送信日時 :2002年 01月 17日 木曜日 2:11 PM
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『亜空間通信』142号(2002/01/16)
【アフガン意識:真実公開の場でも隠蔽された朝日・井川ヴェトナム戦争文学改竄】
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転送、転載、引用、訳出、大歓迎!
さる1月14日、実に興味深い事件の現場に居合わせることができた。先に言ってしまうと、予感が当たったのであった。ヴェトナム戦争に関する真実公開の場でも隠蔽された真実とでも言うべき事件である。複雑な事情なので、今回は(その1)とする。
牽強付会と言われるかもしれないが、この話は、今回の911からアフガン攻撃に至る展開と、この事態に関する日本の大手メディア、実はマスコミ業界の商売人と、それに随伴するアカデミー業界の商売人の歪みと、その現状と未来のわずかな可能性などを、象徴的に示すような歴史の鏡となり得る事件なのである。
なお、集会の主催者からも、アフガンを意識して開いたという主旨の説明があり、資料にも記されていた。
私は、下記の集会が開かれることを、昨年末、後出の
からの書状で知らされた。手紙のやり取りと電話でしか接していない大川さんにも初めて会えるようだし、中央線では隣の駅から乗り換えで行ける近場なので、休日を返上して参加することにした。以下が集会の概略である。【戦争の悲しみ/戦場の記憶---《ハリウッド》ではないベトナム戦争】
■日時 1月14日(月)13時-17時
■場所 東京外国語大学 海外事情研究所
中央線武蔵境駅のりかえ西武多摩川線の多磨駅下車徒歩3分
以上で集会案内の一部のみ引用終わり。
(なお、当日、会場で知らされたのだが、集会後に懇親会が開かれ、私は、それにも参加した。)
さてさて、この集会の表題「戦争の悲しみ」の裏には、私の知る限りでは、およそ類例のない複雑かつ奇怪、私としては大川さんへの同情と共感で、はらわたが煮えくり返るような事情が潜んでいた。元北ヴェトナム兵士の作家バオ・ニンの小説を、朝日新聞の「重鎮」大記者として知られる
なのであって、なぜか、その表題の方が集会名に取られていたのである(2002.01.19.追記:大川さんに電話で直接確かめたところ、複雑な事情だが、最初のヴェトナムの原題の意味は「戦争の悲しみ」で、大川訳の方は出版が遅れたので一応「遠慮して」題名を変え、その後、原題そのものが「愛の影」という意味に改題されたので、必ずしも井川訳の題名を優先したとはいえないとのこと)。そして後出のように、集会の目玉もバオ・ニンの初来日であった。ところが、同時期に出版された
なのである。内容も重要な部分が違っているから、かなり、ことなのである。その事情は、わが電網宝庫の以下に紹介してある。興味のある方は御覧頂きたい。「本多勝一"噂の真相"同時進行版」
http://www.jca.apc.org/~altmedka/uwa-14.html
http://www.jca.apc.org/~altmedka/uwa-16.html
http://www.jca.apc.org/~altmedka/uwa-17.html
http://www.jca.apc.org/~altmedka/uwa-18.html
http://www.jca.apc.org/~altmedka/uwa-18-b.html
http://www.jca.apc.org/~altmedka/uwa-19.html
http://www.jca.apc.org/~altmedka/uwa-20.html
http://www.jca.apc.org/~altmedka/uwa-22.html
http://www.jca.apc.org/~altmedka/uwa-23.html
http://www.jca.apc.org/~altmedka/uwa-24.html
この部分の連載見出しは:本多勝一の同志「朝日『重鎮』」井川一久「改竄疑惑」
活字で発行されている資料の掲載誌紙は以下である。
『週刊文春』(1997.11.27)「改竄疑惑」
『正論』(1997.12)
『正論』(1998.7)
『正論』(1998.10)
『人民新聞』(1998.11.15)
『正論』(1999.1)
大川均さんについては、以下の部分のみ紹介しておく。
『正論』(1998.10)
ベトナム戦争を描いた小説はかく改ざんされた!
製本会社経営・おおかわ・ひとし 大川 均著者紹介:大川均氏 昭和15年(1940年)和歌山県生まれ。大阪外国語大学中国語学科卒。青山学院大学大学院文学研究科聖書神学専攻修士課程修了。アジア福祉教育財団難民事業本部姫路インドシナ難民定住促進センター日本語講師をつとめる。同財団刊行の「漢字語彙集(べトナム語)編集。昭和60年(1985年)、「べトナム難民漂流記」で朝日ジャーナル・ノンフィクション大賞奨励賞受賞。
以上で一部のみの引用終わり。
この『正論』(1998.10)記事の存在を知ったのは、以下の記事によるもので、その一部のみを紹介しておく。二人の「朝日」重鎮の一人は本多勝一である。この記事は、本多勝一が『噂の真相』から追放された直後のものである。
『人民新聞』(1998.11.15)
「水に落ちた犬」になった二人の「朝日」重鎮[中略]
井川一久の「政治工作」的反論
『朝日』内の旧ソ連派の尻馬に乗つたもう一人の『朝日』の「重鎮」は、井川一久である。昨年一度本欄でも扱ったが、井川がベトナムの小説の翻訳の改ざんで告発されてから約10ヵ月ほど経てから、告発記事の載った『正論』誌に反論を掲載したが、その間余りに時間がかかっていたので、ウの音も出なくなり沈黙を決め込んだかと思っていると、その間必死の「政冶工作」に腐心し、駆けずり回つていたことがうかがえる反論であった。つまり、またもや「恫喝」である。
本多にしても井川にしても、タッチのソフトとハードの見かけの違いはあれ、どうしてこれほどマスコミ工作が好きなのだろうか。必ず会社の上に電話し、脅してかかるのだ。なぜ正面切った言論で勝負できないのか?
二人とも言論人でありながら、このような倒錯した言論感覚を持っているということは、二人の本質が日本の企業社会の中の典型的な俗物であることを表徴している以外の何物てもないだろう。
その井川も本多と同じく、批判を浴びるとすぐに「根拠なき人格攻撃」とやり返すのが口癖だ。両人とも被害妄想が甚だしく、常に「人格攻撃」という言葉を口に出すのは、プライドは高いものの、潜在意識の中で人格によほど自分でも不安を感じているのだろうと思わずにはいられない。
それはともあれ、『正論』1998年10月号で、井川は大川均に公開討論を要求されている。今後を注視しなければならない。
以上で記事の一部のみの引用終わり。
1月14日の集会の直前には、下記の電子手紙の転送があった。要するに、肝心要の「バオ・ニン氏の来日が予断を許さない状況」が、集会の開催直前まで続いたのだ。そして、これも先に言ってしまうと、当日、来日の延期が発表されたのである。以下では、個人および転送経路に関する情報は伏せる。
Sent: Sunday, January 13, 2002 9:37 AM
Subject: [中略]1月14日の会のお知らせ明日の講演会の主催者から、転送の要請がありましたので、以下に掲載します。
WINC(Workshop in Critical Theories)の参加者、友人のみなさま。謹んで、初春のお喜びを申し上げます。新しい年を迎え、希望の予感に胸膨らんでいらっしゃることと存じます。文字通り、旧冬中は大変お世話になりました。
思えば、一月のワークショップをめぐる右翼の脅迫に対抗するための支援をみなさんにお願いしたことから始まりましたね。その後も、わたしたちはつねに「四角四面の知的三角野郎」路線で一年を通して、支配的な言説状況に不協和音をかなでつづけてきました。
今年も、険しさが予想される言説状況のなかで、妥協せず、独断的にならず、ねばり強く新しい知的展開の可能性を模索してまいりたいと存じます。至らないところばかりではありましょうが、なにとぞ本年もよろしくご指導ご鞭撻のほどをお願いいたします。
さて、2002年年明けの1月14日には、すでにお伝えいたしました《戦争の悲しみ/戦場記憶---ハリウッドではないベトナム戦争》のシンポジウムを東京外国語大学で開催する予定です。実を申しますと、年末押し詰まったところで、次々に問題が発生してきていました。
わたしたちは、ベトナム政府に厳しい処遇を受けている批判的作家バオ・ニン氏を招聘していたのですが、さらにその会議に、元南ベトナム軍の軍医で積極的に文筆活動をしているファン・ニャット・ナムさんをともに招待しています。
このシンポの噂が主催者の思惑を飛び越えて、亡命ベトナム人コミュニティを駆けめぐり、むしろ日本国内ではなく、アメリカやインターネット空間で評判になってしまったようです。そのためか、ベトナム大使館の書記官からどういう趣旨の会議であるのかという調査が入るなど、一時はバオ・ニン氏の来日が予断を許さない状況になっていました。
しかし、関係者のみなさんの奔走でようやくベトナム作家協会の許可がおり、さらに日本大使館の愚劣で無礼千万な一連の屈辱的書類要求にも、みなさんがグッと言いたいことをのみこんで、一致して協力して対処してくださったために、どうにか活路が開かれてきました。どうにかバオ・ニン氏を交えて開催できそうです。
それにつけても、去年は『日本占領下の蘭領東インドの記憶』展のために年末年始を右翼の脅迫下で過ごし、ことしも関係者はまた違った意味で、戦後アジアの問題の一断面を体験しつつ奔走させられるという経験をしています。それだけ問題の深さと大切さ、そしてこういう局面を開かないかぎり気づかれないでいることが、わたしたちの足下にはいかに多いのかを痛感させられます。実現のためにご尽力、ご協力いただいた方々に心より御礼申し上げます。
この1月14日のシンポはつぎの要領で開催されます。
【戦争の悲しみ/戦場の記憶---《ハリウッド》ではないベトナム戦争】
■日時 1月14日(月)13時-17時
■場所 東京外国語大学 海外事情研究所
(研究講義棟4階427電話042-330-5405)=府中市朝日町3-11-1→西武多摩川線(中央線武蔵境駅にてそのままのりかえ)多磨駅下車徒歩4分。あるいは、京王線飛田給駅下車 北口からの循環バスで5分、「東京外国語大学前」下車。より詳しくは、東京外国語大学のホームページhttp://www.tufs.ac.jp を参考にしてください。
■報告者
北ベトナム兵士の記憶 バオ・ニン(『戦争の悲しみ』の著者、作家)
ベトナム戦争の韓国軍 ク・スジョン(ベトナム戦争真実委員会、現代史)
ベトナム戦争とベ平連 小田実(作家)
毛沢東のベトナム戦争 朱建栄(東洋学園大学)
元南ベトナム兵士として ファン・ニャット・ナム(元南ベトナム軍軍医、作家)■会場 この会場は300人を収容できる大きなところです。しかし、1月始まってすぐということで、なかなか広く知られていません。なぜか大新聞の催し物欄にも掲載をお願いしたのですが、いまのところ無視されています。こちらの感触としても、広報に立ち後れているという実感があります。
みなさまのご存じのメーリングリストで、しかもそのリストの約束に反しないかぎりで、あちこちに転載してくだされば幸いです。
■日本語とベトナム語の通訳が入ります。もちろん入場は無料です。
WINC(Workshop in Critical Theories)連絡担当
東京外国語大学 岩崎稔&研究室大学院生一同連絡先 東京外国語大学 電話042-330-5374 岩崎稔研究室
以上で上記の情報を伏せた電子手紙全文の引用終わり。
詳しくは次回とするが、会場の受付の前には、上記の二つの日本語訳本が展示されていた。展示の係りの学生に聞くと、ヴェトナム語専攻の大学院生で、私が、
どうやら、背後の事情を知っているらしいのである。そうだとなると、事情を知る官学の教授や大学院生が、「バオ・ニン(『戦争の悲しみ』の著者、作家)」を中心に据えた集会を計画した背景と経過を、もっともっと詳しく知りたくなるのは、私にとっては当然のこととなる。なにせ、ヴェトナム戦争と朝日新聞、その「重鎮」記者が関係し、関係し続けている歴史的事件なのである。(次回に続く)