フランスを席巻するシオニストのキャンペーン
中村富美子 (『世界』10月号)


加害責任を回避させる
「反ユダヤ主義」の印籠

 昨年4月、フランスではシナゴーグ襲撃事件を報道する日刊紙に「クリスタルの夜の前触れ」(1) といったスキャンダルなタイトルが躍り、炎に包まれる映像とともに強烈に1930年代への回帰を印象づけた。おりしも極右政党「国民戦線」のル・ペン代表が大統領最終選に残るという予想外の出来事が起こり、市民の不安はいやがうえにもかきたてられた。
 はたして今、フランスではメディアやシオニストが声高に騒ぎ立てるように反ユダヤ主義の危険が高まっているのだろうか。私の答えは否である。9.11テロの影響もあり、むしろ反アラブの空気が濃い(2)
 そもそもシオニスムはその源において、民族解放のナショナリスムと同時に植民地主義に根ざし、それゆえ人種差別主義を含んだ。他方では社会主義の思想にも支えられて矛盾がある。シオニスムを建国思想とするイスラエル国家もまた「民主的ユダヤ国家」と規定することで、ジュダイスム(ユダヤ宗教・文化)以外を排斥しながら、民主主義をうたう矛盾を内に抱え込んでいる。私達はシオニスムやイスラエルを語るとき、この矛盾と曖昧さの霧に立ち往生しがちだ。しかし、ここではっきりしておかなければならない。イスラエル・パレスチナ紛争はけして複雑な問題ではない。民族紛争でも、宗教紛争でもなく、植民地主義の問題である。この一語につきる。つまりは公正の問いだ。
 シオニストのキャンペーンは、曖昧さの衣と「反ユダヤ主義」
のレッテル貼りによって、この明解な紛争の本質をずらし、
加害者としての責任を回避してイスラエル国家を擁護する政治的な
意図をもっている。
 2000年にわたる宗教差別と、19世紀以来の人種差別としての反ユダヤ主義、その結果のナチによる民族虐殺。長く重い差別の歴史の責任者である欧州人にとって「反ユダヤ主義」は印籠である。被害者であった過去は、別の他者に対して抑圧者である現在を正当化しないが、ホロコーストという「出来事」の特異性が、被害者としての絶対化を許している。
 では今あらためてシオニストやシャロン政権がキャンペーン強化するのはなぜか。そこにはイスラエルの危機感がある。
 ひとつは国際世論の変化だ。オスロ合意の失敗とインティファーダを通じて具体的に見えてきたイスラエルの軍事占領の実態、とりわけシャロン政権の強硬路線は、フランス市民のパレスチナ人への連帯を急速に深めている。『パレスチナ研究誌』のBVA調査によれば2000年10月と2002年4月の比較で、イスラエル支持は14%から16%だが、パレスチナ支持は18%から30%へと急増している。
 イスラエルの歴史家ジーヴ・ステルネルは国内操作としても有効だと分析する。「現在のフランスはナチ時代より反ユダヤ主義でもなく、ドイツより反ユダヤ主義でもない。問題は極右の国家主義が台頭するイスラエル内部にある。全世界が私たちの敵だというキャンペーンは、国内の危機を忘れさせる世論操作の古典的手法。敵を必要としているのだ」(ハ・アレツ紙、2002年10月11日)
 さらに人口問題がある。現在、歴史的パレスチナ領土の9割を占めるイスラエルは人口600万人。うち2割はアラブ人だ。残り1割の占領地パレスチナ(ヨルダン西岸とガザ地区)の人口は350万人。歴史的パレスチナで見るとき、アラブ人口が5割を超える。治安悪化でユダヤ人移民は減る一方、アラブ人口の出生率は高く、10年程度でイスラエル国内でもアラブ人が5割になるとの試算もある。パレスチナ難民の帰還問題もある。「ユダヤ国家」イスラエルにとって人口問題は実存的緊急課題だ。政教分離を徹底する共和主義の理念から公式の数字はないが、フランスのユダヤ人口は60―70万人といわれ、米国を除けば最大の移民潜在国であり、移民推進の最後の砦である。
 昨年5月、シラク大統領はシャロン首相に「フランスを反ユダヤ主義国家とするキャンペーンがイスラエルにあることに強く抗議」したと伝えられる。同国のメルシオール副外相が「フランスは西洋最悪の反ユダヤ主義」と発言し、首相がこれを受けて、フランスのユダヤ人を受け入れる準備があると告知した件が背景にある(ル・モンド・ディプロマティック紙、2002年12月)このシャロン発言にも、人口問題の危機感がうかがえる。

  『パリ第6事件』と欧州のイスラエル批判
 シオニスト知識人を動員するキャンペーンの象徴的な出来事が『パリ第6大学』事件である。
 ことのはじまりは昨年12月、クリスマス休暇前の大学評議会で行なわれたひとつの議決だった。欧州議会がすでに決議していた「EU・地中海自由交易圏協定」の更新凍結に同意したもので、同協定は学術交流上の特権をイスラエルに与えていた。
 休暇あけ早々、大学前には抗議デモがはられ、メディアも押しかけた。「新保守主義者」の代表というべきマスコミ知識人、フィンケルクロートとベルナール・アンリ・レヴィが先頭に立っていたからである。彼らはユダヤ人の名において大学を糾弾した。「ユダヤ人を学問の場から締め出すヴィシー政権への回帰だ (3)」と。
 メディアは決議内容を掲載しないまま、事実を歪曲して危機感をあおる彼らの言葉を一方的に伝え、パリ第6大学は「反ユダヤ主義の大学」の汚名をきることになった。
 偏向した報道に抗議し、国際法専門のパリ第7大学教授、シュミエ・ジャンドゥローがル・モンド紙に意見を発表し、決議書も掲載されてはじめて真相があきらかとなる。こうしてグルノーブル大学やモンペリエ大学、さらにパリ第8大学が同様の決議をするに至った。
 同協定は1995年、中東をグローバル経済に組み込むべく、EUと北アフリカ・中近東諸国間で調印された。学術交流から通商まで幅広い分野を含み、とりわけイスラエルは欧州と中東の要としてアラブ諸国がもたない優遇措置に浴し、500近い研究助成プロジェクトの恩恵にも与った。
 しかしオスロ和平の文脈で成立した協定は当事国に「内政、外交の基本原理である人権と民主主義の尊重」を条件付けている。
 はたしてイスラエルはこの義務を履行しているか。アラファト議長がラマラに監禁され、ジェニン虐殺のニュースが世界をかけた昨年4月、欧州議会は否と結論し、協定の更新凍結を欧州委員会に要求する決議を絶対多数で採択した。論旨は以下の通りである。
 イスラエル軍によるパレスチナ人抑圧と施設破壊を糾弾し、国連決議1397、1402、1403に基づく撤退を求める。アラファト議長はパレスチナ人によって民主的に選ばれた大統領であり、監禁は許容されない。イスラエルは平和解決のための欧州の誠実な努力から利益を得ており、不当な政策があれば関係は変更される。国際監視団派遣を考える。イスラエル、パレスチナへの武器輸出禁止を要求する。(ル・モンド・ディプロマティック紙、2003年4月)
 更新凍結を支持した上記大学は、イスラエルの諸大学が同協定の優遇措置を受けながら、イスラエル軍によるパレスチナ人の教育権侵害に沈黙を守っている責任を問う。パリ第8大学の決議書は記す「大学は官庁ではなく、黙って命令に従うだけの機関でもない。思考の自由と表現の自由が否定されるとき、警察や軍が介入するとき、もはや大学ではない」。
 イスラエル軍はテロ撲滅を口実に「テロリストが潜入した」大学を閉鎖し「テロリストが爆弾を作っている」実験室を封鎖する。これに目をつむるイスラエルの大学人を、テルアビブ大学のタニア・ラインハルト言語学教授は糾弾する。「35年間の占領体制と、パレスチナの同僚が蒙っている暴力に対し、批判表明した大学委員会は皆無である。とくにこの2年間、軍が教育施設に介入しているにもかかわらず何も言わない。この状況下で、政治と学問は別であり、大学は自由と平和の楽園だと言い続けることは、自由の放棄にほかならない」(パレスチナに公正な平和を求める市民団体  CAPJPO資料)
 ヘブライ大学のファルジュン数学教授も、「紛争両者に同じように悲劇」という典型的なイスラエルの言説に反論する。「『同じような悲劇』だろうか。パレスチナ人は35年にわたりアパルトヘイト状態だ。国籍もパスポートもなく、外界にアクセスできない。すべてのイスラエル人が、この状態でないことは明らかだ。少なくとも国際人権宣言の遵守なくしてEUの優遇措置を受ける権利はない。更新凍結は正当だ」(同上)
 以下は、パレスチナの大学人の証言である。
 今年1月からイスラエル軍令により閉鎖されたままのヘブロン大学の指導者ダウール氏によれば、インティファーダ以前は4200人の学生が占領地各地からやってきたが、今ではガザの学生は2人だけ。大学の授業は午後開放される小学校や宴会場を借りてやっと行なっている(ル・モンド紙、2003年6月11日)
 ナプルーズのアン・ナジャー大学のシャフェイ教授は訴える。継続的な外出禁止令で、街は巨大な監獄も同然。大学はイスラエル軍に繰り返し爆破され、50人以上が殺された。外出禁止令で通勤が不可能となった教師たちは地下倉庫や大学近隣のアパートにひそんでいる。「これが21世紀の今、起きていることです」(CAPJPO 資料)
 なお大学間交流を推進する協定の凍結は制度と機関を対象にしたものであり、個人レベルの交流や共同研究等は今後も積極的に継続する旨を、更新凍結を決議した各大学が明らかにしている。

非暴力の政治的抵抗ボイコットの合法性と象徴性
 EU・地中海自由交易協定はイスラエルに関税上の優遇措置を与えているが、占領地パレスチナに建設された入植地の生産品は入植地自体の違法性ゆえに対象外だ(4) 。ところが入植地産品も「イスラエル産」と一括され、協定による関税上の特権までうけて輸出されている。
 この違法性に抗議し、セクラン市のヴィレム市長はイスラエル製品のボイコットを呼びかけた。ペルベン法相までが動いて法廷闘争にもちこまれたが「民族的憎悪への呼びかけも差別もなく、いかなる違法性もない」と市長は勝訴を勝ち取った。
 農産物ボイコットには象徴的意味がある。パレスチナ人は何世紀にもわたり、オリーブ栽培を中心に大地とともに生きてきた。産業としても文化としてもパレスチナ人は強く土地に結び付いている。これを奪うのがイスラエルの植民地主義政策である。土地収奪をイスラエルの公式用語では土地の「ユダヤ化」と呼ぶ。パレスチナ人は違法に土地を搾取され、水資源も一方的に管理されている。占領地の350万人のパレスチナ人に対し、わずか40万人のユダヤ人入植者が水資源の75%を占有する。農地も水も奪われ、農民は低賃金労働者となりパレスチナ経済と文化は決定的に破壊された。第二次インティファーダ以降、イスラエルとの国境を閉鎖されたガザ地区では失業は8割にも及ぶ。パレスチナ統計センターの調べに拠れば、インティファーダを挟んで平均月収は4053フラン(1フラン=約18円)から2144フランへと激減。2319フランの極貧層さえ6割にのぼる。
 南アフリカのツツ司教もパレスチナに自分たちの過去を見て経済制裁を支持する。「自分の国で、居住区から移動するのに、若い兵士の気まぐれなコンとロールをうけなければならない屈辱、依存、怒り。全てがあまりに親しい感情だ」と。
 いまや隔離政策は、文字通り物理的に壁を建設することで完成されようとしている。高さ8メートルもの壁が、67年の仮国境線であるグリーンベルトからパレスチナ側に食い込む形で、占領地を食いつぶしながら建設されている。この壁のラインは将来の国境に関係するため秘密情報として地図は公表されていない。
 紛争悪化でイスラエル経済も悪化している。インティファーダ以降の2年で、外国資本の投資はほぼ半減し、経済成長は昨年、建国以来初のマイナス1%に落ち込んだ。失業率は11%。イスラエル国民の2割は「貧困」基準以下の生活を強いられている。(ル・モンド・ディプロマティック紙、2003年1月)
 外資投入や経済援助によるオスロ効果は泡と消え、いまやイスラエルは経済的にも植民地主義の行き詰まりにきている。バランスを欠いた軍事費、入植政策にかかる巨費は一方で福祉予算を圧迫し、市民の不満を募らせている。7月には"戦費より社会福祉を"と市民が怒りのデモを展開し、社会的危機の様相を呈している。治安も悪化の一途だ。ユダヤ人がユダヤ人ゆえに生命を狙われている国はユダヤ人の避難所として生まれたイスラエルだけである。こうした状況下で輸出の28%(85億ドル)を占めるEUとの交易にひびがはいれば経済危機は避けがたい。
 経済的にも「公正な平和」を実現するしか、イスラエルの政治的選択はないのである。

 裁判を通して言論封殺する試み
 言論には言論で反駁するのが、思想の自由にふさわしい方法だが、シオニストのロビーはジャーナリストらを対象に、システマティックに法廷闘争をしかけるキャンペーンも展開し始めた。その最大の被害者が公共ラジオ放送、フランス・アンテールのダニエル・メルメである。人種差別とは無縁の、正当な政治批判を行なう被告が勝訴するのは最初から明らかだが、裁判の過程を通じて、反ユダヤ主義者と侮蔑され、心理的に疲労する。メディア側も面倒な話題を避けるようになる。その手法ゆえにメルメは「共和主義の言論に対する重大犯罪」と捉え、「知識人がモラル的汚職に陥り、ル・モンド紙やリベラション紙のジャーナリストが嫌がらせをうけている」中で、屈せずに語りつづけている。
 メルメを支える2万7000人の署名には、社会学者のエドガ−・モラン、歴史家ビダル・ナケらに並んで、タニア・ラインハルトらイスラエルの知識人も連なった。署名者たちは呼びかけた。
「米国と異なり、フランスではイスラエル政権批判はこれまで反ユダヤ主義の名で攻撃を受けることはなかった。ジャーナリスト等への嫌がらせも少数の過激派に限られた。しかし紛争の深刻化とともに一大キャンペーンがはられている。私達は公共の議論の侵害と反ユダヤ主義の乱用を拒否する」(リベラション紙、2002年6月22日)

 映画の検閲を通して戦争犯罪の事実を消す試み
 フランスの公共放送アルテは4月1日、イスラエル・パレスチナ紛争特集の枠で映画『ジェニン、ジェニン』の放映を予定していた。イスラエルのアラブ系市民であるモハメッド・バクリ監督は、昨年のジェニン侵攻の1週間後、進入禁止地区に入り証言を集めた。主観的であることを隠さず、証言を検証するより、人々が何を生きたかを伝える作品である。
 ところが放映前日に突然、中止となった。放映を予定したアルテは同作品の意義を認識していたはずであり、直前の中止声明はあきらかに外部の圧力を物語っている。アルテの広報も「4日間、番組中止を求める電話が鳴り止まなかった」と認めている。
 同作品はイスラエルでは「敵のプロパガンダ」として上映禁止となり、ジェニン戦の兵士からは名誉毀損で起訴され、300万ユーロの損害賠償を要求されている。
 アルテの番組検閲委員会代表がベルナール・アンリ・レヴィであることは偶然ではないだろう。一方で、ジェニンの被害者の声を伝える映像を放映禁止にした同氏は、自著の宣伝に出演したテレビ番組ではこう語った。「ジェニンに虐殺はなかった。戦闘はあった。そして双方に犠牲者がでた。パレスチナ人死者は50人くらい」(公共テレビ局フランス2、5月1日)
 イスラエルの平和運動家ワルシャウスキーは語る。「政府は民族浄化を公言している。死者の数字だけでは暴力性は表せない。ジェニンでは救急車が銃撃されているのだ。これほどの人命無視の暴力があるか」
 映像は見られなければならず、言葉は発せられ聞かれなければならない。

 映画監督エヤル・シヴァンとイスラエル批判する少数派ユダヤ人
 急速に右傾化して、いまや無条件のシャロン支持団体となったCRIF(フランス・ユダヤ機関代表会議)のかつての代表、テオ・クラインは進歩派平和主義者であり「自虐ユダヤ人」と呼ばれるひとりである。シャロン政権を支持するユダヤ人に同氏は呼びかける。「イスラエルはパレスチナに謝罪し、強国[米国]の介入によらない自力の建設をしなければならない。自爆テロを口実にしてはならない。大イスラエル主義は地理的にも無理である。現状から提案せよ」と(ル・モンド紙、2003年4月25日)
 ナチ戦犯のアイヒマン裁判を扱う映画『スペシャリスト』で知られる監督エヤル・シヴァンは、反シオニスト、反イスラエル政権の立場から積極的に発言し闘う知識人でもあり、それゆえにこの3月、銃弾2発を郵便で送りつけられた。「次回は郵送便ではないぞ」の強迫状とともに。しかしシャロン政権を糾弾する舌鋒は衰えない。ブッシュの新和平案ロード・マップにも批判は厳しい。
 「まずイスラエル軍が占領地から即時撤退すること。それは交渉以前の、前提の前提。国際監視団派遣も必要だ。
 18歳までイスラエルに生まれ育った監督は『IZKOR 記憶の奴隷』で、母校を撮り、哲学者ライボヴィッツのインタビューを交えながら、イスラエルの教育がどのように思考を疎外していくかを問うている。
 5月のイスラエルは国家の祝祭日が3つも重なり合う。エジプト脱出を祝う自由の日、独立記念日、ショアー記念日。学校では連日、民族の英雄的な歴史と記憶がすりこまれる。一杯の塩水を飲む動作を通して、子どもたちがエジプト脱出の記憶を肉体化する授業。国旗はためく街路にサイレンが鳴り響き、街全体が黙祷の劇場と化す瞬間の強度。民族の歴史と記憶が肉体に刻まれ、そして再び肉体を通して外に投影される様がそこに映しだされる。
 思考する前に肉体で国家に同化させるこの教育を、監督は部族社会の特色として分析する。「原始的部族社会では、割礼、若い戦士の刺青等々、社会への所属を肉体で示します。スポーツを一緒に行ない、スローガンを共に叫ぶのも同じ。日本企業でも社員が一緒に体操するでしょ。個人は社会集団の外には存在しない。だからイスラエルでは祭事の日、子どもたちは白いシャツと青いズボンで通学します。国旗の青と白のように。私達は国旗の一片になるのです」
 その国旗がいま、フランスを荒らしている。「1年半ほど前には、CRIF代表やユダヤ人知識人との議論もテレビで実現した。彼らはもう誰とも議論など望まない。とりわけ私のような反体制派イスラエル人とはね。彼らにとってユダヤ人とはシオニスト。ユダヤ人とシオニスト、イスラエル人が完璧に混同してしまった。そしていま彼らは驚くべき力を持っている。彼らが全ての路線を勝ち取ってしまったのだから。ひとりの犯罪者が国のトップで闊歩しているが、法廷は何も問わない。イスラエルは国際的に犯罪国家になっているが、法廷はなにもしない。ということはイスラエルに承認された者は何をしても免除されるということ。間違っているとみんなが知っているのに。そして国内で行なわれていることが国際的規模で展開されている。イスラエルが土地を奪い、家を壊し、人を殺しているのに、誰も何もしない。フランスでも彼らは暴力事件を起こし、裁判を乱用し、脅迫手紙を送りつける。これを放置しているのはフランス共和国の責任だ」
 哲学者ライボヴィッツには「自由に考えることを教えられた。人間は様々な思考を並行して構築できる。映画『羅生門』のように、様々な視線の総体として、ひとつの状況を描き得る。ところが今は世界共通の文化、マスメディアの、速度の文化が支配している。ひとつの視点で見て、ひとつの解釈しかしない。だから、ちょっとだけ今居る場所をずらしたらどう見えるか。慣れた思考の場所からはなれて、ずらして考えてみる。それも自己規制や抑制のない、自由で生き生きとした方法で」
 4月17日「もうひとつのユダヤ人の声」と題する声明が出された。フランス革命で生まれた共和主義国家によって、世界にさきがけ市民として開放されたユダヤ人の子孫として、声明文は訴えている。
 「私達はパレスチナ人を苦しめている植民地主義に抵抗する。シャロンの犯罪的政治に反対し、法の平等と公正を求める。フランスにおいてイスラエルの極右のイデオロギーが台頭し多くの民主主義者がおどしにあっている。ユダヤ人を犠牲者として特権化してはならない。そして自爆テロの対策はパレスチナ人の開放にしかない」
 もちろん署名のリストには、監督の名も見える。




(1) 1938年11月9日、ナチが組織した大規模なユダヤ人襲撃事件。シナゴーグ消失191件。ユダヤ人商店の破壊7500軒。91人のユダヤ人が殺され、3万人が収容所に送られた。
(2) SOFRESの調査によれば人種差別の対象は1位が89%で北アフリカ出身のアラブ人、次いで46%のジプシー、37%の黒人、ユダヤ人は10%である(ル・モンド紙、2002年3月19日)
(3) ヴィシー政権下では1940年、反ユダヤ人法が制定され、公職追放等の排斥が行なわれた。
(4) 1967年のパレスチナ占領以後、占領地内に建設されたユダヤ人入植地は政府公認だが、すべて国際法には違反である。新和平案ロード・マップの受諾にあたりシャロン首相は入植地解体を「非認可の入植地」に限定した。これは宗教的ウルトラナショナリストが公認入植地の前線として設置し始めたもので、1000人程度にすぎず、20万に以上をかかえる本来の入植地問題はまったく解決されない。