ理解できていない)に満たなかったことから、カルテに「自然治癒が可能になっている」と記載した。
しかし、英文で書かれた最近出た資料(裁判所に原本=英文のものを提出)を読むと、ダニエル・ワイス氏が、自分のつくったIES-Rのカットオフポイントについて否定している。
当時、使用した基準事態が変わってしまっている。
被告側が証拠提出してきた「PTSDと賠償」という本には、PTSDが半年から2、3年で治るとあるが、アンケートを使ったデータの集め方、取り方に問題があるうえ、あとがきから引用された文章は、中身にある表とも矛盾する。これを結論とするには強引すぎる。また、多くの専門家、世界の論文とも結果が違う。
太郎くんの平成13年10月「友だちをいじめから守る会」の活動への参加や公訴の提起について、被告側の主張や裁判所は、PTSDの症状があったならば傷口に触れる活動は無理であり、回復していた証としている。
太郎くんの事件は地域で起きた。被害を主張することで、友だちや地域の絆も断たれた。
太郎くんは、外出したときに犯人が歩いていたのにあって、いやな声をだされたり、つけてこられたりしたという。
新幹線に乗るとやっとほっとする。長野の行くことは、太郎くんにとってはトラウマからの回避症状だったといえる。また、いじめは同じ立場のひとでないとわかってもらえない。同世代の同じ立場の仲間といることで安心できる。
一方で、PTSDの症状のひとつに再演というのがある。周りから見ると、傷口に塩を塗る行為にうつる。トラウマになったできごとに対して、無意識のうちにどんどんつきすすんでしまう。
実際、太郎くんは「(いじめをなくす会の活動に)のめりこんでしまいそうで恐い」ともらし、「ひとと距離がとれなくなって苦しい」と話した。これ自体がひとつの症状。
チェック表のなかの「問題になったトラウマ的できごとと関連があるかないか」の項目の「なし」にまるがついているのは単純なつけ間違い。太郎くんの言葉を写し取ったメモ書きをみてもらえばわかる。
「来年はないかも」「自分は長く生きられない気がする」などと答えているのは特徴的。
平成12年5月に佐賀のバスジャック事件が起きたとき、太郎くんは非常に具合が悪くなった。ナイフを持ち歩くなどの行動をとるようになった。
自分と同年代の男性をみて、自分もしてしまうという恐怖感を感じた。また、かぎをかけて家のなかにいても、窓から侵入されるのではないかと怯えた。
テレビを見ただけで、こんなにも症状が悪化してしまう。入院させなければと思うほど危機的な状況だったが、私のところには複雑なケースが多く、10から20人が待機中で、入院は3〜6ヶ月待ちだった。
そこで、EMDRという方法を試すことにした。
トラウマに関連するイメージを思い浮かべながら、同時にその記憶にまつわる否定的な考えを思い浮かべ、治療者が左右に振る指を15回から20回、目で追ってもらったり、膝においた手を交互にタッピングするなどの律動的な両側身体に交互に刺激を加えていく。そのなかで、イメージが変化していく。否定的な認知から肯定的な認知に変えていく。これらの変化は、脳内のトラウマを感じる固まった部分のを生物学的に溶かしていくことによるという。
太郎くんの場合もこの治療法が大きな変化のきっかけとなった。社会の教訓だと言われて殴られたことのイメージが、ポジティブな認知に変化していった。警戒心が下がって、気持ちが落ち着いてきたという。
カルテから急速にIES-Rの点数が下がった。そこで、6月5日の診断で、「自然回復に向かう」と書いた。それは、今後の見通しとして、自然治癒が可能になっていると判断して記載した。
私自身、治療の効果が出たと思ってうれしかった。また、太郎くんには自分のよくなった面に目を向けてほしかった。ほめて、少しでもよい方向にいってほしかった。
平成18年5月30日に、診断のための面接を行った。CAPS臨床診断尺度を用いた結果、生涯診断重度、現在診断軽度のPTSD症状があることが確認された。
少年事件のニュースを見たり聞いたりすると当時の少年事件の多さを思い出す。「またか!」と思う。落胆と悲しみ。どうしてそんなことをするのだという動揺。現在も、ニュースなどで類似する事件を聞いたり見たりしたあと、見ている間だけ続く緊張があるという。
以前からある回避麻痺症状や過覚醒症状に加えて、再体験症状がみられた。
医学的権威のある文献には、「PTSD患者の約50%は慢性化し、イベントから1年以上たっても症状は軽快しない」と書かれている。
また、アメリカの精神医学雑誌において、125人のPTSDおよびPTSDの部分診断を呈した症例を調査したところ、34から50ヶ月後も48%が治癒していなかったという。
「とくに回避が強い子どもにその傾向がある」とあり、太郎くんにも当てはまる。
打たれ強くなるということはなく、むしろ脆弱なる。同じような事件に巻き込まれたときに傷つきやすくなるという。
反対尋問では、PTSDの診断自体がまだ確立されたものではないのではないか、患者が思い込んでしまった場合にはどうなるのか、詐病の場合にはどうなのかなどの質問が出た。
白川医師は、IES-R等はあくまで診断するための道具にしかすぎない。どのような原体験があったのかは、医師が患者がいうことを判断しているとした。
そして、ケースによっては、ときに小さい子どもでは、起きたできごとを忘れたり、記憶がすりかえられたりすることがある。太郎くんの場合にも、当初は忘れていたこともあった。しかし、どんどん思い出すにあたって、前に出たこととずれない。たとえれば、ジグゾーパズルが80%完成している。あとから、はずれたところのピースを当てはめるとぴたりとはまる。矛盾はないという。
そして、太郎くんの場合は、むしろ医師から見た以上に症状を軽くいう傾向がある。もし、うそをついていたとしたら、あるいはうその記憶の場合、反応は現れないし、治療の効果も表れないという。診断は言葉だけでなく、身体的な緊張なども診断しているので、うそをつこうと思ってできることではないとした。
専門的な内容が多く、はたして私自身がどれだけ理解しているか、これを読むひとに理解してもらえるか、自信がない。とくに、細かいところでは適確な表現にはなっていないのではないかと思う。
結論的に私が理解したことをあげれば、
主治医として、太郎くんのPTSDが平成12年6月5日頃には治癒していたという1審の判断は誤りであると主張。 根拠としては、
1.当時使われていた診断ツールの基準は不十分なものだった。それを証明する権威ある文献が出ている。その後、訂正された基準にあてはめれば、太郎くんのPTSDは治癒したとはいえない値が、当時から出ている。
2.浜松を離れての様々な活動は、トラウマとなった現場を離れるという回避行動のひとつであり、PTSDの治癒の証拠とはならない。また、その活動が心理的に悪影響を与えて再びPTSDがひどくなったとはいえない。むしろ、同年代の理解してくれる仲間との出会いは、太郎くんの回復への努力である。それが、結果的に心の傷を深めることになったとして、それはトラウマになった出来事に無意識に近づいてしまう再演という症状のひとつである。
3.PTSDが半年から2、3年で治るという報告は、論文自体に整合性が感じられない。世界的に権威のある論文では、もっと治癒に時間がかかり、なおかつ慢性化しやすいとある。
4.太郎くんのPTSDが回復に向かったように見えたのは、危機的状況時に行った新しい治療方法の成果である。しかし、現実には一旦受けたPTSDは慢性化したり、新たな外傷的できごとに傷つきやすくなっている。
PTSDについては、専門的なことが多く、聞いていてわかりにくい部分もある。しかし、専門家が論理立てての説明は、やはり説得力があると思った。
なかなか一般には理解されにくい、軽視されやすい心の問題。メカニズム。もっと多くのひとに正しく理解してほしい。それが患者を救う道になる。白川先生の静かな情熱が伝わってくる気がした。
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私自身、過去の深い心の傷をひきずっている人々に出会うことが多い。深い心の傷は、残念ながら、当人がどれだけ努力したところで、治癒には時間がかかる。一旦はよくなったように見えて、ささいなことで再び悪化する。
トラウマになった出来事のあった季節になるとぶり返しやすい、似たひとを見ただけでフラッシュバックする、一見関係ないように見える出来事のなかから共通点を直感的に見つけてフラッシュバックする、音や臭い、光などにも過敏に反応しフラッシュバックする。
何度も何度も振り子のように行きつ、戻りつしながら、少しずつコントロールできるようになっていくのだと思う。10年、20年かけて付き合っていかなければならないものだと感じている。
そして、肉体的な症状と違って、一見、健康そうに見えることから、症状を性格的な偏りや異常、なまけ、甘えと捉えられることも少なくない。しかし、現実には本人の努力ではどうにもならないこともある。ひん死の重病人に、他のひとと同じことを要求するのは無理なように。
本当に半年やそこらで治るものならどれだけよいだろう。誰だって苦しいのはいやだ。自分で自分の心と体をコントロールできないのは不安だ。
おそらく、本人がいちばん回復を強く願っている。焦っている。思い通りにならない自分にじれて、腹を立てている。
それを理解されないこと、責められることは、いちばん辛いことだと思う。傷を深めることになる。
まずは被害がきちんと正当に評価されること。そこで初めて、自分自身も自分の心の傷をありのままに受け止め、向き合えるようになるのではないかと思う。
前回は、この証人尋問で結審する予定だったが、今回提出された最新の論文が原文のままだったことから、翻訳を提出すること、証拠説明書の提出と、もう1回、7月10日(月)2時から、弁論期日が設けられることになった。裁判情報 Diary 参照。
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