ベネズエラ・チャベス政権に対する米国の反動的なプロパガンダが活発化している。それは、カリブ海での大軍事演習と合わせて考える時、極めて危険な動きであると言わなければならない。署名事務局の記事でも紹介したように、米国は、ベネズエラとキューバに対するあからさまな軍事的挑発を行ない続けている。そして、それと並行して、それを正当化するための心理作戦をも展開し、虚偽と悪意に満ちたプロパガンダを世界中に撒き散らしている。
※「米軍、ベネズエラとキューバを標的にカリブ海で前代未聞の大軍事演習」(署名事務局)
米国で「傭兵2:炎の世界」と題するテレビゲームの発売が発表された。これは「権力に飢えた暴君」が石油を自分の思いのままにしているという設定のベネズエラを舞台に、プレイヤーが“傭兵”となって、「民主主義」と資本の自由な流れを促進するために、アクションに興ずるというゲームである。米国の戦略を露骨に表したこの種のゲームに、どれだけの若者が熱中することになるのであろうか。米国ではテレビゲーム産業は映画産業を凌駕し、2003年には100億ドルの利益を上げている。
このゲームの作成に米軍が直接関わっていないとしても、米軍は兵士の新規採用ツールとして、テレビゲームを大いに利用してきた。文字通りゲーム感覚で戦闘のできる兵士を作り出してきたのである。
※「ワーカーズ・ワールド」 2006年6月4日
「テレビゲームが帝国主義的プロパガンダをプッシュ:ベネズエラでは貧困が減少」http://www.workers.org/2006/world/venezuela-0608/
ベネズエラのチャベス政権を、“独裁者が思いのままにしている非民主主義国家”として描き出すプロパガンダは、若者にのみ向けられているわけではない。
チャベス政権になってから、ベネズエラの貧困率はかえって上昇しているという記事や論説が、「フォーリン・アフェアーズ」や「フィナンシャル・タイムズ」紙のような国際的に著名な雑誌や新聞、米国の様々なメディアで取り上げられている。どれもこれもが、チャベス政権になって、石油価格は大幅に上がったにもかかわらず、貧困率はかえって上昇しているとし、貧困層を支持基盤としているチャベス政権が、その支持者たちをも裏切り、国の経済を破綻させたとでもいうようなキャンペーンを張っている。
例えば、「フォーリン・アフェアーズ」(2006年5月/6月、Vol85、No.3)のマイケル・シフターによる記事「ウーゴ・チャベスを調査して」では、次のように書かれている。
「これらの測定の効果の利用可能なデータは、複雑であって、全体として信頼できない。ベネズエラ政府の全国統計局によると、チャベスが政権についた最初の4年間で、貧困率は43%から53%へと上昇した。…
また、政府は、過去の数字に反映されなかったと主張する、公共医療と教育へのアクセスなどの非収入的基準を評価基準に反映するように、ちょうど方法論を変えたばかりである。」
日本でも、米欧系の大手企業メディアの反チャベスキャンペーンを口移しで伝えるだけのデタラメな報道がまかり通っている。例えば、朝日新聞社が発行している「論座」2006年7月号にも、「ウゴ・チャベスとは何者か」(マイケル・シフター:米大陸対話フォーラム政策担当副会長)という記事が掲載されている。この記事によれば、「チャベスは石油の富を場当たり的に、あるいは政治的思惑でばらまくだけで、社会問題に長期的に対処するモデルをうまく考案できていないし、彼の政策は失望を禁じ得ないほどに小さな成果しか上げていない。」というのである。上に上げた「フォーリン・アフェアーズ」でもこの同じ人物が同趣旨のことを述べているのであるが、「論座」の記事は、それの翻訳ではない。どのような性格の文章であるのかについての説明は「論座」には全くない。米国のプロパガンダの一翼を担うような記事を、何の注釈も批判もなく、そのまま掲載するのが、日本のリベラル紙の役割なのであろうか。
これらの見地は、みな、それを裏付ける資料として、ベネズエラ政府の公的機関である「全国統計局」が発表した、ベネズエラの貧困率を示す統計から引用している。
※この表とグラフは、以下で翻訳紹介されている論説に掲載されている表1と表2を合わせ、署名事務局でさらにグラフ化したものである。
多くの記事は、チャベスが政権についた1998年から2004年4月の数字までしか引用しない。しかしながら、上のグラフを見れば、それがひどく恣意的な数値の取り方であることは明らかである。この後に翻訳紹介する「ベネズエラの貧困率:その正確な数字」の中の適切な表現を借りれば、「チャベス政権の下で貧困の増加について申し立てる報道と記事の大部分は、まるで春の温度と冬の温度を比較して、地球温暖化は全くないという結論を下すやり方に似ている。」
1998年12月にチャベスが大統領に選ばれてから、貧困率は徐々に減少している。それが拡大に向かったのは、2002年前期からである。そしてこの貧困率の拡大は2004年まで続き、それから後は急激に下がっている。この数字の意味を読み解くには、この時期、ベネズエラにどんな事件が起こったのかを振り返る必要がある。
2002年はベネズエラにとって波乱の年であった。2001年末から反対派の攻撃は激しくなり、2002年4月には、反対派によって軍事クーデターが引き起こされた。
※[番組紹介]NHK・BSプライムタイム(11月22日)「チャベス政権 クーデターの裏側」(署名事務局)
この危機を乗り切ったチャベス政権に対しては、次に経済的な攻撃が仕掛けられた。2002年12月から石油ストが始まったのである。石油産業の管理者と熟練労働者がストライキに参加したために、ベネズエラの石油生産は100分の1以下にダウンし、貧困層は薪で調理しなければならなくなり、赤ん坊のミルクにも事欠く状況にまでなった。
「2002年12月下旬までに、石油生産は1日あたり310万バレル(bpd)から2万5,000バレルにまで低下し、国内に深刻な影響をもたらす厳しい燃料不足を引き起こした。」
※「メルカル: ベネズエラにおける貧困の削減と国家食料主権の創出」venezuelanalysis.com http://www.venezuelanalysis.com/articles.php?artno=1486
この石油ストの影響はベネズエラ経済に大打撃をもたらし、その回復には数年を要した。しかし、チャベス大統領は、人々の支持を獲得し続け、2004年8月15日には大統領罷免国民投票に勝利し、同じ年の10月には、地方総選挙で、チャベスを支持する知事や市長が次々と当選していった。
※署名事務局「ベネズエラ人民の歴史的勝利」
[翻訳紹介]ラテンアメリカ4カ国で行われた選挙結果について 米国の「裏庭」で抵抗する歴史的な人民大衆のうねり−−ネオリベラリズム反対、米の軍事覇権反対の潮流が一層拡大するラテンアメリカ−−
これらの動きを見ると、2002年から2004年の貧困率の拡大は、反対派が引き起こした政治的、経済的危機に照応しており、そして、2004年からの貧困率の減少は、そうした危機を乗り切り、政治的、経済的な安定が拡大したこととまさにぴたりと一致している。2004年以降、経済は飛躍的に成長し、2004年には17.9%、2005年には9.3%前年度より拡大した。
しかしながら、ベネズエラ・チャベス政権を批判する人々は、2004年以降の貧困率の減少を示す数値については信用できないと主張する。それは、チャベスが数値を操作することを指令したからであるというのである。
たしかに、この数値に関しては、純粋に現金収入だけの統計であって、無料の医療サービスや、メルカル(食料を市価の半分近くで購入できる政府直営のマーケット)など、チャベス政権の推進している社会事業による生活水準の向上によってどれほど生活水準が実質的に向上したのかは、反映されていない。
しかし、貧困率が下がったのは、チャベスがこれらの要素を加味するよう求めたからではない。表とグラフに見るように、純然たる現金収入だけの統計を取ることは続けられており、その数値において確実に貧困率が下がっているのである。
保健医療サービス計画の影響を加味した数値は、別立てで計算されている。(それは貧困率の数値をさらに一層押し下げる役割を果たしてはいるが、そう劇的なものではない。)また、食料等の生活必需品を廉価で購入できるメルカルの影響や、識字運動、中・高等教育の充実による生活の質的向上は、いまだ数値化されておらず、こうしたチャベス政権における社会政策の要素の全体は、まだごく控えめにしか反映されていないのである。
※チャベス政権の医療、教育に関する社会政策については、以下の署名事務局の論説を参照
医療運動「バリオ・アデントロ」:貧しい労働者・農民のために無料医療体制の充実を図る
無料医療と識字学級の全国的広がり
実際に公表されているデータをこのように検討すれば、チャベスが事実を捏造しているのではなく、事実を捏造しているのは、米欧日の企業メディアの方であることは明らかである。事実の捏造に何の良心の呵責も感じないようなマス・メディアの論説は、いったいどのように作られ、垂れ流されるのであろうか。
反チャベス派の寡頭制支配層の最大の柱の一つこそ、ベネズエラの財界を牛耳るメディアであり、彼らは、チャベス政権の下での反帝・反米=反寡頭制、反新自由主義の人民民主主義革命が進むことそのことが我慢できない。彼らの階級的利害に根本的に反するチャベスの動きは、どんな手段を取ってでも封じ込めなければならないし、チャベス政権を打倒するためには、嘘でもでっち上げでも、何でも平気なのだ。そのような勢力にとっては、チャベス政権を倒すことのみが真実の基準であり、それに役立つことはすべて正しいのである。たとえ統計資料を恣意的に取ることで合理性を完全に損なっていても、まったく意に介さず、事実であるかのごとく主張する。そしてそれが大手マス・メディアで大々的に報じられれば、捏造が真実としてまかり通っていくのである。
イラク戦争も、まさにそういう形で「正当性」が主張されていったのではなかったか。そういうプロパガンダが、またしてもまかり通ることを、私たちは絶対に許してはならない。
2006年12月には、ベネズエラにおける大統領選が予定されている。反対派は、これまでの、とりわけ2002年4月の軍事クーデターから2005年11月の国政選挙のボイコットにいたる反チャベス戦術の失敗でかえって墓穴を掘り、チャベスの再選は確実視されている。
今回のプロパガンダは、軍事的挑発と軌を一にした当面する危険性だけでなく、12月の大統領選の動向を覆すための有力なプロパガンダとして役立つという計算のもとに行なわれている。米国の危険な策動に即応し、ベネズエラ「ボリーバル革命」をデマと中傷で攻撃する偽りの宣伝に真実で反論することが、全世界の反戦平和運動にとっても重要である。
以下は、米国のリベラル系シンクタンク「経済政策調査センター」(Center
for Economic and Policy Research)(http://www.cepr.net/)所員マーク・ウェイスブロット、ルイス・サンドバル、ディヴィッド・ロスニック氏らのレポートの全文翻訳である。同センターから、翻訳に関して快諾を頂いた。
2006年6月19日
アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名事務局
[翻訳]
序論
昨年、ベネズエラにおける貧困がウーゴ・チャベス大統領の政府の下で増加したという声明が、たくさんの大手新聞や大手のテレビ、ラジオ局に現われ、「フォーリン・アフェアーズ」誌や「フォーリン・ポリシー」などの雑誌にさえ載っている。(そうした声明の例に関しては補遺参照。)これらの声明が異議をさしはさまれたり訂正されたりすることは、まれにすらほとんどないのである。
例えば、「フォーリン・アフェアーズ」の2006年5月/6月号で、メキシコの元外務大臣ホルヘ・カスタニェーダは、「チャベスが就任した1999年以来、ベネズエラの貧困指標と、人的発展指数は悪化してきた。」と述べた。「フィナンシャル・タイムズ」紙における2006年5月11日のニュース記事は、「国内の社会問題での改革が遅々として進まないのに、チャベスは石油をテコにした外交で世界を飛び回る方を選択している:12月の大統領選を前にして挑戦者たちは住宅問題における失敗と貧困を指摘」という見出しを付け、貧困がチャベス政権の下で減少したかどうかということを問題にした。
この報告は、ベネズエラの貧困に関する利用可能なデータおよび関連する経済データについて考察する。そのデータは、1999年以来貧困が減少していることを示している。また、この報告は、この問題に関する議論をめぐる誤りがどうやって作られているかということにも簡潔に注意を払う。また最後に、私たちは、貧困者に対する保健医療サービスの提供のインパクトについても考察する。それはここ数年間にわたって大いに拡大してきている。
表1
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貧困率:現金収入
表1は、1997年から2005年まで半年間隔で、貧困生活をしているベネズエラの世帯と人々のパーセンテージを示している。貧困世帯率は、1997年初めの55.6%から急激に減退した。それはその年の比較的強い成長(6.4%)の結果である。経済が1998年に減速して行き詰りながらも、それは減り続け、チャベス大統領が就任した1999年の前半に42.8%に達した。2001年には、貧困率は39%へとさらに下がった。しかし、2002年に、貧困は上昇し始め、2003年の後半には55.1%のピークに跳ね上がった。これは圧倒的に、石油ストライキ(2002年12月〜2003年2月)によって余儀なくされたものである。この石油ストは、経済を鈍化させ、急激な悪化の原因となった。また、2002年4月の失敗した軍事クーデターを含む石油ストに先立つ資本逃避と政治的不安定によって、深刻な不景気がもたらされた。この時GDPが2001年の第4四半期から2003年の第1四半期までに28.1%減退したことが見られる。
それから経済は回復し始め、非常に急速に――
2004年には17.9%、2005年には9.3%――成長した。この回復の結果、貧困率は、利用可能な最新のデータである2005年の後半には37.9%に低下した。
こうして、私たちが最新の利用可能なデータを現在の政府の始まりと比較すれば、世帯の貧困率は約5%下がった。――1999年初めの42.8%から2005年後半の37.9%まで――。このように、世帯の貧困率は12.9%減少した。〔訳注:42.8÷37.9=1.129だから、37.9は42,8の12.9%減。〕世帯の代わりに個人を測定すると、貧困率は、人口の50%から43.7%へと6.3%減少した。それは貧困が14.4%減少したことになる。〔訳注:50÷43.7=1.144。〕経済はこの年急速に伸び続けたので(第1四半期の成長は9.4%にまでなった)、今日の貧困率は、ほぼ確実にさらに低くなっているはずである。
それではどうしてそんなに多くの人々が異なった結論に達したのだろうか? 最も一般的な誤りは、2004年前半のデータを使用することである。それは、その年の第1四半期に集められたデータである。世帯の貧困率はその時53.1%であった。そのパーセンテージはもちろん1999年からは途方もないほど上がっている。この数値を使用することには間違った点がいくつもある。最も重要なことは、この貧困率は2002-2003の石油ストと不況の衝撃が数値化されたものだということである。
貧困率は経済における拡大と下降に非常に敏感であり、したがって、2004年の第1四半期と1999年を比べ、その後の回復を削除するのは、無意味であり、誤解を生むものである。上で述べたように、ベネズエラの経済は2004年に17.9%、2005年に9.3%伸びた。この大規模な景気回復から貧困の大規模な減少を私たちは予想し、実際それを見ることになった。したがって、チャベス政権の下で貧困の増加について申し立てる報道と記事の大部分は、まるで春の温度と冬の温度を比較して、地球温暖化は全くないという結論を下すやり方に似ている。
また、2005年の貧困率の速報値(38.5%)がその年の9月に発表されているのに、だれもかもなぜ時代遅れの数字を使用したのかということも明確ではない。2004年第1四半期の数値が集められて以来、経済はその時までにすでに18%以上伸びていた。したがって、先の不況を反映した2004年前期の数字は、貧困率を非常に深刻に過大評価しているのは明らかであったはずである。
いくつかの記事とレポートが、この時代遅れの、2004年前期のデータに依拠し続け、もっと最近のデータを何か比較不能の、あるいは妥当でないものとして問題視しているのである。例えば、「フィナンシャル・タイムズ」紙からの先週のレポートでは、以下のようである。
昨年早くに、ベネズエラの全国統計局(INE)は、2004年の終わりに人口の53%が貧困生活をしていたと述べた。それはチャベス政府が始まった1999年前半よりも9.2ポイント高い。
この数値にいらだった大統領は、INEの「方法論」における変化を要求した。その後すぐ2005年中期に、貧困生活をしている人々は39.5%だけであると発表された。二、三か月で14.5ポイントも「改善」したのである。
いくつかの誤りがここにある。まず第一に、上で述べたように全国統計局(INE)のウェブサイトでは、53%の数字は2004年の終わりではなく、始めのものである。経済がその1年間に17.9%伸びたのだから、それは非常に大きな違いとなって現れた。第二に、INEによると、この統計局の方法論における変化は全くなく、変化したという証拠も全くない。2005年後半の39.5%という最新の数字は、まだ現金収入だけしか計測していない。
第三に、この期間の経済成長の度合いを考慮すると、2004年の始まりから2005年の後半までに貧困率が14.5%低下することは全く異常なことでもなんでもない。失業は2004年2月から2006年2月までに、17.1%から10.7%まで下がった。
例えば、同様の成長が2003-2005の間にあったアルゼンチンで、貧困について起こったことを見るなら、貧困率がはるかに急激に減少したことがわかる。この期間、2003年前半には41.2%であった貧困世帯の割合が、2005年後半には22.5%になった。これは18.7%の減少であり、貧困線以下で生活する世帯の数が45.4%減少したことになる。
したがって、2004年の始めから2005年の末までに起こった貧困率の低下に疑問を抱く経済的理由は全くない。また、生じた貧困の削減の量も経済成長に関する貧困率の弾性についての計量経済学の見積りと一致している。
非現金収入
上で述べたように、1999年以来の貧困の減少は、現金収入だけを計測したものである。しかしながら、これは本当にベネズエラの貧困者の生活水準における変化を捕らえてはいない。というのも、ここ数年で非現金利益とサービスにおける大きな変化があったからである。別な方面から類推できる例を挙げてみると、米国で低所得者医療扶助制度と食料スタンププログラムが廃止されたと想像してほしい。これは米国の貧しい人々の現金収入が同じままであったとしても、彼らに莫大なインパクトを与えることになるだろう。
ベネズエラでは、2003年以来、一連のプログラムが確立されてきて、貧困者への保健医療や、助成金を支給された食物が、教育へのアクセスの増加とともに、提供されてきた。例えば、約1450万人、人口の54%が、現在バリオ・アデントロ計画で無料の保健医療を享受している。およそ40〜47%(約1070万〜1250万人)が、メルカル計画で、助成金の支給された食物を購入している。それは平均41〜44%割り引きになる。ベネズエラの反対派に関係している調査会社「データアナリシス」による2006年5月の報告
は、メルカルが、食物流通市場で総売上高に占めるシェアは、2005年10月に34.7%であったのに対して、2006年3月には47.3%であったことを明らかにしている。
無料保健医療へのアクセスは、貧困者の生活への大きな改善になる。しかしそれは貧困の標準的な測定値には現れない。この変化を完全に考慮に入れる方法で貧困率を調整することは不可能である。例えば、私たちは、貧困者に無料で提供された公共医療の価値を見積もり、それを彼らの収入に追加することができる。しかしながら、これらのサービスの価値は貧困境界線に比例して大きくなるので、この方法をとれば、貧しい人々の大部分を貧困線の上に押し上げることになるだろう。
貧困者に対する保健医療サービスの価値を組み入れる別の方法は、もし政府によって提供されなければ彼らが保健医療サービスにどれだけの現金を費やすかという見積りを取ることである。この方法は、貧困者に対するこれらのサービスの価値を非常に控え目にしてしまう。政府支給がなければ、多くの貧民は必要な保健医療すらなしで済ませ、したがって、彼らの現金払いの支出は彼らの実際の保健医療の必要性を表さないからである。
それにもかかわらず、貧困者に対する保健医療サービスの価値の見積りを考慮する価値は十分ある。この方面では特にベネズエラについての利用可能な最近のデータはないが、他の中程度の所得の国々の支出調査に基づき、私たちはベネズエラの貧困者が彼らの収入のおよそ5%を保健医療に費やすだろうという見積りを得ることができる。
表2は、貧困線以下の人々が政府の保健医療の支給がない時に保健医療に使うお金を考慮に入れた場合の、貧困に対するこれらの保健医療による利益のインパクトを示している。収入の4〜6%の支出に基づいて、見積りの幅が設定されている。そこで見られるように、現在の貧困率は37.9%から36.2〜35.3%まで減少し、平均値は35.8%になるだろう。
表2
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この貧困者における保険医療費のインパクトについての見積りが、無料保健医療から彼らが引き出す利益を本当には測定していないことを強調するのは重要である。これは単に、彼らが保健医療に費やすお金を見積もり、貧困率を調整するだけである。しかし、貧困者は、保健医療が政府によって提供されなかったなら、それがないことで、健康を悪化させ、収入低下、平均寿命の低下に苦しむだろう。したがって、これらの保健医療サービスの価値は、政府の計画がない時に彼らが現金で支払う額よりもはるかに大きい。
最後に、政府は1998年にGDPの8.2%であった社会的支出全体を2005年には11.2%に着実に増加させてきており、2006年にはGDPの12.5%に達すると予想されている。例えば、教育の分野においては一人当たり実際の政府の支出は、1998年から2005年までに80%増加した。この期間、公共教育への支出は毎年GDPの4%以上になる。「ミシオン・ロビンソン」として知られている主要な識字計画を通じて、様々な年齢の約140万人(または、総人口の5%以上)が読み書きを学んでいる。これらの計画もまた、貧困率の測定には反映されることも組み込むこともできない方法で、貧困者の利益になるのである。
結論として、ここ7年間のベネズエラでの貧困の減少については、単に現金収入だけを見た場合でさえ、曖昧な点は全くない。それと逆の報告は、数多く出されているのではあるが、それらは全く間違っている。
〔訳注:この論説では、数値や事実について、それを裏付ける詳しい註がいくつも添えられている。それらについては、原文を参照のこと。〕
補遺
以下は、主要メディアや外交政策ジャーナルに登場した、ベネズエラの現在の政府の下で実際に生じた貧困の減少を否定したり、あるいは、誤って伝える声明の実例である。2005年(38.5%)の貧困率の速報値がその年の9月に発表されたので、この実例リストは2005年10月にまでさかのぼる。また、その時までには、2004年初めの段階の数値が集められて以来、経済は既に18%以上伸張していた;したがって、2004年初めの段階の数値が現在の貧困率の重大な過大見積もりになっているのは明確であったはずである。
「フォーリン・アフェアーズ」ホルヘ・カステニェーダによる記事「ラテンアメリカの左旋回」、2006年5月/6月
「「チャベスが就任した1999年以来、ベネズエラの貧困指標と、人的発展指数は悪化している。」
「フィナンシャル・タイムズ」紙 ニュースレポート「国内の社会問題での改革が遅々として進まないのに、チャベスは石油をテコにした外交で世界を飛び回る方を選択している:12月の大統領選を前にして挑戦者たちは住宅問題における失敗と貧困を指摘」2006年5月11日
「1つの領域――貧困――では、この政府は、得点を挙げたダイヤモンドである。しかし、公式の資料の信頼性に関する疑問がある。
昨年早くに、ベネズエラの全国統計局は、2004年の終わりに人口の53%が貧困生活をしていたと述べた。それはチャベス政府が始まった1999年前半よりも9.2ポイント高い。
この数値にいらだった大統領は、INEの「方法論」における変化を要求した。その後すぐ2005年中期に、貧困生活をしている人々は39.5%だけであると発表された。二、三か月で14.5ポイントも「改善」したのである。」
「フォーリン・ポリシー」ジャビエル・コラレスによる記事「ウーゴ・ボス」2006年1月1日
「チャベスは、貧困、教育、平等のどんな重要な基準も改良し損ねてきた。」
「ワシントンポスト」編集局、社説「21世紀のリーダー」2006年1月18日
「ベネズエラでは、チャベス氏が政権についた6[原文のまま]年間、貧困率は43%から53%へと上昇した。」
「フォーリン・アフェアーズ」マイケル・シフターによる記事「ウーゴ・チャベスを調査して」、2006年5月/6月、Vol85、No.3
「これらの測定の効果の利用可能なデータは、複雑であって、全体として信頼できない。ベネズエラ政府の全国統計局によると、チャベスが政権についた最初の4年間で、貧困率は43%から53%へと上昇した。…
また、政府は、過去の数字に反映されなかったと主張する、公共医療と教育へのアクセスなどの非収入的基準を評価基準に反映するように、ちょうど方法論を変えたばかりである。」
CNNの「洞察」、CNNのホスト、ジョナサン・マンからの引用文、2006年10月17日
「…ベネズエラの2500万人の半分以上が貧困線以下にいることがわかった。そして、政府は、突然、貧困線とその数を改善する新しい測定方法を見出した。」
「数を変え、風景を変える、一般に物事を変えるのは、ウーゴ・チャベスの得意技だ。」
PBSの「ニュースアワー」番組でのゲスト、アルバロ・バルガス・リョサからの引用「西半球自由貿易会談においては解決がない」2005年11月8日
チャベスが6年前に権力を掌握した時、彼の人民の43〜45%が貧乏であった。そして現在、1バレルの石油の価格がおよそ15ドルから60ドルの上に上がったのに、貧しい人々は約53%になっている。
「ニューヨークタイムズ」、ジョン・ティアニーによるコラム「海外の馬鹿」、2005年11月8日
「チャベスに率いられたポピュリストのニューウェーブ。政府を拡大させ、彼の権力基盤を固めるために、最近の石油収入のたなぼたを利用している。しかし、毎日1億ドルの石油マネー――リオ・グランデの北の恐ろしい白人野郎からは6000万ドル――がベネズエラに注がれているというのに、貧困率は50%以上に上がった。」
「ワシントンポスト」、ジャクソン・ディールによるコラム:「ラテンアメリカでの買い気」、2005年9月26日
「チャベスのベネズエラでは、政府統計によると、[貧困]率が、彼が就任した1999年の43%から、昨年の53%にまで上昇した。この同じ期間、政府の収入の大部分をなすベネズエラの石油収入は約倍増した。」
「マイアミヘラルド」、アンドレス・オッペンハイマーによるコラム:「責任がある左翼リーダーがチリで公職を辞任」2006年3月9日
「対照的に、石油の豊富なベネズエラは、ベネズエラの公式統計によると、チャベスが就任して以来、貧困が10%以上拡大した。チャベスがその統計を不公平であるとして糾弾した後、最近改訂された。」
「マイアミヘラルド」、アンドレス・オッペンハイマーによるコラム:「野外演習日に米国の費用でプロパガンダを持っているチャベス」、2005年11月5日
「もし私がブッシュにアドバイスするとすれば、報道対策コンサルタントを報道センターに送り、チャベスの詐欺師振りを暴き出すように言うであろう。ベネズエラ自身の全国統計局によれば、ベネズエラの歴史で最大の石油ブームを享受しているにもかかわらず、彼の5年間の間に11%も貧困を増加させたのである。」
「マイアミヘラルド」、アンドレス・オッペンハイマーによるコラム:「奇跡!」「ベネズエラの貧困は突然下がった」2005年10月27日
「何とおもしろい! ベネズエラの公式の統計協会が、ウーゴ・チャベス大統領が1999年に就任して以来貧困が11%増加していたと報告した。わずか数カ月後に、同じ団体は、大統領による公共の叱責の後、現在、貧困が突然1999年以前のレベルに急に下がったと報告している。…
私の結論:もしベネズエラのINEが正しくり、経済報告で偏っていないという評判を維持したいなら、何らかの成熟した監視を受け入れ、独立したエコノミストに帳簿を公開すべきである。ほとんどの政府がしているように。
さもなければ、私は、それがキューバの例にならい、独善的な数字を発表し始めたという結論を下さなければならないだろう。だれも独自にその数字を確証することができないような。奇跡は存在するかもしれないが、私たちの大部分にとっては、それは信じがたい。」
「マイアミヘラルド」、アンドレス・オッペンハイマーによるコラム:「チャベスは経済失策賞に値する」2005年10月9日
「チャベスは国の最近の10年間で最も大きい石油ブームにもかかわらず、ベネズエラの貧困を増加させたという疑わしい成果を主張することができる。
実際、ベネズエラの公式の全国統計局(INE)がチャベス政権の最初の5年間で、貧困率が10%上昇したと報告したことを、私が3月にこのコラムで明らかにして以来、いくつかの国際的な団体が同じように否定的な数字を報告している。
INEが、ベネズエラの貧困が1999から2004年12月の間に43%から53%に上昇したとINEが述べたことを皆さんは思い出すだろう。続いて、チャベスはINEを激しく攻撃し、国際的な「ネオリベラル」な測定基準を反映したと言って、INEを激しく攻撃した。彼によれば、それはベネズエラのような「社会主義」の国にはふさわしくないのだという。
他の人々は同意する。
しかし、今や、他の国際機関――国連と世界銀行を含む――は、ベネズエラの社会的な混乱について同様の絵を描いている。
奇妙に聞こえるが、彼らは、ベネズエラにおける貧困は、チャベスが1999年に就任した時1バレルあたりおよそ8ドルであった石油価格が1バレルあたり62ドルに暴騰したという事実にもかかわらず、貧困がベネズエラで上昇していると述べている。」
「ロサンゼルスタイムズ」、補助編集員のセルジオ・ムニョスによるコラム:「回帰線のサンタ」、2006年3月5日
「ベネズエラの大統領として7年たって、ウーゴ・チャベスのポピュリズムのブランドは、彼が擁護する貧困者を含むベネズエラ人に、社会的カタストロフィーと経済災害を生み出した。
最近の国連人的発展報告によると、何千億ドルにもなる石油収入――昨年だけで490億ドルになる――と無料の医療業務を含む社会的支出にもかかわらず、国の貧困者は、さらに貧しくなり、学校は改善せず、一般的な生活水準は減退した。」
AP通信「ワールドストリーム」、マルセル・オーナーによる報道:「議会選挙の前に100人以上が反対統一集会に出席する」2005年10月15日
「評論家は、チャベスがますます権威主義的になり、この2600万人の南米の国を階級のラインに沿って危険に分割するということでチャベスを非難する。彼らは、彼の左傾的な政策が世界第5の石油輸出国で貧困を増加させたと言う。」
マーク・ウェイスブロットは「経済政策調査センター
(the Center for Economic and Policy
Research)」の共同責任者、ルイス・サンドバルは同センターの研究助手、ディヴィッド・ロスニックは同センターの調査員である。ディーン・ベイカーは貴重な論評を提供し、ニハール・ブハットとキャスリン・ボーゲルは貴重な研究への援助を行なった。
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