笹沼弘志(静岡大学)
1 事件の概要 静岡県は、静岡市と浜松市で元野宿者の方たちが行った二つの行政不服審査請求に認容裁決を出しました。 浜松の事件は、保護開始された3名の元野宿者(47歳から50歳)に対して3ヶ月以内にフルタイムの仕事を開始せよとの文書指示が出され、求職活動は行ったものの就労するには至らず、保護を廃止されたためその取消を求めたものです。県は、廃止処分の手続に不備があるとの理由で取消請求を認めましたが、浜松市が法定手続の重要性を認めず再度の廃止処分を行うという理解しがたい行動に出たため、改めて処分の取消を請求し、現在審査中です。 静岡の事件は、野宿状態のまま生活保護申請を行った64歳のAさんに対して、生活保護を開始したものの、ホームレス状態であった期間については保護を支給せず、自力で住居を確保した日からのみ開始したことに対して、申請日から保護を行うように求めて行った不服審査請求です。これについては、審査庁静岡県知事が、11月25日、認容する裁決を出しました。 2 地方における野宿者への保護行政 そもそもなぜこのような事件が起こったのか理解していただくためには、地方における野宿の実態や、野宿者に対する保護実施機関の対応の在り方をご説明しておいた方が良いでしょう。 現在、静岡県の2大都市、浜松市と静岡市で野宿している人々は、厚生労働省がまとめた01年の概数調査結果では、浜松150、静岡70名となっていますが、実数はその倍以上にのぼると推測されます。職も収入も無く、住居も無いほど困窮した人々に対しては本来生活保護法により住居を含む最低生活保障が行われるべきですが、多くの保護実施機関では、野宿者に対して、65歳未満の場合には障害や傷病が無い限り保護しないとか、単に住居が無いという理由だけで申請を拒んだり、保護を行わなかったりという運用が慣例化してきました。その結果、全国に3万人以上といわれる野宿を強いられている人々が存在するのです。国は再三にわたり、たとえホームレスであっても保護の要件は一般の人々と同じであって、住居は保護の要件とは関係ないと指導を行ってきましたが、実際には多くの保護実施機関はこの国の指示にさえ違反し続けてきました。 静岡、浜松両市とも、ボランティアによる野宿者の生活保護申請支援が行われる以前は、住居の無い限り申請もさせないという方針をとってきましたが、、現在では野宿状態のままでも申請を受理するようになっています。ただし、自力でアパートを借りるなど住居を確保しない限り、保護を実施しません。アパート賃貸契約には連帯保証人が必要とされる場合が普通ですが、頼れる人がいないからこそ野宿を強いられている人々が保証人を見つけるのは絶望的です。そのため保護を諦めさせられたり、住居を見つけられず保護申請を却下されてしまうこともあります。 野宿者が運良くアパート契約にこぎつけたとしても、静岡市福祉事務所は申請日から遡及して保護を開始せず、「居宅」を確認した日からしか開始しないという対応をとり続けてきました(ただし、敷金礼金は一時扶助で支給されます)。浜松市は申請日から遡及して保護を行っているにもかかわらず、静岡市だけがこのような差別的処遇を行っているのはおかしいと何度も当事者や支援者が抗議し続けてきましたが、静岡市福祉事務所はかたくなに是正を拒んできました。そこで本年9月9日、元野宿者のAさんが申請日からの保護開始を求める行政不服審査請求を行ったのです。 3 静岡市福祉事務所の主張の問題点 静岡市福祉事務所はAさんが申請日から要保護性を有することについては当初から認めていました。弁明書でも急迫性はないが資産も収入もなく、身内からの扶養も期待できないと要保護性を認めています。しかし、ただ一点、住居がないことを理由に申請日からの保護費の支給を拒否したのです。 静岡市福祉事務所の主張は次の通りです。 ア、ホームレス状態のままでの保護は、法においては想定されていない。法第30条1項の規定に基づく居宅保護の原則に従い、かねてから居宅の確保に向ける努力を旨とする指導を行ってきた。 イ、居宅が確保された日をもって、生活困窮の事実を確認し得たため、保護の開始をしたのであり、当庁の処分について、何ら違法性、不当性がない。 イ、については、居宅を確保した時点で生活困窮の事実が確認されたということが仮に事実であったとしても、申請日から困窮していたことを認めているのですから、申請日に遡及して実施しない理由にはなりません。 ア、が法解釈を全く誤ったものであるのは、明らかです。居宅保護の原則について、生活保護法制定当時の厚生相社会局長、後厚生事務次官となった木村忠二郎は、個人の尊重と自由の保障という憲法上の大原則にのっとって要保護者が自己の住居に保護適用後も居住し続ける権利を保障し、施設収容主義を否定したものであるとはっきりと述べています。従って、居宅のない者に保護を与えないとの趣旨を規定したものではありません。(木村忠二郎『生活保護法の解説』時事通信社、1958年、236-237頁を参照)。住居がない要保護者に対しても保護実施機関は現在地保護を行う責任を有しており(19条1項2号)、住居のない要保護者に住宅扶助を現物給付する方法として宿所提供施設が設けられていることからいっても、住居がないことが保護の要件に欠けることになるわけではありません。 ホームレス状態のまま保護を実施することが想定されていないというのは、ある意味で当然です。なぜなら、住居もない野宿状態は健康で文化的な最低限度の生活とはいえず、保護実施機関は住居の保障を行わねばならないからです。Aさんも、保護で家に住みたいと申請理由に書いており、保護実施機関には住居を確保すべき義務があるのです。 4 静岡県の裁決の意義と人権保障を求める動き 裁決が、申請日からの保護開始を認めたのは当然ですが、より重要なのは、「保護を要する可能性が高いと認められる場合再度路上生活に戻すことはできないので、状況に応じ医療機関や宿所提供施設…等においてなんらかの保護等援助を図る必要があります」と保護実施機関には住居を確保する義務があるとはっきり認めた点です。これは、住居が無いという理由で保護申請を拒否したり、保護を実施してこなかった違法な行政の抜本的是正を迫る画期的な裁決と言えます。静岡市のように保護施設を設置していない多くの地方において住居を確保するには、施設入所以外の方法、アパートや公営住宅への入居をすすめざるを得ませんが、入居援助を行うべき責務があることを認めたものです。 東京や大阪など大都市部では、ホームレスの人々については更生施設やシェルターなど施設への入所を経ない限りアパートへの入居を認めないという差別的運用を行っていますが、これが居宅保護の原則に反するのは明らかです。静岡など地方においては、ホームレスの人々であってもアパートへの入居を行うことが可能であるというだけでなく、施設入居を強いるよりも保護の目的をよりよく達成しうるという例証を積み上げています。静岡県の裁決は、大阪等のように、ホームレスの人々については施設入所を原則とするという考え方を取らず、一般的な住居確保義務を主張しており、この点においても非常に重要な意義を有するものであると言えます。大阪では、敷金の支給による居宅保護認められる地裁判決が、ようやく下されました。 住居もないほど困窮した野宿者に対しては、生活保護法にだけでなく、国の運用指針にさえ違反する驚くほど差別的で違法な行政がまかり通ってきましたが、ホームレスの人々に安定した住居と雇用の保障を国や地方公共団体の責務として定めたホームレス自立支援特別措置法制定後の現在、もはやそのような違法は許されなくなったのだということを、静岡事件の裁決は示しているといえるでしょう。名古屋の林訴訟が突破口を開いて以来、野宿者の人権保障を求める争訟の流れは、もはや押しとどめることができなくなっているのです。 (総合社会福祉研究所『福祉のひろば』2003年1月号掲載) |