米軍用地強制使用裁決申請事件

同  明渡裁決申請事件

  意見書(三)


 [目次


第五 嘉手納弾薬庫地区

 一 施設の概要

 嘉手納弾薬庫地区は、嘉手納飛行場に隣接する読谷村・嘉手納町・沖縄市・具志川市・石川市・恩納村にまたがって存在する広大な森林地帯に位置する。この施設に隣接した形でキャンプ・シールズが存在し、嘉手納飛行場と合わせて三つの基地が隣接して複合基地の形態をなしている。この三つの施設を合計した面積は五〇平方キロメートルにも達し、沖縄市や那覇市の面積を超えている。

 この弾薬庫は空軍が管理し、第一八航空団第一八兵站郡第四〇〇弾薬整備中隊の司令官がその管理責任者となっているが、空軍のみならず、海軍・海兵隊・陸軍も使用している。また、この弾薬庫は米太平洋空軍の戦時用備蓄物資弾薬庫に指定されており、いつ戦争が勃発しても、その緒戦に必要な量の空対地ミサイル弾を常時整備・貯蔵しておく責任を負っている。

 本施設内は、弾薬貯蔵地域と保安地域に分かれている。

 弾薬貯蔵地域は、立入りも厳重にチェックされ、特定の場所以外は禁煙とされている。覆土式、野積式、上屋式の各弾薬庫がいたるところに存するほか、整備工場、実験室、事務所があり、弾薬の組立整備、貯蔵管理が行われている。

 フェンス外の保安地域の多くは、いわゆる黙認耕作地として、地権者らに使用されている。

 本施設の存する地域は、琉球松やイタジイが群生し、リュウキュウケナガコガネズミ、セマルハコガメ等の貴重な動植物が棲息しているほか、水源も豊富で、長田川、平安山川、与那原川、比謝川があり、重要な水資源涵養地域となっている。

二 土地強奪の経緯

 嘉手納弾薬庫地区は、一九四五年四月一日の米軍の上陸進攻以来、米軍に占領された地域がそのまま基地として使用された。

 同弾薬庫の大部分を占める読谷村地域について言えば、一九四五年一月、沖縄戦が近づく中で、読谷村民は国頭村を中心として沖縄の北部地域に次々と避難させられ、国頭村奥間部落に読谷村仮役場が置かれ、その近くで村民は各部落単位で集団避難生活を余儀なくされた。

 同年三月二三日から、米軍による空襲が沖縄全域に展開され、同村内にある北飛行場は壊滅状態となった。

 同年三月二五日、現地日本軍から非戦闘員の避難命令が出て、これまで国頭への避難を回避していた村民もその殆ど全てが、国頭方面に向けて移動した。

 同年四月一日、米軍が上陸進攻し、同村の全てが米軍によって占領された。

 同年八月、日本は降伏し、避難生活をしていた村民の一部が帰村を始めようとしたが、村内の土地は飛行場用地や弾薬庫等の施設として使用占領され、村民の復帰は果たせなかった。

 一九四六年八月、字波平と字高志保の一部が解放され、その後、次第に他の地区も解放され、同年一一月頃から多くの村民が帰村した。しかし、読谷補助飛行場や嘉手納弾薬庫地区の主要な施設は解放されず、そのまま米軍用地として使用されるようになった。

 嘉手納弾薬庫地区に存する本件強制使用対象土地のうち、読谷村地域に存する土地についての土地取り上げの経緯は右に見てきた通りであるが、嘉手納町や沖縄市地域に存する土地についても、土地取り上げの経緯は読谷村地域の対象土地と同様であった。

 米軍は、戦争行為及び占領によって使用を開始した本件施設内の各土地を、戦争終了後もヘーグ陸戦法規を根拠として使用し続けていたが、講和条約発効と同時に右陸戦法規を根拠とすることができず、講和条約の発効後は数々の布令・布告を発布し、土地使用の根拠とした。しかし、右陸戦法規や布令・布告は、単に合法性を装ったものであって、これにより土地使用の正当な根拠が生じたものではないことは、意見書の総論部分で既に述べたとおりである。

 その後、本件施設内の各土地が、沖縄の復帰に際し、憲法違反の公用地法でもって強制使用されたことについては、他の施設と同様である。

 三 核基地の疑惑

 既に述べたように、本施設は第四〇〇弾薬整備中隊が管理している。復帰前、米空軍の四種類の戦術核爆弾すべての種類を貯蔵管理する任務を負っていて、本施設において核兵器や毒ガス兵器を、貯蔵管理していた。その毒ガスについては、一九六九年の毒ガス漏事故がきっかけで撤去運動が起こり、一九七一年九月までにハワイ近くのジョンストン島に移され、撤去されたことになっている。しかし、現在、同施設に毒ガスは保存されていないとの確証はない。

 核兵器についても、日米の合意により、復帰までの間に同施設から撤去されたことになっている。しかし、本施設に核兵器が貯蔵され、あるいは持ち込まれている疑惑は、依然として消えていない。

 アメリカの核政策は、「肯定も否定もしない」ことを基本としている。しかし、一九八一年五月、前述の第四〇〇弾薬整備中隊の「週間整備計画」が明らかにされ、その中で、復帰後の一九七五年二月三日から七月にかけて、B61核爆弾が嘉手納飛行場格納庫から嘉手納弾薬庫地区の整備作業場3X06に運び込まれ補修作業が実施されたことが明記されていることや、核兵器の重大事故を想定した 折れた矢 (ブロークン・アロー)訓練や、核兵器の起爆を可能にするPAL訓練、核搭載機のハイジャック防止訓練等が行われていることは、核兵器の存在あるいは持ち込みの疑惑の根拠づけとなっている。

  本施設内には、米国防総省の「核兵器の保安基準」に基づいて構築されたイルグー(履土)式弾薬庫が数多く並んでおり、核生物・化学兵器がこのタイプの弾薬庫に貯蔵されていることからみても、この施設に核兵器が存する疑いは濃厚となっている。

 四 土地を使用する「客観的必要性」の不存在

 1 嘉手納弾薬庫地区にかかる本件強制使用の対象地は、全部で九筆である。

 右土地のうち、
 (一)伊佐みつ子さんらが共有する読谷村字長田一六六番の土地
 (二)平安カメさんが所有する同村字伊良皆東原所在の四筆の土地
 (三)伊波惟真さんが所有する嘉手納町字久得新川原の土地
 は、フェンスの内に位置している。

 右土地のうち、
 (四)平安一嘉さんが所有する読谷村字比謝五五三番の土地
 (五)松田正太郎さんが所有する同村字伊良皆一一〇一番の土地
 は、フェンスの外側にある。

 (六)比嘉良子さんと比嘉昭雄さんが所有する沖縄市字大工廻六〇三番二の土地は、フェンスの内と外にまたがって存在している。

 2 本件裁決申請書の「使用の方法、使用の期間」の項は、使用の方法として九筆の対象土地全てについて、「アメリカ合衆国軍隊の弾薬庫保安用地」と記載されている(「弾薬貯蔵施設用地」あるいは「弾薬庫用地」と記載されているものはない)。

 弾薬庫保安用地として使用されているのであれば、対象土地が保安用地として必要な限度内に存する土地なのか否か、先ず吟味されなければならない。

 この点に関する審理としては、わずかに第三回公開審理における地権者と起業者の質疑応答がなされただけであるが、これを振り返ってみると次のとおりである。即ち、地権者代理人が、保安用地の必要な部分についての区域的範囲を定める基準があるのかとの質問をしたのに対し、起業者側の坂本憲一施設部長は、「米軍が弾薬庫に貯蔵する弾薬の種類及び貯蔵量に基づき、有人建物、または講堂までの保安距離を定めていると承知している」、「米側には基準はございますが日本側にはございません」と答えている。

 右の回答にある「弾薬庫から有人建物または講堂までの保安距離を定めた基準」が、保安用地の必要な区域的範囲を定めているものなのか否か確かではないが、仮にこれが区域的範囲を定める基準であったとしても、その基準そのものは本件審理に提出されておらず、従ってその回答は明らかにされていないのであるから、本件対象地が右基準の範囲内に位置しているのか否か、を照合することはできない。

 また、起業者の説明によると、このような基準は日本側には無いとのことであるから、日本側のあるべき基準と照合することもできないことは、理の当然である。

 使用方法が弾薬庫保安用地とされている以上、本件強制使用の対象土地が保安用地として必要な範囲内の土地なのか否かについて明らかにするのは、起業者側の責任である。

 米側にはあるとされている「基準」すら提出しようとしない起業者が、この責任を尽くしたと言うことはできない。

 このように、嘉手納弾薬庫地区の九筆の土地は、保安用地の区域的範囲内にあるか否かについて審理がなされていないことが明白である以上、当該各土地については強制使用の「必要性」の証明がなされていないことになる。よって、右九筆の土地の裁決申請はすべて却下されるべきである。

 3 本件強制使用対象地の地権者らは、先に提出した意見書(一)第二の五(同意見書の四六頁ないし五一頁)において、収用委員会が、土地収用法第四八条により「使用する土地の区域」を定める場合、「起業者が申し立てた範囲内で且つ事業に必要な限度において」裁決しなければならないと定められていることの解釈について、「収用委員会は裁決申請にかかる土地の区域が起業地に含まれているか否かの判断を有するにとどまり、裁決申請にかかる土地が事業のために必要か否かについて判断する権限を有しない」とする説の不当性を明らかにし、収用委員会は、「事業に必要な土地」であるか否かを厳正に判断する権限と義務を負っていると解すべきである旨の主張をし、その理由を明らかにした。

 右意見書の立場に立つのであれば、一筆の土地の或る一部一部が、いずれも「事業に必要な限度の範囲内」なのか否かの判断がされるだけでなく、一施設の中に存する対象地について、一筆一筆の各土地について、各筆の土地ごとに「事業に必要な限度の範囲内」なのかについても、判断されなければならないことになる。

 右の立場から、嘉手納弾薬庫地区施設にかかる対象地を見てみると、前記九筆の土地のうち、少なくとも読谷村字比謝五五三番の土地及び沖縄市字大工廻六〇三番二の土地は、「事業に必要な範囲内」の土地と言うことはできない。右字比謝五五三番の土地は、国道五八号線から数十メートルしか離れておらず、また、字大工廻六〇三番二の土地は、殆ど県道一六号線に接している状態にある。右二筆の土地は、弾薬庫地域の中心からはるかに離れており、施設内の他の土地と「有機的一体」をなすものでないことも公然たる事実である。

 よって、「必要性」の立証がなされていないとして、九筆全ての土地について裁決申請を却下すべきであるとした出張が仮に認められないとしても、かかる公道沿いの土地についてまで、保安用地として強制使用をなす必要性がないことは、誰の眼から見ても明らかであるから、右二筆についての裁決申請は、当然却下されるべきである。

 五 「適正且つ合理的要件」の不存在

 本件九筆の土地のうち、読谷村に存する七筆の土地は、同村が策定した土地利用基本計画において、農用地保全区域または森林保全区域に指定されている。農用地保全区域指定された区域は、集団優良農用地としての開発が展望されている。

 しかし、本件各土地を含む多くの農用地が、弾薬庫の保安用地として使用されているため、土地改良事業等の基盤整備事業が導入できず、土地の有効利用ができないままになっている。

 また、フェンス内の土地の殆どは、森林保全区域に組み込まれていて、自然環境保全管理区域、もしくは自然災害発生防止、水質保全、自然環境の回復等を目的として区域指定されたものであるが、フェンス内にあってそこへの立入りが禁止されているため、森林資源の保全が十分になされていないばかりか、放置されており、米軍による樹木の伐採、松食い虫の多量発生による松の立ち枯れの被害が発生している。この区域も、基地ゆえにその保全管理ができず、土地利用計画の実施に困難をきたしている。

 右七筆の土地を含め、本件九筆の土地は、いずれも基地として長年使用され続けられたため、周辺一帯の土地と一緒にしての土地利用開発が不可能な状態になっている。

 しかし、右いずれの土地も、本来住宅地または農用地あるいは森林保全地として利用されることが最有効利用方法であり、弾薬庫保安用地として使用すべき必要性、合理性はない。


出典:反戦地主弁護団、テキスト化は仲田。


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