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死の影の谷間から
<死の影の谷間から>
ムミア・アブ=ジャマール/著
今井恭平/訳
現代人文社/刊
ニューヨーク取材日誌

ワイングラス会見記

今井恭平


ダウンタウンの瀟洒なオフィス

 1999年2月11日午後5時、マンハッタンのダウンタウンにあるレオナルド・ワイングラス氏のオフィスを訪ねる。言うまでもなく、氏はムミア・アブ・ジャマルの再審請求開始時(1995年6月)からの主任弁護士で、国際的に名高い人権活動家でもある。
 前日の10日にニューヨークに着いたばかりの僕は、さっそく彼に電話を入れた。あらかじめe-mailで連絡をとり、11日午後2時にアポイントがとってあったので、あくまでも確認のための電話だった。オフィスの電話は留守番モードになっていたが、僕の滞在先のユリ・コウチヤマ(日系二世の著名な人権アクティビスト)の電話番号を残しておいたら、その夜彼から電話があり、11日は夕方から、ムミアを含む3人の政治犯救援のためのコミュニティ集会があるからいっしょに行かないか、それに出席するならアポイントを少し遅らせたほうがお互いに便利だろう、という提案があった。そこで、5時に彼のオフィスに行くことになった次第だ。何度か手紙やe-mailは交換していたものの、実は彼と実際に話をするのはこの時が始めてだった。ビデオで見たのと同じように、落ち着いた声で一語一語をはっきりと話しする人、という印象を受けた。これは、英語、ことに聞き取りに関してまったく自信のない僕にとっては、かなり気持ちを軽くしてくれる事実だ。

 オフィスのあるビルの1階ロビーから電話を入れると、エレベーターまで秘書らしい女性が迎えに来てくれる。彼女はアジア系の人だ。東京に比べるとすべてがくすんで見えるニューヨーク・ダウンタウンのビル群の中でとくに目立つところはない建物だが、ワイングラス氏のオフィスは、一歩中に入ると、じつに落ち着いて趣味のいいナチュラルな素材のインテリアで統一されていた。ハリウッド映画に出てくる巨大ロー・ファーム(弁護士事務所)の清潔で効率的だが人間味のかけらもないオフィスとは対極的なイメージだ。
 奥の一室から出てきたワイングラス本人も、セーターにコーデュロイのズボンというくだけた服装で、僕に椅子をすすめてくれる。恐らく超多忙がつづいているはずだからと思うが、心なし疲れているのかな、という印象を受ける。
 1995年の8月に、僕たちがアメリカ大使館の前で行ったムミアの死刑執行停止を求めるデモの時の写真をお渡しし、ムミアの近況などを少しお聞きする。彼は肉体的にも精神的にも健康だ、ということ。ついで、一番気になる裁判の今後の行方について尋ねた。

連邦段階に舞台を移す裁判の行方

 昨年10月末の、ペンシルヴァニア州最高裁による再審請求棄却決定によって、ムミアには州段階での法的上訴の手段は残されていない。連邦段階に移行するわけだが、まず連邦最高裁に上訴する。この上訴手続きはすでに進行している。ここで棄却されたら(恐らく棄却されるだろう、という)次に連邦地裁に提訴する。これは、判事が一人しかつかない裁判だそうだが、ここではたんなる書類審査ではない公判廷が開かれるという。ここで負けたら、連邦のサーキットコート(巡回裁判所)に行くことになる。ここでは三人の裁判官が担当する。ここで負けると、再度連邦最高裁に行く、というかなり複雑なプロセスをとるようだ。また、かりにこの最終段階で勝っても、相手側つまり検察側が連邦最高裁に上訴するのはほぼ間違いのないことになる。連邦地裁では、もう一度証人を尋問する形での公判が開かれる、ということらしいが、その公判にはいままでと違った証人を出す必要があるようで、95年と96年のPCRA(ポストコンビクションリリーフアクション)にもとづくヒアリングの際に現れた何人もの有力な新証人、新証拠を州裁判所が無視して再審棄却した中で、これはかなり厳しいのではないかと推測してしまった。同じ証人でも、証言内容が新しければ再度喚問することも可能ではあるようだが。
 一審でムミアに決定的に不利な証言をしたシンシア・ホワイトは、じつは現場にいなかったという複数の証言があり、また彼女が警察から利益提供を受けて偽証したことを示す複数の証言(ヴェロニカ・ジョーンズ証言、パメラ・ジェンキンズ証言)がある。弁護団は彼女の行方を追ってきたが、警察側は数年前に死亡した、名前も指紋登録番号も異なるある女性がじつはホワイトである、として彼女は死亡していると語っている。しかし、その後ホワイトを目撃したという証言も実はあるのだが。しかし、彼女の死亡説は信用できないにしても、出廷させることまではかなり困難だろうという話だった。

ベトナム戦争時の謀略部隊に所属していたリッジ知事

 いずれにしても、こうした裁判の過程で勝てなければ、最後に決定権を握るのは、ペンシルヴァニア州知事のトム・リッジということになる。そこで、このリッジがどういう男かということで、けっこうびっくりする事実を聞いてしまった。
 リッジはベトナム戦争に従軍したが、彼の軍歴を調べると、フェニックス作戦という特殊作戦に参加している。この作戦は通常の戦闘ではなく、CIAによる暗殺(アサシネーション)作戦で、当時の北ベトナムの政府・軍などの要人や主要施設などを個別にねらって、2万人を殺害した、と言われている部隊だそうだ。リッジはその部隊で「シャープシューター」と呼ばれる一員だったという。シャープシューターとは、たんなる狙撃兵のことではなく、トップガンのような一種の称号で、一定以上のレベルの技術と「実績」のある人に与えられる呼び名だという。
 共和党保守派で、ごりごりの死刑推進論者であるだけでなく、恐らく自分自身の手で多数のベトナム人を殺した経験をもつ人間が、最後の決定権をもっていることになる。

今年6月から10月が山場

 リッジ知事が、ここ当面、執行命令を出す可能性については、州最高裁の決定後90日以内に出さなかったこと(州法にそういう規定がある)と、連邦最高裁への提訴が進んでいることから見て、可能性はなくなったと見ていい、とワイングラス氏は語った。しかし、今後の過程がどの程度の時間を要するかは、正直に言うと、分からないとしか言いようがない、と言葉をにごす。しかし、今年6月から10月くらいが危険性がかなり高いという。これまでに、まず連邦最高裁への上訴が棄却されると、処刑命令が出る可能性がある。*その後、先に述べたような上訴の過程ごとに処刑命令が繰り返し出される可能性がある。また96年に制定された俗に言う「反テロリズム法」によれば、連邦裁判所は事実審理を独自に行わず、州裁判所の事実認定にもとづいて決定を下すことになっており、そのことも連邦裁判所に過大な期待がもてないことを物語っている。
* この後、99年10月4日、連邦最高裁が弁護側提訴を却下すると、リッジ知事は10月13日に死刑執行命令に署名した(執行日を12月2日と指定)。この執行命令は10月26日に連邦地裁によって停止された。

 これまで、いくつもの困難な事件で勝訴してきたワイングラス氏だが、ムミアの場合は、今まででももっとも困難なケースにあたる、と語る。ムミア以前に政治的に処刑されたのは、ローゼンバーグ夫妻。その前はサッコとバンゼッティだが、どちらも世界的な規模で大救援活動がありながら、結局処刑されてしまっている。これらのケースとムミアの共通項は、人種差別と政治性のふたつだ、と彼は指摘する。ローゼンバーグはユダヤ人で左翼知識人、サッコとバンゼッティの二人はイタリア移民で無政府主義者。ムミアはもとブラックパンサーの黒人で、政府や警察の人種差別、不正、暴力などを告発しつづけている先鋭なジャーナリストだ。しかも被害者が白人という要素が入ると、もっと困難。その上被害者が警察官だと、さらにむずかしいケースとなる。ムミアの場合、困難さは最高級レベルだろう、とワイングラス氏はたんたんと語る。これだけの事実を前にし、その困難さを誰よりも理解して、そしてたたかっている彼が、今僕の目の前にいることを、僕自身はどう受け止めることができるのだろう。

以下つづく
次回は、このインタビューの後、ワイングラス氏といっしょに行ったブルックリンの集会の様子などをお伝えします。