イラク戦争被害の記録


被害報道日誌(9月1日〜9月21日)


●9月21日(186日目)−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 米軍による民間人の犠牲が報道されている。ファルージャでは結婚式場の礼砲に向けて米軍が発砲、列席者を死傷させた(参照:紹介記事1)。9月13日、同じくファルージャにて米軍は、強盗を追跡していた警察官9人を殺害した。ファルージャの住民間の反米感情は高まっているという。米軍襲撃も相次ぎ、今では「スンニ(派)・トライアングル」は「死のトライアングル」と、米軍の間で呼ばれているという。
 また米軍による急襲の実態も報道されている。ティクリットにおいて米軍は、中規模の急襲作戦を繰り広げているようだ。9月16日の急襲では、12人のイラク人を拘束したという。しかし、その急襲の実態は、相当ずさんなものであることが報道されている。先の12人が拘束された急襲では、部隊の誰一人、標的の人物が誰なのかを把握していなかったという。手当たり次第、「疑わしい?」人物を拘束しているらしい。無実の民間人がこのようにして拘束され、時には抵抗したとして惨殺されているのである。現地住民の人権と生活を一切無視した急襲は、そして民族の尊厳を傷付け、生命さえ奪う急襲は、、米軍への怒りをさらにかきたてている。急襲現場では、怒りの抗議行動が見られるという(参照:紹介記事2)。米軍は今、イラク民衆の支持を得るために、“win the hearts and minds”(イラク人の信頼を勝ち取るといった意味)を合い言葉に、イラク人に接しようとしている。しかし彼らが実際に行っていることは、これとは全く逆のことである。
 前回、拘置中のイラク人が5500人にのぼることを報告したが、米軍からもたらされた情報によると、その実数は1万人近くであるという(紹介記事3)。驚くべき数字である。これまで問題にしてきたように、拘置されている彼らの環境は劣悪である。しかも、法的な権利は一切剥奪され、無実の多くの人々は理由もなく、ただ拘置され続けているのである。米・英占領軍によるこのような仕打ちを許してはならない。多くが拘置されているバグダッド西部のアブグレイブ監獄が20日、攻撃された。イラク民衆の怒りである。また最近のマスコミの報道には、バグダットに活気が戻り、市民生活も徐々に落ち着きを取り戻しているかのような記事が散見される。しかし占領から長期間が経過したにもかかわらず、バグダット市民の生活は過去と比べても劣悪なままである(紹介記事4)。占領軍が支配する今と1年前を比べてみると、銃によって殺害されたと見られる不審死の数は、3倍を越えているという。治安悪化は市民の命を脅かしており、そのような状況を生みだした米・英の責任は逃れ得ない。イラク人の手による国家樹立、その前提としての米・英軍、占領軍の撤退のみが、イラクに平和と安定をもたらすのである。
 今回は、次の翻訳記事を中心に構成されている。
1.増え続ける民間人犠牲者 (紹介記事1)
“米軍、結婚式の招待客である10代の若者1人を殺害、4人を負傷させる。”
2.米軍急襲の実態 (紹介記事2)
“サダムの故郷での米軍急襲:イラク人の怒りをかきたてる。”
3.増大するイラク人の拘束、拘留 (紹介記事3)
“1万人のイラク人を拘束中。米軍、認める。”
4.占領下において悪化する市民生活 (紹介記事4)
“バグダットの満杯の遺体安置所:そこは都市が無法状態に陥っている象徴である。”

 この他にも、現在のイラクの状況を伝える貴重な記事がある。次の機会に、是非とも紹介したい。


○増え続ける民間人犠牲者 
紹介記事1
“米軍、結婚式の招待客である10代の若者1人を殺害、4人を負傷させる。”
“U.S. Troops Kill Iraqi Teenager, Wound 4 Wedding Guests”
http://www.islam-online.net/English/News/2003-09/18/article03.shtml

イラク,ファルージャ,9月18日(IslamOnline.net & News Agencies)−米占領軍兵士が、10代の若者1人を殺害し、その他に4人を負傷させた。ファルージャにおいて、結婚式に出席した客に向けて米軍は銃撃した。一触即発状態にあるファルージャでは、反米感情が高まっていた。

バグダット西部50kmに位置するファルージャにおいて、米軍車両が祝いの空砲が鳴っていた結婚式が行われている家屋付近を走行中、兵士が銃撃を始めたとAFP通信の記者は述べた。

この事件では、14歳の少年サフィアン・ドーブ君が銃撃によって死亡し、女性2人の含む4人が負傷した。それは9月17日の午後11時に起こったと目撃者は証言した。

負傷者は、町の病院に移送された。2台の車が銃撃によって損害を受けた。

簡単に銃をぶっ放す米軍兵士は、明らかに結婚式の空砲を狙ったと見られる。米軍は、結婚式に参加していた人々と通りがかりの人々の方向に向けて銃撃した。

あるバグダットの米軍報道官は、このことについてのいかなる報告もないと述べた。

9月18日火曜日、多くの人々が、ファルージャの通りを練り歩いていた。ドーブ君の葬列が進行し、列の近くでは慣習にしたがい空に銃が放たれたと、目撃者は語った。

多くの車が護送車となり、棺は参列者の肩に担がれ運ばれていった。行列は近くの墓地に向う道に続き、武装した怒れる住民の横を通り過ぎていった。

米占領軍は、ファルージャで頻繁に抵抗勢力の攻撃にさらされている。ファルージャでは、住民の間で評判の悪い正当性のない暴力が、占領軍によって実行されている。

9月13日の土曜日ファルージャにおいて、その前日、強盗を追跡していた9人の警察官を殺害したことについて、米軍は「謝罪」を表明した。

その翌日ファルージャで、米軍車両が道路に敷設された爆発物に接触し、米兵1人が死亡、3人が負傷した。

ファルージャ周辺地域は名声を勝ち得ており、今や占領軍にとってこの地方は「死の三角地帯」として呼ばれている。

(三角地帯の)三角形は、ファルージャとカルディアとラマディを結ばれており、頻繁に米軍車両が攻撃されている地域である。

この町では、運転手は米軍の車両部隊から立ち去るようにとの警告するビラが撒かれている。

「彼らが忠告に従わないのであるならば、我々は命を保証できないことを警告した」と名前を名のらなかったある警官は、AFP通信に語った。

 (以下、省略)

結婚式の最中米軍部隊は10歳代の少年を殺害し、4人を負傷させた。



○米軍急襲の実態 
紹介記事2
“サダムの故郷での米軍急襲:イラク人の怒りをかきたてる。”
“US Raids in Saddam's Hometown Leave Iraqis Angry”
by Saul Hudson
http://www.commondreams.org/headlines03/0916-10.htm

イラク,ティクリット−米軍部隊は、一部のイラク人の「ハーツ・アンド・マインズ」(hearts and minds)を失ってしまった。火曜日、サダム・フセインの故郷での夜明け前の攻撃的な家屋急襲では、米軍は門を吹き飛ばし、ドアを蹴破り、(罪なき「容疑者」の)顔を地面に押しつけた。

10歳のアーメド君は、残りの家族とともに庭に集められた。一人の兵士が、ドスンといった音を立てて地面の上で一人の男性を殴打している、ショッキングな光景を目撃した。

「僕はイラクの戦士になりたい。そして、アメリカ人を殺したい」と少年は言った。反米ゲリラの掃討を目的に、ライフル、大型ハンマー、ボルト・カッターを抱え侵入した部隊を少年は指さした。「奴らは敵だ」と言った。

年老いた裸足の男は、床に砕け散った絵画のフレームのガラスの破片を越え、自宅から避難してきた。

灰色の顎ひげをたくわえ、黒いチュニカを羽織った禿げかかった男性が、体の後ろで手を縛られていた。「どうして門を破壊したんだ?」と兵士に向かって、脇の下に抱えている武器を指さしながら彼はたずねた。「私は、お前たちを入れただろうに。」

イラク全土において毎日繰り広げられる数多くの米軍の家屋急襲、それは、襲撃者と疑われている者たちが集積している兵士に向けられる地雷、手榴弾、ロケット砲の流れを阻止しようというものである。

この作戦は、5月1日に主要な戦闘が終了したとワシントンが宣言して以来、米軍兵士73人を殺害したゲリラ側から、イニシアチブを奪還する一助になったと戦闘指揮官は語った。

しかし、急襲において無実のイラク人を拘束した場合、占領者への憎しみが深まることになる。また、「ハーツ・アンド・マインズ」をつかむことを目的とした、電力回復のようなプロジェクトによって生まれる兵士たちへの好意を蝕むことになる。

米国は、イラクの民衆を解放しサダムによる脅威を無くすためにイラクに侵攻したと言ったが、批判者たちは、アラブ人の中に西側に対する怒りを燃え上がらせ、反米の土壌を育てる等、逆効果を生み出していると語っている。

火曜日の急襲の終わり、およそ12人の拘束された男性の内の誰が、「ハイ・ファイブ作戦」と名付けたられた作戦においてターゲットになった容疑者であったのか、諸部隊は知らなかったのである。

しかし急襲を指揮したディビッド・ポイレィア大尉は、兵士たちは一軒の家で金属製爆発物を発見したと語った。「私は確信している。悪人を捜し出したと」と彼は語った。

米軍司令官は、おそらくサダムは、ティクリット周辺の地域に潜んでいると信じているが、彼をいまだに発見できないと述べている。

抵抗する女性たち

火曜日の急襲の一つでは、「かがめ、かがめ」との兵士たちの叫び声を遮ろうと手で耳を塞ぎながら幼い少女がある女性の膝の間で縮こまっていた。

3人の女性が怒りに打ち震えながらアラビア語で非難したが、兵士たちは理解できなかった。彼女たちは、兵士たちに向かって指を突き出し、あるいは頭の上に拳をかかげ、室内の金品を盗んだ侵入者に怒りを向けた。

頭部を覆ったドレスの着用を許されていた女性たちは、たった一度だけ、叫ぶことを止めた。兵士たちをガードしていた背の高い別の兵士が、髪をヘルメットの後部に隠していたのであるが、四角い顎をした女性であることに気が付いた一瞬である。女性たちの口は、(驚きのあまり)開けられたままとなった。

しかし兵士たちが去ろうとした時、抵抗した女性たちは兵士たちに続き、再び叫び声をあげた。

英語で「出て行け、出て行け」と女性たちは叫んだ。兵士が裸足の拘束者のために受け取ってくれることを期待し、アーメド君はサンダル差し出した。申し出は、はねつけられた。



○増大するイラク人の拘束、拘留
記事紹介3
“1万人のイラク人を拘束中。米軍、認める。”
“US admits holding 10,000 Iraqi prisoners”
http://www.abc.net.au/news/newsitems/s947282.htm

米国の高官は、イラクにおいて1万人を拘束していることを認めた。これは以前に報告された数の2倍であり、その中には米国人である主張する6人と英国人の2人が含まれている。

「治安拘束者」(security detainees)として現在類別されている3800人を越える人々は、「いかなる分類にも合致しなかった」とジャニス・カーピンスキー旅団長は述べた。

およそ一ヶ月前、「彼らを分類するようにと、国防省(ラムズフェルド)から指令を受けている」と彼女は述べた。しかし拘束された者たちが誰なのかの詳細は不明なのだが。

「我々は彼らを保護している。我々は、(地位をめぐって)人々を混乱に陥れようとは思わない」と彼女は述べた。

彼らが「保護されている」間、どのような権利を有しているのか、家族や法的な支援と連絡が取れるのかを問いかけてみたならば、「彼らは権利を有していない、また戦争捕虜よりもわずかな権利しか与えれていない、ということはない」と彼女は述べた。

以前は、治安拘束者に分類された約600人もの人々がおり、今やそれに属する人々は約4400人である、とカピンスキー師団長は述べた。

戦争捕虜として300人、犯罪者あるいは容疑者として約5300人のが拘禁されている。おおまかな合計は1万人になろう、と彼女は加えた。

カピンスキー旅団長は、サダム・フセインが米・英軍によって4月に政権の座を追われて以来、「数百人の第三国のナショナリストが」安全保障上の理由から拘束されている者たちの中にいる、と述べた。

「6人は米国人である主張しており、2人が英国からやって来たと主張している」と彼女は述べた。



○占領下において悪化する市民生活
紹介記事4
“バグダットの満杯の遺体安置所:そこは都市が無法状態に陥っている象徴である。”
“Baghdad's Packed Morgue Marks a City's Descent Into Lawlessness”
By Jeffry Fleshman, Times Staff Writer Sept. 16, 2003
http://www.latimes.com/news/printedition/front/la-fg-morgue16sep16002422,1,468032.story?coll=la-headlines-frontpage

バグダット− タクシーに固定された木の棺と共に殺された者の近くに男たちが集まり、酸味が朝の空気を刺激している。少年はカージャック中に顔を撃たれ、近所の戦闘で悪漢が突き刺され、族長はライバルに待ち伏せされ、息子は銃弾で胸を打ち抜かれた。

アメリカ主導の占領軍は、イラクに安定が戻りつつあると断言する。バグダットの遺体安置所の台帳は異なる物語を告げている。

バグダットにおける報告されている銃関連の殺害の総数は、ブッシュ大統領が5月1日に主な戦闘の終了を宣言してから25倍に増加している。戦争が始まる前、遺体安置所では銃器による死者は平均ひと月20名であることを調査した。6月にその数は389名に上り、8月には518名に達した。さらに、全体的な疑わしい死者の数は、昨年のひと月約250名から、8月には872名に飛び上がった。

バグダット遺体安置所は満杯の域を超えている。通常7体を保管する冷蔵ケースは無理やりに18体を詰め込んでいる。防虫灯の青い輝きの下、1体の身元不明の死体が床を引きずられている。他の5体−−2体は銃傷がある−−は鉄のテーブルに横たわっている。静かな決断と共に、法医学者らは外科用メスを取りあげ、発見したことを図に印し、待機している棺をうめていく。

ここでの死者の大半は、軍事行動や少なくとも20名が殺された先月の国連本部爆破のようなテロ攻撃の犠牲者ではないし、彼らは米国人兵士でもない。

むしろ彼らは普通の市民あり、この都市での生活の一部である。銃火と勢いの衰えぬ犯罪のリズムにあわせて、起きたり休止したりする暴力の犠牲者なのである。占領軍と新イラク警察は、強盗やカージャック、ただ純粋な怒りによって起きる暴力の激発をくい止めることが出来なかった。

警察や法医学者らによると、大量の殺害は復讐に根差しているという。追放されたサダム・フセインの政権は、継続的な恐ろしいキャンペーンで何万もの人を殺害したが、どこにでもいた治安部隊は部族や一族の範囲内に憎悪を納めていた。

その束縛が壊れて、数年にわたって積み上げられた屈辱と怒りは、特にバース党員とフセイン政権の他の残党に対して、一種の正義の境界に終止符を打つこととなった。

米主導の占領軍による3月の侵略以前の数ヶ月間にフセインが刑務所から釈放した数千人もの犯罪者によって、課題はより複雑になっている。そして、すべての近郊を武器庫にしている何万丁ものカラシニコフ・ライフル銃やピストルによっても。占領軍は7月に重火器を没収したが、自己防衛のためのある程度の軽火器を持つことをイラク人らに許した。それらの銃器がしばしば殺人のきっかけになっている。

虐殺の急増は、イラクの社会が制御不能になっており、フセインの後遺症が、それ自身理解しがたい蛮行を引き起こしているといった明確な指摘を提供する。

数体の遺体が濁った緑のチグリス川から引き上げられている。遺体は路地から引かれてきたり、屋上から集められたり、ゴミの山から引き出されたりしている。いくつかは、バシャール・ハマス・ムハンマドさんのように道ばたに放置された。彼は26歳のタクシー運転手で、自らのターバンで首を絞められたのだ。それから遺体は遺体安置所へ運ばれる。そこではゴム製の手袋をはめた非常に注意深い男性が遺体の腰の回りにひもを結び、それぞれに番号をあてがうのだ。

「私たちはまだデモクラシーに適した国民ではありません」と、その翌日、殺された隣人を棺を開けるのを待っていたサター・モハメドさんは言った。「我々は、厳しく取り扱われることが必要である。我々のための拳が必要です。我々は30年間にわたってサダム・フセインの下で生活してきたが、今や人々は自由となり、自らの意志に従って行動できるようになった。それは危険なことです。」

このような評価はしばしば聞かれるものである。

「私は29年間、この遺体安置所で働いてきました」と病理学者のアブダル・ラザッグさんは語った。それぞれの薄青いフォルダーには、遺体の詳細が綴られたシートが保管されている。「かつては、事故や自然死でした。今や、あまりにも多くの武器が社会の中に溢れている。かつて我々は、一日に6〜7体の遺体を解剖していたが、今や一日に25〜35体です。その80%が銃弾によるものなのです。我々は、これ以上の自由はないが、治安が悪化している中、人殺しにとってはこれまで以上に自由なのです。」

無法状態は、イラクが社会が暴君の支配から、この国に新たな形態の政権を持ち込もうとしている、米軍の支える、未だ形成されていない政府の不十分な見込みへの進路転換の結末である。全国で3万8000人の警察力は人員不足である。6万5000人にまで拡大しようとされているのだが。バグダットでは、戦争前の1万7000人から縮小した5000人を越える人員である。

当局によるとシェイク・アブダル・ジャバ・ファーハン・サルマンさんの死は、復讐とオポチュニズムが混じり合ったものが原因であるように見られている。ファルージャにおいて力を持っているブ・イッサ族のメンバーでもあり、そこでは族長が、地域一帯のタバコ市場に大きな影響力を持っていた。戦後イラクの混乱を回避するだけの十分な財力を持ち、サルマンさんは家族をヨルダンのアンマンに移動させた。彼は商売をチェックするために、頻繁にイラクを訪問していた。
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9月1日、午後10時20分、族長はバグダット付近の交差点を白い日産の車で運転していた。その時、2台の車が彼の近くに現れ、武装集団が9mm自動小銃で彼の心臓と肩を狙い撃ちした。

彼は、カードラ地区の警察署から1/4マイルも離れていない場所で死んだ。そこは、米軍のM.P.(憲兵)が、土嚢を積んだ陣地で警備していた所である。

「復讐のようだ」と、イラク警察司令部のサバー・マジード中佐は語った。「彼を殺害した人物たちは、何も盗らなかった。彼の部族のわずかな者たちだけが、町に戻ってきたことを知っていた。彼に対する敵意が見られ、彼を排除しようとしたタバコ取引の商売敵の仕業のようだ。」

銀縁眼鏡を掛けた、バグダット科学捜査研究所の責任者であるフェイク・アミン・バクア医師は、椅子に腰掛けながら統計を凝視していた。それは、圧倒されるものであった。2002年の7月、バグダットにおける不審死は237人とただでさえ高かった。その数値には、フセインの警察の手による行方不明者を考慮に入れてはいない。一年後、米軍が展開している下で、その不審死の数は3倍を超える751人となっている。

「毎日殺される人々を見ていると、国の治安悪化の状態が理解できますよ」とバクア医師は述べた。「誰を非難することも出来ませんよ」と遅れて加えた。「同盟軍によって、何かが(対策が)実施されますよ。それこそ、彼らの仕事であり義務ですよ。」

戦争の間、死体安置所は犯罪の犠牲となった。略奪者たちは、移動ベット、検死用の電気のこを盗み出した。月に180ドルを得ている医師の一部は、手で切っている。バグダットの残りの地域のように死体安置所は、散発的な停電、水とガスの欠乏に直面している。すでに針、縫合のための糸、その他の必需品もない。遺体は定期的に運び込まれる。潮がやってくるようなものだ。遺体は写真に収められ、一部は、−先週の金曜日の21体も含む−名前が特定されないまま埋葬される。「何らかの対策が必要だ」とバクバ医師は語った。

検死室の外部に漂う死臭は、午後の砂漠の熱風とともに強くなる。巨大都市に散在する近隣のモスクから借りた木の棺とともに、遺体を受け取るために、路地裏に家族が到着した。ある棺は共用のものであり、以前の犠牲者の血が付着していた。

棺は毛布にくるまれ、タクシーやミニバスのルーフから降ろされた。そして名前が呼ばれるまで、死体安置所の扉付近に置かれる。そして遺体は太陽の光の中に運び込まれ、埋葬のために聖都ナジャフへの110kmの旅路につく。

待っている間、男たちが復讐を叫んでいた。ある者たちは、懐に潜ませた拳銃をいじっていた。男たちは、大部分が静かであったが、路地裏に集まった黒い衣服を着た女性たちは、胸を打ちながら嘆き悲しんだ。

「私たちの悲しみは、お前たちの悲しみよりも大きい」と女性は叫んだ。「彼らが、私の子供を殺したのだ。」

小型トラックが入ってきた。男たちが出てきた。泥棒に車を引き渡すことを拒んだ彼の息子は、顔を弾丸で打ち抜かれたまま、後ろで横たわっていた。 別の子供たちはかがみ、叫んだ。遺体安置所の扉が開けられ、父親が頭を下げた。二つの棺が到着し、午前半ばまでには路地裏は一杯となった。

ファヒル・アッバス・ジャシムサンさんは、血にまみれた弟を担いでいた。23歳のカドヤイルさんは刺され、銃弾を受けていた。市場で薬物依存症のアデルとの口論がきっかけである。

「私の弟は彼ともめていました」と、棺とともに遺体安置所に腰を掛けたファヒルさんは語った。「アデルは手首を刺した。弟は、ナイフを取りあげようと格闘になり、そして家に戻ってきた。私は何が起こっているのかを見に、市場に出かけようとした。弟のカドヤイルに、家に居るように伝えようとした。しかし弟は、タバコを買いに外へ出かようとした時、カラシニコフでアデルは弟を撃ったのだ。」アデルは12発撃ち、その内6発が命中した。

「私は弟を家の中に引きずり込んだ。弟は死んだ。アデルは弟を撃ったが、弟が彼からナイフを奪ったことで、面子を潰されたからだ。隣人が私をジープに乗せてくれ、弟を病院に連れていった。しかし医師は、数分前に亡くなったことを告げた。弟の死亡証明書を取り、埋葬できるようにと、私はここにやって来た。7ドル支払ったよ。彼らは弟の手首に数字を書き込んだよ。弟を運び出す順番を待っているのさ。」

医院付近で患者を診ているウバイディ医師は、遺体安置所に駆けつけなければならなかった。

弾丸を集め死因を解明しようとしている、と検死官は語った。彼はX線写真を撮り、図を描いていた。彼はほとんど正義について語らない。人殺しの動機は、彼にとっては意味の無いものである。科学こそが、自らが好んでとどまろうとしている場所なのである、と彼は述べた。

この日、病気に罹った赤ちゃん、硬直した脚に苦しむ患者、熱の患者が多かったために、彼は遅れた。

一人の女性が目の負傷に苦しんでいた。ウバイディ医師は薄青色のフォルダーを取だし、診察した。

「私は検死室にいるべきだろうが、見ての通り、生きている人々が、死人についての私の業務を妨げるのです」と彼は語った。



●9月13日(178日目)−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−


民衆の抵抗は強まっている。aljazeera.netより。

強まるゲリラ戦闘に直面する米軍。aljazeera.netより。
 イラク人犠牲者の報道が相次いでいる。ファルージャでは12日、強盗を追跡中のイラク人警察官11人が米軍部隊の攻撃を受け、殺害された。イラク人警察官は民間人と区別して考えるべきであるかもしれない。また一面では、米軍と協力して民衆を弾圧している側面もある。民間人の家を急襲する時など、米軍が半強制的にイラク人警察官を同行させているらしい。また米軍のパトロールに際して、隊列の先頭を歩かされているという。しかし彼らもまた、米・英占領軍の犠牲者である。(参照:“米軍が強盗追跡中のイラク警察を誤射、11人死亡”http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20030912-00000212-yom-int
 また米軍の急襲にともなう民間人犠牲者の報道が少しずつ流れ始めている。後に紹介する記事中において、ここ最近において発生した次の事件が列挙されている。
・バグダット北部マームディア,9月1日。18歳の女性を殺害。急襲において家に手榴弾を投げ込む。
・バグダット監獄付近,8月17日。ロイター通信社の記者を殺害。記者が持っていたテレビカメラをロケットランチャーと勘違いする。
・バグダット,8月9日。犯罪者を追跡していた制服を着用していた2人のイラク人警察官が撃たれる。
・バグダットのスラーク地区,8月7日。8歳の少女とその家族を含む5人が銃で撃たれる。夜間の急襲において、警戒線のない米軍の検問所に進入しようとしたため。
・バグダット、8月1日。6人の子供の母親が銃撃され、殺害される。米軍が攻撃をしかけた地点付近で、乗っていた車が故障した際に巻き込まれる。
・バグダット,マンスール地区,7月28日。急襲時、不明瞭な警戒線内に進入した5人が銃撃を受け、殺害される。

 ここであげたものは、あくまでもマスコミにおいて確認された事件のみである。表沙汰にならない数多くの事件があるはずだ。驚くことに占領軍当局は、民間人を誤って殺害しても、それを軍内部の正式な記録として残していないことが明らかになっている(紹介記事B、C参照)。自ら発表もせず、表沙汰になることを避けているのである。また米軍は、急襲作戦によって現在までに5500人のイラク人を拘束していることを発表しているが、その多くが面接も許されず、拘置理由が明らかにされないまま長期間、劣悪な環境下に放置されている。急襲にともなう民間人犠牲者の増大を受け、当初はフセインの崩壊を歓迎した富裕層の中にも、反米の気運が高まりつつあるという。フセイン政権が崩壊した時と同じ早さで、反米感情が高まっているという。

 今回は、民間人犠牲者を問題にした記事を中心に構成されている。
紹介記事
    @“イラクにおける死者、誰がカウントしているのか?”
    A“米軍部隊がイラク人少年を殺害”
    B“ファラーは米軍に嘆願した。しかし彼女は殺された。
    C“怒れるイラク人は、米軍部隊による誤りを告発する。”
 紹介記事@の著者は、トーマス・ヘレンさんである。彼女は、長年ホワイトハウス詰めの記者を務め、大統領が敬意を表し、いつも最初に指名することで知られた女性記者であった。イラク戦争に際しては彼女は、積極的に反対の論陣を張った。2002年12月30日、毎日新聞に掲載されたインタビュー記事において彼女は、戦争に突き進もうとする米国世論に次のような警告を発した。「米国民はイラクのフセイン大統領が敵だと思い込まされ戦争は不可避だと受け止めている。なぜ今戦争する必要があるのか米国民はその疑問を持つべきだ。私は多くの戦争を見てきた。敵として戦った相手はすべてかつては米国の友だった。米国は違う敵をつくりあげては罪のない市民を殺してきた。しかし、戦った相手は本当の敵だったのか? 米国民はこういう議論をすることを嫌がる。」記事の中で彼女は、イラク人犠牲者に関心を持たない占領軍、米政権に対して、次のように警告している。「戦争における勝者と敗者の人的な損失について知らず、関心を持たなければ、米国は世界の視線から永遠に、消え去ってしまうことになるであろう」と。
 紹介記事Aは、AFP通信による短い記事である。13歳の少年が米軍によって誤って殺害されたことを短く伝えたものであるが、このような記事ですら、なかなか表には出てこないのである。
 紹介記事Bは、急襲における18歳の少女の犠牲を扱ったものである。少女は乱射する米軍に対して、銃撃を止めるように嘆願したという。しかし米軍は無慈悲にも彼女の部屋に手榴弾を投げ込み、殺害したのである。誤った情報による急襲の犠牲者であった。事件を明らかにするために、記者が米軍の報道関連部署を訪問したところ、この事件に関する記録がまったく残されていないことを確認したという。米軍によって真相は、闇に葬り去られていたのである。同じ急襲で弟を殺害されたカサム・ハッサンさんは記者に向かって、「私たちが求めているすべては、正義である」との言葉を述べている。イラク人は、米・英占領軍に対して心から怒っているが、占領軍が自分たちを対等な権利を有する人間として扱っていない−この感情が深層にある。
 紹介記事Cは、戦争が始まって以来、イラク人の民間人犠牲者を問題にしてきたナイト・ライダー(Knight Ridder)によるものである。この記事は、急襲が多くの民間人を巻き込んでいることを告発すると同時に、このような事態が多発する背景−ゲリラ戦争への米軍のいらだち、戦闘部隊による不慣れな治安活動、等にあることを米軍高官とのやりとりから明らかにしている。そして、結局は、イラク人犠牲者を出さない方策、作戦上の配慮が、今の米軍にはまったく欠如していることを指摘している。ようするに、米軍が撤退する以外に、このような悲劇、民間人犠牲者は無くならないのである。
最後に。アフガニスタンでは、今なお民間人が「誤爆」によって、米軍に殺害されている。アフガニスタン中南部で4日、米軍が村を爆撃し、子どもを含む少なくとも20人近くが死亡、17人が負傷する事件が発生した。米軍による民間人虐殺を許してはならない。アフガニスタンで起こっていることを想起するならば、米軍の撤退以外にイラクに平和がやってこないことは明白である。アフガニスタンからの米軍の即時撤退、イラクからの米・英軍、占領軍の撤退を要求しなければならない。
※<アフガン>子供含む20人死亡 米軍の誤爆か
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20030911-00000038-mai-int


○民間人犠牲者のボディ・カウント

紹介記事@
“イラクにおける死者、誰がカウントしているのか?”
“Who's Counting the Death in Iraq?”
by Helen Thomas Published on Friday, September 5, 2003 by the Miami Herald
http://www.commondreams.org/views03/0905-04.htm

ベトナム戦争における、敵側のボディ・カウントを思い出さなければならない? 米国の目録のいくつかは、戦場における進歩を明らかにする努力を、おおいに誇張しようとしている。

そう、私たちはこのようなことを、もうこれ以上繰り返してはいけない。

ペンタゴンは最新の注意を払いつつ、イラクにおける米国人死亡者を報道している。今やその数値は286人に達した。その数値は、戦争が始まって以来、敵との交戦による183人の死亡者を含んでいる。ブッシュ大統領が大規模な行動作戦の終了を宣言した5月1日以来の148人の死亡者が含まれる。ペンタゴンの報道官は、戦争が始まって以来1105人の従軍兵士が負傷したことを報道している。

この種の数字の正確さは、イラクに対しては適用されていない。イラク人死亡者のカウントの試みは、不可能な取り組み(mission imposible)であることを証明している。

私はペンタゴンの高官に、「戦争によってどれだけのイラク人が殺害されたのか?」を訊ねた。ペンタゴンの報道官たちは匿名であることを求めながらも、その答えは「背景」を与えている。その報道官たちは素直だったのである。イラク人死亡者の総数は関心外であると回答した時、彼らは明らかに、政治家たちの指令に従っているに過ぎないのである。

私のペンタゴンへの最初の質問への回答は、「(イラク人死亡者を)追跡していない」といったものであった。

数週間後、私は回答を追い求め、国防省の高官から次の言質を得た。「彼らはカウントしない。それは重要な事柄ではない。」それは犠牲者の数に関してである。

その後も私は、戦争によるイラク人死亡者の数を明らかにする試みが皆無であることの理由についての説明を求めた。ペンタゴンの高官は、根気強く答えた。「作戦中において、我々は目的を持っている。人々を殺害しようなどの目標はない。我々の目的は、イラクからサダム・フセインを排除することであった。」

さらに彼を次の言葉を付け加えた。「仮にイラク人が降伏したならば、問題ではない。しかし彼らを殺害するために武力をもって攻撃を仕掛けなければならないとしたら、その数は、相違を生じないであろう。我々が懸念すべきものは何もない」。彼はさらに、米軍は犠牲者を最小にするために精密誘導兵器を使用してきたと述べた。

「我々は軍事目的を達成した。我々は(敵の死亡者の)カウントしない」と彼は述べた。「地上軍の兵士が戦闘中において、誰が殺されたのかといったことを明らかにすることは、最善の状況でも困難なことである。」

様々な情報組織は、イラク人の犠牲者が1700人〜3000人であるとする推定を行っている。イラクに落とされた大量の爆弾は、おそらく民間人犠牲総数をさらに上昇させているであろう。

米陸軍軍事史センターの高官は、敵の死亡者についての疑問は、自国民にとって少なからず神経を払わなければならない問題であることを認めた。我々は、どれだけの人々を失ったのかといった問題を直視していない。

軍事史センターにおける書籍は、第一次世界大戦で5万人、第二次世界大戦で約25万人の米兵が死亡したことに言及している。ドイツは、180万人の兵士を第一次世界大戦で失い、第二次世界大戦では我々の大敵であったが、325万人もの人々を失った。

しかしながら我々は知っている。ベトナム戦争では、5万8198人もの米国人が死んだことを。またさらに多くのベトナム人が死んだことを。

ホワイト・ハウス報道秘書のスコット・マクレラン氏は今週、イラクにおいてどれくらいの人々が死亡、あるいは負傷したのかを知っているのかといった質問を受けた−「米国人ではなく、イラクで戦争が始まって以来の、すべて死亡者、負傷者である。」彼はその質問をそらし、ブッシュは「我が部隊が生み出した犠牲者、イラクの彼方にある部隊を心配する家族の犠牲者のことをよく認識している」と語ったのみであった。

4月18日、米軍の侵略が始まる2日前、バーバラ・ブッシュは、ABCテレビのダイアナ・ソイヤー氏とのインタビューを行った。

「なぜ私たちは、死体や死傷者、その数、いつそのようなことが起こるのか、これらについて質問されるのか」とブッシュ婦人は述べた。「それは関係のないこと。どうして私の清い魂をそのようなことで汚さなくてはならないの?」 おそらく彼女は正しいであろう。しかし私たちはそう考えない。

戦争における勝者と敗者の人的な損失について知らず、関心を持たなければ、米国は世界の視線から永遠に、消え去ってしまうことになるであろう。


○増え続ける民間人犠牲者 米軍急襲の実態

紹介記事A
“米軍部隊がイラク人少年を殺害”
“US troops ' accidentally kill Iraq boy'”
AFP通信     September 5th, 2003
http://www.occupationwatch.org/article.php?id=805

9月5日(AFP通信) 13歳の少年オマー・サード・ジェイセン君は偶発事故によって昨日、米軍の銃撃によって殺害された。米軍は標的を誤って撃ったのである。父親は今日AFP通信に対して、このように語った。

「21時45分、米軍部隊が、バイクに乗っていた人物を追跡、銃撃した。付近にいたオマーが致命的な傷を負った」と父親は語った。

その少年は、バグダットの北西のバクバから船で渡って来た。彼が亡くなったと発表された病院へは、ヘリコプターで運ばれた。

この地域において米軍部隊は、絶え間なく攻撃を受けてきた。この地域には、シーア派、スンニ派のイスラム教徒が住んでいる。

米軍報道官アントニー・レイノソ氏はバクバにおいて木曜日夜半、手製爆弾と関連して、1人のイラク人がAK47銃を発射し米兵一人が負傷した事件があったと発表した。

少年の死についての情報はなかった。


紹介記事B
“ファラーは米軍に嘆願した。しかし彼女は殺された。”
“Farah tried to plead with the US troops but she was killed anyway”
The Observer Sunday September 7, 2003
http://www.ccmep.org/2003_articles/Iraq/090703_farah_tried_to_plead_with_the_us.htm

無実である2人のイラク人の死は人目を引くものではなく、米軍はそのことをまったく報道していない。しかしピーター・ビューモント氏は、同盟軍の作戦において、人命に対する冷酷な無関心の強まりを反映していると述べている。

殺されたファラー・ファデルさんは18歳だった。米軍兵士は、彼女のアパートの窓に手榴弾を投げ込んだのである。月曜日の早朝、彼女の死はゆっくりとしたものであり、苦しみは長く続いた。彼女の脚は砕かれ、金属片によって彼女の手は焼かれ、穴があいていた。機転の利くこの高校生は、自らの顔を爆弾から保護するために覆っていたことを示していた。

彼女は、激しさを増す事態を沈静化しようと、窓に向かって歩いていた。彼女のアパートに銃弾を浴びせかけている兵士たちに対して、習い立ての英語で嘆願した。

しかしその時、手榴弾が投げ込まれ、ファラーさんは殺された。隣人によると、マーワン・ハッサンさんも殺された。銃撃の開始され、弟を捜索している最中のことである。銃撃戦に巻き込まれたのである。

彼らの死について最も驚かされたことは、殺害した部隊が、同盟軍報道機関に急襲の詳細を記録することすら行っていないことである。その殺害は、明らかに理不尽なものである。先週マームディアで発生した事件を消し去ってはならない。この急襲が、米軍が主導するイラク占領、暴力、明確な説明責任を越えて実行される合法的な急襲についての、陰の側面であっても。

メディアが米軍の死者をカウントしたとしても、サダム政権が崩壊して以降、米軍の手によって殺害されたイラク民間人は、彼らの名前が分からないとしてカウントされてこなかった。

マームディアはバグダットを取り囲む典型的な衛星都市であり、ファラーさんが死んだアパート一角は、そこで見られるごくごく当たり前のものである。椰子と発育の遅い樹木が並んでいる、埃っぽい通りにある。サダムの時代では、ここに住んでいた人々はかなりの富裕層であり、軍事産業省によって運営される工場付近に若い技術者が多く生活していた。彼らは貧困層ではない。しかし彼らは、富裕層といった像を拡大したようなものではない。

米軍が到着した時、隣人が語っていたが、その一角の住民は若い米兵に好意を持っていた。彼らには(米軍部隊と)なんの問題も生じることもなく、子供たちは部隊の軍人たちと遊んでいた。また住民たちは、パトロールが通過するたびに食料を与えていた。

しかし先週の月曜日、それは突如として、血とともに終わった。ファラーさんと彼女の家族が住んでいアパートの一角の外に、米軍が到着してからは。数分間の事態、またその後の数時間の混乱した様子は、壁一面に刻まれている。壁に穴をあけた銃弾の跡は、アパートの前面の右一面に広がっている。あなた方が描き出すことのできる唯一の結論は、ここに男たちが一列に立ち並び、建物に広く(銃弾を)撃ちまくったということである。

私は(部屋の)中に立ち、向かい側からアパートを向いて男たちが立ち並んでいたに違いない地点を凝視した。私は、双方から銃撃があったことを示すコンクリートの小道の上に残された痕跡、向かい合う壁に刻まれた痕跡を見つけることができなかった。ここで起こったことは、一方向だけのことである。(訳注:ここの内容は原文を読んでも分かりにくい。おそらく住民側のは応戦せずに、一方的に米軍がアパートに向かって銃撃を続けたことを示唆していると思われる。)寝静まる家族が多くいた建物に向けて放たれた銃撃の壁である。火薬によって吹き飛ばされたドアロックは焦げており、ドアが蹴破られた際の粉々の木片が飛び散った様子を、さらなる追試は示唆している。全ての証拠は、急襲は、それ以前の多くの場合と同様に、重大な誤りを犯したというである。

住民と地方の警察が我々に語ったことが起こっていた。ファラーさんのいたアパートの内部には、母親と13歳の弟ハーソン君がいた。兵士がドアを叩くや、何の警告も無しにドアを蹴り上げた。混乱し、強盗たちがアパート内に侵入したと思った。ハルーンさんは父親の銃を握りしめ、彼らをおどかすために発射した。外にいた兵士たちはアパートを狙って応戦し、ファラーさんのアパートに向けて手榴弾を投げ込んできた。

無茶苦茶な銃撃の様子は、アパートを訪れた者によって明らかにされた。窓は銃弾によって穴が明いており、台所、寝室の天井、リビングは傷だらけであった。その周囲は破壊されていた。ホッダベイン・トーマさんは屋上にいた。新しい衛星受信用のアンテナを動かそうとしていたのだが、その時、兵士たちがやってきた。「私は銃撃を最初に耳にした。そして爆発が起こった。その時、女性の泣き叫ぶ声が聞こえた。私は、屋根を見わたし、ヘリコプターが上空を飛行している最中、建物に向けて銃撃を行う一列に並んだ兵士たちを見た。すべての射撃は一方向から行われていたように、私には見えた。」

アブダル・アリ・フセインさんはファラーさんの隣のアパートにいたが、「私は銃撃を耳にした時、眠っていた。その時、窓を吹き飛ばした爆発があり、私のアパートは煙に被われた。私は家族を抱きしめながら隣の部屋に移動させ、体で守った。」

「隣人の誰かが助けを必要としていると思い、私は駆けつけた。三つの部屋に駆け込んだ。窓の近くの台所で、ファラーさんが横たわっているのが見えた。彼女は負傷し、火傷を負っていた。まだ生きていた。綿のラップと包帯を抱えながら駆け寄り、彼女の治療を行った。私たちは十分な治療ができず、血が流れ出すのを止めようと頭部の布をはぎ取った。兵士たちは私に叫んだ。“どこにサダム・フェダーインがいるのか”と。彼女が瀕死だったために、兵士たちは連れて出すように命じた。」

私たちが話している間に、頭部が包帯に被われたカサム・ハッサンさんがやって来た。彼の弟は、二番目の犠牲者だった。マーサン・カサムさんは私たちに、どのようにしてマーワンさんが死んだのかを語った。「私が激しい銃撃を耳にした時、友人を訪ね、別の棟のアパートにいた。弟は悩んだが、私を捜しに屋外に飛び出した。弟は武器など持っていなかった。私を見つけだすことができず、建物に戻る最中に米兵が弟を撃った。弟は走り去り、建物の後ろで倒れた。そして死んだ。彼ら(米兵)の中には、一人の通訳がいただけだった。何が起こっていたのか、どうやって分かるのか?」

この話について最も奇妙に思える点は、私がバグダットの米軍報道事務所に訪ねて時に、いかなる急襲における死亡者の記録を見つけだせなかったことである。それはたいへん奇妙なことである。マームディアの警察が私たちに、米軍M.P.(憲兵)がその翌日、遺体を警察所に送り届けた様子、地方の司令官が語った同情の言葉、先月米国本土から到着したばかりの第82空挺師団の部隊が、地方警察を急襲に動員していたこれまでの米軍部隊の政策を翻したことへのイラク警察の不満、これらを語ったのである。

私が赤十字国際委員会の報道官であるナダ・ドーマニィさんと話し合ったとき、あまり困惑しなかった。彼女はかって、赤十字から要請を繰り返し出していたにもかかわらず、急襲における情報はおろか民間人死亡者の情報も得ることができなかったのである。

マームディアで起こったことは困惑するものであるが、今はそうではない。それは意図的な政策ではなく、おそらく(目の行き届かない)心配事なのであろう。作戦中に民間人が殺されたのかどうかについて、米軍の中の大多数に見られる組織全体における関心の欠如を指し示すパターンの一部であろう。それは容易には言えないことだが、イラクにおける米軍のある擁護者が懸念していることと同様に、兵士は疲れ、怯えており、また自らに向けられた、今にも爆発しそうなゲリラ攻撃の圧力にさらされているのである。憤慨を買っている無実のイラク人の殺害に米軍は配慮しない、このことの結果である。

イラク人は、検問所で、夜間の急襲において家で殺害されている。警察官は平和を守るために、米軍に命じるままに銃撃を行ってきた。なるほど、米軍兵士はあまりにも「引き金を引きやす」といった点は、おおいなる怒りを引き起こしている。8月中頃、イラク暫定政府の輪番の首班に就いているイブラハム・アル・ジャフリ氏は、銃撃する前に十分な注意を払う訓練を行うように米軍部隊に求めた。

「私たちが求めることすべてが回答である」とカサム・ハッサンさんは述べた。「私たちが求めているすべては、正義である」。


紹介記事C
“怒れるイラク人は、米軍部隊による誤りを告発する。”
“Angry Iraqis tell of U.S. troops fatal errors”
by KEN DILANIAN and DREW BROWN, Knight Ridder Newspapers Sept. 10th, 2003
http://www.occupationwatch.org/article.php?id=862

米軍部隊が家を包囲し、門を蹴破り、銃撃を始めた時、タリブ・アブダル・ジャバー・アル・サイード医師は11人の親族と共に家にいた。

7月31日の早朝、60分以上にわたって、少なくとも36人の米軍兵士たちは銃を撃ち続けた。英国で教育を受けた外科医は、静かだった家に残された数百の銃弾の痕跡を指し示した。

「その時私は、銃撃をやめるように大声で叫んだ」と62歳のアル・サイード医師は語った。「私はドアを開けた。待ってくれ。」

結局は、とアル・サイード医師は語った。司令部の高官は、彼に謝罪したと。彼らは間違った家を急襲したのである。しかし兵士たちは、ドアを蹴破るやアル・サイード氏を銃床で殴りつけ、押し倒したのである。兵士たちは彼の肋骨を蹴り−X線写真では折れていた−、そしてその他の兵士たちが彼の手をプラスチックの手錠で縛った。彼の妻、姪、甥たちは、隣の部屋で泣き叫んでいた。兵士たちは成人の3人の息子たちを尋問のために捕まえた。息子たちは、イラク北部の監獄に捕らえられたままである。

三週間後にはじめて、彼らはそのことについて尋ねられた。軍報道官は、事件の詳細を調査することはできない、軍がアル・サイード医師の申し立てを検討できるかどうかの判断がつかない、と述べた。

しかし彼の物語は、怒れるイラク人が米軍による痛ましい誤りとして語る多くの話の中の一つに過ぎない。イラク人と国際的な監視の目は、米の軍事作戦−しばしば強圧的な戦闘行為が女性と子供が多くいる家で実行されている−は、無実の人々の数多くの拘束、また殺害を引き起こしていると語っている。しかしながらその数は知られていないのである。

軍は急襲や誤りについてほとんど記録しておらず、かつての敵が存在しなくなったのと同じ早さで、誤った急襲や民間人殺害が新たな敵意を増大させている、このようにイラク人と国際的な監視団(民間)は語っている。

軍高官は誤りがあったことを認めているが、急襲、拘束、偶発的な民間人の死亡者はほとんど無視されているのだが、ゲリラ戦争の厳しい現実であると述べている。

軍高官は、米軍が想像もしなかった軍事的任務の困難に直面していることを指摘している。それは、地元の民衆に入り込む、手強い敵を鎮圧する試みである。

同盟軍の兵士は、一日に平均12回もの攻撃を受けている。狙撃兵が建物から彼らを狙い、歩道橋の上から手榴弾が投げられ、隠された地雷に続く銃撃によって燃え上がる軍車両。

17カ国の同盟軍兵士が、通常の戦争が終了した5月1日以降、敵との交戦によって死亡した。多くのイラク民間人が、ヨルダン大使館、国連事務所、ナジャフの寺院爆破攻撃によって死亡した。

「我が軍は、低強度戦闘の状況下で行動している」と、イラク司令官リカルゴ・サンチェス中将は語った。「米軍は毎日戦闘に遭遇している。駐屯地で、病院で、路上で。彼らは自らを守る備えし、戦闘しているのだ。」

退任する軍報道官であるガイ・シールド中佐は、「我々は、無実の民間人を殺害していることを知っている。それら一つ一つが悲劇である」と付け加えた。

アル・サイード氏の一例は幸運である。彼と家族は生き延びたのだから。

イラク・ボディ・カウントによって最初に編集された報告のナイト・ライダー(Knight Ridder)の再検討結果によると、米軍主導の同盟軍部隊は、通常の戦争が終了した後、少なくとも49人、多くて72人もの民間人非戦闘員を銃撃によって殺害したと見られる。イラク・ボディ・カウントは、米軍を「占領者」とよぶロンドンの研究グループであり、彼らの評価は、通信社と人権団体によって公表されたもの、あるいは放送された報道に基づいている。

米軍は、民間人の死亡者をカウントしていないと述べている。

最近の記者会見におけるこの問題に対する回答としてイラクの行政官ブレーマは、「人命の損失は、誰にとっても悲しいことであるが、その数は本当に少ない」と述べた。

この主張の基礎についての疑問が出された時、ブレーマは、同盟軍部隊が何人の民間人を殺害したのかについて言えないことを認めた。

それは、多くのイラク人にとって痛みをともなった皮肉である。米国人の文官が民主主義の価値と人権の尊重をについて彼らに教えようとしても、重武装の米軍兵士が彼らの家に押し入り、民衆を拘束し、誤って彼らを殺害している。これらすべてに対して公の説明責任もなく、法的な再調査は行われない。

「それは毎日おなじシナリオです」と、バグダットに拠点を構える“占領監視団”(Occupation Watch)の責任者であるエマン・アーメド・カーマス氏は語った。「民間人犠牲者の数は増大しています。しかし、統計はありません」。

ここ二、三ヶ月にわたって、事件の数は徐々に明らかになってきている。

*バグダット北部マームディア,9月1日。米軍部隊が18歳の女性を殺害。急襲において家に手榴弾を投げ込む。

*バグダット監獄付近,8月17日。ロイター通信社の記者が殺害された。米軍部隊は、記者が持っていたテレビカメラをロケットランチャーと勘違いし、殺害。

*バグダット,8月9日。犯罪者を追跡していた制服を着用していた2人のイラク人警察官が撃たれる。

*バグダット,スラーク地区,8月7日。8歳の少女とその家族を含む5人が銃で撃たれる。夜間の急襲において、警戒線もない米軍の検問所に進入しようとしたため。

*バグダット、8月1日。6人の子供の母親が銃撃され、殺害される。米軍が攻撃をしかけた地点付近で、乗っていた車が故障した際に巻き込まれる。

*バグダット,マンスール地区,7月28日。急襲時、不明瞭な警戒線内に進入した5人が銃撃を受け、殺害される。

すべてのケースにおいて、米軍兵士は規則通りに行動していたと軍高官は述べている。それによると、兵士は身の危険を感じたときに、銃撃することを容認している。犠牲となった家族の一部への補償が増大している交通検問所において多発する死亡者を懸念していると、高官は語った。

同盟軍報道官マイク・フライエル大尉は、戦争が始まった4月以降、同盟軍は誤って殺害した9つのケースにつき総額6万6000ドルを親族に支払ったと語った。誤って殺害した総数74ケースが登録されており、残りは未だに調査中であると、彼は語った。

フライエル大尉は、支払った要求についての詳細な調査のさらなる必要性について回答しなかった。

指揮官たちは、家を急襲し、住民を拘束する際、ここ数週間さらに慎重に実施するようになっていると語った。

大半が弁護士や親族に会うことも許されない5500人もの人々が拘束されている事実を、軍は発表している。

その中には、アル・サイード医師の息子も含まれる。母親たちは最近の訪問において、拘束された者たちが尋問を受けることもなく、また何を疑われているのか、いつになったら解放されるのかについて、まったく教えられていないことを語っていた。軍の高官は、これらの質問に対して回答していない。

同盟軍兵士たちが、無実の民間人を意図的に標的にしている証拠はない。本質的には、批判者が語っていることは、一部の兵士たちがゲリラ戦争の闘いの複雑な側面によって強圧的になっているということである。

戦争における主要な戦闘を担い、その後バグダットを支配している第3歩兵師団の高官は、
4月終わりから陸軍用「学習すべき教訓」と題した報告において、兵士たちの重荷を叙述している。

「彼ら(兵士たち)は、自らを守るために敵を殺すこと、交戦することからの転換を求められた。そして再び殺害を始めた」と彼は記述している。「普通の兵士にとっては、常に変化する心理状態は、たいへん面倒なものである。兵士たちは、戦闘規則を良く分かっておらず、また混乱している。それは、検問所やパトロールに際して、防衛力についての疑問を常に生じさせている。兵士たちが正確に、交戦規則がどのようなものなのか、知っているだろうか?」

彼はさらに付け加えている。「民間人の服装をした浅黒い肌を持つ人々との戦闘を遂行する兵士たちは、民間人の服装をした浅黒い肌の人々を信用することは難しい。」

イラク人と国際監視団の間で最も共通している不満は、民間人居住区において兵士たちはいとも簡単に銃撃を行うといったことである。兵士たちは、誤った情報に基づき急襲を実施し、識別しにくい検問所を設置し、止まらずに接近する車に警告もなしに銃撃している。

最悪の事件の多くは、バグダットで発生している。それは第1武装師団によるパトロール下で起こっており、その部隊は、警察業務ではなく戦車戦の訓練を受けているのである。

国家安全保障の研究を目的としたワシントンにある研究機関である「戦略・国際問題研究センター」の軍事専門家であるアントニー・コーデスマン氏は、イラクにいる大半の米軍部隊は、対ゲリラ戦争の訓練を十分に受けていないことを指摘している。

「一部は、不可欠なものである」と彼は語っている。「あなたが多くの経験を積んでいない若い男性、女性であるならば、過剰に行動する。」

先月サンチェス司令官は、急襲の一部である軍事的「鉄の拳作戦(iron-fisted tactics)」と彼が名付たものへの懸念を表明した。まず第一に目標地点を包囲し、ドアをノックし、捜索の許可を求めると、中将は語った。

しかし軍高官は、同盟軍兵士はいまだにドアを蹴破り、銃撃しながら突入しているのであると語っている。兵士たちはそのことが必要であると見ているのである。

高官は、個人の家に急襲を仕掛けるとき、どのようにして使用兵力を決めるのかを説明することを拒否した。ただ、「情報に基づいている」と言っただけであった。しかし急襲は、一つの情報元によって実行され、そして「不幸にも」、不発に終わる急襲も存在すると、ニコル・トンプソン報道官は最近語っている。「時には、そのようなケースに遭遇する。ほら、こいつはあいつが嫌いなのだ。彼は電話を利用している。」

誤って急襲を受けた家、あるいは身内を殺されたり、命運を告げられることなく長期にわたって拘束された者たちにとってその作戦は、サダム・フセインの下で頻繁に行われたことと区別はないであろう。

「私はこのことが起こるまでは、米国人のことが好きでした」とアル・サイード医師は語った。「しかし今は彼らを憎んでいます。かつて、私は学ぶためにすべての息子たちを米国に行かせたかった。しかし今や息子たちを行かせる選択肢はない。これが私たちに約束した自由なのか?民主主義なのか?」

ザハラ・カリッド・サブリさん−多くの親族、友人、隣人−は、同じような疑問を問うている。

「米軍は彼を私の目の前で殺した」と、サブリさんはすすり泣きながら語った。その日彼女の親族の男性が、夫を死体安置所から持ち帰った。「私は彼にキスをしようとしましたが、彼らはそうさせませんでした。」

彼女の家は、200人を越える哀悼者であふれた。彼らは怒り、米軍がドアを蹴破った8月11日午前1時に何があったのかを訪問者に語った。それは、サンチェスが戦術を変更すると確約してから4日後であった。

2階には、いまだに銃弾の穴がベッドルームに見られる。マットレスの上には、深紅の血のしみが残されている。黒いスカーフをまとった女性たちが泣き叫んでおり、男性は険しい目つきでそれを凝視していた。

サブリさんは結婚1周年記念を祝った後、夫である23歳のファリッド・アブダル・カヒルさんとともに寝室にいたと語った。彼女は、屋外の大きな音を聞いた。カヒルさんは、略奪者に家を攻撃されたと思い、ベッドの下のライフル銃を取り出し、窓から撃ち始めた。ほとんどのイラク人は、家に一丁の火器を所有しており、

兵士たちは階段を駆け上がり、少なくとも7発を、閉じられた寝室に撃った。銃撃の痕跡は、カヒルさんの脚と胴に命中したことを示していたと、サブリさんは語った。兵士は彼を病院まで運び込んだ。そこで彼は息を引き取った。その翌日、他の兵士たちが家を訪れ、銃弾を回収したと親族は語った。

米軍兵士に同行した通訳は彼らに、ある通報者がカヒルさんのことを反同盟軍の戦士であると密告したと告げた。

「私たちは決して、米国人に反抗するようなことをしていません。決して。」と急襲があった時、屋根で寝ていた16歳のアリ・ハリドさんは語った。

軍の高官は、この事件に関する再三のコメントの要求に対して回答しなかった。

「どうか、何があったのかを、世界に伝えて下さい」とハリッドさんの妹は語った。「彼は、彼らと共に去るのでしょう。なぜ彼らはこのような行為を行うのですか。なぜ?」

(Dilanian reports for The Philadelphia Inquirer.)



●9月1日(166日目)−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

(www.washingtonpost.comより)
 8月19日の国連事務所爆破事件以降も、大きな事件が相次いで発生した。イラク北部ではクルド人とトルクメン人が衝突し、12人もの死者が出た。またナジャフでは「イラク・イスラム革命最高評議会」(SCIRI)を狙った爆弾テロ事件が発生し、100人を越える死者が出ている。イラク各地において米軍の「掃討作戦」は継続されており、多くのイラク民衆が犠牲となっている。侵略戦争開始からまもなく半年が経過しようとしているが、民族間の対立、宗派間(派閥間)、地域対立等、諸々の対立が米英の軍事占領の行き詰まりとともに先鋭化している。国連による人道支援活動も先の爆破事件を受け、重大な停滞を余儀なくされている。新たなイラク人犠牲者が生み出され、苦しみにあえぐ民衆への人道支援もままならない。もはや米英占領軍が、イラクを統治する能力を持たないことは明らかである。そもそも彼らには、明確なイラク統治のビジョンはなかったのだ。イラクを取り巻く現在の状況は、戦端を開く前から懸念されていた事である。
 また占領軍兵士の犠牲も相次いでいる。犠牲者=死亡者が取りあげられることが多いが、9月1日のワシントンポスト(電子版)には、拡大の一途をたどる負傷者した米兵士の問題が取りあげられた。すでに1100人を越える負傷者が出ているという。イラク民衆の抵抗の強まりを反映し、8月に入ってからの米兵士の負傷者は急増しているという。米本土の陸軍病院では、イラクで負傷した従軍兵士で溢れかえっているという。新たなイラク民衆の犠牲を生み出さないためにも、大統領とその側近たち、一部の独占企業によって戦場に送り込まれた兵士たちの犠牲を増やさないためにも、イラク占領軍は即刻撤退するしか道はない。
 今回の被害記録では、これまでとりあげることの出来なかった問題を紹介したい。一つ目が、今イラクで芽生えている労働組合結成の動きとそれを弾圧する占領軍当局に関するものである。イラクでは、戦争によって数百万にの失業者が生み出された。彼らは職場こそないが、組合を立ち上げ占領軍当局に職を要求している。その彼らを米英占領当局は弾圧しているのである。二つ目が、軍事占領下で暴利を貪る米系企業の実態に関してである。紹介する記事の中では、一例としてハリバートン社が取り上げられている。ハリバートン社などの一部の米系企業が米政権と結びき、復興ビジネスから私たちが想像する以上に大きな利益を上げていることを、記事は告発している。これらの問題についても、今後継続してとり上げていきたい。


○民間人犠牲者数をめぐって 犠牲者数をひた隠しにする米英占領軍当局
 民間人犠牲者をめぐる驚くべき事実が判明した。イラク保健省は、北部のクルド人自治区を除く14州とバグダッドの計143の病院における民間人犠牲者を調査していた。明らかになったのは4州とバグダットの一部の地域のみであったが、民間人犠牲者は1500人を越えており、ショッキングな結果であった。なんと連合軍暫定当局(CPA)はイラク保健省に対して、この結果を公表しないように圧力をかけていたというのである。米軍はこれまで一貫して、「戦争犠牲者は少ない」と宣言してきた。しかし、イラクの公的機関によって民間人犠牲者の実態が明らかにされ、自らの戦争犯罪が白日の下にさらされることを恐れたのであろう。明らかになった保健省の集計結果は一部にとどまっている。全ての調査結果が明らかになれば、民間人犠牲者の総数は5000人を越えると見られている。この数値は、“イラク・ボディ・カウント”による民間人犠牲者総数の評価(9月はじめ:最小6118人,最大7836人)に近いものである。イラクの政府関連組織の調査によって民間人犠牲者総数が明らかにされる意義は巨大である。しかしイラク保健省は、最終結果を公表する予定はないという。米英占領軍に配慮してのことであろうか。米英政府、連合軍暫定当局による真相究明の妨害を許さず、彼らの戦争犯罪を暴き出していかなければならない。

記事抜粋 
“米軍政当局が非公表指示 イラク戦争の民間犠牲者数  一部地域だけで1500人”
共同通信 2003年8月27日
http://news.kyodo.co.jp/kyodonews/2003/iraq2/news/0827-1554.html

・イラク戦争中の民間人死者数を集計しているイラク保健省に対し、イラクを占領統治する米国主導の連合軍暫定当局(CPA)が最終集計結果を公表しないよう指示していたことが二十七日、明らかになった。米軍への批判が噴出することを懸念、圧力をかけているとみられる。
・イラク戦争開戦後の一カ月間の民間人死者数は、保健省の最新の集計結果で、イラクの一部地域だけの合計で千五百人を超えることが分かった。しかし、保健省当局者は「(最終的な)死者数はさらに増えると思うが、CPAの指示で公表できない」としている。
・保健省は七月中旬、北部のクルド人自治区を除く十四州とバグダッドにある計百四十三の病院に、三月二十日の開戦から一カ月間の死者の名前や死亡日時などの詳細な情報を八月十六日までに提出するよう指示。そのうちの四州とバグダッド東部地区の死者数が共同通信の取材で判明した。内訳はバグダッド東部地区四百四十四人、激戦のあったナシリヤのある南部のディカル州六百九十四人、西部のアンバル州二百二十六人、南部のムサンナ州百五人、中部のディヤラ州三十四人。
・激戦地となった南部のバスラ、中部のナジャフ、カルバラや空爆で多数の死者が出たバグダッド西部地区などは含まれておらず、全体の死者数がこの数倍に上ることは確実とみられる。保健省は他の州の記録も集計中だが、最終結果を公表する予定はないとしている。
(以上)


○占領軍による民間人虐殺・虐待
 今なお米軍は、イラクの各地でサダム“捕捉作戦”、抵抗勢力の“掃討作戦”を展開している。増大する米軍兵士の犠牲とともに「作戦」の規模は拡大し、やり方はより野蛮、凄惨なものとなっているようである。その中で多くのイラク民衆が拘束され、また殺害されているはずだ。このような占領軍に対して、イラク民衆はさらに反発を高めている。しかし「作戦」の実態はなかなか伝わってこない。短い記事ではあるが、ロイター通信が最近の米軍の作戦の一端を伝えた。

記事紹介
“スンニ・トライアングルで急襲を繰り広げる米軍”
“U.S. Troops Raid Homes in Iraq's 'Sunni Triangle' ” Tue August 26, 2003
ロイター通信 By Andrew Marshall      
http://reuters.com/newsArticle.jhtml?type=topNews&storyID=3335497

バグダット(ロイター)−ゲリラと犯罪者狩りを進める米軍部隊は真夜中、抵抗するイラクの“スンニ・トライアングル”にある家屋を急襲した。(米)陸軍は火曜日にこのように語った。北部地域における異なる民族、南部におけるシーア派内部の派閥、これらの間における緊張が爆発しそうな中、作戦は行われた。

月曜日の夜間、兵士数百人が罪をとわれているギャング捜索を目的にバグダット北方のカリス周辺の家屋を急襲したと、米第4歩兵師団は語った。

米軍部隊は、サダム・フセインの出身地であるティクリット周辺のイラク・スンニ派教徒の中心地に対する数多くの急襲をこれまで実施してきた。目的は、逃亡中の元独裁者、彼に付き従う副官、そして5月1日以来64人の米軍兵士を殺害しているゲリラを捜索することである。

先週米軍当局は、サダムの最大の支援者の二人の捕捉を公表した。−“ケミカル・アリ”と呼ばれたハッサン・アル・マジドと元副大統領であったタハ・ヤシン・ラマダンである。しかしサダム自身は依然として逃亡中である。彼の首に2500万ドルの価格を付けているにもかかわらず。

ティクリットにある、かつてのサダム宮殿の一つに拠点を置く米軍の高官たちは、退陣した大統領は捕捉を避けるために、数時間おきに変装しながら居場所を変えていると見られると語った。

相次ぐゲリラの待ち伏せ、また23人が死亡したバグダットの国連事務所へのトラック爆弾による破壊、これらの出来事により、国連のさらなる役割と地上部隊の導入を求める声が高まっている。

しかし国防長官ラムズフェルドは火曜日、(派遣)部隊の規模は適正であると述べた。必要になった場合、部隊を支援する提案をためらうことはないだろうが。

英国ならびにその他の国々の2万人の部隊と共に、イラクに約13万6千人の部隊を派遣している米国は、サダム・ロイヤリストといわゆる国外テロリストによる自軍や他の標的への攻撃を非難している。

派閥争い
ゲリラの攻撃は、バグダットとその北部と東部−スンニ・トライアングル−に集中している。

しかしながら、緊張化は、サダムによって多くが迫害され、彼の陥落を歓迎したイラク南部のシーア派の地域にも拡大している。

聖都ナジャフでは、日曜日の爆弾攻撃によって3人のボディーガードが死亡し、イラクにおけるイスラム革命最高評議会(SCIRI)の指導者の叔父にあたる最高位の聖職者が負傷した。主要なシーア派の一組織であるSCIRIは、ワシントンとの協力に関して批判されてきた。

月曜日、数千人のシーア派教徒が抗議行動を行い復讐を誓った。ある者たちは、イラク占領を非難してきたモクタダ・アル・サドル師の支持者たちに非難の目を向けた。しかしサドル師のグループは関与を否定している。

ナジャフにおける権力闘争はイラクの将来にの鍵になる。シーア派の多数派は権力に近づこうとしている。サダムが追放された4月9日以後、多くの指導者が亡命地から戻ってきた。

イラク北部では先週、クルド人とトルクメン人との間のいざこざが衝突に発展した。キルクークとその周辺における民族衝突によって、少なくとも12人が死亡した。

イラクにおけるオスマントルコの支配の名残であるトルコ語を話すグループのトルクメン人は、クルド人たちが支配権を獲得しその他の住民を抑圧するために地域に戻ってきたと非難している。クルド人、トルクメン人の双方とも、戦略的石油埋蔵地域をアラブ化しようとしていたサダム下において抑圧されてきたと主張いる。

イラクの石油産業は国家復興に欠かせないが、電力不足と破壊活動によって甚大な被害を被っている。今月、トルコへの主要なパイプラインは戦後はじめて再開されたが、その直後に攻撃を受け遮断された。

「明らかに状況は漸進的に変化している。我々が石油部門で何か修繕して正常運転の状態に戻す度、誰かやって来てそれを台無しにする傾向にある。」と、米陸軍工兵隊のマイケル・メレ氏はワシントンにおけるイラク復興会議の場で語った。


○労働組合を弾圧する占領軍
 混乱を極めるイラクには、400万人にものぼる失業者が存在すると見られている。バグダットにおける失業率は50%を越えているようだ。彼らを路頭に迷わせている全責任は、戦争を仕掛け、軍事支配を今なお継続する米英にある。彼らこそが、イラク人労働者の職場を破壊した張本人である。今イラクでは、失業した労働者が団結し、組合の結成に向けて動き出しているという。団結して占領当局に向けて仕事を要求するためである。しかし抗議する労働者に対して占領当局は、容赦ない弾圧、逮捕を繰り広げている。治安悪化を放置しても(認められても)、労働者による抗議行動は許さないというのである。またイラク復興需要に群がる米系企業は、受注した事業からイラク人を排除する等、様々なやり方でイラク人労働者に敵対しているという。組合に集う労働者は、世界の労働運動、例えば“戦争に反対する米国労働者”(USLAW)と連帯しつつ、非民主的的弾圧を続ける米英占領軍当局との闘いを継続している。

紹介記事
“今イラクでは、労働者の抗議行動は犯罪である。”
“In Iraq, Labor Protest is a Crime”
Portside, 24 August 2003
http://globalresearch.ca/articles/BAC308A.html

イラクの法律は混乱しているかもしれない。バグダットの通りには、逮捕されることがないと信じている泥棒と強盗であふれているだろう。しかし米占領軍当局にとっては、少なくともある一つの犯罪を特定することは困難なことではないらしい。イラクにおける失業中の400万人にとって抗議行動は、法に反することなのである。

7月29日、新たに登場したイラクの労働運動の指導者、カセム・マディ氏を、イラクの米占領軍は逮捕した。失業者組合のその他の20人とともに。組合活動家は、米占領軍当局による失業中のイラク人労働者への処遇への抗議の座り込みを指導してきた。また事実、国家再建の事業契約は、そのほとんどが米企業に与えられてきた。

アブ・ナワス通りに立てられた旧い銀行の前に数百人者失業者が集まるや、抗議行動が始まった。そこから占領当局者たちが陣取る事務所に向けて行進が始まった。抗議行動の目撃者であるカナダのイラク連帯プロジェクト(Iraq Solidarity Projec)のメンバーであるゼヒラ・ホウファニ氏によれば、過去の同じような抗議行動に参加した労働者は、通常この地点で解散していたという。マジ氏はホウファニ氏に続けて語った。「占領軍の代理人は私たちと面会し、話し合いをしてきた。そして問題の解決を約束した。しかし毎回、彼らの約束は果たされることなく、再び路上に立つことになった」と。

今回彼らは、米軍当局者に圧力をかける決定を下した。メキシコからフィリピンにいたる昔ながらの労働者の伝統として、彼らは評議会の門の外に組合旗を掲げ、キャンプのためのテントを張った。警備に就いていた米兵は解散するように彼らに命じたが、労働者は拒絶した。夜がおとずれた。そして早朝、兵士たちが引き返しやって来て、21人の抗議行動参加者を逮捕した。兵士たちが朝まで留まっていた建家の中に、彼らを連れ込んだ。

逮捕された58歳の年老いた労働組合委員であるアリ・ドゥジャフリィ氏は、その経験は「とても屈辱的だった。占領の期間のその他とは比較できないくらい」と彼は語った。「米軍兵士に対する私の敵意は強まった。」

バグダットのような都市では、失業率は50%を越えている。マディ氏は、400万人ものイラク人が仕事を失ったと見積もっている。前政権に雇用されていた公共部門における大半の労働者は、戦争後に職を失った。その多くは健康・医療から教育にいたるサービスを受けていたが、いまだに回復されていない。労働者に支払うお金も、イラク政府が彼らを雇用するお金もない。バグダット占領に引き続いた略奪の中、彼らの失業率の記録のみが上昇しているのである。

さらに多くの人々が、前政府関連の企業で働いていた。その多くが閉鎖されてしまった。占領当局は、かっての巨大な経済部門を民営化する計画を公表した。

そのすべてに、極度の経済危機に直面する多くの労働者の家族が加わる。失業中の労働者のための新たな組合は急速に成長しており、ついには最大の労働組織をなっている。

同時に外国企業の契約の問題は、イラク人労働者にとって火花を散らす論争となっている。なぜならば米系企業は、契約の下、(獲得したしごとに)従事する労働者を連れてくるからである。例えば米系の巨大建設企業であケロッグ・ブラウン・アンド・ルーツ社(Kelloggg, Brown and Root=KBR)の下請けであるクウェート系企業は、バスラの港湾の修復と再建業務のためにアジア系労働者を連れてきたことが確認されている。その結果、熟練のイラク人労働者は遊ぶ以外にはないのである。

カセム・マジ氏とその他の労働組合の指導者は、このような差別に対して座り込みの抗議を呼びかけている。彼らが仕事を得るか、失業手当を受け取るまで抗議行動を継続するであろう。しかし占領当局は問題を解決しようとはせずに、彼らを逮捕したのである。米国労働総同盟・産別会議(AFL-CIO)もメンバーである国際自由労連(International Confederation of Free Trade Unions)をはじめとする国際労働者組織は、イラク労働者に対する無惨な仕打ちを批判している。「労働者の権利を擁護は、その中には結社の自由も含まれる民主イラク建設の中心であり、持続的経済と社会発展を約束するものである」と、国際自由労連は5月30日に声明を出した。「民主主義は根幹である。自由選挙を必要とする。それを保証する助けとなる民主的労働組合は大衆の基盤であり、それを守るものである。民主主義の学校のようなものである。」

アラブ系の労働組合員は、労働者に対する占領軍の影響をさらに強く批判している。国際連帯アラブ労働組合の議長であるハセム・ドジェマン氏は、「戦争は容易に民営化を進めるであろう。まずはじめにあなたたちは社会を破壊し、それを再建する企業を導き入れようとしているのだから」。イラク人労働者は必ず、彼らが選択した組合を作り上げなければならないことを、彼は強調した。

不幸なことに、ブッシュ政権によってイラクにおける業務契約を認められた企業は、組合潰しと労働の諸権利の破壊の長年の記録を持っている。5月には、戦争に反対する米労働者の国家的連帯組織であるアミー・ニューウェル(Amy Newell)とMonterey/Santa Cruz Central Labor Councilの前代表はジュネーブに出向き、国際労働組織に対して、その中の18企業の記録に注目することを求めた報告書を提出した。

“戦争に反対する米国労働者”(USLAW)は労働組合のネットワークであり、イラクに対する米国の政策に反対する異なる労働者間の組織である。その組織は、米政府が国内の社会計画でのサービスカットと一体となって膨張し続ける軍事予算に投資していることを非難している。その組織は、3月20日に侵略に先立つ数多くの抗議行動から成長を遂げた。その日、おおよそ1/3の米国の全ての組織された労働者が戦争に反対したことが記録されている。その時AFL-CIOもまた、ブッシュ政権のイラク政策に対して公然と反対した。

ジュネーブで作られた報告書の中で問題にされた企業を次にあげた。
Stevedoring Services of America:SSAは西岸沿岸部の労働者をロックアウトしたPacific Coast shippersの昨年の骨折りのリーダーである。国際港湾労組(International Longshore and Warehouse)を脅かし、沿岸における合意を破り、ドックに部隊を導き入れるようとするブッシュ政権と共に活動してきた。国際港湾労組のスポークスマンであるスティーブ・スタローン氏はSSAを、「イデオロギー的に反組合的であり、反国際港湾労組」とみなした。

MCI Worldcom:ワールドコム社は、労働者が組合の組織化の取り組みに敵対してきた長年の歴史を持っている。収益110億ドルもの粉飾決算の後、2002年に倒産を宣言した。その結果、多くの退職後の蓄えが完全に消え去り、それは公的年金基金における26億ドルに相当する。米証券取引所から違法取引による5億ドルの罰金を課せられた後、イラク契約を受注した。

大きな契約を受注した18社の中8社は組合を持たない企業である。その中のほとんどは、組合組織化への取り組みに敵対した歴史を持っている。

“戦争に反対する米国労働者”(USLAW)の報告は、企業侵略の社会的責任の実績をとりあげている。企業腐敗と収賄(ハリバートン社はかっての社長であった副大統領ディック・チェイニーに毎年100万ドルを支払っている)、傭兵の組織化(Dyncorp/Computer Sciences Corp)、フセイン政権から南アフリカのかってのアパルトヘイト政権にいたる圧制的政府とともにあった企業の数年間(再びハリバートン社、サンフランシスコベクテル社、Fluor Corp.)、これら長きにわたる歴史を垣間見ることができる。

「フセイン政権下の抑圧に先だちイラク人たちは、活気があり、幅広い層を代表していた労働運動を楽しんでいた」と報告している。[フセイン以前の政府は、CIAによって組織化された1956年のクーデターにおいて倒された。]「その遺産は、組織化、交渉、ストライキの自由のための温床を提供した。しかしながら占領軍は、労働、環境、そして人権の妨害の記録を打ち立てた企業とともにイラクに侵入してきた。これらの企業はブッシュ政権によって選ばれたのである。アメリカの現代史上、最も強力な反労働者、組合への敵対してきた企業である。これはイラクにおける労働者の権利の尊重への前兆ではない。」

「バグダットにおける先月のマジ氏と失業者の逮捕がなんらかの兆候であるならば、十分に警戒しなければならない。」


○軍事占領下で暴利を貪る米系企業 ハリバートン社
 7月、郵便物の配送中に襲撃を受け、イラクに進出した民間人がはじめて殺害された事件が発生した。犠牲者はハリバートン社の社員であった。今やハリバートン社は、「その子会社であるKBR社を通して、陸軍基地を建設運営、イラク大量破壊兵器の査察を行う1200名の情報将校の兵站支援、手紙の輸送から何万もの温かい食事の製造」を担っているのである。そして「肩に民間人の肩章のついた陸軍の作業着を着用し、ハリバートン社の従業員や契約社員はイラクの陸軍軍隊生活に不可欠な一部分となっている」(引用は紹介記事から)。紹介記事は、1985年、「LOGCAP」の名で民間企業への後方支援、兵站支援の委託プロジェクトが始まってから戦争ビジネスに深く関与してきたハリバートン社が、イラク戦争とその軍事占領において、私たちの想像以上に巨大の利益を独占している実態を告発している。イラクの復興需要は結局のところ、米系企業への「くれてやり」であり、決してイラクを復興させ、民衆を助けるものではないのである。


“ハリバートン社の取引は、想像以上に大きい。”
“Halliburton’s Deals Greater Than Thought”
Published on Thursday, August 28, 2003 by the Washington Post
http://www.ccmep.org/2003_articles/Iraq/082703_halliburton.htm

新たに入手可能となった文書によると、チェイニー副大統領が以前にトップを務めていた企業であるハリバートン社は、「イラクの自由作戦」で17億ドル以上に相当する契約を獲得しており、アメリカ陸軍工兵隊が与えた競争入札のない契約によって数億ドルを越える利益を得ている。

イラク戦争と関連したハリバートン社が請け負った政府契約の規模と範囲は、以前公表されたよりも明らかに巨大であり、兵站支援の計画を実行するために米陸軍が営利法人に対しての依存度を高めていることを実証している。米軍をイラクに駐留させる経費月額39億ドルの三分の一とほぼ同じ額が、独立した請負会社に渡っていると独立系の専門家らは見積っている。

子会社であるKBR社を通してハリバートン社が行う業務は、陸軍基地を建設運営、イラク大量破壊兵器の査察を行う1200名の情報将校の兵站支援、手紙の輸送から何万もの温かい食事の製造までを含む。しばしば肩に民間人の肩章のついた陸軍の作業着を着用し、ハリバートン社の従業員や契約社員はイラクの陸軍軍隊生活に不可欠な一部分となっている。

陸軍統合軍需品司令部(Army Joint Munitions Command)が描いた集計表は、ペンタゴンがアメリカ主導の戦争と占領に対して命名した「イラクの自由作戦」に関連する契約として8月中旬までに、およそ10億ドルがKBR社に配分されたことを示している。そしてさらにその企業が、米陸軍工兵隊に対して行った油田復旧工事の初期工程によっておよそ7億5百万ドルの利益を出していると、工兵隊の広報担当者は語っている。

「イラクの自由作戦」下でその子会社に割り当てられた特別な仕事の発注は、クウェートにおける前線基地の運営の1億4200万ドル、イラク再建活動の兵站支援の1億7000万ドル、そして戦時基地の刑務所建設の2800万ドルを含むと、陸軍の集計表は示す。その企業はまた、ペンタゴンが以前公けにその存在を認めていなかったジョーダンの前線基地の建設運営で3900万ドルを配分されている。

過去10年間にわたって、その名目をパイプラインと油井の提供としているヒューストンに本拠を置くハリバートン社は、自社を海外での数多くの作戦支援を外注に出すために連邦政府によるますます加速している動向を巧みに利用する立場に身を置いてきた。それは、イラクにおいて、もっとも大きな単独の政府契約企業として浮上している。そして、米国際開発局の復興契約において数億ドルを得たカルフォルニアの技術企業であるベクテル社や新イラク警察を訓練しているバージニアのダインコープ社(DynCorp)のような企業がそれに続いている。

陸軍経費におけるアウトバックと武力に非常なニーズを置いていた冷戦の終わりから絶え間なく続く戦争よって、その実行は弾みをつけられてきたと政府は言った。

しかし、カリフォルニア州民主党ヘンリー・A・ワックスマン下院議員や他の評論家らによると、イラク戦争とその後の占領は、一握りの企業に有効な政治的なコネを提供しているという。特にハリバートン社には前例を見ない金儲けの機会を提供しているというのである。「(ハリバートン社が稼ぎ出した)金額は、私たちが当初信じ込まされていたものよりもはるかに多額の、非常に莫大なのです。」ワックスマン議員は言う。「これは、この行政の下でのはっきりとした傾向です。それは私と関係があります。なぜなら、しばしば政府のサービスの不足が結局、納税者に負担減どころかもっと多くの金銭的負担をかけるからです。」

ハリバートン社の広報担当者ウエンディ・ホール氏は、イラクにおける会社の活動の詳細を討議することや、陸軍に代わって請負った仕事から会社が得た金額の見積もりを公表することも、しないことも拒否した(訳注:曖昧な態度に終始しているという意味)。しかしながら、e-mailの伝達文のなかで彼女は、戦争の暴利をむさぼっているとの示唆は「すべての勤勉な公明正大なハリバートン社の従業員全てに対する侮辱」であると述べている。

ホール氏は、陸軍契約は「政治家でなく、厳しいガイドラインに基づいて、政府の公務員によって」割当てられたものだと付け加えた。

陸軍統合軍需品司令部の広報担当者であるダニエル・カールソン氏は、KBR社が海外にアメリカ軍を配備する場合、陸軍に対して広範な「有事」サービスを提供するための2001年の競争入札を勝ち取ったと語っている。彼は、米軍兵站文民統合プログラム(Logistics Civil Augmentation Program)またはLOGCAPとして知られる契約は、制服を着た個人を戦闘義務から解放するために企画され、他の請負人らと取り決めを行うことを妨げるものではないと述べた。

カールソン氏は、KBR社に割り当てられた金は見積もりであり、行った業務によって「上下」するものだと述べた。  

統合軍需品司令部はワシントンポストに、今月のはじめのワックスマン議員に対してリリースした最新版の集計表を提供した。「イラクの自由作戦」の下、KBR社に対して義務を負った詳細な資金評価を与えている。イラクからの企業収益の評価は、2月以来着実に増大している。陸軍工兵隊がこの地域における消火のため機材を事前に集積するための3750万ドルの契約を勝ち取ったことを公表した。

陸軍関係者によると、イラクにおける契約に加えてKBR社は、アフガニスタンにおけるテロに対する戦争、戦闘作戦の軍事作戦の名前である「限りなき自由作戦」から1億8300万ドルをすでに儲けているという。

ハリバートンにおけるワックスマン議員の関心は、70億ドルを上限とするイラク油井における消火活動に対する入札なしの契約を与えられた点にある。それは陸軍工兵隊の3月の発表によって火を付けられた。工兵隊のスポークスマンは、その作戦が機密扱いの作戦の一部であり、その業務のための競争入札を確保する時間は陸軍にはなかったことを理由に、入札が行われなかったことを正当化している。

石油の復興作業は10年間にわたる一年更新であるLAGCOP契約の一部であると、それらの企業は述べている。LOGCAPの下に割り当てられている個々の業務の発注は、競争入札なければならないとはなっていない。しかしワックスマン議員とその他の批判者は、石油業務は後方支援の作戦に関係ないと主張している。

一社契約に基づき巨大な一連の兵站支援を委託するやり方は、1991年の湾岸戦争の余波とチェイニーによって委託された研究にさかのぼることができる。その時防衛長官は、軍事の外部委託を進めていた。ペンタゴンは研究を進めるためにKBR社を抜擢し、自らの計画を遂行するために引き続きその企業を選んだ。KBR社の親会社であるハリバートン社のCEに1995年から200年の間、チェイニーは就任していた。副大統領に就くや辞任したが。

その当時、ブルッキングス研究所の学者であり“企業戦争:軍事産業の私有化の勃発(Corporate Warriors:The Rise of the Privatize Military Industory)”の著者であるP.W.シンガー(Singer)氏は、軍事契約ビジネスがどれほど儲かるのかを予見することが出来なかった。イラクにおける2万、あるいは10人の兵士につき1人に相当する契約社員数を彼は見積もっていた。湾岸戦争に期間、その比率は100人に約1人であった。

「イラクの自由作戦」からのKBR社の収益は、バルカン半島における契約からの収益にすでに匹敵しており、またそれは、過去一年間における50%のシェアを占めるハリバートン社の主要な増大要素をなっている。このように産業アナリストは見ている。この年の第二四半期では、2600万ドルの純利益が報告されている。それとは逆に、昨年の同期比は4億9800万ドルの赤字であった。

ゼネラル会計事務所によると、KBR社はイラクの油田復興への入札無しの陸軍工兵隊との契約によって「数億ドルを越える」儲けをあげたようだと、ワックスマン議員に近い筋は語っている。上院の政府改革委員会の少数派のメンバーに位置しているワックスマン議員は、会計検査院に対して契約を離れて入札が行わない企業の決定を調査するように求めた。

実りの無い一連の公表の後、その企業は、KBR社の単独受注は競争入札契約によって取って替わられるであろうとの見通しを語った。しかし競争結果の公表の締め切り期日は、8月から10月にずらされた。競争相手の企業がもはやほとんどの業務が残されていないと苦情を申し立てたためである。ハリバートン社の主要なライバルであるベクテル社は今月、もはや企業入札はなく、代わりにイラク石油省からの事業の引き受けに狙いを絞るであろうと述べている。

陸軍の契約に加えハリバートン社は、イラクにおけるその他の政府関連業務とテロリズムに対する戦争から利益を得ている。そしてハリバートン社は、LOGCAPと同じ線上で結ばれ構成されている海軍の3億ドルもの契約を獲得している。

ペンタゴンの高官は、受託企業に対する高まる依存は避けがたいことであると述べている。2001年9月11日以来、軍への様々な面における需要を必要としている下では特に。国防長官ロナルド・H・ラムズフェルドは「外部委託」のチャンピオンであり、5月のポスト紙において、「30万人を越える軍服を着用していない人々」が民間人に出来る業務を遂行していると語った。

独立系の専門家は、外部委託された兵站支援のはやりは、一部の軍事企業における説明責任と透明性の欠如といった、また時には疑わしい請求法などの新たな問題を生み出すと述べている。

イラクにおける最大の問題は、シンガー氏は述べているが、今月はじめのハリバートン社の郵便配送の社員を含む契約社員の殺害などのような、歓迎されない治安状況の原因となっている“約束をすっぽかす”雰囲気にある。

「一日に終わりには企業も社員も、軍事司法に拘束されることはなく、顔を見せるか、そうでないかは、彼ら次第なのである」とシンガー氏は述べている。「その結果は、兵士のシャワー時間の遅れか、食事時間の遅れとなるのである。」

それと関連する懸念は、保険料支払いの高騰による契約社員を雇い続けるコストの上昇である。シンガー氏は、その支払額は今年中に300〜400%上昇するであろうと見積もっている。そのコストは、大部分の契約企業が採用しているコストと賞与を合計する料金システムの下で、納税者に降りかかるのである。

2001年にKBR社に与えられたLOGCAP契約高は第三番目であり、本来ならば最も金になる陸軍との特別契約を獲得していただろう。KBR社は1992年の最初の5年契約を獲得しているが、ボスニアにおける契約コストを適正に管理していないとの会計検査院による陸軍への批判を受け、1997年はライバルのダインコープ社に次ぐ二番手となった。


○国連攻撃の背景
 19日のバグダットの国連事務所爆破事件を巡り、日本を含む世界のマスメディアはその蛮行を批判した。しかしである。イラクの一部の人々にとっては、(国連が標的になることは)「当然のこと」、「国連は米英と一体」との声もあった。国連の援助を必要としながらも、国連対する怒りを禁じ得ない、このようなアンビバレンスなイラク人の感情は、湾岸戦争後の長期にわたる国連による経済制裁にその根元がある。

“経済制裁はイラク人の国連に対する態度を硬化させた。”
“Sanctions harden Iraqis attitude to U.N.”
By Jamie TARABAY, Associated Press Writer, 8/23/2003
http://www.boston.com/news/world/middleeast/articles/2003/08/23/
sanctions_harden_iraqis_attitude_to_un/


バグダット,イラク−爆発物を詰たトラックがバグダットの国連建物の外で爆発し、少なくとも23名を殺害した時、世界の多くは衝撃にたじろぎ、どこにおいてもその良き仕事で知られていた組織を攻撃した何者かに震えおののいた。

どこにおいても、そうだった。国連に対する深いアンビバレンスが存在するイラクを除いては。

多くのイラク人にとって、国連は経済的困窮と同義語だった。つまり、ここでの、大部分の日々の苦難の元凶だということだ。

12年前のイラクのクウェート侵攻後国連によって課された長引く国際的経済制裁は、乳児死亡率からアイスクリーム禁止まで、そのすべての責任を負わされた。

2002年6月からイラクで働いてきたユニセフのスポークスマン、ジェフ・ケリー氏は言う。前政権の下、政府の新聞―人々にとって唯一の情報源だった―は、日常的に国連を非難した。医療の質の欠如は国連に責任があるといって。

「だから、あちら(イラク)にいて、国連がこの国で今現在彼ら自身で気が付いた状況に多くの責任を国連が負っていると感じる人たちがいるのです」とケリー氏は言った。

多くのイラク人は、国連の人道主義的な計画をその構成諸国によって提供される政治的手段から分離することが出来なかった。彼らにとっては、学校設立を試み、石油食料交換プログラムに基づき米と小麦粉を持ち込む同じ組織は、1991年の湾岸戦争のための土台を築いた装置でもあったのだ。

引き続いた経済制裁の12年間は、米国の従僕であるといった国連のイメージを全く軽減させなかった。

「あなたが国連について私に話す時、心に思い浮かぶのは政治的組織だということです」と、バグダットの下町の彼の電気器具店の27歳モアイド・アル・ラウィー氏は言った。「私は、ここでの彼らの人道主義的貢献は、私たちにとって非常に素晴らしいものだとは思いません。でも誤解しないで下さい。」彼は急いで付け加えた。「起こった事に賛同する者は誰もいません。」

カナル・ホテル3階部分を吹き飛ばした火曜日の爆弾は、イラク人と、国連首席特使セルジオ・ビエリア・デメロを含む国連職員を殺害し、100名以上を負傷させた。証拠を徹底的に調査したFBI 捜査官らは、その爆破は自爆テロ犯の仕業だと言う。

イラクの米国当局者は外国人テロリストが米国主導の占領とイラク復興の任務を破壊しようとその国に潜入していると述べてきた。しかし彼らは、イラク人ではない活動家にその爆破の責任負わせることは止めた。

FBI捜査官らは爆発物の大量の運搬は、外国人ではなく、イラク人が近づく事の出来る、サダム・フセイン前政権のイラク陸軍の隠し場所から来たとする場合がもっともありうると推測した。

「今現在、イラクのほとんどの人たちが起こったことに非常に衝撃を受け、イラク人にこの種の行動が可能であると信じたくないと思う一方で、起こった事に対してずっと冷淡な人たちもいるのです」とケリー氏は言った。「それの多くが、国連は包括的な経済制裁のようなものを想起されてきたという事実と関係あります。」

経済制裁が行われている間、イラク人たちはアイスクリームとチョコレート無しで我慢しなければならなかった。政府が砂糖や必要物資を割り当ててから、その生産をは禁止された。テレビの電源を入れる人はみんなサダムやイスラムの神聖なコーランの朗読や国連経済制裁に対する痛烈な非難を見ただろう。

高校の試験を受ける学生たちは、サダム論やイスラエル−パレスチナ問題や経緯剤制裁がどれほどまでに彼らの生活を左右しているかを書くことを期待された。教師が経済制裁の恐るべき結果についての講義を行ったであろう学校集会が毎週行われた。学生たちは国連に対してデモ行進するために授業から定期的に引きずり出された。

それにもかかわらず国連当局者は 彼らは再建を助けるための、その組織の多国籍的性質と願いはイラク人の理解を得るだろうと信じていると言った。ある当局者は、人道主義の仕事が停滞する恐れから、組織はその本部に大きな米陸軍の駐留を望んでいないと言った。

人道援助関連の機関の多くが入居していたカナル・ホテルは戦争以前国連武器査察オフィスだった事実は、役に立たなかった。

26歳のアナス・マダ氏は、米主導の侵略の着手とイラク人の経済的な苦痛を、査察官らと禁止された大量破壊兵器の捜索のための彼らの頓挫した任務の問題にした。

「これはみんな、警備不足で、仕事をしない、国連のせいです。国連が戦争を防ぐことが出来たら、全世界は国連にさからわないでしょう」と彼は訊ねた。

いまだに、その他のイラク人たちは、国連はここで歓迎されるだけでなく、国の復興のために必要だと肯定しようとした。

「私たちは何も国連の責任にしていません。」29歳で靴店を経営するバッサム・ナッサー氏は言った。「私たちは彼らが留まり、私たちの問題を何とかしてくれることを望んでいます。」と。


○記録 イラク各地における戦闘・民間人殺害
<29日>
・ナジャフ
 「イラク・イスラム革命最高評議会」を狙った爆弾テロ。100人を越える死者。
<27日>
・ファルージャ
 道路脇の爆発物が爆発。米軍兵士1人死亡。3人負傷。
<26日>
・バグダット北西約30km ハマリヤ
 米軍車列へ攻撃。米軍兵士1人死亡。
<24日>
・バグダット北部
 「掃討作戦」。24人を拘束(米軍発表)。
<22,23日>
・北部
 クルド人とトルクメン人の間で衝突。12人が死亡。


●7月28日〜8月20日

●5月14日〜7月21日

●4月15日〜5月10日

●3月20日〜4月14日