イラク戦争は、米英軍による圧倒的軍事力による一方的な攻撃でしたが、今後日本が、このような戦争に加担していくのであれば、本当に国民総動員体制は必要でしょうか。輸送や医療に従事する労働者以外の人たちを動員する必要はないでしょう。
アメリカでも国民が総動員されているわけではありません。有事法制には、アメリカの世界戦略に加担するという側面はありますが、それだけだと、特に政府が整備をもくろむ国民保護法制の狙いがいまひとつ納得できません。
平和な時から戦争モードに
国民保護法制では、武力攻撃事態が発生した場合に政府がつくる「対処基本方針」とは別個に、平時から「国民の保護に関する基本方針」を策定するとなっています。仮に国民保護法制が成立した場合、政府はただちに「基本指針」を策定するでしょう。指定行政機関、指定地方行政機関、指定公共機関、指定地方公共機関などで働いている人たちには、その「基本指針」に基づいて、「基本計画」つまり「有事対策マニュアル」づくりが強制されるでしょう。さらに避難訓練や炊き出し訓練などが、これらに基づいてなされます。これらの訓練は、武力攻撃事態に備えた訓練ですから、自衛隊の主導の下でおこなわれることになります。
すでに東京都や鳥取県では、現役の自衛官が出向者として有事に備えたマニュアルづくりに関与しているとの報道もあります。福田康夫官房長官も「平時から武力攻撃事態に備えた国民の訓練を検討している」などと発言しています。
平和なときから、社会全体が戦争モードになることを私は危惧しています。
日常的に国民を統制・管理する
また、国民保護法制では、民間防衛組織を住民が自発的につくることが期待されており、そうした組織が地域単位でつくられる危険性があります。
各地で制定されている「生活安全条例」によって警察を中心に地域のコミュニティーを動員しようとする動きと連動しています。なぜこんなものが必要となるのでしょうか?
今、政府は、グローバル化による貧富の格差の拡大の下で、労働法の改悪や教育の差別化にみられるようにごく一部の人だけをどんどん出世させる階層化政策をすすめています。そして、低所得・不安定雇用層や極貧層を創出し、そういう人たちからの収奪をいっそう強めようとしています。
こういうなかで政府は、国民の不満が爆発することを恐れています。だから武力攻撃事態に備えた訓練などへの国民の動員を通じて、国民を統制・管理する体制づくりを狙っているのです。そのために「生活安全条例」という形で地域レベルで住民を動員し、あるいは相互監視させる動きも強めています。
権力に対する反感を薄める
「生活安全条例」は、行政・警察・住民が一体となって「地域で犯罪予防にとりくみましょう」という条例です。そのときに住民に防犯の責務を負わせるのです。そして防犯パトロールなどを組織していくのです。防犯パトロールは、結局、「不審者」探しにしかなりません。
一方でアメリカの戦争に加担して、グローバル化した資本主義を守り、他方でその中ででてきている、民衆にとって不利益な政策に対する不満を抑え込む、その両面の結び目のところにあるのが国民保護法制ではないでしょうか。
日常から自衛隊や権力者に対する警戒感・反感を薄めていく、逆に反感を持っている人たちをあぶり出し、排除していくという動きの中で国民保護法制の整備を政府は急いでいるのだと思います。
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