自民党の改憲案策定の動向

植松健一(島根大学)

 

1 自民党の改憲案策定をめぐる最近の動向

 自由民主党は、2005年11月の結党50年に向けて改憲案起草作業を進めている。小泉純一郎総裁を本部長とする新憲法制定推進本部の下におかれた起草委員会(委員長・森喜朗前副総裁)は、05年1月24日に初会合を開いている。今後のスケジュールとしては、前文、天皇、安全保障など項目別に10の小委員会を設け、4月末に委員長試案をまとめる方針だという。
これまで、自民党の改憲作業は、政務調査会憲法調査会に設けられた憲法改正プロジェクトチーム(PT)を舞台として進められてきた。2003年7月に「安全保障についての要綱案」、04年6月に「論点整理」を公表し、これらを受けて同年11月には事務局案として「憲法草案大綱(たたき台)」(以下、草案大綱と略す)をまとめた。
 しかしながら、これに草案大綱に対するリアクションは、改憲派メディアにおいてすらさほど大きいものではなかったようである。産経新聞は「国柄」の明記などを妥当としながらも、女帝容認については懐疑的であり、この点を「生煮え」と評した(04年11月19日社説)。読売新聞は、自社改憲案との共通性を指摘しながらも、「一つのたたき台」という評価にとどめ(11月18日社説)、道州制や参院改編の点でやはり「生煮え」と述べている(11月17日2面記事)。他方、毎日新聞は、歴史、伝統、文化にこだわる草案大綱の姿勢を「時代遅れの論法」と断じ、「国民の心をとらえたとは思えない」と完全に否定的な評価を下している(11月21日社説)。また、その他、韓国では、超党派の国会議員70名が「日本は21世紀、帝国主義復活の夢を見るのか」という声明を出し、草案大綱がねらう軍事大国化の動きを批判している。
 むしろ草案大綱は、参議院の権限縮小を盛り込んだ点に参院自民党が猛反発するなど、他ならぬ党内からの批判にも遭遇する。しかも、中谷元・憲法改正起草委員会(当時)座長の求めに応じて現役の陸自幕僚幹部が改憲案を策定・提出した事実も発覚し、結局草案は「お蔵入り」の運命をたどることになった経緯は記憶に新しい。2005年1月の党大会で予定していた草案大綱の正式発表も先送りされ、新憲法制定推進本部の下で挙党体制による「仕切り直し」をはかることになったわけである。かくして、新憲法起草委員会の各小委員会の委員長や委員長代理には、中曽根康弘(前文)、安倍晋三(同代理)、宮沢喜一(天皇制)、橋本龍太郎(同代理)、福田康夫(安全保障・非常事態)、綿貫民輔(国会)など、党の実力者が顔をそろえることになった。
 もっとも、起草委員会での検討作業は、草案大綱とこれまでのPTの論議をベースになると考えられており、草案大綱は完全に葬られたわけではなく、むしろ部分的修正を伴いながらも、委員長試案に反映されることが予想される。そこで、以下、PTから草案大綱までの自民党の改憲論議について見ていくことにしたい。

2 「品欠く」議論の末の「品格ある国家」づくり?〜PTから「論点整理」へ

 PTは03年12月から04年6月まで計19回の会合を持ってきた(この議論の要旨は自民党の公式サイト(http://www.jimin.jp/)で読むことができる)。そこでは、「十七条憲法」から信長の楽市楽座、「五箇条の御誓文」まで持ち出して日本の伝統や文化を強調する議論(第3回会合・平井卓也衆院議員、谷川弥一衆院議員)、立憲君主制を目指すべきだという議論(第12回会合・大前繁雄衆院議員)、権利ばかりで義務規定がないゆえに人心が荒廃したと断ずる議論(第9回会合・森岡正宏衆院議員)、「国民は実は自由を求めているようでいながら自由を放棄したがっている」と支配者意識むきだしの議論(第9回会合・伊藤信太郎衆院議員)、支配を国民の精神的支柱としての皇室の重要性を強調する議論(第9回会合・平井卓也衆院議員ほか)情操教育としての神道教育の見直しを説く議論(第9回会合・奥野信亮衆院議員)、地域社会・家族の重要性を説き「よい家族をつくる義務」の明記を主張する議論(第6回桜井新参院議員、第9回会合・西川京子衆院議員ほか)、徴兵制までを視野に入れた青少年の奉仕活動の義務を設けよという議論(第9回・森岡正宏衆院議員)など、極めて復古的・権威的な主張が飛び交っていた(もちろん、現行憲法の基本原理である平和主義や基本的人権尊重の意義を認める見解もないことはないが)。また、統治機構の分野では、迅速な政治的意思決定の推進が主張され、あるいは、内閣法制局の憲法解釈(具体的には憲法上、集団的自衛権を行使できないとする法制局の解釈が念頭におかれている)に対する憎悪ともいえる批判が飛び交った。
 こうした議論を受けて、6月の「論点整理」は、新憲法の国家像を「国民誰もが誇りにし、国際社会から尊敬される『品格ある国家』」と位置づけた上で、歴史・伝統・文化を踏まえた「国柄」の明示、「国を守り、発展させ、次世代に受け継ぐ」という意味での憲法の「継続性」の明記、「行き過ぎた利己主義的風潮を戒める」という観点からの基本的人権規定の見直し、家族・共同体重視の観点からの憲法24条(婚姻・家族生活における両性の平等)の見直し、「社会連帯・共助」の観点からの社会権規定の再構成などを憲法草案に盛り込むことを提言したのである。

3 「共生」という名の「強制」?〜草案大綱〜

 草案大綱は、少なくともPTの議論や「論点整理」に比べると、読んだ者にソフトな印象を与えるのではないか。だとすれば、国民の反発が予想される復古的・権威的イメージの払拭に腐心した草案大綱のねらいが成功したことになる。これは、改憲実現のために公明党、さらには野党民主党との合意形成を重視した党憲法調査会の姿勢の表れでもある。例えば、現行憲法の基本三原理(国民主権、基本的人権の尊重、平和主義)を「発展維持」する姿勢を確認し、非核三原則を明記し、徴兵制を禁止し、党内には異論も根強い女帝容認まで盛り込もうとしている。また、文言上も、国防や憲法尊重擁護の国民の「義務」を「責務」と置き換え、「公共の福祉」を「公共の価値」と置き換え「家庭の保護」規定でも戦前の家制度をイメージさせる「家族」という言葉を避けるといった配慮ぶりである(もちろん、内容的には変わるところがないのであるが)。「共生」、「国家と地域社会・国民の協働」といった言葉の多用も、国民の憲法尊重「責務」規定導入に対する「国民が国家権力に課す制約規範という近代憲法の基本を破るものだ」という批判を曖昧にする意図がある。
 このような復古色の希薄化は(もちろん、日本固有の「国柄」へのこだわり、政教分離原則の緩和、「国家の安全」を理由とする基本的人権制約、「郷土と国を愛」する心を教育の基本理念に置く等々、ソフトな外皮の下の復古的・権威的要素も無視できないが)、単なるカモフラージュや政党間妥協の手段というだけではなく、この草案大綱が、新自由主義的国家改編とそれに連動した軍事大国化を目指すという方向にその力点を置いていることの証左でもある(事実、草案大綱は新自由主義的改憲論の典型である読売改憲試案を大幅に参考にしている)。すなわち、草案大綱は、一方では、軍事大国化(有事法制や海外派兵立法)と新自由主義的国家改編(内閣機能強化、司法制度改編、社会保障改悪など)のラインで推進されてきた違憲の疑いの強い諸立法の事後的な追認と、他方では、同じく憲法と鋭く対立する諸政策の先取り的な正当化(米軍とのより積極的な共同行動、道州制、教育基本法改悪など)を重要な目的としているのである。この点が最も典型的に表れているのは、草案大綱が、「教育の基本理念」、「家庭の保護」、「環境保全の責務」などの規定を「プログラム規定」と位置づけ、狭義の基本権規定と区別した上で、憲法25条が保障する生存権もこの「プラグラム規定」に編入する方向を提案している点である。これは、現在の学説上は支持の少ない生存権=プログラム規定説という生存権の権利性を否定する解釈を再生させ、新自由主義政策の一環としての社会保障の切捨てを憲法上正当化するものにほかならない。人権規定に「企業活動の自由」を追加しようとしている点などにも、草案大綱のねらいが表れている。
 統治機構領域においては新自由主義的諸政策遂行のための「迅速な政治的意思決定と執行」という観点からの制度設計が図られている。内閣総理大臣のリーダーシップの明示、国会における議事定足数の削除、参議院の改編(公選制を廃し、道州議会選出議員と推薦議員から構成され、かつ、その権限も衆議院との関係で大幅に縮小され、さらに閣僚兼任も禁止される)などは、この文脈で理解することができる。さらに、違憲審査制の活性化などを理由に導入される憲法裁判所も、実際には、政府の推進する諸政策・諸立法に「迅速に」合憲のお墨付きを与えることが期待されていると考えるのが妥当である。実際、草案大綱では、憲法裁判所に対する個人の提訴(「憲法訴願」、「憲法異議」と呼ばれるドイツの憲法裁判所などが採用している制度)を認めていない。
 安全保障の分野では、集団的自衛権の行使容認、自衛軍保持、軍事法廷の設置、国家緊急事態規定の挿入など、これまでの自民党の主張が堅持されている。武力行使の禁止と武力の不保持を徹底してきた現9条は、自衛軍による「武力行使の禁止の謙抑性」の原則に格下げされ、さらに、「安全の維持及び回復」を含む国際活動への積極的参加というかたちで、海外派兵を可能にする道もしっかりと用意されている(なお、法律用語として馴染みのない「謙抑性」とは、ある国語辞書によれば「へりくだって自分をおさえること」と定義されている[新潮国語辞典]。軍事行使の抑制原理としては、唯一、米国に「へりくだる」場合のみが想定されていると読むのは、穿った見方すぎるだろうか?)。
 そもそも、この草案大綱には「『己(おのれ)も他もしあわせ』になるための『共生憲法』を目指して」という、自己啓発セミナーのごとき副題から始まって、「共生」という言葉が繰り返し登場する(副題、本文、注記を合わせて12箇所)。この「共生」という理念は、国民どうしの共生、国民・家族・地域・国家の共生、国家どうしの共生、と拡大され、さらに「人間と自然の共生」にまで至るしくみになっている。
 「人類の生存に不可欠な環境保全のためには、国民・国・自治体が一丸となって対処に当たるべきだ」と言うのは一見もっともの主張であるが、このようなかたちで憲法は、「国民の人権保障のために国家機関を縛るルール」という側面が薄められてゆく(草案大綱は憲法を「国民・地域社会・国民が協働し共生するためのルールの束」と読替えている)。しかも、草案大綱は、前述のようなかたちで変容された「平和主義の原理」を、軍事の側面にとどまらない、「環境保全主義」を含む理念と拡大して理解しているから、「環境保全につとめる責務」と「国防の責務」は実はパラレルとなっているのである。こうして、「共生」や「協働」という概念は、戦争への国民の自発的協力を支える理念に用いられていくのであろう。草案大綱の描く「共生」社会とは、社会の中の様々な意味での少数派もその異質性を抱えたまま共存できるような社会ではなく、個々人の生き方が「国柄」に適合することを強要され、「品格ある国家」を自発的に支えていくことが求められる「強制」社会なのではないかと疑わずにはいられない(草案大綱が本当に「共生」を真面目に考えるのであれば、例えば、永住外国人の地方参政権付与など連立与党内にも実現を求める声のある問題に踏み込んでよいはずだが、外国人の人権については「性質上可能な限り」という最高裁判例の線にとどまっている)。
                     <以上>

<PTの議論や草案大綱については以下の文献も参照>
斎藤貴男『安心のファシズム』(岩波新書)の第3章
塚田哲之「自民党『論点整理』を検証する」(『月刊憲法運動』333号)
西原博史「〈国家を縛るルール〉から〈国民支配のための道具〉へ?」(『現代思想』32巻12号)
薬師寺克行「自民党は『極右政党』になるのですか」(『世界』731号)
豊秀一「改憲論のいまを読む(『もしも憲法9条が変えられてしまったら』(岩波書店)
渡辺治「『自民党・憲法改正草案大綱は何を狙うか』(『前衛』78巻1号)
『インパクション』144号特集「自由・平等・憲法―自民党の憲法調査会論点整理をどう読むか」
『週刊金曜日』531号特集「わすれていませんか24条の価値」

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