「ガス室」裁判 判決全文 9
理由の第一:前提となる事実(十四後半:4~6)
平成9年(ワ)7639号 名誉毀損・損害賠償請求事件
1997.4.18.提訴 判決[1999年2月16日]
理由(続き)
第一:前提となる事実(続き)
十五 原告は、前記の梶村の論文が本誌に掲載された頃から、本誌編集部又は編集長の本多に再三にわたって、これに対する反論や意見を寄せるようになった。その一方で、原告は、梶村をはじめとする本誌への投稿者に対しては、原告が本書で取り上げた「アウシュヴィッツ問題」について、たとえ意見の違いはあっても関心を持って欲しいと考え、平成8年6月頃、本誌編集部に対し、梶村ほか数名の者を指定して関係資料の転送を依頼した。これに対して、本誌編集部は、平成8年6月30日付け本多名義の原告宛書簡で、「先日『金曜日』気付けで梶村太一郎氏宛などの郵便物を受け取りました。大変すみませんが、これを回送することはできません。木村さんの湾岸戦争の時のルポや読売新聞社問題に関する仕事は評価するものですが、このアウシュヴィッツ問題については取材不足で支持しかねます。よって、私としては仲介しかねますので、何らかの形でお調べになって各執筆者にお送りくださいますようお願いします。」と答えた。
十六 原告の本誌編集部に対する抗議は、被告金子の前記論文が本誌を飾るようになって以降、激しさの度を加えるに至ったが、本誌の編集長である本多は、本誌における「ホロコースト見直し論」についての議論を終焉させる時期に来たと判断し、本誌(平成9年2月14日号)末尾の「編集部から」欄に次のように書いた。「この問題が西岡氏や木村氏によって最初に発表されたころ(『マルコポーロ』発表以前)、私はこれに強い関心を抱きました。もし事実なら大変な問題ですから。そこで両氏の現地取材に期待したのですが、残念ながらこの『大変な問題』への両氏の現地取材は余りにも短時日の浅いものでした。こんな大問題をひっくり返すには、よほどの大取材を要するはずですが、両氏の主張はほとんどが文献資料によるものです。今回の金子マーチン氏の連載は、やはり文献資料によってガス室の存在を詳細に報告しています。もし西岡・木村両氏がこれ以上『ガス室全否定』をつづけるためには、少なくとも次の3点が必要でしょう。(一)金子氏が掲げた全資料について虚偽であることを立証すること、(二)チクロンBでは虐殺ができないことの実験的証明、(三)ガス室関係の生存者(加害者側、被害者側を問わず)の、ある程度以上の人数に直接対決して、彼らのウソツキぶりを論破する。そして以上を欧米のマスメディアに発表し、国際的検証に耐えることが望まれます。もはや文献による論争は結審の段階でしよう。」
十七 一方、被告会社は、原告から寄せられる金子論文に対する抗議については、被告金子の意見を聞いた上で、その取扱いを検討する必要があるとの考えから、原告からのファクスを同被告に送付し、原告に対しては平成9年1月31日付け書簡でその旨を伝えた。これに対して原告は、平成9年3月2日付け本誌編集部宛の書簡で、被告会社が事前に原告の承諾を得ることなくその抗議のファクスを被告金子に送付したことについて、「一般的な意味で外部に出すのを拒否する積もりはないので、カッコ内の『親展』という形式を取ったのですが、批判する相手に直ちにそのまま送るとなれば、話は違います。本来は中立の立場で『論争する雑誌』を運営しているはずの貴編集部が、当方に一言の断りもなく送って、事後承諾を押しつけるのは、常識はずれである。粗雑な対応ではありませんか。」と批判した。
十八 原告は、前記のように、被告会社の本誌編集部に対し、被告金子の論稿などに抗議・反論する文書を頻繁に送ったが、その中で、被告会社と被告金子に対しては、名誉毀損を理由として慰謝料1000万円の支払いを、被告会社に対しては、本誌で1頁にわたる謝罪広告と被告金子の前記論稿と同頁数の反論の掲載をそれぞれ求め、最終的には訴訟によって自らの請求を実現させる意図であることを伝えた。また、原告は、この一連の過程で本多に対し、かつては本書で取り上げた問題を本誌に連載する約束があったことなどを指摘し、同人の姿勢に一貫性がないなどと批判した。これに対して本多は、平成9年3月10日付け原告に宛てた書簡で、「今回の件で私は、ジヤーナリズムとしての対応を最初から考えているし、現在でもそうです。しかしながら木村さんは、法廷の問題として最初から文書などで書いてこられております。しかも文書の中で2年ほど前の片言隻句までとらえているようです。そうなりますと、今後ともうかつに直接話したり、電話で話したりできないと考えざるを得ません。今後は、文書でお申し越しください。」と書いた。
十九 原告の本誌編集部又は本多に対する抗議や前記のような請求はその後も頻繁に続いた。被告会社は、これについての対応を社内で協議した結果、平成9年3月18日付け本多勝一名義の原告に対する書簡で次のとおり指摘した。「もし本当にあれが100%捏造されたものであることが証明されれば、それはそれで実に重大なことだと思います。最初にこの問題がでてきたときに、したがって私は非常に重視しました。そこで木村さんが現地調査にでた時成果を大いに期待したわけです。ところが、木村さんの調査は非常に短時日であって、すぐ帰ってきたのには驚きました。1冊の単行本を刊行されたましたが、あの中で木村さんご自身による第1次資料の調査結果がどの程度であるかを、以前お聞きしたことがありました。しかしながら、それについて私は納得できる回答が得られなかったのであります。もちろん、だからといつて木村さんの主張が全部間違っているとは思いませんが、これだけ世界を揺るがした超大事件を根底から覆すには説得力がなかったのではないかと思っております。こうした問題についての私の姿勢には、過去の自分の現地調査経験が前提としてあります。例えば、『南京大虐殺』問題にせよ『カンボジア大虐殺』問題にせよ、私は非常に長い時間をかけて、例えば南京については4回、カンボジアについては2回、現地調査や多数の証言の聞き取りをやっております。それに比べると、木村さんの調査はあまりに文献ばかりに頼っているのではないでしようか。」
本多は、以上のように述べた後、被告会社として、原告に対し本誌で4頁の反論を掲載する用意があることを伝えた。
二十 しかし、原告は、前記の要求はいっさい譲ることができないとし、右被告会社の申入れを拒否し、平成9年4月1日、被告会社、被告金子及び本誌に第6項及び第10項のとおり記事を投稿した梶村に対し、本件訴えを提起した。
二十一 右訴えの提起を受け、被告金子、本多及び梶村は、3名の連名による声明文を発表するとともに、平成9年9月9日、被告金子及び梶村において東京都内で緊急記者会見を行い、質疑応答等を行った。右声明文において、被告金子らは、原告の主張は「基礎的歴史資料をも無視した非科学的内容であり、その主張によって犠牲者・遺族や関係者の名誉と尊厳を著しく傷つけるものである」とし、原告の言動は、歴史的事実を「否定・矮小化」するものであり、「あからさまな人種差別主義的言論」であるとしている。また、右記者会見において、被告金子らは、原告の本件訴えに関連して、近現代史の十分な教育や、人種差別による人権侵害を規制する法制度の制定の必要性等を訴えた。この記者会見の模様は、本誌平成9年9月19日号に、「『朝日』と『文春』のための世界現代史講座番外編」として「梶村太一郎氏・金子マーティン氏記者会見の一部始終」と題して掲載された。