1 本訴訟の意義
本件は,1940年(昭和15年)前後から1945年(昭和20年)にかけ,中国の華北地方等において,日本軍によって逮捕,監禁され,日本へ連行され,大阪市の造船所,荷役の現場や秋田県花岡町(現大館市)の鹿島組花岡出張所において労働に従事させられた被害者ないし被害者の遺族らが,被告国に対し,その損害の賠償等を請求するものである。
花岡出張所に連行された中国人被害者らは,いわゆる「花岡事件」から50年目となる1995年(平成7年)6月28日,鹿島建設株式会社を被告とし,損害賠償を求めて東京地方裁判所に提訴したところ,同訴訟は2000年(平成12年)11月29日,東京高等裁判所で和解に至った。しかし,同和解によって償われた中国人被害者の被害は鹿島組による虐待,奴隷的強制労働等に対するものであり,逮捕,監禁,連行し,強制労働に従事させ,また,戦後これらの事実を隠蔽し,被害者らに対し被害回復の措置をとることなく放置してきた国による被害はいまなお償われていない。
花岡事件から70年目を迎えるにあたり,花岡出張所に連行された被害者及び同様にして大阪市の大阪船舶荷役等に連行された被害者ないしその遺族らは,国の責任を明らかにし,国による損害賠償等を求めるため,本訴訟を提起するものである。
2 本訴状の骨子
2004年(平成16年)7月9日,西松建設株式会社を被告とし,中国人強制連行被害者を原告とする訴訟の控訴審である広島高等裁判所は,「日中戦争以降,生産力の拡充が国家の主要な政策となる一方,出兵による男子労働人口の減少により労働力不足が顕著となった中で,国策に従って大きな利益を上げることを期待した被控訴人を含む大手土木建築会社が加盟する土木工業協会を初めとする業界団体が,満州国における実績を背景に,それまで日本国内における居住や労働の制限されていた中国人についても,その移入を積極的に政府に働きかけ,日本政府もこれに応え閣議決定等をするなどして制度を整え,実際の中国人労働者の確保には,日本軍及び日本政府の影響の強い華北労工協会が重要な役割を果たし,日本軍はその確保に直接的に関与してきたもので,日本政府,日本軍及び被控訴人ら関連業者が協力して,中国人労働者を日本国内に移入し,労働に従事させる制度を作り上げ,これを実行したものということができる。」との事実認定を行った(広島高判2004.7.9高裁判例集57巻3号1頁)。
最高裁判所は,2007年(平成19年)1月15日,西松建設株式会社の上告を棄却し,「請求権」の論点以外の部分の上告受理申立てを理由がないとした。そして,同年4月27日,最高裁判所は,日中共同声明により,裁判上の個人請求権は放棄されたとの判断により,中国人強制連行被害者らの請求を棄却した(最判2007.4.27民集61巻3号1188頁。以下この訴訟を「西松建設訴訟」とする)。
他方,大阪市や秋田県大館への強制連行被害者らを原告とする本件訴えは,強制連行,強制労働の実態及び日本政府の関与があった点では,西松建設訴訟と共通する。しかし,被告を日本国とする点では西松建設訴訟と異なる。そこで,本件訴訟では,日本国の責任を明らかにするために,強制連行,強制労働を可能ならしめた立法上の措置及び行政上の措置並びに行政機関の関与の実態を明らかにする必要がある。したがって,本件訴状の骨子は,以下のとおりとする。
まず,強制連行,強制労働の被害の実態について述べる。次に,主として強制連行を実行した者はだれか,具体的にどのように実行したのか,それはどのような法的,行政的,政治的,経済的,軍事的背景のもとになされたかを述べる。また,戦後においては,国家が企業に対して国家補償を行い,他方では強制連行及び強制労働の隠蔽を図った事実にも触れる。
次に,日本国の行為の違法性を述べる。ここでは原告らのどのような権利・利益が侵害されたのか,被告の行為(強制連行等の作為,戦後の救済義務等を怠ったという不作為など)がどのような理由で違法といえるかについて触れる。
次に,原告らの損害を述べる。ここでは,強制連行,強制労働の直接の被害者の損害だけでなく,その遺族らの権利侵害に伴う被害の実態についても触れる。
次に,請求権の存在について主張する。西松建設訴訟の最高裁判決は,日中共同声明5項は「請求権を実体的に放棄させる」ものではないが,「裁判上訴求する権能」を失わせると判断した。しかし,同判断は盤石なものではない。国際法の解釈として,原告らの請求権は実体的に存在するし,また,裁判上訴求する権能も失われていないことを主張する。
中国人強制連行を考える会
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最終更新:2015年11月8日
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第二次大戦中に日本企業は中国から4万人を強制連行し、日本各地135カ所の事業所で強制労働に従事させました。鹿島組(現鹿島建設)秋田県花岡出張所で強制労働に従事させられた中国人は奴隷労働に耐えかねて蜂起しましたが鎮圧され、この強制労働と虐待、拷問で986名中の419名が虐殺されました。 被害にあった中国人は花岡受難者連誼会をつくり、鹿島建設を相手として交渉を続けました。会社は1990年7月5日ついに責任を認め謝罪するという「共同発表」を行いました。しかし、以後その内容を誠実に実行しようとしないため、被害者は裁判を起こし、2000年11月29日、鹿島建設が「責任を認め謝罪をした」共同発表を再確認し、986人全体の解決のための基金を設立することで和解が成立し,賠償金の支払い、慰霊事業などの和解事業が始まりました。これに続いては、2009年10月23日に西松建設安野事業所に関する和解が成立し、ようやくにして少しずつ企業和解が進み始めています。こうして企業が責任を認め、謝罪して賠償金を払い、また記念碑を建設するなどの動きがすすんでいる一方、日本政府はいまだに何の責任も明らかにしようとしていません。今日、被害者はますます高齢化し、「生きているうちに解決を」実現する機会はさらに困難になっています。日本政府は、ただちに国家責任を明確にする謝罪と補償をおこない、関連する企業によびかけ、この問題の全体解決を実現することが厳しく求められています。 |
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