ルポ・憲法調査会は沖縄で何を調査したか


 さる4月22日、衆議院憲法調査会は、沖縄県名護市で第4回目の地方公聴会を開催した。以下では、神戸、名古屋での地方公聴会のルポにならって、当日の模様を可能な限り忠実に紹介し、沖縄県在住者としての責任を果たしたいと思う。
 マスコミでは、事前の扱いは小さかったものの、当日および翌日のテレビ、新聞等ではかなり大きく報道された。23日付の沖縄タイムス、琉球新報、両紙ともに1面トップで大きく報じたのみならず、2面、3面、社会面等でも公述人の発言要旨や関連記事を載せていた。以下のルポは、当日のメモと記憶に基づいて、県内2紙の記事を参考にしながらまとめたが、正確さに欠ける点があろうかと思われる。お許しを願うとともに、今後の参考になれば幸いである。

 地方公聴会の会場は、名護市の万国津梁館(ばんこくしんりょうかん)。2年前に「先進国首脳会議」(サミット)が開催された場所である。事前に予約しなければならない一般傍聴券は、約100人分とのことであったが、当日は空席が目立った。これは傍聴人もしくは参加者が少なかったということではなく、まだ十分収容可能だった、という意味である。一般傍聴とは別枠扱いの国会議員、国会議会議員秘書等の集まりが意外に少なかったせいかもしれない。
 開会は午後1時。ほぼ定刻通りに、議長席に中山太郎会長が着席した。中山会長は、開会挨拶を兼ねて、沖縄で地方公聴会を開くことになった経緯について説明した。それによれば、制憲議会議員の選挙の際、沖縄県民には選挙権がなかったこと、行政分離覚書に基づく米軍支配下で沖縄には日本国憲法が適用されていなかったこと、内閣に設置された憲法調査会の公聴会が沖縄では開催されなかったこと、復帰30周年を迎える今日においてもなお米軍基地の重圧の下におかれていることなどから、とくに沖縄の声を聞く必要がある、ということであった。その後、6人の公述人が、約15分ずつ陳述した(陳述終了5分前と終了時にブザーが鳴る)。このうち4人が護憲の立場、2人が改憲の立場であった。これまでの地方公聴会では、それぞれ半数ずつ選ばれていたようだが、今回、このような分かれ方(?)をしたのは、公述人に選ばれた垣花氏もしくは稲福氏のいずれかが、護憲派か改憲派か、事前に提出した発言要旨のみではその立場が判然としなかったからではないかと思われる(なお、これは筆者の勝手な想像である、念のため)。

1.山内徳信[やまうち・とくしん](平和憲法・地方自治問題研究所主宰、元読谷村長)
 悲惨な太平洋戦争の後に制定された平和憲法は、平和を願う日本国民の総意であり、日本でただ一つ世界に誇れるものだ。中でも憲法9条は国民の命そのものであり、戦後の復興の基盤となっただけではなく、21世紀の人類の針路を示している。戦後、アジア諸国が日本を信用してきたのは、戦争放棄を定めた平和憲法への信頼だ。これを改悪すれば、アジア諸国から猛烈な反発を招き、日本は再び自滅の道を歩むことになる。沖縄戦の極限状態や、米軍統治下の無憲法状態を生きてきた者として提案したい。日本が憲法9条を堅持し、平和国家創造の決意を固めるとともに、国際会議を開いて9条を世界各国の憲法に取り入れるよう働きかけたらどうか。これは、人類初の被爆国である日本にしかできないことだ。9条は時代遅れなのではなく、これを実現する好機が到来している。
 小泉政権の本質はファシズムだ。有事法制整備の動きは憲法そのものを無視し、戦争体制を準備することだ。しかし、軍隊は国民を守らないということが沖縄戦の教訓だ。
(陳述終了後、共感の拍手がわいたが、中山会長は「拍手はおやめ下さい」と制止した)

2.新垣勉[あらかき・つとむ](弁護士)
 改憲論者はさまざまな理由をあげているが、「改憲」の最大の目的が憲法9条の「改正」であり、平和主義の否定であることは明らかだ。非武装平和主義の原点は、太平洋戦争でたくさんの血を流して得た教訓、すなわち「個人の尊厳」だ。これをいかに守るかが平和憲法の精神であり、9条の神髄でもある。沖縄戦の経験から、いざ戦争となると軍隊は決して住民の命を守らないことが明らかとなり、「命どぅ宝」という思想が生まれ定着してきた。国家の利益と個人の尊厳が衝突する場合、個人の尊厳こそ最も大切なものだ。軍事力で個人の生命や財産、安全を守ることはできない。軍事力によらずに市民生活の安全を確保する道こそが、日本国憲法が選び取った非武装平和主義だ。最近あらためて有事法制が議論されている。これをすすめている人たちは、「備えあれば憂いなし」というけれども、日本が世界に率先して平和外交を展開し、非武装、平和主義を唱えることによって、武力紛争が起こらないようにすることこそが最大の備えだ。沖縄の民衆は、復帰運動を通じて平和憲法を勝ち取ってきたのであり、いまの憲法が押しつけだというのは沖縄では通じない議論だ。

3.恵隆之介[めぐみ・りゅうのすけ](ビジネススクール校長)
 憲法9条を改正して憲法に自衛権の保持を明記すべきだ。いまの憲法の下では、不測の事態が発生した場合、自国民である在留邦人を保護救出する権利さえも行使できない。国家存亡の危機の際にも、現行の法制では対応できない。有事法制の話になると国民の私権制限が問題だといわれるが、国家有事の際に私権を制限するのは当然であり、国際的常識だ。わが国と同様に、第二次大戦で敗北したドイツは、主権を回復すると同時に憲法を改正し、国防軍を設立した。PKF 活動などにも積極的に参加している。日本の国民には、片務的日米安保条約に守られてきた甘えがある。国際的には戦争も外交手段の一つとされているのに、わが国は9条で交戦権を否定しており、これでは国家の独立と平和は維持できない。沖縄では平和という言葉を聞かない日はないが、沖縄戦や米軍基地に由来する被害者意識が強すぎる。憲法9条を改正し、わが国の主権と独立を維持するために交戦権、戦力を有することや、集団的自衛権を行使できることを明記すべきだ。
(この陳述の際、時折ヤジと怒号が飛び交い騒然となったため、聞き取りにくいところが随所にあった)

4.垣花豊順[かきのはな・ほうじゅん](沖縄国際大学法学部教授)
 明治憲法は神聖不可侵の天皇、天皇主権を核にしていたが、日本国憲法は個人の尊厳を核とした国民主権に変わった。日本国憲法制定の過程で、当時の日本の指導者たちは「個人の尊厳」を13条や24条に規定することに反対した。この歴史的事実をふまえて、「個人の尊厳」を徹底、普及し、その内容を深化させることが今後の日本の課題だ。いまの憲法と教育基本法が日本を弱体化させたという人もいるが、これは事実に反する。いまの憲法と教育基本法のおかげで日本は経済的に復興したし、国民は自由を享受し、国外に逃げ出す人もいない。「個人の尊厳」は、自己本位の「わがまま」や「利己主義」とは明らかにちがう。「個人の尊厳」は、一人ひとりを人格者として認め合って、真に国民主権を実現するものだ。歴代総理や政府高官が、憲法や教育基本法を国民に浸透させるために、どれだけ努力してきたかが問題だ。「個人の尊厳」の内容を、いかに深化させることができるかが今後の課題だ。

5.稲福絵梨香[いなふく・えりか](大学生)
 高校時代のボランティア活動を通して、さまざまなことを学んだ。自ら学ぶ意欲をもって、自発的に取り組んだからこそ成長できたと思う。戦前は学ぶことが義務だったことを後で知ったが、いま学ぶことは憲法で保障された権利だ。奉仕活動が義務化されるなら、ボランティア活動が歪められるのではないか。ハンセン病回復者や戦後史を研究している先生の話を聞いて、いまの憲法が障害者や女性、子どもなど、弱い立場の人たちの権利を守り広げることにどれだけ重要な役割を果たしてきたかを知った。沖縄の米軍基地は、その多くが銃剣とブルドーザーによって強制的につくられたが、沖縄の人にとっては、いまの憲法が復帰運動に取り組むエネルギーとなり、支えとなった。いまの憲法は、かつての軍国主義政策を反省し、二度と過ちを犯さないように戦争放棄をうたったのだと思う。この憲法の下で、「共生的」な関係をつくることによってお互いに支え合い、弱い立場の人たちの権利も十分実現できる。いまの憲法の精神を大事にすべきだ。

6.安次富修[あしとみ・おさむ](自民県議)
 憲法前文の恒久平和の理念や9条の戦争放棄、さまざまな人権問題などは、沖縄にその縮図がある。未だに広大な米軍基地が存在しており、地位協定の改定や基地の整理縮小は県民の総意だ。だが、いまの厳しい国際情勢の中で、在沖米軍の存在が日本や東アジア、太平洋地域の平和の維持に寄与していることも現実だ。9条は世界平和と戦争放棄に向かう未来の理念だが、世界の諸国はこの高い理想を実現するレベルに達していないし、地域紛争が絶えない。この国際社会の中での日本の役割を考えるなら、自衛のための必要最小限度の武力行使ができる自衛力を保持すべきであり、これを憲法に明記すべきだ。ただし、自衛力の行使を国民が直接コントロールする仕組みをつくることが不可欠だ。有事法制の議論は、県民にとっても切実だが、人間の安全保障を確立するためにも、コントロールの仕組みなどを視野に入れながら、しっかり議論すべきだ。また、憲法の中で地方自治の規定をもっと充実させ、地方の時代にふさわしいあり方にすべきだ。

 以上の意見陳述終了後、休憩なしに派遣委員8人による公述人に対する質疑応答に移った(各委員の持ち時間は15分)。ところが、最初に中山会長が質問しようとすると、突然、一般傍聴席にいた若者が「傍聴者にも発言させろ。ほかの会場でも傍聴者の発言を認めたじゃないか」などと騒ぎだし、これに同調するものが数名いた。これに対して中山会長は、傍聴規則などを根拠に「議長の許可のない発言は控えてください。」と制止しようとしたが、騒ぎが収まらないため、「指示に従わない場合には退場を命じます。」と繰り返し、結局、会場を警備していた係員に若者を退場させた(その後、公聴会終了時までに同様の経緯で計5人が退場させられた)。主な質疑応答は以下の通り。
 中山会長は、公述人全員に対して「日本の安全保障のあり方についてどう思うか」と質問した。これに対して、次のような回答があった。山内「平和憲法の理念を積み重ねていくことが大事であり、武力による平和はありえない。」/新垣「諸国間の信頼関係を築くことが大事だ。9条は理念ではなく守るべき規範だ。憲法を守らない政府を、国民、諸外国は信用しない。」/恵「不審船事件をみてもわかるように、国家として交戦権をもって、不正に対してはその場で対応する必要がある。」/稲福「軍事力で国を守るという考え方は間違っていると思う。戦争放棄、平和主義の理念をもっと他の国にも広げるべきだ。」
 久間章生委員(自民)は「自衛隊の存在をどう思うか」と尋ねたが、山内氏は「自衛隊を福祉貢献隊とレスキュー隊に改編してはどうか。21世紀に新たな基地をつくるのは時代錯誤だ。」と答えた。次に久間委員は、「国連の一員として活動するには現行憲法で十分か」と尋ね、恵氏が「現行憲法ではPKF に参加できない。大人の国として国際平和に貢献するためにも、集団的自衛権を憲法に明記すべきだ」と答え、安次富氏が「自衛隊はすでに市民権を得ている。国際貢献できるように憲法を改正すべきだ」と答えた。
 島聡委員(民主)は、稲福氏に対して「環境権などを明記するための憲法改正についてどう思うか」と尋ねたが、稲福氏は「新しい権利といわれるものは判決などで認められてきたという。憲法を改正する必要はないと思う。」と答えた。
 赤松正雄委員(公明)は、「災害の際などでは自衛隊の役割は大きいと思うがどうか」と尋ねたが、新垣氏は「自然災害に備えた日常的な組織を整備してこなかった政治の責任が大きい。この点を抜きにして、安易に自衛隊に頼るのは間違っている」と答えた。
 春名真章委員(共産)は「地位協定の見直しが必要だと思うがポイントは何か」と尋ね、安次富氏が「凶悪犯罪の容疑者の速やかな身柄引き渡しなどであり、県政の最重要課題として政府に見直しをお願いしている」と答えた。次に春名委員は有事法制についての意見を求め、新垣氏が「問題の法案は、戦争に備えて一切の権利を包括的に政府に委ねるものであり、あいまいな要件で自由や人権を制限する仕組みになっている。」と答えた。
 金子哲夫委員(社民)もまた有事法制について尋ね、山内氏が「有事法制ができると憲法上の人権が否定される。沖縄では、戦時下に接収された旧軍飛行場用地問題が未だに解決していない」と答え、安次富氏が「有事法制は自衛隊と米軍が共同歩調をとり、国民や県民に被害を及ぼさないための法整備だと思う」と答えた。
 以上の質疑応答に続いて、傍聴席からの意見聴取が行われ、以下のような発言があった。芳澤弘明氏(弁護士)「コスタリカでは憲法で常備軍の廃止を定めている。これは世界的にも評価が高い。」 我那覇隆裕氏(会社員?)「こんな欠陥憲法を放置してきたこと自体、怠慢だ。9条を改正して自衛権を明記すべきだということがはっきりした。」 伊波宏俊氏(元教員)「戦時国家の再現はごめんだ。いまの憲法は十分に生かされていない。これをどう生かすかを、まずまじめに議論していただきたい。」 仲本和男氏(元教員)「有事法制には絶対反対だ。」 崎原盛秀氏(農業、元教員)「沖縄はいまでも有事法制下にあるのと同じだ。平和と安全、民主主義を実現することが政治の責任だ。」 野澤明希子(学生?)「こんなやり方はおかしい。憲法改悪には絶対反対だ。」 以上、一部を除いて誰を指名してもほぼ同様の意見が相次いだと思われる。ちなみに、中山会長は、公聴会終了後の記者会見で、疲れ切った様子で「きわめて厳しい意見が相次いだが、沖縄の悲しい歴史が言葉になって出たのだろう。」と語ったという。
 この後、名護市労働福祉センターで「守ろう平和憲法・公聴会報告集会」(主催・沖縄平和運動センター、統一連)が開かれ、約150人が参加した。これには公述人の山内徳信、新垣勉両氏も参加して改憲論者、政治家などを厳しく批判したほか、憲法調査会の春名真章(共産)、金子哲夫(社民)両委員も駆けつけ、改憲派の動きや有事法制案の問題点などについて報告した。

 なお、参考までに、琉球新報の求めに応じて寄せた傍聴記は以下の通りです。

傍聴記(琉球新報4月23日付朝刊)

 二十二日、衆議院憲法調査会は、名護市の万国津梁館で公聴会を開催した。地方公聴会は、仙台、神戸、名古屋に続いて四回目となる。憲法をめぐる諸問題について、国民の意見を広く聞くことがその目的であろうが、果たしてそれにふさわしいものだっただろうか。
 まず、開催に至る経緯そのものから問題の多いものであった。たとえば、過去の地方公聴会で繰り返し異議が唱えられていたにもかかわらず、今回もまた平日の午後に開催された。これではまじめに国民の声を広く聞く気があるのか、疑わしいというほかはない。公述人や傍聴人の募集の仕方についてもそうである。三月二十日付で開催要項が公表されたものの、これを周知徹底させようとした形跡はあまりみられない。しかも、いずれの応募締め切りも四月八日必着であり、時間的余裕が十分であったとはいいがたい。公述人の応募がEメールでも認められたことだけが目新しかったにすぎない。
 今回のテーマは、「二十一世紀の日本と憲法」であった。中山会長の挨拶に続いて、山内徳信元読谷村長をはじめとする六人の公述人が、約十五分ずつ陳述した。一部の公述人は、これまでの「改憲論」に沿って、憲法九条の「改正」や最近あらためて急浮上している有事法制の整備などを唱えていたが、これが大勢を占めていたわけではない。むしろ沖縄戦の経験やいまだに解決されていない基地問題等をふまえながら、日本国憲法が掲げている平和主義の重要性を強調する発言が有力であった。たとえば、九条は国民の命そのものであり、世界の憲法の頂点にあって二十一世紀の人類の針路を指し示している、個人の尊厳を守ることが非武装平和主義の原点であり、軍事力では国民の生命や安全、財産は守れない、憲法の平和主義を生かした平和外交こそが最大の備えである、などの主張である。
 これに続く質疑応答は、憲法調査会の活動の最終的な目的が「改憲」、特に九条の「改正」にあることをよく示していた。それは、冒頭に中山会長が公述人全員に、「日本の安全保障についてどう思うか」と尋ねたことに端的にあらわれている。これに対しては、武力による平和はありえないのであり、平和憲法の理念を積み重ねることで諸国間の信頼関係を築くことこそが重要である、などの回答が相次いだのである。その後、一部の委員と「改憲」を唱える陳述人との間で妙に呼吸(いき)のあったやりとりがあったものの、いわゆる「国際貢献」論などの繰り返しが多く、さほど説得力があるとは思えなかった。
 全体としてみれば、「改憲」を目指した活動の一環として、国民の声を広く聞いた形を整える、という「アリバイ」づくりの印象がきわめて強い。この流れが続く限り、日本は「いつか来た道」を再び歩むことになるだろう。果たしてこれでいいのか、国民一人ひとりに重い問いがのしかかっている。

井端正幸(沖縄国際大学)

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