送信日時 : 2002 年 3 月 3 日
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『亜空間通信』177号(2002/03/03)
【憲法言論法学者の空疎な建て前論議の後塵を拝すメディア肩書き人種も恐米畏縮】
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転送、転載、引用、訳出、大歓迎!
本日(2002/03/03)、いやすでに昨日(2002/03/02)、以下の案内の偉っそうな名前の会に赴き、後述の組み合わせビラを159組配り、一発、会場発言してきた。会の中身の大部分は臍の茶が腐る程、陳腐であったが、会場の若者の発言や質問には面白いのがあった。それも後述する。
「戦争」と関係するのは、当然、この時期、偉っそうにメディアを云々するのなら、格好だけでも触れざるを得ない「9.11. アメリカ攻撃」の評価であった。
メディア規制三法案反対緊急集会
「“やさしい顔”の言論統制」青少年有害社会環境対策基本法案、人権擁護法案、個人情報保護法案――これらの法案は一見すると、市民の権利を尊重した“やさしい顔”をしていますが、その内実はメディアの自律をないがしろにし、政府・官庁の支配のもとに置こうとするものです。「表現の自由」と市民の「知る権利」を守るために、メディア、市民がとるべき行動を議論します。
日時 3月2日(土) 午後1時より4時半
会場 日本プレスセンター 10階大ホール
(千代田区内幸町2-2-1)基調講演 奥平康弘氏(東京大学名誉教授)
パネルディスカッション
桂 敬一氏(東京情報大学教授)
北村 肇氏(『サンデー毎日』編集長)
清水英夫氏(青山学院大学名誉教授)
田島泰彦氏(上智大学教授)
吉田 司氏(ノンフィクション作家)
ペンクラブより・交渉中[木村愛二註:不参加]参加費(資料代として) 500円
主催 個人情報保護法拒否!共同アピールの会
日本ジャーナリスト会議
日本ペンクラブ
日本マスコミ文化情報労組会議
メディア総合研究所
日本プレスセンターったら偉っそうな亡国植民地根性片仮名語の名の会館は、普通の感覚の市民が訪れれば、成る程、これなら新聞記者が傲慢になって腐るのは当然と痛感するはずの俗物結婚式場風で、実際、上記の会場の反対側のローマ字名の料理屋は当日、結婚式の会場になっていた。
私が多数訪れた旧知の仲間に大声で「今日は道場破り」と宣伝しつつ、わざと入り口の廊下で配った組み合わせビラは、すでに『亜空間通信』156号(2002/02/10)【仮題『9.11.~アフガン侵略決定的総合資料』事前予約立ち上げ資金への協力要請】で紹介したものに、関係拙著、ヴィデオの宣伝と、以下の宣言を加えたものであった。
正面攻撃開始宣言
9.11.アメリカ攻撃からアフガン侵略の
石油資源争奪謀略を見抜けず右顧左眄ウロウロ
煽動報道から沈黙の共犯まで
戦前そのまま日本言論商売人
敗戦後教育の民主主義と現代神話ホロコーストの大嘘を
丸鵜呑みの腰抜けに何ができるか
『憎まれ愚痴』2002.03.02.紙印刷版号外
編集発行人:木村愛二
1937年生れ。65歳。民放労連地連執行委員(放送問題担当で『放送レポート』の前身『おしゃべりアンテナ』創刊)、千代田区労協事務局長など歴任。日本テレビを経て、電網雑誌『憎まれ愚痴』編集長。
http://www.jca.apc.org/~altmedka/
これは私の「武器なき戦争」である。9.11. アメリカ攻撃からアフガン侵略戦争へと雪崩を打つ国際的な未曾有の危機の中で、アメリカとイスラエルの謀略を撃たぬ逃げ腰の傍観者的、白痴的、無責任な二枚舌は卑怯者の「沈黙は共犯なり」なのである。
さてさて、非常に機嫌が悪くなり、自暴自棄的、破壊的な気分になるのも、わが暦年の重症を誇る杉花粉症の典型的な症状の一つである。だから、杉花粉大量飛散の悲惨期間には、常日頃の鬱憤が、いやましに募る。有り体に言えば、抑制を破って正直な気持ちをぶちまけたくなる。
そこへ、わが古巣の民放労連が肝煎りのメディア総合研究所から、「メディア総研維持会員」(会費年1万円也)の私宛に電子手紙が届いた。「一連のメディア規制立法に反対するアピールのお知らせとお願い」と題し、その「アピール」に対する賛同署名と、肩書きと意見の並記を求める電子手紙に対して、私は、正直な気持ちを込めて、以下のように回答した。
木村愛二です。
署名には加わりますが、意見と条件を入れてあります。
◎アピールに賛同します。
名前:木村愛二(きむら・あいじ)
発表の際に添える肩書き:「人類史上最悪のテロ国家アメリカとイスラエルの現代神話ホロコーストの嘘を暴露する歴史見直し論者」
意見:以上の肩書きなしには賛同署名に加わりません。歴史と現代社会の真相を極め得ず、右顧左眄、ひたすらにマスコミ業界の商売人としての地位の維持に腐心するだけの腰抜けの偽善系自称平和主義民主主義者が何人名前を列ねても、何の役にも立たないどころか、有害無益です。今の今、政治的シオニストによる脅迫の下で、欧米各国で「法的規制」の対象となっている「ホロコーストの嘘」を暴くことのできない連中が群れて「負け犬の遠吠え」を繰り返し、若者を欺いている状況は、お笑いでしかないのです。以上。
上記「アピール」の呼び掛け人として居並び、常日頃、「法的規制」に反対すると自称する運動を連帯してやっていると自称している組織群の主要人物の中には、私が足掛け8年間、いわば命懸けで暴露し続けているイスラエルとアメリカの「現人神」こと「ホロコーストの大嘘」に関して、痴呆的ないしは欺瞞的な逃げ腰に終始し、甚だしきは私を公然と誹謗中傷、個人攻撃し、薄汚きは蔭で私の足を引っ張る連中が沢山いたし、いまだにいることを、杉花粉症で鋭敏になりすぎの肺腑に鈍く覚え、稲妻のごとき怒りが脳天から全身を突っ走る。
何が「法的規制」か「言論統制」か、もともと、イスラエルとアメリカの脅しに屈して自分達が言論統制していて、そんなこと偉そうに言える組織群か、個人か、である。「偽の友は公然の敵より悪い」または「公然の敵は偽の友より良い」というのが、世界帝国を築いたイギリスの諺である。
言論封殺の裏に隠されていた真相
ホロコーストは『現代神話』だった
私と「ホロコースト見直し論」
「ホロコースト見直し論」の基調は、世界で最後の法的な人種差別国家として非難の的となり、昨年のダーバンにおける国連人種差別会議で孤立を深めたイスラエルの支配権を握る極右集団の思想的根幹、「政治的シオニズム」に対しての根本的な批判である。
私は、すでに今から十一年前、拙著、『湾岸報道に偽りあり』を執筆した際に、イスラエルの政治状況に注目し、「補章/ストップ・ザ・『極右』イスラエル」を設けて、その概略を記した。それをさらに要約すれば、現在のイスラエルの政治状況は、戦前の日本で「五・一五」及び「二・二六」などの事件が連続的に発生した時期に対比できるほどの狂信的、危機的、末期的な状況である。
戦前の日本における「現人神」に対比し得る狂信的な信仰の対象が、イスラエルでは現代神話の「ホロコースト」であり、靖国神社まがいの「ホロコースト記念館」の奥殿に祭り上げられているオドロオドロの現代「神器」が、「ガス室」なのである。
ホロコーストまたは「六〇〇万人のユダヤ人」の「ジェノサイド」[註]の神話は、パレスチナ分割決議の最も強力な推進力だったが、それを現場検証も反対尋問もなしに認定したニュルンベルグ裁判が、実は、イスラエル建国を強引に進める政治的シオニストが企画した政治劇だったことは証拠上明らかであり誰も否定し得ない。
[註]「ジェノサイド」=「ナチの民族絶滅政策」の戦時宣伝を補強すべく、シオニストでローズヴェルト大統領の補佐官だったポーランド生れのユダヤ人法律家レムキンが一九四三年に造語。
「カチンの森」事件が好個の事例
ニュルンベルグ裁判所そのものが信頼できるかどうかの好個の事例は、「ホロコースト」に次ぐ大量虐殺として同裁判所が審理した「カチンの森」事件だ。この事件は数千名のポーランド将校の虐殺だったが、同裁判所では、ソ連政府の報告そのままに、ナチス・ドイツの犯行として判定した。この判決に対しては当時からすでに疑問が沸騰していたが、一九九〇年[平2]四月一三日[日本の大手紙報道は翌日の一四日朝刊]には、全世界の新聞・放送が、この虐殺をソ連当局の犯行として認めるソ連政府の調査報告を報じた。
ニュルンベルグは法律の皮を被った化け物
ニュルンベルグ裁判が抱えていた当初からの問題点を示唆するために、私がフランス語から訳出して解説を加えたロジェ・ガロディ(一九一三年生れの哲学者)著、訳題『偽イスラエル政治神話』の「ニュルンベルグの正義の神話」の項から、以下、ごく一部を引用する。
ガロディは、ニュルンベルグ裁判所を「法律の皮を被った化け物」であるとし、その基本的な問題点を、皮肉たっぷりに指摘している。
「ニュルンベルグ裁判所の訴訟手続きの順序や方法は、勝利者のみで構成する検事の選択の場合と同様の原則、またはむしろ無原則の上に成り立っていた。
裁判所の規則はつぎのように定められていた。
●19条…当裁判所は、証拠管理に関しての技術的な規則に拘束されない。可能なかぎり迅速かつ形式的でない訴訟手続きを採用して、それを適用し、いかなる手段でも決定的な価値があると判断すれば認める。
●21条…当裁判所は、周知の事実に関しては証拠を要求せず、それらをすでに確認されたものとして扱う。同様に、同盟国政府の公式の記録や報告は、真正な証拠として認める」
ガロディはさらに、つぎのような裁判審理に必須の条件が、まったく満たされていなかったと指摘している。
1、提出された書証の真正さの証明および検証。
2、その出所の条件を含む証言の価値の分析。
3、凶器の機能と効果に関する科学的鑑定。
一九六三年一二月二〇日から一九六五年八月二〇日までの間に、フランクフルトで行なわれたアウシュヴィッツ裁判の「判決理由説明」には、つぎのように記されていた。
《本法廷には、普通の刑事裁判で、実際に起きた事件の忠実な想像、たとえば、殺人の瞬間に何が起きたかの想像を組み立てるために提出されるような情報の材料が、ほとんど欠けている。犠牲者の死体も、検死報告も、死因についての専門家の結論も、欠けている。犯罪者が残した凶器、その他の痕跡も、欠けている。証言の検証も、少数の例を除けば不可能であった》
結果として判決は検証不十分な「証言」のみによって下された。この点をガロディは、つぎのように鋭く批判している。
「歴史家のセーニョボスは、ある事実の証明が、それを真実だと誓う証言の数によって判定されなければならないのであれば、中世の悪魔の存在は、他のどの歴史的人物の存在よりも確実になるであろうと強調している」
ニュルンベルグ裁判以後、東西冷戦中
「ホロコースト」神話に対する疑問は、すでにニュルンベルグ裁判当時から出されていたものだが、近年の「ホロコースト見直し論」には、東西冷戦の終結にともなう新しい状況がある。
そもそも、大量であろうと少量であろうと、殺人には「凶器」と「現場」が必須の条件だが、「ホロコースト」実在説の中心をなす「ガス室」は、この「凶器」と「現場」の二者を兼ねている。しかし、ニュルンベルグでは「ガス室」と称される場所の現場検証はまったく行われず、ひたすら「迅速」な判決が追及された。唯一、ニュルンベルグ裁判の法廷に提出されたのは、記録フィルムの上映によるドイツ南部のダッハウ収容所のシャワールームの水栓の表面的な映像のみだった。
一九六〇年[昭35]には「ドイツにはガス室はなかった」という「事実上の定説」が成立した。
つまり、ニュルンベルグ裁判で採用された唯一の映像は、完全に虚偽の物的証拠だったのである。私の判断では、この「事実上の定説」を新聞発表したミュンヘン現代史研究所の所員(のち所長)、ブロシャットの真の意図は、それまでに多数提出されていた「ホロコースト」神話への疑問に一応は屈しながらも、その一方で、「ポーランドにはあった」という逃げ口上を流布し、神話の一時的な延命を計ることにあった。当時の西側諸国の研究者は、ポーランドの「ガス室」を実地調査することができなかったからである。
東西冷戦構造崩壊後に事情が一変
この状況を一変させたのが、東西冷戦の終結であって、ポーランドの「ガス室」なるものの実態が研究者の目にふれるようになると、次々と疑問が提出されるようになった。その最終的な到達点が「ガス室」の法医学的調査と鑑定である。
「ガス室」と称されてきた建物の構造、人員収容面積、密閉性、排気能力、ガス投入のための穴またはパイプの有無の調査、さらには壁面の素材と結合し残留しているはずの「シアン化水素」(気体の通称が「青酸ガス」)成分の残留テストが可能になった。
現在では、歴史学における考古学的な発掘調査と比し得る科学的な研究(私が掌握しているだけでも、すでに八つの報告がある)が可能になり、観光名所の「ガス室」と称して展示され、不気味な入室体験の場として活用されていた建造物が、大量虐殺のための「殺人工場」だったとする根拠は、完全に崩壊した。
しかも、その根拠の崩壊後に、ドイツを中心とする欧州大陸の諸国に、通称、「アウシュヴィッツの嘘」発言禁止法が制定、強化されるという「反動」の逆行現象が広がっているのである。
要約すると、以上のような法医学的研究によって、従来流布されたきた神話は、世間的にも崩壊せざるを得ない状態にある。
今や、これらの法医学的研究を無視する議論は、たとえて言えば、殺人事件の審理に当たって検察当局が、殺人に使用された凶器として自ら主張する物的証拠の提出及び専門的な鑑定と、殺人現場として自ら主張する場所の現場検証とを、いずれも拒否ないしは無視しながら有罪の判決を求めようとするような、横暴極まりない愚挙、暴挙に他ならない。
以上で引用終わり。
以上の組み合わせビラの配付だけでも、かなりの旧知の仲間の肺腑をえぐったようであるが、その他の経過については長くなるので、明日、いやすでに今日、改めて記す。