九条改憲と反対勢力の選挙協力

三輪 隆(埼玉大学教員)

【1】九条改憲への大前進となりそうな総選挙
 11月総選挙がほぼ確実になった。長びく不況のため自民党は苦戦しそうだと言われているが、小泉支持は「新装開店」効果でむしろ上がっている。民主党はこの「新装開店」内閣の顔に押されてか、自由との合同によってもさして支持を伸ばせないでいる。
 マスメディアは今度の選挙をマニフェスト選挙として演出しようと、あれこれ書き立てている。各政党の政権構想を争わせようというもので、政党政治といえば二大政党制しか思い浮かべられない教養からでた貧困な発想だ。政権にはほど遠い小政党にとってマニフェストは単独では絵空事だから、こうしたキャンペーンが強まればそれだけ他党との連携・連合構想に追いやられることになる。
 ところで、今度の選挙で憲法九条問題はどう扱われるのだろうか。自民党総裁選挙では四候補者はいずれも会見に前向きの姿勢を強調した。改憲提言を繰り返している経済同友会は、改憲でマニフェストを問うキャンペーンに取りくもうとしている。だが民主党の大勢は九条改憲に否定的であるわけではない。その若手はむしろ自民党の大半の議員より九条改憲に積極的である程だ。野党第一党の姿勢がこのようだとすれば、九条改憲はマニフェスト選挙の焦点にはなりにくい。格好がつかなくても九条改憲マニフェスト化のキャンペーンがはられるとすれば、それは与野党第一党間にある争点を鮮明にしたいからではなく、それは与野党第一党と世論の大勢との間にあるギャップ、つまり九条改憲に消極的な世論に影響を及ぼすことを狙うものだといえる。
 格好のつかない九条改憲マニフェスト化に代わる役割をはたすことになりそうなのが、イラク派兵問題だ。といってもこの問題で与野党第一党間にある対立とは、日本が派兵すること自体を否定しない、むしろ「国際貢献」のためには派兵は必要という立場を共通の前提にした上での争いである。いわく「イラクはまだ危険だから、非戦闘地域は特定できないから自衛隊は送れない」、いわく「国際社会の動向をみてから」、いわく「国連の決議如何で」等など。しかし、派兵の時期・規模などの条件をめぐる議論がすすめば進むほど、「日本が派兵するのは当然」という前提命題は固められていくのである。
 これに対して、共産党や社民党については、早くから苦戦、議席後退の見通しが伝えられている。両党が九条改憲に消極的な世論を代表して、九条改憲マニフェスト化のキャンペーンに対抗することも、派兵にゴーサインを出す条件に狭められら論戦を派兵の当否そのものを問う論点に押し戻すことも、極めて難しいだろうという見通しである。九条改憲が正面から争われることはないにしても、11月の総選挙が九条改憲の内実づくりを一歩すすめるものになる可能性はきわめて高いのである。

【2】九条擁護の共闘の障害
 総選挙のこうした見通しから導かれる憲法改正の政治日程は憂鬱なものだ。その最短のシナリオは次のようになるだろう。
 2003年11月総選挙:九条擁護派の敗北。04年7月、憲法調査会最終報告の繰上げ発表、参院選での九条擁護派の再度の後退。この前後に国民投票法案提出。05年、自民党など改憲派の改憲草案発表、キャンペーンとすりあわせ。2006〜2007年、改憲を争点とした総選挙(場合によっては同日選挙):改憲派の勝利。“改憲大連合”による改憲発議、そして国民投票。
 このように整理してしまうと必ず反論があるに違いない。「改憲のシナリオは決まったものではない。私たちの努力いかんで止めることはできる。憲法調査会が発足した時にも改憲が政治日程にのぼったといわれた。しかし改憲キャンペーンがうまくいっているとは言えない。有事法制も二度継続審議においこみ一年以上遅らせた。イラク特措法ももし会期延長がなかったら阻止できた。もし私たちがもっと頑張ったならば何とかできたはずだ」。しかし、こうした反論は負け惜しみというものである。確かに有事法制反対運動では数次にわたる数万人規模の集会のように近年にない運動の盛り上がりがあった。しかし、それでも成立を阻むことはできなかったのである。なぜ敗れたのか。これまでの努力のどこが足りなかったのか。客観的、主体的原因を冷静に見極めなければならないはずだ。「もし**ならば、できただろう」という、その「もし**」ができなかったのであるから、なぜそれができなかったのかが先ずは問われなければならない。
 こうしてこの間の九条擁護の戦いを振返ると、それが周辺事態法、テロ対策特措法、有事法制、イラク派兵特措法というように立法にかかわるものであったことからだろうか、九条擁護派議席の絶対的不足、そしてこれを院外で支え補完する共闘態勢の不成立の二つが最も大きな敗北原因であると思われてならない。そして改憲へのシナリオにおいても国会のしめる位置は決定的に重要であるから、議席と共闘という二つの問題は九条改憲阻止運動にとって避けて通れない課題となると思われるのだ。しかし、この二つは決して容易に取りくめる課題ではない。
 第一に、市民運動は議席を争う選挙に直接に関わることはいわばタブー視してきたという事情である。80年代以降、政党系列の社会運動にかわって政党のバックをもたないいわゆる市民運動が活発化し、この傾向は社会党解体で加速してきた。有事法制やイラク攻撃に反対する数万人規模の集会などでも政党系列に属さない市民運動が大きな役割をはたした。九条擁護運動の担い手をこの市民運動を抜きにして考えることはできない。ところが、この市民運動は多くの場合、政党とは一線を画してきたという事情がある。「政党支持の違いとは別に」これが市民運動の存在理由にもかかわる特性である。また、多くの市民的運動体の事務局や活動の中心には、新旧のいわゆる「新左翼」の経歴の持ち主が少なくなく、彼らの多くは共産党や社民党としばしば反目しあう関係にある。市民運動が選挙に直接に関わらないというタブーを克服するのは簡単なことではない。
 第二に、長いあいた全国レベルの共闘態勢ができなかったことが運動の組織と連絡関係をいわば縦割り柱状に固定化しているという事情である。市民的運動は活発化したとはいえ、政党系列の従来型運動組織が果たす役割は依然として大きい。それは専従をかかえ、良かれ悪しかれ運動についての多くのノウハウをもっている。そしていまだに企業社会状況が解体されていないこの国では、市民的運動もまだまだ時間的制約にかたく縛られているから、その参加者には勤労階層の中堅部分の比率は低い。運動の継続的組織力の点では、依然として従来型組織のほうが強いといえる。そしてこの従来型組織を支える専従たちにとって共闘は、スローガンとしては受けいれることのできるものであっても、必ずしもそれは個々人の利害に適合するとは限らない。分かれていれば別々にあるポストも、一緒にやるとなると地位も低まり、場合によってはなくなりかねないからだ。前進局面での共闘でなく後退局面であればとりわけこの懸念が強まるだろう。
 九条擁護議席をふやし、共闘態勢をつくる。このことの難しさが自覚されているからだろう。「もっと頑張ろう」という空文句が繰り返され続けるのである。しかし、そうである限りは、改憲へのこの政治日程は着々と進むだろう。

【3】改憲側の困難
 とはいっても改憲へのシナリオを進めるうえで改憲派の側にまったく困難がないわけではない。それは大きく見て三つ考えられる。
 第一の困難は改憲主体に関わる。改憲案の一本化、そしてこれを支持する“改憲大連合”をつくる問題である。
 すでに改憲支持政党の議席は両院とも改憲発議に必要な三分の二を大きく上回っている。改憲の最終ステップである国民投票の確実な突破を考えると、国会での改憲発議は、三分の一に近い有力な反対派を残したようなギリギリの可決ではなく、小泉も明言しているように野党第一党との合意をふまえた“改憲大連合”とでもいえる圧倒的勢力によってなされる必要がある。しかし、新自由主義改革の中で社会各層の困難は深まっており、改憲諸党派の支持基盤も不安定になっている。「改革抵抗勢力」を分解吸収したはずの自民党の中でも総裁選で新しい反小泉派の動きが出たように、新自由主義改革の進展は与党内部にも分岐と対立をつくりだし、ひいては新たな政界再編をもたらす可能性も秘めている。こうした変動は改憲支持議席を分解して改憲発議に必要な三分の二をわりこませるようなものになることは決してない。それにしても、再編は“改憲大連合”の結集をより面倒なものにするに違いない。
 改憲案の一本化も容易なことではない。改憲案は、9条改正だけではなく必ずや知る権利や環境権といった“時代の要請に応える改正”との抱き合わせになるだろう。最終的には簡便に当り障りのない選択が採られるだろうが、そこに落ち着くまでに、9条改正では派兵に国連のしばりをかけるか否か等をめぐって、また“時代の要請に応える改正”をめぐっては、規制緩和を徹底する私的自由原理の拡大・社会権の否定と公共秩序原理の拡張との間、あるいは執行権強化と地方分権との間などで分岐・対立がうまれる可能性がある。すでに出されている改憲派の諸構想や憲法調査会での論議のレベルの低さをみると、そうした内部論争はどんなに支離滅裂な状態にあろうと政治的必要によっていつでも簡単に終結させられるだろう。しかし、例えばリベラルをもって任ずる民主党が少しでも独自性の発揮にこだわったりすれば一本化が難航することにもなろう。
 第二の困難は国民投票である。国民投票は、主権者国民による直接の意思表明制度とされている。もしここで否決されると却って第九条など現在の憲法規定の正統性が強められ、同じ改憲提案の再提出が難しくなりかねないという両刃の剣である。そこで改憲派にとって最初の国民投票で確実に勝利することが至上命令となる。議席の三分の二以上の圧倒的多数をしめマスコミも押さえているとしても、国民投票で確実に勝つため改憲派は国民投票のシステムそのものをより有利なものにしておこうとするだろう。各地でつくられている住民投票条例がうちだしているように公選法の厳しい選挙運動規制を緩和するかどうか。国政選挙における投票率の低下に対応して国民投票の成立要件をどこまで緩和するか。投票を改正条項ごとに分けて行なうようにするか、草案にたいする一括投票方式にするかなど。これらの点を改憲派に余りに有利なものにしてしまうと、国民投票のそもそもの存在理由がなくなってしまい、改正案が仮に国民投票を通過してもその正統性もそこなわれることになりかねない。
 そして第三の困難は、国際環境の変化だろう。「激動する世界の動きに比していかにも遅い」と改憲を提唱する経済同友会は苛立ちを隠さない。9.11事件によって一気に具体化した米国の先制攻撃戦略にたいして、そのたった一年半後には1300万人の人々が一斉に立ち上がるまでになった。9.11事件直後、強い結束を見せた先進国は、一年も経たないうちにかつてなく深刻な米欧対立をむかえた。改憲への最も短いシナリオでも今から四年もかかる。それまで「戦争のできる普通の国」になれなかったら日本は世界から取り残されてしまうのではないか?そこで改憲派みずからが考えるのは、明文改憲によらないで実をとる道である。9条改憲を待たずに国会の単純多数だけで決められる「安全保障基本法」といった一般の立法によって明文改憲と同じ目的を実現することが考えられる。「国際情勢が日々揺らぎ、緊張を増す中、躊躇して問題を先送りすることは最早許されない」。しかし、一度「安全保障基本法」が成立すれば、明文改憲の差し迫った必要性は遠のいてしまう。時代の変化に即応しようとする対応は、皮肉にも明文改憲を先送りにすることになるばかりではない。「安保・自衛隊も憲法も」という明文改憲派にとっては忌むべき共存状態が、こんどは(安全保障)基本法と憲法の「両立」といういっそうこみいった形で残されることになるのである。

【4】直ちに総選挙での選挙協力を
 このように、改憲反対派が弱くなった今でも、明文改憲は改憲派自身にとっても容易なことではない。しかし、これらの障害は絶対的なものではない。第一の問題は、最初の改憲内容をできるだけ絞り込むことによって克服できるだろう。第二の問題も、法案提出時期に注意し、現実主義を自称する護憲派の「憲法規定に対応する法整備がないのは良くない」「国民投票は住民投票のように使える」といった脳天気な主張をおだてあげながら中味の検討抜きで一挙に突破できるかもしれない。改憲発議に反対する三分の一の議席は存在しないのだから、いずれも改憲派自身がヘマをせず政治的主導性を賢明に発揮すれば克服できるのである。
 とすると改憲反対派にできることは、改憲派の内部対立や世界政治という外部環境の好転を期待することしかないのか。そうではない。九条改憲に反対する運動と共に、新自由主義改革に抵抗・反対する各層の運動をおしすすめ、改憲推進派の“大連合”形成にくさびを打つこと。中味の検討抜きでの国民投票法案の成立を阻止できるような議席と院外の共闘態勢をつくること。なすことはあり、やはり前述した二つの課題に立ち返らざるをえない。
 総選挙を目前にしたこの局面では、九条擁護派の議席後退をくいとめるための共産党・社民党を中心とした選挙協力を実現することが具体的課題になる。いま共産党は七〇年代にあったような「革新共同」の候補を推すこともなく、前回、社民党が当選した小選挙区を含め全選挙区に自党の候補者だけを立てている。社民党は民主党内の旧社会党系の支持基盤をあてにしてのことだろうか、九条改憲に反対しない民主党との選挙協力に応じようとしている。いずれの党も議席が減ることを望んでいるはずはない。しかし、このような対応では議席を減らし、減らさないまでも九条改憲を容認する民主党への対抗力を後退させることは確実である。これは政党の組織利害を優先した対応であって、九条改憲を阻止する立場からみれば極めて無責任な対応といわねばならない。
 共産党指導部は社民党がつぶれればその票は共産党に流れてくるとでも思っているのだろうか。そんなことはない。かつて社会党解党の際に相当の支持者が共産党に流れたとしても、それは旧社会党の主流がマルクス主義を掲げていたという歴史的事情による。しかし現在の社民党の支持者の多くは、共産党の中央集権的運動スタイルに反発や違和感をもっており、もし社民党がなくなればその多くは無党派に分散するか民主党に取り込まれていく。そして共産党支持層は高齢化しており独自で支持層の周辺をひろげる力を急速になくしつつある。社民党がつぶれれば共産党が支持層をひろげるべく働きかけことのできる周辺も狭まり、ひいては共産党の低落傾向も加速されるのである。
 社民党の対応はどうか。確かに民主党の中にも九条擁護派の議員がいるし、民主党支持者に九条擁護派はいる。しかし、民主党の指導部と主流は九条改憲派であって、九条擁護派の議員の動きは封じられている。このような民主党を選挙協力の相手方とすることは、社民党のもっとも活発な支持層の活力をそぎ、社民党の存在理由を損なう。たとえ票を回してもらえるという一時的な利益があるとしてもこれは避けるべき選択である。社民党は党としての組織が小さいにもかかわらず旧社会党以上に党外の市民的支持層によって支えられており、この支持層は現在の日本でもっとも活発な市民的運動の担い手たちと重なっているのである。このことに社民党は自信をもたなければならない。
 両党の政策は、九条擁護・新自由主義改革反対という二点でほぼ一致している。そしてこの二点は現在の日本政治でもっとも重要な対決点だろう。政策の上で基本的な障害はない。両党が今のまま分裂して総選挙に臨めば双方とも後退はまぬがれない。しかし、協力して臨めば九条擁護議席の後退をくいとめ、場合によっては少しばかりはふやす可能性もある。にもかかわらず選挙協力の協議にも踏み出せないのは、歴史の審判に耐えない怠慢と言わざるをえない。
 両党の側から九条擁護派の議席後退をくいとめるためのイニシアティブが発揮できないとすれば、両党をとりまく運動の側から選挙協力を迫るしかない。九条擁護の民衆運動は、テロ対策特措法延長やイラク派兵に反対するだけでなく、総選挙での九条擁護派の選挙協力を実現させることにも取りくむべきだろう。
 実際の選挙準備の実現可能性を考えるとそれは、共産党・社民党および地方議員をもつ新社会党などの小党派を中心にしながら、これを九条擁護の市民的運動が幅広く下から支えるという形をとるのが適当だろう。選挙協力の内容は全国画一的なものではなく、地方毎の事情に応じた下からの積み上げ方式でつくることになるだろうが、できるだけ多くの比例区での共同名簿と、前議員など当選可能性のある候補者がいる小選挙区での一本化の双方を追求するとすれば、何らかの形での全国的観点での調整が求められるかもしれない。
 その際の調整は政党相互間だけに閉じられたものではなく、市民的運動団体など九条擁護の運動にも開かれた作業になるだろう。
 解散・公示まであと数週間が残されているだけである。この時点に至ってこうした選挙協力を求めることは「夢」を語ることに等しいと言われるかもしれない。そうだろうか。55年総選挙の最終盤で共産党は、優位にあった社会党候補者のために自党の候補者をひいて改憲発議阻止議席を実現に貢献した。たしかに今は共産・社民両党の力関係は違う。しかし、九条改憲を阻止するという高次の目標の下に党派の短期的利害をおくという観点は、その政党が本当に九条擁護を大事だと考えるのなら今でも同様に求められるもののはずだ。来年の参院選挙を待っていてはもっと状況が悪くなるだけである。共産・社民両党、そして九条擁護の民衆運動には、九条改憲阻止のための選挙協力にイニシアティブを発揮することが今ここで求められている。

 

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