『亜空間通信』455号(2002/12/11) 阿修羅投稿再録

戦争か不況対策かラルーシュも私も政策提案の基本は同じ大型ニューディール案

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『亜空間通信』455号(2002/12/11)
【戦争か不況対策かラルーシュも私も政策提案の基本は同じ大型ニューディール案】

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 転送、転載、引用、訳出、大歓迎!

 本号の主旨は、目下のイラク攻撃必至か、という状況の底辺に、世界恐慌か経済機構の崩壊か否か、という経済の崩壊が淀んでいるとの認識の有無と、その状況に対する有効な政策提案が、どこから発せられるべきであるか、という重大かつ緊急性のある問題なのである。

 格納中の電子手紙の日付を見ると、2002年12月3日、つまり、本日(2002/12/11)から数えて8日前に、アメリカのラルーシュ運動関係者から、私個人宛に直接の電子手紙が届いていた。

 こちらから特に何かを先方に要請したわけではない。ただ、一度だけ、毎週の放送が聴けないので、リンクを調べよと注意したから、最初は、電子手紙宛名を知っていたからだろうかな、と思っていた。

 私は、ラルーシュおよびラルーシュ運動の実態について、現在は、まず研究中の状態である。

 しかし、この電子手紙には、予告があって、そこには、以下に一部引用のごとく、この「EIRアジア速報」を私に転送するのは、「共通のKorean(北か南か不明)の友人の示唆によるものとなっていた。EIRとは、ラルーシュ運動が発行している雑誌のことで、日本にも定期購読者がいるようである。

 EIRは頭文字で、Executive Intelligence Review、『精選情報論評』といったような意味である。

 以下が上記の「予告」の冒頭部分である。

[以下、引用]
[前略]
Hello! This back issue of EIR Asia Bulletin is being sent to you at the suggestion of a mutual Korean friend, to acquaint you with our analysis.
[ We also cover Japan in-depth, but that's another story.][[後略]
[引用終わり]

 さて、すでに何度か記したが、私が、ラルーシュの存在そのものについて知ったのは、昨年の911事件以後である。しかも、新著、『9・11事件の真相と背景』(副題:「テロ」か? 自作自演の戦争挑発謀略か?アメリカ=イスラエル=世界支配構想の核心を突く)の発行に漕ぎ着けるまでは、本格的に調べる時間が作れなかった。

 ラルーシュ個人およびラルーシュ運動は、上記の雑誌も見ていないし、今のところ、その記事を掲載している電網宝庫の情報と、関連の国際および米国内の事態に関する新聞報道による裏付けで判断する他ないのだが、今までのところでは、現在の世界の状況と矛盾する問題点は、見えてこない。むしろ、頷ける点が多々ある。

 たとえば、ラルーシュは、このところ、アメリカはもとより、世界中の経済破綻、崩壊に関して、国際通貨基金の改革、不況対策、などなどの抜本的な改善策を提言し続けているようである。イタリア、メキシコ、アルゼンチン、ブラジル、ドイツなどで、かなりの反響があるようである。

 ラルーシュに関して私は、すでにいくつかの通信を発している。それらは以下の特集リンクに収めた。

 ラルーシュ運動の最近の提言の主要なものは、以下である。上記の手紙もそうだが、すべて長文なので、その題名のみを示す。

1)「戦争に代わるユーラシア陸橋(Eurasian Landbridge: Alternative to War)」

2)「超テネシー河開発計画(Time For a Super-TVA)」

 私個人宛に直接届いた電子手紙の内容は、上記の1)の全文である。具体的には、北朝鮮に対して、利権の紐が付かない食糧援助をしようという提案である。ラルーシュは、私と同様に、最近の北朝鮮問題の背後に、エネルギーや鉄道の国際利権争いが潜むことを知り、それが戦争の動機をなすと考えているのである。

 私自身が発した「日本経済再生」提言の主要なものは、以下である。

 上記の内の「日本経済再生(2)」は、日本の当局者の研究不足を、対極のアメリカの日本追い越し盗作計画と比較し、警告するために発表したものである。実物を見て頂きたい。

 このような下地があったので、過日、広く案内したように、私は、現代史研究会に働きかけ、さる12月7日には、以下の案内の例会が開かれた。

[以下、引用]
第139回現代史研究会(シンポジウム)
テーマ:アメリカ型グローバリズムと世界恐慌

日時:2002年12月7日(土)13:00~18:00
場所 :明治大学・駿河台校舎 リバティタワー16階 1166号室
JR御茶ノ水駅下車・徒歩3分
会場費: 500円

講 師 (パネラー) 
岩田 弘(立正大名誉教授・理論経済学・世界資本主義論)
侘美光彦(東大名誉教授・立正大教授・同上)
伊藤 誠(東大名誉教授・国学院大教授・理論経済学)
野口 真(専修大教授・理論経済学)
司会:小松 聰(筑波大名誉教授・筑波女大教授・理論経済学・アメリカ経済論)

主催: 現代史研究会/共催:アソシエ21
連絡先:現代史研究会 連絡先 042-384-9007
[引用終わり]

 私は、もちろん、この例会に参加した。まずは、会場で、新著『9・11事件の真相と背景』(副題:「テロ」か? 自作自演の戦争挑発謀略か?アメリカ=イスラエル=世界支配構想の核心を突く)が5冊、目下、木村書店で取扱中の推薦漫画『戦争中毒』が15冊売れた。

 やはり、漫画で、しかも安い方が売れるのである。講師で司会役で旧知の筑波大名誉教授も、「漫画の方が良い」などと抜かしおってからに、私がわざわざ直接勧めたのに、われらが新著を買おうとしなかった。だから、二次会で、少し、いじめてやった。

 例会そのものは、普段よりも参加者が多く、質問、意見も会場から出て、まあ、まあ、盛り上がった。私は、何度か質問し、意見も出したが、その件は、後に、別途、まとめる予定である。

 さて、その後、わが徹底研究実践会の定連の一人から、以下に抜粋紹介する感想が届いた。(文章は「です」調を「である」調にし、主旨は生かしながら簡略に改変)

[以下、引用]
[前略]
先日の現代史研に参加しての感想。[中略]ごく簡単に。
[中略]

 日本が世界に誇るべき宇野経済学の錚々たるメンバーの出演に期待をしていったが、失望感強し。

 岩田弘氏は「現代資本主義は恐慌をリセットする力がなくなっている」などと訳の分からぬことを仰る。

 僕は911こそがそのリセットではないのか?と思う。エンロン、ワールドコムの破綻は金融(=カジノ)資本主義の破綻の現前に他ならず、戦争による恐慌の突破が現に進行している事態だと見るべきではないか。

 恐慌論の碩学たちが911に言及しなかったのは悲しい。「911は外部からのテロ」という先入観から抜け出ていない結果だと思う。

 会場から労働運動の立場からのマルクス学者たちへのもどかしい気持ちを吐露する発言があったが、マルクス(経済学)に対する期待が今高まっているのは当然だと思う。

 たとえ「911は外部からのテロ」という先入観に囚われていたとしても、あの資本主義の繁栄の象徴たるWTCの崩壊を見せつけられ、泥沼の不況に喘いでいる者から見ればある時代の終末を直感せざるをえないのではないか。

 経済学に求められるのは社会主義(コミュニズム)の理想を掲げて始まったはずなのが、何故にとん挫したのか、理想とはほど遠い歪んだ社会になってしまったのかを掘り起こし、社会主義の理想を救い出すことであると思う。

 911謀略せつには経済学恐慌論にも「パラダイム」の変更を迫る意義もあるのではないかと気づかされた。
[後略]
[引用終わり]

 以下が、上記の電子手紙に対しての私のとりあえずの返信の抜粋再録である。

[以下、引用]
 大学教授なんて、あんな程度のものである。まるで実用の役に立たないのである。

 あの内の「長老」たちが、ブントや全共闘時代の思想的指導者だったのであるから、混乱の極み、不毛だったのは当然のことである。

 司会の小松「筑波大学名誉教授」とは、先にも、あの会の懇親の場で話したことがある。その時は、私が持参していた記事に強い関心を示し、話したいと申し込んできて、他の連中を誘い、臨時の懇親会になったのである。アメリカのニューディールが博士論文の主題と言っていた。しかし、今、日本のニューディールを提案できないのだったら、訓古学以外の何物でもないのである。

 上記の「私が持参していた記事」は、以下に入っている。

 http://www.jca.apc.org/~altmedka/teigen.html
 **緊急提言**
 21世紀日本再生ニューディール

 わが「ラルーシュ研究」を見て、共同研究者を募られたい。私は、彼を教祖にする積もりではなく、ともかく、研究し、できれば盗む必要あり、日本人の誇りにかけて、追い越したいと思っているのである。それには、財力よりもむしろ、彼が、国際的に同時期だった全共闘時代に、コロンビア大学の学園闘争に関係し、そこから得たらしいスタッフに対抗出来る勢力が、必要なのである。
[後略]
[引用終わり]

 上記の「宇野経済学」とは、電網検索によると、以下のようなものである。

全言語のページから宇野弘蔵を検索しました。
約965件中1 - 100件目 ・検索にかかった時間1.47秒

[以下、引用]
http://www.tulips.tsukuba.ac.jp/exhibition/unobunko/profile.html
宇野弘蔵氏プロフィール
 日本を代表するマルクス経済学者。1897(明治30)年に岡山県倉敷市に生まれ、 第六高等学校を経て東京帝国大学を卒業、大原社会問題研究所に入る。 その後、ドイツへ留学し、帰国後は東北帝国大学助教授。法学部経済学第三講座(経済政策論)担当。1938(昭和13)年、いわゆる労農派教授グループ事件に連座して検挙されるが、 無罪となる。以後、日本貿易研究所、三菱経済研究所を経て、1947(昭和22)年、東京大学社会科学研究所教授に就任。1958(昭和33)年定年退職後は法政大学社会学部教授。1977(昭和52)年、肺炎のため藤沢市鵠沼の自宅で死去。享年79歳。
 宇野の学説の最大の特徴は、経済学の研究を、「原理論」、「段階論」、「現状分析」という三つの段階に分化した点にある。 宇野は、「原理論」を基準として、「段階論」を媒介とすることではじめて科学的な「現状分析」 が可能になると主張した。
 彼の学説は、日本の経済学界に大きな影響を与え、宇野学派という一つの学派を形成した。
[引用終わり]

 この「宇野学派」に対して、私が30年以上も加盟していた日本共産党は、実に敵対的であった。事情は、調べていないから分からない。そういう関係の文化人は非常に多いから、調べだしたら、それこそ切りがない。

 ともかく、「宇野学派」に対して日本共産党の方面からも、現状にたいする有効な経済理論は、まるで聞こえて来ない。私は、本日(2002/12/11)の午前中に、日本共産党の若手党員有志が運営しているらしい電網宝庫、「さざ波通信」に、以下の投稿をしたばかりである。それはまだ、「さざ波通信」電網宝庫への掲載には至っていない。

2020.3.26追記:➡ 憎まれ愚痴「さざ波通信投稿再録」に掲載

[以下、引用]
http://www.linkclub.or.jp/~sazan-tu/discussion/marx3/x02119.html
「科学的社会主義」討論欄で「不破氏の赤旗祭りでの講演について」(2002/11/15 Hegel、40代)を拝見。

 私の情報開陳のために必要な論点のみを要約すると、投稿者は、私たちが昔から「ふわてつ」と呼び慣わしてきた人物を「不破氏」と記し、「ふわてつ」が、「赤旗祭りでの講演」の中で、「資本論や資本主義、社会主義」について論じながら、「労働力の商品化」というキーワードに「一言も触れていない」ことについて、それが「彼の資本論研究の限界を端的に示すもの」と論じている。

 そこで問題は、まず、「ふわてつ」が、とりあえず、一応、「限界」があるか否かは別として、いささかでも「資本論研究」をしたことがあるのかどうか、なのである

 私は、約30年前、故堀江正規さんを講師とする資本論勉強会に参加していた。この勉強会の発起人の有志は、最初、「資本論研究会」という名称を提案していたのだが、堀江さん(「先生」と呼ばれるを嫌っていたので、我々は「さん」と呼んでいた)から軽く、「研究」という用語の安易な使用をたしなめられ、一同反省、即座に「勉強会」となった。

「研究」という用語を使うのなら、それなりの学問的な基準を満たしていなければ、はったりでしかなくなる恐れがある。

 堀江さんは、当時の日本の巨大労組の「綱領」などの起草者としても知られていた。この資本論勉強会は、何度かの変遷を経たが、かなりの数の巨大組合の専従書記局員が、入れ替わり立ち替わり参加していた。

「ふわてつ」の職業歴は、鉄鋼労連の専従書記として語られるが、どれほどの実績があるのかは定かではない。当時の巨大組合の書記局員には、戦後一貫した共産党の非公然方針に基づいて、「優秀な」学生党員上がりが送り込まれていた。社会党も同じことをしていた。

 ある時、上記の勉強会の参加者の雑談の場で、日本共産党の幹部が、どれほど資本論を理解しているか、ということが話題に上った。「ふわてつ」の名も出た。すると、「ふわてつ」の実態を熟知している大先輩が、「ふわてつは、ね、資本論なんてもんじゃないよ」と、軽い笑いを浮かべて、いなした。温厚な人柄なので、これ以上は語らなかった。しかし、「まあ、どうしようもないよ」という感じの口調だった。その大先輩は、合化労連の専従書記局員で、「ふわてつ」よりも、ずっと年上であった。

 次は、私自身の直接の体験である。

 ある時、『赤旗』誌上に「ふわてつ」の対談だか、論文だか、資本論に関する記事が載った。そこには、資本論の名を挙げながら、その中でマルクスが引いたルイ16世(数字の方は不確か、14だったかもしれない)の言葉として、資本家の思想は、「あとは野となれ山となれ」であると記されていた。これには驚いた。有名な引用句なのである。

 この言葉の原文は、正確を期すほどの問題ではないので、記憶で記すが、髭文字を無視して記すと、確か、Apres moi le delugeである。たとえば、手元の安物仏和辞典のdelugeの項には、Apres nous le delugeの用例の記載があり、「あとは野となれ山となれ」の訳が付いている。どちらが先なのか分からないが、ルイ16世は、おそらく、すでに著名な諺の位置にあったこの言葉の中のnous(われわれ)をmoi(わたし)に置き換え、偽悪的に「われ一人」を誇示したのであろうと、私は想像していた。

 日本語の諺、または警句と比べれば、「あとは野となれ山となれ」が、一番近い意味となる。しかし、ルイ王朝の最後の時期の思想として記すのならば、「われわれ」をmoi(わたし)に置き換え」た傲慢さが、決定的に重要なのである。「われ一人」の勝ち抜き勝負、「お山の大将われ一人」の意味が重要なのである。

 Apres moi le delugeの一般的な日本語訳は、「わが亡きあとに洪水よきたれ」である。しかも、上記の「ふわてつ」語録の出現以前に、この言葉を題名に使った日本語の本が出ていた。それが、各種の書評もあり、とりわけ、日本の労働現場の実態を告発するものとして、労組関係はの間では評判になっていた。著者は、われわれが「しげさん」と呼び慣わしてきた元共同通信記者、今は故人の斉藤さんであった。

 だから私は、即座に『赤旗』編集局に電話をして、「これは不味いよ」と教えたのだが、電話に出た記者は、何のことか分からない様子だった。予備知識が皆無なのであろう。ともかく、「訂正せよ」と要望したのだが、その後、『赤旗』を丁寧に「読めど、ひっくり返せど」、いつかな、その気配が見えない

 ところが、かなり過ぎてから、「ふわてつ」名の記事の中で、「ふわてつ」は、「ルイ」云々が「わが亡きあとに洪水よきたれ」云々と、記していたのである。過去の記事での間違いの自認もなければ、もちろん、詫びも訂正もない

 以上の体験から、「ふわてつ」は、「まともに読んでもいない資本論を振りかざすだけの、ご都合主義の嘘付きじゃ」というのが、私の判断なのである。
[引用終わり]

 ああ、日暮れて道遠し。ああ。

 以上。


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