はじめに
レッドカードを持ったタレントの菊川怜がこちらを見つめている。彼女の右横には、「マナーから、ルールへ。」の文字が……。このようなポスターが今、千代田区にあふれている。二〇〇年一〇月一日から施行された「千代田区生活環境条例」(「安全で快適な千代田区の生活環境の整備に関する条例」)を知らせるためのものである。
条例の施行日に、早速、各紙夕刊がこれを報道した。「『すいません、吸えません』『路上禁煙』条例始まる」(朝日新聞)、「ポイ捨てや歩きたばこ禁止 千代田区で条例が施行」(毎日新聞)、「歩きたばこ“罰金”2万円 千代田区で条例施行」(読売新聞)、「路上喫煙NO! 見張り番出動」(東京新聞)。このような報道で、この条例は路上喫煙やポイ捨てを禁止するものと受け取めている人が多いし、この条例を歓迎する声まで上がっている。
しかし、この条例は路上喫煙・ポイ捨てを禁止するだけでなく、それ以外のさまざまな禁止事項があり、憲法上無視できない問題を数多くかかえている。そこで本稿では、この条例の問題点を以下検討することにしたい。
一 条例の内容
1 目的と義務規定
この条例は、「生活環境の悪化は、そこに住み、働き、集う人々の日常生活を荒廃させ、ひいては犯罪の多発、地域社会の衰退といった深刻な事態にまでつながりかねない」(前文)という意識に基づき(この「風が吹けば桶屋が儲かる」式の発想もすごいが)、「区民等がより一層安全で快適に暮らせるまちづくりに関し必要な事項を定め区民等の主体的かつ具体的な行動を支援するとともに、生活環境を整備することにより、安全で快適な都市千代田区の実現を図る」(一条)ために制定されたものである。
この目的達成のために、区には「具体的な諸施策を総合的に推進」(三条一項)する責務があり、区民等(区民、区内勤務・在学・滞在者、区内通過者)・事業者等(区内事業活動法人・その他団体・個人、町会・商店会・防犯協会・交通安全協会・その他団体)・関係行政機関(区内警察署・消防署・道路管理事務所・その他関係行政機関)には「必要な措置を講じ」たり、「区および関係行政機関が実施する施策に協力」する責務がある(四〜六条)、ということになった。
2 禁止事項と罰則規定
以上の条例の目的を達するために、条例では広範な禁止事項を定めている。区域(区内全域、環境美化・浄化推進モデル地区、路上禁煙地区、違法駐車等防止重点地区)によって禁止事項が異なるが、禁止事項は@路上喫煙とA吸い殻のポイ捨て、だけでなく、Bチューインガムのかみかす・紙くずその他これらに類する物・飲料・食料等の缶・びんその他の容器のポイ捨て、C置き看板等(置き看板、のぼり旗、貼り札等、商品その他の物品)の放置、D落書き、E犬猫のふんの放置等、F善良な風俗を害する行動、G違法駐車、そしてHチラシ等の散乱がその対象となる(八、九、一三および一四条)。
そしてこの禁止事項に対しては、罰則規定もある。Gを除く(Gは警察が取り締まる)先に列挙した事項の違反者に対しては、区長が改善命令を出し、従わない場合には氏名・住所等を公表することができる(一五条および施行規則四条)。そして、@ABCD(今は削除されたが、条例施行直後の千代田区のホームページ(http://www.poisute.com/参照)にあるQ&AではHも同じ扱いをしていた)の違反者には二万円以下の過料(二四条)、ABCDの改善命令違反者には五万円以下の罰金(二五条)という内容になっている。
二 条例の問題点
1 憲法上の問題点
では、この条例にはどのような憲法上の問題があるのであろうか。
まず、あいまいな規定の仕方が問題といえる。禁止事項の「吸い殻、空き缶等」(二条(6))、「置き看板等」(九条一項)、「ふんを放置する等」(九条三項)、「チラシの散乱等」(一三条)などいくらでも拡大解釈できる余地があり、「置き看板等」を「設置する権限のない場所に設置する場合は放置とみなす」(九条一項)と設置と放置を混同するなど、罰則規定がある条例にもかかわらず、規定の仕方が非常にあいまいである。これは、刑罰規定は明確でなければならないとする憲法・刑事法の「明確性の原則」に反することになる。
また、ビラをまいて、受け取った人が落としてそのままになった場合(一三条)、ビラ配布者に一五条が適用され、改善命令違反者は氏名・住所等が公表される。宣伝活動の際に用いたのぼりをそのままにしてしまったら、最悪の場合二五条が適用され、改善命令違反者には五万円以下の罰金となる。しかも、二四条により、ABCDの行為者が所属する法人も罰することができるのである。すなわちこの条例は、憲法二一条で保障された結社を含む表現の自由を侵害する内容を有しているのである。
さらに、七条には「共同住宅、大規模店舗その他不特定多数の者が利用する施設の所有者又はこれを建築しようとする者は、防犯カメラ、警報装置等の設備内容又は防犯体制の整備に努めなければならない」という規定もある。これは要するに、「お上による監視カメラ設置のススメ」規定といえる。ということは、本条例は、憲法一三条で保障されたプライヴァシー権を侵害することにもなる。
2 突出した規定
ところで、すでにゴミなどのポイ捨て禁止条例自体は都内二三区中一六区で制定されており、このうち五区の条例に罰則(罰金)規定がある。このような罰則規定自体、検討しなければならない問題があるが、千代田区の場合は他の条例と比べて、初めて罰則規定として行政罰である過料を設定した点が特徴的である。これについて区議会で説明が求められる中で、区側は「特に悪質な者に対して罰金を科すということで、本来的に罰金を科すことは目的でな」いから、まず過料や改善命令という行政罰・行政処分で対処すると説明している(6月14日、区民生活環境委員会での土木総務課長の答弁)。
このような答弁を聞くと、一見、他の区の条例より慎重な印象を与える。しかし、刑事罰を科すには取り締まる側も慎重に対応するし、裁判をしなければならない。それに対して、千代田区の場合は行政罰も追加したことで、行政機関の判断だけで違反者を罰することができるのである。罰則規定の適用が始まった一一月一日から、区役所職員などからなるパトロール隊が路上喫煙違反者を見つけだし、一一月二〇日までに五一四件の過料処分を行い(一日平均二五件。当分の間、過料は二千円)、そのうちその場で過料を徴収したのが二八二件、納入通知書による後日納付が二三二件となっている。
また、たとえば、みだりにごみ・汚物・廃物を棄てた者、他人の家屋・工作物に貼り札をした者、他人の工作物・標示物を汚した者を拘留(三〇日未満)または科料(一万円以下)に処する軽犯罪法には、「この法律の適用にあたつては、国民の権利を不当に侵害しないように留意し、その本来の目的を逸脱して他の目的のためにこれを濫用するようなことがあつてはならない」(四条)という規定があるが、この条例にはそのような規定がない。議会でこの点を追及されても、区側は「運用に当たりましては十分人権に配慮してまいります」(6月12日、本会議での環境土木部長の答弁)と答えるだけである。軽犯罪法自体問題がある法律だが、それ以上にこの条例には自制規定がない点で問題がある。
そもそも、仮に法律としてこのような規制をするならば全国共通の対応が取られるが(もちろん、このような立法自体問題だが)、たまたま千代田区に来たこの条例を知らない区民以外の人(地方の人やさらに外国人旅行者など)が、たった一度、路上禁煙地区でたばこを吸っただけで過料となる(私の問い合わせに対し、区はそれを認めている。菊川怜が持っているのは、イエローカードではなくレッドカードであることが象徴的である)。条例には罰則もおけるが、類似の法律より厳しい規制(上乗せ規制・横出し規制)を人権制限条例で行うには問題がある。
3 警察との関係
ところで、この条例は二〇〇一年七月に区内四地域の防犯協会会長(代行)から区長へ提出された陳情を受けて、区が区内警察署と連絡を取り、二〇〇二年四月からは警視庁からの出向者(環境土木部土木総務課生活環境改善推進主査)を迎え入れて立案された。警察庁が「国民の生活安全」の必要性を訴え、警察庁の関連団体である全国防犯協会連合会が全国各地の「生活安全条例」制定一覧をホームページ上で公開しているように(http://www.bohan.or.jp/参照。これによれば、一〇月二一日現在で、すでに一二〇一自治体が制定)、この条例の背後には警察の存在があるのである。
そのため、条例の中身を見ると、あちこちで警察が顔を出す。区は、施策の計画・実施、防犯カメラ等の設置・防犯体制の整備指導、違法広告物・放置自転車等路上障害物の除去、違法駐車等の防止、違法駐車等防止重点地区の指定・変更・解除および地区内での措置の実施、環境美化・浄化推進モデル地区の指定・変更・解除、路上禁煙地区の指定・変更・解除に際しては、警察署(関係行政機関)と協議または協力するとする(三、七、八、一九〜二一条)。
一方、区民や事業者などは、施策の実施に際して警察署(関係行政機関)への協力が責務とされ(四・五条)、環境美化・浄化活動へのボランティア参加・協力が求められ(一六条)、「一斉清掃の日」(六月六日と一一月六日)を中心とする清掃活動・環境美化啓発活動を行うとされ(一八条および施行規則五条)、環境美化・浄化推進団体の組織作りに努めなければならない(二二条一項)。そして、区長、町会・商店会代表、警察署職員その他により、千代田区生活環境改善連絡協議会が設置されるのである(二二条三項および施行規則一一条)。
すなわち「路上喫煙禁止」というような聞こえのよいスローガンを掲げつつ、「安全」「快適」の名の下に、「市民の連帯・協力」を得ながら、「治安強化」「警察国家化」を進めようとする性格が濃いのである。
三 条例に対する反応
1 政党その他団体
ところで、この条例が可決・成立したときの六月議会で、唯一反対したのは千代田区共産党会派である。そして修正案を提出したのだが、残念ながらこの内容は単にこの条例から罰則規定を削除するというものにすぎなかった。しかし、その後九月に、共産党も連携しながら千代田区内の労組・法律家団体・市民団体など一一団体が、当条例の不明確な規定や表現の自由侵害規定を批判する申入書を区長に提出している。
2 マスコミ
はじめにこの条例の施行を伝える新聞各紙の見出しを紹介したように、表現の自由ほか憲法上多大なる問題点をはらんでいるのに、各紙の報道ぶりはなんと脳天気なことか。千代田区といえば、国会、中央官庁、最高裁といった日本の主要機関が存在するのみならず、新聞社や出版社の本社なども多数存在する地域である。このような日本の中枢の一つである千代田区で、問題の多い条例が制定・施行されたことの意味を考えるべきである。
かつて、八〇年代に国家秘密法制定の動きがあったときに、これは表現の自由を奪うものだということで、千代田区の新聞・出版関係者・労働者などが先頭に立って立ち上がり、千代田区独自の国家秘密法反対集会や宣伝活動が展開された。自らの首を絞めかねない法案が出てきたのであるから、当然と言えば当然の反応であった。
しかし、当時と比べて、いまの反応はどうであろうか。確かにメディア規制三法案への取組はあるが、全般的に、メディアはジャーナリズムというよりはそれこそ単なる「マスコミ」に成り下がってしまい、そこで働く者は「サラリーマン化」が進んでいる。いま一度「ジャーナリスト精神」の発揮を願うばかりである。
おわりに
そもそも、路上喫煙やポイ捨てなどはマナーの問題として解決すべき事柄である。しかし、区が「マナーから、ルールへ。」というスローガンを掲げているように、この条例で法規範による解決を選択することとなった。ということは、本来、市民社会内部で市民が自律的に道徳規範として解決すべき問題を、罰則規定を伴う法規範によって解決する問題に転換してしまったといえる。
ところで、国家や法が民衆を抑圧するのであれば、そんな国家や法がなくなることにこしたことはない。何十年も先のことを考えれば、世界連邦(政府)の成立により「国家の死滅」はありうるのかもしれない。しかし、それ以上にむずかしいのは、「法の死滅」のほうである。なぜなら、すべての人間が徳のある存在にならなければ、法は必要とされ続けるからである。
とはいえ、無原則に法を拡大していいわけがない。今回の条例についていえば、これは「公権力(特に警察)による市民社会支配」をもたらすものであり、「市民社会の敗北」ともいえる状況を生み出しかねない。私たち市民がマナーを守れず、本当は不愉快なのに他人を注意できなかった、すなわち自律的な「強い市民」たりえなかったことにより、新たな法を根拠に権力の介入に道を開いてしまった現実を深刻に受け止めるべきである。
まずは、「千代田区生活環境条例」の即刻廃止と、全国各地で制定されている「生活安全条例」の廃止、さらに新たな条例制定の阻止に向かわなければならない。
参考文献
島田修一「千代田区安全快適条例の問題点」自由法曹団東京支部ニュース三四四号(二〇〇二年九月号)一頁以下。
石埼学・清水雅彦「あなたの安全を守ります!?―警察国家化を推進する『生活安全条例』」法学セミナー五七六号(二〇〇二年一二月号)七六頁以下。
(月刊マスコミ市民407号・2002年12月号より転載)
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