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『亜空間通信』818号(2004/07/07)
【イラク派兵違憲訴訟「偽の友」弁護士がゲバ棒体質暴露し911自作自演謀略説を故意に無視の唖然】
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転送、転載、引用、訳出、大歓迎!
本通信の表題の「ゲバ体質暴露」、「偽の友」弁護士の実名は、内田雅俊である。
私は、これまでにも、何度も、何度も、特に911事件以後には、自分でも飽き果てるほどに、日本の自称「反体制」の脳味噌が腐り果てていることを、指摘し続けてきたが、その典型的な現象が、何ともはや、暴力として、我が身に降りかかったのである。
それも、何と、目下の最大の課題、東京のイラク派兵違憲訴訟、「毎日提訴」運動、その訴訟の会の弁護士の分際でありながら、雇い主の立場の原告を差し置いて、主導権をば窺う全共闘世代のチンピラ弁護士、内田雅俊が、私との議論に詰まって逆上し、数十人の原告、支援者の目の前で、しかも、こともあろうに、東京地裁の待合室での法廷の審理状況の報告会の席上、この私、平和訴訟では大先輩、同じ東京地裁の大法廷で3時間の原告証言をしたこともあり、現在は67歳の原告の一人、木村愛二の胸倉をば、むんずと掴むという醜態を演じたのである。その日時は、手帳の記録で確認すると、2004年7月2日(金曜日)、午前11時から4件の訴訟がひとまとめで処理された直後だから、12時すぎである。
こと、ここに至って、ついに、私は、超多忙中にもかかわらず、このように、このチンピラ・ゲバ棒体質暴露・弁護士の実名を挙げて、厳しく告発し、一罰百戒、近日中に、弁護士会にも懲戒処分を求め、「粛軍」を断行することに決した。ことの性質上、この一罰百戒の対象は、ほぼ、ほとんどの政治的党派、個人に及ぶことになる。
内田雅俊に関する最新の電網検索結果を先に紹介すると、昔は日本共産党が「4トロ」(よんとろ)と略称して毛嫌いし、罵倒し続けていたトローキー系の第四インターナショナルの流れの一つ、「労働者の力」が、以下のように公式に記す運動に加わっていた。もちろん彼は、このことを、訴訟団には明らかにしていない。
「今年に入って、前田知克弁護士を代表に、内田雅俊弁護士を事務局長にしての、共同の闘いで護憲派議員の当選を目指す運動」
今や、日本共産党も駄目、社会党は崩壊し、社民党も見る影もない状況だから、誰も、「4トロ」(ヨントロ)だけが駄目とは言えまい。しかし、私は、「政治権力依存症」「組織運動中毒患者」ほど、危険な動物はない、と断言する。政治屋稼業は勝手にしろ、とは言うが、無辜の訴訟団を売名に利用し、玩具にするのは、絶対に許さない。
もっとも、訴訟団の内部にも、無辜の「お人好し」だけではなくて、同様の「政治権力依存症」「組織運動中毒患者」が、うようよしているから、始末に負えないのである。当然、そうい連中は、相手が「4トロ」(ヨントロ)だろうが、「チュガク」(中核)だろうが、カワマル(革マルこと、1960年安保闘争当時の共産主義者同盟から割れた革命的共産主義者同盟の中の革命的マルクス主義派ってのかな。中核派は、そのゲバルト殺し合いの対抗勢力)だろうが、強そうな奴なら誰とでも簡単に野合する。
内田雅俊は、落選したが、1990年代の中頃、参議院議員に立候補したこともあり、一応、著名な弁護士とは言えるであろう。私は、彼を、その立候補の前の1992年ごろ、今から10年以上も前から知っている。典型的な野心家、売り込み型、売名専門家である。
著書が数冊あるという噂があったが、電網検索してみると、「内田雅俊著に該当するページが見つかりませんでした」という回答である。益々怪しい。
「共著」で探すと、「内田雅俊、共著 の検索結果 4 件中 1 - 4 件目 (0.70 秒)」となる。冒頭は、わが投稿だった。本日(2004/07/07)から数えると、12日前、「2004 年 6 月 25 日」の日付が記録されている。
読む暇もないが911自作自演説とはほど遠いから意見は保留する
http://www.asyura2.com/0406/war56/msg/1153.html
投稿者 木村愛二 日時 2004 年 6 月 25 日 21:52:02:CjMHiEP28ibKM
(回答先: 自衛隊派遣北海道訴訟の箕輪さんと東京訴訟の内田さんとの共著が出版されました。 投稿者 福助 日時 2004 年 6 月 25 日 14:38:31)
私は読む暇もないが、その共著とやらは、11自作自演説とはほど遠い。意見は保留する。
自衛隊が憲法違反は子供でも分かる。それなのになぜ、憲法無視の暴挙が進行しているのか。
私は、今、東京の「毎日提訴」原告団に参加し、内田雅俊とも何度も会っている。カンプチアPKOのころから知っているが、字面だけ理解のバッチ付けた法律屋では、役に立たない。
その種の弁護士に頼る運動は、端から負け犬なのである。
911謀略によって、「超法規」が合理化される現実を見抜くことができない司法試験合格しただけの連中は、子供よりも、かえって質が悪い。
私は、今、ひと世代下の生意気な内田雅俊を監督し、真っ向から批判しているのである。
大成功を収めつつある二丁拳銃の「小泉レイプ事件」提訴は、旧軍の「作戦要務例」「独断専行」に基づく個人的な決断であり、今までの平和訴訟の弁護士に頼る間抜けな戦い方への批判でもある。
「いい人」振りっ子の原告、「いい弁護士」気取りの連中は、所詮、体制の「ガス抜き」役でしかない。
「著」も「共著」も抜きにしたら、以下の検索結果があった。ああ、何とも気の毒なことだが、同情する気にはならない。己の運命を予測したものであろうか。典型的な「極左」出版社の本である。この仲間なのであろう。「共著」の鍵言葉は、別の本のものである。
内田雅俊、共著 の検索結果 4 件中 1 - 4 件目 (0.70 秒)
「懲戒除名―“非行弁護士”を撃て」内田雅俊(太田出版)
彼の名が世間で知られ始めたのは、以下の三菱重工ビル爆破事件(東アジア反日武装戦線)の被告の弁護をしたからである。「昭和49年」は1974年である。
http://gonta13.at.infoseek.co.jp/newpage104.htm
三菱重工ビル爆破事件(東アジア反日武装戦線)昭和49年8月30日昼過ぎ、東京・丸の内にある三菱重工ビルの正面玄関前に仕掛けられていた時限爆弾が爆発した。この爆破の5分前、同社に爆破の予告電話があり警備員らが捜索しようとした矢先であった。この爆破で三菱重工ビルはもとより、近隣のビルの窓ガラスが破壊され、お昼に外食で歩いていたサラリーマン、OLらは空から降ってくるガラスの破片で重軽傷を負った。
三菱重工ビル内にいた社員の被害は更に最悪で、爆風や破壊されたガラスなどでビル内は血の海と化した。この爆破で死者8人、重軽傷者370人をだす日本国内では最大のビル爆破事件となった。
現場検証及びその後の調査で、この時限装置付きの爆弾はペール缶2個に40キログラムの容量が入った爆薬だった。
-犯行グループ-
爆破事件から一ヶ月後、「東アジア反日武装戦線」が反抗声明を出す。東アジア反日武装戦線は斉藤和(都立大学中退)と友人の佐々木則夫が昭和46年に結成した。《アジアの発展途上国に進出する日本企業を日本帝国主義の走狗》としアジアや南米など発展途上国に進出する日本企業を攻撃することを目的とした「新左翼」の集団であった。東アジア反日武装戦線の組織は『狼』、『さそり』、『大地の牙』の3グループに編成され、メンバーが逮捕された場合は青酸カリで自決するように指示されていた。三菱重工ビル爆破を実行したのは『狼』で実行犯は佐々木則夫、大道寺将司、大道寺あや子、益永利明の4人であった。昭和50年5月19日、警視庁公安部はアジア反日武装戦線の幹部7人を都内のアパートで潜伏しているところを逮捕した。『狼=佐々木則夫、大道寺将司、大道寺あや子、益永利明』、『大地の牙=斉藤和、浴田由紀子』、『さそり=黒川芳正』。この内、斉藤は連行された取調室で青酸カリを服毒し自殺している。公安の取り調べで、三菱重工ビル爆破以外に昭和49年10月14日に三井物産(大地の牙)、11月25日に帝人中央研究所(狼)、12月10日に大成建設(大地の牙)、同月23日に鹿島建設(さそり)など連続爆破テロもアジア反日武装戦線の犯行であることが判明した。[後略]
私は、1972年から1988年に掛けて、16年半、自分自身への不当処分、不当解雇の全面撤回を求めて、裁判所、労働委員会を舞台にして戦い、東京地方争議団共闘会議の副議長、法廷闘争対策担当などを歴任したから、いわゆる労働弁護士の知り合いが多い。
それらの労働弁護士の群れの中で、内田雅俊を見掛けたことは、一度もない。当然のことだが、三菱重工ビル爆破事件(東アジア反日武装戦線)の弁護をするような危険な感じの弁護士に、代理人を依頼するような労働組合、労働争議はない。
ここに、内田雅俊が私との議論に詰まって逆上した決定的な理由が潜んでいる。彼は、私が裁判所の訴訟指揮の酷さと、なぜ弁護士が、それを問題にしないのかを批判し、「労働委員会の方がましだ」と言った途端に、逆上し、いきなり走ってきて、私の胸倉を、むんずと掴んで、怒号したのである。
「弱みを突かれると逆上」という奴である。情けない奴だ。こんな奴が、イラク派兵違憲訴訟の主導権を握ったら、もっと酷いことになる。
以上。