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ものづくりエッセイ
京都ものづくり塾塾長 滋野
週刊京都経済 連載記事
第5回 「生活文化に触れる」観光を
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第5回 「生活文化に触れる」観光を 今回は「ものづくり」とは少し外れてしまうが、観光について少し触れたい。 確かに21世紀、観光業は有望な産業になるであろう。現在でも微減傾向が続いているとはいうものの年間4000万人もの人が訪れる「観光都市」であることについては異論はあるまい。しかし、観光とは単なるハコモノを作ったり、名所旧跡を見せたりということだけではない。まして近隣の都市に出来る巨大テーマパークへの観光客のおこぼれをいただこうということでは、「観光客5000万人」という目標も絵に描いた餅である。 観光とは読んで字の如く「光を観る」で、そこにある風土や文化といった「光」を見せるものと捉えるべきである。すなわち、地域にある有形無形のものが内包している魅力を見出し、訪れた人に伝える、もしくは訪れた人に感じてもらうようにしつらえることである。 では京都の持つ「光」とは何だろうか。 京都を訪れる観光客はリピーターが多い。ところが彼らは、決して物見遊山的な目的だけで京都を訪れるのではない。「特定のテーマを持って」とか「生活文化に触れる」といった、違うインセンティブが働いているはずである。彼らは既に「判定」する目を持っているといえよう。 80年代、嵐山を「席巻した」が、今となっては全く影の薄いタレントショップの類を見ればそれは明らかだ。はじめて京都を訪れた観光客は珍しがって訪れただろうが、いずれ飽きてしまう。一方のリピーターは最初からそういったお店に行く気もない。「提示」したものの、厳しい「判定」を仰いだ、と見ても良いだろう。 観光がもたらす経済波及効果は大きく、これから重要度を増す産業であることは事実だろう。しかし、いたずらに観光客を増やすことを目指すのではなく、京都のもつ「光」をいっそう輝いたものにすることによってファンを増やし、ホスピタリティを高めることの方が観光に限らず、今後の京都の活性化を考える上でも重要である。 「価値の提示と判定」の歴史の中で培われた京都のものづくりはその「光」の一筋であることに間違いない。 参考文献 谷口正和『京都の発想』 |
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