2002年 条約勧告適用専門家委員会報告
一般報告と個別の国に関する意見書
日本(1932年批准)C.29
戦時“慰安婦”と企業強制労働
1. 強制労働条約のもとで以前に出された複数の報告をさらに促進するものとして、専門家委員会は2001年6月6日にILOが受け取った全造船労組からの報告に注目する。この報告のコピーは6月26日に日本政府に渡された。ならびにこの労組の報告に関する政府見解について述べている2001年10月9日付けの手紙に注目する。
2. 専門家委員会は2001年6月付の報告のなかで全造船労組が戦争に関連した補償に関する日本政府の立場について次のように述べていることに注目する。すなわち、条約によって国家レベルでの補償要求の権利や外交保護権は消滅するが、損害についての個人の権利は消滅しないというものである。日本政府は何度もこの立場を明確にしたという。下記に例として同労組からの報告を引用する。
「日本は第二次大戦後、大韓民国、中華人民共和国とは長い間国交さえありませんでした。朝鮮民主主義人民共和国とは今日まで国交がありませえん。そのために被害者個人が日本政府や企業に対して賃金返還や補償を求めることはほとんど不可能でした。
1991年8月27日の参院予算委員会での、柳井俊二外務省条約局長の「(日韓条約は)いわゆる個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたというものではない。日韓両国間で政府としてこれを外交保護権の行使として取り上げることができないという意味だ」との答弁で、日本政府として初めて個人の請求権が存在することを認めました。この政府見解をきっかけとして、被害者たちは日本国内の裁判所に提訴して、問題の解決を求めています。
すなわち、日本政府自身が、二国間条約によって個人の(法的)請求権は消滅していないことを認めたのです。ちなみに政府は柳井答弁以前にも二度、同趣旨の見解を表明しています。
1. 原爆裁判(1963年判決)における国の答弁書
「五、 対日平和条約による請求権の放棄
対日平和条約第19条(a)の規定によって、日本国はその国民個人の米国及びトルーマンに対する損害賠償請求権を放棄したことにならない」
(1951年9月8日にサンフランシスコで調印された対日平和条約第19条(a)は同労組の報告の中で次のように引用されている)
「第十九条
(a) 日本国は、戦争から生じ、または戦争状態が存在したためにとられた行動から生じた連合国及びその国民に対する日本国及びその国民のすべての請求権を放棄し、且つ、この条約の効力発効の前に日本国領域におけるいずれかの連合国の軍隊又は当局の存在、職務遂行又は行動から生じた全ての請求権を放棄する」
2. 「シベリア抑留者補償請求訴訟」(1989年判決)における国の答弁書
「三、日ソ共同宣言6項2文による請求放棄の内容
原告らは、日ソ共同宣言の結果、法律ないし実質上ソ連に対する請求権を喪失した旨主張する。しかしながら、日ソ共同宣言6項2文により我が国が放棄した請求権は、我が国自身の有していた請求権及び外交保護権であり、日本国民が個人として有する請求権を放棄したものではない。ここに外交保護権とは、自国民が外国の領域において外国の国際法違反行為により受けた損害について、国が相手国の責任を追及する国際法上の権利である。我が国が、日ソ共同宣言において、日本国民の有するいかなる請求権をも放棄していないことは前述の通りである」
全造船労組は2001年6月の報告の中で、専門家委員会の前年の報告中、項目12で言及されていた和解についての情報やコメントを提供した。
3. 2001年10月9日付の書簡で、日本政府は次のように2001年6月6日付全造船労組報告に対する政府見解について説明している。
「日本政府は当該報告書で取り上げられた事柄にコメントを準備する努力をしており、2002年に開催される専門家委員会の会議が始まる前に提出する意図のあることを表明します。これは問題を検討するに十分な情報を収集するには時間が必要だからであります。」
専門家委員会はこれらの意思表示に正当な注意をはらう。当委員会は前回報告で、別件でも元捕虜などの請求がまだ係争中であり、被害者の年齢や時間の経過の早さなどからも日本政府がこれらの人々の要求に満足できるやり方で対応できることを希望した。1年後の今、当委員会は日本政府が2002年の第90回会期中、会議で全造船労組報告が取り上げた件についてのコメントと戦時慰安婦と企業強制労働者からの請求に応えるために取られた方策との両方について、詳しく情況を報告することを希望する。