ブッシュ政権、ベネズエラ革命と“左傾化”の新たなうねりの中で覇権後退に危機感
−−ラテンアメリカで軍事的・政治的・経済的介入の新戦略を模索−− |
はじめに−−ロバートソンの「チャベス暗殺発言」に現れている中南米における力関係のダイナミズム
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ブッシュ政権の有力な基盤となっている宗教右派の指導者で「テレビ伝道師」として知られるパット・ロバートソン師が、8月22日、自分の持つ宗教テレビ番組でベネズエラ・チャベス大統領を暗殺すべきだと訴えた。「我々は彼を取り除く能力を持っている。その能力を行使する時が来た。」と述べたのである。ベネズエラ当局の抗議と反戦平和団体や民主団体などの抗議と追及によって、ラムズフェルド米国防長官もマコーマック国務省報道官も、ロバートソン師の発言は米政府とは無関係であると弁解に追われ、ロバートソン師自身も24日、謝罪声明を出さざるをえなくなった。
しかし、今回のこの出来事は、謝罪声明などで済むようなことではない。ブッシュのスポンサーでもあり、いわば政権に強大な影響力を持つ有力な宗教指導者が、他国の民主的に選ばれた大統領の暗殺をテレビで呼びかけたのである。米政府も、関係を否定したり同じ立場に立つものではないと言明したりするだけで済む問題ではない。まさにこれは“白色テロル”司令なのだ。狂信的信者がどう動くか分からない。他国の大統領暗殺というとんでもないテロの煽動をいったいどうするのか。ここに図らずも事の本質が露呈している。「テロとの闘い」と言いながら、自分たち自身がテロを肯定し、実行を呼び掛ける。「その能力を行使する」ことを、政権基盤の有力者が公然と主張したわけである。
今回のロバートソン発言は、ブッシュ政権の「テロとの闘い」の欺瞞性、ご都合主義的二枚舌を自ら暴露しただけではない。そこには、現在ラテンアメリカで生じている大きな反米帝・反新自由主義のうねり、その先頭に立っているベネズエラ、それに対する米国の巻き返し策動、そのせめぎ合いの現状、等々をも垣間見ることができる。
米国はクリントン政権末期からラテンアメリカへの軍事的・政治的介入を強化してきたのであるが、またそれはブッシュ政権になっていっそう強められたのであるが、その失敗がはっきりした形で露呈しはじめているのである。特に、ベネズエラに対する隠然・公然の軍事的・政治的介入は次々に失敗し、昨年の大統領罷免国民投票でのチャベス反対派の決定的な敗北と組織的瓦解の後には、テロによる要人暗殺が前に出たのである。
昨年11月19日、2002年のクーデターに関与した者の起訴を担当していた国家検察官がプラスチック爆弾で爆殺された。大統領罷免国民投票でのチャベス派大勝利に引き続いて10月31日の地方選挙でチャベス派が圧勝して、重要な諸州で「ボリーバル革命」の前進を阻止してきた反チャベス派の首長たちが軒並み敗北した。暗殺はその直後に起こった。容疑者とその弁護士事務所は、米CIAとつながりがあることも突き止められた。ブッシュ政権は9.11事件の直後にCIAに広範な要人暗殺の権限を認可していたことまで、情報公開法に基づいて暴露された。ロバートソン発言は、このような流れの中に位置づけることができる。ロバートソンとブッシュら政権主要閣僚との日常的な交流の中で議論されていることを図らずもしゃべってしまったと言うべきであろう。決して彼個人の行き過ぎた発言と済ませる訳には行かないのである。
※参照:「ベネズエラ検察官ダニーロ・アンデルソンの暗殺はチャベス暗殺の前触れか」(2004.12.4 署名事務局)
ラテンアメリカにおける米国の失敗や手詰まりは、ベネズエラをはじめとする南米諸国人民の反米帝闘争の成果であると同時に、米国によるなりふり構わぬ巻き返し策動の危険性を絶えずはらんでいる。そのようなジグザグした諸過程として事態は進展しているのである。しかしそれはまた、イラク戦争の泥沼化に伴う諸制約とも深く関わっていて、全世界的な歴史的ダイナミズムの中で展開しているのである。それらを順追って考察していくことにする。
2005年9月6日
アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名事務局
[1]ラテンアメリカにおける翳りゆく米国の影響力と強まりつつあるベネズエラ・チャベスの影響力
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(1) 「米国はラテンアメリカでコントロールを失いつつある」−−そんな憂慮が大手メディアで語られ始めた。ロンドンの「フィナンシャル・タイムズ」は8月初め、ラテンアメリカにおける“翳りゆく米国の影響力と増大しゆくウーゴ・チャベスの影響力”への深い懸念を表明した。その中心点は、ラテンアメリカにおける米国の経済的支配がベネズエラ・チャベスによって掘り崩されつつあるということにある。
米国はチャベスの脅威を“革命の輸出”に見て、軍事的・政治的側面にばかり気をとられているが、その間に石油収入をテコとしたベネズエラの周辺諸国への経済的支援や、ベネズエラ、ブラジル、アルゼンチンを中心とした途上諸国間の経済関係の拡大などによって経済面での脅威が増大している、米国はそれに適切に対処できていない、早急に新戦略を見出す必要がある、というものである。まさに、現実世界を軍事的観点だけからしか見ないブッシュに対する警告であり、シティやウォール街など金融帝国主義支配層の近未来を見通した危機感と言っていいだろう。
※参照:「Financial Times : U.S. Losing
Control
in Latin America」
http://narcosphere.narconews.com/story/2005/8/9/122436/6754
このような懸念・憂慮の前提として、ベネズエラでは、すでにこれまで米国と反チャベス派が軍事的・政治的に失敗を重ね、チャベス政権を転覆させることができなかったという事情がある。2002年4月のクーデターの失敗、2002年末から03年初めにかけての石油ストの失敗、04年大統領罷免国民投票での敗北、等々、米国とそれに後押しされた反チャベス勢力の策動はことごとく失敗してきた。そのたびに「ボリーバル革命」は大きく前進を遂げた。そして、反革命の策動を打ち砕く闘いは、しだいに米国に依存しない新たな経済建設のための闘いへと移行し始め、それが加速している。そしてその新たな経済領域での闘いは、周辺諸国をも巻き込んだアンチ・ネオリベラリズム(反新自由主義)の闘いとして前進し始めているのである。
※参照:「米国の『裏庭』で抵抗する歴史的な人民大衆のうねり」(2004.11.15 署名事務局)
(2) 米国とベネズエラとの関係が、現在のラテンアメリカでの最大の対決点である。
1998年にチャベスが大統領に当選して以来、新憲法制定とそのもとでのチャベスの再選、民主的改革のための諸法制定と、着々と準備されてきた「ボリーバル革命」は、2001年から本格的に具体化され始めた。そのころから米国はチャベス政権の転覆を画策しはじめ、ベネズエラの寡頭制支配層=オリガーキーと結んで、2002年4月のクーデターを準備したのである。その失敗の後も、繰り返し繰り返しチャベス政権の転覆を画策しては失敗を重ねている。チャベス政権とベネズエラ人民は、そのたびごとに反革命の重要拠点をたたきつぶし新たな革命拠点を獲得しながら「ボリーバル革命」を前進させ、反米帝姿勢をいっそう鮮明にしてきた。今年はじめの「世界社会フォーラム」での演説で、チャベスは、「ボリーバル革命」が「資本主義を否定し新たな社会主義へ前進する以外にない」ということを明言した。
それに対する米国の脅しも強まっている。しかしベネズエラはそれに対して毅然とした態度で対応し、ますます反米・離米を推し進めている。4月22日には、35年間継続してきた米・ベネズエラ2国間軍事交流中止を通告し、米軍関係者の退去を命じた。CIAの根拠地になっていた米軍オフィスも閉鎖することを明らかにした。さらに、8月7日には、米国麻薬取締局との協力も中止することを決定した。米国は、ベネズエラを麻薬との闘いを行なっている国として認定することを取り消した。これは、事実上ベネズエラを軍事侵攻の対象国とするという脅しなのである。これまでにこの認定を取り消されたことのある国は、コロンビアとパナマの2国で、認定取消の直後に米国による軍事侵攻を受けているのである。
※参照:「U.S. Threatens to Pull Venezuela
Drug War Certification」(Narco News
Bulletin
2005.8.11/「ベネズエラ・アナリシス・コム」)http://www.venezuelanalysis.com/articles.php?artno=1520
このような米国による絶えざる脅しと脅威の中で、ベネズエラの「ボリーバル革命」は、内外からの軍事介入や軍事干渉に対抗するために一般市民を中心とした民兵組織を立ち上げて防衛体制を着々と推し進めるとともに、米国の公然たる介入の口実を与えない巧みな外交と、そのもとでの国内の政治的経済的諸改革とを推し進めている。そして、それに対してラテンアメリカ中で共感と連帯が広がっているのである。
[2]「麻薬撲滅」を口実とした南米への軍事介入の強化=「プラン・コロンビア」の失敗と米国の新たな巻き返し策動
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(1) 米国のラテンアメリカ支配・介入の現在における最大の拠点は、コロンビアである。そしてコロンビア拠点化計画を「プラン・コロンビア」と言う。
「プラン・コロンビア」は、クリントン政権の下で1999年に策定され、まずは2000年から2001年にかけて2年間で13億ドルの計画として開始された。ブッシュ政権になってからも計画は継続され、5年間で40億ドルが費やされた。表向きは「麻薬撲滅」を目的としたものとされているが、コロンビア内戦に軍事介入してラテンアメリカの要衝に米軍事力のプレゼンスを増大させることが目的であった。そのことによってコロンビアの石油を中心とする天然資源をおさえ、周辺諸国にもにらみをきかせ、中南米からの石油の安定供給を確保することが最大の眼目であった。
「麻薬撲滅」は口実であって本当の目的ではないということは、「プラン・コロンビア」が開始されたころから、米国の帝国主義的干渉・介入に反対する反戦平和団体や民主団体などによって暴露されてきた。「プラン・コロンビア」の主たる標的とされている南部プツマヨ州は石油産出地域である。それと同時に麻薬の原料になるコカ栽培地域でもあり、左派ゲリラの基盤地域でもある。しかし、麻薬取引の中心は北部の右派準軍組織と結びついた麻薬商人たちであり、右派準軍組織はコロンビア軍ともつながっている。米国の援助はそのコロンビア軍に集中しているのである。つまり「プラン・コロンビア」は、麻薬取引の組織を摘発するものではないのである。石油産業を脅かす左派ゲリラの掃討と、周辺諸国をも含めたこの地域全体に軍事的ににらみをきかせるためのものなのである。
現在米国の対外軍事援助額は、第1位イスラエル、第2位エジプト、第3位イラク、そして第4位がコロンビアである。在コロンビア米大使館は世界第2位の規模を誇る。第1位は、もちろんイラク戦争後に建設されたとき巨大軍事要塞のようだと形容された在イラク米大使館である。
※参照:「プラン・コロンビア概説」(益岡賢のページhttp://www.jca.apc.org/~kmasuoka/)
「Myhs and truths about Plan Colombia」http://alainet.org/docs/1246.html
昨年5月にベネズエラでチャベス政権の転覆を計ろうとした準軍事組織が摘発されたが、その傭兵たちはコロンビアで雇われた者たちであった。ベネズエラ国内勢力を使ってチャベス政権を転覆する試みに失敗した米国は、コロンビアを通じての介入を画策したのであった。このように、コロンビアはこの地域での米国の軍事介入の拠点にもなっているのである。
※参照:「チャベス政権、コロンビア準軍事組織を摘発。米国が裏で糸を引くクーデターを未然に阻止」(2004.5.25 署名事務局)
(2) しかし「プラン・コロンビア」の現在の計画が終了間近になった最近の現地情勢は、5年にわたって続けられてきたこの計画の失敗をはっきりと示している。まず表向きの「麻薬撲滅」については、当然のことながら何の効果もあげていない。コカ栽培地域にベトナム戦争の時と同じ枯れ葉剤をまき散らし、現地の農民と農地と自然に多大な被害をもたらしているが、コカ栽培地域を分散させただけである。米国に流入する麻薬は5年前と何ら変わっていないと報じられている。米国の軍事的プレゼンスの増大はもたらされたが、それは意図した効果をあげていない。左派ゲリラ「コロンビア革命軍(FARC)」(コロンビア軍による農民虐殺から身を守るため農民たちが結成した自衛団から発展した組織)の勢いは、5年前よりもむしろ強まっている。コロンビア南部プツマヨ州では、FARCが「プラン・コロンビア」の失敗を内外に印象づけるかのように、7月下旬から同州を封鎖し麻痺させ、軍事力を誇示した。
「プラン・コロンビア」は、議会で承認されるにあたって「麻薬撲滅」に関わる援助のみと限定されたため、コロンビア政府によるゲリラ掃討作戦への米軍による直接の支援はできないことになっている。それでMPRI社やダインコープ社などのPMF(民営軍事請負会社)が多用されてきたのであるが、ブッシュ政権は、当初の制約を取り払った形で「プラン・コロンビア」を継続・延長させようと画策している。
※参照:「新プラン・コロンビア(05.5.10)」「プラン・コロンビアの失敗(05.8.6)」(益岡賢のページhttp://www.jca.apc.org/~kmasuoka/)
[3]FTAAの軍事版「南米統一軍」創設の失敗とラテンアメリカ全体の“左傾化”
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(1) 米国が主導するFTAA(米州自由貿易地域)は、新自由主義に基づいて、アラスカからパタゴニアまでの南北アメリカ全域を統一市場として統合しようとするものである。(FTAAは、1994年12月の第1回米州首脳会議で初めて構想が提唱され、2001年4月の第3回米州首脳会議で、2005年1月までに交渉妥結、同年12月までに協定の発効というスケジュールを確認したが、交渉は未だ妥結しておらず、発効のメドはたっていない。)
この経済におけるFTAAを軍事的にバックアップし保障するものとして、米国は、米国防総省が指揮権を掌握する「南米統一軍(South
American Unified Armed Force)」(いわばNATO軍の南米版)の創設を追求してきた。つまり“FTAAの軍事版”である。
1960年代から70年代には、主として米国内の軍施設で同盟国の軍人を訓練した。80年代には、ニカラグアのコントラのような傭兵グループを育てた。グローバリゼーションが進展した90年代には、それまでのような形では不十分であるとされるようになった。ラテンアメリカ全域をフォローする米国「南方軍(Southcom)」と各国の軍が親密な交流関係と緊密な協力関係をもっているだけでは満足できず、指揮系統まで統一する方向が打ち出されたのである。
「南米統一軍」をつくる具体的な試みは、1998年7〜8月にプエルトリコで行われた共同軍事演習から始まった。マイアミに本部をおく米国「南方軍(Southcom)」が指揮をとり、アルゼンチン、ボリビア、チリ、パラグアイ、ウルグアイが参加した。2000年にはエクアドルとペルーが加わって8ヶ国となり、アルゼンチンで「カバーニャス2000」が行われた。2001年8〜9月にアルゼンチン北部のサルタ州で行われた大規模共同軍事演習「2001カバーニャス作戦」(参加国は前年と同じ8ヶ国)は、「南米統一軍」が形あるものとなり始めていることを示すものであった。
(2) しかし、ラテンアメリカ最大の国であるブラジルは、現在のルラ政権になる前からメルコスル(南米共同市場)をつくってFTAAに抵抗し、「プラン・コロンビア」にも当初から反対し、「南米統一軍」にも反対であった。この間、ブラジル軍は米軍との軍事協力を行なっていない。地域大国を自認するブラジルは、離米傾向を強めるとともに、軍事面でも米国と一線を画してきたのである。他方で、9.11からアフガン戦争、次いでイラク戦争と、米国の主要な力点が中東に移った。そのため「南米統一軍」創設は遅延を余儀なくされた。
そうこうするうちに、ベネズエラでは「ボリーバル革命」が勝利的に前進し、チャベス政権は反FTAA、反新自由主義、反米帝の姿勢をますます鮮明にし、アルゼンチン、ブラジル、ボリビア、エクアドル、ウルグアイと、次々に新自由主義にはっきりと反対する左派政権または中道左派政権が勝利して、南米全体が大きく“左傾化”する政治的変化がひとつの大きな流れとなった。この“左傾化”の流れの中で遂に「南米統一軍」創設は完全に頓挫してしまったのである。
※参照:「South Americ's New Militarism」(FOREIGN
POLICY IN FOCUS)
http://www.fpif.org/fpiftxt/165/「Exercise "Fuerzas Aliadas Cabanyas"」http://www.ciponline.org/facts/caba.htm
(3) 昨年11月、ラムズフェルド米国防長官は、エクアドルの首都キトに南北アメリカ諸国の国防相を集めて「西半球国防相会議」を開催し、崩れ始めている米国のラテンアメリカにおける軍事的ヘゲモニーを再確立しようと試みた。この会議でラムズフェルドは、「対テロ戦争」を口実にして、中南米でも米軍が展開しやすくするため、中南米諸国が警察および国境検査など国家の犯罪防止や安全保障にかかわるすべての機能を軍のもとに結集し、米軍とのつながりを再び深め強化するよう提案した。つまり、「南米統一軍」の実現へ向けて再度ネジを巻いたのである。
しかし、このラムズフェルド提案に対し、中南米諸国には2つの相反する対応が現れた。中米7ヶ国(グアテマラ、エルサルバドル、ホンジュラス、コスタリカ、ニカラグア、ベリーズ、パナマ)は、ラムズフェルド提案に沿った対応を決めたのに対して、アルゼンチン、ブラジル、チリなど南米諸国とカナダの国防相たちは、ラムズフェルド提案に反対を表明したのである。
※Latin America asked to join security
fight
http://www.washtimes.com/world/20041116-101036-5985r.htm
[4]ラテンアメリカの力関係の変化は軍事的・政治的な領域から、経済的な領域まで拡大し始める。米国の苛立ちと必死の巻き返し |
(1) 現在のラテンアメリカにおける政治的力関係の変化を端的に示す象徴的な出来事が、今年4月から5月にかけて起こった。米州機構(OAS)の事務総長選挙である。前コスタリカ大統領であったロドリゲス前事務総長は、汚職疑惑で就任後17日で辞任せざるをえなくなり、昨年10月以来OASは事務総長不在であった。新事務総長には3人が立った。1)前エルサルバドル大統領フローレス:
現職時に米国に協力してイラク派兵を行なった。エルサルバドルは中南米で唯一現在もイラク派兵を続けている。2)メキシコのデルベス外相:
元世界銀行顧問。来年のメキシコ大統領選へ向けた現フォックス政権の再選戦略の一環と分析されている。3)チリのインスルサ内相:
かつてアジェンデ政権の顧問を務め、ピノチェト時代メキシコに亡命していた。
ブラジル、アルゼンチン、ベネズエラ、ウルグアイ、エクアドル、ドミニカ共和国、他カリブ諸国などがチリのインスルサ候補を支持したのに対して、米国の意中の候補は前エルサルバドル大統領フローレス候補で、中米諸国も支持していた。しかし、フローレスの孤立がはっきりしてきたため、米国は4月11日の投票前にフローレスを辞退させ、メキシコのデルベス候補に鞍替えした。投票の結果は17対17で、5回も投票をやり直したが結果は変わらず、5月2日に再度選挙のやり直しを行うことになった。
南北アメリカの、キューバを除く34ヶ国で構成する米州機構は、1951年の発足以来、米国のラテンアメリカ支配の道具であった。その事務総長選挙で米国の支持を受けない候補が勝ったことはこれまで一度もなかった。だが、デルベス候補に投票していたパラグアイが南米グループの説得に応じてインスルサ候補支持にまわり、米国の敗北が濃厚になった。この時点で、ライス米国務長官は、米国のメンツを保つための賭けに出た。両候補を交えた会談を行い、デルベスに立候補を取り下げさせたのである。5月2日には、31票(棄権2票:メキシコ、ボリビア。白票1票:ペルー)で、インスルサが新事務総長に選出された。
米国は、選挙による敗北と米州機構の分裂を回避して、表向き統一を保ち、自らのメンツと影響力を保つことに汲々とせざるをえなかったのである。
※参照:「米州機構:新事務総長にチリのインスルサ内相――米国は辛うじて面子を保つ」(「中南米新聞」2005年5月7日)/「ラテンアメリカは燃えているか」(「ル・モンド・ディプロマティーク」2005年6月号)
(2) つい先頃8月中旬に、ラムズフェルド米国防長官は、パラグアイとペルーを訪問し、ベネズエラ・チャベス政権を孤立化させるための支持をとりつけようとした。この訪問は、「テロとの戦い」への協力を求めて引き締めを計ろうとした昨年とは様変わりで、冷戦時代への回帰を思わせるようだと評された。「左翼の騒擾」と「共産主義の浸透」を阻止することを旗印にラテンアメリカ支配を固めようとしたかつての冷戦時代さながらに、ベネズエラとキューバへの憎悪をむき出しにして、ペルーのトレド大統領とパラグアイのデュアルテ大統領の同意をとりつけようとしたのである。しかし、冷戦時代のようにラテンアメリカ諸国を米国のもとに結束させることは、困難であるということが露呈することとなった。
ラムズフェルドをはじめとする国防総省高官たちは、最近のボリビアでの民衆運動をベネズエラ・チャベスとキューバ・カストロがバックアップしていると激しく非難した。しかし、チャベスに対するワシントンの観点を共有しているとされるペルーとパラグアイでさえ、それには同調しなかったのである。
※参照:「Like Old Times : U.S. Warns
Latin
Americans Against Leftists」(2005.8.19「ニューヨーク・タイムズ」/「コモンドリームズ・ニュース・センター」)http://www.commondreams.org/headlines05/0819-01.htm
ラテンアメリカの、特に南米諸国の“左傾化”は、ここ3〜4年の間に急速に進んだ。
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1998年12月、ベネズエラ大統領選でウーゴ・チャベス当選。1999年、新憲法を制定、国民投票で承認。2000年7月、新憲法下での大統領選でチャベス再選。
2001年12月、アルゼンチンで公的対外債務支払不能宣言。デラルア政権崩壊。2002年1月、「ペロン党」のエドアルド・ドゥアルデ新政権発足。
2002年4月、ベネズエラで反チャベス派のクーデター失敗。
2002年10月、ブラジル大統領選で労働者党のルイス・イナシオ・ルラ・ダシルバ当選(2003年1月就任)。
2002年12月〜03年1月、ベネズエラで反チャベス派による石油スト失敗。
2003年4月、アルゼンチン大統領選で「ペロン党」のネストル・カルロス・キルチネル当選。
2003年10月、ボリビアで天然ガス北米輸出プロジェクトに反対する先住民を中心とした抗議行動でロサーダ大統領辞任。メサ副大統領が大統領に就任。
2004年8月、ベネズエラで大統領罷免国民投票、チャベス派の圧勝。10月、地方選挙でもチャベス派圧勝。
2004年10月、ウルグアイ大統領選で新自由主義に反対する「拡大戦線」のタバレ・バスケスが当選(2005年1月就任)。
2005年4月、エクアドルで、反政府デモを背景に、新自由主義政策を強権的に推し進めるグティエレス大統領を議会が罷免。
2005年5月、ボリビアで、2003年10月に就任したメサ大統領が再び新自由主義政策を推進したことに対して、先住民、農民、労組などによる天然ガス・石油関連産業の国有化を求める反政府運動が全土に拡大。メサ大統領辞任。
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これらの政治的諸変化を貫いているのは、先住民、農民、労働者、不正規雇用の貧困層などによる反新自由主義、反米帝の大衆的抗議行動である。その中で成立した政権のすべてが、人民の利害をストレートに代表しているとは限らない。それぞれの国のそれぞれの歴史に根ざした複雑な諸事情を抱えながら、ジグザグな諸過程をたどって事態は進展している。しかし、少なくともこれらの政権は、大衆的に立ち上がった人民の闘争を色濃く反映し、反新自由主義的な姿勢と反米的傾向を持たざるをえない。
このような政治的諸変化の中で、米国の巻き返し策動が執拗に行われている。しかしそれが、大きな力関係の変化によって米国の思うようにはいかないのである。その苛立ちが、冒頭で触れたロバートソン発言のような形をとって表れてもいるのである。
(3) ラテンアメリカにおける力関係の変化は、次第に経済面でもはっきりした形をとりはじめている。ベネズエラを軸として、ベネズエラとキューバ、ベネズエラとブラジル、ベネズエラとアルゼンチン等々と、経済協力関係が次々と強化されている。それに加えて、ベネズエラと中国、およびブラジルと中国の経済関係が急速に発展している。さらに、これらの諸関係に、イラン、インド、ロシアなどとの経済関係も含めて、「南南関係」が飛躍的な発展をとげ始めているのである。
今年2月に、ブラジルとベネズエラが戦略的な協力関係を確認する協定を結んだ。4月には、キューバとベネズエラが包括的な協定を結んで、これまで積み上げてきた部分的な協力関係を包括的提携関係へと発展させた。5月の南米・アラブ諸国サミットは、米国の意に反してブラジル、ベネズエラ主導で行われ、「南南関係」発展に画期的な意義を付け加えた。
このような事態の進展が、まさに冒頭[1]で紹介した「フィナンシャル・タイムズ」と米英金融街エリートの懸念の主たる中身なのである。だが、米国は、当初予定のFTAAを推進していくという以外には、それに対する有効な対策を持っていない。7月下旬、中米自由貿易協定(CAFTA)が米下院によってようやく承認された。昨年5月に政府レベルで協定署名が行われてから1年以上を経過してようやく議会で承認されたのである。そのほんの1ヶ月ほど前には、議会承認があやぶまれ、ブッシュ政権に大きな打撃になることが懸念されていた。大手メディアは、CAFTAがようやく議会承認されたことでFTAAに向けて大きくはずみがついたと評価したが、ラテンアメリカ現地では冷めた見方が支配的である。今ラテンアメリカ中で注目を集めているのは、ベネズエラ・チャベス大統領が提唱しているALBA(米州ボリーバル代替構想)である。
ALBA(Alternativa Bolivariana para
las
Americas 米州ボリーバル代替構想)は、FTAA(スペイン語の頭文字ではALCA)に対する対案として提起されている。米国が主導するFTAAは、新自由主義にもとづきグローバル多国籍資本の活動の完全な自由を追求するものであるのに対して、ALBAは、それに真っ向から反対し、貧困と社会的排除に抗する闘いに重点を置いて、各国の内生的・自立的発展を可能にする諸条件を構築していこうとするものである。それは、「もう一つの世界は可能だ」を合い言葉として「世界社会フォーラム」に結集する反グローバリズム運動と結びついて、ラテンアメリカの左傾化と離米傾向を経済面で具体化していく強力なテコとなっているのである。
※参照:「ALTERNATIVA BOLIVARIANA PARA
LA
AMERICA」
http://www.alternativabolivariana.org/modules.php?name=Content&pa=showpage&pid=1
もちろん、こうした南米諸国の左派政権や中道左派政権が推進する「多角的経済関係強化」路線が、今すぐに米による中南米への金融=ドル支配を突き崩したり、取って代わることはないだろう。しかし、アメリカ帝国主義がもはや中南米で全能ではなくなったという政治的軍事的力関係の最近の漸次的変化が、この経済的な漸次的変化と結び付けば、米による中南米の帝国主義支配が着実に掘り崩されていくであろうことだけは確かである。
[5]イラク戦争の泥沼化による米軍の海外展開能力の限界とラテンアメリカ人民の反米帝闘争――全世界の反戦平和運動の責務
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(1) 米国軍統合参謀本部議長マイヤーズ将軍は、5月初めに、米軍の現状評価を議会に報告した。機密報告なので詳細は報じられなかったが、「ニューヨーク・タイムズ」(2005.5.3)は、国防総省高官からコピーを入手したとして内容の概略を報じた。「米軍部隊と兵器がイラクとアフガニスタンに集中していることで、他の潜在的な軍事紛争に対処するペンタゴンの能力が制約を受けていると、軍の最高位将官が月曜に議会に報告した。」というものである。
マイヤーズ報告は、制約要因の主たるものとして「精密兵器の備蓄の減少と予備役部隊の緊張」を挙げたという。米軍の現状に関する「アセスメント報告」は毎年行われているものであるが、「今年の報告は、昨年の報告で述べられた以上に高いレベルのリスクのもとで国軍が作戦行動を行なっている」ということを、「2つの資料を読み比べたペンタゴンと軍の高官は認めている」という。
ところが、ブッシュ大統領は、その前週の記者会見で「イラクでの米軍部隊の数の多さが他の場所でのワシントンの軍事的選択肢を制約しはしないだろう」と述べていた。そのため、「ペンタゴン高官は、大統領と将軍の間に重大な矛盾があるという考えを退け」るために弁明に追われたのである。ペンタゴン高官の苦しい弁明はこうである。「リスク・アセスメント報告は、統合参謀本部が設定した基準に基づいて任務を成功裏に遂行する軍の能力の評価として理解されるべきで、それは、大統領が記者会見で行なった軍の能力についての総体的な言明とは異なるものである」と。
「ニューヨーク・タイムズ」は、全体として、大統領と将軍との間に評価の違いや矛盾はないという楽観論を擁護しようとしているのであるが、米軍の深刻なオーバー・ストレッチ(過剰展開)の具体的内容が行間から漏れ出ている。
「この報告では、マイヤーズ将軍は次のように書いた。軍は、合衆国を防衛する任務において、『穏やかな(moderate)』リスクに直面している、と。そして、紛争――突然の攻撃を含む――を防止する上でのリスクを、『穏やかな、しかし重大なものへと向かう傾向のある(moderate,
but trendig toward significant)』ものとして評価した。」
「軍は『いかなる』主要な戦闘作戦『においても成功するだろう』と将軍は書いたけれども、『それは、我々の現在の計画で詳述されているようなスピードと精度では、期待されたようにはできないかもしれない』とも付け加えた。」
「この機密アセスメント報告は、ブッシュ大統領とドナルド・H・ラムズフェルド国防長官の上級軍事顧問であるマイヤーズ将軍による、次のような一連の緊張に関する正式の認識である。つまり、長期の大規模海外派兵によって兵員に課せられた緊張、武器と車両の消耗によって課せられた緊張、戦争計画作成者に課せられた緊張である。」
「同時に、軍は、イラクでの任務を通じて、よりよく『作戦行動レベルを維持し持続する』やり方を学んだ。そして、特に陸軍は、配備することのできるより多くの部隊を創出するために、その兵力を再組織しつつある。しかし、現役と予備役の組織調整と陸軍全体の再編が、ゆくゆくは、配備可能な軍部隊の不足を是正するにしても、『それが完成するには数年以上かかるだろう。』とアセスメント報告は述べている。現時点で、米軍部隊はイラクに約138,000人、またアフガニスタンに約17,000人いる。」
このように、イラク戦争の泥沼化に伴う米軍の「オーバー・ストレッチ」からくる諸制約は、もはや取り繕うべくもない現実として、軍と政府および支配層の間でも確認されるようになってきているのである。
※参照:“Pentagon Says Iraq Effort
Limits
Ability to Fight Other Conflicts”(New
York
Times / May 3, 2005)「ペンタゴンが言明/イラクの状況が他での戦闘能力を制約していると」(「ニューヨーク・タイムズ」2005.5.3)
(2) 「イラクでの米軍の泥沼化が世界中に展開している米軍の他での戦闘能力を制約している」−−この事実は、ブッシュ政権が占領支配に失敗してから、すなわち2003年秋くらいから立ち現れた新しい状況である。今や世界の軍事情勢、軍事的力関係は、イラク情勢抜きには捉えられなくなっている。そしてこの状況をまさに生み出しているのがイラクでの反米・反占領の武装抵抗闘争、民族解放闘争なのである。
私たちは、ここから差し当たり2つの結論を引き出すことができる。まず第一に、従来から強調してきたように、米軍の危機を深刻化させ海外への米軍の介入・干渉能力を制約することで、イラクからの米英軍・多国籍軍、自衛隊の撤退を求める反戦平和運動と、イラク民衆の反米・反占領闘争とが客観的に連帯しているということである。
※2005年4月〜6月:イラク戦争・占領の“泥沼化”が遂に米国内で撤退論に火を付ける(署名事務局)
※ベトナム戦争以来のゲリラ戦・市街戦、二巡目の派兵をきっかけに顕在化した過小戦力、急激に深刻化し増大し始めた損害(署名事務局)
第二に、ベネズエラを初めラテンアメリカの“左傾化”と民族解放闘争の成功裏の前進が、実は米軍のイラクでの泥沼化と直結しており、イラク及び中東の民族解放闘争と密接不可分に結び付いているということである。両者は、米のグローバルな軍事的・経済的覇権に敵対し対抗する者として、主体的・客観的に連帯関係にあるということである。このことは極めて重大なことである。なぜなら、戦後中南米の歴史は米帝による侵略と介入の歴史だったからである。ニクソンとキッシンジャーによってチリのアジェンデ政権が血の海の中に沈められたことを引き合いに出すまでもなく、米国の“裏庭”である中南米で、少しでも社会主義的な発展、民族独立的で自立的な発展を模索しようとする動きは、ことごとく米国及びこれと共謀する現地の寡頭制支配層=軍事政権によって粉砕されてきた。しかし、現在米国は、そのような横暴で勝手気ままな軍事介入ができなくなっているのである。
全世界に軍事基地網を張りめぐらせている米帝国主義は、世界に5つの方面軍を配置している。「太平洋軍」(日本を含む43ヶ国をフォローする)、「欧州軍」(ヨーロッパをフォローする)、「中央軍」(アフリカの角から中東を中心に中央アジアまで24ヶ国をフォローする)、「南方軍」(ラテンアメリカをフォローする)、「北方軍」(米国、メキシコ、カナダ、キューバをフォローする)の5つである。「北方軍」は、9.11後の2002年に創出されたものである。
「南方軍」司令官は、この間たびたび増派を要求してきたが、既に見てきたようなラテンアメリカにおける反米帝の人民運動の活性化と全体としての“左傾化”からすれば、当然の要求であると考えられる。しかし、昨年10月コロンビアへの400〜800人の増員が議会で承認されたのをのぞけば、目立った増強は行われていない。ここにはっきりと、イラクに手を取られて他に手が回らないという状況が現れている。
私たちはこうして、イラクにおける反米・反占領民族解放闘争と、ラテンアメリカにおける反新自由主義・反米帝・民族解放闘争と、更には国際的な反戦平和闘争とが、巨大な連帯関係をもって発展していることを確認することができる。これら3つの潮流の闘いは、米帝国主義の軍事的・経済的覇権を突き崩していく形で合流しているのである。
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