わたしの雑記帳

2005/10/23 部活動における「過呼吸」の陰にひそむ問題 (2005/10/29追記)


2002年3月25日、群馬県高崎市の東京農業大学第二高等学校(東京農大二高)のラグビー部員金沢昌輝くん(高2・17)が自殺した020325 参照)。その日は、ラグビー部の合宿に向かう予定だった。(当初、裁判や遺族への影響を考え、Mくんと表示させていただいていましたが、ご両親の許可を得て、実名掲載させていただきます)

その前日、いつもは学校から帰ってすぐダイニングに顔を出す昌輝くんが、その日は自室へ直行。不審に思った母親が昌輝くんの部屋に行き、会話のなかで「ラグビー」という言葉がでた途端、過呼吸の発作を起こした。
激しい発作を目の当たりにして、救急車を呼ぼうとする母親。しかし、翌日からの合宿に出られなくなったら困ると言って、強く拒否したため、救急車は呼ばなかった。

翌日、いよいよ出発するときに、昌輝くんは玄関まで行っては立ち止まる動作を繰り返した。呼吸が荒くなりあえぎ始めたため、母親は合宿に行かせないことを決めた。
昌輝くんは玄関でしゃがみこみ荒い呼吸のなか、「行けない」「お母さん、(休みの)連絡は自分でしないとだめなんだ」と言った。
しかし、母親が総監督に電話をして、昌輝くんの状況を細かく説明し合宿の欠席を申し出た。対して、総監督は「治ったら参加させてください」と言った。
監督同士の連絡がうまくいっていなかったのだろう。連絡は1時間半近く放置され、自宅からすでに連絡があったことを知らないS監督がマネージャーに、昌輝くんの自宅へ連絡を入れさせた。
昌輝くんは、「これは策略だ」と言い、指導者らに対して「あいつら人間じゃあないから」と言った。
その後、自室で自殺をはかり、ぐったりしている昌輝くんを母親が発見。救急車で病院に運ぶが、1時35分死亡した。

遺族は、過呼吸を患い自殺したのは、同部の当時の監督らが健康管理義務を怠り、厳しい練習を強いたことが原因だとして、学校法人や校長や同部顧問ら5人を相手どって、前橋地裁に提訴した。
2005年9月1日、職権和解(裁判所からの和解案=ほぼ判決に近いもの)が成立した。

和解内容は、
・同校がグラウンドに生徒の名前などを刻んだ石碑を今年中に設置する。
・部活動が教育活動の一環であることを踏まえ、部員各自の人権を尊重した指導を行う。ラグビー指導に当たり、部員に体罰や差別的な取り扱いをしないことを確約する。
・部員の健康や安全管理の徹底などに配慮した指導をする。
・学校側が弔慰金500万円を支払う。
・スポーツ推薦により入学した生徒が推薦対象となった部を辞めても同高校を退学しなければならないものでないことを認める。
など。


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この事件が提起する問題点はいくつもある。私が気が付いた範囲で述べたいと思う。

●監督たちは「過呼吸」を非常に安易に考えていた。
過呼吸は、心理的要因(恐怖・不安等)や身体的要因(疲労等)が誘因となって発作的に過換気の状態になる病気。呼吸器心身症で、若年者等に好発。

よく「過呼吸になっても、死ぬ心配はない」「後遺症を残すこともない」と言われる。
しかし、過呼吸は苦しい。当事者は、息ができずにこのまま死ぬのではないかという恐怖さえ感じる。

私も学生時代、ワンダーフォーゲル部の1年生のときの夏合宿で、一度だけ経験したことがある。
当時は、過呼吸の知識さえなかった。それは、先輩も顧問も同じだった。
高山での重い荷物を背負っての歩行。呼吸が苦しくて、意識的に深呼吸を繰り返したのがきっかけだったと思う。
急に呼吸が苦しくなって、その場に倒れた。陸で溺れる感じにパニックになって、呼吸を繰り返すが、一向に楽にはならない。そのうち、頭がぼうっとして視界が白く霞んできた。手足がしびれて、足が吊った。
女子の先輩部員から、「ゆっくり呼吸をして」と言われて、背中をさすられるうちに回復した。
「ペーパーバックセラピー」の知識もなかった。
ずっと長い間、あれは単なる高山病の一種ではないかと思っていた。翌年には、同級生の女子部員が、やはり夏合宿で同じ症状に陥った。その時は落ちついて、自分が先輩にしてもらったことを彼女にすることができた。

最近になって、あれは過呼吸ではなかったかと思う。
直接の原因は、肉体的疲労と、呼吸が苦しくなって深呼吸を繰り返したことで、血液中の二酸化炭素濃度が低下して、息苦しくなったのではないかと思う。パニックに陥って、荒い呼吸を繰り返すことで、さらに悪化する。
一方で、ワンダーフォーゲル部に入って、初めての合宿で、体力的にも他のメンバーについて行けず、このまま合宿最終日まで登山を続けられるのだろうかと強い不安を抱えていた。そのことも、影響したかもしれない。
その後も、短距離走を走ったあと、立ち止まったときに過呼吸を起こしかけたり、空気のよいところに行って、深呼吸を繰り返したときに、過呼吸を起こしかけたことがあったが、自分で呼吸をセープすることで防ぐことができた。

過呼吸は苦しい。一度経験すると、また同じ症状を起こすのではないかという恐怖心が芽生える。
私の場合、高山での運動という環境条件的なものだったのと、心因的なものはそれほど大きくなかったので、繰り返すことはなかった。しかし、なかには繰り返すひともいる。
昌輝くんの場合、激しい過呼吸の発作を何度も繰り返していた。
過呼吸は、激しい運動時ではなく、運動をしていて止まったときや安静時に起きるという。
部活動中だけでなく、授業中に激しい発作を起こしたこともあったという。
きっと、なんで発作が繰り返されるのか、苦しさへの恐怖とともに、自分自身に対する苛立ちをも抱えていたのではないか。
2年生の年の11月6日、学校内合宿期間中(11/4〜11/7)にも、昌輝くんは授業中に過呼吸の発作を起こしている。気づいた生徒が保健室に連れていこうとしたが、昌輝くんは「もう、いやだ!」と大声で何度も叫びながら泣きだし、クラス中が騒然となったという。

部活動が昌輝くんの大きなプレッシャーになっていたことは確かだろう。
興奮や不安、緊張、恐怖など精神的な要素によっても、自律神経や呼吸中枢に影響を及ぼす。
また、過呼吸症状は、うつ病、パニック障がい、脅迫神経症など幾多の精神的な疾患の随伴症状として生じることもある(「The WORLD of HYPERVENTILATION」ホームページ 参照)という。
過呼吸に陥ったときは確かに、その不安を取り除くために発作を起こしている本人に「過呼吸は生命に別状ない」ことは知らせるべきだと思う。
しかし、そのことが周囲の「生命に別状がない」イコール「放っておいても大丈夫」という認識につながっている気がする。
確かに肉体的には「後遺症」は残らないかもしれない。しかし苦しさに対する恐怖、再発するのではないかという不安。心には「後遺症」が残りやすい。

私は、私立中高校の養護教諭を集めた研修会の講師として呼んでいただいたことがある。
その時に、「過呼吸の手当をしたことのあるひと」と言って挙手をしてもらったところ、3分の2ぐらいがあがった。
熱中症の手当をしたことのある教諭は3、4人だったことから考えても、かなりの頻度で、学校では子どもたちが過呼吸を起こしているとみられる。それはもちろん、運動や部活動とは関係なく発作が起きることも多い。
思春期の子どもたちの心理は繊細で、学校で家庭で、ストレスを感じることも多いだろう。一いち、その原因を追及していられないということはあるだろう。
しかし、部活動での過呼吸においては、原因をさぐり、再び発作を繰り返さないような環境整備がとられるべきではないか。
ある運動部系の部活顧問は、部活動においては日常茶飯事的にみられると言って、自分が過呼吸の手当に慣れていることを得意げに語った。過呼吸は一般的に女子が多いという。女子部であることも要因としてはあるのだろうと思う。しかし、過呼吸は心因的なものが大きく影響する。それが部活内で頻発していることに何の疑問も抱いていない。試合に勝つための今のやり方を改善しようとはまるで思わない。
運動部だけでなく、吹奏楽部などでも過呼吸になる生徒は多いと聞いたことがある。楽器を吹くという行為が、過呼吸の引き金になりやすいのかもしれない。

昌輝くんの場合も、顧問は過呼吸を軽視していた。
裁判のなかで、当時、昌輝くんの過呼吸発作に対応していた養護教諭(現在は退職)が陳述書を提出。
・指導者は昌輝くんが過呼吸を起こすほど追いつめられていたことを認識していた。
・養護教諭が「部活は無理です」と指導者に助言していたにもかかわらず、当日の部活動に参加させていた
などが書かれていた。
部員たちの証言のなかにも、昌輝くんがかなり激しい発作のあとにも、普段と変わらず練習に出させられていたことが複数、あがった。

過呼吸でも、30分以上続くような場合は、救急車を呼んだほうがいいという。小野朋宏くのように、過呼吸の症状に見えて、別の発作の場合もある。
過呼吸に間違えられやすい病気はいろいろある。しかし、対応策は異なる。間違えれば、症状を悪化させるどころか生命をも危険にさらすことになる。
例えば、「脳の病気」であるパニック障がいの患者にとっては、炭酸ガスはパニックを引き起こす元になってしまうため、発作の時にペーパーバック法を行うことは大変危険(「株式会社保健同人社 ホームページ」より)という。
また、甲状腺に疾患がある場合やてんかんなどの発作性疾患なども間違えられやすいという。
酸素が足りない状態での頻呼吸と、酸素は足りているが二酸化炭素が足りない状態での過呼吸とでは、呼吸が苦しいという症状は似ているが、手当は真逆になってしまう(酸欠の場合は顔色が悪かったり、唇や爪が紫色になる。過呼吸の場合は顔色は悪くない)。

また、過呼吸は肉体的な疲労も影響するという。そうであるならば、激しい発作のあとは、安静にするべきではないか。
精神的な安定と肉体疲労の回復が、過呼吸の回復となる。農大二高の元養護教諭もそれがあるので、「部活は無理です」と指導者に助言したのではないか。


●部活の体質
昌輝くんは、それまでも様々なスポーツを経験していたが、高校でラグビー部に入るまでは、過呼吸の発作を起こしたことは一度もなかったという。いったい何が、昌輝くんを過呼吸に追い込んだのだろう。
同校ラグビー部は全国大会18年連続出場の強豪チームだった。激しい練習の肉体的疲労やレギュラー争いから来るプレッシャーもあっただろう。
しかし、昌輝くんの残した言葉の端々に、監督、顧問に対する不信感が現れていた。さらに、部員たちの勇気ある証言のなかで、部の体質が明らかになっていった。

昌輝くんは、自殺の当日、合宿を休むいう連絡を母親がしたにもかかわらず、S監督から指示されたマネージャーから電話がかかってきたことに対して、「これは策略だ」と言い、指導者らに対して「あいつら人間じゃあないから」と言った。
要するに、連絡があったことを知りながら、いやがらせのために、あるいは「そんなことで休むのは許さない」という意思表示のためにわざと電話をかけてよこしたと感じたのだろう。
昌輝くんにとって、それは根拠のないことではなかった。ラグビーの練習を休む際は、本人が直接連絡することが決められており、親が連絡をしたという理由で、坊主頭にさせられた部員もいた。
今まで何度も、過呼吸の激しい発作のあとも、練習に出させられていた。当日も、母親が詳しい説明をしたにもかかわらず、電話口で総監督は「治ったら参加させてください」と言っている。マネージャーからの電話は、顧問たちからの「ダメだし」に感じたに違いない。

特定の部員をターゲットにして、指導者がいじめ抜くことを部員たちは「ハメられる」と言うらしい。
昌輝くんはそのターゲットにされていたらしい。指導者たちは他の選手のミスを昌輝くんのせいだとて怒ったり、「お前バックスとして駄目だよ」「使えねぇ」などの言葉を浴びせたりした。
亡くなったあと、指導者たちは「期待感の現れ」という。しかし、当事者である部員たちは、そこに「悪意」を感じ取っている。納得のいかない理由で殴られる。ひいきや差別がある。「死ね」などの暴言がある。

そして、日常的に、指導者たちが部員の心身の健康に留意していたとはとても思えない。
けがをしても、治療さえ受けさせてもらえない。専門医の指示よりも、監督の指示が、優先される。それも、スポーツ科学にのっとった内容とはとても思えない。自分勝手な思いこみで。
多くの部活動で、勝利の陰、輝かしいスターの陰で、どれだけ多くの将来有望な若い選手たちがつぶされていったことか。そして、それによる挫折感が自暴自棄の行動となって、青春の一時期にとどまらず、一生を歪めてしまうことさえある。顧問らの責任は大きい。

部活動において、監督、指導者は神様だ。部員の運命を握っている。
どんなに実力があっても機嫌を損ねれば、試合には出してもらえない。選手生命を断たれることもあり得る。
部活動に夢をかけている子どもたちは、どんなに理不尽だと感じていても従うしかない。
やがてそれは、暴力の連鎖となる。後輩を「シメ」ることでストレス解消をする。そして、自らが指導者となったとき、同じことを繰り返す。勝利主義のなかで、誰もそれを疑問視しない。
昌輝くんの場合も「花園」に行くことが夢で選んだ学校だった。部活をやめれば学校を選択した意味がなくなる。
スポーツ推薦という縛り。場合によっては高校生活そのものを失うかもしれない。
夢をかけた部活を辞めることは、思い描いていた明るい未来を根こそぎ奪われ、奈落の底に突き落とされることに等しい。青春の日々のなかで、子どもたちは文字通り、部活に命をかけている。その信頼を裏切ることの罪は重い。


●保護者との関係
昌輝くんは、学校で何度も過呼吸の激しい発作を起こしていた。にもかかわらず、学校から連絡があったのは、最初の1回のみだった。しかも、部活の顧問のひとりは、昌輝くんの学級担任であるにもかかわらず、そのことを家族に連絡せず、連絡を入れたのは養護教諭だった。
その後も、何度も発作を起こしていたにもかかわらず、保護者には一切の連絡がなかった。

学校から適切な情報がない。そればかりではなかった。
初めてのラグビー部保護者会で、ラグビー部部長でもある教頭は、「お子さんを、お預かりします。指導には一切口を出さないで下さい」と話したという。
優秀な成績を納めている入部希望者の多い部活では、よく聞く。もっとも、場合によっては、学校の入学式で校長が、あるいはクラスで担任がこのセリフを吐くことがある。
「先生」と呼ばれるひとほど、他人から教わること、指導されることを嫌う。しかし、どこに完全なものがいるだろう。
まして、大勢の子どもを預かっていれば、目の行き届かないこともある。「気づいたことがあれば、遠慮なく言って下さい」という謙虚さがなぜないのだろうと思う。
親は子どもを人質にとられているから言えない。子どもも、指導教師が親の批判を嫌うことを知っているから、うっかりしたことは親に言えない。配した親が、学校に乗り込んでいって、そのあと教師や同級生らから批判を浴びるのは自分だ。
「あそこのうちは、すぐに親が口を出す」「お前、なんでも母ちゃんに相談するのな」「親離れ、子離れができていない」と言われる。そして、現実に母親が欠席を告げたというだけで、部員が見せしめ的な罰を与えられている。

そういうなかで、昌輝くんは何度も過呼吸の発作を起こしたことを自分では言えなかったのだろう。
学校や部活に問題があるからこそ、学校でおきて、家では起きなかった。「ラグビー」のことを口にしたとき、家でも発作が起きた。
それでも、親に言ってもどうにもならないと子どもは思うだろう。心配した親に部活動をやめろと言われるかもしれない。それは自ら夢をあきらめることになる。
あきらめきれない夢と心身ともに追いつめられていく現実の狭間のなかで、逃げることもできずに、自死に走ってしまったのではないか。あるいは、「このまま部活動に行けば殺される」と思ったかもしれない。合宿の厳しさは身に染みている。どんな精神状態になったとしても、どんな体の状態になったとしても、途中で逃げることは許されない。最後はシゴキ殺されるのではないか。そう思ったときに、発作的に死に走ってしまったのではないか。


●反省しない指導者たち
2005年10月2日、京都府京田辺市の少年野球チームに所属する奥瀬翔人くん(中2・13)が「敗戦のペナルティー」の特訓中に倒れ、熱中症で死亡した。その総監督(63)がテレビのインタビューに答えていた内容に愕然とした。「正直、あれだけ気配りしててもやっぱり倒れてしまう。子どもの体力のなさみたいなものは絶対あると思う。20年やってきて、そんな大きな怪我はほとんどないわけですから」と言った。
熱中症は避けられない事故ではない。指導者が部員の健康管理をきちんとさえしていれば、重篤にならずにすむ。アナウンサーが、「この事件」と言ってから「事故」と言い直した。「違う!事故ではない、事件だ!」と思わず叫んだ。「あんたが殺したんだ」。それをこともあろうに、本人の弱さにすり替えた。責任逃れをした。翔人くんの死の直後だというのに、反省のカケラもない。

何度、同じことが繰り返されてきただろう。

シゴキ・自殺
850323
1985/3/23 岐阜県の県立中津商業高校の竹内恵美さん(高2・17)が、陸上部顧問教師(46)の暴力的シゴキや体罰を苦に自殺。

【事件前】
顧問のシゴキは厳しく、練習中に恵美さんに対して、「もうやらなくていい」「お前はばかだから、何度言ったらわかるんだ。やめろ」などと言った。
恵美さんは疲労骨折で、医師から2カ月間、練習をしないように診断されていたが、無視して練習をやらせた。「痛いときには練習を休ませないのが本当の思いやりだ」とも言っていた。

【事件後】
自殺後、校長は「あの先生はああいう人やで、小さいときから人に頭さげるのが嫌いなタチで」と言うばかりで、納得のいく回答は得られなかった。
裁判で県教育委員会は、「教諭が選手に対してきつく当たったことがあったとしても、それは素質ある選手をより強い選手に鍛え上げようとする選手に対する愛情に基づく指導」と言った。自殺
に関しては、「個人的な資質や家庭環境の問題であり、教諭の指導とは無関係。予見は不可能」と主張した。
熱中症死
S880805
1988/8/5 愛媛県の市立新居浜中央高校で、バスケット部の練習後、阿部智美さん(高1・16)が熱中症で死亡。

【事件前】
顧問の指導のもと、同バスケット部はインターハイ出場の常連だった。
土日祭日もなく過密スケジュールの厳しい練習と、時にはアザになるほど激しい体罰があった。

【事件後】
顧問は、弔問に訪れた際、遺族に言うともなしに「弱かったんだなぁ」とつぶやいたと言う。
この事件で、校長は部活動のやり方について遺族に改善を約束したが、実際には何もしていなかった。部活動の練習はほとんど中断することもなく、手加減もされず続いていた。
そして、同校長は野球で全国的に名前を知られる松山の伝統校へ転任(事実上の栄転)。
裁判のときに被告側は、「死因は急性心不全である」「ショック死などと共に(異常な)体質に因るもの」として、予測の可能性や、過激な練習との因果関係を否定した。

裁判係争中に同校のバスケット部で、同じ顧問のもと、1年生女子部員が練習中に熱中症で死亡。しかし2度目の事故直後も、同年宮崎県で開かれたインターハイに同女子バスケット部が準優勝したことが評価され、顧問教師は秋の国体監督に選ばれた。翌年には愛媛県体育協会から「優秀指導者賞」の表彰を受ける。
熱中症死
S990727
1999/7/27 兵庫県の川西市立川西中学校で、ラグビー部の夏休み早朝練習中に、宮脇健斗くん(中1・13)が体調不良を訴えたが、顧問の男性教師から「演技は通用せん」などと言われ、とりあってもらえず放置され、意識不明の重体。翌日、熱射病による多臓器不全で死亡。

【事件前】
同ラグビー部は厳しい練習を行うことは定評があった。
この部では通常、練習中に水分補給や休憩が入ることもないということだった。
去年の合宿では、子どもが2回救急車で運ばれた。「今年の合宿で、救急車で運ばれるのは、健斗かも知れない」と顧問は健斗くんの母親に言った。
同教師は、中学校在職中に少なくとも4〜5回の体罰を行い、教育委員会に呼び出されて、厳重注意処分を受けていた(裁判で請求された体罰報告書の開示で判明)。

【事件後】
オンブズパーソン立ち会いのもと、両親が顧問教師と面談する。
健斗くんの死を「練習前に水を飲まなかった」「太っていた」「オーバーアクションであった」などと健斗くん自身のせいにし、親に対しても「勘違いして入れた」などという。反省や謝罪の気持ちはまるで感じられなかった。

事件後、2年間の県立総合体育館への研修派遣。研修終了後、川西市教育委員会の教育情報センター主査(指導主事=教育現場への指導・助言を行う教育委員会の役職)となる(その後、自己都合による退職)。



昌輝くんの事件でも、学校側は、当初は校長が「きちんと両親の気持ちに対処します。人事で考えます。1、2カ月待ってください」と回答していたにもかかわらず、いつまでたっても回答がないため、両親が学校に出向くと、校長は指導問題には全くふれず、「ラグビー指導者たちの将来を温かく見守ってやってくれ」「もし納得いかないなら、第三者をたてて世間に聞いたらどうですか」などと言ったという。

裁判でも被告側は、「生徒の自殺は非常に心苦しく、重く受け止めている」としながらも、「死亡に直接つながる指導はなかった」と反論。家庭(両親)と本人の性格が自殺に追い込んだ背景であって、ラグビー指導とは全く関係しないと主張した。反省の形さえない。

学校側は、提訴から和解、現在に至るまで、顧問や指導者の処分は一切行っていない。校長・教頭の管理職をはじめ、ラグビー部顧問ら3人の指導体制は変わらない。それどころか、指導者のひとりを昌輝くんが亡くなったあとに、同校教員として採用している。
(このことに関しては、コーチの口をふさぐための措置ではないかと個人的には思える。民事裁判に際して、教育委員会が時々使う手でもある。裁判で被告である学校側に不利な様々な証言が飛び出すのは、学校を退職した関係者や子どもが卒業して学校との関連が切れてからが多い。この不況下にしっかりした雇用関係をつくることで、縛りをかける。同校の場合、私立高校ということで、より容易ではなかったかと思われる)

そして、その体制下、裁判中の8月11日、合宿中(8/10-14の予定)に同校ラグビー部員(高3・17)が、練習試合でタックルをした直後に倒れ、16日に搬送先の病院で急性硬膜下血腫のため死亡している。
当初は、この事件が起きたことで、学校側が和解に応じたのではないかとさえ思った。ただし、和解勧告があったのはもっと以前であろうから、あくまで偶然であるのだろうが。
ほとんどの学校事件で、裁判を起こしてはじめて、学校の問題が明らかになってきている。
昌輝くんの事件でも、そうだった。ほんとうにやむを得ない事故だったのか、きちんと検証作業をする必要性を感じる。
ただし、学校に自浄作用を期待しても無駄なことは、繰り返される事件・事故、裁判が証明している。


部活動を子どもたちの夢を叶える場所にしてほしい。その夢を担保に、子どもたちの心を傷つけないでほしい。命を奪わないでほしい。
過呼吸は命に別状はないなどと、安易に考えないでほしい。体と心が危険を知らせるサインを出していると捉えてほしい。


時 期 過呼吸(過換気症候群)に係わる事件・事故 参 照
1999/10/11 佐賀県佐賀市の県総合運動場で、佐賀工業高校ラグビー部の野中優司くん(高3・17)が、練習試合後の練習終了直後に、過呼吸(過換気)状態になり、脱力状態。救急搬送するが、意識不明の重体。
翌日(10/12)
熱中症による多臓器不全で死亡。
S991011
2002/3/25 群馬県高崎市の東京農業大学第二高等学校(東京農大二高)ラグビー員・金沢昌輝くん(高2・17)が、部活動でたびたび過呼吸の発作を起こしていたが、合宿当日に自殺 020325
2002/5/7 神奈川県立小田原城北工業高校で、体育授業の持久走中に小野朋宏くん(高1・15)が倒れ、4時間後に脳腫脹で死亡
学校は救急車を呼ばず、過呼吸症候群を疑った手当てをしただけで、タクシーで自宅に帰していた。
S020507
2003/8/16 兵庫県の東鉢伏し高原で合宿していた関西学院大学のアメリカンフットボール部の平郡雷太(へぐり・らいた)さん(大4・22)が、練習直後に不調を訴え、病院に運ばれたが、急性心不全で約4時間後に死亡
雷太さんは、前日(8/15)の午前の練習中に、過呼吸の症状を訴えて倒れ、直後、意味不明の言葉を叫んだり、暴れるなどの異常な行動を繰り返した。
コーチが休ませ、徐々に落ちつきを取り戻したが、それまでの記憶がなかった。
練習では、コーチが雷太さんのヘルメットを無理やりはぎ取ったり、足でグラウンドに押し倒すなどの行為があったほか、通常3人1組で回すところを交替させず、雷太さん1人にやらせていた。
8/16、午前1時にミーティングを終了。その後、午前3時半から合宿終了日恒例の4年生による早朝登山に出発。ほとんど睡眠をとらずに午前の練習に入り、午前11時半頃倒れ、意識不明の状態で病院に運ばれた。

雷太さんの父親は、「二度と同じことが起こらないようにしてほしい」と話し、部の責任などを問う考えはないとした。
2003/8/30
神戸新聞
2005/6/ 大阪府茨木市の私立追手門学院高校の2年生410人が、6月初め、北海道に修学旅行した際、一部の生徒が初日に消灯時間などのルール違反があった。朝食時に学年主任が「旅行を続けられない」などと発言。3日目夜にホテルで学年集会をするうち、男子、女子の合計29人がその場で次々と過呼吸症状を訴えた。

ある保護者は「一部生徒のささいなルール違反で生徒全体を問いつめる指導が、修学旅行に限らずふだんからなされている」と話す。
夏休みに入る時点で、過呼吸の症状が引き続き出る、学校に来られない、教室に入れないなどの症状のある生徒が19人いた。

修学旅行当日の生徒指導が、あたかも「つるし上げ」かのようになったことが、過呼吸症状発症の直接の原因となったとみられる。
学校側は、生徒指導で生徒の心に過大な負担を与えたことが発症原因とみて、生徒指導の中心となっていた学年主任の教諭の交代を決めた。
2005/6/17
2005/8/25
朝日新聞
2005/6/10 山口県光市の県立光高校で、男子生徒(高3)が、授業中の教室に手製の爆発物を投げ込み、教室で授業を受けていた生徒など58人が、外傷や爆発音による難聴・事件のショックで過呼吸症状を起こすなどして病院に運ばれた。

生徒7人が入院していた市立病院では、6/11に過呼吸症候群の4人、6/12にガラス片などで負傷した2人が退院。これで入院中の生徒は、手の指を骨折して重傷の1人と、爆発音による聴力障害で市立総合病院にいる10人と合わせて11人となった。
2005/6/14
中国新聞
2005/9/9 佐賀県佐賀市与賀町の私立佐賀清和高校で、体育祭でグラウンドにいた生徒18人過呼吸などを訴えて病院に搬送された。熱中症とみられるが症状はいずれも軽いという。

体育祭は同日朝から行われ、午後3時半前に予定より少し早く終了したが、閉会式の前後から体調不良を訴える生徒が続出、相次いで病院に運ばれた。
佐賀地方気象台によると、午後3時半の佐賀市の気温は32.1度だった。

校長は「競技を減らすなど暑さ対策はしていたが、生徒用のテントは設けていなかった。人数が増えたのは連鎖反応ではないか」と話す。
ProjectG
のサイト



なお、金沢昌輝くんのご両親は、「君よ 輝いて!」http://www.geocities.jp/kimiyo_kagayaite/index.html というサイトを運営されています。より事件の詳細を知りたい方はこちらをご覧ください。



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