[番組紹介]NHK・BSプライムタイム(11月22日)
「チャベス政権 クーデターの裏側」
○陰謀を図り裏でクーデタの糸を引いたブッシュ政権。
○ベネズエラ、ボリビアなど中南米、イラクとアフガン、グルジアなど中央アジア、アフリカ・・・。
○世界中の石油・天然ガス資源の略奪を図る世界最大の石油大量消費国米国の、イラクと違う“もう一つのやり口”を暴く。
南米ベネズエラで起こっている激動は、日本ではあまり報道されていない。世界でも有数の産油国ベネズエラ(人口2500万人)で、ここ3年の間にクーデター未遂と数度のゼネストが起こり、さらに今はチャベス大統領罷免の国民投票を要求する署名の成否が焦点化している。選挙で選ばれたチャベス政権の転覆を企てているのはオリガーキーと呼ばれるベネズエラ政財界を牛耳ってきた大金持ちの面々だ。そのベネズエラで今起こっていることを理解する上で、きわめて貴重かつ驚くべきドキュメンタリー番組をここに紹介する。「チャベス政権〜クーデタの裏側」。11月22日、NHK・BSのプライムタイムで放送されたものだ。
※原題は「THE REVOLUTION WILL NOT BE TELEVISED」(DIRECTED AND PHOTOGRAPHED BY KIM BARTLEY AND DONNACHA O'BRIAIN IRELAND, 2003 74 MINUTES)この映画は、今世界中で放映され数々の賞を取り注目を浴びている。この映画には、チャベスに新生ベネズエラの未来を託する貧しい圧倒的多数のベネズエラ人民の希望を見ることができると同時に、ブッシュのアメリカがどこまで汚い手を使って石油を奪おうとするのかその様が実写を持って告発されている。下記のアドレスをクリックすればこの映画の概要が説明されている。
http://www.chavezthefilm.com/index_ex.htm
<石油資源のためなら手段選ばぬブッシュのアメリカ>
「イラク戦争は石油のためではない」「米国は石油のための戦争などしない」「石油のために独立国を転覆させたりはしない」という“神話”が、主として親米の石油専門家と言われる人々から出されている。しかしブッシュ政権が今やっていること、歴代米政権がこれまでやってきた事実そのものが、この“神話”を論駁している。ここに紹介する番組もその決定的な“証拠”になるだろう。イラクはもはや明らかである。(軍事覇権、世界覇権もブッシュの狙い目であるが、それは“石油のため”という狙い目を否定するものではない。イラク戦争に関しては“石油も覇権も”というのが真実ではないか)
この番組放送の約1ヶ月前の10月中旬、南米ボリビアの人民大衆は親米サンチェス大統領を打倒した。今やボリビアは、ベネズエラと共に「中南米左傾化」の牽引車になっている。きっかけは米系金融資本と米系多国籍企業が前大統領を抱き込んで同国の貴重な天然ガスを超低価格で略奪しようとしたことであった。ボリビアの民衆は自国の天然資源を収奪することに大衆行動で抗議したのである。天然ガス輸出は中止された。
この番組が放送されたまさにその11月下旬、グルジアで政変が起こり、シェワルナゼ政権が崩壊した。これにもブッシュ政権が関与したことは“公然の秘密”である。親米・脱ロシアの新しい暫定政権に、いち早くブッシュが経済支援を表明し、ラムズフェルドはロシア軍の早期撤退を要求した。「グルジアは我々のものだ」と言わんばかりだ。米国の狙いは、グルジアを通るカスピ海からの石油パイプラインである。
これらの出来事は偶然であろうか。最近の世界情勢の断片を見るだけでブッシュ政権と石油・天然ガスとの関わりは否定しがたい事実である。イラク、アフガニスタン、ベネズエラ、ボリビア、グルジア・・・・・。略奪の仕方が各国、各地域で異なるだけだ。イラクやアフガンのように、直接軍事力で戦争を仕掛け無理矢理強奪する古典的な植民地のやり方、そして現地の親米勢力を使ってクーデタを起こし米国の意のままになる政権をでっち上げる新植民地主義的なやり方。
※署名事務局のパンフレット『イラク:石油のための戦争−−ブッシュはなぜイラクを攻めたいのか』参照。
<日本のメディアでねじ曲げて報道された4月政変の実像>
2002年4月のベネズエラの政変を記憶されているだろうか。日本のマスメディアの報道(※)からは、チャベス大統領の強権的な政治に反発した民衆によるデモを警官隊が弾圧して10数人の死者を出したことが発端となり、チャベス大統領は退陣に追い込まれたが、チャベスを支持する軍部により大統領官邸が制圧されために、チャベスは大統領の座に復帰できたという事件であった…、そのようにしか受け取れない報道であった。つまり、チャベス政権は、反発する者には容赦なく血の弾圧を行う軍事独裁政権であり、その報いを受けて退陣に追い込まれたにもかかわらず、またしても軍事力を行使してその地位に復帰したとでもいうような。彼が軍人出身であるという経歴は、いかにもそうした強権的な手法を使いかねないという印象を与える。
※例えば、毎日新聞(インターネット版 2002年4月12日)では、次のように書かれている。
「世界第四の産油国、南米ベネズエラの首都カラカスで11日、チャベス大統領の退陣を求めるデモが警官隊との銃撃戦に発展し、少なくとも12人が死亡し、100人が負傷した。先住民や貧困層救済を掲げて98年に当選したチャベス大統領は経済面での失政に加え、軍、国営企業の人事を独断で決める姿勢を強め、批判の声が高まっていた。
カラカスからの報道によると、8日に始まったデモの参加者は11日には推定50万人に達し、一部住民が大統領官邸や警官隊に投石を始めた。中には武装した参加者もおり、同日午後には警官隊がデモ隊に向け発砲を始めた。死者10人の中には警官や報道陣もいたという。
チャベス大統領は発砲の際、国営テレビ、ラジオで『経済、労働団体がけしかけた無期限ストは無責任極まりないもので、何の解決にもならない』と訴えていた。」
http://www.mainichi.co.jp/news/selection/archive/200204/12/20020412k0000e030025002c.html
しかし、この「チャベス政権 クーデターの裏側」という映像は、そうした報道がいかに真実をねじ曲げて捏造されたものであるかということを明らかにしている。
<貧困層の利益を代表するチャベス大統領>
この映像を撮ったアイルランドの取材班は、チャベス政権についてのドキュメンタリーを撮ろうと2001年9月から密着取材をしていた。
チャベスは、1998年の選挙で、富の公平な分配を掲げて、大統領に選ばれた。彼を支持した主な層は、これまで政治に無縁であった貧困層であった。首都カラカスを撮った映像では、平地の近代的な高層ビルと小高い丘の中腹に広がる小さなみすぼらしい家々とがはっきりとした対照をなしている。ベネズエラは石油の産出国であるが、その利益は一部の人々にしか享受されていない。貧困層や先住民族は、経済的に貧困な状態を強いられていただけでなく、政治的な無力感にもさいなまれていた。何をやっても一部の人達だけが得をすることにしかならないという…。しかし、チャベスの登場はそうした人々が積極的に政治に参加する道を切り開いた。
「憲法を読みなさい。」
これがチャベスが人々に何度も繰り返して説く言葉であった。チャベスの支持者たちの団体、ボリバール・サークルは、人々に憲法を読むことを薦め、そこに記された国民の権利が実現できるよう訴えていた。小さな店先を舞台にギターを弾きながら演説をする人々の姿が映しだされる。
一方で、ベネズエラには、これまで享受してきた石油の利権を手放すまいとする旧来の特権層が根強く存在している。彼らはチャベス派の人々を「犠牲を払ったり努力することをしないし、そうすることの価値も知らない」とののしり、「以前は何の不安もなく幸せな生活を送っていました」と嘆く。彼らは自分たちの使用人の行動に目を光らせろと忠告しあう。チャベスとつながりを持っている恐れがあるから、と。
反チャベス派の財界人は、5つの民放全てを所有し、そこでチャベス批判を繰り返していた。これらの放送局は高い視聴率を有していた。これに対するチャベス政権の宣伝手段は、国営放送ただ一局であった。この両派の闘いは、メディア戦争でもあった。
2001年10月、アメリカがテロの報復としてアフガニスタンを攻撃した時、チャベス大統領は爆撃の犠牲者となったアフガニスタンの子どもたちの写真を示し、こんなやり方は容認できない、「誤爆」はいつまで続くのか、という演説をした。世界中が「対テロ」のためならどんな行動も許されるとしていた時期に、アメリカに対して「テロリストにテロで立ち向かうことはできない」と言ってのけたのだった。
これに対してパウエル米国務長官はさっそく「チャベス大統領の行動と民主主義に対する考え方に疑問を抱いています」と批判し、その映像が民放で流された。
<石油を巡る熾烈な闘い>
チャベス大統領は、国営石油公社を私物化する特権層についに本格的な闘いを挑んだ。「国際社会から強い圧力がかけられてきたが」、「たとえ地獄の門をくぐらなくてはならなくても私はやり遂げる。ベネズエラ国民を守るために。」と、その背後にいるアメリカとの闘いをも意識しながら。
2002年2月、彼は国営石油公社の役員人事に介入した。(つまり、総裁や取締役を解雇した。)ここから、本格的な闘いが開始された。ベネズエラでは、財界を代表する経営者連盟会長のペドロ・カルモナと、旧政権との関わりの深い労働者連盟会長カルロス・オルテガが、反チャベス派の急先鋒であった。この二人ともブッシュ政権と接触していた。アメリカのCIA長官は、石油産油国の使命というのはアメリカに石油を安定供給することにあるとでもいうかのように、チャベス政権の石油政策を批判した。(アメリカにとって、ベネズエラはサウジアラビア、メキシコに次ぐ第三位の石油輸入国なのである。)
4月10日、軍の幹部ネストール・ゴンザレス将軍は民放に出演して、チャベスの退陣を求め、「さもなければしかるべき処置をとる」とクーデターをほのめかすような発言をした。経営者連盟会長カルモナは、国営石油公社への介入は国民の財産を侵害するものだと批判し、自らの放送局を通じて、国民に反チャベスのデモを呼びかけた。
4月11日、反チャベス派は、国営石油公社へのデモ行進を始めた。一方、大統領官邸前ではチャベスの支持者が集まって集会を行っていた。反チャベス派の指導者は、違法を承知で、デモ隊に官邸前への進路変更を呼びかけた。カラカス市長フレディ・ベルナルは、群集の衝突で流血の惨事を招きかねないこの無責任な煽動を非難し、「我々はあなた方の挑発に乗らない」と宣言した。しかし、反チャベス派のデモ隊は周囲の器物を破壊するなど次第に激しさを増しながら、ついに官邸前に姿を見せた。すると、そこにいたチャベス派の群集も興奮しだした。
「ノー・パサラン!(奴らを通すな)」
両派の衝突を防ぐために、警護にあたった兵士たちは間に入った。
<仕組まれた殺戮、そして捏造>
そこへ突然、銃声が聞こえた。何者かが群集を見下ろす位置から身を隠して発砲しているようであった。犠牲者はすべて頭を狙い撃ちされた。人々は逃げまどい、そして、狙撃犯がいると思われた所めがけて反撃しだした。ベネズエラでは一般市民も銃を携帯できるのである。この時の陸橋から拳銃を撃つチャベス派の人々の姿が、民放で繰り返し繰り返し報じられた。非武装のデモ隊に向けられたものとして。
しかし、元民間放送局員アンドレス・イッサーラは、民放が決して放映しなかった真実を示す。この場面を別のアングルから撮った映像では、彼らが銃を放っていた陸橋の下にはだれも存在していなかったのである! 彼ら自身も狙撃に対して身を伏せながら応戦していただけなのである! まさに捏造そのものであった。イッサーラは、このような真実を覆い隠し、チャベス派の発言を一切取り上げようとしない民放の姿勢に抗議して、退職した。
しかしながら、この虚偽の映像をたれ流すことによって、この事件の責任はすべてチャベス政権にあるというデマ宣伝は功を奏した。そして、これまでチャベスを支持していた軍も支持の取りやめを表明した。国営放送も反チャベス派に占拠され、大統領官邸に集まったチャベスとその閣僚たちは外界から完全に閉ざされた。
反チャベス派の将軍たちは大統領の辞任を求めた。辞任しなければ大統領官邸を爆破するとの脅迫をもって。しかたなく、チャベスは官邸爆破を防ぐため、軍に拘束される道を選んだ。ただし、辞任要求にはあくまでも屈せずに。
環境天然資源相のアナ・オソリオは、その場にいる人々に、
「大統領は辞任していない。辞任しないまま軍に拘束される。この事実を全世界に知らせなければ。」と報告し、叫んだ。
「これはクーデターよ! 彼を愛する国民を裏切るクーデターよ!」
拘束されていくチャベス大統領はつぶやいた。
「あきらめないぞ。」
誰かが声をかけた。
「大統領、必ず逆転します。まだ終わりじゃない。」
<「軍事政権でない」と言い張るカルモナ新政権、その実態は…>
一夜明けた4月12日、クーデターの関係者がテレビに出演し、この事件の内実を赤裸々に語りはじめた。「ジャーナリストとテレビ局が最大の立て役者ですよ。」(この言葉は意味深長である。チャベス派の人々が非武装のデモ隊を撃っているかのように見える映像を撮るために、おあつらえ向きの位置に、あらかじめテレビカメラが用意されていたということである。)
海軍少将モリナ・タマヨは「群集を通りに集めて興奮が頂点に達したときに軍を動かす作戦でした。」と自慢げに語った。(狙撃犯もあらかじめ用意されていたものであり、彼らによる犠牲者は、群集を興奮させるための生け贄だったということになる。自派の人々すら犠牲にして省みない非情なやり方には驚くばかりである。)
クーデターの関係者は大統領官邸に我が物顔で乗り込み、昨日までチャベス大統領に仕えていた警護隊は、カルモナの指揮下に入ることになってしまった。
カルモナは「これは国民に支持された政権であり、軍事政権ではない」として、暫定政府の大統領としての宣言を行った。彼が「民主的な暫定政府を樹立するにあたり」最初にしたことは、これまでの国家機構の廃止を宣言することであった。新しく法務大臣に任命されたダニエル・ロメロは、およそ民主主義や立憲主義というものには憎悪しか感じていないとでもいうような猛烈な剣幕でまくしたて、集まったクーデター関係者は満面の笑顔と盛大な拍手で応えた。
「国民議会の解散を命じる!」
「最高裁の解散を命じる!」
「オンブズマンを解散!」
「選挙管理委員会を解散する!」
元の法務大臣は逮捕され、手錠をかけられた上に暴行が加えられた。
チャベスの支持者は口々にこのクーデターを批判しはじめたが、それらの人々には、たちどころに銃弾が浴びせかけられた。逃げる人々に後ろから銃を撃つ兵士、道路脇に倒れている人、取りすがって泣く人、シャッターを閉め、恐怖に打ち震える人々…。
そうした映像に、カルモナの言葉が覆い被さる。
「一連の手続は非常に民主的に行われた。」
「この国は正常化しつつあります。」
米大統領報道官アリ・フライシャーは、「この混乱の責任はチャベス政権にある。非武装のデモ隊が銃撃され、多数の死者が出てしまった。それが引き金となって、国民による暫定政権が発足した」と発表した。(日本のマスコミはこの発表をそのままなぞった。そして、それを訂正する記事は出されていない。)
<「チャベス 国民はあなたの味方だ!」>
国営放送をも奪われ、発信する手段がなくなったかに見えたチャベスの閣僚たちは、ケーブルテレビを通じて、国民に事件の真実を訴えた。チャベスは辞任したわけではなく、軍に拘束されているのだと。これを知った人々が続々と通りに出てきた。
「チャベス 国民はあなたの味方だ!」
翌4月13日、カラカスの街は緊迫した空気に包まれた。
「チャベス 国民はあなたの味方だ!」
「チャベスは辞任していない! 捕らえられているんだ!」
「憲法に書いてある。大統領を辞任させられるのは国民だけだ!」
口々にチャベス支持を訴える人々が、大統領官邸前に集まって周囲を取り囲んだ。得意げに多数の報道陣に向かって話していたカルモナ派の人々が急にそわそわしだした。
「部屋を出るんだ。」
ここで、これまで隠忍自重していた大統領警護隊が官邸の奪還に取りかかった。(まるでスペクタクル映画のような映像であるが、まさに、事実は小説より奇なりというべきであろう。)
カルモナと将軍らは混乱の中で姿を消した。奪還した官邸には、食事が食い散らかされたままになっており、軍服までが置き忘れられていた。しかし、金庫の中身はしっかりと持ち去られていた。
逃げ遅れた何人かが警護隊に拘束された。その中には、昨日新法務大臣として演説したロメロも含まれていた。彼らは、自分たちが「解散」を宣言したオンブズマンの立ち会いのもとで、「市民としての権利」を保証され、ばつが悪そうにしていた。
奪還した官邸にチャベス政権の閣僚たちが再結集した。しかし、カルモナは官邸が奪還された事実を放送せず、小規模な蜂起があったがすでに鎮圧され、現在何の問題もないと民放を通じて述べていた。
さっそく国民議会議長ウイリアム・ララが反論を開始した。
「今のカルモナ氏の発言はでたらめです。私は国民議会議長で、今カラカスの官邸から電話をしています。」
閣僚たちと警護隊は、必死で軍の説得にあたった。軍がチャベス派の群集に大虐殺をしかけることは何としても阻止されねばならない。
社会基盤相イスマエル・ウスタドが叫ぶ。
「軍に発砲などさせないぞ。将軍たちに伝えてくれ。我々が話し合いを求めていると。すでに事態は逆転したんだ。」
軍を動揺させることに成功し、ついに国営放送の再開にまでこぎ着けた。大統領警護隊長モラオ大佐が、国営放送で、軍全体にチャベス支持を呼びかけた。それと同時に軍の将校たちから続々とチャベスの居場所を知らせる情報が入ってきた。ある島でチャベスの姿を見たという情報、その島に米国籍の飛行機が着陸したという情報が。次いで、副大統領が姿をあらわし、臨時大統領としての宣誓をした。カルモナらクーデター側は、完全に大義名分を失った。
チャベスの閣僚たちは喜びに満ちて、チリ革命の時に合い言葉となった「エル・プエブロ・ウニド・ハマセラ・ベンシド!(団結した人民は決して敗北しない)」を唱和した。
即刻の反撃と逆転がクーデター側による大虐殺とチャベスの暗殺を未然に防ぎ、憲法と民主的選挙に基づく正当性を前面に押し出すことによって、アメリカの介入を阻止しえたのだった。
<「君たちと国民は歴史を作った。」>
4月14日、ついに軍の大勢がチャベス支持に傾いた。チャベス大統領は軍のヘリコプターに乗せられて帰ってきた。
「君たちと国民は歴史を作った。」これが閣僚たちに対する彼の第一声だった。
そして、国民にこう呼びかけた。
「冷静になってくれ。」「今君たちに必要なのは家に帰って心を休めることだ。」
過酷な目に遭わされたにもかかわらず、拍子抜けするほど穏やかな言葉であった。
「反対派に言いたい。反論は大いに結構。私はあなた方を説得できるよう努力する。しかし国民の規範である憲法に背く行為は許されない。憲法はすなわち共同体の基本だから。」
「最も大事なのは一部の人のうそに惑わされないことだ。」
この事件がまさにメディア戦争でもあったことを示す一言である。報道が人々や軍の動向を決する重大な要因となったのである。
<アメリカの世界支配、その二つのやり方>
カルモナをはじめこのクーデターの関係者の多くはアメリカに逃亡した。それは、今回の事件もアメリカが背後で糸を引いていたことを暗に示している。
アメリカ政府はクーデターへの関与を表向きは否定した。しかし、パウエル国務長官は「アメリカが支持するのは民主的社会だ。チャベス大統領とは今後も意見の相違があるだろう。」と、あくまでもチャベス政権を非民主的なものと決めつけて映像は終わる。
今回は失敗したが、アメリカの背後での介入、現地の親米反体制派と結びついて反米政権を転覆する策動は、今後も続くであろう。これはアメリカ帝国主義が反米政権を打倒して世界支配を貫徹する二つの方法のうちの一つである。もう一つの方法というのは、言うまでもなく、イラクで行われているような直接の軍事侵攻と軍事占領支配である。
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この映像を見終わって、もう一度考えてみる。チャベス政権は、はたして「独裁政権」なのだろうかと。憲法があり、大統領は選挙で選ばれ、議会や裁判所があり、オンブズマン制度があっても、そして、かつてなく多くのベネズエラ国民の政治的関心を目覚めさせたとしても、アメリカと特権層の利害に反する政策を採る限り、チャベス政権は「独裁政権」であるとして、その転覆が画策され続けるであろう。しかし、そうした策動は、きっと今回のように、チャベス政権に結集した人々とそれを支持する軍の連帯によって打ち砕かれ、富の公正な分配を目指す運動が進展していくであろう。そう、たしかにチャベス政権はベネズエラの貧しい民衆達の「独裁政権」である。ただし、それは一握りの富める人々に対する圧倒的多数の貧しい人々の人民の「独裁」なのである。
2003年12月10日 木村奈保子