はじめに
今年(2002年)6月に発行された外務省の2001年版『政府開発援助(ODA)白書』によれば、ODAによる平和構築の例として、アフガニスタンへの今後の積極的な貢献をあげている。しかし、そこには日本がほんのわずかばかりの災害緊急援助や99年以降の草の根無償援助を除き、大量の難民が発生しても79年以降20年間アフガニスタンを無視してきた事実にはなんら触れていない。「アフガニスタンは、世界の国々の干渉にそれほど苦しめられたわけではない。その無関心に苦しんだのだ」(モフセン・アフマルバフ、映画『カンダハール』の監督)との指摘はどこ吹く風という感じだ。
この2000年の実績を報告する2001年版『ODA白書』を見れば、日本のODAが91年以来10年連続世界一となったことがわかる(2001年はアメリカに次いで第2位)。このODAに対して、「貧しい人を助けるための援助」「経済大国・国際国家日本として当然の責務」「平和憲法の下での望ましい非軍事的貢献」などの肯定的なイメージもあるだろう。一方、「ムネオ疑惑」でODAの問題点の一部が明らかになり、また従来からODAによる被援助国政府の汚職・腐敗、援助を必要としている民衆に届かない・役立たない援助、日本商社・企業の商業主義、援助に伴う公害輸出・環境破壊に対する批判もある。
ところで、日本国憲法はその前文で全世界国民の平和的生存権を定め、平和主義は憲法の基本原理の一つとなった。従来、平和主義の問題は、政府の防衛政策との関係で論じられるものが中心であったが、実は憲法の平和主義に反する政府の行為はODAにも見られる。この点で学界においても、ODAを憲法の平和主義との関係で検討し直そうという問題提起がなされていることについては注目に値する。
本稿は、日本の行ってきたODAの実態を分析した上で、憲法の平和主義の立場からODAの問題点を指摘し、さらに法的統制論を試みるものである。
1 日本のODAの概略
日本のODAは貸付(円借款)と贈与(無償資金協力、技術協力)から成る二国間援助と、贈与、出資・拠出、貸付から成る多国間援助とから構成されている。そして予算としては、国の一般会計予算から成るODA一般会計予算と、一般会計予算、財政投融資資金、国債による振り込み、各省の特別会計予算から成るODA事業予算とから構成されている。
ここで2001年版『ODA白書』から、2000年の国際比較データを用いて日本のODAの特色を見てみたい。この年の日本のODAの総額は135.1億ドル(東欧向けを除く)にのぼり、10年連続世界一となった。しかし、対GNP比は0.28%で、国連の目標である0.7%に遠く及ばず、また経済協力開発機構(OECD)の開発援助委員会(DAC)加盟22か国中12位である。また、98/99年平均のODA全体に占める贈与比率は、DAC平均の80.6%に対して45.4%で22か国中最下位、金利や償還期間等を基に算出される援助条件の緩やかさの指標であるグラント・エレメントは、DAC平均94.2%に対して83.6%で、これも最下位となっている。二国間ODAのうちアジア向けのものが54.8%で、70年の98.2%、80年の70.5%と年々減少しているが、最近でも5割から6割の間で推移し、日本のアジア重視は変わっていない。内容的には経済インフラが31.7%、このうち特に運輸とエネルギーだけで28.7%に達する。それに対して、後発開発途上国49か国向けの援助は、98/99年平均でDAC平均29.3%に対して18.9%と低い。
以上、日本のODAの特色を簡単にまとめると、日本は経済力があるため額は世界トップクラスだが、援助の質は最低で(贈与比率及びグラント・エレメントの低さ)、本当に援助を必要としている地域より、開発型のアジアに対する投資が多いということである。
2 日本のODAの実態
日本のODAの基本的な特色がわかったところで、次に具体的に憲法の平和主義と抵触する事例を見ていきたい。
(1) イラン・イラク戦争、「湾岸戦争」と日本
90年のイラクによるクウェート侵攻後、イラクを軍事大国にしてきた米ソ中仏の責任が問われた。すなわち、80年から88年までのイラン・イラク戦争中、これらの国々はイラクに対して武器(技術)援助を行ってきたからである。それに対して日本は軍事援助を行うことはなかったが、実は戦争中もイラクに対するODAを供与し続け、83、85、86、87年にはイラクへの経済援助国の中で日本が額で第1位になっている。このことは、イラク政府が本来なら自国の財源から支出する活動資金を武器購入費に回せることを意味し、日本も戦争の終結を長引かせ、イラクの軍事大国化に加担したことになる。
同じことは「湾岸戦争」にも当てはまる。政府は90年9月に、「多国籍軍」への10億ドルの追加支援と共に、エジプト・トルコ・ヨルダンへのODA20億ドルの供与を決定した。この額は90年の日本のODA実績額(92.2億ドル)の2割以上も占め、大きい。エジプトとトルコは「多国籍軍」の一員として参戦しており、ヨルダンへの援助は当時の避難民輸送のための自衛隊機派遣問題との関連が指摘されている。日本は「湾岸戦争」に戦費支出・掃海艇の派遣以外にも、ODAにより戦争に加担していたのである。
(2) アメリカによる日本のODAの位置づけ―戦略援助としてのODA
日本のODAは、アメリカに対する誓約として行われてきたという側面がある。たとえば、81年の鈴木=レーガンの日米共同声明、84年の日米諮問委員会報告、89年の竹下=ブッシュの日米首脳会談において、日本の防衛力増強や日米安保体制の維持・強化などと共にODAの拡大がうたわれている。さらに、アメリカの1990/91会計年度国防予算歳出権限法にいたっては、その第913条「地球的規模の安全保障に対する日本の貢献」で、防衛費とODAの対GNP比をNATO諸国並へ増額すること、ODAをフィリピン及び世界の安定にとって重要な地域へ配分すること、ODA受取国の決定を安全保障上の協力国(すなわち、アメリカ)と協議することまで求めている。
このようなODAは以前から見られた。65年日韓基本条約締結以後の韓国への援助、70年代ベトナム戦争下のインドシナ3国への援助、在比米軍基地維持のためのフィリピンへの援助、ベトナムの強大化に対応するタイへの援助、ソ連のアフガニスタン侵攻後のパキスタンへの援助など枚挙にいとまがない。すなわち日本のODAは、アメリカにより軍事政策と並ぶ戦略援助として位置づけられ、活用されてきたといえる。
(3) 日本による日本のODAの位置づけ―総合安全保障としてのODA
さらにODAを日本の側から見るとどうなるだろうか。70年代以降、日本の民間企業の海外直接投資が急増する中で、海外に投資された資本に対して、投資環境の整備と投資権益の安定化、インフラの確立、カントリー・リスクの回避、政権の安定などの条件を付与するのがODAであった。また、73年の第1次オイル・ショック以降は、「経済安全保障」「資源外交」の観点から中近東へのODAが拡大され、79年の大平政権以降では、日本の経済大国化とアメリカの地位低下という状況の下で、「経済大国責任論」「国際責任論」が唱えられるようになる。ここに安全保障の問題を、軍事のみならず政治、経済、社会、文化の全てにわたって総合的観点から考える「総合安全保障論」が唱えられるようになった。総合安全保障イデオロギーは「『安全保障』=日本多国籍企業の権益保護の手段を、軍事力のみにかぎらず経済援助と二本立てにし」(渡辺治)たものといえる。
さらに、90年代に入ってからは、たとえば、91年の臨時行政改革推進審議会第1次答申でPKOとODAがセットで論じられ、第2次答申のODA大綱策定の要求を受け、実際に92年6月に「PKO法」とODA大綱が相次いで制定された。
(4) 実態論のまとめ
日本は有事の際には自衛隊・日米安保・PKOで、平時における政治・経済統合にはPKOとODAで対処しようとしているといえる。ODAそのものは経済援助だが、日米の軍事戦略に連動しているものであり、日米それぞれの立場から位置づけられていることに注意する必要がある。
3 ODAの憲法上の問題点
(1) 平和憲法下でのODA
憲法は平和の理念として、前文1段で「再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し」、戦争の「被害者」にも「加害者」にもならないことを明瞭にした。さらに2段の「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有する」という規定は、軍縮により侵略や戦争を防ぐ構想としての「恐怖からの自由」と、経済的協力・援助と貧富格差是正の主旨としての「欠乏からの自由」を意味すると考えられる。したがって、憲法の平和主義は、「戦争(暴力)のない状態(消極的平和)」のみならず、国内外の社会構造による貧困・飢餓・抑圧・疎外・差別などが存在する状態(構造的暴力)の解消をも目指す「積極的平和主義」の立場に立っているといえる。
実際の平和運動として、戦後(第2次世界大戦後)の反基地訴訟・平和運動の主要な柱は、「被害者にならないための闘い」であり、「殺されない権利」の主張にあったといえる。それに対して90年代戦後(「湾岸戦争」後)の市民平和訴訟や「PKO法」違憲訴訟は、「殺さない権利」に基づく「加害者にならないための闘い」といえる。「湾岸戦争」後の政府による「国際貢献論」に対抗する市民の側からの「加害者」にもならないという視点は、注目に値する。憲法の平和主義こそ「加害者」にもならないという視点があることをあらためて確認し、憲法の平和主義に沿ったODAを求めていく必要がある。
(2) 租税国家体制下でのODA
ODAは国民の租税も財源としているが、国家の財政収入のほとんどを租税に依存する租税国家体制の下では、憲法で規定する規範原則に従った納税の義務と租税の使用がある。福祉・平和の憲法である日本国憲法の下では、福祉・平和のための租税の使用を前提とした納税の義務があるはずである。また、憲法98条1項が憲法の最高規範性を定めている以上、租税以外の財政投融資資金などを財源としているODAについても、憲法の規範原則に沿うものでなくてはならない。国の財政が平和主義に基づいていなければならないという「財政平和主義」に適合的でなければならないのである。
したがって、財源が租税であろうと租税以外の資金であろうと、紛争当事国へのODAはもちろんのこと、軍事戦略と連動した戦略援助としてのODAも、憲法前文の平和主義及び98条1項に反すると考えられる。逆に憲法の立場から、人権の保障、環境保全、平和の追求など構造的暴力の解消を目指すODAが求められる。
4 ODAの法的統制論
それでは、ODAが憲法の平和主義に反する場合、法的に統制するにはどのような方法があるだろうか。以下、行政、国会、裁判の場における統制論を検討してみたい。
(1) 行政による統制
現在、ODA実施のための指針としてODA大綱があるが、憲法との関係が明示されておらず、ODAが大綱に反する場合についての言及もない。実施官庁による評価、会計検査院による検査も行われているが、いずれにしても行政による統制は効果・効率性の項目が中心で、そもそも法的拘束力がない点で不十分である。
(2) 国会による統制
国会では、衆議院外務委員会で78年4月5日、80年4月23日、81年3月30日に、参議院本会議で89年6月22日にODAに関する決議をあげているが、これらもそもそも法的拘束力がない点で不十分である。実際に、国会決議があっても、ODAの内容は政府内で決められてしまい、国会は予算の総額を審議できるにすぎない。これは、政府が第1に、ODAを予算の範囲内で行っていること、第2に、憲法73条2号が外交関係の処理を内閣の職務としていることを根拠にしているためである。
しかし、憲法83条の国会中心財政主義の規定以下、憲法の財政立憲主義の解釈から、予算法律説又は予算特殊法律説の立場をとることにより、国会によるODA一般会計予算の法的統制が可能となろう。また、ODA事業予算の財源の一つである財政投融資についても、財政投融資計画も決定していく過程は行政過程ではなく立法過程であり、財政を伴うものの計画とその実施は憲法83条でいう「国の財政処理」にほかならないのであるから、予算と同じような法理を適用し、国会の議決が必要である。
また、憲法は国際協調主義(憲法前文、9条、98条2項)の下、条約の最終的な締結承認権を国会に与えていること(憲法73条3号)から、国民主権の下での国民代表としての国会は外交全体に関する最終決定権を有すると考えられる(「外交国会中心主義」)。したがって、このような観点からODAに対する国会による統制が必要である。
その他、ODAに対する国会の統制としては、国政調査権の活用が考えられる。
(3) 裁判による統制
裁判による統制としては、違憲のODAに対して国民が平和的生存権及び納税者基本権を用いて訴訟を提起する方法も考えられる。
5 ODAの憲法政策論
4で検討した法的な統制方法は、残念ながら現状ではその実行可能性について厳しいものがある。現実にはODA基本法を制定して統制していくのが最も実効的であろう。今後、基本法を作成する際には、憲法理念(人権の尊重や平和主義)との関係、紛争当事国への援助の禁止、実施機関の一元化、国会との関係(計画の承認、実施状況の報告、常任委員会の設置など)、苦情申立制度の創設などを明示していく必要がある。
また、従来のODAの運用は政府に独占されていたため、ODAが国家の論理による戦略援助としても機能していたといえる。したがって、分権という観点から、決定手続と援助主体の分権化が望まれる。すなわち、どの国にどれだけどのような援助を行うかは、実情に詳しいNGOや相手国政府・NGOとの協議も踏まえて決定し、実際の援助もなるべくそれらの主体性に委ねるべきである。
具体的に今後の望まれるODAのあり方としては、以下のようなものになるだろうか。すなわち、日本の商社や企業が儲かるひも付き援助ではなく、贈与比率とグラント・エレメントを拡大し、なるべく受入国の主体性に任せること。開発主導の経済インフラを減らし、開発途上国の貧困軽減を目的とする保険・医療、衛生、教育、農業・農村開発などの基礎生活分野(BHN:Basic Human Needs)を対象とする援助を増やすこと。アジアの経済統合のための援助ではなく、特に東南アジアのような豊かなアジア諸国よりは、後発開発途上国への援助を増やすこと。経済的な結びつきから政治的な拘束力を生み出す二国間援助を減らし、多国間(特に国連機関を通じた)援助を拡大することなどである。
おわりに
2001年版『ODA白書』には、外務大臣の私的諮問機関である「第2次ODA改革懇談会」の最終報告も掲載されている。通常国会で成立した2002年度予算でODA予算が10%削減されたように、厳しい財政状況の中で今後のODAをどのようにしていくかを考えるために出されたものである。しかし、この最終報告の中には、「ODAを外交手段として有効に活用することは、日本の国益にとって今後とも引き続き重要」とか「戦略を持った重点的・効果的なODA(この考えに基づく『ODA戦略会議』の設置)」という言葉はあっても、本稿で検討してきた憲法に基づくODAの再考という視点はない。今後のあるべきODAについては、やはり憲法の観点から考え直す必要があるのではないだろうか。
(本稿は、憲法理論研究会編『国際化のなかの分権と統合〈憲法理論叢書6〉』敬文堂・1998年所収の拙稿を基に書き直したものである。)
清水雅彦(和光大学)
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