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『亜空間通信』999号(2005/04/24)
【ホロコースト・ガス室を疑い拙著も紹介した『中村敦夫新聞』記事を支持者が隠したが実物は存在】
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転送、転載、引用、訳出、大歓迎!
上記の題名の中の拙著とは、『アウシュヴィツの争点』のことである。以下で全文を無料公開している。
http://www.jca.apc.org/~altmedka/aus.html
正面玄関のヒット数は、29,505に達している。もうすぐ3万になる。紙印刷物の方は、初版で、4,000部刷ったが、まだ半分の2,000部ほどしか売れていないようである。つまり、電網公開版の方が、10倍以上の訪問者を迎えていることになる。
この拙著、『アウシュヴィツの争点』に関して、まだ参議院議員になる前の中村敦夫が、個人新聞、『中村敦夫新聞』第3号(1995.03.20)で、〈マルコポーロ〉廃刊事件への疑問を列挙した後に、以下のように紹介していたのである。
「木村愛二氏は、〈アウシュヴィツの争点〉という本を近く出版するという。彼が間違っていると思う人がいたら、堂々と反論し、ねじ伏せてみるべきだ。出版社や個人に圧力をかけるなどということになれば、ますます「ガス室」に対する不信が拡大するだけだ」
なお、中村敦夫とは、学生演劇の仲間の関係である。この新聞発行の前年、つまり、〈マルコポーロ〉廃刊事件が起きる前に、日本ジャーナリスト会議で再会し、直接、ホロコースト・ガス室への疑問を話していた。
私は、この亜空間通信で、いわゆる著名人のホロコーストに対する態度に関して、以下の2つの実例を記した。著名人は、「鶴見俊輔と加藤周一」、「匿名の著名歴史家」である。
http://www.jca.apc.org/~altmedka/2003aku/aku996.html
http://www.asyura2.com/0502/holocaust1/msg/814.html
『亜空間通信』996号(2005/04/20)
【ホロコーストを疑う真理・真実の追究は尊重されるべきとの著名歴史家からの葉書を匿名で公開】
(「鶴見俊輔と加藤周一」に十分に匹敵する著名人の挨拶)
http://www.jca.apc.org/~altmedka/2003aku/aku995.html
http://www.asyura2.com/0502/holocaust1/msg/806.html
『亜空間通信』995号(2005/04/18)
【ホロコースト狂信者は多いが創価学会系『潮』連載対談で長老が語る記事に背筋が凍る恐怖】
(『潮』は、世間周知、創価学会系の雑誌の長老格である。記事の目次は、「【連続対談】20世紀をどう見るか(6)」「ホロコーストに立ち向かった人びと」であり、対談の主は、鶴見俊輔と加藤周一である)。
「鶴見俊輔と加藤周一」は、ホロコーストを疑わないどころか、ホロコースト狂信を煽る創価学会系の雑誌に登場している。
この事実で覚えた「背筋が凍る恐怖」から、私は、私信の内容だけの匿名公開によって、ある「著名歴史家」が、少なくとも、ホロコーストの真偽の議論を封殺すべきではないと、書き送ってくれたことを、公表したのである。
この経過の上に立って、私は、最近の資料の整理中に「発掘」した『中村敦夫新聞』の記事を発表するのである。文中の西岡氏の主張や中村敦夫の指摘には、私としては、若干の異論と不満があるが、大筋では、当時の言論状況への批判として、記録に残すべき価値がある。
この場合には、既存の公開情報という意味では、印刷し、配布した実物は、現存している。選挙に出馬する前の宣伝紙であったが、月刊『中村敦夫新聞』と名乗りを上げている。しかし、発行後に支持者の間で意見があり、「撤回」のニュアンスが伝えられ、その後、本人は、このことに触れていないようである。選挙には都合が悪いから、「支持者が隠した」と、私は位置付けるのである。
つまり、「断固たる主張」とは言い難い状況にある。私は、この事情を一応理解するから、10年後の今日まで、この記事に関して、特に強調しなかった。今は、中村敦夫が、一応、議員になり、その後落選しているという新しい状況にあるので、既存の公開情報があることを、ここに発表し、ホロコーストに関する著名人の対応の一例として、参考に供することにしたのである。
記事の全文は、以下のようである。
『中村敦夫新聞』第3号(1995.03.20)
雑誌〈マルコポーロ〉廃刊の謎・・・・
アウシュヴィツのガス室は存在したか?●突然の廃刊・・・・・・!
社会問題を鋭く追求してきた雑誌〈マルコポーロ〉(文藝春秋社)が、今年2月号をもって突然廃刊(傍点・・)になった。
2月号の特集ーーナチ「ガス室」はなかったーーが原因である。この記事に対し、米国のユダヤ人団体〈ウィゼンタール・センター〉が在米日本大使館に抗議文を送った。イスラエル政府の抗議もあり、外国の有名企業や、海外で事業を展開している日本企業から、同誌や文藝春秋誌などへの広告ボイコットが表明された。これに対し、文藝春秋側は、一言も反論することなく、自主的に2月号を回収し、廃刊を決定してしまったのである。簡単に言えば、自ら主張したことがらの正当性を証明することもなく、〈言論には言論で〉という原則も踏みにじり、広告主の圧力に言論の自由を売り渡してしまった。読者に対しても、その経過に関する説明は一切省かれた。まさに、ジャーナリズムの自殺行為である。
●何が書かれてあったのか?
雑誌が回収されてしまったので、ほとんどの人々はその記事の内容を知らないと思う。私の手元には、記事のコピーがあるので要点を紹介しよう。
書いたのは神経内科の医師・西岡昌紀氏(38)である。西岡氏は、「ガス室の存在」に関する欧米での論争に興味を持ち、6年前から様々な文献を集めて研究し、自ら検証のためにアウシュヴィッツを訪れている。欧米では、学者やジャーナリストの論調は3派に分かれている。A、ガス室の存在を肯定する派、B、その事実を再検証すべきだと主張する派、C、ガス室の存在を否定する派である。
〈マルコポーロ〉の記事を読む限り、西岡氏は、ガス室の存在は捏造であるという否定論の立場を取っている。その根拠は、以下の点である。
1、ナチスには、〈ユダヤ人問題の最終的解決〉計画があったが、それはユダヤ人の絶滅を意図したものではなく、東方(主にソ連領)への」、民族的移送であった。これは、押収されたドイツの公文書の中に多数発見されている。虐殺指令の文書はない。
2、ドイツ、ポーランドなどに造られた20の収容所は、東方移送のための仮施設であり、また収容したユダヤ人を労働者として使役する目的があった。反抗者に対して厳しい体罰も加えられたが、収容者の健康維持に配慮している記録がある。米軍に解放されたユダヤ人の元気な姿の写真があるが、意図的に発表されていない。
3、〈ガス室の恐怖〉は、戦時中から国連軍によって流布されていた。戦中、及び戦後、ニュールンベルグ裁判時などの時点では、ガス室はドイツとポーランドの各収容所にあったとされている。しかし、1960年には、西独の戦時問題スポークスマンが、ドイツにはガス室はなく、ソ連支配下のポーランドの複数の収容所にだけあったと訂正している。これが現在でも定説だが、実際に今残っているガス室跡は、アウシュヴィッツとマイダネクの2つだけである。他にもガス室が存在したことは証明できない。米軍が最初に解放したダッハウ収容所のガス室扉の写真は、ガス処刑の証拠として宣伝されたが、後にシラミ退治の衣服消毒室であることが判明した。
4、戦時中、ヨーロッパ全土にチブスや他の疫病が蔓延し、収容所でも多くのユダヤ人が死亡した。ナチはDDTを持っておらず、病原菌を媒介するシラミ駆除のため、収容者の衣服を殺虫剤のサイクロンBで消毒した。
5、ガス室肯定論者は、サイクロンBを使って処刑したと主張しているが、これで6百万人を殺すことは、物理的、科学的、医学的に不可能である。映画などでは、缶に入っているサイクロンBをガス室に投入すると、そのまま毒ガスが吹き出すという描写になっているが、これはあり得ない。缶の中身は青酸ガスが吸着した固形のかけらで、これを長時間加熱しないと毒ガスは発生しない。
6、アウシュヴィッツで公開されているガス室では、大量処刑ができない。換気窓がないという決定的な理由がある。青酸ガスは、壁、天井などに密着しやすく、自然風を使っても空気入れ代えに20時間以上を必要とする。さらに、処刑を目的にするためには、設計的に高い気密性がなく、外部にガスが漏れることを防げない。
●日本のマスコミの反応
西岡氏は、自分がナチ肯定者ではないし、ガス室がなかったことが証明されたとしても、ナチがユダヤ人に対して行った言語に絶する非道は許されない、とくり返し述べている。
ところが、氏に対する日本のマスコミの集中攻撃はすさまじい。その姿勢の中味は、氏がジャーナリストでも歴史学者でもないのに、という反感に基づいている。また、他人の著書の引用ばかりであるという非難、ネオナチを助長するだけだという政治的判断などが多い。しかし、驚くべきことに、氏が論拠として述べている具体例に対する反証は全くないのだ。あるのは、定説を守れという怠慢から来る横柄さ、ユダヤ問題はタブーだという恐怖心ぐらいなものである。
実際の話、日本には、この問題に関する本格的な研究者もいないし、突っ込んだ取材をしているマスコミもない。一介のお医者さんにこれだけの大問題を提起されてしまったことを、むしろジャーナリズムの恥とすべきである。
欧米では、すでにこのテーマはオープンになっている。そもそも、ドイツにガス室があったという定説をくつがえしたのは、反ナチの左翼運動家であったフランスの大学教授ポール・ラッシニエであった。彼は、ナチに捕らえられ、ドイツ内の強制収容所を転々と移動させられた。しかし、どの一つにも、ガス室などはなかったと断言した。
雑誌〈噂の真相〉では、ジャーナリストの木村愛二氏が、フランスの歴史学者、フォーリソンのホロコースト否定論、そしてプリンストン大学のメーヤー教授(ユダヤ人)の懐疑的な姿勢にも触れている。
驚くべきことだが、「ガス室」の存在に疑問を持ち、見直しを主張する人々のなかに、ユダヤ人自身が多い。こうした人々は、狂熱的なシオニスト(ユダヤ民族主義者)のグループが、他の見直し主義者を弾圧したり、やたら各地にホロコースト記念館を造り、実業に結びつけている実態に眉をひそめている。
デビット・コ-ル氏は、若いビデオ作家であるが、自分もユダヤ人である。彼はアメリカのTVに出演し、堂々と疑問を投げかけている。彼のビデオテープも手元にある。アウシュヴィツとマイダネクのガス室を撮影し、アウシュヴィツの天井や壁には、青味がかった青酸の痕跡のかけらもなく、毒ガスが投げいれられたという天井の穴は、後に作られたものであると主張している。
●問題点は何か?
私個人としては、「ガス室」があったか、なかったかを断言できない。なぜなら、私は専門に研究したことがないからだ。今までは、アウシュヴィツの物語を信じていただけである。
しかし、西岡氏やコール氏の主張には驚くべきものがあり、是非これに対する反証を知りたいと思う。ところが、こうした見直し論や否定論に対しては、これまでも納得のゆくような説明は出てきていない。それどころか、物証と呼べるものは何もないのだ。
西岡氏が言うように、あれだけの骸骨の山、眼鏡の束、髪の毛があったではないかというのは反証にはならない。チブスの大流行があり大量の死亡者が出たことを、収容所の誰もが認めているからである。
また、生き証人の証言もまず当てにならない。それは両側から同等に出てくるからだ。しかも、もしガス室に入っていたなら、そこから証人が登場するずはない。証拠として、アウシュヴィツの収容所々長ルドルフ・ヘスが、処刑前に書いた回想記が例に出されるが、〈ドイツ兵が煙草を吸いながら、黙々とガス室から死体を運び出していた〉などと書かれている。西岡氏は、ガスマスクもかけずにガス室に入るはずはなく、煙草なんか喫っていたら大爆発の可能性があると指摘している。捕らわれの身での密室の証言は、全面的に信用できないのは常識である。
●戦時情報の本質
戦時には、敵をおとしめるためのあらゆるデマ情報が、砲弾と同じ数ぐらい飛び交うものである。ジャーナリズムの使命は、デマに荷担することではなく、真偽を極め、事実を民衆に報道することだ。そして、作られた定説というものを常に疑うことが基本である。
ポーランドでは、〈カチンの森事件〉があった。ポーランドの将校たちが、大戦中に殺害され埋められた事件である。
長い間の定説では、ナチの犯罪であるとされ、誰もがそう信じてきた。しかし、ゴルバチョフの時代になって、それはソ連軍の行為であることが証明された。
湾岸戦争では、石油だらけになった鳥の偽造映像が、ニュースの間にはさみ込まれた。世論操作のためにこうしたやらせは、たえず誰かが仕組んでいるのである。もし万が一にも、ナチの「ガス室」が虚構の物語であったとしたら、歴史は大いなる嘘ということになる。ユダヤ人への圧倒的な同上がバネとなり、パレスチナ人が不当と怒るほどのイスラエル領土拡張が決定されたことになるからである。そして、現在に至るまでの血みどろのパレスチナ紛争につながったとすれば、元凶は「ガス室」神話だということになる。
私には、ユダヤ人の複数の友人がおり、留学中世話になった担任教授もユダヤ人である。彼らに差別意識など持っているはずはないし、強い愛情すら感じている。彼らだって、事実が明らかにされることをよしとすると信じている。前出の木村愛二氏は、〈アウシュヴィツの争点〉という本を近く出版するという。彼が間違っていると思う人がいたら、堂々と反論し、ねじ伏せてみるべきだ。出版社や個人に圧力をかけるなどということになれば、ますます「ガス室」に対する不信が拡大するだけだ。
以上。