軍用地を生活と生産の場に!
沖縄・一坪反戦地主会 関東ブロック
http://www.jca.apc.org/HHK
東京都千代田区三崎町2-2-13-502
電話:090- 3910-4140
FAX:047-364-9632
郵便振替:00150-8-120796

『一坪反戦通信』
毎月1回 28日発行 一部200円 定期購読料 年2,000円
 第173号(2005年11月28日発行)

県民不在の日米合意

―なぜ、新基地はみたび辺野古に舞い戻ったかー


新崎盛暉


 在日米軍再編協議の主眼が、アメリカの世界戦略の中に自衛隊を組み込み、日米同盟を再編強化することにあるということは、繰り返し指摘してきた。その点からすれば、『日米同盟・未来のための変革と再編』という名称を持ついわゆる再編協議の中間報告が、「地域および世界における共通の戦略目標を達成するため、国際的な安全保障環境を改善する上での二国間協力が、同盟の重要な要素となった」と強調することに不思議はない。

 しかしそのなかで、三度辺野古に、しかも沿岸案という最悪のかたちで、新基地建設が押し付けられることを想定した者はそう多くはないだろう。むしろ逆に、アメリカの新世界戦略の中では、東西冷戦対応型の沖縄基地の比重は低下しつつあり、普天間基地の無条件撤去すら不可能ではない、という見方のほうが一般的であった。

 伊波洋一宜野湾市長が、米軍再編協議を、「普天間基地の県内移設なき撤去を可能にする千載一遇のチャンス」と呼んだのは、その一例である。米軍再編協議の本質を考えれば、わたしたちがこれを「千載一遇のチャンス」というわけにはいかなかったが、これが辺野古新基地建設計画白紙撤回の可能性をはらむものであるという点に限定すれば、かなり幅広い認識の一致があったといえるだろう(たとえば『けーし風』46号のわたしと我部政明の対談参照)。わたしたちの課題は、これをいかにして基地なき沖縄への第一歩として捉え返すか、というところにあった。ではなぜ、新基地建設計画が、三度辺野古に舞い戻ったのか。

 その第一の要因は、取れるものはすべて取るというアメリカ外交のしたたかさである。第二は、政治的にも軍事的にも、主体的戦略を持たない日本政府の対米追従の姿勢である。第三は、目先の利益を追い求める沖縄の基地容認・誘致派の存在である。

 できるだけ沖縄に米軍基地を封じ込めておきたいという日本政府の事なかれ主義的方針が揺らぎ始めるのは、昨年八月のヘリ墜落、九月の日米首脳会談、十月のアーミテージ国務副長官の来日による米軍再編協議の仕切りなおし(公然化)、十二月の防衛大綱の発表、今年二月の2プラス2の過程においてであった。

 これに危機感を抱いたのは、地元誘致派であった。基地建設や振興策による目先の利益を失うことを恐れた彼らは、自らいわゆる浅瀬案を提起し、岸本市長もこれを容認する姿勢を示した。これに目をつけたのがアメリカ側である。こうして新基地は、三度辺野古に舞い戻った。

 すでに彼らは、主体的戦略なき日本を相手にした再編協議において、日米の軍事的一体化という主目的は獲得しており、もはや「負担軽減」という代償は不要になっていた。アメリカ側は、「地元が支持する浅瀬案」を取り込んだ。日本政府も沖縄に基地を封じ込めておくことに異存はないが、海上基地建設の困難さを避けるために陸上案を提起した。後は、デキレースである。

 沿岸案は、海上基地と陸上基地のマイナス面を併せ持つ沖縄にとっては最悪の案だが、アメリカにとっては、浅瀬案や陸上案より長い滑走路を持ち、格納庫、燃料補給用の桟橋および関連施設等を併せ持つ最良の軍事専用施設である。しかも日本側に譲歩したかに見せかけることによって、建設の責任を負わせることにまで成功した。

 沖縄民衆とアメリカ側との板ばさみになった日本政府は、アメリカの圧力を背に、沖縄に対してより強権的に対応してくるだろう。十月三十日の県民大会で、山内徳信が、「海の特措法」と呼んだ特別立法の制定もその一つだろう。十一月十九日付けの沖縄タイムスによれば、これは単に「海の特措法」にとどまるものではないらしい。公有水面の使用権限のほか、環境影響評価(アセスメント)の手続き、基地の建築許可、埋蔵文化財の調査までを対象にしようとしているようだ。さらにマスコミのなかからも、「沖縄が十五年使用期限とか、軍民共用などの条件をつけたことが問題をこじらせた」として沖縄に責任を転嫁し、反対運動に断固たる態度をとれと主張する論調(日経十月九日付社説、読売十一月四日付社説など)も現れ始めている。わたしたちにも、更なる覚悟が求められている。