一坪反戦通信 Vol.81 一坪反戦通信 88(1997.10.13)

軍用地を生活と生産の場に!
No. 88
1997年10月13日
東京都千代田区三崎町
2-2-13-502
郵便振替 00120-8-45850  電話:030-910-4140  FAX:03-3386-2203
沖縄・一坪反戦地主会 関東ブロック


◆本号の記事 ◆


 10月6日、「名護市における米軍のヘリポート基地建設の是非を問う市民投票に関する条例」が公布された。1月11日頃の実施予定だ(「来年1月18日までに」実施)。市民の求めていた、賛成・反対という二者択一方式が、議会によって「環境対策や経済効果が期待できる・できない」という条件付き賛成・反対を加えた「四者択一」に修正可決され、争点がぼかされてしまったが、市民投票の実施の意義は大きい。政府も住民の声を無視できず(SACO決定の)ヘリポート基地建設実施計画の12月中策定を断念するもようだ(8日の村岡官房長官発言)。 名護では今後、建設反対票の多数獲得に向けた運動が行われると伝えられる。この動きを名護・沖縄の人々だけに任せるのではなく、関東からの支援を強めていこう。


第7回公開審理 9月24日 沖縄市民会館

まさにアメリカ合州国嘉手納町

島田・高宮城さんらが陳述

 第七回公開審理は9月24日、沖縄市民会館で開催された。今回の審理の主な対象は嘉手納飛行場。

 冒頭、八月末に予定されていた地主の基地立ち入りができなかったことについての抗議が行われ、阿波根昌秀弁護士が代表して約20分にわたって起業者の責任を追及した 同弁護士が「施設の管理運営上の理由から認められない」という米軍の文書は意味不明の文書である、那覇防衛施設局や防衛庁は収用委員会の権限を尊重するためにどんなことをしたかと切り込んだのに対して、「淡々としてやった」と答えて失笑を買った。起業者の姿勢はまったく投げやりで、どうでもいいという風であった。

 引き続き前回時間切れとなった嘉手納弾薬庫地区について保安基準のでたらめさと、起業者のいう「有機的一体使用」の実態がいかに矛盾に満ちているかを、反戦地主会の池原秀明事務局長が陳述した。

 ここから嘉手納飛行場に ついての陳述になり最初は島田正博さん。これまでの長年の反戦活動の蓄積によって立て板に水の説明。面積は1997ヘクタール。1944年9月、日本軍の中飛行場として開設されたがこの段階で日本軍による強制接収があった。米軍上陸後の二ケ月後には滑走路が2550メートルに拡張され、B29の本土爆撃発進基地となった。現在、沖縄市・嘉手納町・北谷町の一市二町にまたがっているが嘉手納町は基地で分断されて、四八年に北谷町から分村したものである。基地面積のうち国有地は6.9%、民有地が89.4%、残りは市町村有地である。全地主数は6838人、そのうち強制使用をかけられているのは2298人。またそのうちの2276人が一坪地主。年間の借地料は182億5200万円(94年度実績)。

 航空写真を示して、メイン滑走路が幅90メートル、サブ滑走路の幅が60メートル、長さはいずれも4000メートル級と説明 基地内で働く沖縄の労働者2616人。さらに飛行機の種類と数、部隊構成、軍事施設や民生施設の説明が続き、嘉手納飛行場はアメリカ合州国嘉手納町であると締めくくった。

 次の高宮城清さんは嘉手納飛行場内351平方メートルの土地を25年前の復帰の時に、将来自分で使うために買い求めた。高宮城さんは1938年、6歳の時に親に連れられてサイパンに渡り44年6月のサイパンの戦争に巻き込まれ家族七人のうち本人と 母親以外はみんな戦死した。

 沖縄に帰って、55年7月の伊佐浜(宜野湾市)の強制接収反対闘争に参加した 「長年ひとりで契約拒否を貫いてきたが、皆と一緒に頑張った方が良いと考えるようになり、去年の春反戦地主会に正式に加入した」と語った。

 沖縄県平和委員会の大城保英事務局長は、嘉手納基地が米軍の戦略の中で占めている位置を詳しく述べた。嘉手納基地に常駐する軍用機は主力戦闘機F15(54機)を中心に、KC135空中空油機(13機)、E3空中早期警戒管制機(2機)であることをたくさんのスライドを使いながら説明した。

池宮城紀夫弁護士は、担当してきた嘉手納爆音差し止め訴訟の審理を通じて明かになった基地被害の実態=騒音による生活妨害、睡眠妨害、生理的被害について陳述した。

 詩人の高良勉さんは基地に消えた村落共同体、村の崩壊と世代の断絶、伝統行事消滅の危機等を説き、嘉手納飛行場が果たした負の役割を指摘した 村上有慶さんは北谷町に住む者の恐怖について語り、離着陸機の侵入路直下の砂辺集落(北谷町)は75年から始まった那覇防衛施設局の土地買取りで消滅に近づいていることを訴えたあと、宮森小学校(石川市)ジェット機墜落事故(1959年)当時の教師・新里律子さんにバトンタッチした。

伊波冴子さんは現職の教師として飛行場に隣接する屋良小学校(嘉手納町)での教育の困難について陳述した。

 次回第八回公開審理は10月22日、次々回第九回は12月2日の予定です。


すばらしい辺野古の海

神田弁護士が講演

 関東ブロックでは去る10月2日、中野勤労福祉会館で公開審理の報告集会を開催、あわせて辺野古の現状報告も行った。

 まず上原代表(関東ブロック)自作のスライドを使っての地主の陳述のようすの報告。続いて「沖縄闘争の恩恵をこうむって今年一月に沖縄の女性と結婚しました」と自己紹介して第七回公開審理の報告を始めた神田高弁護士(反戦地主会弁護団)。参加者は約80 人と少なかったが、報告も質疑も熱のこもったものだった。審理の大要は前項に譲りここでは集会での報告のうち、審理の今後の展望と辺野古をめぐる状況等に触れる。

★審理の展望

 収用委員会は、8月に米軍から拒否された基地への立ち入り(裏で操ったのは日本政府?)を地主に対して10月16日に行う(嘉手納)という出頭命令を出している。収用委員会は権力に屈することなく、あたりまえのことをあたりまえにやろうとしているように思える。

 註=米軍は10月2日、再び「管理運営上」地主の立ち入りを拒否。

公開審理は、次回第八回が10月22日、次々回が12月2日に予定されている。年が明けてもう一度くらい審理をし、結審・裁決の運びになるのではないか。公開審理は一回一回が貴重な経験。「本土」からもっともっと参加・傍聴を。

 ★辺野古をめぐる状況

 沖縄のサンゴ礁は東シナ海側に多い 沖縄の東海岸は海じゃない、という人さえいるが、辺野古の海は違う。海の青さ・すばらしさにびっくりした。東側でこんなにいいところはない。

 「名護市における米軍のヘリポート基地建設の是非を問う市民投票に関する条例案」は10月1日現在採決されていない。住民の提起した賛否を問う条例案にそれぞれ条件をつけた選択肢を設けようという動きもあり、予断は許されない。[註=10月2日深夜に採決,修正可決された] ごく普通の青年が、スナックで海上ヘリポートのことを「これは良くない」「企業が来ても辺野古に金は落ちない」と言っているのを聞いた。

 ヘリポートができなければ、橋本内閣は進退きわまる。この問題を辺野古・名護の市民にまかせずに、ヤマトンチューももっと力を入れよう。


普天間の移設候補地 辺野古ではいま 第4信

 近頃非常に驚いた閣僚の発言がある第二次橋本内閣の発足で“野人”となった梶山・元官房長官は、沖縄問題にかける自身の情熱に比べて、新閣僚のそれが足りないとして苦言を呈した。「私にも関係あるのかな」と、とぼける三塚・新蔵相に、すかさず久間防衛庁長官がのたまった。「最後はお金ですから」と。

 沖縄が求め続けてきたのは目に見える形での基地の整理・縮小だ。それが今大きくねじ曲げ、すり替えられようとしている。住民が求めているのは目に見える形での振興策であると。

年内決着をはかる政府

 「移設先が決まらなければ普天間は動かない」と脅しをかけていた政府が、今度は動かせてみせようと攻勢に出てきた。

9月2日に普天間飛行場移設対策本部(本部長=久間防衛庁長官)を設置“普天間”の跡利用と名護市に対する振興策のとりまとめを含め、内閣あげてとりくむことを決めた。具体的には10月中に周辺住民に対し、施設の概要や地域振興策について説明する。

 説明パンフには、滑走路を海岸と平行に配置するので飛行経路は住宅地の上空を外れる、という。しかし、そのために主な飛行訓練が北部訓練場と伊江島射爆撃訓練場で行われることを当の地元は知っているだろうか? さらにキャンプ・シュワブの一部施設と要員をキャンプ・ハンセンに移すという。既存の基地をどう使おうと勝手ということならば、それはそのまま海上ヘリポートの将来の姿を十分に予想させるものである。

 一方、振興策は先の二件(前号=87号を参照)に名護東部の高規格道路の延長が加えられた。“慎重な姿勢”を守り通してきた県に対しては、11月21日「復帰」25周年記念式典のその日に全体の振興策が明かにされる。その上で12月を期限に県と名護 市にヘリポート受け入れの決断を迫る筋書きが用意されている。

 新たな基地を受け入れるのか? 施設・訓練の県内たらい回しを許すのか? 県と名護市はいまこそ振興策と切り離して決断しなければなるまい。多くの県民はすでに“否”の答えを示している。

“夜間の爆音456回”にアキサミヨー(あきれた、おどろいた)

 キャンプ・シュワブ沖で再開されたボーリング調査は、現在リーフ内外に三〜四基のやぐらをたてて行われており、ダイバーらの潜水調査も見られる これに対して9月4日、監視小屋に常駐する五者協(組合)のメンバーは海上抗議を繰り広げた。

 前号でお伝えした辺野古活性化促進協議会は、ついにヘリポート受け入れを決定した。25年間動かなかった那覇軍港まで誘致したいと言い出して、県の国際都市形成構想も実現してしまう勢いである。

 9月12日「命を守る会」は旧久志村13区民に呼びかけて辺野古公民館で講演会を開いた。講師の島田善次さん(宜野湾市・牧師)から普天間飛行場の様子が伝えられると、350人の参加者から思わず“アキサミヨー”のため息が…。会の代表の西川征夫さんは「私たちがなぜ反対しているのか。久志や名護の人たちと一緒に考えたい決めるのは市長でもなく知事でもなくわれわれ区民、市民であることを理解して頑張っていきたい」と訴えた。

 今月は久志地区建設反対総決起大会を予定している。これまでの区民集会の枠を越えて住民が合同で反対集会を開くのは初めてだ。

修正とは名ばかりの市長案

名護市有権者の実に46%、1万7539名が議会に求めた市民投票条例。何よりも命にかかわるヘリポート建設の是非を問うてだてだ。

 9月16日、市民投票推進協は条例制定請求を行うと同時に、修正案を出さないよう求めた。比嘉市長は野党の質問には、民意を重く受け止めヘリポート建設には原則反対であるとし、振興策とはリンクしないと言い続けてきた。

 しかし、25日に出された修正案は原案を完全に骨抜きにした、事実上の対抗案であった。賛成・反対の二者択一の原案に条件(環境対策や経済効果)を次々に加えて四者択一とし、実施時期を60日以内ではヘリポートの説明が徹底できないとして、議会の同意だけで市長の裁量に任されるとした。

 註=10月2日深夜、四者択一で修正・可決された。

 かみ合わない審議の末、最終的に市長案に輪をかけた与党案が議会を通過した。1月18日までの投票日の設定は、ヘリポート建設の年内決着を狙う政府の要求をとりあえずクリアしたものだろう。いずれにしても、可決された条例は市民が要求したものとは全く別のもの。

 市議会と条例案のゆくえに注目してきた名護市民は、果たしてどんな判断を下すのだろうか。

(野口)


危険な新「ガイドライン」

日米で戦争協力を協定

アジア諸国からは日本参戦 に警戒

 九月二三日、日米両政府は戦争協力協定=新ガイドラインに合意した。安保条約上の「極東」範囲をオーバーし、違憲の「集団的自衛権」に踏み込むものだ。

 昨年4月、橋本・クリントンが普天間返還で合意した時、直接これとは関係ないのにガイドライン(日米防衛協力指針)見直しが突然浮上した。返還と引きかえに日本側が軍事協力の協定に応ずる、という趣旨だったのであろう。

そして去る9月23日に、7項からなり日本の後方支援的な協力等40項目の「別表」を含む新防衛協力指針(新ガイドライン)が成立した。

 これによると、日本に武力攻撃があった場合、日本はこれに「即応して主体的に行動し、極力早期にこれを排除する」とある。しかし「別表」のようにアメリカに協力することになると日本は「主体的に行動」できなくなる。後方支援でも、「補給」の項目では「武器・弾薬を除く」とあるが、「輸送」の項目にある「物資」はその明記がない。これは危険だ。

 そもそも旧ガイドライン(1978年策定)でも「日本は、原則として、限定的かつ小規模な侵略を独力で排除する」となっていた。この「独力」が、新ガイドラインでは「日米協力」・日本の「主体的に行動」へと変わった。旧ガイドライン自体、「武力行使は……永久にこれを放棄する」はずの憲法に違反しているが、平気の平左だ。

 「専守防衛」だったはずの『防衛白書』も有事法制について「研究にとどまらず、法制が整備されることが望ましい」と書いてこれも平気の平左だ。 われわれにとって見逃せないのは、日本の「周辺事態」発生時の米軍支援の部分だ。安保条約にもとづき「必要に応じ、新たな施設・区域の提供を適時かつ適切に行うとともに、米軍による自衛隊施設及び民間空港・港湾の一時的使用を確保する」とある。いったいどのように「周辺事態」を判断するのか、ごまかしている。しかも本年四月の期限切れ時には、不法占拠しても直ちに違法ではないと逃げたが、「周辺事態」時には新たに基地提供し、日本も即応して「排除する」という実質的参戦プログラムなのである。

 安保条約の「極東」も、勝手に「アジア・太平洋」に拡大されてきた。「アジア・太平洋」もあいまいなのに「周辺事態」ではさらにあいまいだ。

 新ガイドラインは「国会承認の対象にはならない」そうだ。アジアからの警戒・批判を恐れて、国会論議で注目されるのを避けているのか?

 しかしわれわれはもちろん国民はOKしていない。政府の勝手な協定だ。有罪の刑事犯大臣を任命して国民の反撃に直面したように、新ガイドランインも私たちの反撃にあうだろう!


地方分権推進委員会の勧告

市町村への移譲は37件だけ

 地方分権法に基づき、地方分権推進委員会は昨年12月以来、これまで三次にわたって首相に対する勧告を提出してきた。さぞかし国の権限を地方に「分権」するのかと思いきや、「分権」とは名ばかり、肝心の権限はがっちり国が従来どおり維持する勧告ばかりだ。「地方の時代」といっても、結局は総論賛成・各論反対なのか?

 去る9月2日の第三次勧告でも、強制使用手続きが遅れたら首相が代行裁決できるようにすべきだとなっていた これでは事実上の特別立法を勧告しているようなものだ。代理署名拒否などの「沖縄の抵抗」封じこめであり、これまでの機関委任事務を、「分権」とは逆に国への吸い上げるものだ。

 近く提出される第四次勧告も、県段階の機関委任事務のうち市町村へ委譲すべきだという勧告は37件にとどまるみこみだ。

いったいどんなメンバーで勧告を作成したのか、委員の顔を見てみたいものだが、その委員七人は次のとおり。★委員長=諸井虔(秩父小野田株式会社相談役)☆委員=堀江湛(杏林大学教授)☆委員=桑原敬一(福岡市長)☆委員=長洲一二(前神奈川県知事)☆委員=西尾勝(東京大学教授)☆委員=樋口恵子(評論家)☆委員=山本壮一郎(元宮城県知事)。

 また委員会内部には二部会と三グループがあり、それぞれ▽地域づくり部会・部会長=成田頼明▽くらしづくり部会・部会長=大森彌▼行政関係検討グループ・座長=西尾勝(機関委任事務制度・国のあり方の検討・作業を担当)▽補助金・税財源検討グループ・座長=神野直彦▽地方行政体制等検討グループ・座長=堀江湛。


近づく交流キャンペーン

「語やびら」パート II

 名護市・辺野古で海上ヘリポート基地建設に反対している住民たちがやってきて、東京・関東で交流します。

 ぜひこのキャンペーンに参加して、名護の闘いを孤立させないようにしようではありませんか!

 戦後52年。敗戦を「終戦」と、軍隊を「自衛隊」と、土地強奪を「土地強制使用」と海上軍事基地を「ヘリポート」と−−などとごまかし続けてきた政府は、いままた日米軍事作戦協力を「ガイドライン見直し」などと称して、平和憲法を踏みにじって軍事国家への歩みをさらに進めようとしています。

 いま、名護市辺野古沖に造られようとしている海上巨大軍事基地建設計画をつぶすことは、これらを含む橋本内閣の息の根をとめることでもあり、平和な島・沖縄の再生への道であります みなさんの職場や住居の近くで開かれる集会に参加して、名護からの訴えに耳を傾け、いま何をすればいいのか考え合いましょう。

交流キャンペーンの日程

■企画・問い合わせ=関東ブロック 030-910-4140

■協力=ヘリポートいらない名護市民の会、 一坪反戦地主会北部ブロック、反戦地主会、一坪反戦地主会


辺野古へ 宜野湾へ

反戦ツアー計画中

公開審理と辺野古支援をセットにしたツアー

 このツアーでは――

 鉄の暴風と言われた戦火をくぐり抜け、キャンプ・シュワブ沖に生活の場を奪われ、いままた海上巨大軍事基地を美しい海(美ら海)に造られようとしている辺野古の人たち。その「命を守る会」の人たちと共に闘う「ヘリポートいらない名護市民の会」の人たちと交流します。

 平和憲法に復帰したはずの今も、改悪特措法によってその土地を奪われ続けている反戦地主たち。その生の声を聞くことのできる公開審理。去る10月2日の第七回公開審理報告集会(関東ブロック主催)での神田高弁護士の話にあったように「公開 審理の一回一回が貴重な(歴史の)体験」です。その審理(嘉手納飛行場と女性、同事件・事故、同航空管制同街づくり、同アジアの人々等)に参加(または傍聴)します。

 審理の開かれる宜野湾市は、辺野古への移転が問題になっている普天間基地のあるところです。行動予定に入れておいてください。

 決定次第、詳細についてお知らせします。


◆基地立ち入り調査は中止

 去る9月2日に米軍が再び地主の基地立ち入りを拒否したが、沖縄県収用委員会は翌3日に臨時委員会を開いて、米軍の「説明」を批判、全員一致で調査中止を決定した。有銘政夫・違憲共闘会議議長はこの決定を「立派な結論だ」と評価。

◆政府、年内の計画策定は断念

 来年一月の名護市市民投票に配慮して、(キャンプ・シュワブ沖の)海上ヘリポートの年内の実施計画策定は事実上断念、と政府が発表。


一坪反戦通信][沖縄・一坪反戦地主会 関東ブロック