中村富美子さん(パリ在住ジャーナリスト)からの呼びかけ
シャロン政権の軍事占領=「分離壁」正当化宣伝を垂れ流す日本のメディア
−−朝日新聞へのイスラエル大使「投稿」に抗議の声を−−

■以前、私たちのホームページにイラク反戦に関するヨーロッパの情報を投稿していただいたパリ在住のジャーナリスト中村富美子さんが、朝日新聞11月21日付の「私の視点」欄に掲載されたイスラエル大使の投稿を厳しく批判する抗議文を朝日新聞社に送られました。「私は日本の友人から知り、一読するや怒りに震えた」とあります。
 中村さんは続けられます。「今回の件は、イスラエル・パレスチナ紛争の公正な平和解決を望むものにとって見逃してはならない重要な件ですが、同時に日本自体の問題、とりわけメディアの問題を考える上で極めて重要と考えます。」事務局に送られてきたメールには、イスラエル大使への怒りと同時に、朝日新聞への抗議の呼びかけを強く訴えられています。
『第三世界のための医療』(第三世界での医療活動を行なうベルギーのアソシエーション)からのアピールと宣言「イラクにおける重大な人道的犯罪の責任者である占領権力へ」

■私たちも全く同感です。大使の投稿が一貫して隠していること−−それはイスラエルによる過酷な占領支配です。占領一般ではありません。戦車や航空機でパレスチナ民衆を自由自在に殺しまくる軍事占領なのです。石を投げる子ども達、若者達に戦車や攻撃機で殺すなんて、人間性の喪失としか言いようがありません。大使はパレスチナ問題の根本原因(占領)に口を閉ざし、結果(自爆テロ)だけを声高に叫んでいるのです。大使が言う「テロリズムという疫病」「民主主義の原則を拒否」「人命を尊重しない“ならずもの国家”」「無慈悲な組織」云々は、全てイスラエルのこと。よくも平気でこんなウソを言えるものです。

■なぜ今の時期にイスラエル大使がこのようなデタラメな投稿をしなければならなくなったのか。理由は単純、シャロン政権が未曾有の危機に瀕しているからです。危機を促進した最大の焦点は「分離壁」問題です。イスラエル・アパルトヘイト体制の「物理的象徴」が国際世論の総反発を食らっているのです。シャロンは墓穴を掘ったと言えるでしょう。遂にイスラエル国民の多くが長い長い戦争に疲弊し始めました。支配層の中に亀裂が走り、公然とシャロンを批判する動きが出ています。更に決定的なのは、ブッシュ・アメリカの支えが揺らぎ始めたことです。米のイラク占領は泥沼に陥り完全に破綻し、シャロン最大のパトロンであるブッシュ自身が大統領選挙で再選が危うくなってしまいました。

 ここ数年、シャロン政権になってからの暴虐の数々は、世界中の多くの人々に占領支配の不法性と非人間性を余すことなく明らかにしてきました。もうこれ以上国際世論を欺き騙すことはできなくなっています。完全に守勢に立ったシャロン政権は、「分離壁」の正当化、言い訳を世界中に訴えなければならなくなりました。これが大使による朝日新聞投稿の意味ではないでしょうか。しかし問題は、なぜわざわざ朝日新聞が世界中から総批判を食らっている「分離壁」擁護論を掲載しなければならないのか、です。今「分離壁」強硬策は国際的な非難を浴び窮地に立っています。朝日新聞はこれに助け船を出すのか。「分離壁」を否定する国際法や国連決議を無視するのか。態度をはっきりすべきです。

 私たちも朝日新聞に強く抗議します。皆さんもウソとデマ情報の垂れ流しに抗議しましょう。朝日新聞社や記事への意見はkouhou@asahi.com(広報部)をクリックすれば送れます。
 以下に、まず中村さんの「抗議文」を紹介し、次に問題となったイスラエル大使の「私の視点」欄への投稿記事を引用掲載します。
※なお中村さんは最近、幾つかの雑誌にこの問題に関する記事を投稿されています。特に中村さんが抗議文中に書いた”欧州における、イスラエル政府の自己防衛のキャンペーン”に関連して以下を参照下さい。
1.『世界』2003年10月号(フランスを席巻するシオニストのキャンペーン
2.『サンデー毎日』2003年11月16日号(日本は孤立する米国の忠犬でいいのか/映像作家アモス・ギタイのインタビュー

2003年11月27日
アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名事務局



◆中村富美子さんの朝日新聞への抗議文◆

朝日新聞 広報部御中

先日貴紙に掲載されたイスラエル大使の「私の視点 ◆中東和平 「分離壁」やむを得ない選択」を読み、驚きあきれイスラエルの不法な軍事占領に強く抗議するとともにこのようなプロパガンダを批判精神を持たないまま掲載する貴紙に対し強く反省を求めます。

イスラエル大使の文章は、読むに耐えないもので”テロリズムという疫病の広がり”という冒頭からもはや、あえて反論するにも及ばない低劣なプロパガンダであることは明確です。従って詳細に渡る批判は控えますが、最低限、以下の点のみ指摘します。

イスラエルが主張する”安全壁”は、イスラエルとパレスチナを分かつ分離壁でさえもなくパレスチナの村々を文字通り四方から囲い込んで閉じ込める強制収容所の壁です。壁建設のために日々、市民が殺され、家を破壊され、壁の外側に隔離された自分の畑に行くことさえままならない状況です。これが ”不便” で語れる状況でしょうか。 

システマティックに”人権侵害” を行なっているのは、数々の国連決議と国際法を無視し、圧倒的な軍事力によって戦争犯罪を続けるイスラエルのパレスチナへの軍事占領に他なりません。欧州議会でもすでに2002年、国際法違反と人権侵害の実態からイスラエルに対する交易上の優遇措置を凍結する決議をおこなっています。

この不法な占領が終わらない限り、パレスチナ人の抵抗はやまず過激派の暴力をエスカレートさせるばかりです。それが世界の共通認識であることは、最近の国連決議をみるだけでもあきらかです。

貴紙の編集委員はご存知でしょうか。国連総会において、米国・イスラエルを含む4国の反対に対し144国の圧倒的多数で、イスラエルの”安全の壁”の即時破壊が決議されました。これに先立ち、アラファト大統領排除の閣議決定にも撤回を求める決議を採択しています。また隣国シリアへの ”反テロ防衛戦争” の口実によって実行されたイスラエル軍による空爆にも厳しい非難声明を行なっています。米国の無条件支持により継続されてきたイスラエル政権、とりわけシャロン政権の戦争犯罪は、いまや世界の人々から圧倒的な批判と抗議の声にさらされているのです。”ならずもの国家”が、米国やイスラエルであることを今、世界の人々はしっかりと認識しています。

つい先日も、欧州連合の世論調査により世界の平和を脅かす国として、イスラエルが”名誉ある1位”に輝きました。イスラエル・パレスチナ紛争の公正な平和解決なくして中東の安定はなく同紛争に決定的に不公正な形で介入しつづける米国の帝国主義によって世界が脅威にさらされていることを、欧州の市民は実感しています。

このような国際社会の批判にさらされ、イスラエル政権は欧州においても、正当性のない自己防衛キャンペーンを展開しています。今回の件が、その一貫であることは明らかでしょう。であればこそ今、メディアが何を発言しなければならないのか、貴紙に熟慮と厳しい反省を求めます。

すでにイラク戦争前の社説においても、貴紙の立場は承知しておりました。それは太平洋戦争において軍事ファシズム政権に協力し、植民地戦争を推進した貴紙の体質が、なんの断絶もなく保持されていることを明らかにしました。しかし、もしその過去を自己批判し
メディアの責任と倫理を自覚されるのならば今回のイスラエル大使の見解に対しあらためて明確な社説を掲載されることを要求いたします。

パリ在住 中村富美子



◆イスラエル大使の投稿記事◆(朝日新聞11月21日掲載)

「私の視点 ◆中東和平 「分離壁」やむを得ない選択」
          駐日イスラエル大使 イツハク・リオール

 テロリズムという疫病の広がりと断固、闘うことは正しいが、この闘いは文明的なやり方で実行されなければならない、といった考え方が最近のはやりだ。
 民主主義の原則を拒否し、人命を尊重しない「ならずもの国家」や無慈悲な組織と、民主国家はますます相対することを迫られている。イスラエルにとって、これは学問的な討論のテーマではない。市民は、レストランや公共交通機関、さらに礼拝する場所でさえ、過激派グループの攻撃対象になっている。
 殺人という任務を帯びてイスラエルに送り込まれる者たちは、年若い子供たちを政治的に洗脳するシステム化された生産ラインの「最終製品」である。彼らは自分自身と一人でも多くの人間を爆弾で吹き飛ばす覚悟ができるまで、不合理な憎悪を吹き込まれる。
 「洗脳」という言葉を使ったのは、これらの若い人たちは、意図的に真実から遠ざけられているからだ。我々は彼らの何人かと話して、56年前に国連がパレスチナに提示した国家案を彼らが全く知らないことが分かった。1948年にこの国連決議をアラブ側が拒否し、誕生したてのイスラエルを攻撃したことを知らない。67年の六日戦争をアラブ側が仕掛け、ヨルダンが西岸を、エジプトがガザを失ったことを知らない。
 彼らは、パレスチナ国家への道を開くのが、イスラエル市民を爆弾で吹き飛ばすことではなく、イスラエルとの共存だということを理解できないのだ。
 テロリストの攻撃を防ぐのは、その他の有能な治安当局に任されるべきだが、パレスチナ当局そのものがテロの共犯者である。このような状況下ではイスラエルは自らテロリストを隠れ家で捕まえるか、逃走中に倒すしかない。
 だが、それは無実の第三者を巻き込む危険を伴う。これがイスラエルに難問を突きつけている。無慈悲なテロリズムに対して、民主主義はどうやって効果的で「きれいな」対策を取れるのかという問題である。
 手に負えないテロ攻撃の性質と地理的要素を考え、イスラエル政府は戦略的な境界線に沿った「防衛壁やフェンスの建設」という手段を取った。これらは恒久的な国境とはならない。テロリストを標的から、自爆を企てる者をその被害者となりうる人々から切り離す一時的措置にすぎない。
 この治安目的のフェンスが、その反対側の人々の生活を「不便」にするという議論がなされた。ある程度は正しいだろう。遠回りを余儀なくされる農民もいるだろうし、イスラエルを通過する人々は検問で身分を証明する必要が出てくる。だが、テロと闘い、同時にいかなる不便もないということは両立しない。
 フェンスが将来のパレスチナ国家の創設を阻むものだという議論もある。主権国家とテロは相いれない。テロがやめばフェンスは無用になり、国家創設を交渉する道が開かれるだろう。
 イスラエルは脅威にさらされる市民を守る責任下にあって、主観的な「人権基準」従って行動せざるを得ない。しかしその基準は「人命」尊重の枠をはみ出すものではない。
 フェンスはイスラエルとパレスチナの人々の心理的分断を象徴するだけでなく、失われた和平の好機の数々を記録するモニュメントでもある。この見苦しいフェンスを父祖の土地に見ることを、イスラエル人は本当は嘆いている。