子どもたちは二度殺される【事例】



注 :
被害者の氏名は、一人ひとりの墓碑銘を私たちの心に深く刻むために、書籍等に掲載された氏名をそのまま使用させていただいています。ただし、加害者や担当教師名等については、個人に問題を帰すよりも、社会全体の、あるいは学校、教師全体の問題として捉えるべきではないかと考え、匿名にしてあります。
また、学校名については類似事件と区別するためと、隠蔽をはかるよりも、学校も、地域も、事実を事実として重く受けとめて、二度と同じ悲劇を繰り返さないで欲しいという願いを込めて、そのまま使用しています。
S.TAKEDA
850323 体罰自殺 2000.9.10. 2001.2.17. 2001.4.27 2001.9.20 2002.5.5 2003.2.23 2003.7.21更新
1985/3/23 岐阜県恵那市の岐阜県立中津商業高校の竹内恵美さん(高2・17)が、陸上部顧問教師(46)の暴力的シゴキや体罰を苦に、午前3時頃自室の洋服ダンスにひもをかけて首吊り自殺。
遺書・ほか 死後数日たって本人の通学用カバンからわら半紙に十数枚、鉛筆で書いた遺書が出てきた。

お父さん、お母さん、私は疲れました。もうこれ以上、逃げ道はありません。なんで、他の子は楽しいクラブなのに、私はこんなに苦しまなければいけないの。たたかれるのも もうイヤ 泣くのも もうイヤ 私はどうしたらいいかナ だから もうこの世にいたくないの ゴメンネ お父さん お母さん 私・・・本トにつかれたの もう・・ダメなの もう イヤなの 私そんなに強くないの ゴメンネ」と書いてあった。

顧問については、「私は先生が好きだったけれど何も恩返しできんかった」と書いていた。
経 緯 3/22 自殺の前日、恵美さんは進級に必要な成績がとれず、「計算実務」の追試試験を受けている。追試験終了後の採点で無事進級が決まったが、期末試験で追試だったことに対し、陸上部顧問が体育教官室で1時間指導。続いて担任教師から勉強や部活動について1時間15分にわたって説諭。更に、午後3時すぎから2時間半、再び陸上部顧問から説諭。計4時間45分に及ぶ訓戒を受けた。その日、朝寝坊をして朝食抜きで家を出た恵美さんは、昼食もとれなかった。直立不動の姿勢をとり続け、罵声を浴びせられ、竹刀を突きつけられ、殴られた。

恵美さんは、有望選手を集めて3月26日から開かれる県陸協主催の強化合宿に参加する予定だったが、欠点を取ったあと、顧問の教師に「お前は(合宿に)連れて行かん」と言われショックを受けたいた(後に顧問は「合宿には参加させるハラだった」と説明しているが、本人には伝えていなかった)。槍投げの練習もさせないと言われて、グランドの片すみでもいいから練習させて欲しいと懇願したが許されなかった。
顧問の「お前なんかしらん。お前の顔など見たくない」などの言葉を最後に帰宅。

自殺の前日の夜、追試のことで顧問らに一日叱られたことを両親に報告。母親に「こんなになっちゃった」と、叱られている間中、悔しくて噛みしめていたという紫色に変色した舌を見せた。父親が食事に誘ったが、「今日は食べたくない」と答えた。「あしたまたえらいで、食べないかん」と言うと涙をポロポロこぼし、部屋を出ようとする父親を「そやけど・・・」と言って呼び止めた。「そやけどなんや」と聞き返したが「まあええわ」と恵美さんが答え、それが最後の会話になった。
事件以前の経緯 顧問の指導はたいへん厳しく、部活の練習時間は毎朝40分。放課後2〜3時間。土曜日は午後2時〜5時まで。日曜日は午前10時〜午後5時までだった。
高校1年の1学期を過ぎた頃からシゴキが始まった。


日誌をつけずに寝て顔が腫れあがり左目横が内出血するほど殴られたり、槍投げの記録が悪いと槍の穂先で頭にみみず腫れができるほど殴られた。

夏休みの日曜日、自主トレーニングをさぼってコンサートに行ったときも体罰を受けた。「もう練習をみてやらない」と顧問に言われ、恵美さんは落胆して家出した。(結局、その日のうちに帰宅)

修学旅行中の朝練に遅れ、正座をさせられ大腿部に黒あざができるほど蹴られた。

両親が何度も学校に抗議に行こうとしたが、「また私が叱られるからやめてくれ」と恵美さんに止められた。

(同じ陸上部の部員の話によると)女子部員の雰囲気が悪いと、恵美さんが顧問に呼ばれ、「お前がリーダーを取っていかねばならん頂点におる人間だから」と言って叩かれていた。髪の毛が洗えないほど叩かれ、くしを通すのもいやだっという時がしょっちゅうあった。

練習中に恵美さんに対して、「もうやらなくていい」「お前はばかだから、何度言ったらわかるんだ。やめろ」などと言った。

恵美さんが腰が痛いのを顔に出したとして、「やめていけ」と怒鳴った。恵美さんは他の部員の前で「やらせて下さい」と土下座して謝った。

疲労骨折で、医師から2カ月間、練習をしないように診断されていたが、無視して練習をやらせた。

他の部員が病院にいくのを止めなかったとして、恵美さんを叱責。「痛いときには練習を休ませないのが本当の思いやりだ」と言った。

合宿時、恵美さんら3人が昼食のご飯を一杯しか食べなかったことに腹を立てて、正座させて竹の棒で数回ずつ叩き、竹の棒が割れて飛び散った。3人は泣きながらご飯を食べた。

1年後輩の部員が練習に出てこなくなったことについて、恵美さんを2時間にわたって責め続けた。恵美さんは土下座して謝った。

後輩部員が退部したことや、記録が伸びないことを理由に恵美さんの頭をジュラルミン製の試合用の棒で数回たたいた。
その他の体罰・暴力 ・陸上部のキャプテンは、顧問教師の指導を他の部員に適切に説明していなかったという理由で頬を平手でたたかれた。
・持参していた竹の棒(長さ2.4m、直径1〜2cmで槍投げの練習に使用)で背中や腰、頭などをたたいた。
・日誌をつけなかったりすると竹の棒でたたいた。
・合宿中、顧問の洗濯ものを取りに行くのを忘れた時に「感謝の気持ちがない」といって、頬を上唇が切れるほど平手でたたいた。
・練習中によい記録が出ないと、「ブス」「おまえは使いものにならない」「陸上部をやめよ」などと言うことがあった。
・入部の勧誘を断った女子生徒を体育教官室で正座させ、金属の棒でたたいた。
・陸上部を退部するとともに、退学することを決意した生徒に手拳で顔面を殴打した。
・校門検査で髪をカールしてきたり、タクシーで通学してきた生徒の髪の毛を抜けるほど引っ張った。あるいは竹刀でたたいた。
・同教師に髪の毛を掴まれたまま、体育教官室や体育館を引きずり回されて、頸部捻挫、腰腎部打撲などで20日間の治療を要する傷害を受けた女子生徒もいた。
被害者 竹内恵美さんは小学校の時から運動が得意な快活な少女で、スポーツが盛んな学校だからという理由で、自ら希望して中津商業高校に入学し陸上部に入った。
陸上部では、1年生の秋の岐阜県新人戦の女子槍投げで優勝。2年生の県高校選手権大会で優勝。全国高校生やり投げランキングで16位。全日本ジュニアオリンピックや国体にも出場するなど活躍していた。県下ナンバーワンの将来を期待されたホープだった。
有望選手として特別厳しい練習を課せられていた。
加害者 教師歴24年。中津商業高校に19年間勤務。校内では「校則」を守らせる体育科教師グループのボス的存在で、部活動以外の生徒たちからも恐れられていた。

陸上部の顧問教師は、インターカレッジの槍投げの優勝者で、過去にも数多くの県・全国レベルの大会優勝選手を育てていた。県陸上協会の競技強化部長としても、恵美さんをなんとか全国レベルの選手に育て上げることを自己の使命とし、生き甲斐にしていた。また、恵美さんを中心にクラブの規律を作り上げようとしていた。

恵美さんの生前、母親が顧問に、「恵美をたたかないで下さい。たまにはほめたり、おだてたりしてもらえれば喜んで頑張りますから」と頼んだが、「恵美はおだてても駄目だ。殴らんと」という返事が返ってきた。恵美さんの調子や成績が良くてもほめることはしなかった。

顧問教師は、部員に日誌を書かせ検査し、練習の都合を理由に登下校を自分の車に同乗させるなど、徹底した生活管理を行っていた。また、部員に自分の車を洗わせたり、運動着を洗濯させたりもしていた。

焼香にきたときに、遺族から「恵美になにか言うことはないか」と言われ、「今はバカとしか言えん」「死人にクチなしや」「人の噂も75日」などと反省が見られず、遺族の気持ちを逆なでした。
学校・ほかの対応 両親が事件後、学校当局、県教委に真相の調査を依頼したが、教育委員会は「調査してみます」と言うのみ。校長は「あの先生はああいう人やで、小さいときから人に頭さげるのが嫌いなタチで」と言うばかりだった。納得のいく回答は得られなかった。
裁 判 1985/5/14 遺族は、「娘の自殺は体罰が原因だ」として県と指導教師を相手に損害賠償請求訴訟を起こす。
裁判での県教育委員会の言い分 県教育委員会は、
・体罰の一つひとつについて、顧問教師の行為は軽いノックにすぎないと主張。
・部活は社会教育であって、技術の向上を目指すために、選手も「有形力の行使を許容している」。
・「ブス」と言ったとしてもそれは、教諭の選手らを愛する逆の表現」である。
・「日誌は指導者が多数の部員と心の交わりを持ち一人一人に本当の指導をするための重要な手段」であるから、「その反省の日誌を提出しないというのは重大な怠慢である。」
・「教諭が選手に対してきつく当たったことがあったとしても、それは素質ある選手をより強い選手に鍛え上げようとする同人の
選手に対する愛情に基づく指導であって、あたかも親が子を教育するためにたたくのと同様であり、何ら非難されるべきものではない
・教師と恵美さんはコーチと一流選手の関係であり、学校教育の一環とは言えない。
と主張。

また、自殺に関しては、個人的な資質や家庭環境の問題であり、教諭の指導とは無関係。予見は不可能と主張。
証 言 裁判の証言の中で、2人の同級生たちも、「金属の棒で殴られた」「髪を引っ張られ、十円玉くらいのハゲができた」「竹刀が飛び散るほど殴られた」と証言。
判 決 1993/9/6 岐阜地裁で判決。一部認容。教師の体罰の違法性を認め、岐阜県に計300万円の慰謝料支払い命令。ただし、自殺と体罰の因果関係については、遠因ではあるが、直接の因果関係とまでは言えないとした。また、教師個人への賠償請求は認めなかった。確定。
判決要旨 川端浩裁判長は、
顧問教諭の侮蔑的発言は身体に対する侵害と併せて一連の連続した行為として評価するのが相当であり、生徒の名誉感情ないし自尊心を著しく害するものであって違法行為に該当する。
自殺という行為は最終的にはその人の意思決定によるものであるから、人がとのような事態を直接的な契機として自殺を決行するに至るかを第三者が認識することは極めて困難であるばかりか、自殺の前日に教諭が説得した行為が生徒の心理に決定的な影響を与え、
自殺を決意する可能性があると予見することはおよそ不可能であったというべきである。
従って、
教諭の違法な言動と生徒の自殺との間には相当因果関係は存在しないといわざるを得ない。」とした。
参考資料 『教師の体罰と子どもの人権−現場からの報告−』/「子どもの人権と体罰」研究会編/1986年9月学陽書房、『車輪の下の子どもたち』/渥美雅子編/1988年1月国土社「ルポ いじめ社会 あえぐ子どもたち」/村上義雄/1995年5月15日朝日文庫、『先生! 涙ありますか 全国の中・高生のキミへ』/はやし たけし/1996年11月駒草出版、「体罰の研究」/坂本秀夫著/三一書房(HP「スポーツ哲学」の http://www.sc.gp.u-tokai.ac.jp/kuboken/SP/violence/sp-vio-3.html)(判例時報1487)教育データランド/時事通信社1993/9/6西日本新聞・夕刊(月刊「子ども論」1993年11月号/クレヨンハウス)
TAKEDA私見 はたから見れば、どうしてこんなにひどい目に合わされても逃げなかったのだろうと思う。しかし、恵美さんからして見れば、自分が好きで選んだ道。最後まで貫き通さなければならないという強い決心が最初からあったのだろう。また、なまじ成績をあげていたことで、この顧問がいるからこそ、指導者や施設を含めてこの環境があるからこそ、自分は伸びることができたのだと思いこんだ。あるいは思いこまされたのだと思う。
一生懸命、自分の道を努力して歩んできた恵美さんにとって、他の道は考えられなかった。部活をやめることは、今までの努力も、これからの夢も全て無にしてしまう行為。残るのは挫折感だけと思ったとき、引くことすらできなくなってしまっていた。
多くのスポーツ組織内の暴力にさらされたものたちが耐え続けるのには、こうした共通の思いがあるのではないだろうか。

また、日本のスポーツ界はまだまだ精神論が強く、非合理がまかり通っている。コーチや顧問の言うことに無条件で従えないような人間は根性がなく、選手としても大成しないという偏見がまかり通っている。そうした中で、コーチや顧問は神として選手に君臨し、ますます思い上がっていく。選手を生かすも殺すも自分次第だと思い上がる。

親が子に対する虐待も、教師の体罰も、セクハラさえも、それから夫婦間のドメスティックバイオレンスにしても、「愛情の発露」が言い訳として使用される。被害者たちでさえその言葉にがんじがらめにされて、言いなりになってしまう。渦中におかれた人間は、これ以上自分が傷つかないためにも、それを信じたいと願う。思いこもうとする。それが恵美さんが遺書にまで残した「先生が好きだった」という言葉に表れていると思う。

周囲の人間までがだまされてはいけない。本当に愛情があれば、身体を壊すようなことを平気でするだろうか。もし、自分が同じことをされたら立ち直れないほど傷つくであろう行為をするだろうか。そこにあるのは、他人を支配したい、自分の力を見せつけたいというエゴだけだ。

ドメスティックバイオレンスで、共依存が知られるようになってきたが、同じ心理が虐待される人間には発生するのだと思う。周囲が冷静になって、判断を下すべきだろう。
その学校内の暴力を取り締まる立場にある教育委員会が、部活での暴力を取るに足らないものとする。学校の中でいつまでたっても暴力がなくならないのは当たり前だと思う。
(2002.5.5)



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