軍用地を生活と生産の場に! |
沖縄・一坪反戦地主会 関東ブロック |
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『一坪反戦通信』 |
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第177号(2006年4月28日発行) |
沖縄の今を考える−米軍再編・基地強化の中で−新崎盛暉 新崎です。ずいぶん久しぶりに皆さんの前でお話しするような気がしますが、今日は「沖縄の現在を考える−米軍再編・基地強化の中で−」というタイトルでいくつかお話しします。
まずお配りしてある資料について少しご説明をしておきたいと思います。「沖縄の現在を考える(1)」は、私が話を大体こういう順序で進めようというメモで、皆さんが話を聞かれるときの手がかりにしていただけるようにお配りしてあります。「日米同盟再編と沖縄基地(2)」という年表は、私が自分の整理のつもりで作っているものですが、言葉とか年代とかごちゃごちゃ混乱しないように、参考までにお配りするものです。それから、今回の主催者側の要請の中で、名護市長選挙にも触れるようにということでしたので、市長選挙についても後のほうで少し触れたいと思いますけど、沖縄平和市民連絡会が選挙の直前に出した「緊急声明・沖縄平和市民連絡会(3)」を付け加えました。「県民不在の日米合意−なぜ、新基地はみたび辺野古に舞い戻ったか−」は、いわゆる日米合意ができた直後に関東一坪の機関誌(4)に載せた文章。それからもう一つ、沖縄タイムス(5)と琉球新報(6)の世論調査の結果、それから防衛庁長官と名護市長及び宜野座村長の基本合意の文書(7)の全文があります。 世界的な米軍再編の一環としての日米軍事一体化、それは米国の弱点の表象 今、連日新聞で報道されているのは、滑走路がどっちを向いているかとか、どう合意するかという話です。本質的問題はそこにあるのではない。この在日米軍再編協議は、その中間報告として発表された文書が「日米同盟−未来のための変革と再編」というタイトルを持っていることからも明らかなように、世界的な米軍再編の一環として日米の軍事的一体化を推し進めようとするものであるということで、ここにお集まりの方々に改めて説明する必要はないのかと思っています。 世界的な米軍再編というのは、米軍のトランスフォーメーションと称する様々な、例えば基地の再編成だとか核兵器を含む先端科学兵器の開発だとか、色々なものの一部として、同盟国と米国の関係をどう再編成していくかということに繋がっているわけです。そしてそれは、アメリカが望む世界的秩序の維持強化を力ずくでやっていく場合、軍事力を背景に推し進める場合にどうしたらいいかということの表現ではありますけど、同時にある意味では、アメリカ単独ではそれがもう出来なくなっているということを明確に表明している弱点の表現でもあると捉えなければいけないだろうと思います。 米軍再編により日米同盟は新たな段階へ 次に押さえておかなくてはいけないのは、今言われている在日米軍再編協議というのは、いわゆる安保再定義の次のステップ、新しい段階であるということです。「日米同盟再編と沖縄基地」という年表を見ていただきたいと思いますけれども、いわゆる安保再定義というのは1996年の日米安保共同宣言、クリントンと橋本による日米安保共同宣言で具体的に表明されたものです。そしてこれは、これまでの東西冷戦対応型の日米同盟を別の形に、要するに日本がソ連などから攻められたときにアメリカに一緒に防衛してもらうという建前による冷戦型安保を、アメリカの一極支配に対応できるように基本的に定義し直そうという形で出発していると言っていいだろうと思います。 それからもう10年が経ちます。そしてその間にブッシュ政権の成立とか小泉政権の成立というものがありました。そういう中で、この年表で言いますと、2002年の末に在日米軍再編協議といわれるものが始まっています。ただ、この時には明確に再編協議を始めると公言していたわけではありません。しかし、去年の「日米同盟−未来のための変革と再編」では、この日米安全保障協議委員会に始まるということを明記しているわけですから、そこから新しい段階の協議が始まっている。しかし日本政府は、これが始まっているということを、ある意味ではひた隠しにしていたわけで、そこであらためて仕切り直しをやるのが2005年の2月19日の日米安全保障協議委員会。ここで「共通の戦略目標」を明らかにするということになっていくわけです。再編協議は安保再定義の次のステップであるというのはそういう意味です。10年前に冷戦対応型から一極支配型に対応するように日米同盟が変質していく、その中での再編協議というもので、去年の10月末の文書は、次の段階に進むのだということを明確にしているということだろうと思います。 日米関係強化や国内法整備は進むも、沖縄基地の再編は進まず 96年の日米安保共同宣言によって、安保再定義というのがなされて、それに基づいて色々なことが具体化していきます。新ガイドラインが設定される、周辺事態法が成立する、そういう動きが着々と進んでいきます。この年表は概ね一番左端にアメリカを中心にする動き、真ん中を日本の動き、右端を沖縄における動き、というような配置で書いてありますけれども、そういう形で周辺事態法だとか色んなものができてきます。地方分権推進一括法案をここにあげているのは、この中で米軍用地特措法の大「改定」が行われているからです。 しかし、この安保再定義の中身でいえば、そういう後方支援体制の整備、つまり新ガイドラインを策定しそれを周辺事態法というような形で法制化するというようなものは、日本とアメリカとの関係、あるいは日本国内では着々と進んでいく。そして、いわゆる9・11に対応するための対テロ特措法の制定だとか、自衛隊のインド洋への派遣だとか、アメリカのイラク攻撃に対応するイラク特措法だとかいうようなのが、一方では着々と進んでいるけれども、沖縄基地の再編というのは一向に進んでいない。 その象徴的な位置にあるのが、普天間代替施設と称する辺野古への新基地建設の問題です。市長や知事を抱き込んでもなおかつ住民・市民の抵抗にあうという形でこれが停滞をしている。辺野古だけの問題ではありません。面積的に一番大きなものでいえば、北部訓練場の半分を返還するというのがSACOの合意の中にありますけれども、沖縄の基地縮小と称するものの8割はそれなんですけれども、これは南部に、つまり返還しないほうに、返還する所にあったヘリポートを全部集約するというような条件が付いていて、これが住民の抵抗によって実現していないというような問題を含めて、象徴的なのは辺野古ですけれども、SACO合意という形での米軍基地の再編は全く進んでいないという状況が一方であります。 変質した日米同盟の中での沖縄基地の軍事的・政治的役割 そういう中で、次のステップが始まろうとしてきたわけです。始めざるを得なくなってきたわけです。それが「日米同盟−未来への変革と再編」に組み込まれている共通の戦略目標とか、日米同盟は地域と世界をにらんだ同盟関係なんだとかいうようなのがあり、そして安保再定義の段階まではアメリカの軍事行動を後方支援するというのが日本の主たる役割であったのが、その後方支援という部分を超えた軍事的一体化、つまり共に戦うという方向へ展開をしようとしてきている。そのために日米合同の司令部を作るとか、基地・情報の共有化、共同使用を図るとか、こういうことが大きく出てきているわけです。それの関連で、日本政府がこれまで沖縄に閉じ込めておきたかった基地が全国的に拡散せざるを得ないという状況が出てきています。 そういう中で沖縄基地はどういう役割を持たされようとしているのか。沖縄基地の役割というのは、一つは、軍事的な役割であり、もう一つは政治的な役割です。 まず最初に沖縄基地の米軍事戦略上の相対的な価値の低下ということがメモに書いてあります。例えば一番新しいQDR等では、―これは年表の最後のほうに簡単な説明が注釈に書いてありますけれども―、要するにアメリカの基本的な戦略目標というのはあくまで米本土の防衛であり、長期にわたる対テロ戦争の展開が必要だということになってきているわけです。それに応じて米軍を再編成しようという場合に、東西冷戦対応型の、あるいは中国を封じ込めるなどというような目的を持っていた60年代までの沖縄の基地とは基地の役割が大きく変わってきていて、そういう意味では相対的にはアメリカの軍事戦略上の価値は低下してきている。 しかしもう一つ政治的には、利用価値は依然として非常に高い。また高めておくことによってこれを色々な政治的取引材料とすることができるということがあります。新しいQDR等にもふれられているのは、例えば具体的な国の名前があがっていて、中国とかインドとか、その中でインドはパートナーで中国は潜在的な対抗勢力というような位置づけがなされていたり、日本や韓国、特に日本などを重要な同盟国としてあげているということが出てきていて、沖縄の位置からいうと、特に中国の潜在的脅威を煽ることによって沖縄の基地の相対的低下をある意味では防いで、その利用価値を高からしめようとしているという動きが一つあると思います。 「沖縄住民の負担軽減」強調で日本側経費負担の正当化 辺野古への新基地建設というのは、いうまでもなく新基地が必要なのであって、これは普天間代替施設などというものではないということをまず第一に押さえておく必要があると思います。普天間の基地というのは既に老朽化した欠陥基地であって、アメリカ側にとっても使い勝手が悪い。で、これを言わば返還する代償として、いかに高く売りつけるかというのがこの間試みられてきたことです。だから、例えば普天間の軍事機能を即時停止したからといってアメリカの軍事戦略上の致命的打撃になるわけではないにもかかわらず、普天間基地は危険だ危険だと一方で強調しながらこれを自由に使い続けてきている。これは欠陥基地をどうやって高く売りつけるかというということと密接に結びついているわけです。 例えば今回の再編の中で、沖縄の海兵隊7000ないし8000人をグアムへ移すというようなことが強調されています。あるいは、嘉手納南部の基地の相当部分を返還するとか、そういうことが言われています。そしてそのことは、沖縄の負担軽減に繋がるであろうというようなことで、辺野古新基地には真っ向から反対している稲嶺知事等も高く評価するということになっています。 しかしアメリカが沖縄住民の負担軽減のために海兵隊をグアムに引き上げようとしているのかどうなのか、このことをきちんと押さえておく必要があるだろうと思います。海兵隊をグアムに、特に司令部を移すというのは、いずれ沖縄の海兵隊を引き上げるということも含んでいないとはいえないですけれども、それは住民の負担を軽減するためなのかといったらそうではなくて、グアムとか沖縄とか日本本土も含めた在日米軍基地あるいは日米共同使用基地の再編成を今アメリカは着手している。その時にグアムへの基地建設のために日本に途方もない経費の負担をさせようとしている。それを正当化する論拠は何か、沖縄住民の負担軽減です。これだけ負担を負わせてきた、だからその負担軽減のためにこれぐらい経費を負担するのはやむを得ない。アメリカが要求する根拠にもなるし、日本が金を出すことを正当化する根拠にもなる。 常にアメリカの都合優先、それは歴史が証明している 彼らが沖縄住民のためにグアムへ兵隊を引き上げるというようなことがあり得るだろうか。60年間も沖縄の基地は存続してきているわけです。その間沖縄住民の闘争というのはどのように展開されてきたのか、その時にアメリカ側は住民の立場に立って何かを考えてきたことがあるのかということです。その辺を新聞記事等に惑わされることなく、歴史がどのように進んできたのかということを私たちは客観的に整理をしておく必要があると思います。 沖縄の今は突如として出てきたわけではない。例えば60年なら60年の縦の歴史とか横の広がりとかそういうものの中に位置づけられている。そこを理解するために『沖縄現代史 新版(8)』をぜひ読んで欲しい。例えば沖縄で戦争があった。沖縄は米軍政下に27年も置かれてきた。そして沖縄返還というのは一体なんだったのか。本当にこれも住民のためだったのか。確かに米軍政下から抜け出す道を日本復帰という方向に選択したのは紛れもなく住民です。ただそういう住民の運動に押されていった最後に、彼らがもう沖縄を維持できなくなったときに、彼らの立場で考え出した沖縄返還のありようというのは一体なんだったのか。そういうことを踏まえて安保再定義もあり、SACO合意もあり、そして今の米軍再編というものもあるんだと。そういう捉え方をしてもらいたい。というのがぜひこの本を読んで欲しいという意味なんですね。これ税金抜いて780円ですから、多分皆さんがここに来る電車賃より安いだろうと思います。 そういう重みを持って現在があるわけですから、アメリカがこの間の歴史の中で住民のことを考えて、そして負担をどうやって軽減しようかという形で事を起こしたことはありえない。沖縄返還というものもそうです。沖縄返還が行われようとしたときに沖縄で、例えば嘉手納に常駐していたB52を撤去させるためのゼネストが行われようとした。これは大衆運動の高揚の成果として存在したわけですけれども、その時日本政府は当時の琉球政府、これは革新主席屋良朝苗さんが中心でしたけれども、彼に対して圧力をかけたのは何か。今沖縄を返還してもらうために一生懸命交渉をしている、米軍基地の維持に不安を与えるような事態が起こると米軍部の反対によって沖縄返還がだめになったりあるいは遅れたりするおそれがあるということだったんですね。結局この2・4ゼネストというのは、屋良主席の、住民の気持ちはわかるけれども「忍びがたきを忍び」中止してほしいという呼びかけで崩れるわけです。沖縄返還というものはどういうものであったのか、返還後の現実が明らかにしています。 沖縄をアメリカ軍が維持したままで、アメリカは基地の、当時のベトナム戦争の泥沼の中で、沖縄を維持、単独支配することができたか。基地労働者の大量解雇ができたか。軍用地主に膨大な軍用地料を払ってこれを懐柔することができたか。日本政府の金で基地を整備することができたか。いずれもできない。彼らは沖縄を手放さざるを得なかった。しかし、これを住民の願望を尊重して、住民の願いに沿って沖縄を返還する、だから高く買えと。 それで密約問題などで、核の密約とは別に、もう一つの密約が最近またクローズアップされていますね。あの西山記者の問題。あれは400万ドルをどこに潜り込ませたという話ですけれども、その後当時の吉野局長かなんかが言ってますけれども、そんな問題は小さい問題だと、核の撤去費用なんてのが遥かに大きい。あるかもないかもわからないのに撤去したか撤去していないかわからないのにその撤去費用を払っている。それが核抜き本土並みという日本国民あるいは沖縄県民の願望を実現させるためだと。その後も米軍基地の整理縮小とか海兵隊の縮小というのはアメリカ軍の必要に沿って、断続的に行われています。この間、いわゆる「思いやり予算」なども積み上げられてきた。 ひとつだけ例を挙げると、ちょうど90年代の中ごろに復帰後一貫して激しい闘争の対象にされてきた県道104号線越えの実弾砲撃演習というのは、これがちょうど95年、96年のああいう最中に沖縄住民の負担軽減のために本土に移転されるということでしたね。矢臼別から日出生台まで。あちらこちらに分散移転する。これが沖縄住民の負担を軽減するためだったのか。つまり70年代から行われてきたあの演習は、既にもう手狭な沖縄で行うことはできなくなった、だから沖縄から移動してやっているのは何かというと、沖縄ではできなかった夜間演習、沖縄でやっていた時の射程距離は2倍になる。沖縄ではできなくても北海道ではできるということですね。しかしそのアメリカ軍が訓練に出かける経費その他、それからそれを受け入れた市町村の地域への対策費、全てこれは思いやり予算その他で日本が負担しているわけなんですね。 全てやっぱり歴史がそれを証明しているんです。その延長線上にグアムもあるんです。住民負担を軽減するなんてことでアメリカがグアムに海兵隊を引き上げようということになるのか。そんなことにはならないんです。彼らは彼らの必要性に沿って、対テロ戦争とか、東西冷戦対応型の基地配置から違う基地配置への移行のために、彼らの戦略配置として、座間をどうする横田をどうする岩国をどうする、普天間はもう老朽化して要らないけれども、沖縄には直接今中国との問題が起こるわけではないから基地はいらないけど、これを全くいらないなどというと辺野古の反対闘争を奨励するようなことになるとか、反対運動に屈伏した印象を与えるとか、そういうことも全部計算のうちですね。そして、ただ負担軽減はやりますよ、だからお金も出しなさいですね。 アメリカの既得権意識と日本政府内部の思惑 確かに2005年2月の日米安保協議委員会では、「抑止力の維持と沖縄など地元の負担軽減」という言葉も文言上は入っています。ただ、アメリカ側の交渉当事者は一方でははっきりと言い切っています「抑止力の向上こそが問題なのであって負担軽減は副次的結果に過ぎない」と。基地がどこかにいってそこの人達が負担軽減になる、こういうことは結果としてはあるでしょう、これを考えてやっているわけじゃありませんよ。自分たちの都合のいいような配置をやってみたら、ここの人は負担軽減になりこの人は負担過重になるというだけの話です。そういうことなんですね。その辺が政治的利用のところ、なぜ辺野古新基地かの問題等のところです。 メモの「なぜ辺野古新基地か」というところに「(米)既得権」というのが書いてありますけれども、本当にアメリカは、あそこに基地を作って、中国に軍事的圧力をかけるつもりだろうか。対テロ戦争の基地ならあんな所に作ってもあまり意味がない。日本政府にとっては、アメリカ側の言うなりになるというのは政治的には対米協調とか日米同盟重視とかいうことになるのかもしれないけれども、もう一つむしろ日本にとっての含みがあるかもしれない。日本も中国の脅威とか言い初めてそれを軍事力強化の一つの根拠にしています。北朝鮮と中国ですね。北朝鮮の脅威と中国の潜在的脅威。 そういうことでいうと辺野古の基地は、できあがるころには自衛隊の基地になるかもしれない。あるいは米軍基地になっても共同使用その他の中で自衛隊に移行されるかもしれない。それだったら高い金を出して作っておいても意味があるかと考えている部分が、日本政府全体ではなくとも、ある部分には間違いなく存在していると私は思っています。 この間非常に重要なことは2004年の防衛計画の大綱の頃からですけれども、南西諸島有事防衛ということがやたらにクローズアップされてきている。この年表の中で言いますと2005年南西諸島有事対処方針の報道というのがありますけど、これはおそらく防衛庁からのリーク記事です。そのすぐ下に伊良部町議会自衛隊誘致決議3月16日、25日撤回というのがあります。これは住民の反対で撤回したわけですけれども、この騒動の背後には明らかに自衛隊の動きがあります。この伊良部町の下地島という所には、民間航空のパイロット訓練場としての整備された飛行場があります。そして今年初めて自衛隊がアメリカに出かけていって海兵隊と一緒に離島防衛のための共同演習というのをやっています。 ここで既得権について説明しておきます。アメリカ側は、沖縄戦で自分たちが沖縄を獲得した、その権利の上に未だに立っている。そして少しずつそれを利用しながら、色々利用の仕方を変えてきていますけれども、そもそも出発点がそこにあるんだというのが基本的にあるだろう。だから沖縄を返還する時も高く売りつける、基地を撤去する時にも高く売りつけるというのは当然の論理として彼らの中に潜んでいる。 日本側はそれを対沖縄と対米と両方の政治的意味で利用している。一つはこれまで日本政府は一貫して沖縄に米軍基地は封じ込めるという政策を取ってきました。それで、日米安保というのは在日米軍基地と同居する問題であるという、いわゆる基地問題の全国化を防いできたわけですね。それで(本土の)基地の問題というのは三沢とか岩国とか厚木とか、そういう所の局地的な問題であり、重層化している基地問題は全て沖縄問題と呼ばれてきたんですね。これが韓国の基地問題と大きく違うところです。 辺野古新基地建設をめぐる紆余曲折 そういう中で辺野古の新基地というのが作られようとしている。結局辺野古沖にできなかったというのは、反対運動は勿論ですけど、住民の居住地域から遠くへ遠くへというような市長や県の意思とか色んなことがあってあそこへ作ることになったけれども、机上の空論に近い部分は現実に直面せざるを得ない。台風の問題とか、具体的に直面してみておそらく知った問題というのは沢山あるはずです。 あそこは米軍の提供区域であっても制限水域ではない。制限水域というのは色んな種類があるというのが、いわゆるV字型になる前に地元に大急ぎで配った防衛庁のこういうパンフレットの中に出ていて(9)、我々も気がつくんですね。制限水域というのが色んな種類がある。5・15メモにちゃんと書いてある。そこまで我々がきちんと丹念に読んでいなかったという問題もあると思うんですけど、辺野古沖に外れちゃうと制限がないので、彼らとしてはそれなりに反対運動等に対応しにくいというような問題も色々ある。 何故舞い戻ったのか。いくつか理由があって、地元の建設業などを中心とする誘致派の動きというのもあります。それは関東一坪に書いた文の中で、何故三度舞い戻ったのかの第三要因としてあげています。しかしそういうものがなかったら来なかったか。必ずしもそうではないと思います。アメリカは利用できるものはとことん利用しようとするわけですから。 今回、沿岸案はいかにもひどすぎると、これまで基地を受け入れてきた人間たちがある意味では一致して言っているわけですね。稲嶺知事、彼の立場なら彼の立場としてそれなりに筋は通っている。辺野古沖以外であれば県外だと彼は言っています。辺野古沖というのはおかしいじゃないかというのはこっちの側の議論で、彼らはとりあえず日本政府と本当に何年も協議しているわけですから、名護市長も入れて。そして苦渋の選択としてそれを決定した。しかし一言の断りもなしに突如としてどうして沿岸に来るんだ、これはだめだということで沖合になったんじゃないか。というのが彼の論理です。 一昨年の9月ごろは、再編協議の中では米軍はもっと日米の軍事的一体化という方向を重視していて、辺野古それ自体とか、そういうことにそれほどの力点が置かれてなかった。小泉自体が辺野古の県外移設もありうるかのようなことを言っているわけですね。9月、10月の段階です。この年表で言うと、2004年の日米首脳会議(9.21)というのがありますけど、この辺で、アメリカの目論む日米同盟の再編強化を日本政府も公然と認めざるを得ないという動きの中で、そうすると沖縄に基地を封じ込めているということが不可能になってきますから、辺野古の県外移設もありうるみたいなことを小泉自身が言ったりし始める。この時期から2005年の初めくらいの段階で、ちらちら出ているわけです。そういうことも色んな取引材料の中にあって、しかし軍事的一体化とか共通の戦略目標の確認とかそういうのがどんどん進んできて、地元では基地が全部なくなったら振興策はどうなるんだと動揺しているというようなことを見透かして、今の新しい提案が出てくるということになったわけです。 新沿岸案合意へ しかし、今の案というのは、陸上の弊害と海上の弊害を合わせ持つわけですから、皆が反対ということになるわけです、稲嶺もそうだし、岸本もそうです。「論外」という言葉まで彼らは使っていました。そして、そういう中で名護市長選挙という一つの政治的選択の場が出てきました。選挙では島袋吉和現市長自ら沿岸案は受け入れられないということを公約の中で明確に表明をしている。そして当選した後も沿岸案の微修正では協議に応じないという言い方をしているんですね。 ところが突如3月末に上京して、呼び付けられてですけれども、協議をするようになった。それで始めは抵抗しているんだけれども、4月7日にいわゆる滑走路2本ということで合意をしたということになります。彼が協議に応じたことを正当化する理由は、一切協議に応じなければ政府案が強行されてしまって、住民の被害、騒音あるいは危険性その他が非常に大きくなる、そういう懼れから交渉に応じたんだという言い方をしています。 ただその間、実は3月だけで山崎拓が8回沖縄に来て延べ15日も滞在している。彼がそれだけ出没していて、特に北部、名護市だけではなくて名護市周辺の市町村長に色々揺さぶりをかけている。政府はこの間、例えば2月から3月の全国紙の記事を見ても、もう地元説得は断念だ、つまり強行するんだということを言ったり、一方では山崎は200メートルは沖に出せると言ってみたり、メートル単位ではなくてセンチ単位なら動かしてもいいと小泉が言ったとか言わないとか、そういう形で強行策があり得るという揺さぶりをかけているわけですね。 強行策などできようはずがない。彼らが高圧的に出てくる時には必ず弱みを何か覆い隠しているんだというのも一つの歴史的教訓ではありますけど、初めからぐらついている名護市長にそこまで求めるのは無理で、彼なんかはすぐずるずると引きずりこまれていくことになります。しかし彼だけが引きずり込まれたのではなくて、最初に、宜野座村長とか、恩納村長とか、東村の村長、そういう名護市を囲んでいる所の関係村長がまず山崎拓やそれから防衛庁に、名護市長よりも先に落とされている感じがあるわけです。ですから名護市長合意というのが大きな記事になっていますけれども、これは名護市長合意だけではないというのが大きな問題です。 防衛庁長官と宜野座村長及び名護市長との基本合意文書全文というのがあります。これは新聞報道として全文を二つこういうのがありますよときちんと載せたのは多分琉球新報だけだろうと思います。防衛庁のホームページには両方きちんと載っているそうです。 これ同じものに見えて同じ物でない所があるんですね。3の所で妙な違いがあるんですね。妙な違いというのは、例えば名護市のほうを見ると、「今後防衛庁と沖縄県名護市及び関係地方公共団体はこの合意を元に普天間飛行場の代替施設の建設計画について誠意を持って継続的に協議し、結論を得ることとする」と書いてこれでおしまいなわけですね。宜野座村のほうを見ていただきますと、「結論を得ることとする」の後に、「また、基本的な建設案のイメージは、この合意した図面に示すよう、政府が示した沿岸案を基本とし」と続く。島袋吉和は選挙公約の中に沿岸案は受け入れないといっているんですが、宜野座村はそれと関係ない。「政府側が示した沿岸案を基本とし、宜野座村長の要請である周辺地域の上空を飛行しないとの観点から二本の滑走路を設置することにしたこととしたものである。/メイン滑走路とサブの滑走路からなり、サブ滑走路の飛行コースは海側に設定され、離陸専用の滑走路として設置される。」と、重要なことはこっちに書いてあるんですね。名護市のほうに書いていないんですね。市長との合意は辺野古や豊原、安部の上空を回避するということしか書いてないわけですね。 合意で「一点突破」はしたが これから先がまた問題になります。つまり日米両政府の頭越し合意を彼らは批判していたわけです。宜野座村長も名護市長も。今度は自分たちが住民の頭越しに合意をしてしまったわけです。当然説明会等でつるし上げられ、そこで名護市長は、これは海上案のバリエーションの範囲だと頑張ったわけです。沿岸案ではないと頑張っています。いまだに。沿岸案の微修正では協議に応じないはずだったので、そういう意味では非常な窮地に追い込まれているところがあります。 名護市や宜野座村の地元もぐちゃぐちゃになっている。基本的におかしいじゃないかという声が大きい。その結果どうなったかといえば名護市のほうは辺野古や二見以北十区等も含めて金で解決しようという方向にずれ始めている。例えば辺野古だったら1世帯1億5千万の補償費を出せと。つまりこれまでの振興策というのはこれらの地域を直接潤さないことがある意味では証明済みなんですね。国立高等専門学校を作ったり、ITの何とかの建物を作ったり、公園を整備したりしても日雇いの口がちょっと増えるかどうかのぐらいの話ですね。 一方宜野座では、村議会議長が委員長になっていますけれども、沿岸案反対の実行委員会というのがあって、村長が合意する数日前に村民大会をやっているんですね。そこは基本的に6つある部落の区長を含めてこの実行委員会が村長は合意を撤回すべきだと主張している。そういう状況で、日本政府としてはまず名護を包囲してこれに合意をさせる。そのことによって沖縄の世論を分断する。反対闘争から正当性を奪う。防衛庁の首脳の発言が、新聞の中にありましたけれど、「一点突破」で名護を落とすんですね。一点突破・全面展開をやろうとしているんですね。名護市を落としてそして全国あるいは県を揺さぶる。その方向でやったんだけれども、どうやらそれから先がそのようには必ずしもいかない。 世論が支持しない「合意」 次の「民衆の闘い、世論、選挙」という所で、世論調査の数字をざっと見てみます。 まず、琉球新報と沖縄テレビが沖縄県内の11の市で500人の有権者を抽出して調査をやった結果(6)。<新沿岸案についてどう思うか>:高く評価するが5.8、どちらかといえば評価する21.0。絶対に容認できない、どちらかといえば容認できないは、合わせると70.8ですが、名護市を取ると86.7です。名護市のほうが圧倒的世論が新沿岸案を否定しているんですね。次に<名護市の島袋吉和市長の判断を支持しますか>:支持する27.6、支持しない59.0。これを名護市だけで見ると、支持しない76.7です。つまり地元で支持されていない。世論に支持されていないという結果なんですね。 より新しい調査で、沖縄タイムスは、800人を対象に全県的な調査をやっていますが、ここでも同じような結果です(5)。まず最初に、<あなたは小泉内閣を支持しますか支持しませんか>:これは今は全国的には支持するが多いんでしたよね。ここで支持する33.3、支持しない53.1。<稲嶺知事を支持しますか支持しませんか>:稲嶺は今非常に評価が高いんですね、よく頑張っているという。非常に問題含みではありますが、とにかく稲嶺の評価は高い。それから<この新合意案に賛成かどうか>:反対71.4。<稲嶺知事は従来の辺野古沖移設案か県外移設を主張し新たな滑走路二本に反対する知事の姿勢を支持しますか>:73.4という話なんです。 稲嶺は、自分の論理に従って辺野古沖案でなければ県外移設と言わざるを得ないんですね。一度賛成した以上は。日本政府もアメリカ政府もこれはだめだと捨てているわけですから、辺野古沖案に戻るというのはまず100%あり得ない。あり得ないのを出しているだけの話なわけですね。だから県外移設以外にはないということなんです。彼のこの論理は、小泉などが一昨年の秋から昨年の初めにかけて辺野古撤退もあり得るかのような、そしてどうやったら自分たちにダメージが少ないように、あるいは辺野古沖案に賛成した連中にダメージが少ないように撤退し得るかという模索を始めたかのように見えたときに、彼は彼自身のダメージを避けるためにアメリカに行って言っていたのがこれなんですね。要するに辺野古沖じゃないというんだったら県外移設しかあり得ないんですよというので、自分はそういう主張をしたよという予防線を初めから張っていました。だから結果が出てもそれをやっている。 市長選と沖縄における反自公 最後の「民衆の闘い、世論、選挙」の「糸数選挙と名護市長選」というのにちょっと触れておきたいと思います。主催者側が特に名護市長選挙もテーマの一つに取り上げたのも、名護市長選挙がこの段階で何故分裂したんだろう、どうにかして統一することはできなかったんだろうか、という疑問なり思いがあってのことだろうと思います。 そこで非常に微妙な問題ですが、ここで参考と書いてある三つの文章について先に若干解説しておきます。一つは「名護市長選挙から何を学ぶか」という『けーし風』50号の文章。これは僕が2月上旬、選挙直後の情報だけで書いていて、その後の状況の推移を見ると、甘かったなあという感じがしています。それから目取真俊さんが『世界』の4月号の特集の中で「名護で考える」というのを書いています。彼は分裂した革新側の大城敬人を最終的には支持するという立場で書かれています。それから浦島悦子、彼女が『インパクション』の151号で「あぁ、名護市長選!極私的回顧」というのを書いています。 一つだけ読むんだったらぼくはこの『インパクション』の文章を読んでいただきたい。彼女たちが最も深く長く直接的にこの闘いに、辺野古の闘いに一貫して加わり、選挙の時に悩み、そして二見以北十区の会は最終的に我喜屋宗弘という候補を支持しています。何故そうならざるを得なかったかということです。 先ほど言ったように沖縄では小泉内閣の支持率は決して高くない。そういうことは逆に言うと反自公勢力が強い。これがある意味では非常に良し悪しの影響を持ってきているというのが一つあります。これまで色々分裂選挙が進んできた中で、まず全野党共闘というのが実現したのは、これは2004年ですね。7月に行われた参議院選挙で糸数慶子社会大衆党副委員長が無所属候補として全野党共闘という形で当選をしたというところが一つ出発点に、ごく最近の出発点としてあります。 従来色んな分裂選挙をやってきて中で、私などはある意味ではできるだけ統一をということで働きかけをやってきた立場ですけれども、もうある意味ではさじを投げていたようなところもあって、糸数選挙もあわや分裂選挙でした。しかし最後で統一が可能になったのは何故かといえば、辺野古があったからであると私は思っています。この糸数統一ということが決まるのは2004年3月末ですけれども、そのときにはもう4月から辺野古でボーリング調査が始まるという危機感・緊張感が高まっていた時期でした。それがある意味ではこの共闘を可能にしたと私は思っています。 その勢いがついているところを見て、下地幹郎に代表される反自公保守派がここに乗っかってくる。乗っかってくるといってもこのときはまだ水面下なんですね。表立ってはそんなに動いていない。けれどもその結果糸数慶子大勝という結果が出たんですね。そこでまず反自公ありきという話になったんですね。 ところが次の那覇市長選挙。那覇市長選挙では高里鈴代を出して負けたんですね。それで何か反自公が一度沈みかけたら、次にこの前の、9月の衆議院選挙で、沖縄選挙区の第1区で、安倍晋三を始め自公が応援に駆けつけていた白保台一現職を落として下地幹郎が当選する。また反自公ありきなんですね。この『けーし風』50号の私の文章の中に引用してありますけど、琉球新報の衆議院選挙総括特集の中に「反自公の逆襲」というタイトルの項目があり、その中で社会民主党沖縄県連の平良長政書記長が何と言っているかというと、「那覇市長選挙は候補者選びが二転三転し、ぱりぱりの革新候補が出てしまった。保守票を取り込める候補を早い時期に選ぶことだ」と。自分たちが推していた候補者に対してずいぶん失礼な話だと思うんですけど、それがある意味ではなお沖縄では大きな勢力を持っている社会民主党書記長、かなり中心的な影響力を持つ人物の発言なんですね。 最も影響力を発揮し得たはずの人たちが動けなかった名護市長選 まず保守票を取り込める候補を反自公で押さなければいけないとして、名護市長選挙で彼らが担ぎ出したのが我喜屋宗弘さんという人です。この人は辺野古沖案を支持していたのですが、その後いわば反岸本派になっていた。それを担ぎ出すわけですね。 ところがその前に大城敬人さんという人が名護市長選挙に出るということを言っていたわけです。大城敬人さんは、元共産党の市議です。何故か知らないけれども共産党を除名されているんですね。大体共産党から出ている市議などは共産党を除名されたら落選というのが一般的ですが、除名されてもトップ当選しているんですね、大城さんは。それなりに個人的な支持基盤というか、いわば市民的な生活相談とか色々なもので培ってきた支持基盤があるんですね。辺野古の闘いなどにも常時現場に顔を出し、皆に親近感を持たれている人でもあったわけです。ただ問題だったのは、大城さんは立候補はするとは言ったけれども自分の周辺とかそういう人達の支持を受けてと言っていて、政党とか労組の支持は求めないと初めから言っているんですね。立候補を表明した段階から。 一方ではこっちが勢揃いして決めれば皆従ってくれるだろうというような選挙のボスたちが我喜屋を推すと決めちゃう。統一の話し合いも実質的にはなされていない。ボタンのかけ違いを正して統一を試みようとする動きもなかったわけではないけれど、時間切れ、という状況の中で出されたのがこの緊急声明です。 この緊急声明の中で、重要なところは3段目ぐらいのところですね、「今回の名護市長選挙に関する状況は、これまで一致団結してきた関係に亀裂を生じさせかねないように思われます。それぞれが自分の良心に従って候補者を選び、支援することは当然のことですが、選挙戦が仲間たちの分裂を生むとしたら、一番喜ぶのは基地建設を推進しようとしている勢力です」、でその次の次に、「沖縄平和市民連絡会は、名護市長選挙に関わっているすべての仲間たちに呼びかけます。選挙が終わった時に、もう一度一致団結できるような選挙戦を展開しましょう」という呼びかけをし、こう呼びかけざるを得なかった部分は、結局選挙にタッチできなかった形になります。 つまり我喜屋を支持するか大城を支持するか、つまり例えばテント村で座り込んできた人たちにとって、最初は過半数は大城支持です。しかし実際の選挙が進んでいく中で、現実の選挙の論理がどう動いていくかということを見ると、ここで勝たなければと思う人たちの中には我喜屋のほうに行かざるを得ないような思いをいだく人たちも出ています。しかしそれをやったら、後で禍根を残すという人たちは金縛りにあって動けないような状態です。この人たちが選挙に行ったか行かないかは別にして、この人たちは影響力を発揮することはできませんでした。 最も影響力を発揮し得たはずの部分の人たちが動けなかったという状況にあります。その中で、例えば二見以北十区の会は、言わば泣く泣く我喜屋についたというようなところがあるんですね。これは浦島さんの文章を読んでください。 選挙結果からいうと、前回、岸本が取った票よりも、島袋吉和の票はがくんと減っています。我喜屋と大城の票を合算すれば、差は千何百票です。投票率はこれまでで最低です。我喜屋の1万千何百票は、いろいろ批判されても既成勢力の力もこれぐらいはあるということだし、単独で4千何百票採った大城は善戦だけれども、双方ともその限界を示してもいる。統一なくしては、少なくとも選挙には勝てないことが立証されている。双方がそのことを謙虚に受け止める必要がある。平和市民の緊急声明は、このことを訴えている。選挙結果を我田引水に解釈するセクト的動きなどがあってはならない。わたしたちはそうした方向での努力を積み重ねることによって、辺野古の闘いの成果を守り、発展させていかなければならないだろうと思います。 色んな話をしました。私が投げかけたのは皆さんが今後考えていただく材料に過ぎません。色々資料もお渡しいてあります。もう一度整理しなおしていただければ、私が言わんとしていることはご理解いただけるかなと思います。 第11回 市民憲法講座(2006年4月22日 文京区民センター 共催:許すな憲法改悪・市民連絡会/辺野古への海上基地建設・ボーリング調査を許さない実行委員会)講演記録、テープ起こし・編集は『一坪反戦通信』編集部、主催者および新崎盛暉氏の許可を受けて掲載 |