斎藤議長の「中立性」は94年「政治改革」の外で維持された!

 斎藤十朗・参議院議長は国会が正常化されなかったことの責任をとって10月18日辞任した。周知のように、これは、前金融再生委員長・久世公尭議員の党費立替え事件を口実に、連立与党が参議院議員の比例代表選挙における現行の拘束名簿式を非拘束名簿式に改正するなどを内容とした法案の成立を強く進めたことに起因している。野党がこれに反発して特別委員会に出席しない中、与党は、衆議院のブロック制の名簿式比例代表制維持との整合性を説明することもなく、10月13日静かに「強行裁決」を行なった。斎藤議長は、同月16日、斡旋案を提出したが、野党のみならず与党までがこれに賛成せず、議長としての権威がなくなったとして辞任した。

 斎藤議員の議長としての一連の言動を評価することは容易でない。自民党の推薦を受け通常選挙で当選し、議長となった。特別委員会の野党委員を強引に指名もした。与野党に提示された斡旋案は、比例定数の各半分を拘束名簿式と非拘束名簿式とで行なうという混合式であり、「顔の見える選挙」という与党の建前からすると、与党の案に近いものであった。したがって、与党寄りの感を否めず、本来中立であるべき議長としての言動としては大いに疑問が残る。
 しかし、混合式の提示は、与党の本音である「自党に有利な選挙」という点から見ると、与党が妥協しなかったように決して与党寄りとは言い切れない。また、「野党抜きで参議院本会議の開会を決められない」というのは、むしろ与党には厳しい態度であった。その意味では、斎藤議員は議長としての「中立性」をぎりぎり保った、と評価できるのではないだろうか。

 他方、斎藤議員を議長として指名した自民党など連立与党が議長の斡旋案を受け入れず、野党との間で正常化にむけた努力をしなかった点で、その無責任さと強引さを感じざるを得ない。斎藤議長の辞職は実質的には連立与党による「首切り」であろう。その原因は連立与党の絶対安定多数を導いた94年の「政治改革」にあると考えられる。もし総選挙が比例代表制で行われていたのであれば、自民、公明、保守の三党は、得票率から判断すると200議席程度しか獲得できず、明らかに過半数を割っていたと試算されるからである(政治改革オンブズパーソンの声明「民意を正確に反映する選挙制度への改革を!」を参照)
 その場合、政権交代になったかどうかはわからないが、少なくともこの3党で政権を維持するとしても少数与党の内閣ということになり、この度のように「数に物を言わせる」強引なことが行われ得ただろうか。小選挙区本位の衆議院議員選挙制度は、政権交代の可能性を大きく閉ざしただけではなく、「作られた多数派」の実力以上の強引さを誘発してしまった。

 一方、斎藤議長は、「政治改革」の外にあった。これは、彼が衆議院議員ではなく参議院議員であることだけを指しているわけではない。政党助成に無縁であることを意味している。
 斎藤議長は会派の点にとどまらず政党の点でも無所属であり、限りなく「中立」の立場にあった。自民党は、鯨岡兵輔・衆議院副議長のときに党籍も無所属としていたが、96年の伊藤宗一郎・衆議院議長のときから会派のみ無所属とし自民党の党籍を残している。現在の綿貫民輔・新衆議院議長も同じである。客観的に見ると自民党は国会の「慣行」を変更したのである(なお、渡部恒三・衆議院副議長は、旧新進党所属当時から党籍も離脱していたが、今年の総選挙後の再任からは「無所属の会」の党籍を残している)。
 党籍を残しているということは、政党交付金の交付手続きにおいて所属国会議員として届け出られていることを意味する。党籍だけを残すのは、所属政党の政党交付金の金額を左右する上に、自らも所属政党から政党交付金を交付されるからでもある。斎藤議員が一貫して無所属を貫いたということは、少なくとも公式には、自民党の政党交付金交付額の引上げには貢献せず、自民党から政党交付金を受け取らなかったことになる。

 勿論、それだけで斎藤議長の「中立性」を説明するつもりはない。しかし、そもそも与党案には論理一貫した哲学がない上に(政治改革オンブズパーソンの声明「今優先すべきは政治改革のやり直しだ!!」を参照)、議長の斡旋案を否定したことで与党の本音が露見したにもかかわらず、井上裕新参議院議長は、会派を離脱しながらも党籍を自民党に残したままで本会議を再開し法案の参議院通過を助けた。この意味の重大性を考えるべきだろう。
 「民主主義の発展途上国」(斎藤十朗)の下では、政党助成法を廃止し(政治改革オンブズパーソンの声明「政党助成は『民主主義のコスト』ではない!!」を参照)、小選挙区本位の選挙制度を改めるなど政治改革の抜本的やり直しが行われない限り、決して、連立与党の強引さは後退しないし、議長の「中立性」は戻らないのではなかろうか。

2000年10月19日
上脇 博之

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