『最高裁長官殺人事件』

第三章 極秘計画《すばる》

 弓畠耕一の葬儀は、青山葬祭場で最高裁葬として取り行なわれた。

 正午に予定された告別式を控えて、午前中からすでに1000人を超える会葬者が詰めかけ、会場の外に溢れ出ていた。椅子席の真ん中には右に遺族席と友人知人席、左に法曹関係者席と政府関係者席の立札があった。

 智樹は前日の《お庭番》チームの打ち合わせどおりに、定刻1時間前の11時に会場に着いた。記帳を済ませるとすぐに会場にはいり、椅子席の右横の壁を背にして立った。入場者が増えるに従って目立たぬようにジリジリと前方に進んだ。椅子席に座る最高裁などの法曹関係者や高齢者、つまりは各界のボス連中の顔が良く見えるような位置を選んだのである。小山田は智樹の斜め後ろに、絹川は向かい側に、同じように位置を選んで立っていた。冴子は内閣関係の案内役を買って出ていた。

「ミズ内閣官房は喪服もお似合いですね」

 小山田が智樹の耳元でささやいた。智樹は黙ってうなずいた。ロングドレス風の粋な喪服の着こなしは見事だった。なにか軽口を返そうとしたとき、入口の人波が揺れた。智樹の目も小山田の目も、向かい側の絹川の目も、そこに引きつけられた。陣谷弁護士が黒紋付の羽織袴という出で立ちの老人を、いかにも畏まって案内してきたのである。老人の特徴は衣服だけではなかった。長く後ろに垂らした総髪と口ひげは真っ白。わずかにねずみ色が混じる眉毛は、ひさしのように垂れている。見るからに相当な高齢である。しかし、背筋を真っ直ぐに伸ばしたままで腹を突き出し、1歩1歩、タンク型の小肥りな身体を前に進める。眼光には山猫を思わせる鋭さが残っている。

「何者ですかね」と智樹。

「知りませんが……」と小山田。

 老人が着席したのは友人知人席の最前列中央通路側であった。

 それまでその席に座っていた白髪の律義な感じの男は、あらかじめ席を確保する役だったらしく、陣谷が肩に手を触れるとすぐに立って席を譲った。老人の着席で周囲が低くざわめく有様を、智樹は素早く見回した。大多数は老人と顔見知りではない様子だった。何人かは老人の出現に愕然とした面持ちを隠し切れずにいた。怪訝な表情もあった。反応の速度は各人各様だった。

 顕著な反応を示した何人かの中に、智樹が自分の父親のかつての同僚として知っている元軍人が2人いた。

 2人とも友人知人席に座っていた。この2人のほかにも元軍人の雰囲気を漂わせる高齢の男たちが10人ほど、その前後左右に固まっていた。彼らと弓畠耕一との関係は、間違いなしに関東軍か北支那派遣軍、張家口の軍司令部での戦友である。智樹はすでに自分の父親の葬儀で同じ体験をしていた。張家口駐屯軍の戦友会があって、冠婚葬祭の折に依頼すれば即座に連絡が届くのである。事務作業は葬祭社にすべてまかせており、戦友会の会費で連絡費用の予算が組まれていた。葬儀だから、おそらく全員に連絡したのであろう。

 最初に目にはいったのは元防衛研修所長の立泉匡敏である。先に席に着いていた立泉は、智樹の姿を認めて静かにうなずいた。智樹も丁重に頭を下げた。あとで挨拶をしなければと思っていた。

 立泉は蒙疆当時、駐屯軍司令部の参謀少佐だった。任地が同じ影森の父親とは先輩後輩の親しい間柄だったので、智樹に対しては親戚同様に接してくれていた。戦後は自衛隊で陸将となり、防衛研修所長を最後に数年前に退官した。智樹も防衛研修所の教官として2年ほどをともに過ごした。立泉は智樹が戦史研究に専念するようにとの期待を述べていたのだが、智樹の方が調査課のしがらみから抜け切れず、その期待を裏切った形のままだった。立泉は退官後も、クラウゼヴィッツの戦争論やリデル・ハートの戦略論を孫子や日本の兵学と比較したり、著述活動のはばを広げている。最近は、近代政治学の祖とされるマキャヴェリの『政略論』や『戦術論』にさかのぼる軍事学の古典に注意を促し、その中心思想であるイタリアの民兵論を発掘するなど、理論研究への衰えぬ意欲を見せている。

 立泉は老人をジッと見つめた。始めはいぶかしげであったが、次第に驚きがつのるようであった。首を何度も縦横に振り、全身をかすかに揺する。遠い記憶をたどって老人の正体を思い出し、その意外さに驚きがふくれあがるという風情であった。

 もう1人は、当時の張家口駐屯軍司令官の副官だった元中尉、角村丙助である。この顔を見るのが智樹には苦痛であった。想い出したくない人物の筆頭格だった。

 角村は自衛隊で陸将となり、陸上幕僚長を最後に10年ほど前に退官した。天下り先が兵器生産の比重を高めつつある五島重工業だったことが世間の評判となった。常務取締役で入社し、今も同社の相談役の地位にある。角村は老人の姿が目にはいるや否や、全身に電撃ショックを加えられたかのような驚き振りを見せた。智樹は、その目の動きが一瞬の驚きから立ち直ると、ただちに困惑に変わったと感じた。

 絹川は法曹関係者席に目を配っていた。

 怪しい老人が出現したとき、法曹関係者席にも激しい驚きから強い非難への変化を見せた人物がいた。清倉誠吾であった。元関東軍司令部法務官、元検事総長、元法務大臣、現憲政党幹事長、その清倉を驚かせ、出現を非難させる人物とは、一体何者なのであろうか。また、非難は本人だけに向けられたものだろうか。それとも誰かほかのものにも向けられたものであろうか。答えの一端は、その場でも得られた。清倉の非難の目はまず、老人を案内してきた陣谷弁護士に向けられていたのである。陣谷はその視線を感じて軽く会釈を返していた。清倉の視線の強さに抗し切れず、あわててわびる風情であった。

 小山田の目を引きつけたのは別の2人の人物であった。

 老人を案内する陣谷の後を追うように、大日本新聞社社長の正田竹造がはいってきたのである。正田の秘書らしい中年男が間に挟まっていた。その中年男は老人の後ろの列に空きを見つけると恭しく手を泳がせて正田に着席を促した。さらにそのとき、正田を目で追いながらはいってきたのが、長崎初雄記者であった。向かい側の壁沿いに長崎が前に割り込んでいく有様を見て、小山田はつい舌打ちをしてしまった。〈死体の正体に気づいたのかな、あのブンヤは。あのときも確か、仏は見たような顔だと抜かしやがったが〉小山田は額を掌でこすった。涼しいのに汗がにじみ出していた。冷たい汗であった。

 受付のそばにいた冴子は、怪老人が車から降りるときの有様を目撃した。

 黒塗りの同じ型のパンパス・プラフィティアが3台つながってきた。3台とも屋根の額と後頭部に当たる部分に金色の菊の紋が張られ、車体の横には白地に金のふちどり文字で《興亜協和塾》と書いてあった。車が止まると前後の2台から4名ずつ計8名の黒いダブルを着込んだ屈強な若者がパッと飛び降り、SPよろしく周囲を固めた。次に真ん中の車の助手席に座っていた黒ダブル、黒いサングラス、細身で長身の壮年男がユックリと周囲を見回しながら降り立ち、後ろのドアを丁寧に開けた。最敬礼で老人の下車を迎える。

 そこへ歩み寄ったのが、陣谷弁護士と大日本新聞社の正田社長であった。それを見て、黒ダブルの計8名は無言のまま別れて会場内に消えた。サングラスの壮年男は静かに身を引き、黒塗りパンパスの車内に姿を隠した。

 老人が記帳を終えると冴子はさりげなく、読み取りにくい達筆の署名を盗み見た。久能松次郎と読めた。

 そのとき、もう1人の未知の弔問客が冴子の視野にはいった。

 第1級の美人である。シックなドレス風の喪服。黒い帽子。そして、なによりもその帽子から垂れ下がる黒い網目のベールで覆われた卵型の整った顔。まだ30前後と見受けられる見事なプロポーションの身体。……だが、いささか釣り合わないのが、お白粉の塗りの濃さと、ことさらに伏目の無表情振りであった。葬儀の場だからとは思うものの、なぜか仮面のように顔が不自然に映った。

 冴子は原口華枝と1度も会ったことがなかった。智樹の口から何度かその名前と仕事振りを聞き、強い関心を抱いてはいたのだが。……もし1度でも会っていれば、女同士のことである。華枝の偽装をすぐに見抜いたことであろう。華枝は智樹から、今度の事件は危険だから外での調査はしないでくれといわれ、仕方なしに了承していた。だが、新聞で弓畠耕一の死と告別式の日程を知ると、途端に気分が変わってしまった。どうしても葬儀の現場を見たくなったのである。

 黒い網目のベール、濃い化粧、伏目の無表情は、智樹に気づかれないための、精一杯の工夫なのであった。

 大日本新聞の長崎初雄記者は、始めは目立たないように心がけていた。

 弓畠耕一とは個人的関係もないし、小山田警視との口約束もある。そっと観察しておくだけのつもりであった。ところが異様な黒塗りパンパスの一団が着き、そのうえ、自分の社の社長までが現われたのには驚いた。だが、直ぐにひらめくものがあった。

〈《満州帰り》か。あの線だな〉長崎が思い出したのは、ある先輩が退社してから書いた『情報帝国大日本新聞グループ』の一節であった。そこには長崎が入社して以来、断片的に聞きかじっていた大日本新聞の過去の系譜が詳しく描かれていた。

 現社長の竹造は、父親と同じく元内務官僚で警察畑も経験していたが、それだけではなく、戦争中には興亜院に出向いていた。興亜院はのちに大東亜省に吸収されるのだが、その名の示すとおり、亜細亜大陸の権益確保のための官庁であり、当初の案では対支院の名称であった。正田竹造が興亜院時代に満州を中心に活動していたことは大日本新聞の古参社員にとっては常識であった。以後も一種の社内タブー的な《満州帰り》人脈についての噂が流れ続けていた。重役の某々氏は元関東軍の特務機関員だったので中国語がペラペラ、今でも北京週報を取り寄せて読んでいる、といったたぐいの話である。

 長崎は今、その《満州帰り》の実物の1人が目の前にいるのだと確信した。車のボディに菊の紋と一緒に金泥でオドロオドロしく描かれた《興亜協和塾》の《興亜》の2文字が、それを証明している。〈いささかゴロが悪い。興亜と協和の二つの言葉を無理にくっつけたみたいだ。興亜は亜細亜を興すだ。興亜院を知らなくても意味が分かるけど、協和ってのはなんだろうか〉

 自分の今までの知識では及びもつかない過去の亡霊に対面する思いであった。

 

 遺族を代表して長男の唯彦が会葬御礼の挨拶をした。よどみない言葉遣いも態度も、さすがであった。

 智樹はそのとき、陣谷弁護士と清倉誠吾憲政党幹事長が人混みを避けて、廊下の隅で話し合っているのに気づいた。智樹の位置からは2人の唇の動きが良く見えた。低い声で話すように努力しているようだが、読唇術を学んだ智樹にとっては声の大きさは関係なかった。だが、唇の動きを遠くから正確に読み取るのはむずかしい。分かるのは断片的な言葉だけである。2人は明らかにいい争っていた。

〈君の独断〉清倉が怒っている。

〈しかし事態が急変……〉陣谷が弁解。

〈弓畠がいなければ、計画は変更だ〉

〈それを納得してもらえないので……〉

〈なぜ止めなかった……〉

〈あの老人が出るといい張って……〉

〈世間に知れたら……〉

〈老人がマカ……と気づく者は……〉

〈君……〉清倉が周囲を見回す。

 話はそれで終わりであった。清倉の態度は、なにか問題を解決しようというよりも、ただ当面の憤懣を誰かにぶっつけたいという感じであった。しかし、智樹には充分な判断材料ができた。会話はそれまでの彼らの動きを補って余りあるものであった。2人とも弓畠耕一の死で《計画変更》の可否を問われる問題を抱えており、《マカ……》老人の正体を良く知っている。告別式に出るといい張ったのは《あの老人》の方であった。老人の正体が《世間に知れたら》という心配がある。しかし、《気づく者》は少ないはずだ。なぜだろうか。それは、老人がかつては名の知られた人物であったが、今は知る人が少ないということであろう。すると老人は、なにかの理由で長い間、世間から姿を隠していたということになる。

 そこへ冴子の耳打ち情報がはいった。怪しい老人が乗って来た黒塗りパンパスの金泥文字が〈興亜協和塾〉だという。

〈興亜……協和……マカ……〉と智樹は何度も口の中で繰り返した。ギクリとする。〈まさか〉と思う。〈そうだ。立泉さんなら〉と智樹は元陸軍参謀少佐の立泉匡敏を目で探した。立泉の先ほどの様子は、明らかに老人の正体に気づいたことを示していた。

 立泉は直ぐに見つかった。というより立泉が自分の方を見ているのに気づいたのである。その目は智樹と清倉や陣谷との間を行き来していた。立泉が清倉らを見ていて智樹の注視に気づいたのか、それともその逆か。いずれにしても、立泉の関心事は智樹のそれと同じところにありそうだった。

 告別式が終わり人波が崩れるのを待って、智樹は立泉に近づき、手短かに挨拶した。

「大変ご無沙汰致しまして。最近のお仕事拝見しています」

「いやあ、久し振りですね。相変わらず元気でやってますか」

 立泉は智樹との再会を率直に喜んでいた。

「僕らの年になるとね、葬式が臨時の同窓会みたいになってしまう。どうです。そこらでお清めしていきませんか」

「はい。ご一緒させていただきます」

 立泉と智樹は並んで歩き出した。会葬者の人波は一様に同じ向きで青山通り方面の出口を目指していた。歩きながらそれぞれ旧知の間柄同士で挨拶を交わしていた。立泉に挨拶するものもいた。智樹は角村元陸将が並行して歩いているのに気づいた。しばしのためらいののちに、一応声をかけた。

「ご無沙汰致しております。先ほどお姿を拝見したのですが、ご挨拶が遅れまして。相変わらずお元気そうで、なによりです」

「おお、君か」

 角村はギクリとした表情を見せた。

「君も元気なようだね。今は山城総研だったね」

「はい。なんとか無事にやっております」

 角村は智樹と話しながらも上の空で、その目は誰かを追っていた。どうやら前を歩いている清倉たち政治家グループらしい。彼らは駐車場を目指して左手に折れた。角村もあとに続いた。智樹は角村の動きも見定めたかったが、そちらは断念せざるをえない。