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「一番最初に〈国家公安委員会の勧告〉があるわけですね」と冴子。「そうすると、警察関係にも協力者が必要になりますね」
「はい」と智樹。「この関係の緊密さは皆さんが《いずも》でご存知のとおりです。自衛隊が警察予備隊として発足した経過もありますし、シビリアン・コントロールの原則で警察出身者が継続して防衛庁に送り込まれています。警察官は文官なんですよ、小山田さん」
「これが文官、ねえ」小山田は自分のごつい胸板を両手の拳でたたく。「そんなに文化的な仕事じゃないんですけどね。シビアな仕事には違いありませんが、シビリアンってほどでもないし……」
「オホホホホホッ……」冴子は声を立てて笑ったが、その目は鋭く皆の表情を読んでいた。
「《いずも》の名前も出ましたが、本当にこの計画が実行されるとすれば、大変にシビアな状況ですわ。皆さんのそれぞれの身近かに強力なクーデターの荷担者がいるわけですからね。下手をすると、仲間に引き込まれるんじゃないかしら。私も、お話をうかがっているだけで、自分たちがクーデターを計画しているような錯覚を覚えますけど……」
「そうですね。背中が冷や冷やしてきますよ」と絹川。「いわば敵味方入り乱れての混戦といった有様でしょうね。しかし、2.26事件でも最初は反乱側に味方していたような将軍連中が、状況が不利になるとサッサと手を引きましたね。トップに近いほど、そういう洞ヶ峠組が多いものですよ。こういうときには、実務派の我々が腹をくくることが肝腎じゃないですか。そうでしょ、影森さん。影森参謀総長なら、どんな作戦計画をお立てでしょうか」
「アハハハッ……」と智樹。「まだ細部の状況が良くつかめないんですが、ともかく、このクーデター計画の作戦展開上の最大のポイントは、最初の過激派を装った集団の襲撃にあると思います。ここの成功にすべてがかかっています。ここがいかにも〈大規模な騒乱〉とか〈間接侵略〉らしく演出できなければ、〈緊急事態の布告〉には至らないでしょうね。戦後の実際の経験では、60年安保のピークに岸首相が再3再4、自衛隊の出動を要請しました。しかし、このときは自衛隊の方が、1政権の延命のために国民の反発を買うべきではない、という考えで出動を拒否しています。出動の態勢は取ったんですよ。しかし、決して動く気はなかったというんです」
「やはりね」と小山田。「出動態勢の噂は聞こえていましたが……」
「はい。ある自衛隊幹部が新聞記者に自衛隊が出動するぞという、にせのリークをしたら、それが国会包囲のデモ隊に伝わって、すぐに流れ解散したという裏話もありました。私は当時、3等陸尉に任官したばかりで表面上の出来事しか知り得ませんでしたが、もっとドギツイ裏話があったと想像しています。……国会突入を図った過激派の学生たちに、転向右翼の中田なにがしが資金を出していたという暴露ニュースがありましたね。もしもですよ、あの過激派の学生たちが警察官を何人か殺したり、国会に火を放ったりしていたら、事態は変わったかもしれませんね。そういう雰囲気はあったんです。ところが逆に、死んだのは女子学生でした。これで自衛隊の出動は決定的に不可能になりましたね」
「そうでしたね」と絹川。「あの頃は、事態がどう転がるか、誰も予測できなかった」
「ですから、最初の暴動の規模と内容が最大のポイントです」と智樹。「この暴動の準備状況を調べて、ウイーク・ポイントを探す。これが第一でしょう。最初の暴動を失敗させれば、それでクーデター計画は雲散霧消しますよ。すでに弓畠耕一の死で敵は動揺している。清倉はこれで計画中止といいだしている。次に具体的なのは〈塾での作業〉という言葉です。もしかしたら、殺された長崎記者と浅沼刑事は、なにか彼らにとって都合の悪い場面を目撃したのではないでしょうか。当面、あそこに注意を集中してみてはどうかと思います。道場寺満州男がなにを企んでいるか……」
「よろしいですか」小山田が珍しく冗談抜きの真剣な顔で、ぶっきらぼうに口を開く。「実は私もそんな勘がはたらきましたので、興亜協和塾の周辺の聞き込みは極秘も極秘、私の一存でやらせています。上にも報告していません。担当の2人の刑事も、自分の目の前でまんまと偽装殺人をやられたわけなので、必死の気合いがはいっています。念入りな変装で裏捜査に当たっているようですが、昨晩、現地から連絡がはいりました」小山田は深呼吸をして一同を見渡した。「影森さんがいわれた〈興亜協和塾での作業〉に関係がありそうな聞き込み情報が2つあります」
一同、ハッと息を飲む。
「現地に張りつけたのは、石神と野火止という2人の刑事です」と小山田。「石神刑事は結婚相談所の私立探偵を装ったようですが……こちらの聞き込みは近所のお婆さんからです。春先に風で砂がたくさん散ったので、朝方、道路の掃除をした。竹箒で道を掃きながら塾側の溝の底を見たら、塾の下水の出口から下流の方が赤く染まっていた。血の色のようで気味が悪かった。その晩、もう1度溝をのぞいて見ると、赤黒い排水が煙のようにモクモク吹き出していた」
「あら。聞いているだけでも気味悪いわ」冴子が肩をすくめ、一同ドキリとした表情。
「済みません」小山田はペコリと頭を下げる。「もう1人の野火止刑事は自動車のセールスマンに化けました。こちらは一杯飲み屋のママさんの話です。自分が飲みたいのが先だったのかもしれませんが、それはこの際おいときまして、……この報告が面白いんです。ママは結構美人でして、聞けば、かつては映画女優。段々詳しく聞くと、どうやらポルノ女優。ほら、老舗の活映が経営危機になって、ロマンチック・ポルノという、ちょっと気取ったポルノ映画を作っていた時期があるでしょ。あの頃らしいんですがね」
「あら、今度は、いやらしいわ」冴子が牽制する。「過去のことはあまり詳しくなくても結構ですよ。なにが分かったかだけで」
「はい。それで」小山田はニヤリ。「つい最近、ママが現役女優の頃の監督が店に来たことがあるという話なんですね。ポルノ路線になる前には活映名物のヤクザ映画で、かなり売れっ子の監督だった。ポルノでもSMがかった好みでママには刺激が強過ぎたらしい。その監督が例の塾の連中と一緒に店に来たというんです。ママは、てっきり監督が自分のことを覚えていてくれると思って、〈あら、先生……〉と久し振りのあいさつをしかけたのに、知らん顔をしている。どうも様子がおかしい。そこで、塾の連中が席をはずしたすきに、もう一度〈ねえ、先生。私のこと、もうお見忘れですか。脱がせてイジメないと思い出せないのかしら〉とアタックしてみた。ところが監督はあわててママに目配せ。〈ここでは知らない間柄にしてくれ。君に迷惑がかかるといけないから〉といった……」
「うん。これは匂う」絹川は身を乗り出すが、皆の目つきを見て、「いや、ご一同、同じことをお考えかも……」
「どうぞ、どうぞ」と冴子。「絹川さん、おっしゃってください」
「では」絹川が身を乗り出す。「塾の中にスタジオがある。連中はその映画監督を使って、クーデター計画の最初の襲撃シーンの特殊撮影をしている。血の色と見えたのは泥絵具。殺しの場面、つまり、暴動グループが警察官をバッタ、バッタと撃ち殺すシーンですよ。これをヴィデオ録画しておいて、Xデイ当日の現場中継に混ぜる。野球や相撲の場合と同じように編集して、これでもか、これでもかと繰り返してテレヴィで放送するんですよ、彼らの計画は……」
「ピンポーン。私もそう感じたわ」と冴子。
「私も同じ考えですが、小山田さん、血かどうかは調べられませんか」と智樹。
「はいはい。皆さん、さすがに鋭い」小山田は嬉しそうにもみ手。「ここで電話がジリリン……と鳴れば上出来なのですが、まだのようです。私も昨晩報告を受けてすぐに勘がはたらきまして、夜中にこっそり溝の底の泥をさらえと命じました。朝一番で本庁の鑑識にルミノール反応を調べて、ここへ電話をくれる手はずなんですが……」
「さすが、さすが。それと、ちょっと待ってくださいよ」冴子が興奮ぎみに手を振り回しながらヒミコの前に移動する。「消防庁に届け出の図面があれば決定的でしょ」
待つほどもなく図面は出てきた。記録によると、興亜協和塾の1階ホールは1年前に改造されていた。防音ドアなどの設備が施され、照明器具が天井に吊るされる撮影スタジオの構造であった。
「ううむ。こりゃあ間違いないぞ」絹川も細い腕を空中でくねらす。「ううむ。……しかし、少なくとも2種類は用意しておかないと」
「なんですか。2種類というのは」と冴子。
「季節ですよ、季節」絹川が得意げにウインク。「Xデイの季節をあらかじめ決めるわけにはいきませんからね。警察官の服装が変わります。夏服とスリーシーズン。襲撃する側の服装も同じことです。自然の風景は、桜がツボミか散り際か。凝ればきりがありません。建物だけをバックにするとしても、服装だけで2種類は撮影しておかないと……」
「それです」智樹も目を輝かす。「〈夏の分はもう完了した〉という意味不明の部分があったでしょ。つまり、冬の分はまだなんです。作業はまだ続きますよ。こちらとしては、時間が稼げたことになります」
そこへ電話がジリリン……。
「はい。私です。つないでください。……おう。ご苦労さん。……うん。……うん。分かった。うん。……うん。……じゃ、また、引き続き見張りを頼むよ」受話器を置くと小山田は黙ったまま右手の親指と人差し指でマル印を作る。一同ホッと溜息をつく。
「お見事、お見事」と冴子。「これでポイントははっきりしたわけですわね」
「はい」と智樹。「ただし、まず肝腎なのは《お庭番》チームらしい基本戦略ですね。《いずも》の有力メンバーの中にもクーデター荷担者がいるでしょうから、あまりトップを追い詰めると逆襲されます。どの範囲をたたくかを最初に決めて、早目に明らかにできるようにしておいた方が良いのではないでしょうか」
「検挙する前に判決を決めておくようなものですね。ハハハハッ……」と絹川。
「影森さんにはすでに、お考えがおありのようですね」と冴子。
「はい。ちょうど良い材料があります」智樹はまた別のファイルを取り出した。「つい先頃の週刊誌のスクープ記事です。〈3等陸佐・謎の死のダイビングの陰に防衛庁の悪徳7人組、統幕のドンを名指した怪文書が指弾する利権コネクション〉。この記事はかなり確かなものです。私は信頼のおける後輩からも裏を取りました。防衛庁の現役とOBは、この記事の範囲で充分でしょう。角村などの天下り組も憲政党代議士もはいっています。この他に興亜協和塾の中堅どころを数名……」
「すると」と絹川。「憲政党の下浜安司、清倉誠吾、江口克巳、都知事の筋沢重喜、大日本新聞の正田竹造、弁護士の陣谷益太郎……。この連中は見逃しますか」
「そうなりますね」
「あの塾長、ええと、久能松次郎も見逃すのですか」冴子は不満げである。
「これが一番難物ですね」と智樹。「《お庭番》チームの任務である〈スキャンダル隠し〉の真価が問われるところです。あの老人は存在自体がスキャンダルですから、痕跡を残さずに消えてくれれば一番良いんですが……」
「年も年ですからね」と絹川。「塾のナンバーツー、ナンバースリーぐらいを挙げて、封じ込める。あとは時間が解決してくれる」
「問題は、そのあげ方ですね」と冴子。
「決まっているじゃありませんか」絹川は小山田に顔を向ける。「やはり、浅沼巡査部長と長崎記者の殺害容疑で捜査令状。ここは小山田さんに決意をしていただいて、もう一度、中央突破を」
「こりゃ厳しいですね」小山田は苦渋を隠さない。「いずれは、そういう話になるとは思っていました。私自身も一番やりたいことです。しかし、危険なのは、下手に動くと相手に抜けて証拠を隠されることです」
「ええ」智樹も腕組みをして慎重にいう。「私も、小山田さんのルートだけで再度押すのは危険だと思います。できれば新しいルートも研究して、そのうえで、それぞれのルートで一斉に攻めるというのはどうでしょうか」
「新しいルート」冴子が首をかしげる。
「検察庁の関係ということですか」絹川が肩をすくめ、目玉をグリグリする。
「そうとは限りませんが……」智樹はさらに一同を見回して続ける。「もちろん、《いずも》の正規のルートが一番良いわけです。官房長官か内閣調査室長あたりが踏み切ってくれるようでしたらね。それなら小山田さんも動きやすくなる。ほかにもたとえば、麻薬が隠されていれば公安調査官か厚生省の麻薬Gメン。経理に不正があれば大蔵省のマルサ。自衛隊の調査部も本来なら責任を問われるところですが、あそこには手が回っている可能性が強い。……どうしようもなければ1民間人の私が身を挺して潜入し、現行犯事件を起こして小山田さんの出動を促す」
「物騒なことをいわないで」と冴子。
「アハハハハッ……」智樹はいたずらっぽく笑った。「しかし、意外にも、この最後の一手が一番早くて確実かもしれませんね。先ずは、お役所仕事の手間が省けるし……」
「検察庁の線は警察よりもガードが固いんじゃありませんか」小山田が深刻な顔。「OBの清倉、陣谷、あの2人が現役の人事権をガッチリ握っているそうだし……」
「ちょっと待ってくださいよ」絹川が右手で顎をなでながらつぶやく。「このクーデター計画に関しては、マスターズ・ヴォイスがないままなんですよね。かといって、こちらからいきなり詰めても危険ですし、下手をすれば、秩父審議官の立場も苦しくなります。……どうでしょう。私が官房長官に直接会って了解を取りつけましょうか」
「あらっ。絹川さん、藤森官房長官となにかコネでも」冴子が不思議そうな顔。
「いや、なにね」と絹川はとぼけ顔で首をこする。「昔、ある疑獄事件で藤森先生の取り調べを担当したんですが、今もまた、例のルクリュテ疑惑で名前がチラホラ。どうせこれも一網打尽にするわけじゃない。なんならこの際、取り引き材料に使った方が、世のため人のためかと……」
「でも、……脅かしたりして大丈夫ですか」冴子が心配顔。
「とんでもない」絹川は両手で宙をあおいで、否定のしぐさ。「脅かしどころか、ご注進、ご注進。それこそ揉み手で耳打ち、お庭番参上ですよ。個人的にルクリュテ疑惑のご注意を申し上げたあとに、〈別件の捜査に後ろ盾を〉と持ちかけます。《いずも》の責任者の官房長官に筋を通しておけば、私が検察官として独自の捜査権を行使して、警察の協力を求めることもできます。これでどうでしょうか」
「それが可能なら一番安心ですね」冴子がニッコリと応じた。「では、それぞれ努力することにして、絹川さんの朗報を待つことにしましょうか」
それぞれのルートで並行して詰める。絹川は官房長官の了解を取り、小山田や現地の静岡県警の協力を得て興亜協和塾を強制捜査に持ち込む。そういう方針を確認したあと、
「ところで……」小山田が追加する。「その際の相手ですが、道場寺満州男は孤児でした。満州男という名前は満州支配時代の生まれによくあるのですが、戦後生まれでは珍しいでしょ。久能松次郎が満州から連れ帰ったらしいんです。名づけ親も、あの老人のようです。まさに子飼いの子分ですね。戸籍は別になっていますが、防衛大学校の寮にはいるまでは戦後一貫して住所が一緒でした。43歳で独身。犯罪歴なし。柔道5段。空手3段。運転免許はバイクから大型車、特殊車両、モーター・ボート、自家用飛行機まで。自動車の2級整備士、無線通信士の資格もあります。アメリカでの特殊部隊訓練とアンゴラでの傭兵の経験を加えて考えれば、こんなに危険なプロの匂いのする男は今時あまりいませんね。どうですか、影森さんも似たような訓練を受けているんでしょうけど……」
「いやいや」と智樹。「私より10歳は若いし、腕力も相当に強い感じですね。やはり直接対決はしたくない相手ですよ。ハハハハッ……」
絹川も内緒話の口調で報告する。
「某有力議員の第1秘書の話ですが……道場寺満州男は表面に出ないが、裏ではガッチリ、興亜協和塾の政治献金ルートを押さえているそうです。いざとなれば、その情報だけでも政界ににらみを利かすことができます。ルクリュテ政治献金リストの暴露であれだけの騒ぎになった折りから、恐い男だという位置づけでしょうね。政治家だけでなく、各界の要所も押さえているようです。今度名が出ている中では、陣谷弁護士が東京弁護士会の会長選挙で選挙資金を受け取っている。正田竹造もテレヴィのネット局買収で世話になっている。まさに一蓮托生ですね」
「地獄の沙汰も金次第って、本当ね」
一番若い冴子が、珍しく古い格言を持ち出したので、一同顔を見合わせて大笑い。