1 安全・安心まちづくり
(1)あなたの安全を守ります!
とつぜん、「あなたの安全を守ります」という見出しが目に飛び込んでくる。二〇〇二年一〇月一日から施行された、武蔵野市の「生活安全条例」ならびに「つきまとい勧誘行為防止及び宣伝行為等の適正化に関する条例」についての「市報むさしの」一〇月一日号(注1)だ。
今、全国の自治体は、いわゆる「生活安全条例」(自治体により名称はさまざまであるが)の制定と地域の安全システムの構築を進めている。「あなたの安全を守ります」と言われると、すんなり受け容れてしまいがちだが、よく調べてみると、それらの条例のとんでもない中身が見えてくる。本稿では、世田谷区、千代田区ならびに武蔵野市の条例を取り上げ、その問題点を考えてみる。
(2)警察庁生活安全局
一九九四年の警察法改正で登場した警察庁生活安全局の活動(注2)や各地での監視カメラ設置などにみられるように、@行政警察の任務の無限拡大、A監視社会化、B市民が警察活動の担い手にになる、といった特徴を持つ警察国家化が、この国でどんどん進んでいる。「生活安全条例」なども、その一環なのである。しかしそれらは、「あなたの安全を守ります」を謳い文句にして、日本国憲法一三条が保障するプライヴァシー権や同二一条が保障する表現の自由や結社の自由を縮減する方向で進められており、憲法上見過ごし得ない問題を抱えているのだ。権力者は、善人面してやってくる。やさしげな謳い文句にだまされて、気がつけばすべての生活が国家権力に監視され、規制されていた……ということにならないで欲しいものだ。そうならないために、私たちに何ができるのか。
『警察業務便覧』(平成一三年)をみると、警察庁生活安全局は、次のような姿勢で地域社会への浸透を目指しているようだ。「都市化、国際化、情報化等社会情勢の変化、生活様式の変化、住民意識の多様化にともなって、地域コミュニティが弱体化し、地域社会が伝統的に有していた防犯機能が次第に低下してきている」との認識に立ち、「安全で住み良い地域社会を実現するための地域安全活動を地域住民、企業団体、自治体等関係機関・団体、民間ボランティア、NPO等との協働により、あまねくかつ強力に展開する」。
(3)危険な市民連帯主義
警察はありがたい、と言ってはいられない。警察主導のまちづくりが、地域生活への過度の介入になると、人権の最大の侵害者は国家権力だ、という近代立憲主義の基本思想の屋台骨すら揺るがしかねない。また警察庁生活安全局は、町内会・自治会、防犯協会ならびに各種ボランティア団体などを動員して、安全なまちづくりを推進しようとしている。本稿で取り上げる千代田区の条例にも、区民は、「自宅周辺を清浄にする等、安全で快適なまちの実現」に努力しなければならない(四条一項)、「相互扶助の精神に基づき、地域社会における連帯意識」の向上に努めなければならない(同条二項)、「この条例の目的を達成するため、区及び関係行政機関が実施する施策に協力しなければならない」(同条三項)といった規定があり、「関係行政機関」に警察署が入る(二条)以上、千代田区民は、警察の手先とならなければならない。やはり、警察はありがたい、と言っている場合ではない。警察と一体化した市民が連帯意識をもって、地域から「不審者」を排除する社会は、あまり居心地のいい社会とはいえない。精神病者、あるいは野宿者が「不審者」として地域から排除されるかもしれない。あるいはこの不況下で仕事が見つからないで街角に「たむろ」している若者が「不審者」扱いされるかもしれない。他人事ではない。「不審者」は、あなたかもしれないのである。
また地域のコミュニティの一種である町内会・自治会(注3)に対しては、日本国憲法・地方自治法の施行日に占領軍によって禁止されたことにみられるように、地域共同体的性格をもって行政機関の端末組織として住民を抑圧する前近代的、反民主主義的組織だとする評価が、いまなおある。そして有事法制の一部である「国民保護法制」が整備を目指す「民間防衛組織」の主体として、町内会、防犯協会あるいは防災協会が政府の念頭にある点も考慮に入れる必要がある(注4)。そんなことも考慮に入れながら、以下に検討する三つの自治体の「生活安全条例」について考えてもらいたい。
2 世田谷区の「安全安心まちづくり条例」
二〇〇二年六月二〇日に可決・成立した「世田谷区安全安心まちづくり条例」は、かつて地下鉄サリン事件などの無差別大量殺人を行ったオウム真理教(現アレフ)の信徒対策を名目に制定されたものである。各地での自治体による信徒排除の一環として、住民票の受理拒否が行われてきたが、二〇〇一年六月十四日の最高裁による世田谷区敗訴決定を典型に、自治体側敗訴が続いている。憲法二二条の居住の自由規定からすると、当然の判断と言える。
住民票消除処分取消訴訟での区側敗訴判決(二〇〇二年五月二二日、東京高裁)に対し、上告を断念するなかで、大場啓二区長は、「もはや司法判断に期待することはできない」から「あらゆる手段を講じ」る一つの手段としてこの条例案を提出した。条例上は「すべての区民が安全で安心して生活することのできる地域社会の実現を目指すことを目的とする」(一条)と抽象的だが、狙いはオウム排除であり、さらなる問題もある。
(1)結社の自由など憲法上の問題点
条例五条では、「区は、無差別大量殺人行為を行った団体の規制に関する法律(いわゆる団体規制法―筆者注)の規定による処分を受けている団体等の集団的活動その他これに類する行為により、区民が安全で安心して生活することが妨げられるおそれがあるときは、そのことから生ずる住民の生活への影響等を速やかに調査するとともに、……事業を行っていく」としている。
そもそも、団体規制法(注5)自体が、処分前の告知と聴聞手続が不十分であり、処分時の令状を不要とする「立入検査」規定が憲法三一条(適正手続の保障)および三五条(令状主義)に反していると言える。そして観察処分や再発防止処分という強制処分を認めていることは、憲法一九条(思想・良心の自由)、二〇条(信教の自由)、二一条(結社の自由)を脅かすことになりかねない。そういう意味で、本条例も団体規制法と同様の問題点がある。
(2)あいまいな規制対象
さらにこの五条をめぐっては、区議会の審議でも、この中の「団体等」や「おそれ」の意味が議論になった。区の答弁によれば、これは団体規制法による観察処分が終わった後の規制も念頭に入れ、また今後どのような住民への被害が発生するかわからないから、このような表現を入れたという。ということは、団体規制法を越えて区の判断によりオウムその他の団体にも規制対象が拡大され、憲法・刑事法の明確性の原則を無視する危険性がある。
(3)相互監視のススメ
区は、条例五条でいう「おそれ」があるときは、「そのことから生ずる地域住民の生活への被害等を防止し、区民が安全で安心して生活することのできる社会の確保に資する活動を行う区民等の団体に対し、当該活動に要する費用について、補助することができる」(六条)。要するに、「安全安心」を脅かすかもしれない団体の監視を、住民団体などに肩代わりさせるのである。これはかつての「自警団」「隣組」のススメ規定である。
3 千代田区の「路上喫煙・ポイ捨て禁止条例」
二〇〇二年一〇月一日より、千代田区ではいわゆる「生活環境条例」(「安全で快適な千代田区の生活環境の整備に関する条例」)が施行されることとなった。この施行に際して、テレビや新聞などで、たとえば「千代田区『路上禁煙』条例始まる」(朝日新聞一〇月一日夕刊)と伝えられたように、この条例は路上喫煙・ポイ捨てを禁止するための条例と受け取られがちである。しかし、この条例は路上喫煙・ポイ捨てを禁止するだけでなく、その他さまざまな禁止事項が含まれており、憲法上看過しえない問題点をはらんでいる。
では、「区民等がより一層安全で快適に暮らせるまちづくりに関し必要な事項を定め区民等の主体的かつ具体的な行動を支援するとともに、生活環境を整備することにより、安全で快適な都市千代田区の実現を図る」(一条)ために制定された本条例の、何が問題なのであろうか。
(1)広範な禁止事項
まず、この条例では、その広範な禁止事項が問題である。区域(区内全域、環境美化・浄化推進モデル地区、路上禁煙地区、違法駐車等防止重点地区)によって禁止事項が異なるが、禁止事項は、@路上喫煙、A吸い殻のポイ捨てだけでなく、Bチューインガムのかみかす・紙くずその他これらに類する物・飲料・食料等の缶・びんその他の容器のポイ捨て、C置き看板等(置き看板、のぼり旗、貼り札等、商品その他の物品)の放置、D落書き、E犬猫のふんの放置等、F善良な風俗を害する行動、G違法駐車、そしてHチラシ等の散乱がその対象となる。
そしてこの禁止事項に対しては、罰則規定も用意されているのである。Gを除く(Gについては、警察が取り締まりを行う)先に列挙した事項の違反者に対しては、区長が改善命令を出し、従わない場合には氏名・住所等を公表することができる(一五条)。そして、@ABCD(今は削除されたが、条例施行直後の千代田区のホームページ(注6)にあるQ&AではHも同じ扱いをしていた)の違反者には二万円以下の過料(二四条)、ABCDの改善命令違反者には五万円以下の罰金(二五条)という内容になっている。
(2)あいまいな規定
次に、あいまいな規定の仕方が問題である。禁止事項の「吸い殻、空き缶等」「置き看板等」「ふんを放置する等」「チラシの散乱等」など、罰則規定がある条例にもかかわらず、規定の仕方があいまいである。これは、憲法・刑事法の原則である明確性の原則に反することになる。また、政治的なビラをまいて、受け取った人が落としてそのままになった場合には、ビラ配布者に一五条が適用される。しかも、二四条により、ABCDの行為者が所属する法人も罰することができるのである。すなわちこの条例は、憲法二一条で保障された結社・表現の自由に萎縮効果をもたらす危険性をはらんでいるといえる。
(3)監視カメラの設置
また、七条には「共同住宅、大規模店舗その他不特定多数の者が利用する施設の所有者又はこれを建築しようとする者は、防犯カメラ、警報装置等の設備内容又は防犯体制の整備に努めなければならない」という規定もある。これは要するに、「お上による監視カメラ設置のススメ」規定である。ということは、本条例は、憲法一三条で保障されたプライヴァシー権を侵害することにもなる。
(4)警察との関係
ところで、この条例案は警視庁からの出向者(土木総務課生活環境改善推進主査)が中心となって作られた。警察庁が「国民の生活安全」の必要性を訴え、警察庁の関連団体である全国防犯協会連合会が全国各地の「生活安全条例」制定一覧をホームページ上で公開している(注7)ように、この条例の背後には警察の存在がある。すなわち「たばこのポイ捨て禁止」というような聞こえのよいスローガンを掲げつつ、実はこれまで介入できなかった新たな領域に警察が介入し、「安全」の名の下に、「治安強化」「警察国家化」を進めようとする性格が濃いのである(注8)。
4 武蔵野市の「生活安全条例」および「つきまとい防止条例」
最後に、「武蔵野市生活安全条例」および「武蔵野市つきまとい勧誘行為の防止及び路上宣伝行為等の適正化に関する条例」(以下、「つきまとい条例」)を取り上げる。
(1)「路上宣伝行為」の「適正化」
「つきまとい条例」は、「道路その他一般の交通の用に供する場所」での「宣伝用ティッシュペーパー、商品見本、ビラその他これらに類するものの配布」(二条(3)ア)、「ぬいぐるみを着用し、又は手拍子を打ち、若しくは大声を上げながら行う宣伝又は呼び込み」(イ)、「通行人を呼び止めて行う……アンケート調査……」(ウ)、その他「宣伝、勧誘等の行為であって市長が別に定めるもの」などと定義された「路上宣伝行為等」に対して、「何人も、路上宣伝行為等をするときは、他人の通行を阻害しない方法でしなければならな」(四条)としている。これでは、およそあらゆる表現行為が規制の対象になりかねない。
そして、市長が指定する「勧誘行為等適正化特定地区」(三条、以下「特定地区」)では、市長は、「路上宣伝行為等の方法の変更を求めることができる」(一一条)とされている。また施行規則にある民間警備会社への委託も含めてなされる「指導員」=「つきまとい条例」に基づく「パトロール隊員」(通称「ブルーキャップ」)についても「路上宣伝行為等」の「指導」が任務とされている(施行規則四条)。「特定地区」では、通行を阻害する方法でビラ配りなどをしていたら、方法の変更を求められるというこである。この条例には罰則規定はなく、「指導」に従わなかったり、警告をくり返し無視した者には、氏名が公表されるだけである。しかしこうした法令の表現の自由に対する萎縮効果は、いくら危惧しても危惧しすぎるということはない。
(2)危険な「市民連帯主義」
「生活安全条例」では、「市は、地域の安全を守るために市民等が行う自主的な活動に対し、必要な支援を行う」(二条三項)、「市民は、地域の安全を点検し、協同して犯罪を予防するための活動を行うように努める」(三条)として行政と一体となった市民による自発的な犯罪予防という「市民連帯主義」が見られる。また市長を会長とする「武蔵野市生活安全会議」が設置され、そこには「武蔵野警察署長」も委員として含まれている(五条)。この「安全会議」は「武蔵野市生活安全計画」を策定・実施するものとされ(六条)、その「安全計画」を推進するために「関係機関、市民団体等で構成する武蔵野市生活安全対策推進協議会」が設置される。要するに、市・警察・市民団体が連携して、「安全計画」を推進するということである。
そして、「生活安全条例」に基づいて、市内を巡回する「市内安全パトロール隊」(通称「ホワイトイーグル」)は、「不信な行動をとる人を厳しい目で見つけ出し、すばやく警察に通報」する(「市報むさしの」七月一日号)という。
(3)監視カメラの設置
さらに、条例の四条を受けて、「施行規則」二条では、「市長は、条例第四条に規定する事業者等または新たに市の区域内で建築物を建築しようとする者が次に掲げる建物について建築基準法……に基づく確認の申請をしようとするときは、その者に対し、当該建物における犯罪を予防するために必要な設備の設置に関し、武蔵野警察署長と協議するよう指導するものとする」として、一五戸以上の共同住宅、百貨店、マーケット、コンビニエンスストアー、旅館、ホテル、パチンコ店、ゲームセンター、ボーリング場、劇場、映画館、演芸場、その他「不特定多数の者が利用する建物」を例示的に列挙している。
こうした建物を建築する業者に対して、警察署長と協議するように市長が指導するという。おそらくは、武蔵野市の一定以上の人数が利用する建築物に監視カメラなどが設置されていくことになるのだろう(「市報むさしの」一〇月一日号では「監視カメラ」と書いている)。
「あなたの安全を守ります」と言って、ありとあらゆる路上宣伝行為を「適正化」し、不審者を探し回るパトロール隊を市内に巡回させ、監視カメラなどの「犯罪を予防するために必要な設備」を市内に増殖させる武蔵野市の二つの条例は、表現の自由やプライヴァシー権を圧殺する危険を持っている。武蔵野市では、いつでもどこでも監視カメラやパトロール隊の目を気にして、「不信」と思われないように「行儀よく」振る舞わなければならないのだろうか。
むすびにかえて
本稿は、石埼および清水の連名で執筆したものであるが、具体的には1と4が石埼、2と3が清水の担当部分となっている。以上、この「生活安全条例」問題を検討してきて、最後にそれぞれのまとめ的な意見を述べてみたい。
石埼の意見は、既に1で述べたとおりである。権力者は善人面してやってくる。石埼は、それへの警戒を怠ると、権力にがんじがらめにされる危険があるということ、警察や行政と一体となった「市民連帯」という考えは危険であることに警鐘を発する。そうした発想による「まちづくり」が諸「公共圏」への市民参加として語られる文脈にも注意を要する。
清水の意見としては、さしあたり次のことを強調したい。そもそも、たばこのポイ捨てなどはマナーの問題として解決すべき事柄である。しかし、千代田区の条例を紹介するホームページで「マナーからルールへ」という表題を掲げているように、この条例で法規範による解決が目指されることとなった。ということは、本来、市民社会内部で市民が自律的に道徳規範として解決すべき問題を、罰則規定を伴う法規範によって解決する問題に転換してしまったのである。すなわち、これは「公権力(特に警察)による市民社会統治」をもたらし、「市民社会の敗北」ともいえる状況を生み出しかねない。私たち市民がマナーを守れず、他人を注意できなかった、すなわち自律的な「強い市民」たりえなかったことにより、権力の介入に道を開いてしまった現実を今一度よく考えるべきである。
ともあれ読者が、自治体の例規集を検討したり、各地の生活安全条例やその運用を監視したり、また地方自治のあり方、警察国家化と法、人権・自由と安全といったことを考えるキッカケに本稿がなってくれれば幸いである。
【注】
注1 武蔵野市ホームページhttp://www.city.musashino.tokyo.jp/で見ることが出来る。
注2 一九九四年の改正警察法および警察庁生活安全局について、日本弁護士連合会編『検証 日本の警察』(日本評論社、一九九六年)を参照。また警察国家化についての憲法学者による分析として小沢隆一『現代日本の法』(法律文化社、二〇〇〇年)を参照。
注3 町内会・自治会について、山崎丈夫『地縁組織論』(自治体研究社、一九九九年)などを参照。
注4 安全・安心まちづくりの問題点、有事法制との関係などについて渡辺治・三輪隆・小沢隆一編『戦争する国へ 有事法制のシナリオ』(旬報社、二〇〇二年)に所収の石埼学論文を参照。
注5 団体規制法の憲法上の問題点については、川崎英明・三島聡「団体規制法の違憲性」法律時報七二巻三号(二〇〇二年)、五二頁以下を参照。
注6 千代田区ホームページhttp://www.poisute.com/jyourei.htmlを参照。
注7 全国防犯協会連合会ホームページhttp://www.bohan.or.jp/を参照。
注8 なお、千代田区の条例を批判的に検討するものとしては、島田修一「千代田区安全快適条例の問題点」自由法曹団東京支部ニュース三四四号(二〇〇二年九月号)一頁以下がある。
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