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ものづくりエッセイ

京都ものづくり塾塾長 滋野
週刊京都経済 連載記事

第2回 自己変革の伝統町づくりに

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第2回 自己変革の伝統町づくりに

私がなぜ京都の「ものづくり」に着目した活動をするようになったのか。それは京都の持つ異文化を取り込み、自分のものとしながら自己変革を繰り返してきた、という京都の産業や文化の「伝統」を、もうひとつ元気のない京都の伝統産業や文化、まちづくりに吹き込みたいと考えたからである。変革と洗練の繰り返しのなかで培われてきた遺伝子が「京都のものづくり文化」であり、「京都の伝統」である。また、そうした中で生みだされるものが「京物」であり、付加価値を生み出すのであろう。

染色加工技術生産量の推移私は、以前、室町の染呉服の製造問屋に勤務していた。入社は1993年である。
バブル崩壊の直後であったが、どの企業もまだまだ「バブルの夢」から覚めていなかった。
しかし、その後はまさに「坂道を転がり落ちるように」業績を下げていった。
(資料1参照)「いずれ良くなる」という根拠のない楽観主義が、変わらなければならないのに変われないという状況を生み、消費者は離れ、市場はさらに縮小していくという悪循環を繰り返していった。

そんな状況下で気づいたのは、町の活気が年々失われてきたことであり、それと共に地域の文化も失われつつあることであった。「まちの活気は単に経済のみならず、人、文化、地域の産業そのものと密接な関係を持っている」「歴史や風土の中で醸成された、まちの遺伝子を生かしたまちづくりが重要」という仮説が自分の中で出来上がったのである。

京都は1200年の歴史の中で、さまざまな分野において技術、意匠、流行の最先端のものを生み出し続けてきたことによって、そのなかで残ったものが伝統になり、文化となった。すなわち、その伝統や文化とは地域の風土や人間生活と密接に結びついたものであり、歴史を経る過程で重層的に形成されてきたものなのであろう。

繊維業と電気機器の出荷額の構成比しかし、少なくとも室町においては、そうした伝統は失われていた。
私は、室町を離れ、大学院でこの仮説を明らかにすべく、研究することを決心した。そんな折、京都市の「まちづくり塾支援事業」において「まちづくり塾募集」のことを知った。京都の伝統である「ものづくり」を通じたまちづくり、地域活性化を目指す「まちづくり塾」の企画案を応募したのであった。1998年7月のことである。

次回は、影響を受けた著書と「京都のものづくり史・産業史」概論について述べていきたい。
なお、参考として繊維業と電気機器の出荷額の構成比を示すグラフを添付した。(資料2参照)


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