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第二話 歴史に翻弄された在日画家の『望郷』の思い
十六日、午後五時、金浦空港から一時間ちょっとでカンジュ空港に到着。同行の内二名が頭痛と、五十肩?を訴える。緊張のせいか?私は二度目の訪問でリラックス気分、おまけに同行者もいて安心な旅とは言え、二人が気になる。慣れない地方で具合が悪くなったら大変だ!
翌日十七日は、先生は大学で授業があるため、午前中はジョンさんとその友人(道庁職員の時高知県に単身赴任していたので日本語が得意)に、ビエンナーレの美術展示場を案内していただく。現代美術から歴史的な人権活動家の画家達の芸術作品が一同に展示されている。話が前後するがこの日はざっと見学したが、十八日夕方、呉さんとやはりこの歴史的な5・18に招待された伊藤成彦(中央大学教授、金大中救援委員会)さんと、沖縄の安里英子さんといっしょに、ビエンナーレの展示場でもっとも貴重な作品が展示されている館に案内していただいた。 館は五時で閉館していたが、先生のお弟子さんがこの館の作品の収集責任者でもあり、特別の計らいでガイドをしていただいた。日本での収集の際の苦労話などをされ、在日の芸術家の生きざまや、「望郷」の思いを実現すべく、憧れて渡った理想郷であるはずの朝鮮民主主義人民共和国で評価されずに、表現の自由を奪われた、特に前衛芸術家達の渡朝前の作品を目の当たりにしてじっくり鑑賞することが出来たことに感謝感激。
この夜は5・18前夜祭が道庁まえの大通りで、二十年前学生と市民が集会を行った噴水の上に例年のごとく特設ステージが作られ、今年から市も予算を計上し大々的に開催された。ゲストも海外から多く参加し、沖縄からはアジア圏を代表する芸術家として喜納昌吉さんが出演した。沖縄民俗楽器の演奏、花、はいさいおじさんの三曲の演奏。ステージは予定の時間を二時間以上遅れている。芸術家の演奏の前に、パンソリ「光州事件」が上演され、松明行進にはアジア人権フォーラム参加者も参列した。追悼集会のスローガンのもと、市民五万人の大合唱「光州の五月」が盛り上がった後の出番は、特に緊張するものだ。
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自治労名古屋市職労の山口 真さんのまんがにリンク(パート8)