三輪隆「戦争責任・憲法原則から法制化を考える」

『法と民主主義』340号(1999年7月)

1、<戦争責任と君が代・日の丸>

 いったい日の丸や君が代を、それが使われた歴史から切り離して美的機能だけによって判定することができるだろうか。デザインの良し悪しや歌のノリから日の丸や君が代を批評するというなら、あのどうにもならない程に醜悪な君が代にしても、カラヤン指揮のベルリンフィルにかかれば人を感動させる(中田喜直[朝日新聞]99年7月2日)から良いということになるだろう。「シンプルでよい」と好評の日の丸にしても白い高層ビルのたち並ぶ都会では映えないからまずいということにもなるだろう。
 しかし、日の丸や君が代は最近になって作られ用いられ始めたのもではない。それは、何よりも日本国家の侵略戦争と植民地支配・民衆抑圧と不可分の国家表象として民衆の動員と抑圧に用いられてきたという過去をもつ。なるほど、この旗や歌の誕生は近代日本国家の血に塗られた時代より以前に溯るものであるかもしれない。しかし、民衆にとってこの日の丸と君が代とは、何よりも20年代後半以降の天皇制と軍国主義の国家儀礼において徹底して用いられることによって初めて定着させられ、国旗・国歌との認識を植えつけられた旗と歌に他ならない。民衆に定着しているといわれる日の丸と君が代は、侵略と植民地支配の国家表象として定着し、まずもってそのような旗・歌として機能したのである。日の丸・君が代のこの過去を無視し、その美的機能だけをとりだしてその価値を評価することはできない。
 君が代にくらべて評判の良い日の丸についてみよう。旗は内を統一する表象であるだけでなく、彼我を分け他者に対して自らを区別する。日の丸の記憶。直ちに浮んでくるのは、"南京陥落"や皇紀二六〇〇年を祝う旗行列、"出征"兵士への寄せ書きの記された旗、特攻隊員の鉢巻きかもしれない。しかし、それだけではない。植民地の総督府、占領されたに街や村に掲げられアジアの人々を威圧した旗であり、「あれは慰安所のしるしの旗だと思っていた」といわれる旗であった。ここで注意すべきことは、日の丸はたんに日本の民衆を戦争の被害者に駆りたてた旗であるだけでなく、他民族抑圧と侵略の旗として日本の民衆によって掲げられた旗であったことだ。しかし、私たちはこの旗とこの歌を戦後も無頓着に使いつづけることを許してきた。そこに何がしかの違和感があったとしても、その違和感は歴史についての被害者意識のなかに閉じられた一面的な記憶にもとづくものでしかなかったことが多かった。そして、侵略戦争と植民地支配の責任に正面から十分に立ち向かってこなかったことが、戦後におけるこの旗やこの歌の使われ方にも大きな影を投げかけてきた。たとえば、47年5月3日の憲法施行祝賀都民集会に集まった人々は「天皇陛下万歳」を叫び君が代を熱唱した。あるいは、52年4月28日、全官庁にいっせいに掲げられた日の丸にたいして、「全面講和」を主張して戦ってきていた東大生は、日の丸を半旗にし黒リボンをつけて正門に掲げることしかできなかった。「軍国主義に利用された忌まわしい時代があったが、、、、一面だけを見て戦争のシンボルのように決めつけるのは行き過ぎだろう」(日経99年6月29日社説)として法制化に賛成する意見がある。私たちは既に戦争責任を果たしてしまったから日の丸・君が代の過去を振り返ることは必要ないとでも言うのだろうか。それともこれは戦争責任・戦後責任を果たしていない証として君が代・日の丸を使いつづけようという皮肉なのだろうか。「君が代・日の丸に罪はない」という言い方は、この期に及んでも戦争責任問題から目をそらそうとする姿勢につながっている。

<平和主義と相容れない君が代・日の丸>
 なるほど、イギリスのユニオン・ジャックも合衆国の星条旗もフランスの三色旗も侵略と他民族支配の血にぬられている。ある程度の歴史認識をもつ人の中にも、日の丸・君が代は「使い方を誤らなければ良い」「意味付けを変えれば良い」という意見は少なくない。
 しかし、こうした帝国主義諸国と同じ態度をとることはできないだろう。なぜならこの日本国家はその基本原理として平和主義をとっているからである。平和主義を基本原理とする46年日本憲法のもとでは、侵略と他民族支配は決して肯定することのできない行為であり、こうした否定されるべき過去の行為を支えた国家表象を是認することはできない。たとえ何も知らない現代史を学ばなかった若者(だけでだろうか?)が、ファシスト式の敬礼をしながら日の丸を掲げて行進しても、ワールドカップの応援で君が代に酔いしれても、そしてまたこうした無邪気な日の丸・君が代ファンがたとえ多数派になったとしても、46年日本憲法の平和主義にたつかぎりは、日の丸・君が代は、それがその初発から果たしつづけ侵略戦争において頂点に達した過去の役割のゆえに絶対的に否定されねばならない。
 日の丸・君が代は、本来なら46年日本憲法の施行と共にその時点で葬り去らねばならなかった代物である。今からでも遅くはない。私たちはこれから日本国家がかつて侵略した国の人々と共に平和を築かなければならない。その人々と交流し連帯しなければならないのである。それらの人々が見て聞いている前で私たちたちは敢えて日の丸・君が代を用いつづけがることできるのだろうか。憲法原則にのっとった制限規制がとられてしかるべきである。 ナチの表象に対してドイツがしているように法によって禁圧すべきたとはいわない。しかし、せめて公共的場面での日の丸・君が代の使用はなくされねばならないと考える。私たちはすでに環境型セクシャル・ハラスメントの存在を認めている。平和主義の立場に立って公共の場に公正な環境を実現するためには、日の丸・君が代はそこでは用いられてはならないのである。

2.「国民的討論」と法制化
 「国民的討論をつくして法制化する」(不破哲三「しんぶん赤旗」99年3月21日)という意見がある。これは日本国家の歴史、そしてリベラルデモクラシー自由民主主義の原理からするとかなりいかがわしい。

<「国民」のもつ問題>
 なぜこの問題での討論を日本国民に限らなければならないのだろうか。他でもないあの日の丸・君が代を国旗・国歌とすることが提案されているのである。日の丸・君が代を評価する上では、日本国家が侵略し支配した他国民との対話とはいわないまでも、その人々への想いをめぐらすことは欠かせない。日本国民の内側での討論の前に、アジアの民衆・他国民との関係に私たちは目を向ける必要がある。
 また、この「国民」という言葉は、戦後の日本政府によって、その内部に民族的・文化的多元性を認めず、多数エスニシティによる同質化(すなわち皇民化!)を促す観念として用いられてきたことから目をそらすわけには行かない。日本ではその内に多様なエスニシティ・文化を含む法的共同体として国民が形成されているとは未だ言いがたいのである。「非国民だ」という非難は少なくなったかもしれない。しかし、「それでもお前は日本人か?」という詰問や「アア日本人だなあ!」という感嘆を知らない人はいない。日本政府は、まず憲法制定という戦後の出発点において、一方でGHQ草案の平等条項の差別禁止事由から「国籍起源]national originを削り(現14条)、他方で国民要件法定条項(現10条)を挿入した。そのうえで日本政府は、日本に生活する日本国籍非保有者を「外国人」として憲法以下の法令の保護の外においただけでなく、日本国籍の取得にあたっても「日本的氏名」を強制し、民族学校を差別するなどして国民のうちにおいても多様なエスニシティ・文化が共存することを抑圧しつづけてきた。社会生活のグローバル化が進む中で、さすがの日本政府も最近ではこうした多数エスニシティによる抑圧を緩めつつはあるというものの、「単一民族=日本国民」幻想による抑圧構造はいまだに広く存在している。「国民的討論」なるものが、こうした抑圧構造を打ち破ることなしにすすめられるときには、それは多数エスニシティによる抑圧の新たな強化をしかもたらさないだろう。

<一元的選択決定と自由保障>
 「討論を尽くして決める」という考え方にも問題ある。「単一民族=日本国民」幻想の強い現在においてすら「国民」の間には多様な価値観や文化がある。この多様性は討論によって必ずや克復され、国旗・国歌をめぐるすべての意見の相違や対立は解消され、一つのものが「みんなの喜びのうちに」決められるとでもいうのだろうか。そのようなことはまず不可能だろう。
 もし、国民の様々な意見を(比例代表的に)反映させるというのなら、その旗は様々な図柄のパッチワークになり、その歌は「君が代」から「ふるさと」をはじめとする様々なメロヂィーをメドレーでつなぐ頭だし集のようなものになるだろう。しかし、一つの図柄、一つの曲としてまとまりをもたせようとすれば、ここでは多数代表の方法がとられ、必ず少数意見は排除されるだろう。国民的討論を尽くせば全員が納得する一つの歌、一つの旗が作られるなどということはありえない。もし、そうした幻想を持つとしたら、それは多数決によっても奪われてはならない権利(人権)の存在をも認めない粗野な多数者民主主義論でしかない。
 それでも「現に国民国家があり、その存在を直ちに否定することができな以上、何らかの国家表象が必要となる」という意見がある(この意見自体が無条件でうなずけるものかは疑わしいが、その検討は他の機会にゆずる)。従って、一つの旗・一つの歌を国旗国歌として選択するというのであれば、それを決める前から選択されるであろう一つのものが自由を抑圧することがないように予め歯止めをかけておく必要がある。国旗国歌は国家表象であるから、それは何よりも公共的場面に登場する。そして、国家はわけてもその儀式において集団同調を促し一体感を演出するためにこれまで国旗国歌を用いてきたからである。国旗国歌の使用はそれだけで人々の自由を制約する可能性を本来的にもつものであることが十分に注意されるべきだろう。
 こうした場面での自由保障について最も注意しなければならないのは、積極的な多数者の意思の反映でもなければ、また能動的に行使される少数者の内心の自由にたいする保障でもない。何よりもその前に、受動的に公共の場面に居あわせるとか消極的に儀式に参加している人々の自律と自由の保障である。そこでは、集団同調による事実上の強制や、形式/外観の画一化による包摂こそが自由侵害として制限されねばならない。「皆の意見を反映した旗、心から喜んで歌える歌」であればあるほどに、このことは重要になる。
 第一に、旗や歌の内容は、憲法原則に従ったもので、かつ価値中立的で世俗的なものであることが求められる。
 第二に、国旗や国歌が用いられる機会そのものが規制されて良い。
 そうした国家表象の使用が必要不可欠であること、そして他に代る手段がないことを確かめることが先ず求められる。そしてまた、それが用いられる場合でも、社会の文化的多様性を尊重して、公正に用いられることが必要である。
 国旗や国歌の使用がリベラルデモクラシー自由民主主義の原理と対立することなくできるなされるためには、この二つの点が充たされていることが必要になるはずである。

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