ベネズエラ検察官ダニーロ・アンデルソンの暗殺はチャベス暗殺の前触れか
−−CIA極秘文書が示す米国の内政干渉と要人暗殺−−

「軍事訓練とテロリスト養成のための主な基地はマイアミにある。米国政府の同意のもとで、ベネズエラ人のクーデター陰謀者を訓練するF-4コマンドはそこに集中している。」(『グランマ』)
「[米国国務省]出身のベネズエラ反対派クーデター遂行部隊を率いる人々は、ラングレーとマイアミに作戦基地をもち、既に彼らの作戦計画を開始している。」(暗殺されたアンデルソンの同僚ルイス・ビルバオ)


■新たな警戒迫られる「ボリーバル革命」−−追い詰められた米・ベネズエラ反革命派が最後の手段=「個人テロ」「白色テロ」に訴え始めた危険。
 米国政府とベネズエラのオリガーキー特権層は、2002年4月のクーデター、2002年末から2003年にかけての石油サボタージュ、そして2004年8月の大統領罷免投票に至るまで、貧困層に依拠して米国の干渉政策と新自由主義政策に反対するチャベス政権の転覆を、様々な手段を使って狙ってきた。しかしながら、それらの策動はことごとく失敗に終わり、そのたびごとに、チャベス大統領の率いるボリーバル革命は新たな前進を遂げてきた。この10月の地方選挙におけるチャベス派の圧勝は、そのことを如実に示している。
※「ラテンアメリカ4カ国で行われた選挙結果について 米国の「裏庭」で抵抗する歴史的な人民大衆のうねり−−ネオリベラリズム反対、米の軍事覇権反対の潮流が一層拡大するラテンアメリカ−−」(署名事務局)

 ところが、ベネズエラの大衆が勝利の余韻に浸る暇もなく、暗殺という忌まわしい行為がベネズエラを震撼させた。この11月19日、2002年のクーデターに関与した者の起訴を担当していた国家検察官の乗っていた車が、何者かに仕掛けられたプラスチック爆弾によって爆破されたのである。10月31日に行われた地方選挙の飛躍的前進が判明してからわずか2週間あまり。カラカスに激震と緊張が走った。

 言うまでもなく今回の国家要人暗殺の背後には、「ボリーバル革命」に反対する現地ベネズエラの寡頭制(オリガーキー)支配層と米CIAが存在することを誰も疑わない。現に爆殺された検察官ダニーロ・アンデルソン氏は、2002年のクーデター事件に関与した人々を起訴することを職務としていた。彼が有能な検察官であるというイメージは広く国民に知れわたっており、それがために、反革命反対派から、従って米政府から憎悪と攻撃の矢面にさらされていた。そして、彼は、自分の車に仕掛けられた爆弾によって、非業の死を遂げた。それは、彼が護衛なしで行動するときを狙った、彼の行動を熟知した計画的な犯行であった。

 以下に翻訳した最初の2本の記事に、犯人について簡単に報じられている。直接の容疑者を追い詰め追跡中に銃撃戦になりその容疑者が死んだこと、家宅捜索の中から多くの証拠が出てきており、そこから容疑者の開設した弁護士事務所が怪しいこと、そして弁護士とその事務所が米CIAとつながっていたこと等々、捜査の中から2年前のクーデターの首謀者らと米CIAとの関係がすでに明らかになってきている。

 今回の事件は、アンデルソン検察官の暗殺に留まらず、その他の政府要人暗殺、とりわけチャベス大統領の暗殺までを視野に入れた行動の一環である可能性がある。車に爆弾を仕掛けるという、これ見よがしな方法での暗殺は、チャベスを支持し、アンデルソンと同様の任務を遂行している人々、そして何よりもチャベス大統領自身に対する暴力的な脅迫そのものである。




■暗殺された検察官が追及した真実−−米政府と反チャベス派が企てた2002年4月クーデター。
 米国は、イラク侵略に端的に現れているように自らが世界最大最強の「国家テロリスト」として己に逆らう国々に一方的な軍事介入を行ってきたし、その己の侵略に抵抗する者を十把一絡げに「テロリスト」呼ばわりして、徹底的に叩きのめしてきた。最近のファルージャにおける大虐殺と都市丸ごとの壊滅はその凄惨な実例である。

 しかし米政府のやり口は、自らがその軍事力を直接行使するだけではない。他方で、CIAが先頭に立って「真のテロリスト」を自ら養成し、露骨な内政干渉の手段としているのである。CIAによる要人暗殺――それは、単に過去の出来事であるだけではない。ましてやドキュメンタリー映画の中の出来事などでもない。まさに現実に進行中の出来事なのである。
 今回も例外ではない。翻訳記事4本のうち後の2本は、マイアミを拠点として、かつて2年前のクーデターの首謀者達が米国マイアミに逃れ、そこから米政府・CIAと一緒になってチャベス暗殺と政権転覆工作を指示している様子が描かれている。まさにかつてカストロ暗殺とキューバ革命圧殺を企てたように。
 米国における情報公開法である「情報自由法(FOIA)」に基づいて公開されたCIAの極秘資料によれば、9.11事件の直後、ブッシュ大統領は、元CIA長官から出された世界80カ国の要人の暗殺計画を無条件で認可した。いまだかつて、これほどまで何もかもやり放題の権限がCIAに与えられたことはなかった。

 さらに「情報自由法」に基づいて公開された資料によれば、ベネズエラにおける2002年4月のクーデターから今年8月の大統領罷免国民投票の試みに至るまで、中立を装った米国の準政府組織が、チャベス大統領の反対派に対して、多額の資金を融資していたことが明らかになった。
 米国の役割は、資金を援助することに留まらない。2002年4月のクーデターは、あたかも偶然の出来事がきっかけとなったように報じられたが、実際は計画的なものであった。そして、クーデターの起こるよりも前に、CIAの資料に、まさに4月11日のクーデターがどのようなものになるかが描かれていたのである!この事実は何を意味するか。米CIAが現地の反対派と緊密に連絡を取ってクーデター計画を練り上げたという十分考えられるシナリオである。

 米国が、チャベス大統領をどんな手段を使ってでも追い落とそうとしていることは、もはや明らかである。しかしながら、クーデター、石油サボタージュ、隣国コロンビアで集めた傭兵による軍事作戦計画、大統領罷免国民投票、等々、ありとあらゆる手段は失敗に終わり、さきの10月の地方選挙では、そうした策動にとどめが打たれたかのような様相すら呈した。合法、非合法の手段が使い尽くされた後に残っているのは、国家指導者や要人に対する暗殺、白色テロである。
 ベネズエラの「ボリーバル革命」は、前進と発展の結果として、次はチャベスや国家要人の暗殺やテロを警戒しなければならない段階に入った。
(註)なお、この暗殺が、コンドリーザ・ライスの国務長官への指名と同時期にあるということで、ライスのこの計画への関与もとりざたされている。彼女は、これまでも事あるごとにベネズエラ革命とチャベスを非難する発言を行ってきた。2002年4月のクーデターの直後に、「チャベスは憲法を守る必要がある」と公言し、最近もまた「チャベスが真の問題」であって、彼に圧力をかける必要があると述べていたのである。以下の記事が参考になる。
◎「Danilo Anderson's Murder」by toni solo Znet November 26, 2004
http://www.zmag.org/content/showarticle.cfm?SectionID=45&ItemID=6738
◎「Rebuffed in elections, contras turn to terror」By Berta Joubert-Ceci Workers World Dec. 2, 2004 http://www.workers.org/ww/2004/venezuela1202.php

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 ここに翻訳紹介するのは、以下の4本の記事である。
◎「再度表面化する反政府テロリストの攻撃:ベネズエラでのテロ事件で国家検察官ダニーロ・アンデルソン殺害される」(ベネズエラ・アナリシス2004年11月19日)
http://www.venezuelanalysis.com/news.php?newsno=1422
◎「ベネズエラの国家検察官暗殺事件の調査で生じた銃撃戦と死者」(ベネズエラ・アナリシス2004年11月24日)
http://www.venezuelanalysis.com/news.php?newsno=1424
◎「文書に記録された証拠:ベネズエラのチャベスに対するクーデターにCIAが関与」(ベネズエラ・情報自由法2004年11月22日)
http://www.venezuelanalysis.com/articles.php?artno=1321
◎「ベネズエラ: テロの新たな波の背後には米国が?」(グリーンレフト2004年12月1日)
http://www.greenleft.org.au/back/2004/608/608p19.htm

※なお、AP通信は12/3付で「CIAはベネズエラ・クーデターを知っていたことをドキュメントは示す」という記事を配信した。そしてそのドキュメントそのものをウェブサイトwww.venezuelafoia.info,が公開している。この公開資料こそが3本目の翻訳記事に詳しく書かれている 「情報自由法」に基づいて公開された資料に他ならない。 Published on Friday, December 3, 2004 by the Associated Press
Documents Show CIA Knew of Venezuela Coup

2002年4月のチャベス大統領に対するクーデターへのいかなる関与も米政府は一貫して否定しているにも関わらず、これらの文書は、CIAがクーデターが行われるずっと以前から、クーデターの詳細な計画を握っていたことを証明している

2004年12月4日
アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名事務局


再度表面化する反政府テロリストの攻撃
ベネズエラでのテロ事件で国家検察官ダニーロ・アンデルソン殺害される
Anti-government terrorist attacks surface once again
Terror Attack in Venezuela Kills State Prosecutor Danilo Anderson
2004年11月19日金曜日
Venezuelanalysis.com / Alia2
http://www.venezuelanalysis.com/news.php?newsno=1422


 カラカス、2004年11月19日(Venezuelanalysis.com / Alia2)――昨夜、国家検察官ダニーロ・アンデルソンは、車両爆破による暗殺の犠牲者となった。それは、ウーゴ・チャベス大統領がリコール国民投票で勝利した後、比較的平穏な数週間を味わっていたベネズエラの人々の中に、非常な驚きをもたらした。

 アンデルソンは、2002年4月11日のクーデターに参加について告発を受けた幾人かの大統領反対派の起訴を担当していた。


 ダニーロ・アンデルセンは計画的に暗殺された(vheadline.comより)
 カラカスのロス・チャガラモス地区での学位取得講座に出席した後、帰り道の途中で、アンデルソンのランドクルーザー車は爆破された。

 科学警察(CICPC)によると、アンデルソンが車を始動したおよそ5分後に、2回の爆発が彼の車を襲った。アンデルソンの黄色いトヨタ製のオータナは、炎につつまれながら、爆発の後も前進し続け、店に衝突して大破した。

 爆発現場の目撃者の通報に応じて、カラカスの消防士が最初に現場に到着した。その後まもなく、ベネズエラの軍情報部警察(DISIP)、科学警察(CICPC)、国家警備隊、メトロポリタン警察、カラカス警察、軍事警察のメンバーが加わった。今日午前12時までには、ホセ・ビセンテ・ランヘル副大統領、情報省長官、最高裁判所判事、内務省長官、エネルギー省長官、鉱業省長官、および司法長官を含む政府高官らが爆発現場に到着した。

 政府のスポークスマンは、金曜日[本日]の昼近くに、その遺体が国家の検察官ダニーロ・アンデルソンであると法医学専門家に明確に確認されるまで、犠牲者が誰であるかについての公式声明を控えた。金曜日の早朝、犯行現場に到着するとすぐ、ヘセ・チャコン法務および内務省長官はこう述べた。「起こったことが暗殺であることは間違いない…。暗殺者は計画性をもって、かつ十分な時間をかけて、この暗殺を準備した。」 チャコンは続けて述べた。「アンデルソンには彼を担当する護衛がいた。しかし、彼が講義に出席する時はいつも、護衛を立ち去らせていた。それが彼のいつものやり方であった。我々は、彼の殺害がこの日常の生活習慣に基づいて計画されていたと推定している。」

 共和国の司法長官イサイアス・ロドリゲスは、目に見えるほどに感情を高ぶらせながら、その現場でこう宣言した。「我々は大地を掘り起こしてでも、あらゆる石の下を捜さねばならないとしても、犯罪集団を必ず見つける。そう、犯罪集団は発見されるだろう。」

台風の目の国家検察官

 38歳のダニーロ・アンデルソンの公的職務は全国を管轄する国家検察官である。ベネズエラ大統領ウーゴ・チャベスに対して2002年4月に試みられたクーデターの時、アンデルソンは、国営テレビ放送を再開するのに貢献した。その時の放送で、国営放送は、チャベス支持者が権力を取り戻したと初めて公式に宣言することになったのである。

 その結果、アンデルソンは、国家検察官としての役目を務めるよう、司法長官によって直接に任命された。アンデルソンは、最近、2002年4月のクーデターの間に起こった暴力についての、論争を巻き起こしている捜査の最先頭に立っていた。

 特に3つのケースで、この国家検察官は注目を浴びることになった。彼はメトロポリタン警察の職員に対してなされた告発を担当していた。それは、2002年4月11日にプエンテリャグノ(カラカスの大統領官邸から1ブロック離れた場所)で民間人に発砲したことで告発されていたからである。これらの殺害は、初めはベネズエラの私営大手メディアによって、チャベスの支持者の行いだと決めつけられていた。そして、そのことは、クーデター正当化の口実として、反対派の軍将校たちによって利用された。

 また、アンデルソンのオフィスは、エンリケ・カプリレス・ラドンスキーの起訴も追及していた。ラドンスキーは、カラカス自治体の富裕層の地区バルタの長であり、2002年4月12日に、キューバ大使館への攻撃を許し、その結果、キューバの主権を侵害した。ごく最近、アンデルソンは、独裁的布告に署名した約400人の人々を召喚した。4月のクーデターで、商工会議所(FEDECAMARAS)代表のペドロ・カルモナは、その布告によって、自分勝手に宣言した暫定的な大統領として、最高裁判所、憲法、国民議会を廃止し、オンブズマンと司法長官を解雇したのである。

 アンデルソンの有能な国家検察官としてのダイナミックなイメージは、彼の正確かつ専門的な公的報告書が示す如くであって、そのことが彼に対する極端な個人攻撃と誹謗中傷に至る反対派と私営メディアからの系統的な攻撃を招来していた。

テロの再発

 ベネズエラでは車の爆破はめったにないことであるが、ここ数年にベネズエラで爆発物が使用されたのは、アンデルソンの殺害が最初の事件ではない。政治的暴力は、問題になっているチャベス大統領の統治についての激しい政治闘争というベネズエラの状況の中にあって、たえず物陰に潜んで機会をうかがっている。チャベス大統領を辞任させるために、反対派は、クーデターの試みを1回、失敗したゼネストを4回、そして9回の選挙戦を行なってきたが、ことごとく失敗してきたため、それが反対派のいくつかのセクターに、暴力の必要性を確信させた。

 2003年に、コロンビアとスペインの大使館が、チャベス反対派の中の暴力的な部分によって爆破され、この年の後半には、テレコミュニケーションビルが爆破された。この3番目の爆破で、政府の調査官は、ゴンサレス・ゴンサレス司令官およびフェリペ・ロドリゲス司令官を含む数人の元ベネズエラ人の陸軍士官に逮捕状を発行することになった。ロドリゲス司令官は、今年の初めにマイアミから、「マイアミ・ヘラルド」の通信員フィル・グンソンとのインタビューを発表した。そこで、この司令官は、チャベス大統領に対する秘密のゲリラ戦を指揮するために地下に潜伏する予定であると宣言した。

 ごく最近、130人のコロンビア準軍事組織が、亡命キューバ人でありベネズエラ市民であるロバート・アロンソのカラカスの私有地で発見され、逮捕された。政治的暴力は、過去2年間、ベネズエラでは散発的に存在してきたが、今回は、初めて一個人がこのタイプの行為のターゲットとなった事件であった。
※署名事務局注「チャベス政権、コロンビア準軍事組織を摘発。米国が裏で糸を引くクーデターを未然に阻止」参照

 アンデルソンの死に責任がある加害者の正体と、そのありうべき動機に関して推測することは公式には拒否されているのではあるが、政府のスポークスマンはためらうことなく、それが非難すべきテロ行為であることを明確に確認している。

 国民投票と地方選挙の後、この国が平穏を回復するように見えた状況のただ中にあって、この極端な暴力行為は、再びベネズエラにありうべき汚い戦争の亡霊をよみがえらせている。


ベネズエラの国家検察官暗殺事件の調査で生じた銃撃戦と死者
Investigation of Assassination of Venezuelan State Prosecutor Leads to Shoot-Out and Death
2004年11月24日水曜日
グレゴリー・ウィルペルト Venezuelanalysis.com
http://www.venezuelanalysis.com/news.php?newsno=1424


 ロケット発射筒、ミサイル、および爆薬がアントニオ・ロペス弁護士の家で発見された。彼は当局と対決して死亡した。クレジット: Venpres

 カラカス、2004年11月23日――先週の木曜日、ベネズエラの最も著明な検察官の一人が車の爆破によって死亡したことに関する調査は、カラカスの最もにぎやかな広場での朝の銃撃戦を引き起こした。プラザ・ベネズエラで、ベネズエラ調査警察(CICPC)が元立法議員の息子で若い弁護士のアントニオ・ロペスの車に近づいたとき、銃撃戦が始まった。CICPCは国家検察官ダニーロ・アンデルソンの車両爆弾暗殺事件に関係した車を捜索していたのだった。

 この事件に関係した警察官によると、アントニオ・ロペスは、警察官が彼に近づいたとき、彼らに発砲し、警察官もまたそれに応戦した。この銃撃戦の結果、ロペスと二人の警察官が負傷した。そしてこの3人はすべて近くの病院に搬送されたが、ロペスと警官の一人がその後まもなく死んだ。
(訳註:重傷を負っていたもうひとりの警官もその後死亡した。11月26日には、暗殺事件の容疑者のうち2人が逮捕された。さらに、別な銃撃戦で容疑者の1人が死亡するという事件も起こっている。参照:http://www.venezuelanalysis.com/news.php?newsno=1429

 銃撃の後、CICPCは、ロペスの家を捜査することを決定した。そこで、彼らは、武器、爆薬、手榴弾、防弾ベスト、ガスマスク、爆弾を作る材料などを隠していた巨大な貯蔵庫を発見した。内務大臣ヘセ・チャコンは、ロペスの家で記者会見を行い、ダニーロ・アンデルソン事件の爆弾に使用されたものと同様の爆弾装置が、その資材の中で発見されたと述べた。その装置は、爆薬と起爆装置を表面に取り付けるためのものであった。

 チャコンは、続いて、こう述べた。ロペスは「傭兵が占領軍の仲間になる準備をするための、米国の訓練所で」訓練された。「この男は、2000年以来、米国の戦争の犬どもが講じてきたすべての講習、爆発物戦術の講習のようなものにも参加してきた。」と。発見された資材の中のいくつかの本を指し示して彼はこう言い足した。「爆発物の上に、マニュアルがあるだろう。そして、もっと後ろには、アントニオ・ロペスが米国で取った講習の写真アルバムがある。」

 アントニオ・ロペスの父は、息子と同じ家に住んでいて、襲撃の間、家にいたのだが、彼は息子が武器に愛着をもっていたことは知っていると述べたが、警察がその家で見つけた兵器は見たことがないと言い、おそらく警察がそれらをそこに持ち込んだのだとほのめかした。ロペスの両親は尋問のために、警察に拘引された。

 チャコンは、また、ロペスがデ・ソラ・パテという名の法律事務所に関係があったと説明した。そこはレネ・デ・ソラとジョン・パテの所有である。チャコンによれば、「パテ氏はベネズエラで不法に法律事務所の営業をしている北アメリカ人だ。彼はCIAと強い関係がある。」

 デ・ソラ・パテ法律事務所もまた捜査の手が入ったが、レネ・デ・ソラは、ニュースチャンネル、グロビジオンとのインタビューの中で、そのような捜査はまったく普通に予期されることだし、続けるべきであると述べた。「私たちは彼の政治活動については全然知らなかったので、起こった出来事についてはまったく驚いている。」と、デ・ソラは述べた。

 警察はまた、目撃者が、アンデルソン爆破の現場近くで見たと言う人物についての2つのスケッチを公開した。


文書に記録された証拠
ベネズエラのチャベスに対するクーデターにCIAが関与
Documented Proof: The CIA Was Involved In the Coup Against Venezuela's Chavez
2004年11月22日月曜日
エバ・ゴリンヘル--VenezuelaFOIA.info
http://www.venezuelanalysis.com/articles.php?artno=1321


 2002年4月12日に、ホワイトハウスのスポークスマン、アリ・フライシャーはこう言明した。
 「ベネズエラで行われていることに関する政府の考えをみなさんにお知らせします。いくぶん流動的な状況のままですが。しかし、昨日のベネズエラの出来事は、結果として政府の交替をもたらし、新しい選挙が行われるまで、暫定政権が権力を掌握しました。

 詳細はまだ不明瞭です。私たちは、チャベス政府によって奨励された行動がこの危機を引き起こしたのを知っています。入手できる最良の情報によると、チャベス政府は平和なデモンストレーションを弾圧しました。チャベス政府からの命令で、政府の支持者は、非武装の平和な抗議者に発砲し、10人が殺され、100人が負傷しました。ベネズエラの軍と警察は、平和なデモ参加者に発砲するのを拒否し、そのような政府の人権抑圧を支持するのを拒否しました。また、政府は、独立ニュースメディアがこれらの出来事に関して報告するのを妨害しようとしました。

 これらの出来事の結果、今やチャベス大統領は大統領職を辞職しました。辞職する前に、彼は副大統領を解任し内閣を解散しました。そして、過渡的な文民政府が就任しました。この政府は早期の選挙を約束しました。

 米国は、出来事を監視し続けます。起こったことは以上です。ベネズエラの人々が平和的な抗議で彼らの権利を表現したということです。それは非常に大きな抗議に変わりました。そして、抗議は暴力で迎えられたのです。」[i]

 同じ日に、米国国務省のスポークスマン、フィリップ・T・リーカーは、こう主張した。
「この数日、私たちは、ベネズエラのすべての党が−−ただしチャベス政権は例外ですが−−、抑制をもって行動し、政治上の意見の平和的な表明に完全な敬意を示すであろうという私たちの希望を述べてきました。私たちは生命が失われたことを悲しく思います。私たちは、ベネズエラの人々に連帯を表明したいと思います。そして、民主的権利の完全な実践を確かなものにするために、ベネズエラのすべての民主的勢力とともに行動できることを期待したいと思います。ベネズエラ軍は、平和なデモ参加者に発砲するのをりっぱに拒否し、そして、メディアは勇敢にベネズエラの人々に情報を知らせ続けました。

 ベネズエラでの昨日の出来事は、新しい選挙が行われるまでの暫定政府をもたらしました。詳細はまだ不明瞭ですが、チャベス政権によって遂行されたか、または奨励された非民主的な行動が、昨日のベネズエラの危機を引き起こしました。現時点で入手できる最良の情報によれば、昨日、何十万人ものベネズエラ人が、不満な状況を矯正することを求めて平和的に集まりました。チャベス政府は、平和なデモンストレーションを抑圧しようとしました。チャベス支持者は、命令を受けて、非武装の平和的な抗議者に発砲して、100人以上の人々の死傷をもたらしました。ベネズエラの軍と警察は、平和なデモ参加者に発砲せよという命令を拒否し、そのような政府の人権抑圧を支持するのを拒否しました。政府は、5つの独立系のテレビ局がこの事件に関して報道するのを妨害しました。これらの挑発の結果は次の通りです。チャベスは大統領職を辞職しました。辞職する前に、彼は副大統領を解任し内閣を解散しました。暫定文民政府は早期の選挙を約束しました。

 この状況が「インターアメリカン民主主義憲章」の原理に合致する形で、ベネズエラの人々によって平和的かつ民主的に解決されるものと、私たちは大いに期待しています。民主主義の基本的な要素は、最近の数カ月弱められてきましたが、これは完全に回復されるでしょう。私たちは、ベネズエラを援助するために、「インターアメリカン民主主義憲章」の枠組みの中で、私たちの半球のパートナーたちと協議することになるでしょう。」[ii]

 ここにこれらの声明を再び引用したのはなぜか? 米国政府の最高レベルから発せられたこれらの声明は、ベネズエラの大統領チャベスに対してなされた4月11日〜12日のクーデターの間に起こった出来事についての説明が、あらかじめ準備されていたことを示すものだからである。その上、これらのあけすけな声明は、「情報の自由法(FOIA)」に基づいて米中央情報局(CIA)から最近入手された文書に照らし合わせると、事件についてのこの準備された説明は、故意に虚偽を述べたものであり、民主政府の暴力的な打倒を正当化するために国際社会を欺く意図で作られたことが、今では明白に立証される。

 ホワイトハウスと国務省は、双方とも、チャベス政府が暴力と衝突を煽りたて、その結果として、言われているところの大統領の辞任表明に至ったのだと主張した。また、チャベス政府が非武装かつ平和的なデモ参加者に発砲し、ベネズエラの軍と警察が「政府の人権抑圧を支持する」命令を拒否したと断言した。米国政府は、まるで当日の抗議行動と衝突が、自然発生的で無計画な出来事であったかのように述べた。また米国政府は、今日まで、2002年4月のクーデターについてのいかなるかかわり合いも否定し続けてきた。

 しかしながら、2002年4月11日の出来事が、チャベス政府を打倒する意図を持っていた反対派の一部分による、完全に計画的なものであったことを示す大量の証拠が、クーデター以来表面化してきている。その上、私自身の調査によっても、クーデターへの様々なレベルでの米国の関与を立証するあまりにも多くの証拠が追加されている。ベネズエラでの戦いの最前線について最も露骨に明らかにしているのは、2002年4月12日土曜日の朝のナポレオン・ブラボを司会者とする「24時間」というニュース番組だった。その番組で、ブラボは、公然たるクーデター首謀者であるカルロス・モリーナ・タマヨ中将、および世論調査会社CIFRAのディレクターであるビクトル・マヌエル・ガルシアにインタビューした。CIFRAは、クーデターの間、「市民社会」を代表していると主張していた。モリーナ・タマヨとガルシアの両方が、クーデターに導いた出来事とそれに関わった主要なベネズエラ人について、開いた口がふさがらないような詳細な説明をした。そこには、私営のテレビ局が彼らと共謀し補佐していた、と断じて間違いないことまでが含まれていた。彼らの証言は、「正義第一党」のチャカオ市の市長レオポルド・ロペスと司会者ナポレオン・ブラボ自身のクーデターにおける共犯の告白と共に、チャベスの打倒が計画的な出来事であったという多くの証拠を提供した。

 後に、映画制作者アンヘル・パラシオスによる驚くべき受賞ドキュメンタリー、「傷ついた歩道橋:虐殺の手がかり」は、ベネズエラの私営のメディアが、2002年4月11日に反対派の行進において展開した出来事を、どのように操って歪めたかを明らかにした。そのことが、広範な暴力と死者をもたらしたのである。また、このドキュメンタリーは、チャベス政府とは無関係の狙撃兵が反対派の行進に暴力を挑発し、そのことがチャベスの強制的な解任を正当化することに使われたという、十分な証拠を提供した。その上、このドキュメンタリーは、その日に起こったことが、よく計画された軍民連携のクーデターであったこと、そしてその関与者たちが米国政府の最も高いレベルの人々と関系していたことも立証している。
*参照:「[番組紹介] チャベス政権 クーデターの裏側」(署名事務局)

 しかし、クーデター自体における米国の実際の関与についての証拠は、最近まで乏しいままであった。情報サイト「ベネズエラ・情報自由法」(www.venezuelafoia.info)で、私は、2001年以来米国政府がベネズエラで行ない続けてきた不明瞭な融資計画を証明する、何百通もの文書を掲示した。そこには、反対派のセクターへの2000万ドル以上の融資も含まれている。「民主主義のための全国基金(NED)」は、2001年後半以来300万ドル以上を反対派の勢力に提供してきている。NEDは、米国で政府に準ずる実態をもっていて、すべて議会から資金を得ており、1983年に議会で法律によって設立されたものである。資金を提供された反対派の多くは、2002年4月のクーデターの主要な関与者であった。2002年6月、「米国国際開発局(USAID)」は、ベネズエラが政治的危機を解決するのを援助するという目的のために、という名目で、「移行期主導室(OTI)」をカラカスの米国大使館に設置した。カラカスのOTIが2002年6月以来、米国議会から得た資金は1500万ドル以上になる。そして最近、2年の期間限定で設置が考えられていたという事実にもかかわらず、2005年に向けてさらに500万ドルを要求した。日付の入ったすべての証拠によって、これまでOTIが主としてベネズエラにおける反対勢力とその計画、特にチャベス大統領に対する2004年8月15日のリコール国民投票に焦点を合わせたものに資金を供給したことが示されている。

 私は別の記事で、ベネズエラにおいてNEDとUSAIDを通して行われた内政干渉のモデルを説明した。この干渉方法は、非常に巧妙で複雑なものである。それは非常に狡猾な方法で市民社会と社会組織に浸透し、しばしば気づかれることなく、あるいは「民主主義を推し広める」という概念によって正当化が行われる。しかしその根拠は薄弱である。NEDは、正反対の証拠にもかかわらず、全世界に「民主主義を推し広める」と主張しているのである。NEDが排他的に反チャベスグループに資金を融資し、2002年4月のクーデターにかかわったのはまさにその同じ組織であったというこのベネズエラでの単純な事実が示すことは、NEDの意図が「民主主義」などでは全くないということである。

 しかし、ベネズエラでのCIAの介入は最も粗雑で、単純な種類のものである。最近入手した極秘文書(「ベネズエラ・情報自由法」http://www.venezuelafoia.info/に掲示)は、チャベス大統領に対する2002年4月のクーデターの数週間前に、CIAは起こる出来事に関する完全な知識を持っていて、事実上、詳細な計画を手にしていたことすら示している。『ベネズエラ:クーデターの機が熟す諸条件』という簡潔な見出しの付いた2002年4月6日の最高機密情報には、こう述べられている。「複数の不満のある上級士官と過激な下級士官のグループを含む反政府的な軍の派閥が、チャベス大統領に対するクーデターを組織するための取り組みに踏み出している。早ければ今月にも可能。[検閲による削除] 報告された計画における詳細のレベル −−[検閲による削除]チャベスと他の10人の上級士官をターゲツトにし、逮捕して…。」その文書はさらに述べる。「軍事行動を挑発するために、陰謀者たちは、今月後半に予定された反対派のデモから不穏状態を醸成しようとするかもしれない」。[iii]

 したがって、CIAは、クーデターの企てが2002年4月6日のすぐ後に行われるのを知っていた。さらに、その上、計画にはチャベスの拘束と反対派の行進の中での暴力の利用が含まれていることを知っていた。言い換えれば、CIAはクーデターが起こる前にその計画を知っており、そして確実に、関わりのある立て役者たちを知っていた。その名前の多くは、おそらく極秘文書の検閲で削除された部分なのであろう。クーデターに先立つ数週間前にCIAが詳細な計画を入手していたとすれば、それはCIAがクーデター陰謀者と関係し共謀していたからであると想定できるであろう。したがって、アリ・フレイシャーとフィリップ・リーカーが米国政府を代表して2002年4月12日の声明を出した時、彼らは、クーデターが行われたこと、チャベスが拘束されたこと、反対派の行進における暴力(彼らはそれをチャベスのせいにした)が実際にクーデターの陰謀の計画的部分であったということについて完全な知識を持って声明の発表を行っていたということになる。この情報を明らかにしている極秘文書は、それらが米国国務省と国家安全保障局に送られたことを示している。そのことは、まぎれもなく、ホワイトハウスは、何が起こっていたのかを知っていたことを意味する。

 さらに、CIA文書はチャベスを強制的に辞任させる試みについてはまったく言及していない。CIAの警告文書は、早くも2002年3月5日の段階で(この日付は閲覧できた文書の中で最も早いものである)、クーデターが浮上していることを示した上で、クーデターの成功の可能性は限定されているということを示唆しさえしている。CIAは、反対派が首尾よくチャベスを打倒するには、あまりにも分散し、分裂していると正しく感じていた。しかし、2002年4月12日にホワイトハウスと国務省が「確信した」ような、チャベスが「辞職した」という考えは、単なる作り事であり、米国の公衆と国際社会を欺く意図を持って作られた虚偽の主張であった。米国が、クーデターを実行したカルモナ政権を世界中で事実上単独で承認する立場を取ったことを覚えておこう。後に、このクーデターが崩壊した直後になってはじめて、米国はすぐにメンツを保つことが必要であることを理解して、弱々しい非難を行なったのではあるが。

 2002年4月14日のCIA最高機密文書は、米国が唯一カルモナのクーデター政権を承認したことで、ラテンアメリカ各国の政府が米国の外交政策を「偽善的である」と見ていることへの懸念を示している。また、CIAは、ラテンアメリカ一帯があまりにも早くベネズエラのクーデターを拒絶したことと、カルモナ政府が「ものの見事に崩壊した」ことに驚いているようである。そのことは、この半球についてのあってもおかしくない時代遅れな視点と、情報の収集と分析における失敗を示している。実際、クーデターがチャベス支持者のせいで屈してしまうとは、CIAは決して想像だにしなかった。――彼らの分析では総じて、失敗の可能性は反対派の統一の欠如と軽率な行動によると見なされてきた。これは非常に重要なポイントである。というのも、このことは、CIAが軍の反政府的派閥と反対派の指導者とともにクーデターの立案と協同に関わってきたにもかかわらず、それがベネズエラの社会の現実からかなり乖離していることを示しているからである。

 CIAのベネズエラでの情報活動の失敗は、明らかに2002年後半の石油産業のストライキと「グアリンバ」つまり不安定化工作でも繰り返された。それは、チリとニカラグアで適用された昔ながらのCIAの戦術であった。これら二つの荒々しい行為が、ベネズエラの経済を傷つけ、政府の国際的なイメージに影響したが、チャベス大統領を追い出すという目標は失敗した。反対派の運動を構築し維持するために、またチャベス大統領に対するリコール国民投票キャンペーンの財源支援のために、NEDとUSAIDは何千万ドルもつぎ込んできたが、これらの任務もまた達成されなかった。事実上、米国政府とその傀儡である反対運動によるこれらのしくじった試みのすべてが、ベネズエラにおけるチャベスの支持を強化し、彼を強力で堅固な国際的リーダーとして描き出すのに役立った。

 2002年4月のクーデターにおけるCIAの関わりと共犯を示すいくつかの最高機密文書が今ではもう表面化したのだから、次に問題になるのは何かを考えることが残されている。2001年9月、ニューヨーク世界貿易センターへの攻撃のすぐ後に、ブッシュ大統領は無条件に元CIA局長ジョージ・テネットの「世界的規模の攻撃マトリックス」を認可した。それは、世界80ヶ国で指導者と重要人物を暗殺の対象にするものである。「世界的規模の攻撃マトリックス」の認可は、「テロとの戦い」の下で正当化され、海外での政治的暗殺を遂行するために実質上の白紙委任状をCIAに提供した。CIAの最高機密文書である「攻撃マトリクス」は、「通常のプロパガンダから軍事攻撃の準備における秘密の暗殺活動までの」一連の隠蔽されたCIAの反テロ活動にお墨付きを与えるものである。[iv] その計画はCIAに、史上最も広範で最も致命的な権威を与えるものである。アナリストの中には、ことによるとベネズエラがその計画に含まれているかもしれないと指摘した者もいる。

 最近起こったベネズエラの検察官ダニーロ・アンデルソンの暗殺は、CIAの作戦行動を想起させるスタイルで行われたのであるが、今後の政治的暗殺のお膳立てをしている可能性がある。歴史が示しているのは、CIAが殺人以外の手段でターゲットを排除することに失敗した時には、より絶望的な手段がとられるということである。ベネズエラの政府とその支持者は、既に過去数年間にわたって何度もCIAの計画を挫折させてきたようであるが、それでも、警戒、情報収集、そして安全策の強化が優先事項になるべきであろう。

[i] http://www.whitehouse.gov/news/releases/2002/04/20020412-1.html
[ii] http://www.state.gov/r/pa/prs/ps/2002/9316.htm
[iii] http://www.venezuelafoia.info/CIA/SEIB_04-06-02-pre-Coup-conditions_ripen/CIA-04-06-02.htm
[iv] http://www.i2osig.org/cia.html
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ベネズエラ: テロの新たな波の背後には米国が?
VENEZUELA: New wave of US-backed terrorism?
2004年12月1日
スチュアート・マンクトン(グリーン・レフト)
http://www.greenleft.org.au/back/2004/608/608p19.htm


 11月18日カラカスで、2個の爆弾が車を爆破し、38歳の国家検察官ダニーロ・アンデルソンが殺害された。アンデルソンは、2002年4月の軍事クーデターに責任のある人々を法廷の場に引き出すキャンペーンの先頭に立っていた。そのクーデターは、ごくわずかの期間、ウーゴ・チャベスの急進的な政府を追い落として、米帝国主義と地元の特権層に許容可能な政府に置き換えたのだった。

 腐敗した反動的な司法部は、元来、チャベスの反対派をその犯罪のせいで罰されることのないように保護していた。その中には、カラカスの反チャベス派市長の支配下にあって60人以上のチャベス支持者を殺害した警察が含まれている。

 4月のクーデターの後、最高裁判所は、起こったことはクーデターではまったくなく単に「権力の空白」であったと裁決して、犯罪を犯した重要人物を釈放した。

 しかしながら、そうした事態は変化し始めている。タッチラ州では、失敗したクーデターの間、選挙で選ばれた州知事を強制的に解任させる役割を果たしたことで、8人の反チャベス派の政治家と財界指導者が実刑判決を受けた。反対派の組織「スマテ」−−これは米国政府の「民主主義のための全国基金(NED)」に資金を要求し、受け取っている−−の4人の指導者に対する責任の追及は、ベネズエラ大衆の意志を屈服させるために外国の権力と共謀する者を罰する継続的な政府の決意を明白に示している。アンデルソンはこの起訴に協力していた。

 また、アンデルソンは、チャベスを打倒し大富豪ペドロ・カルモナを独裁者として任命した布告に署名したすべての個人を調査していた。アンデルソンが召喚した400人以上の諸個人には、有力な政治家、銀行員、実業家、高級官僚、元司令官、およびメディアの大立て者が含まれていた。

 政府はこの暗殺をテロ行為として非難した。チャベス攻撃におけるCIAと米国政府の役割を調査しているエバ・ゴリンヘル弁護士は、「ダニーロの暗殺は、私たちを黙らせ、威圧して、さらなるどんな前進をも阻止しようとする試みです。」と11月19日に「ブイヘッドライン(Vheadline)」のウェブサイトで掲示された死亡記事に書いた。
http://www.vheadline.com/readnews.asp?id=23571

 「ブイヘッドライン」11月22日の報告(http://www.vheadline.com/readnews.asp?id=23641
によれば、元カラカス市長アルフレード・ピーナ(現在逃亡中)の警備主任イワン・シモノビスが、フロリダに逃げようとしてベネズエラ国家政治安全部(DISIP)職員によって留置されたということである。彼の元ボスと同様、シモノビスは、失敗したクーデターにおける彼の役割のゆえにベネズエラの「最重要指名手配者」のリストにある。シモノビスは、アンデルソンの暗殺に関して査問されるであろう。


イワン・シモノビス
 他のニュースでは、11月24日の「ベネズエラ・アナリシス」が次のように報告している。反対派の仲間であった弁護士アントニオ・ロペスが、人通りの多い広場でロペスに接近してきた警官との銃撃戦で撃たれて死亡した。警察が暗殺事件の調査の一環として車を捜査していたのだが、ロペスはその車に乗っていたのである。警官の一人もまた銃撃戦で殺された。警官たちは、彼らが近づいたときロペスが彼らに発砲したと供述している。警察は、後でロペスの家を捜査し、手榴弾、ロケット発射筒、ミサイル、防弾チョッキ、ガスマスク、および爆弾を作る材料が貯蔵されているのを発見した。

 アンデルソンの暗殺とその隠された武器の発見、今年初めの反対派の農場で訓練していたコロンビア準軍事組織の発見、コロンビア国境付近のベネズエラ軍と石油施設への最近の攻撃、8月8日の政府閣僚に対する失敗に終わった暗殺計画などからすれば、米国によって支持された反革命的な反対派がますます破れかぶれになって行なうテロリストキャンペーンの始まりを我々は目撃しているのかどうかと自問してみる必要がある。

 キューバの新聞「グランマ」は、11月22日のオンライン版で『マイアミ-カラカス:拡大するテロの波』と題する記事を特集した。その記事は、マイアミ――そこは、反キューバテロリストの住むところでもある――が今では強固な反チャベス派の裕福なベネズエラ人の居住地となり、その数がだんだん増えていることを指摘している。その中には、クーデターにおける役割のゆえにベネズエラで指名手配されている多くの人物が含まれている。米国は、今までのところ、責任を問われている者たちについてのベネズエラからの引き渡し要求をまったく無視してきた。

 その記事は、こう主張している。「フロリダが、コスタリカ、ドミニカ共和国、コロンビアとともに、ボリーバル革命過程に対して陰謀を企むためにベネズエラの反対派によって選ばれた、4つのポイントであることは秘密でもなんでもない。しかし、軍事訓練とテロリスト養成のための主な基地はマイアミにある。米国政府の同意のもとで、ベネズエラ人のクーデター陰謀者を訓練するF-4コマンドはそこに集中している。」と。

 追放された反対派たちは、チャベスの暗殺をマイアミから繰り返し要求した。グランマの記事によると、反革命主義者は、2002年から2004年3月にかけて少なくとも27回、チャベスの暗殺をマイアミのテレビとラジオで呼びかけたということが「ベネズエラ・アナリシス」による統計で示されている。もしもジョージ・ブッシュ大統領を暗殺せよという呼びかけを何度もメディアの舞台にのせるのを許可する国があれば、米国がそんな国にどんな態度を取るかということを想像するのは簡単なことである。

 その記事は、故アンデルソンの同僚ルイス・ビルバオの宣言を引用する。「[米国国務省]出身のベネズエラ反対派クーデター遂行部隊を率いる人々は、ラングレーとマイアミに作戦基地をもち、既に彼らの作戦計画を開始している。」その記事は、ブッシュのラテンアメリカ専門家オットー・ライヒの大統領選挙後のコメントが、ベネズエラの人々にテロの波を浴びせようと周到に準備された陰謀の明白な証拠であると主張している。そのコメントの中で、彼は、自分なら今チャベスの立場には身を置きたくないものだと述べたのである。

 そのような計画の現実性がどうあれ、歴史が示しているのは、米国は革命が展開するのを手をこまねいて見ていることはないであろうということである。その革命が目指しているのは、指導者のウーゴ・チャベスの言葉で言えば、単にこの大陸における帝国主義の支配を打ち破るだけではなく、資本主義的なシステムへの代替手段を築き上げることにあるのだから。