はじめに
小泉首相は、自民党総裁選の中で「8月15日にいかなる批判があろうとも必ずする」と述べて靖国神社に公式参拝を行うことを宣言し、首相になってからも「戦没者に敬意と感謝の誠をささげた思いは変わりなく、個人として参拝するつもりだ」と発言しています(2001年5月10日付朝日新聞)。「個人として」の参拝という表現はやや曖昧で「公人として」の参拝ではなく、「私人として」の参拝という意味で理解することも可能ですが、しかし、小泉首相はこれについて、個人としての参拝と総理大臣としての参拝に違いはないと説明していますので、やはり公式参拝をやる決意のようです。いわゆる公式参拝ということになれば、1985年に中曽根首相が行って以来、16年ぶり2度目ということになり、外交その他にも重大な影響を与えます。そこで、以下では靖国神社への公式参拝のもつ意味と憲法上の問題について考えてみます。
戦争の精神的支柱であった靖国神社
靖国神社は、鳥羽伏見の戦いにおける官軍の戦死者を祀るために1869年に作られた招魂社を下敷きにして1879年に創建されました。もともと歴史のある神社ではないにもかかわらず、強力な軍事国家を建設していくうえでの重要な意義と役割を担っていたため、別格官幣社として国家から特別の保護を受け、1887年には陸軍省・海軍省直轄の神社となりました。靖国神社は宗教施設であると同時に軍事施設でもありました。
靖国神社には墓がありません。その意味を考えてみましょう。誤解している人がいますが、靖国神社は、亡くなった人の生前の人柄や事績をしのぶ場所ではありません。墓地や記念碑ではなく神社です。そこには当然、畏敬崇拝の対象である神が祀られています。出雲大社には大国主命、北野天満宮には菅原道真が祀られているといったように。日本の神道では英雄的な人物の場合、死んだ後に神になることがありますが、この考え方を利用して国家のために戦って死んだすべての人を神として祀ったのが靖国神社なのです。その数は戦争とともに増え続けて約246万柱。もちろん最後の戦争である「大東亜戦争」が一番多く、この戦争だけで約213万柱の神が祀られています。その中には東条英機などのA級戦犯も含まれています。逆に、命をかけて戦争に反対し獄死した人や東京大空襲で死んだ民間人は祀られていません。
したがって靖国神社に参ることは、普通の意味での戦争犠牲者の追悼や慰霊とは次元が違います。戦前、息子を戦争でなくした母が靖国神社にお参りに来て亡き息子の霊に呼びかけたところ、「神様に気安く声をかけてはいけない」と神社の宮司から叱られたという話が残っています。
平和憲法とともに廃止されるべきであった靖国神社
戦争が終わって神道指令が出され、神道は国教としての特権的な地位を失い、他の宗教と同じく1つの私的な宗教となりました。これは政教分離ということからいえば当然の措置だといえます。しかし、靖国神社に関する限り、ただの神社ではなく侵略戦争を遂行する軍事施設としての意味ももっていましたから、民主主義国としての再出発をめざすならば、日本国憲法の施行時に靖国神社は廃止すべきだったと思われます。その代わりに、宗教に関わりなく戦争犠牲者を追悼し平和を誓う場所として国立の平和記念公園のような施設をつくることを考えてみてもよかったと思います。そうすれば「靖国神社問題」という日本固有の重大な政治・外交問題は発生しなかったでしょう。沖縄の摩文仁の丘にある「平和の礎」のようなものであれば反対する人はいないでしょう。日本の戦争放棄を確認する施設であるならば、諸外国からの理解も得られるでしょう。
靖国神社の国営化法案と中曽根公式参拝
さて、靖国神社は戦争とともに栄える神社ですから、平和が続くと遺族も少なくなり参拝したり財政的に支援する人が減っていくことが予想されます。世の中から試験というものがなくならない限り栄え続けるであろう北野天満宮と大きく違う点です。靖国神社の将来に危機感を抱いた遺族団体や自民党が、戦前のように国が精神的にも財政的にも靖国神社を支えるべきだと主張して作られた法案が靖国神社国営化法案です。しかし、これでは戦前への逆戻りで、憲法の政教分離原則に明白に違反します。法案は、1969年から1974年にかけて議員立法の形で国会に5回提出されましたが、結局廃案になりました。
そこで、立法化を将来の目標としつつ、それに向かって第1歩を進めるものとして考え出されたのが総理大臣の靖国神社への公式参拝です。自民党の支持団体からの強い要請により1975年に三木首相が戦後最初の参拝を行います。最初は、玉串料を公費から支出しないというだけでなく、公用車を使わず公人としての肩書きも使わないということで「私人としての参拝」をうたって、参拝は憲法違反ではないということを強調していましたが、次第にルーズになっていきました。内閣法制局も玉串料さえ公費から出さなければ「私人としての参拝」とみなされるという見解を1978年に出しました。そしてついに1985年8月15日、中曽根首相は、官房長官らとともに公用車で靖国神社に赴き、拝殿において「内閣総理大臣中曽根康弘」と記帳し、本殿において黙祷のうえ深く一礼し、国費から供花代三万円を支出しました。二拝二拍手一拝、玉串奉奠の形はとられませんでしたが、首相は参拝後「内閣総理大臣の資格で参拝した。いわゆる公式参拝である。」と明言しました。これがいわゆる中曽根公式参拝です。政府は公式参拝であるがこのような参拝方式は憲法20条3項が禁止する「宗教的活動」には当たらないと強弁しました。
公式参拝に対する裁判所の判断
しかし、この問題が争われた裁判のうち、大阪高裁判決(1992.7.30)は、宗教施設を有する靖国神社の本殿や社殿において参拝する行為は、戦没者の霊を慰めることが主目的であっても、外形的・客観的に宗教的活動であるとの性格を否定することはできないこと、政府も靖国懇報告が出されるまでは違憲ではないかとの疑いを否定できないとする見解をとっていたこと、当時も現在も公式参拝を是認する国民的合意は得られていないこと、内閣総理大臣や国務大臣が公式参拝した場合の内外に及ぼす影響は極めて大きいこと等を理由にして「中曽根の行った本件公式参拝は、憲法20条3項所定の宗教的活動に該当する疑いが強く、公費から三万円を支出して行った本件公式参拝は、憲法20条3項、89条に違反する疑いがある」と判示し、福岡高裁判決(1992.2.18)は、首相が公式参拝を繰り返すならばそれは、靖国神社への「援助、助長、促進」となり違憲となることを指摘し、いずれも確定しています。また、中曽根公式参拝に関する直接の裁判ではありませんが、岩手靖国訴訟仙台高裁判決(1991.1.10)は、「天皇、内閣総理大臣の靖国神社公式参拝は、その目的が宗教的意義をもち、その行為の態様から見て国又はその機関として特定の宗教への関心を呼び起こす行為というべきであり、しかも、そのもたらす直接的、顕在的な影響及び将来予想される間接的、潜在的な動向を総合考慮すれば、右公式参拝における国と宗教法人靖国神社との宗教上のかかわり合いは、我が国の憲法の拠って立つ政教分離原則に照らし、相当とされる限度を超えるものと判断せざるをえない」と断じました。そしてこの裁判も高裁の判決をもって確定しています。このように、全体として違憲審査権の行使に慎重で消極的な裁判所も、総理大臣の公式参拝については違憲あるいは違憲の疑いがあるという判断を示しています。靖国神社の果たしてきた歴史的な役割とその反省に立って現在の日本国憲法の規定が作られていることを考えれば当然のことだと思われます。
問われる私たちの責任
小泉首相が今年の8月15日にどのような参拝形式をとるのか、中曽根首相のときと同じ方式をとるのか、それとももっと踏み込んだ形をとるのか、まだ詳細は分かりませんが、靖国神社への公式参拝は明白な憲法違反であると同時に、戦前の軍国主義的な体質から日本の政府が脱却できていないことを内外に証明する愚かで危険な行為です。海外からの厳しい批判が予想されますが、首相の公式参拝を許した場合、私たち国民の責任も問われることになるでしょう。
2001年6月15日
永田秀樹(立命館大学)
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