沖縄県収用委員 第7回会審理記録

高宮城清


高宮城:

 え、わたしは嘉手納飛行場地区に351平方メートルの土地を持つ地主であります。それでは、その反戦地主の思いを、これから述べることにしたいと思います。

 この土地は25年前に買い求めたものであります。それまで、わたしには一坪の土地もなかったのです。この軍用地を知人から紹介され、復帰の時点でありましたので、近い将来自分で使いたいと思って買い求めたものです。ところが、本土復帰したはずの沖縄で、土地は返還されるどころか、暫定法であった公用地法の期限が77年5月14日に切れるというのでその2年ほど前から、那覇防衛施設局の職員二名または三名の訪問を、幾度か、幾度も、受けたのであります。ほとんど夜中の11時から12時頃の応対でした。

 日本は米国と安保条約を結んでいる関係でどうしても米軍に施設用地を提供しなければならないので、そのための契約に応じてくれと、いうことでした。わたくしが施設局職員のこのような訪問を受ける度に、それを拒否し続けて参りました。その理由をいくつかあげますと、まず一つには、自分の戦争体験によるもの、次に沖縄の米軍基地の成り立ち、そして、その基地がある故に米兵の犯罪、事故による被害をずっと受け続けてきた。それから、米軍基地の世界の各紛争地への関わり。さらには県民無視の公害に続出、大体こういうのが、わたくしの拒否の根っことなっている問題です。

 戦争体験についておおまかに述べますと、わたしは1932年北谷村の上勢頭に生まれ、38年サイパンに渡り、国民学校、つまり小学校6年生の6月、44年の6月11日ですが、それからサイパンも戦場になりました。当時の家族は父母と妹2人弟2人の7名家族でした。6月の末頃、夜中、わたしたち家族7名は地域住民と共に、非難していたガマを日本軍に奪われ、それからは林、ジャングルをさまよう避難生活でしたが、1週間のうちに、妹2人と弟1人と父が艦砲の犠牲になりました。さらに1週間後7月12日に母と弟も、一番末の弟が米軍に捕らわれ、わたしはさらに2カ月間山中をさまよいました。母と弟はもう米軍に殺されたと思いこみ、独りぼっちなった孤独感にとらわれながら、毎日砲弾や銃弾に追われる2カ月の、そんな非難生活でした。

 9月の中旬、ついに米軍によって収容されました。ススッテの収容所のゲートには、それまで夜明けから日没まで2カ月間通い続けたという母がおりました。1人でした。弟は栄養失調ですでに死亡していました。墓には8月12日死亡とありました。あとで小学校の級友から聞いたのですが、「君のお母さんは翌日になっても弟を背中に負ぶって歩いていた。そして周囲の人たちに説得されてやっとお寺に連れていったんだよ」というふうにいわれました。

 1946年2月、父と弟妹たち5名をサイパンの土に残し、8年ぶり母と2人で引き揚げてきましたが、沖縄もサイパン同様でありました。祖父やおじ、おばたち、大勢のいとこたち、知人たちが、犠牲になっていました。県民の多数の方々がこのような体験を共有しているわけです。わたくしにとって、サイパンでのあの体験は毎日が恐怖の3カ月でした。当時に至って立ち返って思えば、いかなる理由があるにせよ、戦争につながる軍事基地には協力できない。これが契約拒否の第一の理由です。

 次に、沖縄の米軍基地の成り立ちについては、米軍は占領当時に広大な基地を築きながら、1953年から55年にかけて、まさに銃剣とブルドーザーによる、具志、伊江島の真謝、宜野湾の伊佐浜等の強制接収がありましたが、わたくしは1955年7月に接収された伊佐浜の闘争に加わりました。農民が家から引きずり出されて、農家が一軒一軒取り壊されて、無惨にも浜の空き地に積み上げられて、廃材が積み上げられていくのを、歯を食いしばって見ていました。このようないかなる国際法でも認めることのできない野蛮極まりない、このような強制接収によって、築かれたのが米軍基地です。

 しかし、復帰後の日本政府は、次々と悪法を作って、地主の権利を奪い続けているのです。誰の目にもまともな人なら、誰の目にも、これらの悪法が憲法に反することは明白です。このようにして築かれた基地が居座っている間は、県民は地主であろうなかろうと、米軍人による犯罪や米軍事故の被害から逃れることはできないということは、復帰後の25年間、いや、この1、2年間を振り返ってみても分かることですが、詳しいことは、他の方からも意見陳述があると思いますので、わたしの方から、これ以上は省くことにします。

 次に、沖縄の米軍基地の世界の各紛争地への関わりについて、納得できません。一つ例を挙げますならば、ベトナム戦争当時、毎朝未明からB52が轟々と爆音を響かせながら、次々と嘉手納を飛び去っていきました。このB52がベトナムの空で各々夥しい数の爆弾を投下している。そのテレビニュースは多くの県民もご覧になったと思いますが、わたくしもそれを見ましたが、あの無数に投下されていく爆弾の下に、罪の無いベトナムの人がいると思うと、あのサイパンにおける恐怖の3カ月の避難生活と重なって、本当に胸が締め付けられる思いが、そういう思いで見ておりました。

 しかもあのベトナム戦争は、ベトナムの国民の主権を侵し、ゴ・ジンジェム政権を建てたアメリカの傀儡政権を守ろうとしたアメリカの侵略戦争ではなかったでしょうか。当時のマクナマラ国防長官も最近になってベトナム戦争は誤りだったといってるではありませんか。

 今年になって思い出したように、那覇防衛施設局の職員が、参りました。いらっしゃいました。2人の訪問を受けました。今度は、昼間でした。まだ、お気持ちは変わりませんか。そういうのです。正直言ってわたしの気持ちは変わっていました。日本政府は国会にも諮ることなく、日米首脳だけの話し合いによって、日米防衛協力の指針、ガイドラインの見直しを進め、昨日、日米両首脳で合意をしたようであります。その主な検討項目は、経済制裁のための船舶の検査、つまり、臨検、機雷の除去、警戒・監視などの情報交換、民間港湾・空港の使用、自衛隊施設の利用、武器弾薬を含む物資や燃料、人員などの国内輸送と公海上の米艦船への海上輸送、米、艦船、航空機への武器弾薬を除く、燃料などの補給、米艦船・航空機、車輛の修理や整備、米軍施設や日本国内の輸送経路などの警備、米艦船の出入港に関する支援、日米間の通信のための周波数などの提供、などなど。那覇軍港、那覇民間港もその対象としてあげられているようであります。

 国会にも諮らず、このような安保の大改悪が、このままでは、日本はどうなるのでしょうか。わたしたちは、天皇の軍隊によって第二次世界大戦で、さんざんな目にあいましたが、今度はアメリカの引き起こす紛争、戦によってそれに自然に組み込まれていく、クリントンの軍隊によってわれわれも参戦させられていく。そのような日本であってはならないと思います。

 そういうことで、この1、2年、わたしの気持ちは確かに変わりました。命にかけても、子や孫たちのために平和をと。

 昨年、長年1人で突っ張っていた契約拒否を1人ではだめだと思い、みんなと共に頑張ろうと、去年の春、反戦地主会に正式に加入して頑張ることにしました。(拍手)

 まず、安保条約に縛られていたら、日本の憲法は死んでしまいます。いや、その憲法もさらに改悪しようと今、たくらんでいる人たちがいっぱいいます。ほんとに平和な日本。

 これは、今、日本政府を、日本政府に座っている人たちにはつくれないわけです。安保条約を考える国民の意識の改革の為に、全国の仲間と連帯し、日米安保を許さず憲法を守ってこそ、日本の未来、沖縄の問題の真の解決は、その道しかない、という風に考えます。

 今、非常に、いろいろなきびしい面がせまってまいりました。収用委員会も、その権限がないがしろになるような悪法がこの春、5月14日を前に作られてしまいました。そのような状況下ですけれども、わたしたちは今のこの日本の置かれた状態を、あの、戦前、戦争へ戦争へと国民の口を封じて大政翼賛会などでどんどん戦争へと突っ走った、あれが今、見えるような気がします。

 しかし、今はあの時代とは違うと思います。わたしたちは今の本当の本当に日本が危険な方向に動いているということをみんなで、知らせあって国民がほんとに目覚めるならば、その時こそ、日本のいろんな問題、ほんとに国民本位の国づくりが出来るものだと思います。

 実際、去年の2月から現在まで、十三都府県から呼ばれて、これまで20回ほど、あちこちで交流しましたけど、わたしたちの連帯の輪が日々広がり、そして、安保に対する考え方も変わりつつあると思います。それをわたしたち、信じ、未来はほんとにわたしたちにあるんだと、歴史は必ずわたしたちの進む方向にあるんだということを自信を持ちながら、毎日活動しております。どうぞ、沖縄の問題だけ、地主の問題だけではありません。非常に大事な、こういう時にどなたも心有る人々が勇気を出して、立ち上がり、そして手を結ぶ、そして力を広げていく、こういうことが非常に大事だと思います。

 これまでの審理の中でも、起業局側の非常に不誠意な態度が見られました。だれが聞いても道理に合わないことだと思います。特措法が改悪されても、ぜひ正しい審理が出来ますよう、大きな期待を寄せております。以上です。

(拍手)

当山会長:どうもありがとうございます。それではちょうどきりがよろしいのでこの辺で15分ほど休憩をしまして、引き続き意見を聞きたいと思います。よろしくお願いいたします。


  出典:第7回公開審理の録音から(テープおこしは比嘉


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