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青山通りへ出て会葬者の人の群れもまばらになった頃、そば屋の看板が目に止まった。中にはすでに何組かの喪服の先客がいた。智樹と立泉は奥座敷に上がり、ざるそばとビールを注文した。しばらくは共通の知人の消息を交換しあった。立泉は機嫌が良かった。
「そのごはどうですか。……しかし、惜しいな。僕の方でも、君には期待していたんですが……。今時、戦史理論を本格的にやる人は得難くなっているんでね。目の前の実利に目を奪われているばかりの若者が増えた。軍事学は、そのうちに滅びる学問かもしれませんが、まあ、その方が良いのでしょう。戦争がなくなる時代を期待しなくちゃいかんのですからね」
「しかし、大きな書店に行きますと、防衛関係とか経営戦略とか、かなりの新刊書が出ていますよ。私も読み切れないほどです」
「いや。それがほとんど実利型でしょ。僕も出版社から頼まれるんで、何冊か書きはしましたが、どうも過去の犯罪的知識の切り売りをしているみたいで、恥ずかしくていけません。今では元軍人が先を争うようにして、なぜ日本軍は惨敗したかなんてことを得々と書いている。読む方は読む方で、戦争の失敗の経験を経営の成功に生かそうという魂胆なんですね。本当の反省ではない。侵略戦争に対する心からのお詫びではない。それが浅ましい感じなんです。僕は本当の理論研究をしたいのだが、あまり古今東西に話を広げると嫌われるらしい。そういう風潮は軍事学だけじゃなくて、ほかの分野でも、いわゆる軽小短薄時代とか……」
智樹は立泉の若々しい情熱的な話し振りに、すっかり押されてしまった。怪老人の正体について聞くために近づいた自分の魂胆を悟られるのが恥ずかしくなり、ますます質問を切り出しにくい。
立泉はさらに追加のビールを注文して、話を続けた。
「この年になるとやはり、ライフ・ワークといえるものを残したくなりますね」
「そうでしょうね。新しい著作構想ですか」
「いえ、敗戦直後にひらめいた構想です。私は軍事学を二律背反の悲劇の歴史として見直したいんです。近世の民兵論は、当時の諸大国に分断支配されていたイタリア人の祖国統一の悲願から生まれた。それを集大成したのがマキャヴェリの『戦術論』です。クラウゼヴィッツの『戦争論』も、ナポレオンに踏みにじられたドイツ諸国の現実を背景にしています。しかし、軍事学は一方で侵略の思想と化し、他方で解放戦争の理論となった」
立泉の話は、ロンドンの海軍軍縮条約への批准反対から天皇の統帥権の拡大解釈に至るまでの、日本の侵略思想がその頂点に達した時期に及ぶ。その時期こそが、立泉らの青春であったのだ。
「あのロンドン会議は、しかも、パリで不戦条約を結び、これからお互いに軍縮をしようという、つまり、〈不戦〉という理想が掲げられていた国際会議なんですからね」
「そうですね」智樹も応じた。「欧米では、第一次大戦で使われた新型兵器による大量殺戮の悲惨さに対する反省が強かった。列強それぞれに思惑はあったとしても、軍縮に対する態度には、そのギャップが典型的に表われていますね。日本は第一次大戦の火事場泥棒で領土を増やし、ますます血に飢えていました」
「そうです。軍人だけじゃない。むしろ、いわゆる革新官僚やジャーナリズムがこぞって、軍人をあおっていた。戦争成金も政治に口を出した。革新華族などというのもいた。血の気の多い無思慮な若手将校が突っ走るのは当然です。財閥も彼らに軍資金を与えていた。その際、見逃せないのが軍の特務機関と民間の右翼が手を結ぶ謀略の構造です。特に、満蒙支配を狙う謀略には長い歴史があります。満州事変でも、計画段階から民間の擾乱工作の青写真があった。大量の機密工作費が用意されていた。関東軍の部外で満州浪人や現地の青年を組織したものがいる。満州事変で謀略の中心になっていたのは、たとえば元憲兵、予備大尉の甘粕正彦です」
立泉の眼光は鋭さを増した。
智樹は自分の心中を見抜かれたと感じて顔を赤らめた。智樹が気づいていた〈…マカ…〉の〈まさか〉は、この甘粕正彦のことだったのだ。立泉は智樹の反応を知ってか知らずか、さらに続ける。
「彼は満州国ができると関東軍の推挙を得て民政部警務司長になった。これは、今の日本の制度でいえば警察庁長官に当たる地位です。警察といっても武装して、軍隊と同様に反乱分子の討伐に当たっていた。治安対策が一段落すると、甘粕は協和会の総務部長となった。協和会は満州国の理念とされた日・満・漢・蒙・鮮の五民族協和を政治目標としていた。政党活動と議会政治を全面的に否定した満州における唯一つの政治組織で、正体は関東軍お声がかりのファッショ団体でした」立泉の目は智樹の心の底をのぞくように光る。「影森君。僕は甘粕のような陰謀家の暗躍をも、はっきりと戦史に位置づけたい。戦争は、もともと謀略戦を含みますが、近代になればなるほど実に汚いものだということを明確にしておきたいのです。甘粕正彦の満州国における役割は典型です。満州映画協会の理事長という肩書きしか載せない文章がほとんどですが、最初の関わりが謀略、建国後には民政部警務司長としての弾圧、ラスト・エンペラーの引っ張り出し。次には協和会の御用団体組織、映画による文化政策。ともかく、要所要所を見事に押さえています。こういう経過が意外に忘れられているんですね」
「私も、そんなふうに系統的に追って考えたことはありませんでした」
「甘粕は、関東大震災のどさくさにまぎれて大杉栄、伊藤野枝、甥の少年宗一、3人の首を締めて殺し、古井戸に投げ込んだ。たとえ主義主張が違おうとも、本人ばかりか無抵抗の女性と少年を惨殺した犯人です。法治国日本の法律にはっきりと触れる行為です。それを、軍人に規律を守らせる立場にある憲兵隊の将校が犯したのです」
「あれは、甘粕が1人で罪をかぶったのだ、という説もありますが……」
「知っています。関東大震災の混乱を利用して、いわゆる〈不逞〉朝鮮人、朝鮮の独立運動の活動分子ですね、それと社会主義者を始末しようという動きは、相当上の方からの極秘命令だったのでしょう。しかし、事実はどうであれ、甘粕は罪を認めて有罪となったのです。だから、社会的には、そういう人物として取り扱う以外にありませんよ。それに、彼が罪をかぶったのが本当だとして、懲役10年の判決を下された彼がたった2年10ヶ月で出獄した経過やそのごの処遇は、まるでヤクザの世界の出来事ではありませんか」
「アハハッ……そうですね。まさに親分の罪を被ったハクつきのお兄さんですね」
「そういう実例が、そのごの日本軍の憲兵隊の性格や軍律にも大いに影響しています。中国戦線での捕虜や民間人の大量虐殺などは、この思想の延長線上に起きたことです」
立泉はまだまだいい足りないという面持ちであったが、そこで口を閉ざして目をつぶった。
智樹の口からは自然にほぐれ出るような問いが発せられた。
「甘粕正彦は満州で青酸カリを飲んで自殺したと聞いていますが」
「それは間違いないでしょう。何人も目撃者がいたようですから。……黒板には彼の筆跡で辞世の句が残されていたそうです」
「あれですね。〈大ばくち もとも子もなく すってんてん〉とか」
「ええ。あれで陸士の教養の程度が知れるといわれて、僕らも恥ずかしかったものです」
立泉は智樹をまじまじと見つめた。
「甘粕の自殺は8月20日です。ソ連軍がその2日前に新京にはいって、協和会の中央本部に司令部を置き、協和会関係者の一斉逮捕の準備を開始しました。ソ連軍は協和会をドイツのナチ党と同じく強力な反共謀略組織として位置づけていましたから、日本軍の降伏の次には協和会の壊滅を狙ったわけです。甘粕は当然、逮捕されたら命がないと覚悟したでしょう。影森君。甘粕は確かに死んだ。しかし、残党は生き残っている」
立泉はひと息入れて続けた。
「影森君。僕は君の今の任務を知ろうとは思わない。だが、僕は君を人間として信頼している。君は今日の葬儀でもなにかを探っていたようだ。なにが君の役に立つかは分からないが、あの老人は、間違いなしに甘粕の懐刀だった男です。もう80歳以上になるでしょうが、顔立ちも身体つきもまったく変わっていない。関東軍司令部時代に何度も会っている男だから見間違うことはありません。甘粕自身は一匹狼型だったが、陰で彼を支える隠密部隊があって甘粕機関と通称されていた。興亜院や協和会と連携して、アヘン密売などで機密費を調達していたらしい。その中心にいたのが、あの男、陸軍特務少佐のコバ、古い葉っぱです。同姓の将校が司令部にいたので、僕らは彼をワルコバと呼んで区別していましたよ」
「ワルコバですか。ピッタリの感じですね。ハハハハッ……」
「ハッハッハッ……。昔はもっと脂ぎった悪党面でしたよ。それほどの大物ではありませんが、陰の実力者でした。当時は、ご存知のように佐官クラスが軍を動かしていましたからね。ほかの連中の反応も確かめましたが、角村さんの表情は君も見たんじゃないですか。清倉誠吾も動揺していたし、あとで誰かと相談していましたね」
「知っています。大変な驚きようでした。しかし、角村さんなど何人かは、あの男の生存そのものは知っていたし、最近も会ったことがある、という表情でした。それで、……ああいう場に現われるのには反対する、困るという感じでした。清倉さんの場合は、むしろ怒りに近い感情が見えました」
「そうでしょう。困る人は多いでしょう。しかし、辻政信みたいに戦犯裁判を逃げ切ったのもいたし、A級戦犯に指名されても、アメリカに協力を誓ったりして無罪釈放で返り咲いた大物が何人もいたんです。もう1人ぐらい小物の亡霊が地下から現われても大差はないでしょう。アッハハハッ……」
長崎記者は、これほどの興奮を味わうのは生まれて初めてだと思った。
葬儀自体も、最高裁長官の怪死、真相を知るものは数人という白昼の悪夢である。しかもそこへ現われたのが、かねてから疑問を感じていた自社の社長、正田竹造であり、その《満州帰り》人脈の疑惑を強力に裏づける怪しい老人であった。この両者は当然、満州を背景として戦争中からの深い関係を保ち続けていたのであろう。
《興亜協和塾》は初耳であった。しかし、黒塗りのパンパス3台と黒ダブルの男たちのそろい踏みは、ハッタリにしても相当な陣容である。老人が現われたときのお偉方たちの反応も異様だった。〈絶対になにかある。当たって砕けろで行こう〉と長崎は決意した。まず資料をそろえてから会見の約束を取るという考え方もある。しかし、直接取材も時には良いものだ。尾行して本拠地を衝くとしよう。長崎は告別式が終わる前に尾行のタクシーを確保しておこうと考え、出棺の挨拶の間に表の通りに出た。通りの左右に目を配っていると、クラクションが鳴り、
「長崎さん」聞き覚えのある声がかかった。赤い小型乗用車の運転手が薄めのサングラスを半分はずして、嬉しそうにニコニコしている。新米刑事の浅沼巡査部長である。
「これは、これは、浅沼刑事さん。今日は自家用車なの」
「はい。おまけに非番ですよ。ピーンと来ましてね。まあ、乗ってくださいよ」
長崎は助手席に乗った。浅沼は再びサングラスをかけた。ピンクの色物のオープンシャツの襟を茶のカジュアルスーツの襟の上に重ねて広げ、いかにも遊び人風である。
「軽い変装ですよ。長崎さんの会社と記者クラブに電話をしたら、どちらにもいない。きっと告別式の会葬者を見張りに行っている。もしかしたら誰かを尾行するかもしれない。車で行って出口で待とう。……どうです、ピタリでしょ」
「さすが、さすが。浅沼さん、あんたは良い刑事になるよ」
告別式が終わり、会葬者が流れ出る。しばらくして黒塗りのパンパスが3台続く。
「あの3台だ」と長崎。
「ややっ、凄い。これはサスペンス。……静岡ナンバーですね」と浅沼。
「うん、そうだ」長崎はおもむろに応ずるが、実のところ、ナンバープレートを見てはいなかった。冷汗が出る。静岡はちょっと遠いなと思う。
尾行そのものは簡単であった。金色の菊の紋を後頭部にも張りつけた黒塗りパンパスが3台並んで走るのだから、目立ち過ぎるくらいで見失う方がむずかしい。
首都高速から東名高速に進む。ノンストップのまま東名高速を降りると静岡県清水市にはいる。広々とした郊外の道並で、3台のパンパスが急に速度を落として左に寄った。クラクションを3度鳴らす。左前方に、立派な石垣に囲まれた鉄の門が迫っていた。クラクションが鳴ると同時に鉄門が開き、3台のパンパスは速度をゆるめたものの、停止することなく構内にすべり込んだ。鉄門はまた直ぐに閉まった。
浅沼はあわててブレーキを踏み、低くうなる。
「うわっ。凄い建物ですね」
3階建ての大きな薄茶色のビル。特に装飾はないが、重々しい造り。石垣に取り囲まれた城砦のようだ。正面には、上に大きな菊の紋を配し、下に肉太の筆文字を金色で浮き彫りにした黒地の看板がかかっている。長崎の声も低音になった。
「これが《興亜協和塾》か。看板はちょっと悪趣味だが、建物は大きいな。剣道場とか柔道場とか、体育館とかがありそうだな。手下の数も多いかもしれないぞ」
「長崎さん」浅沼が声をひそめた。「特捜の小山田警視が、この事件は危険だといってました。いきなり乗り込むのは危ないですよ。こんな人里離れたところですから」
「人里離れた、は良かったね。ハハハッ……しかし、ともかく我々の地元の東京都ではないし。静岡とくれば、徳川家康ゆかりの地だとか、清水港の次郎長一家の縄張りだとか。やはり怖いね。君子危きに近寄らず、か」
2人が迷っている間に、鉄門が再び開き、黒塗りパンパスが2台続いて出てきた。通り過ぎたかと思うと、ギュギュッとUターン。浅沼の車を前後からはさみ、ピタリと止まる。黒ダブルの屈強な若者が4名ずつ計8名降りてきて、2人の車を取り囲む。1名が助手席の窓ガラスをコンコン。長崎は仕方なしにボタンを押して窓ガラスを少し下げた。
「なんですか」
「なんですかはないでしょ」言葉遣いは丁重ながらドスの利く雑音混じりの低音。「ずっと尾けてきたんでしょ。どういうつもりですか。……どちらのお方で……」
「私は新聞記者です」長崎は度胸を決めて名刺を渡し、開き直って申し入れる。「先ほどの葬儀の会場で、ご老人をお見かけしまして。どういうお方か、お目にかかって詳しくうかがいたいと思ったもので、失礼ながらあとを追わせていただきました」
「なるほど。そちらのお方は」浅沼の方に顎をしゃくる。
「私の友人です。車に乗せてもらってただけで」
「では、お2人ともどうぞ。お通りください」
「いえ」長崎はあわてた。「私1人で結構です。帰りはタクシーでも拾いますから。それじゃ、どうも」浅沼に目配せをした。万一の場合、どこかに連絡をつけて助けてもらわなくてはならない。ところが、
「いや、お2人とも、どうぞ。せっかく、ここまでおいでになったんですから」
返事を待たずに黒ダブルの8名は車中にもどった。前後のパンパスがアクセルをふかせる。浅沼は軽く肩をすくめて発車した。前後を黒塗りのパンパスにピッタリはさまれたまま、2人を乗せた赤い小型車は鉄門をくぐり、興亜協和塾の中庭にはいった。