イラク戦争被害の記録


被害報道日誌(10月1日〜11月19日)


●11月19日(246日目)−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

「アイアン・ハンマー作戦」の一環として武器を捜索する米軍兵士
(ALJAZEERA.NET 11/19)
 米軍は17日夜から18日にかけて、フセイン元大統領の故郷である北部ティクリットなどを空爆を行った。「大規模戦闘終結」宣言以来、最大規模の空爆である。17日には、精密誘導ミサイルによる爆撃も実施されるまでになった。米軍は、抵抗するイラク民衆全部を殲滅しようとでもいうのだろうか。
 民間人の被害もマスコミで報じられるようになった。まだ、米軍の被害やテロ攻撃の被害の報道に比べると極端に少ないが。空爆によって家屋が破壊、肉親を殺され嘆き悲しむ女性の姿がTVでも報道された。アルジャジーラは、バグダット市内の銃取引所において米軍兵士が銃を乱射、少年を含む3人のイラク人が殺害されたことを報じている。米軍司令官は、「この24時間で1729回の攻撃を仕掛け、90人を拘束した」と発表したが、多くの民衆が巻き込まれ、殺害されたに違いない。
 本格的な軍事行動がさらに継続され激しさを増せば、イラク民衆の犠牲者はさらに増えるだろう。米軍が「掃討作戦」、空爆=大量殺戮を直ちに中止し、無条件に撤退するよう要求していこう。

 「現在の掃討作戦は、大きなハンマーでハエを叩こうとするようなものである。ゲリラとの闘い方ではない」、「・・・イラク人に、野蛮な軍の支配の下におかれていると思わせるようなやり方である」(フランスの軍事・外交研究所代表)。このような声を下記のBBC記事は紹介している。

※US troops err in civilian killings
http://english.aljazeera.net/NR/exeres/7C2224BE-FF53-43FA-858C-3D32A15300EA.htm
※US forces pound Iraqi insurgents
http://news.bbc.co.uk/2/hi/middle_east/3281291.stm

○記録−米軍によるイラク民衆への攻撃・拡大する米軍兵士の犠牲 
18日
米軍の攻撃
 継続する「掃討作戦」
 ・バクバ  アパッチ攻撃ヘリコプターによる攻撃 
       廃屋や森林などを次々に破壊。が同日、首都北方約1 
 ・サマラ  F16戦闘機2発の爆弾を投下

17日
米軍の攻撃
 中部・北部で大規模攻撃 「掃討作戦」
 戦闘機、ヘリ、精密誘導兵器による攻撃
 ・ティクリット  激しい空爆、「掃討作戦」
  5月1日「大規模戦闘終結」宣言以来、最大規模の空爆(AP通信)
 ・シリア国境沿い 16日夜半 「外国人武装勢力」 1人死亡 6人拘束

米軍・同盟軍の犠牲
 バラド  ロケット弾と小銃による攻撃 米兵士1人死亡 2人負傷 
       仕掛爆弾による攻撃     米兵士1人死亡   
政治・動向 
 ブッシュ大統領  戦争継続も辞さない決意
 ・「米国は長期的な世界平和を実現するためなら、必要なら単独でも、再度戦争を行うことも辞さない」。(インタビュー)



●11月16日(243日目)−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
空爆=無差別殺戮を直ちに止めさせなければならない!
 米軍はイラクに対するなりふり構わぬ空爆を開始した。8日から「報復」「テロ掃討」と称して爆撃を行ってきた米軍は12日より「アイアン・ハンマー」と名付けた大規模な軍事行動を連日展開している。今なお、ファルージャ、チクリート、バグダッドなどへの空爆を続けている。AC-130攻撃機、F16戦闘機、アパッチ・ヘリを動員し、壊滅作戦を繰り広げている。
 米軍の空爆は、自軍の犠牲に対する公然たる報復であり、抵抗するイラク民衆への見せしめである。はじめて空爆が再開されたファルージャを含む「スンニ・トライアングル」はイラクの中で最も抵抗運動が強い地域であり、米軍の多くの犠牲はこの地域で発生していた。ここで米軍ヘリが撃墜され、地上軍の兵士の犠牲も相次いだ。あくまで米軍とその支配に抵抗するならば、空爆をもって応える。これがイラク民衆へのアメリカのメッセージなのである。空爆=無差別殺戮を繰り返すアメリカには、徹底した占領者の意識、攻撃を加えるイラク人を同じ人間とは見なさない人種差別意識が染みついている。
 一連の空爆によって、子供を含む多くの民間人が犠牲になっている。現地情報は米軍によって統制されており、真実はいまだに明らかにされているない。しかし時が経つにしたがって、先の戦争と同じようにその惨劇が明らかにされるであろう。米軍は「テロリストの拠点を攻撃した」と述べているが、もはや世界の誰も信じていない。民間人犠牲者に関する米軍発表が、いかにデタラメなものであるのか、世界は知っている。米軍は、先の戦争において多くの民間人犠牲者を出しながらも、「精密誘導兵器を使用しており、犠牲者はほとんどいない」との見解を、米軍はいまだに変えていない。これ以上のイラク民衆の犠牲者を許してはならない。アメリカは空爆を即座に停止せよ。

※ 米軍、戦時に準じた態勢 イラクでの攻撃激化で
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20031114-00000156-kyodo-int
※<イラク>米軍、武装勢力掃討作戦を続行
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20031114-00001046-mai-int
※“イラク首都で米軍が空爆 米占領統治の混迷象徴”
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20031113-00000032-kyodo-int
※“イラク統治で方針転換=反米掃討強化、暫定政権容認も−ブッシュ政権”
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20031113-00000756-jij-int

空爆だけではない!大規模な「掃討作戦」を繰り広げる米軍
 米軍はイラク各地における空爆の再開とあわせて、バグダットを中心とする「ゲリラの拠点」に対してこれまでにない大規模な「掃討作戦」を仕掛けている。抵抗運動の高まりと相次ぐ犠牲者の拡大を受け、抵抗勢力を根こそぎにしようと米軍は躍起になっている。作戦にはAC-130攻撃機、アパッチ・ヘリまでが動員され、徹底した殲滅戦を繰り広げている。「反米勢力7人殺害」(14日)、「武装勢力の5人を殺害、5人を拘束」(13日)等、米軍は自らの戦果を勝ち誇るかのように、殺害したイラク人を数え上げている。逃げまどう多くの民衆が狙い撃ちにされ、無惨に殺害されている。また地上軍兵士による民家急襲の映像も次々と伝わってきている。深夜、寝静まった家のドアを蹴破り乱入する米軍兵士。泣き叫ぶ子供を隔離し、女性たちの抵抗を恐れ手錠で拘束する兵士たち。次々と拘束され、連行される成年男子。このような風景が、「テロリスト掃討作戦」の強化の名の下に強行されている。それだけではない。「テロリストが潜んでいる」として、迫撃砲が撃ち込まれた家屋もある。
 「テロを防ぐには、攻撃を受ける前に敵を見つけ攻撃するしかない」---これが「掃討作戦」の目的であり狙いであると米軍は主張している。米軍の「掃討作戦」なるものがどれほどの悲劇を生みだしているのか。米占領下のイラクの記録を紐解けば、その実態は明白である。また、理由もなく拘禁されている民間人によって監獄が一杯となっている。「掃討作戦」の名によるイラク民衆への弾圧、虐殺を許してはならない。

 *米軍は、戦中、占領統治下で数多くの「誤爆」「間違った殺戮」を行った。是非とも、これまでの「被害記録」を振り返っていただきたい。「テロ」とまったく関係のない家屋へ誤って攻撃した−−その家屋の住民は全員殺害された。手を振った少女への一斉発砲−−少女は自分たちが「テロ事件」と関係ないことを伝えたかったのだ。屋上に昇っていた少年は、いきなり米兵に狙撃された。家屋の中でバケツを持ち上げた男性が射殺された−−兵士はバケツを爆弾だと勘違いしたのである。「掃討作戦」にともない封鎖された地域に迷い込んだ車は蜂の巣にされた−−乗っていた全員が即死した。検問所における数多くの射殺事件。「容疑者」の大量逮捕、長期の拘禁。理由もなく拘禁されている民間人によって監獄が一杯となっている。すでに、5000〜10000人もの「容疑者」が長期にわたって監獄内で長期間にわたって拘禁されている。数多くの過ちを犯したにもかかわらず米軍は、そのような事件を記録から抹消し、自らの責任は消し去ろうとしている。当然、犠牲者に対する補償もほとんど実施されていない。これらは、「掃討作戦」の実態について伝えられているわずかばかりの断面である。「掃討作戦」の名によるイラク民衆への弾圧、虐殺を許してはならない。

※反米勢力7人を殺害=掃討作戦を継続−イラク駐留米軍
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20031114-00000166-jij-int
<イラク>米軍ヘリ撃墜でイラク人6人を逮捕
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20031115-00002026-mai-int
※“イラク人抵抗勢力へ攻撃を強めるアメリカ”
 “US steps up assault on Iraqi foes”
 http://news.bbc.co.uk/2/hi/middle_east/3270641.stm
※“米軍、首都周辺で掃討戦=反米勢力2人を殺害−イラク”
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20031113-00000663-jij-int

抵抗勢力の殲滅戦を継続しながら、権力移譲をちらつかせる米政権
 アメリカの新たな占領政策を批判する
 相次ぐ米軍兵士の犠牲拡大、抵抗勢力の攻勢の強まりを受け、イラク情勢は急展開した。米政権は、2003年のイラク人暫定政権への権力移譲を発表した。これはイラクからの米軍の撤退、イラク人による、イラク人のための政権の誕生を意味するのか?ラムズフェルド国防長官は、イラクにおける米軍駐留が今後長期にわたって継続することを明言した。要するに政権移譲とは、米軍の庇護の元、アメリカの許容しうるイラク人の政権への、一部の支配権の移譲であることを、彼ら自身が明言しているのである。支配の要=軍事力を撤退させるつもりなど、今段階ではまったくない。かっての南ベトナムのような形態なのか?また徹底した殲滅戦を繰り広げながら権力移譲をちらつかせるやり方は、まったく人を馬鹿にしたやり方である。来年の政権移譲、遠い将来の米軍の撤退に備えて、今から徹底的に敵対する勢力を殲滅しようというのか。
 権力移譲を口にするならば、まずもって米軍の無条件撤退を宣言すべきである。米軍が駐留し続け、自分たちの思惑にしたがって支配を継続することにこそ、絶えることのない紛争の根源である。
 平和を求める世界の声と連帯し、米軍による暴虐の停止、米軍の即時無条件撤退を要求することが求められている。世界の世論が要求を押しつけることなくして、アメリカは変わらない。



○記録−米軍によるイラク民衆への攻撃 / 拡大する米軍兵士の犠牲
16日
政治動向
 ラムズフェルド国防長官  来年6月以降のイラク駐留継続を明言
 ・「駐留米軍と連合軍の運用計画は権限委譲と関係ない」。
 ・占領統治が終結する来年6月以降も米軍はイラク駐留を続ける。

15日
政治動向
 CPA 権力委譲の行程を発表
 ・来年2月28日  「基本法」の制定  6月末 権力移譲 暫定政権へ
米軍・同盟軍の犠牲
 北部モスル  米軍ヘリ2機墜落 米兵17人死亡
 バグダット  米軍車両 攻撃を受ける   米兵1人死亡 2人負傷
 キルクーク  警察監視所にロケット攻撃  イラク人警官3人負傷

14日
米軍の攻撃
  3夜連続の大規模「掃討作戦」(アイアン・ハンマー)
 ・バグダットでは、戦闘機、ヘリが作戦参加
米軍・同盟軍の犠牲  
 バグダット  米軍車両 攻撃を受ける   米兵1人死亡 2人負傷
 米中央軍   最新機動部隊(新たな軍車両)をイラクへ投入予定
政治動向 
 ブッシュ大統領  駐留継続を明言
 ・「抵抗勢力を掃討し治安を回復させるまでは、軍を撤退させることはない」。「イラクが“自由の国”になるまで駐留を続ける」。「敵が戦術を変えたので我々も対応を変えた」。
その他
 ウムカスルで日本人撃たれる。
 ポルトガル人記者誘拐される。(ポルトガルは128人の治安部隊を派遣)

13日
米軍の攻撃
  2夜連続の大規模「掃討作戦」(アイアン・ハンマー)
 ・バグダットの3ヶ所で、迫撃砲、戦闘機による攻撃を実行。
 ・バグダット北方200km 米軍 武装ヘリで抵抗勢力を攻撃 7人を殺害
米軍・同盟軍の犠牲
 米中央軍   「ゲリラ制圧は可能」

12日
米軍の攻撃
  大規模「掃討作戦」(アイアン・ハンマー)開始
 ・AC-130,F16、ヘリによる大規模攻撃を開始 バグダットでは数十回の爆発音
 ・イラク人 2人死亡、3人負傷
米軍・同盟軍の犠牲  
 バグダット  米軍車列にロケット弾  米兵に死傷者
 ナシリア   イタリア軍警察本部で爆発 25人が死傷
 米中央軍   「ゲリラ制圧は可能」

11日
米軍の攻撃
  ファルージャ検問所付近 トラックに向けて米軍銃撃 イラク人5人死亡
 米軍・同盟軍の犠牲  
 バグダット  CPA本部付近に砲撃
 バスラ    警察検問所付近で爆発 イラク人4人死亡 5人負傷
 サンチェス司令官 「戦闘地域」と「非戦等地域」の区別は困難
政治動向 
 ブッシュ大統領  駐留継続を明言
 ・「仕事は困難だが、やり遂げる。」「中東に“民主主義革命”を根付かせる」。
 ブレマー文民行政官  緊急帰国

10日
米軍の攻撃
  サドルシティー  米兵 自治評議会議長を殺害
 ブレマー文民行政官 この2,3日で米軍を攻撃した「容疑者」40人移譲を逮捕
米軍・同盟軍の犠牲
 サンチェス司令官 「アルカイダと見られる」20人拘束,5000人以上の「容疑者」を拘束と発表。 

9日
米軍の攻撃
  ファルージャ  F16による空爆
 米軍・同盟軍の犠牲
 バスラ   英兵士 1人死亡 

8日
米軍の攻撃
  「スンニ・トライアングル」において大規模空爆再開
米軍・同盟軍の犠牲
 バグダット  パトロール中の米兵士1人死亡 1人負傷
          CPA事務所付近に砲撃 4人負傷
 ファルージャ 米軍車両攻撃を受ける  米兵士2人死亡 1人負傷 

7日
米軍の攻撃
  ティクリート周辺で大規模な「掃討作戦」
  ファルージャ付近 空爆(5月以降はじめての空爆)
米軍・同盟軍の犠牲
 ティクリート 2日に引き続き、米軍ヘリ墜落 米兵士6人死亡
         CPA事務所付近に砲撃 4人負傷
 ファルージャ 米軍車両攻撃を受ける  米兵士2人死亡 1人負傷

6日
政治動向 
 ナジャフ州知事 米の占領統治に抗議し辞任
            市民に抗議デモを呼びかける 



●11月12日(239日目)−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 米軍は10日、激しい抵抗運動が繰り広げられている「スンニ・トライアングル」への空爆を再開した。抵抗勢力に手を焼く米軍は、民衆の犠牲をもいとわない、無差別空爆を再び開始したのである。どれだけのイラク民衆の屍を新たに築き上げれば気が済むのか。米軍の無差別空爆=虐殺に憤りを抑えることができない。
 現在、米軍の占領支配はこれまでにない激しい抵抗を受けている。11日、バグダットの中心地が攻撃にさらされた。もはやイラクには、米軍が完全に掌握している地域は存在しない。「比較的治安が維持されている」南部のナシリア、バスラでも、多国籍軍への組織的な攻撃が強まっている。米軍の現地司令官は、今や「戦闘地域」と「非戦等地域」の区別は困難であることを認めざるを得なくなっている。日本政府が主張する自衛隊派遣の前提条件=「非戦闘地域」などは今のイラクにはなく、イラクに出兵することは抵抗運動に戦闘を挑み弾圧するということである。
 なぜ民衆の抵抗運動が拡大しているのか。ブッシュ政権が主張するような、“アルカイダ”や“一部の国外勢力”、“フセインの残党”が抵抗運動の主体ではない。米軍の占領支配への民衆の強い怒りが根底にあり、その上に民衆の抵抗運動と支援が形作られているのである。その点については、前回の紹介記事(ロバート・フィスク記者)の中で主張されている通りである。占領支配を続けるアメリカはイラクで行ってきた自らの行為を省み、占領軍を即座に撤退させなければならない。民衆の抵抗をしずめるにはこの選択肢しかないことを理解すべきである。
 少し古い記事ではあるが、なぜアメリカの軍事支配がイラク民衆の怨嗟の的となっているのかをリアルに理解する一助として、3本の記事を紹介したい。

  1,“事例研究:イラク市民の死”
  2,“イラク市民が引き金の犠牲となる
    「遺憾な」事件が、通りがかりの人々、警官、そして子供の命まで奪う”
  3,“米軍の急襲はイラクの村全体を網にかけている”

 記事1,2は、現地における米軍の蛮行を告発した“ヒューマン・ライツ・ウォッチ(HRW)”の報告(10月下旬)を紹介したものである。記者自らがHRWが指摘した米軍の蛮行の現場を調査し、あまりにも非人道的な占領支配の実態−無関係の子供、市民の無差別殺戮−を批判している。民衆を巻き込み虐殺する米軍のやり方は、ますます多くの人々を反米に追いやっているのである。
 記事3は、米軍の急襲の規模、方法がますますエスカレートしてきていることを指摘したものである。イラクの村々をヘリコプターで急襲し、根こそぎ拘束、拘禁する米軍の無法ぶりを批判している。抵抗に手を焼く米軍は片っ端から「容疑者」を拘束し、その人数が5000人を越えていることを米現地司令官は認めた(下記関連サイト)。(別の情報によると、その人数は1万人を越えるとも言われている。)

関連サイト
※イラク南部のイタリア軍警察本部での爆発、少なくとも6人死亡
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20031112-00000187-reu-int
※<イラク>「戦闘」「非戦闘」地域の区別困難 米司令官
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20031112-00003020-mai-int
※バグダッド中心部にロケット弾攻撃、少なくとも4発
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20031112-00000402-yom-int
※イラク国土の大半は安定=反米勢力5000人以上を拘束−米軍司令官
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20031111-00000375-jij-int
※<イラク>半年ぶりに空爆再開 米軍
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20031111-00002077-mai-int


○占領支配下における米軍の蛮行
紹介記事1
“事例研究:イラク市民の死”
“Case study: Iraqi civilian deaths”
By Martin Asser   BBC News Online correspondent in Baghdad   22 October, 2003,
http://news.bbc.co.uk/2/hi/middle_east/3212156.stm

米軍による多数のイラク市民の殺害疑惑に関してヒューマン・ライツ・ウォッチがレポートを発表した日、当社の特派員は、最も悲劇的で心を乱す事例の一つの生存者を訪問した。

バグダッドを抜ける南北のメイン・ハイウェー沿いを急ぐドライバー達の目には、それはちょうど、アル・スレイク(al-Slaikh)地区にあるその質素な家の外に駐車されカバーをかけられた自動車のように見える。

詳細な検分のよってのみ、アディル・カワズさんの白いブラジル製フォルクスワーゲン・パサートに起きた大災害が明らかになる。
アディルさんの義理の兄弟アリ・ジャワドさんは毛布を持ち上げ、8月7日の夜間にその車への警告なしに始められた米軍第1機甲師団の兵隊らが行った連続的な一斉射撃による蛮行の結果を見せた。
車体は20発を越える弾丸によって穴だらけにされ、車内は割れたガラスだらけであった。
血液は乾燥して時間がたっているが、アディルさんが致命傷を負った運転席、そして娘のオラさん(14歳)、息子のハイダル君(19歳)が死んだ後部座席に、その黒い痕跡をはっきり見ることができる。
8歳だったもう一人の娘のミルバちゃんは、アディルさん同様、約4時間後に米兵らによって病院に届られる前に負傷が元になって死んだ。

唯一の生存者たち

荷物入れを開けて、アリさんは乾いた血でごわごわしたチェック模様のアディルが着ていたシャツ、黒い血痕の下にまだ漫画のキャラクターと花が見分けられるミルバちゃんのTシャツを取り出した。
後部座席の後ろの棚には、おもちゃの傾いた犬が、高速の弾丸で頭を吹き飛ばされたように見うけられた。
母親のアンワー・ジャワドさんともう一人の娘、14歳のハディルさんだけが、米軍の路上バリケードに気づかず運転していた家族に降りかかった猛攻撃を生き残った。

家の中で、アンワーさんとハディルさんは、アンワーさんの両親とともに日々を過ごしている。彼らはここの慣習に従い、アディルさんの家族と生涯一緒に暮らす。

アンワーさんは銃撃の1週間後に出産した。その小さな赤ちゃんのハッサンちゃんは祖母の腕の中で守られている。女性たちはみんな黒衣を着用していた。一年が過ぎるまでそれを続けるのだろう。

ハディルさんは私たちが訪問していた間、ずっと黙ったままであった。しかしアンワーさんは、とてつもない忍耐力でもって、恐ろしい出来事を再び語ってくれた・・一番年下の娘の傷を見たときのところだけは泣き崩れたが。

法的な要求

しかし彼女が、アフリカ系米兵がハディルさんの腕のちょうど榴散弾によって切断されていたところをつかんで車から引きずり出した時の事について証言したときには、冷たい憎悪がにじんでいた。

「同じような経験をあなたがしたとしても、あなたが唯一恐れるのは全能の神だけでしょう」と彼女は、米兵らを見たら今でも恐ろしいかとの私の問いに答えて言った。

アル・ジャジーラ テレビが部屋の隅でついていたが、アンワーさんはヒューマン・ライツ・ウォッチが彼女の話を特にとりあげているレポートを本日発表したことは知らなかった。

また、イラクの同盟軍司令官のリカード・サンチェス陸軍中将の直接の命令により第1機甲師団の財源から11,000ドルを家族が受け取ったと、メディアの報道やヒューマン・ライツ・ウォッチが発表しているにもかかわらず、彼女は近々受ける米兵からの補償金の支給についても知らなかった。

彼女の話では、一家は事件の謝罪を一切受けておらず、また同盟軍の兵士らは、民間人の死が軍事行動中に発生するこういったケースについては起訴から免除されていると、彼らは言ったということである。

しかし、弁護士がイラクの法廷でこの事件を追求しているが、と彼女は言う。

明かりの消された道路

車は東へ1キロほど行ったところで銃撃されたが、それはアディルさんが夜間外出禁止令の2時間ほど前にジャワドさんを訪問し、家族らと帰ってきたときであった。

アンワーさんの話では、最後の瞬間に見えたのは明かりの消された道路を2台の暗緑色の装甲車が塞いでいるところだけで、続いて兵士らは、アディルさんのパサートが接近したのに対して警告なしに発砲を始めた。射撃は10分程度続けられた、と彼女は言う。

夜間の兵士らは同じ場所で死んだサイフ・アル・アザウィさんも撃っている。サイフさんは友人2人と一緒に、ラジオを大きな音で鳴らしながら近くを高速で運転していた。

車が銃撃後に火に包まれたため、サイフさんの身体は灰となった。

それはすべて、ちょうどジャバリさん一家の外で起こった。一家の者は、兵士らが武器を探して近くの家を探っていたときに起こった混乱の場面について語った。

「アメリカ人らはパニックに陥ったように見えた」と、その出来事を目撃したアリ・ジャブリさんは言う。

「銃撃された2台の車の場合同様に、彼らの周囲一帯を無差別に銃撃した。私は、誰かが英語で叫ぶのを聞いた。「動くものは全部撃て」。彼らはお互いに撃ち合いまでした。「彼らのうちの2人が道路で叫びながら身を伏せていた」とアリさんは述べる。

発砲を始めると示したものは誰もいなかった、彼は付け加える。

対立する説明

アリさんは庭、門、そして家そのものに残っていたいくつもの銃痕を示した。それは兵士らが異なった方角から発砲したことを確証しているように思われる。

しかし、多くのイラク人の目撃者らの証言は、同盟軍の事件に対する説明と対立している。

ヒューマン・ライツ・ウォッチによって報告された軍の調査では、「遺憾な出来事」がその夜アル・スライクで起こったが、兵士らは「交戦規則に則って行動した」。

同盟軍の報道官は事件当時、兵士らが行動中に既に攻撃を受けていた、と述べている。
友軍の発砲に関する報告はない。

「なぜ彼らがそのように私たちに発砲を始めたかは、神のみぞ知る、です」とアンワーさんは言う。「4月に兵隊がきてサダム・フセインを追い払った時は私は幸せでした。でも今は、彼らは人間のクズだと思っています。」



紹介記事2
“イラク市民が引き金の犠牲となる
  「遺憾な」事件が、通りがかりの人々、警官、そして子供の命まで奪う”
“Iraqi Civilians Fall Victim to Hair Triggers
'Regrettable' incidents claim bystanders, police officers, even children.”
By Fred Abrahams, Fred Abrahams is a consultant for Human Rights Watch. October 21, 2003
http://www.hrw.org/editorials/2003/iraq102103.htm

アディル・アブド・アル・カリム・アル・カワズさんは、8月のある夜バクダッドで、彼の妻と四人の子供と一緒に、親戚の家から車で帰る途中であった。その日は暗かった。それで彼は、第1機甲師団所属の米兵らが装甲車と大口径の銃を備えた検問所に展開していたのに気づかなかった。サインや明かりは一切見えず、彼は、彼が止まるべきものと勝手に想定されているとは、理解していなかった。それで、彼は少し接近しすぎた。そして兵士らは発砲をし、彼は3人の子供(そのうちで最も年少の子は8歳だった)と一緒に殺した。

このような災禍は、イラクにおいてはもはや、まれなことではない。それが検問所で起きるのは、強襲の間や路上攻撃の後で、いらいらした米兵が困難につきあたるとすぐに致死的な武力行使に走るためである。それらが銃を撃つだけの十分な理由を持っている場合でさえ、兵士らは時々、過度で無差別な手段で対応するため、民間人らは不必要に危険にさらされる。

米軍は、自らが招いた民間人死者について、「我々には正確な集計を維持することは不可能である」と言って、統計をとっていない。しかしヒューマン・ライツ・ウォッチ(Human Rights Watch)は、先月の調査の2週間で、5月に主要な戦闘の終結以降で米兵の手によって死んだバクダッドのイラク市民20人について確証を得ている。合計では、私たちが集めた報道によれば、バクダッドにおいて94人の市民が法的に疑問のある状況下で死んでおり、調査での裏づけが取れている。

米兵らは暑く、疲れており、ホームシックになっている。彼らは、ますます組織化され地元住民に溶け込んだレジスタンスから攻撃を連日受けており、市民らへの配慮を失っている。
しかしそれは、現在そうなっているような、同盟軍がほぼ完全に罪に問われることのない状態で作戦を行うことが認められるべきである、ということにはならない。彼らはイラクの法から免除されていおり、軍は虐待に関する申し立てについて十分な調査を行っていない。これまでのところ、軍は、イラクにおける民間人死者についてわずかに5つだけ、完了した調査を公に発表している。どのケースについても、発砲した兵士は交戦規則に従った行動をとっていたと判断されている。

私は、5つの事件の内から2件を再調査し、反対の事実を示唆する証拠を見つけた――実際、過度の武力が使われていた。一つは8月9日に起こったもので、ワゴン車で容疑者を追跡していた標識のないイラク警察の車両を、第一機甲師団所属の兵士らが誤って銃撃した。アメリカ人は2名のイラク人警官を殺した。証人は、1名については、車から手を上げて出てきて「違う---警察だ!」と叫んだ後で殺されたと述べている。車中にいた3人目の警官はアメリカ人に殴られた。

第2のケースは8月7日にカワズさん一家が撃たれたもので、軍はそれを「遺憾な出来事」と呼んでいるが、最終的には交戦規則に則っていたと結論付けている。

しかし、私たちの調査では、兵士らは最初に警告射撃をすることなく、一家に対して抵抗不可能なほどの銃火器を使用したことが明らかになっている。米軍はカワズさん一家に11,000ドルを、「同情の表現」として与えた。

最近、米軍に対して他にも多数の不満がでており、民間人の死以外のことも多い。私がバクダッドで3週間前、第82空挺師団の法律関係の将校に会うために彼の基地で待っていた時、ゲートで私と一緒にいた2名のイラク人弁護士は、ともに米兵らへの苦情を一抱えしていた。法律関係の将校が私に語ったところでは、彼の旅団だけで700件を超える苦情を受けており、それは財産の損壊から自動車事故、暴力、殺害までに及んでいる。

軍の公務オフィスはその後私に、米兵らが関与した様々な軽犯罪の補償として901,545ドル支払った、と述べている。しかし、これは金銭の問題ではない。米兵らの過度な振る舞いは、いずれにせよ恨みを生み出し、そしておそらくはレジスタンスへの新兵を供給することにさえなる。私たちが行なったインタビューでは、個人にとどまらず部族全体が報復を誓っている。

この問題の一端は、戦後に治安任務についている戦闘兵らへの信頼にあり、彼らはその準備をまったく受けていない。第82空挺師団あるいは第1機甲師団所属の兵士らは戦争をするための訓練をされ――群衆をコントロールしたり、泥棒を追跡したり反乱者を根絶することは訓練されていない。

何人かの軍当局はその問題を認識し、戦闘兵らのために臨時の訓練を命令している。
しかし今の時点で、危険はまだ存在する。

私は滞在中、米国が民主的なイラクを構築することを支援するだろうと期待していた、多くのイラク人に会った。しかし多くの者が、日を追うごとにイラク人を疎外する何人もの米兵らの文化的配慮のなさや侵略に狼狽させられていた。

「私は、サダムが戻ってきてアメリカ人を全員殺すことを望む」とアディル・アブド・アル・カリム・アル・カワズさんの妻、アンワーさんは取り乱してジャーナリストに言った。米兵が彼女の夫と子供のうちの3人を殺した数日後のことである。

彼女の見方は多くの者が共有しているものではないが、その数は民間人が死ぬごとに、増大している。


紹介記事3
“米軍の急襲はイラクの村全体を網にかけている”
“U.S. Raid Nets Whole Iraqi Village”
by Hamza Hendawi, Associated Press     October 23rd, 2003
http://www.occupationwatch.org/article.php?id=1541

イラク,ハッバリヤ −− ヘリコプターに乗った米兵らが、砂漠のこの人里離れた羊飼いの村を急襲し、男性らのほとんど全員を拘留した。その最高齢者は81歳、最年少は13歳であった。その急襲後の一ヶ月で、明らかにテロリストをサウジアラビアから国境を越えて滑り込ませないことが目的に違いないが、79人の囚人の内2名だけが釈放された。

その急襲は −− アフガニスタンで米軍特殊組織部隊に指揮された攻撃と似ているが −− 米軍当局者らがサウージ・エクシル・オサマ・ビン・ラディンに忠誠を誓う者たちを含む外国人戦士たちがアメリカ主導の占領軍に対する抵抗活動に参加するためにイラクに入り込んでいることに懸念を抱いたのと同時に始まった。

米軍が指名したハッバリアの町長とその副官の警察署長は、80マイル離れた国境を越えてくる砂漠の密輸業者や潜入者と接触を持ち続けているという嫌疑から、アメリカ人らがその村落を罰するために非常に大勢の男性と少年を一網打尽にしたと信じている。

米陸軍当局者たちはこの作戦について述べることを拒否したが、米消息筋は、匿名を条件に、逮捕され釈放された一人を含む6人の村民によってAPにもたらされた答弁の大筋を認めた。

9月10日に起きたことに関する彼らの説明は、米兵に対するゲリラ活動の範囲が広がっているとき、外国の反政府分子の流入と戦う取り組みについての最初の調査の一つを提供するのはもちろんのこと、この国境地帯における米陸軍による作戦の詳細をはじめて示すものである。

村民たちは、500人がおよそサッカー場2個分の大きさの場所に集まっているベドウイン居住地であるハッバリア上空で、夜明けにヘリコプターのビューという音を聞いたと言う。

その村は、バグダットからサウジアラビアやシリアやヨルダンとの国境に向かって西と北と南に広がるイラク領土の3分の1を占めるアンバー県にある。米兵らは、ファルージャ、ラマディ、カルディアのようなホットスポットを含んだサダム・フセイン支持の元根拠地であり、その保守的で大部分がスンニ派イスラム教徒である県において、毎日のように攻撃を受けている。

その後10時間で、米兵らは警官や老人やティーンエイジャーを含む男性たちを拘留したと村民たちは語った。ある女性も捕らえられた。全員プラスティックの手錠で拘束され、ある家に連行された。

そこから、米兵たちは囚人たちをヘリコプターに乗せ、その村の北にある空軍基地へ彼らを空輸した。

族長の妻であるその女性は翌日釈放された。男性たちは、以前サダムによって政治犯を収容するために使われていたバグダットの西のアブ・グリブ刑務所へ移送された。

2人を除く他は皆そこに残された。釈放されたのは66歳の族長のシャイクであるメタッバ・アルハタルさんと81歳のハワス・イブライムさんだった。

そのシャイクの甥のタマール・ナエフ・アルハタルさんは米軍が指名したハッバリアと近郊2村の町長である。彼は襲撃の時には遠く離れた所にいたが、他の村民たちから状況を聞いた。

「シェイクのメタッバさんは、アメリカ人たちがテロリストのキャンプが私たちの地域にあると見ている。その地域の見知らぬ人たちについて質問された」と町長は言う。

また彼は、アメリカ人たちが全ての家を捜索し、現金と、遊牧の伝統を持った砂漠の部族であるベドウインの間で通貨として使われる金宝飾類を没収したとも語った。

その翌日、砂漠迷彩を着て半自動武器を持ったアメリカ人たちが、町長が訪れている村にやって来た。

彼は、占領当局がハッバリアを含む三つ集落の町長に彼を指名した証明書を見せた。

「彼らは、見知らぬ者たちがその村を訪ねたと私のおじに告げた。しかしおじは、その地域は広大な砂漠であり、そこで起きること全てを知ることは出来ないと彼らに答えた」と町長は言う。

彼は、その地域に設置された電話の情報を探り出そうと試みていた兵士たちから伝えられた発言を引用した。町長が知っていた唯一の電話は彼自身の所有する衛星電話だった。

「私はそれを彼らに渡しました。彼らはそれをチェックして、私に返すと、またそれを取りあげました。」彼は言った。「彼らはまだそれを持っています。」

APはハッバリアの急襲のことを水曜日に初めて知った。カスラ近郊の村出身で11歳の少年ミシャアル・カラフさんがそこでの拘留について抗議した後でのことだ。ハッバリアでの急襲の翌日、米軍はカスラにやって来て、カラフさんの兄弟二人を含む9人を拘留した。

「私は兄弟たちに手紙を送りたい」とその少年はうつむき泣きだしそうになって言った。

釈放された81歳の男性サム・イブライムさんは、刑務所にいた一ヶ月の間、全く尋問されなかったとAP通信に語った。アメリカ人たちとの唯一の接触は、アブ・グライブ到着時、彼が彼の個人情報を渡した際の一人の通訳を通したものだけであった。

彼が釈放された時、彼はおよそ250マイルの道のりのハッバリアに戻る輸送のためのお金を与えられた、と彼は言った。

「彼らは、私たちをよく扱ってくれました。若者たちには遊ぶためにサッカーボールが与えられました」と、彼の回りをやかましく叫び回っている二人の孫と一緒に客間の絨毯が敷き詰められた床にしゃがみ込み、彼は言った。

彼は、長年苦しんでいた深い前額部のけがについて、刑務所で医療行為を提案されたと言った。彼は断った。「私は子供たちなしでそこに一人でいる間に彼らに私を手術してもらいたくなかったのです」と彼は言った。

9月10日の襲撃はその範囲、法において異例なものだった。兵士たちは通常ヘリコプターよりもむしろハンビー、あるいは武装した車で襲撃を実行する。

最近の首都での自爆テロ以降、イラクの騒乱にアルカイダが関与している可能性についての懸念はま強まる一方である。先週、アラビアのテレビ局アルジャジーラは、イラク人戦士を「神の戦士」と、そしてイスラム教徒のための「防衛最前線」として褒め称えたビン・ラディンのビデオテープを報道した。

水曜日、イラクの米軍指揮官であるジェン・チャード・サンチェス中将は次のように語った。彼は、知られていない活動員は拘留されているが、アルカイダと関連したテロリストのグループがこの国で活動していると見られると。彼はまた、米軍に対する攻撃は日に35件ほどに増えてきているとも語った。



●11月1日(228日目)−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 大規模な事件が連日報告されている。イラク戦争を仕掛けた張本人の一人、ウォルフォウィッツの滞在していたホテルも標的になるまでに、レジスタンスの攻勢は強まっているようだ。紹介記事においても紹介されているが、大量の米軍部隊を張り付けているバグダット国際空港すらもターゲットにされ、迫撃砲が撃ち込まれるようになっているという。相次ぐ事件を受けブッシュ大統領も、「イラクは戦場である」ことを明言した。年末にも、その地に自衛隊が出兵しようというのである。国連は、職員のイラク撤退を余儀なくされた。
 そのような中、米政権中枢、現地米軍部隊から、次のような見解がさかんに流布されるようになった。「外国人勢力が大量にイラクに流れ込んでいる」「攻撃の主体は外国勢力である」「アルカイダが攻撃を組織している」等々である。要するに米軍は、イラク人ではなく、外国勢力とイラクで戦闘しているというのである。決して彼らは、イラク人と敵対し、占領政策が脅かされていることを認めない。彼らの存在意義が根本から揺らぐからである。そして西側のマスメディアも同様な見解を垂れ流している。しかし真実はどうなのか。今回紹介したロバート・フィスク記者のインタビュー記事、“これは抵抗運動だ。我々が好むと好まざるとにかかわらず。”は、現在のイラクの抵抗運動について重要な示唆を与えるものである。フィスク記者は明言している。「アメリカの駐留に対する抵抗と、残忍で、乱暴で痛ましいイラク人自身に対する攻撃は、大部分がイラク人によって行われています」と。これがイラクにおける真実なのだと。そしてフィスク記者は、西側が爆弾テロ事件の外国人を拘束したとの米軍発表に対して次のような疑問を投げかけている。「私は、彼のパスポート番号や彼の国籍、誕生日、それどころか彼の名前も知らされていないことを指摘しました。たとえ彼が本物だとしても。」と。そして彼は、米軍は外国勢力のイラクへの浸透を問題にしているが、イラクにおける最大の外国勢力が米軍であることを、皮肉を込めて指摘している。占領軍のプロパガンダ、それを垂れ流しにする西側マスコミにだまされないためにも、またイラクで展開されている事態をリアルに理解するためにも、現地からの情報を随時伝えていきたい。


○現地情勢に関する報道 米兵攻撃はイラク人民自身による抵抗運動である!

“これは抵抗運動だ。我々が好むと好まざるとにかかわらず。”
“This is a Resistance Movement, Whether We Like It or Not・・Robert Fisk on Iraq”
http://www.democracynow.org/article.pl?sid=03/10/29/1613248

英国、インディペンデント紙の中東特派員 ロバート・フィスク(Robert Fisk)記者は、イラクでの米国の占領に対する抵抗の強まりを論じている。また、米国兵士に対する攻撃はイラクの外から来た兵士によるものであるとするブッシュ政府の主張に反論している。
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ロンドンのインディペンデント紙のロバート・フィスク記者は火曜日、一連の爆弾事件について書いている。:
「この2日間のバグダッドにおけるメッセージは単純である:イラク人に対し次のように伝えているのである。米国人はイラクを支配できないと。さらに重要なことは、米国人に対し次のように伝えているのである。米国人はイラクを支配できるわけがないと。さらになお重要なことは、イラク人に対して、米国人のために働いてはいけないと伝えているのである。メッセージはまた、“敵のリーダを殺せ”というアメリカの新しい戦闘ルールに応えるものでもある。」 

フィスク記者は続けて言う。

「いくらかの米国の敵は他のアラブ諸国からきているかもしれないが、ほとんどのアメリカ駐留軍に対する軍事的抵抗はイラクのスンニ派からのものである。つまり、サダムフセインの"残党"、あるいは"熱烈な支持者(ダイハード)"、あるいは"無法者(deadender)"(駐イラク米大統領特使ポール・ブレマーは強まるイラクの抵抗をこのように名づけた)ではなく,サダム・フセインを嫌う様々な立場からのものである。彼らはアルカイダの「ために」働くわけではない。そうではなく、彼らは、彼ら独自の見解で歴史を学んだ。神聖なラマダンの月に敵を攻撃せよ。アルジェリアの戦争、アフガニスタンの戦争から学べ。アメリカの”テロとの戦い”から教訓を学べ。リーダを殺せ。おまえは味方か敵か、反逆者か愛国者か。これが昨日のバグダッドにおける大量殺人のメッセージであった。」

 ・ロバート・フィスク(Robert Fisk) ロンドン、インディペンデント紙の中東特派員。ベイルートからの報告。

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電話インタビューの再現

アミー・グッドマン:ロバート・フィスクが、たった今電話につながりました。ロンドン、インディペンデント紙の中東特派員です。「Democracy Now!」へようこそ、ロバート。

ロバート・フィスク:こんにちは、アミー

アミー・グッドマン:お話できてうれしいです。まず、イラクでは殺人が続いていますね。我々は一方からの情報しか聞いていませんが、米国人兵士(男女)の殺人が続いていると聞いています。赤十字への爆弾攻撃や、バグダッドやファルージャの警察署への爆弾攻撃についても聞いています。あなたはイラクに長くいらっしゃると思いますが、説明していただけますか?

ロバート・フィスク:そうですね。ご存知のように、説明にはある種の文化的なコメントを含める必要があると思います。我々はあなたがたが、たくさんの外国人兵士がイラクにいることについて、アメリカの報道官を引用してニュースを伝えているのを聞いたところです。私は少なくとも20万人の外国人兵士がイラクにいて、その中の14万6千人は米国の軍服を着ていると言えます。ご存知のように、イラクのアメリカ人は、ティクリットで、朝食にナツメヤシを食べて育ったわけではありません。イラクにおける最も多数の、アルカイダが送り込むことのできる程度の千倍もの数の外国人兵士は、西側の兵士です。そして我々が占領を続けていることを、我々は認識する必要があります。

あなたの本当に問題にしている外国からのアラブ人兵士がいるかどうかについてですが、私は恐らくいくらかは居ると思います。しかしその数がどれくらいで、そのうちどれくらいが本当にイラクに入ったか、については知りません。アルカイダの支援者としてではなく、イラクを守れという、アメリカの侵略が始まる前のサダム・フセインの呼びかけに答えて、というものです。しかし、ご存知のようにこれはつまるところ私たちがデマと呼ぶものです。それは、ゲーム、あるいは嘘です。アメリカの駐留に対する抵抗と、残忍で、乱暴で痛ましいイラク人自身に対する攻撃は、大部分がイラク人によって行われています。米国は爆弾事件の後で、なんとまあ、自殺しなかった自爆犯を何とか捕まえた、犯人はシリアのパスポートを持っていたと主張しました。私は、彼のパスポート番号や彼の国籍、誕生日、それどころか彼の名前も知らされていないことを指摘しました。たとえ彼が本物だとしても。彼が本物だとしてもです。

しかし、大部分の括弧付「レジスタンス」はイラク人です。そして、私自身の調査によれば、特に、米国人・米国兵士がたくさん殺されたファルージャ周辺では、これらの人々はイスラムの政治に関心を強めているイラク出身者でした。彼らはサダムフセイン時代には黙認されていました。フセインは、いつ‘やかん’のふたを取って、吹きこぼれないようにするべきかを知っていたからです。彼らは、イスラム教徒委員会、あるいはイスラム教徒組織と呼ばれる組織を形成するのが許されていました。彼らはサダム以前にはいませんでした。多くの場合彼らは、ファルージャの人々のように、フセインの子分たちによって拘束され、非常に残酷に扱われていました。しかし、彼らは、政治のことを話さないよう取り決め、宗教を議論する個々のグループを作ることを許されていました。

フセイン時代が終わって、アメリカが今年の4月9日にバグダッドに入ったとき、これらのグループはアメリカの支配に狙いを定めるレジスタンスになりました。そして、彼らは個々人が、やがて組織的にイラクのレジスタンスとなることを決意したのです。私は、実は4月9日にこのことを書きました。しかし、これらの人々は、もちろんフセインやその子分たちの兵器の助けや、かなりの程度アメリカの占領が粗暴に振舞っていると感じる人々による援助を受けて、自分たちが新しい民族主義者になれると考え始めたのです。

ファルージャ周辺の部族リーダーである男は(彼の村を私は実際に訪れ、数週間前に彼と一緒に昼御飯を食べた)、私に言いました。ご存知のように、アメリカ人がここに来た当初は、我々は歓迎のことばを彼らに叫んだ。しかし、我々が彼らの駐留に抗議する段階になると、彼らは14人の我々の仲間を撃ち殺した。実際に14人のイラク人がファルージャで撃ち殺されたんだ。その後、それは部族の名誉の問題になった、と彼は言いました。我々はアメリカ人に対して我々の復讐を行わなければならなくなり、彼らが撃ち返すに従って、それは抵抗運動の問題となった。だから、そこからわかることは、アメリカ人のふるまい方とイラク人のふるまい方、加えて、前政権が熱心に支持したわけではないけれども、フセイン時代に存在を許されていたイスラム教徒グループの細胞組織が抵抗戦争に変わった――または、むしろ復讐戦争を抵抗戦争に変えた、ということです。そして、現在アメリカ人を殺し、イラクの同朋を殺している人々はほとんどがイラク人です。ラムズフェルド、ウォルフォウィッツ、ブッシュは、いつまででも外国兵士のことを話し続けることができます。これらは、大部分が、大部分の米国人がそうであるような、イラク国外で生まれた人々ではない。彼らはイラク人と呼ばれる人々である。我々が、好むと好まざるとにかかわらず、これはレジスタンス運動なのです。

アミー・グッドマン:ロバート・フィスク、あなたは、バグダッド空港の経験を簡単に記述していましたが、誰がそこにいましたか? あなたが離れようとしているときにロケット攻撃がありましたが、そこにいた兵士は何を言っていましたか?どんな防御線が敷かれていましたか?

ロバート・フィスク:はい、そうですね――あなたが引用したところで私が述べたように、ディズニーランドとベトナムを混ぜたような大変な状況でした――分かりますか? 
バグダッド空港(我々はもはやそれをサダム空港とは呼べませんし、誰が呼びたいと思うでしょう)から出ている唯一の国際航空(路線)会社はロイヤルヨルダン航空という比較的小さな中東の航空会社です。この旅行を誰が保証するのか、神のみぞ知るというものでした。

しかしそこには、−− 私が飛び立とうとするとき、整備中の飛行機がありました。そこにはロイヤルヨルダンの二機の飛行機があり、一機は高官専用小型ジェット機、もう一機はエアバスであったと思われます。航空会社は出発時刻を変え続けていて、座席番号もない状態でした。しかし、私が何時間も飛行機が離陸するのを待っていると、迫撃砲が空港に着弾をはじめました。全部で5つでした。私は実際に、黒い網服を着て、たくさんの無線機や電話や武器を持ったアメリカ特殊部隊のグループと話をしていました。彼らは実際――特殊部隊はそういう傾向があるが――敵を感知しました。彼らは言っていました。悪くない、やつらはだんだん良くなっていると。やつらはだんだん良くなっている。つまり、彼らは迫撃弾を実際の滑走路により近く着弾させようとしていました。一つ一つの迫撃弾が着弾した後には約20-30フィート幅で上っていくリング状の煙が続きました。それからアパッチヘリコプターが攻撃者を攻撃すべく飛び立ちました。

特殊部隊の一人が私に、彼らは、以前は空港の周り5マイル半径を確保し、その中にセキュリティースクリーンを持っていた――米軍は全体で5マイル半径内を完全に占領していた。しかし、攻撃のために2マイル半径まで狭められた、と言っていました。バグダッドでアメリカ人は、主要高速道路に沿って南北に樹木を刈り取りました。椰子の木、オリーブの木、オレンジの木など、農地や時には政府の土地で。これは、イスラエルが攻撃を避けるために南レバノンで1980年代初めに行ったことと同じです。これから私が言っていること、もちろんその目的は、攻撃者が草木を隠れ場所にすることができないようにするためです。しかし、当然これはオリーブの木やオレンジの木などで生計を立てるイラク人の間に激しい怒りを引き起こしています。

いずれにせよ、空港周辺の5マイル半径は、今2マイルに狭められ、一方で携帯式の地対空ミサイルの最大射程は8000フィートと推定されています。一人の特殊部隊の隊員の言葉では、それは(安全地帯の)端では飛行機を空港の外に置くことになる。言い換えると、飛行機が攻撃され撃墜されるのを避けるには、空港周辺の安全地帯の半径が小さすぎるので、空港を出て行こうとするどんな飛行機も、今や携帯式地対空ミサイルに撃ち落とされる危険性があるということです。

我々はついに離陸し、巡航高度までゆっくりと上昇する代りに、エアバスはうなり、風を切り、強いGを受けながら、ワインボトルの栓を抜くコルク抜きのようにらせん状に上昇しました。空港が飛行機の左の窓から見えたり、右の窓から見えたり、逆さまになったりしながら。最後に我々が35000フィートで水平飛行に移って、スチワーデスが、ジュースと赤ワインとどちらが好きですかと言った時、私は言った、リタ ―― 私がどっちを選んだか想像してみてくれ。

アミー・グッドマン:私たちはロバート・フィスクと話しています。彼は、インディペンデント紙の特派員で、イラクにおける侵略と占領の期間に多くの時間を過ごしました。彼はベイルートから私たちに話しています。そして訊ねたいと思います。ロバート、話を続けられますか。



●10月21日(217日目)−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 米英の占領支配の破綻は明白である。自衛隊派兵の予定地であるイラク南部の悪化する治安状況が次々と伝えられている。自衛隊がイラクのどの地に降り立とうとも、即戦闘に巻き込まれることは明らかである。むしろ格好のターゲットにされるに違いない。
 米英軍主導のイラク占領支配の破綻が顕著になるにともない、今まで封印されてきた様々な事実、動きが伝わるようになってきた。また、占領支配の末期症状を示すような米軍の蛮行、統治政策をめぐる迷走を示すような事実、舞台裏が次々と明らかになってきた。

 紹介記事1「農民の耕作物をなぎ倒す米軍兵士」(インディペンデント紙電子版)は、現地における米軍の占領支配下における新たな蛮行を暴いたものである。様々な反戦サイトにこの記事が紹介され、この出来事に対する関心の高さをうかがわせる。新たな米軍の蛮行は、まさに占領支配の末期症状を象徴しているからであろう。度重なるゲリラ攻勢に悩まされる米軍は、特にその活動が活発な“スンニ・トライアングル”において、ゲリラに関する情報提供を拒んだ農民たちへの見せしめに彼らの糧である果樹園をブルドーザーで破壊したというのである。しかも、そのような蛮行−−米軍はそれを集団懲罰(collective punishment)と呼んでいる−−は、一地域で実行されているのではないらしい。農民と農地に対するこのような蛮行は、決して許されるものではない。ベトナム戦争における農村襲撃、焼き討ち、農民虐殺を彷彿させる蛮行である。その時米軍は、住民から完全に遊離し、そして撤退を余儀なくされた。

 紹介記事2「バグダットで独裁政権を目論む米国:イラク専門家は語る」(IslamOnline.net)は、米国の占領統治政策のジレンマを指摘したものである。米国がイラク侵攻に踏み切った彼らなりの“大義名分”の一つが、“独裁者フセインの排除と民主主義の樹立”であった。しかし記事は、米CIAは「民主主義は反米をもたらす」としてイラクにおける民主主義政権の樹立を、ズバリ言えば、阻害しようとしていることを指摘している。また彼らの敵であるはずのバース党と裏で連携している事実を指摘している。笑止千万。なるほど、米国はイラク人民に主権を委譲できないはずである。米国は今、イラク統治政策をめぐる建前と本音の狭間でもがき、明確な絵図を描けないでいる。

○占領軍支配下における米軍の蛮行 
紹介記事1  
“農民の耕作物をなぎ倒す米軍兵士”
 村民に対する残忍な「懲罰」戦略を非難される米国人。一方英国人は、物腰が柔らかすぎると非難されている。
“US soldiers bulldoze farmers' crops”
 Americans accused of brutal 'punishment' tactics against villagers, while British are condemned as too soft
By Patrick Cockburn in Dhuluaya         12 October 2003
http://news.independent.co.uk/world/middle_east/story.jsp?story=452375

拡声器からジャズをかき鳴らしながらブルドーザーを運転している米軍兵士は、オレンジやレモンの木とともに昔からあるナツメヤシの林(果樹園)を根こそぎにした。それはイラク中央部における出来事である。米軍部隊を攻撃したゲリラに関する情報を提供しなかった農民に対する新たな集団懲罰政策の一部であった。

ドゥルゥヤの道路の脇には、樹齢約70年のヤシの木の残骸が、ブルドーザーによって徹底的に洗われた茶色の大地から突き出ていた。地元の女性たちは昨日、根こそぎにされたオレンジとレモンの枝を集めて束ね、薪として利用するために家に持ち帰った。

32歳の農夫ヌサエフ・ジャシムさんは破壊された自分たちの果実の木を見ながら、「奴らは抵抗する戦士たちが私たちの農地に隠れているというんだよ。しかしこれは本当じゃない。奴らは誰も捕まえなかった。奴らは武器など、見つけだせなかった」と語った。

米軍部隊は拡声器を使いアラビア語で、このスンニ派イスラム教徒地区でたいへん活発であるレジスタンスに関する情報を知らせなかった農民たちを罰するために、果樹園をブルドーザーで引き倒しているのだと告げた、とその他の農民は述べた。

「奴らは、木を切り倒す間ジャズ音楽をかき鳴らして、私たちを侮辱したのさ」とある男性は語った。米軍部隊への待ち伏せはドゥルゥヤ付近で発生している。しかし、果樹の損失に対する補償を求め近くの米軍基地に出かけた代表団の一人であるシェイフ・フセイン・アリ・サレ・アル・ジャブリさんによれば、米高官は、何が起こったのかについて「誰が抵抗勢力に所属しているのかを知っていながら、我々に報告しなかったことによる、地元の人々への懲罰」と表現した。イスラエル人がパレスチナ人への集団懲罰としてやったことが、今イラクで起こっているのだと、シェイフ・フセインさんは語った。

その果樹の破壊は先月の後半に起こったことだが、イラクの農村部で起こっている多くのことと同様に、起こったことについてのうわさは、じわじわと漏れ伝わってきている。作物の破壊は、橋を通り過ぎた彼方の数キロにわたる道にそって実行された。

農民たちは次のように語っている。50件の農家が家畜を失った。しかし、補償を求めた分かりにくい英文で書かれた、ドゥルゥヤにおける同盟軍に対して行われた嘆願には、32人が名前を連ねただけだったと。「数十の貧しい家族は生活の糧を果樹園に頼っており、いまや彼らは貧しさのどん底に突き落とされ、何も持っておらず、ただ飢餓と死を待っている」と嘆願書には書かれている。

数本の果実の木を所有していたある女性の子供は、ブルドーザーの前に横たわった。しかし引きずり去られてしまった、と名前を明かさなかった目撃者は語った。彼らは、一人の米兵が作戦の最中取り乱し、叫びを上げていたと語った。「イラク・トゥデイ」紙のリポーターが、作業に従事していたブルドーザーの写真を撮ろうとしたところ、一人の米兵が彼のカメラを掴み取り、破壊しようとした。同紙は、この地域の司令官であるスプリングマン中佐の言葉を引用している。「私たちは農民に対して数度、攻撃を止めるように求めてきた。あるいは、誰が責任を持っているのかを尋ねた。しかし農民たちは、私たちに話さなかった。」

攻撃を仕掛けた者の身元を米軍に通報することは、イラク村民にとって極めて危険であろう。大部分の人々が関与しており、誰もがお互いによく知っているのである。果実の林を失った農民の全てはカズラジの部族に属しており、仲間の部族員に関する情報を提供することはないであろう。仮に、本当に米軍を攻撃していたとしても。

失われた果樹園がどれほどの価値なのかをたずねた。ヌサエフ・ジャシムさんは取り乱したように語った。「私の片腕を切られたようなものであり、あなたは私に、その腕の価値をたずねているようなものですよ」と。


○米国の占領統治政策
紹介記事2 
“バグダットで独裁政権を目論む米国:イラク専門家は語る”
“U.S. Eyes Dictatorial Regime In Baghdad: Iraqi Expert”
By Khaled Shawkat, IOL Correspondent
http://www.islamonline.net/English/News/2003-10/15/article03.shtml

アムステルダム,10月15日(IslamOnline.net)−米中央情報局(CIA)は、「戦後イラクに、その地域の他の政権と同等の、“安定した全体主義政権”」を確立するよう強く主張してきた。米占領軍の協力者であるイラク政治の専門家がイスラム・オンライン・ネットにそのように語った。

「民主主義は反米政権をもたらすであろうとCIAは堅く信じており、それはワシントンが望んでいないことだ」、と米国によって作られた復興開発委員会を辞任したイラク人権問題監視団のエッサム・カファギ氏は語った。

イラクにおける民主政権は隣接する諸国家と敵対するであろう、この政権がそれら諸国家の利益にならないことを考慮すれば。このことを米諜報機関は念頭に置いていると彼は語った。

「その民主政権は、簡潔に言えば、このような諸国家を、その人民の面前に晒すことになるであろう」とカファギ氏は指摘した。

「さらに信頼できるイラク情報筋は、CIAがサダム・フセインの独裁体制のトップに君臨したバース党員と連携していることを確認している。」

「イラク戦争後の民主政権への抵抗に理解を示している」一部のアラブ国家に対して、占領されたアラブ国家においてさらに大きな役割を担うことをCIAは求めている、とイラク専門官は語った。

さらに彼は、フランスとドイツの要求をはねつけつつも、米はヨルダンにイラク警察の訓練を担わせていると語った。

「米国人は、イラク警察が、人権を尊重する欧州の治安基準ではなく、強圧的なアラブ流の人権に基づくものを望んでる」、とイラク占領後にホワイト・ハウスに雇われた140人のイラク専門家の一人であるカファギ氏は加えた。

圧力
またカファギ氏は、可能な限り早くイラク人に政権を手放すように米国に圧力をかけるアラブ諸国と国際社会について語った。米国が、民主主義の拡大についての誓約を尊重していないことを付け加えつつ。

「過去の出来事は、米国人が自らが説いていたことを実行していないことを証明しており、イラク民衆の圧力と反対に屈するしかないであろう」と彼は語った。

「今やイラクは憲法と政府を真に必要としている。その合法性は、イラク人自身に由来するものである。」

しかしイラク人は、「35年にわたる独裁を短期間で克服することができない」ことを十分認識しているが、「記録破りの時間で、自らの諸問題を解決できる、いまだ開拓されていない可能性を有していることを強く確信している」と彼は語った。

米国の傲慢
米国は、4月9日のイラクの首都の一瞬の陥落の後、とみに傲慢になってしまった、とカファギ氏は語った。

「彼らは、戦後のイラクの治安を確保しその後の諸問題に取り組むワシントンの監督の下、2002年に多くのイラクの専門家によって苦労しながら作り上げられた計画と文書を不当に破棄した」と彼は主張した。

「その諸文書はのんきな米国人に対して、イラク人の管理部門、軍事組織を解体しないように忠告していた。それらは、イラク人は自ら国家の全てを運営できるであろうことを考慮していた」と彼は思い出したように語った。

「いまや米政権は(イラクをめぐって)分裂しており、戦争の傷跡が残る国家の運営をめぐって、国務省と国防省の間の権力闘争が存在している。イラク人はこのような分裂の代償を支払わされており、それはいつ終わるか分からない」と悲観的な調子でカファギ氏は結んだ。

米国によって任命されたイラク警察がイラク人の若者を殴打している。


●10月11日(207日目)−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 イラクをめぐる情勢は混沌を極めている。以前と比較して状況はまったく変わっていない。否、むしろ悪化しているようだ。占領軍現地司令官サンチェスが認めたように、(米軍への攻撃は)「高度化、複雑化している」しており、米軍の犠牲者数も拡大の一途をたどっている。抵抗勢力のターゲットも拡大しており、治安関係施設(警察)への攻撃が相次いでいる。同盟軍の一員のスペイン大使館員(軍人でもある武官)も攻撃された。イラク全土が「戦場」である。長引く占領統治に対する民衆の怒りも高まっているようである。バグダット、バスラ、ヒッラ、ナジャフにおける大規模な元軍人、失業者の抗議行動が、相次いで報じられた。
 今回の被害記録では、二つの翻訳記事を掲載した。一つ目の翻訳記事は、占領統治下における子供達の犠牲を問題にしたものである。これまで私たちは、イラク戦争の最大の犠牲者である子供達の状況をフォローしてきた。紹介記事『イラクにおける犯罪−イラクの子供達にとって危険な状況が悪化している』は、この問題を論じた最もまとまったものの一つであろう。とにかく目を通して欲しい。戦争終了後も悪化する子供達の環境を知って欲しい。「イラク国民の半数以下が18歳未満の若者、子供達です。戦争が始まる以前から、5歳以下の子供の4人に1人が慢性的な栄養失調に放置され、8人に1人が、5歳の誕生日を迎えることなく死にます」(本文中)。このような状況に置かれていた子供達に戦争は、あらゆる面−ヘルスケア、医療、教育、等々−にわたって甚大な影響をおよぼし、「途方もない困窮と困難」を強いているのである。この記事の著者であるグレイ・スミス氏は、占領軍のイラク撤退のみが事態の唯一の解決法であることを指摘した引用によって最後を結んでいる。決して平坦ではないが、イラクの子供達の未来への一歩もまた、“米英軍の即時撤退”である。
 二つ目の翻訳記事は、「ニューヨーク・タイムズ」に掲載されたイラク経済の方向に関するものである。冒頭において元軍人、失業者の間で占領軍への抗議が強まっていることを紹介したが、その根幹には、経済の破綻がある。現在の失業率は60%、70%にも達するといわれている。またそれに追い打ちをかけるように、6月から再開された食料配給が来月末には廃止されようとしていた。米英はイラク経済を破壊し、そして民衆の命綱である食糧配給も「自由経済になじまない」として廃止しようとしたのである。しかし民衆の不満の高まりを受けCPA、統治評議会は、2004年末までの延長を宣言せざるを得なかった。また高まる失業率を「改善」するために、公的部門における雇用創出を打ち出した(参照:“雇用創出で一石三鳥 イラクで清掃作業員大募集”)。イラクにおける失業問題の解決のためには、公的部門の積極的な関与−これが唯一の解決策であることは、前政権時代からの経済構造からも明らかである−しかない。それにもかかわらずCPA、それと一体となった統治評議会は今、イラク経済の「自由市場化」を押し進める計画を立案中だと言われている。紹介する「ニューヨーク・タイムズ」の記事『イラクのための極端な計画』は、その路線に警鐘をならしている。「中東に民主主義国家を樹立する」こととセットである「自由主義経済体制の樹立」をもくろむネオコンの路線への警告であろうか。ロシアにおけるショック療法の破綻を、きれいさっぱり忘却してしまったのだろうか。占領軍、CPA、米政権は、イラクをどこに導こうというのか。彼らがイラクに強制しようとしている経済路線の先にあるのは、イラク民衆のさらなる困窮化であることは間違いない。広範なイラク民衆の怒り、抵抗の背景には、直接的な武力による占領統治政策のみならず、強引に“支配者の経済政策”を押しつけようとする米への不満があるのかもしれない。この問題は、占領軍支配下における民衆の「被害」とは直接結び付かないかもしれないが、イラク社会に深くかかわってくる問題として紹介した。

※反米叫び1万人が抗議 イラク首都シーア派地域
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20031011-00000017-kyodo-int
※イラク行政当局、食糧配給を来年末まで継続の方針
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20031009-00000302-yom-int
※雇用創出で一石三鳥 イラクで清掃作業員大募集
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20031004-00000038-kyodo-int


○報道された各地における事件
10月10日
 ・キルクーク   石油会社のバスが攻撃。イラク人2人死亡 

10月9日
 ・バグダット   警察署前で大爆発。警察官、市民12人死亡 67人が負傷 
 ・バグダット   スペイン大使館付き武官 襲撃され死亡
 ・バグダット周辺 米軍へロケット弾攻撃 米兵1人死亡
 ・バグダット   米軍と住民間で銃撃戦。市民2人死亡 

10月6日
 ・バグダット周辺 米軍車両への攻撃。米兵4人死亡 3人負傷

10月4日
 ・イラク各地   バグダット、バスラ、ヒッラでは、占領軍と元軍人が衝突。イラク人2人死亡
ナジャフでは、失業者の抗議行動。

10月2日
 ・ファルージャ  米軍交戦 イラク人1人を殺害。
 ・米軍司令部   サンチェス司令官 (米軍への攻撃は)「高度化、複雑化している」。
「ここ(イラク)は戦闘地域だ」と繰り返し発言。

10月1日
 ・バグダット マンスール地区 パトロール中の米兵1人死亡
 ・ティクリート  米軍基地入り口で爆発 米女性兵士1人死亡 3人負傷
 ・サマラ    米軍車両にロケット弾 米兵1人死亡

 ・バグダット   失業者数百人が警察署を攻撃


○占領軍支配下における民間人犠牲者 子供達の犠牲
紹介記事1  
“イラクにおける犯罪
−イラクの子供達にとって危険な状況が悪化している。”
“Crimes in Iraq −Crisis for Children in Iraq Worsens” 2003/9/28
ゲーリー・ブルース・スミス  フリーランス・ジャーナリスト
http://www.islamonline.net/English/In_Depth/Iraq_Aftermath/2003/09/article_16.shtml

家から追い立てられた孤児は現在、ホームレスとなっている・・・。子供らは不発弾に怯えるあまり、公園や運動場で遊ぶことができない。患者達は適切な病院の管理もなく麻酔薬もない下で手術されている。これらは、イラクの子供達を現在とりまいている恐ろしい状況のほんの2,3の例に過ぎないのである。

同盟軍のメディア報道とは逆に、イラクの子供らの苦境は「解放」から数ヶ月たったにもにもかかわらず悪化している。次にハニ・ラジム(Hani Lazim)氏の見解を紹介しよう。彼は「占領に反対するイラクの民主主義者達(the Iraqi Democrats Against Occupation:IDAO)」の委員であり、バクダッドやそれ以外の地方の状況を「混沌」と評している。彼は、あらゆるレベル −− ヘルスケアの面からも、医学的にも、教育的にも、また心理学的にも −− において、イラクの子供たちが途方もない困窮と苦難に耐えている、と述べている。

ラジム氏は、大半のイラク人に対して今どのように生きていくかを決定付けている困難な状況についての、自らの恐るべき体験談を詳述することができる、多くのイラク人のうちの1人である。彼はバグダッドにいる甥についての話をしている。その甥は銃弾による怪我に対して6週間も、ほんの少しも医学的な手当てを受けることはできなかった。大半の人々にとってほとんどの病院がほぼ立ち入り禁止地帯となっているほど、健康状態は悪化している、と彼は述べている。「わすかに2,3の私立病院しか適切に機能していませんし、そこのスタッフは彼ら自身とそこの設備を守るための警備に時間を費やさなければならないのです」。バグダッドでの生活状況は、閉所恐怖症に陥らせるものとなっている。「夜間は誰も出歩きません。街頭には路上バリケードが米軍の気まぐれで作られ、そして彼らがどこにいるかは誰も知りません」とハニ・ラジム氏は言っている。路上バリケードは有人で、目に入ったものには何であれ銃撃することを躊躇しない「引き金を引くのがハッピーな」兵隊らがいる、と彼は付け加えている。

イラクの悲惨なシナリオには、その子供たちの福祉への直接的な影響も含まれている。子供らがこれらの容赦ない環境の下で耐え忍んでいる苦難に対し、より広く国際社会から受けて当然の注目も道徳的援助も、なんら得ていない。これは主として、現地報告やメディアの放送内容について、一般大衆が動揺するような映像をあまり与えないよう組織的にふるいをかけられているせいである。様々な事件が連合により内容を薄められるのに反して、英インディペンデント紙のレポーターであるロバート・フィスク(Robert Fisk)氏は 「…大体1000人のイラク市民が毎週殺されています。そしてこれでも控えめな数字であることは間違いありません」と報告している。

彼の最近のある記事の中で、犯罪に関連した出来事や、連合の襲撃や、もっと最近では「友好的な発砲」によって多くの人々が殺されたり負傷したりしている一方、こういったケースは報道されていない、とフィスク氏は述べている。イラク人の命に対する占領軍の姿勢がフィスク氏によって例証されている。

6週間前に米兵らがマンスールでの襲撃にて荒れ狂って8人に上る民間人---14歳の少年を含む---を撃ち殺したまさにその時、アメリカ人ができた最良のことは、彼らが事件について「調査を受けている」と述べることだけだでした。決して、ある米陸軍大佐がすばやく私達に指摘したように、これは公式の調査を意味するものではありません。わずかに二,三の疑問の声があちこちでだされただけでした。そしてもちろん、殺人はすぐに忘れ去られました。

厳格に控えめな言い方をしても、子供らにとって非常に不満足な環境が促進されている。ハニ・ラジム氏は、子供たちの状況は---まさに彼らが自然な成長と発育を遂げる時期において---辛抱しがたいものだ、と述べている。「彼らはサッカーをすることもできない」と彼は言っている。「その理由は、市のサービスがストップし運動場や公園は手入れがなされないままとなっているので、高く生い茂ったまま刈られていない草で一面が覆われ、国際法を無視して連合が使ったクラスター爆弾の不発弾がどこにあるかよくわからないからです。子供らは心底怯えてしまって、普通に遊ぶことができないのです」とラジム氏は語った。

現在の状況についてさらに恐ろしい逸話がラジム氏によって語られた。
特に驚かさせられる話としては、多くの孤児たち---学校の寄宿舎や他の建物に住んでいた---が、米兵らによって家屋から即刻立ち退きをさせられ、「路上で動物のように」生活するままにされた、というものである。これと似た状況や、イラクの子供達とその家族の苦境を伝える話は、数え切れないほどである。

貧困は広範囲で、それらの拡大する健康および社会問題を増して、イラクの子供の全面的なステータスに影響する、主な要因である。アラブ・メディア・ウォッチ( Arab Media Watch)の執行委員会のメンバーであるタラ・スウィフト(Tara Swift)氏は、彼女が出くわした家族の状態についての体験談を持っている。

私は6人の子供を連れた未婚の母親に会いました。彼女はパンを焼いて生計を立てています。彼女は自分の生活について私に話してくれました。それで私は彼女が一日、また一日とどう生き延びているかをお話しましょう。彼女はなんとかぎりぎりで子供たちの食事を賄っています。彼女は、子供たちに「自分のお下がり」の服や靴で間に合わせています。

イラクの子供らが必死に必要としている必需の医療手段を持った医療チームや援助機関が、暴力の増大と安全の欠如から国を離れなければならない時、状況は範囲においても厳しさにおいてもいっそう過酷さを増している。イラクの子供達の団体(The Children of Iraq Organization)の代表であるメル・リーマン(Mel Lehman)さんは、米国の医師団をバグダッドへ連れてきて医療スタッフの訓練を支援している。メルさんは言っている。「私は状況があまりに無秩序で恐るべきものであると判断し、10月と11月の旅行を延期することを決定しました。明らかに、今は8人から10人くらいのはっきりアメリカ人の医者とわかる団体がバグダッドの往来を歩くのにふさわしい時期ではありません」。

彼女は、ますます安全性がぐらついていく状況は、この国にとって、特に子供達に対して劇的で悲惨な影響を及ぼす、と強調している。

イラクの子供たちが今直面している一つの主要な問題というのは、イラクの全ての人々が直面している問題である、と私は思います。どうやってイラクに平和を取り戻すか、です。私がそこにいて真に理解したことは、安全の欠如がどれほど実際に人々を恐れさせるのか、ということです。電気や電話の欠如、荒廃した経済と同じくらい重要なのは[ママ]、イラクの子供達とその親にとっての実際問題は、安全の欠如です。私たちがイラクで社会の秩序を回復し混乱を終わらせるまでは、子供らは正常に育ち、成人して幸福な個人として生活する準備をすることはできないのです。

無秩序状態の渦中におかれた子供のヘルスケア
国際子供食料供給(Feed the Children International :FTC)の非常時コーディネーター、イアン・レスブリッジ(Ian Lethbridge)さんによれば、イラクの子供らにとってヘルスケアの状況は非常に深刻だとのことである。「私が8月にバグダッドへ最後の訪問をしていた間、私は小児病院を2つ訪問し、そこで数え切れぬ子供らが胃腸炎、赤痢やコレラといった病気になり、また死んでいくのを目の当たりにしました。これらは、主には不潔で加熱していない水を飲んだことが原因なのです」。こういった状況は、全面的な無秩序状態と文民統治の欠如に密接に結びついたものである。多くの役人や医療専門家が明言しているように、この状況はイラクの占領によって悪化させられ続けているのであり、そして近頃ではイラクの子供達の苦境を継続させている根本的な原因であることは疑いようもない。

レスブリッジさんが過去から現在までの状況を要約している。「イラクの子供たちの栄養状態とヘルスケアは、主として制裁が原因で過去13年にわたって悪影響をもたらされてきました。戦後に私たちが目にしている栄養失調のケースの大半は、ずっと以前から始まったものであると私は信じて疑いません。例えば子供の免疫系は、貧弱な食事、大抵の場合欠乏している薬や小児医療・・・等々により、悪い影響を受けてきました。爆撃や外傷によって引き起こされたストレスは、一般的に子供達の苦痛を、特に喘息で苦しんでいる場合には、より悪化させることになります。これは高価な薬がほとんど供給されないことによって悪化させられています」。

この記事を書いている途中で、FTCインターナショナルが治安状況が耐え切れないほど悪化したことを理由にイラクでの活動を停止したということは、特筆すべきことである。

何年にもわたる制裁がイラクにおいてヘルスケア・システムの対処能力を激しく蝕んでしまったということは、周知の事実であり、しばしば報道もされている。根本的に、既にあった悲惨な状況が、米-英の占領によって悪化されられているのです。援助の手を差し伸べられない者は、多くの人々が問うている疑念を繰り返している。それは占領軍は---自由に使える専門知識も、資金も、装備も備えながら---なぜ状況が今あるように衰えるのを見過ごしにしたのか、ということである。

ユニセフのウォルフガング・フリードル(Wolfgand Friedl)スポークスマンは、この評価に付け加えている。

イラクの子供は、この20年で3回目の戦争に巻き込まれています。ユニセフは、この戦争によりいっそう状況が悪化し、それがイラクの子供らへ及ぼす衝撃について、深く憂慮しています。人口のほぼ半分は18歳未満です。この直近の戦争が開始される以前から、多くの子供達が疾病と栄養失調に極度に脆弱な状態に置かれていた。5歳以下の子供の4人に1人は慢性的な栄養失調です。子供の8人に1人は、5才の誕生日を迎えることなく死にます。

子供らの予防接種はもう一つの重要なヘルスケア分野であるが、これは国家が貧弱な治安状態にあることによって妨げられている。イアン・レスブリッジさんは、予防接種計画は今年の4月まではうまく機能していたが、今では停止してしまっていると証言している。「私は、多くの低温流通システムが機能しなくなったのだと思っています」。低温流通システムは温度を低く維持することで、ワクチンがだめにならないよう守るのである。予防接種計画の再開は、小さい子供たちの健康に重要な事柄であり、現時点でのユニセフの優先事項となっている。ユニセフのスポークスマンは次のように証言している。「戦争の後に生まれた約270,000人の子供たち一切予防接種を受けたことがありません。そして全ての子供たちに対する定例の予防接種サービスは混乱させられたままです。国のワクチンの既存のストックは、戦争中に低温流通システムが破壊されたことによってに役に立たなくされました」。

爆弾とおもちゃ
最近の戦争におけるもっとも深刻な後遺症の一つは、まったく疑うことのない子供達を待ち受けながら横たわっているすべての不発弾である。それはただちに殺戮を引き起こすばかりでなく、遅れて影響をおよぼす兵器である。それはクラスター爆弾である。この戦争における用心深い使用は、国際法に基づく疑義がもたれている。最近の紛争においてクラスター爆弾の使用についてのはじめての報告は、4月初旬のバグダット南方のヒッラにおいて民間人が殺害された時のものである。爆弾による大虐殺の現場は、ロイター通信によると、TVで放映するにはあまりにも恐ろしいものであると判断された。しかし通信員は、脚がなく、体が半分吹き飛ばされた子供たちの現場を語っている。殺されたり、負傷したりした348人のほとんどは、子供あるいは女性たちであった。

クラスター爆弾は、フットボール場一面に、小さな手榴弾ほどの大きさの爆発物を散布する非常に破壊的なものである。現段階における危険性は、まだ爆発するかもしれない多くの爆弾が、国中に散らばっていることであり、それはおもちゃに似ているのだが、子供たちはしばしばそれを拾い上げ、重大な結果を伴う。

長期にわたる影響を及ぼすその他の危険性は、米軍による劣化ウラン弾の使用である。劣化ウラン弾は、強烈な放射性発ガン性物質である。いったん体に吸収されると劣化ウランは、肺、骨、血液、腎臓に癌を生じさせる。劣化ウラン弾が使用された地域に住み、進行した皮膚癌を患う子供たちについての多くの症例が報告されている。子供たちは放射能に対してたいへん敏感であり、そのため大きな脅威なのである。さらに驚かされるのは、劣化ウランの半減期が、45億年であるといった事実である。

クラスター爆弾や劣化ウラン弾だけが、今度数十年にわたって子供たちに影響を及ぼすであろう危険な兵器なのではない。バグダット攻撃において米軍が使用した未知の兵器に関するうわさや報告がある。タラ・スィフト氏は述べている。「私がバグダットで会ったすべて人々は、空港をめぐる戦争の終わりにおいて、新たな殺人的兵器が使用されたと確信している。これは、空港は米軍によって隔離され、戦争終結から三週間にわたって閉鎖された事実によって裏付けられている。7月17日、米・タークスにおける無名の引用において、空港周辺に展開していた米軍兵士が病を罹っており、治療によって回復しないことを伝えた米軍高官とよく一致している最新の報告が発表された。これは、イラクにおいて使用するかもしれないことを認めていた高出力超音波爆弾かもしれない」。

スィフト氏は、このうわさを支持するかもしれないその他の情報の一端を付け加えた。「私の叔父の未亡人は矯正師であるのだが、異なる癌のタイプを研究する人たちがいるようならば、めったに見られないタイプの癌が診断されているバグダットにある病院の隣のアル・マンスール子供病院に行くのがよいだろうと私に語った。病院は、癌に苦しむ子供たちであふれかえっている」。これは突っ込んだ分析によって得られた描写ではない。この戦争による副産物が、多くの人々が信じている以上に恐ろしいものであったかもしれないことを示している。

精神的ストレス
児童保護と救援の諸組織は、1つの見解で完全に一致している。つまり、戦争の後遺症は、イラクにおける子供達の精神状態に、甚大な悪影響をもたらし続けるであろう。イアン・レスブリッジさんは語った。

一般的に、イラク戦争は(イラクの)子供達の環境を悪化させました。心的外傷後ストレス(PTS)はいまだに、爆弾によるテロの一つの結果として、(イラクの)子供達に共通して見られます。

教育に対する展望もない
学校教育の正常化は、状況を改善する手助けをするための必須要素である。しかしながら、継続する治安の危険はこれを妨げている。レスブリッジさんは、次のように語っている。「おおむねすべての学校と第三の諸施設は、爆弾、略奪、あるいはその二つが結び付いたものによって大きな影響を受けたのです!」

タラ・スフィト氏は、イラクの若い世代の環境の変化に関してある描写を行った。

誰もが、子供達の将来について悩んでいます。私がそこに居たときに、数校は「正常状態」になったが、多くはひどく破壊された状態であり、また多くの教師たちは治安悪化のために仕事に戻っていませんでした。(経済制裁による)あまりに貧困な状態と支払いのために、中学校の卒業生が教師に任命されていました。

FTCやその他の援助組織は状況の悪化を理解しており、子供達のための、さらなる正常化された教育業務を確立する手助けをしたいと望んでいる。FTCのスポークスマンは、次のように語っている。「学校の再建は、ユニセフとの連携の範囲で考えられてきたが、しかし悪化する治安状況の中では、私たちは今のところ、地域と結び付くために入っていくことができません。多くの学校は復旧、教育資材、教科書、椅子や机のような備品、等々を必要としています。国際的な団体がそこに入ることができず、国連もいまだに出てしまっているようならば、明るい展望はないでしょう」。この状況は劇的に、バグダットにおける国連事務所爆破事件によって悪化した。レスブリッジさんは、結果として、子供達に対するすべての支援が後退することにならないか、懸念している。これまで彼は、英国と米国の報道が、状況の深刻さを過少に評価してきたことを語った。「私は、戦後イラクで起こった最悪の出来事は、国連施設の爆破事件であると思います。その結果今では、米英軍が何を言おうとも、いかなる人道支援も細ってしまいました。」

はっきりとしない期間における、イラクの子供達と家族に降りかかる三つの出来事の影響についてさらに語った。

事実上このことは、戦後生活を始めようとした何百万人もの礼儀正しいイラクの家族を「ねじ曲げてしまった」。戦争終結から一ヶ月、家族は同盟軍に動きが無いことに不満をつのらせ、二ヶ月後(7月)、すべての貯蓄と蓄えを使い切り、絶望し始めました。今では彼らは、法を自らの手中におさめ、率直に言うならば、生きて行くためには選択肢は無かったのです。仮に私の子供がお腹をすかし、病気に罹っていたとしましょう。私は同じことをしたと思います。個人的には、私にとって、イラクにおける最大の悲劇はこのことなのです。私たち(同盟軍)は、国を復興させる計画を持たずに戦争に突入したのです。

最後の言葉は、イラクの子供達の団体(The Children of Iraq Organization)のメル・レーマンさんに向けられなければならない。子供達を支援する取り組みとしての、彼女の最近のイラク訪問は、イラクにおける彼女の国の関与に関する個人的見解の見直すこととなった。

一米国人として、私の母国とは異なる見解を私は持っています。私たちは米国に、イラクから撤退するタイムテーブルを明確にするように求めなければならないと、私は信じています。それは、私たちが、暫定的な役割を果たす国連と共にイラク人に政権を返還するの時期を明確に宣言するものです。私たちの現在の進路は、大きな誤りです。私たちは、さらなる米国の武器、さらなる米国の火力が、イラクに平和をもたらすことができるとの仮定に基づいて、私たちは進み続けています。悲しいことに、その逆が真実です。計画された政策は、事態をさらに悪化させるだけのものでしょう。簡単な解決法は見あたらないが、しかし解決法はあります。その解決法とは米国に対して、イラクをいつ撤退するつもりなのか、いつイラク人にイラクを戻すつもりなのか、このことを明言することです。

著者グレイ・スミス氏は、南アフリカのフリージャーナリストであり、研究者である。彼の専門分野は、イラク情勢である。

    


○占領統治下における社会混乱と経済の自由化
紹介記事1 
“イラクのための極端な計画”
“An Extreme Plan for Iraq”   October 2nd, 2003
by Jeff Madrick, New York Times           
http://occupationwatch.org/article.php?id=1135

イラクの新しい財務大臣であるカメル・アル−ジャイラニは先週前半、ドバイで行われた世界銀行と国際通貨基金の年次会議において、国家経済の全面的な自由化の方針を示した。イラクにおける米軍の駐留に資金を供給するためにブッシュ大統領が要求した870億ドルに対する論争の最中であり、米国ではその新しい法律はほとんど注目を集めていない。

しかし、既に連合軍暫定当局の責任者であるアメリカ人L・ポール・ブレマー三世によって承認されている、ほとんど全ての主流経済学者の基準に基づくその計画は、極端なものである−事実、驚くべきものである。それは、早急にイラク経済を、貿易と資本移動に対して世界で最も開放されたものに作り替えようとするものである。富んでいようと貧しかろうと、それを世界で最も低い課税下に置こうというものである。戦争に苦しめられたこの中東の国民は、そのような厳しい実験への準備が出来ているだろうか。それに加えてその急進的な法律は、民主イラク政府がそれらを討議しまた承認すること無しに採用されたのである。

1990年代ロシアにおける急激かつ突然の自由市場(経済)への移行の失敗が過激な経済学者(急進改革を主張した経済学者)さえも用心深くさせたであろうことを、ある者は思い出しただろう。ロシアやその他の国家では、価格統制から自発的に市場を自由化し、税金を軽減し、急激な商業の民営化が、ほとんど一夜のうちに、繁栄した経済を作ると考えられた。

最近の出版された『収入と影響:新興市場経済における社会的方策』(W・E・アップジョン著 雇用調査研究所刊 14ドル)において2人の経済学者イーサン・B・カプステン氏とブランコ・ミラノビック氏は、いかにして、そのような“ショック療法”の背後の仮定が証明されていないかを思い起こさせた。それと反対に、たいてい「改革された」国家では、国内総生産は数年にわたって低下し続け、結局のところ失業者数は急速に上昇した。移行後の急速な成長の失敗は、MITの経済学者のオリバー・ブランチャード氏の言葉によると、「経済学者が直面する大きな理論上の挑戦」となった。

そして、供給側の経済は低い税金はやる気を起こされた人々において貯蓄し、投資し革新するための主要な要素となると主張するが、それはアメリカにおいてさえ機能しなかった。ロナルド・レーガン大統領の経済政策諮問委員会メンバーの一人だった経済学者のアーサー・ラファー氏は、1980年代において減税は実際には税金収入を増加させたであろうと指摘した。ブッシュ大統領の現在のチーフ経済学者N・グレゴリー・マンキウ氏は彼の広く読まれているテキストブックにおいて「それに続く歴史はラファーの推測を支持しない」と書いている。

しかし、そのような歴史的教訓を決して気にしてはならない。おそらくブッシュ政権を含むイラクに関する計画立案者は、簡単にその石板を綺麗に拭うことが出来ると思いこんでいるようだ。

その新しい計画は、個人収入と法人の最高税率を15パーセントまで減額する。それは、輸入品に対する関税率を5パーセントに減額する。そして外国の投資の制限をほぼすべて撤廃する。国内の銀行システムを引き継ぐために、一握りの外国銀行を認可するだろう。

解き放たれた民間投資への開放は、ただちににイラクのビジネスの間に異議がわき起こり、そして現在、再考を迫られている。しかし、ファディル・マーディ氏のような地元の経済学者にとってもっと大きな懸念にさえなっているのは、輸入品に対する低い関税である。マーディ氏はベイルートの国連開発計画の現地計画主任であるが、eメール上の討論で彼は、彼の見解が必ずしも組織の見解では無く、彼自身のものであると強調した。

「1980年からの戦争と1990年代からの制裁の長い年月の後、イラクの民間部門における科学技術の優れた能力は90年代のロシアよりも悪化している。たった5パーセントの関税で輸入品に対して門戸を開くことは、ほとんど十中八九、多くの生産者を破産させ失業率を悪化させるだろう」と彼は語っている。

15パーセントの最高課税率について言えば、これは適当な社会計画を支えるのに十分であり得るだろうか。ずっと以前の高いインフレ率がイラクのセーフティネットを弱体化させた。ひと月3ドルと4ドルの年金はほとんど意味がない。300万から400万の外国にいるイラク人家族のメンバーからの資金の流入が、現在不可欠な支えとなっている。国連が貿易取引への経済制裁に対する例外、すなわち食料と引き換えに石油を輸出することをイラクに許した時、最も重要な社会計画は、国内で発展した食料配給制度である。

しかし過去において、それは過去のショック療法の特徴であったために、新しい経済計画立案者たちは社会計画の措置に盛り込まなかった。1990年代のショック療法は社会の要求を無視したものでもあったと、カプステン氏とミラノビック氏は指摘している。しかし必要に迫られてすぐ変更された。

ポーランドにおいてさえ、そこではショック療法の支持者たちが成功を主張しているのだが、著者らは大幅な社会支出があったと指摘している。ポーランドの経済の生産高が1990年代前半、ショック療法の最初の段階の後、急激に下がったことを忘れるのはたやすいことである。しかし失業手当は十分だった−アメリカにおける平均35パーセントと比較して、労働者一人当たりの賃金の60から70パーセントが払い戻されているのだ。公的年金手当はインフレに連動(indexed)させた。

イラクは、引き戻された東及び中央ヨーロッパよりもはるかに悪化した状況下にある。戦争と米国による制裁の20年間の後、イラク経済の生産高は、インフレ率を差し引くと、1990年代後半のものは1940年代に達成したものと同じレベルにまで下がってしまった。最後の戦争は、輸送と水と伝達のシステムを破壊した。マーディ氏は最近のイラクの失業率を50から60パーセントと見積もる。

しかしもっとよい状況下でさえ、最近の提案の中身において、イデオロギーは常識よりも重要である。自由市場というのでは、まったく不十分であろう。

社会資本は再建を必要としている。法と憲法に基づく権威が確立されなければならない。治安は投資を呼び込むために必要とされている。

新しい資本は必要とされているが、しかしそれは第二次世界大戦後ヨーロッパを再建したマーシャルプランに相当する本格的なものであると、マーディ氏は論じている。彼は、職場を生み出すための公的な労働計画を想定しようとしている。この一部として、イラクの国際的な負債は、可能な限り、実行可能な程度までに削減されるべきである。

またマーディ氏は、彼は食料配給システムが当分の間保持されるべきであり、ただゆっくりと段階的に廃止されるべきであると信じているとも語っている。

イラク統治評議会と米国人支援者達は、外国資本を呼び込み、十分かつ綿密な社会計画作り出すことができる市場経済に向けて段階的に進めていくためのバランスのとれた計画を提示しようとするならば、慎重にならざるを得ないであろう。最新の計画は、理論にも経験によっても支持されておらず、ただ、その賛同者達の願望的イデオロギーの思考によってのみ支持されている。その結末は、ロシアで起こったことのように、広範囲にわたる、残酷なものとならざるを得ない。



●10月1日(197日目)−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 イラク各地において激しい戦闘、米軍による急襲作戦が続いている。報道された9月以降の事件だけでもその数は20を超えている(参照:下記、○報道された各地における事件)。米・英軍を中心とした軍事占領政策の破綻が誰の目にも明らかになり、また占領軍の犠牲者も増大している。26日のガーディアン紙(電子版)には、「さらなる混迷に陥るイラク」(“Iraq slips further into turmoil”)と題する記事が掲載された。頻繁に攻撃を受けている米軍、抵抗勢力の標的がソフトターゲットにまで大きく拡大していること、これはあまり知られていないことではあるが、比較的治安が保たれていると思われているイラク南部、バスラ周辺においても英軍兵士の犠牲者が出ていること、そして情勢の悪化を受けて国連職員が次々とイラクを出国している現状が報道されている。しかし米軍は、抵抗勢力への「掃討作戦」を依然強化している模様である。その作戦に民間人が巻き込まれ、犠牲者が拡大している。米軍が執拗に「掃討作戦」を繰り広げているファルージャ近郊では26日、検問所において民間人4人が殺害された。23日には米軍ヘリコプタが民家を攻撃、民間人3人が殺害された。検問所における民間人殺害は、これまでも幾度となく発生した。そして今なお繰り返されているのである。またヘリコプタによる民間人攻撃など、言語道断である。米軍は、罪のなき民間人の虐殺をいつまで続けるのか。
 民間人の犠牲者は、これら米・英占領軍が直接手を下したケース(殺害・負傷)にとどまらない。占領統治下における様々な要因−治安悪化と社会混乱、食料不足と栄養失調、医療体制の崩壊と医薬品の欠乏、疫病の蔓延、不発弾、劣化ウラン弾、燃料不足、等々−によって日々新たに生まれる犠牲者もまた米・英が引き起こしたものであり、彼らにその責任がある。“イラク・ボディ・カウント”(IBC)は9月23日、新たなレポートを発表した。タイトルは、「バグダット占領下:1500人を越える暴力による民間人犠牲者」(“Over 1,500 violent civilian deaths in occupied Baghdad”)。バグダット市内の遺体安置所の記録の調査から、占領軍の支配が始まった以降の、治安悪化による民間人犠牲者(死亡者)を評価したレポートである。バグダット市内の犠牲者の総数は、なんと1500人を越えているという。しかもこの調査結果はバグダットだけのものであり、イラク全土ではさらに大きな犠牲者を生み出していることになる。戦争が始まる前と比較すると、あふれ出た銃器、強盗、略奪者によって殺害された1日当たりの民間人の総数は約3倍に増えているという。あらためて確認したい。軍事占領下における民間人犠牲者の責任は、占領軍、米・英政府にある。ジョネーブ協定やハーグ規則に基づく占領軍の義務を放棄しているといった点だけにとどまらない。米・英による強権的な軍事占領支配、植民地支配にこそ、その根本的な原因がある。そして彼らの占領支配が、社会混乱、治安悪化を今なう拡大させているのである。
今回取り上げたもう一つの記事は、“Sociallist Workers”(電子版)に掲載されたものである(“戦争終結宣言から数ヶ月−イラクでは毎週1000人が殺されている。”)。9月21日の“Independent紙”(電子版)に掲載されたロバート・フィスク氏の記事(“Another Day in the bloody Death of Iaq”)の紹介と併せて、フィスク氏による別の調査結果から明らかになった表題の内容−イラクでは毎週1000人が殺されている−に焦点を当てたものである。残念ながら、指摘されている「一週間に1000人の犠牲者」の出典を探し出すことができなかった。しかし、イラクの現状を伝える一つの重要な報道として今回取り上げた。

※フィスク氏の記事(“Another Day in the bloody Death of Iaq”21日Independent紙)は、“Counter Punch”のサイトで見ることができる。(http://counterpunch.org/fisk09232003.html
※“Iraq slips further into turmoil” September 26, 2003
 http://www.guardian.co.uk/international/story/0,3604,1049993,00.html


○報道された各地における事件
9月30日
 ・キルクーク近郊  米軍 デモ隊に向けて発砲 少年1人死亡
9月29日
 ・ハバニア     米軍車両が爆破される。 米兵1人死亡 1人負傷
 ・カルディア    米軍 銃撃戦  米兵2人負傷 民間人1人負傷
9月27日
 ・バグダット    CPAの入ったホテルにロケット弾
9月26日
 ・ファルージャ   米軍 検問所にて市民に向けて発砲 民間人4人死亡 数人負傷
9月25日
 ・バグダット北部50kmバクバ 市場で爆発 民間人8人死亡 18人負傷
 ・キルクーク    米軍車両がロケット攻撃を受ける。 米兵1人死亡 2人負傷
 ・バグダット    ホテルで爆発 ホテル従業員1人死亡 記者2人負傷
9月24日
 ・バクバ      米軍 急襲作戦において民間人に発砲 2人死亡 1人負傷
 ・バラド      米軍 抵抗勢力を攻撃 イラク人3人死亡
 ・バグダット北西部 爆発によって小型バス2台が破損 乗客1人死亡 20人以上が負傷
9月23日
 ・ファルージャ   米軍 ヘリコプタによる民家攻撃 民間人3人死亡 3人負傷
             負傷者には少年も含まれている。
9月22日     
 ・バグダット   国連事務所で爆発事件 イラク人警官1人死亡 車両運転手1人死亡 10人以上が負傷
 ・モスル     警察署付近で爆発事件 多数の死傷者か?
9月20日
 ・アル・グレイブ監獄 砲撃を受ける。 警備の米兵2人死亡 13人負傷
 ・ラマディ    米軍車両が攻撃される。 米兵1人死亡
9月18日
 ・ティクリート  米軍がイタリア人外交官の車両に発砲 イラク人運転手死亡
 ・ティクリート  第4歩兵師団 急襲作戦中攻撃を受ける。 米兵3人死亡 2人負傷
 ・キルクークと大規模製油所を結ぶパイプラインが爆破。
9月14日
 ・ファルージャ   米軍車両が攻撃される。 米兵1人死亡 3人負傷


○占領軍支配下における民間人犠牲者 治安悪化の下での民間人の犠牲者

紹介記事1    IRAQ BODY COUNT Press Releases September 23rd 2003
“バグダット占領下:1500人を越える暴力による民間人の犠牲”
“Over 1,500 violent civilian deaths in occupied Baghdad”
http://www.iraqbodycount.net/press.htm

4月中旬以降の、バグダットにおける暴力による民間人死亡者(violent civilian death)についてのはじめての信頼のおける総数が、イラク・ボディ・カウント(IBC)によって発表された。IBCは、メディアによって報道されている、米英軍のイラク侵攻によって引き起こされた民間人犠牲者を追跡、記録している英米系の調査グループである。

4月14日から8月31日の間、暴力による2846人の死亡者がバグダットの死体安置所において記録されている。バグダットにおける戦争前の死亡率を考慮した場合、死体安置所の記録に基づく報告から、その都市における少なくとも1519人を越える暴力による死亡者の総数が浮かび上がってくる。

IBCの最新調査は、戦争前の最近のバグダットにおける死者数の比較可能な“バックグラウンド・レベル”で補正した最初の総合的なカウントである。それ故にその調査結果は、米によるバグダットの奪取と占領に引き続いた法と治安の崩壊に直接起因する、その都市に付け加わった犠牲者(死亡者)の評価となっている。

その調査は、4月中旬の1日あたり10人から8月の1日当たり28人以上へとおよそ3倍になっている1日の死亡数平均という事実を伴った、バグダットの通りにおいて暴力が飛躍的に増大していることについての広範囲にわたる事例証拠を提供している。

その他の懸念される変化として次のことがあげられる。戦争前では、死体安置所に運ばれる銃による犠牲者はおよそ10%の割合を占めたが、現在では、殺された人々の60%以上を占めている。他の都市の入手可能な少数の報道によると、この傾向はイラクの他の場所でも酷似していることを示している。

死亡者の大部分は、イラク人の暴力によるイラク人(犠牲者)といった結末ではあるが、その中の幾つかは、米軍の発砲によって直接引き起こされたものである。しばしば無差別の火器の使用によって引き起こされるこれらの犠牲が、ますます報告されなくなっている、あるいは占領軍によって認められないままである、という証拠がある。
しかし、バグダットやイラク各地における現在の騒乱に対する責任は、底辺−敵意に満ちた環境下における、警察活動に不向きな普通の兵士のレベル−にまで広めてはならない。その責任は、ワシントンとロンドンの政権の空調が効いた廊下にいる首脳陣に集中するべきものである。

米・英も加盟しているジュネーブ協定とハーグ規則は、治安を保証し、暴力から市民を守る占領軍の責任を明確にしている。米・英が、事実上イラク占領を正当化する根拠とした国連決議1483号は、明確に彼らにそれらの義務を負わせている。しかし米・英は明らかに、その義務を果たしていない。悪化する犠牲と破壊は、彼らによるイラク侵略によって解き放たれたのである。同時にアメリカは、特に、米のイラク支配に早期に終止符を打つであろうどのような多国間提案にも抵抗している。

その一方で、その国の首都からの最新報告は、夏期の間、都市における1日当たりの犠牲者が増え続けていることを示している。

IBCの調査員ハミット・ダーダガン氏は言っている。「米軍は、戦争をすることでは有能かもしれないが、米軍占領下のイラクの首都の無法状態への転落は、米軍が治安の維持と市民の安全を保証することについて無能であることを示している。米軍はサダムを転覆させ、イラクでいかなる大量破壊兵器も発見できないことを知った。それなら何故、いまだにそこにいるのか。そして、もし米軍が市民の安全を保証できず、それが彼らに対して危険をもたらすのならば、イラクにおける役割とは何だろうか」。

「占領軍当局はイラク人に対して、彼らを自身の国を運営する際の従属的なパートナーにするのではなく、権力と司法権の引き渡しに向けた真剣な一歩を進みだしてもいい頃だ。そして米・英軍は、米のイラク支配のためのイチジクの葉以外の何ものでもない行動を国際社会に要求することを止めるべき時だ」。

「彼らがそうするまでは、普通のイラク人が、サダムの恐怖を取り去ったが、軍事占領と街角のテロの中での暮らしの下に彼らを放置した「自由」に嫌悪を感じるのは当然のことだろう。」。


紹介記事2
“戦争終結宣言から数ヶ月
 イラクでは毎週1000人が殺されている。”
“Months after war is declared 'over'
 1,000 killed every week in Iraq”
 By Kevin Ovenden
http://www.socialistworker.co.uk/1869/sw186901.htm

4ヶ月の間、私たちはイラクにおいて物事は良い方向へ向かっていると聞かされてきた。しかし、戦争“終結”以降、日に日に、何百万ものイラク人らの生活は悪化の一途をたどっている。著名な中東ジャーナリストであるロバート・フィクス記者からの報告によると、一週間に1000件の殺人事件が起こっているという。先週日曜日のインディペンデント紙において彼は次のように綴っている。「占領軍は、ジャーナリストらが病院を訪問するのに許可を得るよう強要している」と。

「仮に得られたとしても、許可書を得るには1、2週間はかかるだろう。さらば統計資料だよ」。しかしバグダットとナジャフの都市で上級医らと話し、死体安置所を訪ねることによって彼(ロバート・フィスク記者)は、国の全域において「毎週ほぼ1000人の市民が殺されている」ことを計算することができたのである。「そして、それはたぶん控えめな(保守的な)数字だろう」。

ある者は、米・英占領軍がもたらした無秩序の下で殺害された。「またある者は」−フィクス記者は付け加えた−「検問所や、米軍によって行われているさらに一層“凶悪”な襲撃によって、米兵たちに射殺されている」。先週、新たに10名がリストに加えられた。米兵たちがイラク人警察官の一群に、数千発もの弾丸を撃ち手榴弾を投げた時である。少なくとも150発の銃弾が近くのヨルダン病院に命中し、2部屋が燃え上がるままにされた。

フィクス記者は付け加えた。「ここバグダットで兵士たちと話してみると、彼らは彼らがおそらくサダム・フセインから助け出した人々について汚らわしい言葉を使う−‘家に帰りたい’との心からの要求を合間にはさんで」。兵士たちはそこに居たくない。イラク人は彼らに居て欲しくない。そうしたいのは、ブッシュやネオコン主義者や、彼らの英国の代表者トニー・ブレアだ。引き取り手のないイラク人の死体が今年7月、バグダット病院の死体安置所の床に横たわっていた。



●9月1日〜9月21日

●7月28日〜8月20日

●5月14日〜7月21日

●4月15日〜5月10日

●3月20日〜4月14日