Political Criminology

マルチメディアと著作権

 著作権がゆれている。マルチメディアということばが脚光を浴びるようになって、これが著作権保護の新たな対象なのかという問題が浮上してきた。著作権法は、1985年の改正でソフトウェア・プログラムを、また翌年にはデータベースを、それぞれ著作権保護の対象として明文化したが、インターネット時代を迎える中、著作権の世界はどのような具体的な方向性を考えているのだろうか。

 日本の著作権法は、著作権の問題を大きく三つの異なった権利領域として把握している。

 まず、大元の著作者の権利と編集者や放送事業者、演奏家などの伝達者の権利とを分ける。この伝達者の権利は著作隣接権とも呼ばれ、著作者の権利よりも弱く、対象となる範囲が制限されている。

 ついで著作者の権利の中で、著作者本人の精神的権利(著作者人格権)と著作物をめぐる財産的権利とが分けられる。著作者の精神的権利の中で大きな位置を占めるのは、著作者がその著作物の同一性を維持するという権利である。これを根拠として、著作物の改変は禁止される。またそもそも著作者の意に沿わない著作物の公表も著作者人格権の侵害である。この著作者人格権は明確に人権の一種であり、著作者本人から切り離せない。ドイツなどでは、この著作(者)権の体系が中核となっている。

 財産的権利の部分は、主に複製権(copyright)として発達してきた部分である。英米法の国々では、伝統的に著作権というのはこの財産的権利を指す。財産権であるため、著作物が譲渡され流通していく過程で、この複製権も流通していく。

 著作権法は、民事法と刑事法の両方の側面を持っている。つまり著作権侵害は、当事者同士の民事的な財産処分だけでなく、犯罪として刑罰の対象にもなるのである。著作権を侵害してはならないのと同時に、著作権に対する正確な理解なしにそれを安易に振り回すことも厳に慎まなければならない。

 さて著作物として保護されるためには「創作性」があり、何らかの形で「表現」されていなければならない。表現以前のアイデア自体には著作物としての保護は及ばない(アイデアを保護するのは特許法の文脈である)。有名な例では料理のレシピなどがある。レシピはあくまでもアイデアであって、それ自体は表現ではない(真の表現は料理そのものとなる)から著作物ではない。プログラム言語やプロトコルなど、表現の手段にすぎないものも著作物とはみなされない。その意味で、インターネットで流通するHTMLやXMLなどのマーキング手法なども、文書に記載されてはいても一介の表現手段でしかなく著作物ではない。なお、表現されるという点では、例えば作品の上演の場合のように、媒体に固定されていない場合でも著作物となる(これに対してたとえば米国の著作権法では媒体への固定が著作物であることの要件となっている)。なお法令や通達、判決文などは保護対象とならないし、国や地方公共団体が制作する場合は、それらのデータベースにも著作物性はない。

 実は、データベースの著作物性については、もう少し複雑である。たとえば電話帳。データそのものには著作物性はないと言えるが、電話帳のコピーを勝手に作成されることを著作権法上で禁じることができるか。ここでのポイントは「創作性」であるとされている。データの配列やインデックス等にオリジナリティがあるかどうかが判断される。日本の著作権法は1986年改正によりデータベースを正式に著作物の一つとして明文化した。

 なお文字のフォントや活字書体なども、著作物であるかどうかが問われる部分である。一般に書体は著作権保護の対象とは考えられてこなかった。しかしその書体の創出に十分「創作性」が認められれば著作物として認められる余地がある。(なお、不正競争防止法上の商品としては認めるという判例がある。)

 少なくとも日本では著作権は著作物が生じたときから存在し、特別の登録などの手続はそれが認められるための要件ではない。ただし、これは各国で状況が異なる。登録ないし権利を主張することが要件となっている国もある。

 マルチメディアが脚光を浴びるようになって、著作権法はあらたなフェーズ(段階)にはいった。その要点を指摘すれば次のようになる。

- コピー技術の進歩により創作表現の手段が多様化した。そのため、一つの著作物を作るのに多くの人々の利害が関係するようになった。これら諸関係者間の利害調整が複雑化している。

- コピー技術の進歩が、従来は大きな違いだったオリジナルと複製物との境目をなくしつつある。ディジタル技術などはその典型である。またそうした技術が広く普及したため、複製の作成が誰にでも可能になった。ここで、従来は著作権に関連するビジネスのみを相手に考えられていた枠組みが崩れ、一般人の間の慣行や倫理も無視し得なくなった。さらに、ディジタル技術の利用は、著作物を改変する行為も容易にした。そして、そうした「パスティッシュ」や「パロディ」といった手法も社会的に認知されるようになってきた。こうした状況が、オリジナルへの保護を絶対視してきた伝統的な考え方に変化を迫っている。

- インターネットの普及により、こうした権利関係の錯綜が、世界的規模で同時多発的に起きるようになった。一国内の法制度では対処し得ないため、旧来のベルヌ条約だけでなく、WIPO(世界知的所有権機関)やその他の国際基準が次々と登場している。たとえば米国のようにベルヌ条約の流れに沿わず、他の基準によって国際化を図ろうとする国もあり、状況は複雑である。しかしいずれにしろ、個別の事態への対処は国内法で処理されるため、多国間の法制度が絡み合った複雑な状況が生まれつつある。

 著作権法の枠の中だけで考える限り、マルチメディアは特別に扱わなければ処理できないような事態ではない。単に権利が錯綜して複雑化しているにすぎない。また、技術的な発達も、それが個人のコンピュータの中で閉じている限りは、さほどの問題を生じない。だが、ネットワーク技術の進展とインターネットの普及により、誰でも情報を世界規模で発信することができるような状況が生まれた。そうなるとインターネットなどのネットワーク上での情報の配布を、著作権法上どう扱われるべきかが問題となってくる。1996年のWIPO著作権条約等は、こうしたネットワーク化への対応を正面に打ち出し、インタラクティブ通信を著作権規制の対象に入れ、将来的に放送との融合を図るなどの新しい方向性を示している。

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  6. インターネットの表現の自由
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  8. 暗号法制とエレクトロニック・コマース
  9. サイバースペースの権利

福富忠和さんとの共著「文化としてのマルチメディア論」(1998年)第6章。同年の聖マリアンナ医科大学のマルチメディア特別講座教材(非売品)。

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