岩脇寛子さんいじめ自殺事件 (事例NO.881221

 父親の克己さんの陳述書


平成13年(ネ)第194号 損害賠償請求控訴事件

意見陳述書

平成15年2月5日

名古屋高等裁判所金沢支部 御中

                                                              富山市奥田
                                                              控訴人  岩脇 克己
 はじめに

私は、娘の事件を通し、いじめに対する学校の認識のなさと、保身と体面だけを守る隠蔽体質を現実に体験してきました。それゆえに、いじめた子供達だけに損害賠償を請求するだけでは片付けられない大きな教育問題だと感じました。
 いじめで苦しみ自ら命を断つ子供の多いことを懸念し、学校が娘の事件を教訓として反省し、意識改革をして、子供や親から信頼される学校になることを願って、この裁判を提起しました。

 私は、学校が真剣にいじめ問題に取り組めばいじめは無くせると信じております。娘が、信頼していじめを打ち明けたが対応してくれない教師に失望して、学校からいじめを無くす為に、自分の命をかけていじめを告発し、いじめが無くなることを願い、真剣に取り組んでほしいと望んで逝ったことは、娘の遺書から読み取れると思います。
 遺書の中に書かれた「この世がだいきらいだったよ」のこの世とは、娘にとって一日の行動の殆どの時間を過ごす学校そのものなのです。だからこそ、学校にいじめ撲滅の願いを託したのです。

 遺書は私達の留守の間に警察が無断で家捜しし、持って行きました。その遺書を数日後返してもらい初めていじめが原因と知りました。私は、生徒達に報復する事も考えましたが、その反面、大人として報復を行ってはいけないと思ったり、何度も血を吐き、円形脱毛症が出来るほどに悩みに悩みました。それで、学校へは、いじめの内容報告と、いじめた生徒たちに対する、親を同席させての指導をお願いしました。娘を死なせた親の苦渋の末の最小限の要求でした。
 しかし学校は、私達の要求に答えようとはしませんでした。

 学校からいじめの内容の報告を受けて、娘が死を決意するまでの心の葛藤を知り、娘の行動を理解し、その悩み、苦しみ、悲しみを親として共有し、娘の苦悩を分かち合いたいと思いました。
 わが子が生きていれば、抱き締めて悩みや苦しみを聴くことは可能ですが、亡くなってしまった今となってはそれさえも出来ません。亡くなって14年という歳月が流れてしまいましたが、未だにいじめの真実がわかりません。


1.H担任教師のいじめの対応

・6月に起きた上級生2名による事故に関して、娘は確かに担任に名簿アルバムでその上級生を特定した、と原告壽恵が証言しており、E子さんも陳述書で述べております。
 娘が上級生2名を特定したにもかかわらず、担任は、その事実を上級生の担任にも話さず、学年主任にも話していません。このような事故は他にもたびたびあり、校内暴力などを理由に特定出来なかったと証言されていますが、学年全体の生徒指導の動きもなく、情報なしとして放置されています。

・6月27日の鎖骨骨折事故は重大事故です。担任は、白紙を配り調査をしたと証言されていますが、E子さんの陳述書や、担任の陳述書にあるU子さんが、昨年9月私の家へ来てくれ、いろいろ話してくれました。U子さんは、骨折は寛子から直接聞いたと話していました。この調査をする時には、事故の詳しい説明をしなければ調査は出来ないはずです。「隠蔽」の作者のアンケートにも骨折は知らなかったと答えた生徒もいます。調査を行った形跡は見受けられません。学校から教育委員会に提出された災害報告書にも骨折した事の記載はありません。
 
 以上2件の事故についての担任証言は、事実を述べていません。
 同じ月に2件もの事件が同一生徒に対して発生しているにもかかわらず、生徒指導の先生や管理職の先生の動きは皆無です。生徒の安全を守る為に、丁寧に解決する必要があったのです。後に「くさい」「汚い」といったいじめに発展したのですから、生徒指導を放置し、危機感不在であった事は、学校が重大事故としての認識を欠いていると非難されるものです。
 裁判所におかれましては、この事について、審議されることを期待いたします。

・担任は、7月の「岩脇死ぬことに賛成」メモや、その他数多くのメモは、筆跡から6名のいじめグループのB子と断定していながら、ただちに指導をしませんでした。個人指導は11月10日になってようやく行っています。その間いじめを容認し、担任は、いじめが更にひどくなるかもしれない懸念をもっていた、と証言されています。担任は、指導の遅れの重大さに責任を負わなくてはなりません。
  娘は、早い時期に「メモ」を提出したが、解決しようとしない担任に不信感を持ち、さらにいじめグループへの個人指導によって、いじめがエスカレートする不安が大きくなり、担任への信頼をなくし、いじめのことを話さなくなったのだと思います。娘が話さなくなった事を、担任はいじめがなくなった、と勘違いされたのです。いじめられている者に苦痛を与え、いじめを見えにくくさせてしまう指導を担任が行ったのです。

 一審は、「信義則に基づき、…他の生徒の行為により、生徒の生命、身体、精神等に重大な影響を及ぼすおそれが現に存在するような場合には、悪影響ないし危害の発生を未然に防止するため、事態に応じた適切な措置を講じる義務がある」と判断されています。
 娘に対するいじめの発生は、6月頃からで、12月までの6カ月以上の長期にわたり続いていたいじめの事実・実態が娘から担任に訴えられていました。学年主任や生活指導主任にも校長にも報告しなかった担任の対応は決して適切な措置ではありません。一審の判断からすれば、生徒の安全保持義務を全うしたとは到底云えないものです。

・1年3組の追悼文について、一審で「追悼文の性格を有するものがある」と認められています。
 生徒達は、担任の主旨説明を聴き真剣に娘の冥福を祈り、全霊を傾けて一生懸命書いてくれたものです。そして1年3組の生徒達の何人かは、霊前に供えるものと理解して、お棺の中へ入れたものと思っている生徒もいます。心を込めて娘の天国での幸せを願って書いたものであり、当然に岩脇寛子に供えるべきものです。事件直後に、生徒達の実直な心やいじめの真実等が推測される手紙を焼却した担任の責任は重く、違法な行為として追求されなければなりません。
 一方、娘が入学して間もなく描いた、担任を称賛した四コママンガ等を娘の形見として残しながら、大切な追悼文を焼き捨ててしまう行為との矛盾は指摘されず、解明されていません。
 本件作文について、12月29日に代表的な2点を両親に見せた、となっていたのが、一審裁判所は、いつのまにか、壽恵に見せたと判断されています。私達は、一審で、本件作文は一通も見ていないと否定しましたが、見ていないと再度否定いたします。

2.学校や教育委員会のいじめ認識の欠如と対応について

・学校全体でのいじめ問題の対処について
 一審は、「いじめについて職員全員で対応した場合に本件と異なった経過となったか不明な点が多いから、研修が行われなかった事が、安全を保持する義務に反するということは出来ない」と判断されています。
しかし、いじめの問題の対処には、全職員が関心を持ち、一丸となって取り組む事が、いじめを阻止するもっとも有効な手段である、と昭和60年6月の文部省通達と昭和61年2月の富山教育委員会発行のいじめ指導事例集に記載され、職員一体となってのいじめ研修の重要性が説かれています。どちらも、学校でのいじめの多発に危機感を持ち、いじめへの対処法を示したもので、いじめ解決に大変重要なものです。

 この通達や指導事例集に照らせば、一審の判断には誤りがあると言わざるをえません。
K山校長は、教育委員会からはいじめ問題の研修をせよとの通達はなかった、T富山市教育委員会生活指導主事も、いじめ問題に絞っての指示指導はなかった、と証言され、担任は、いじめの研修は一度もなかった、と証言されています。学校を指導しなければならないはずの教育委員会は、いじめ研修の指導を怠り、学校を指導していません。奥田中学校もいじめ研修を行っていなかった事が明らかとなっています。

 いじめについて認識を深めて、生徒の命を守り、生徒に安心を与える教師集団を形成しなければならなかったはずの富山教育委員会と奥田中学校は、その努力を怠った為に、担任に、他の教師に協力を求めず、学校全体の問題とせず、保護者に協力を求めないという、いじめ問題に対する危機感のない誤った対応をさせる結果になったのです。
 新規採用の教師が、初めて中学校の教師を経験する教師達にいじめ研修を行わなかった学校管理者の責任は重大です。

・二度と悲劇を起こさないために

 事件当時、K山校長や教育委員会の人たちは「二度と悲しい事を起こさないようにします」と誓っていましたが、「ケーススタディもしなかった。教育委員会からもケーススタディの指示はなかった」とK山校長が証言されています。
 事件を振り返り、担任のいじめ指導に誤りがなかったか、なぜこのような事件に発展したのかを追求し、原因の根本をつきとめ、学校管理者はじめ全教職員が一丸となって事件の教訓をくみ取るなら、「二度と事件が起きないように」という言葉が本当に生きてくると思いますが、残念ながらこの事件ではその姿勢は見当たりません。
 校長と教育委員会の言葉は、世間や保護者に対してただ同調を求めるだけのものでした。事件隠蔽と保身に奔走し、風化を待ったと云っても過言ではありません。
 娘の事件を教訓としなかったために、その後、学校現場で子供達を追いつめた自殺事件が後を絶たない結果を招いています。
 子供達の命を守り、再発防止のために真剣に取り組む姿勢を、学校と教育委員会に示して頂きたいと願うばかりです。

・事故報告書について
 富山市教育委員会に提出された娘の事故報告書は、間違いの多い杜撰(ずさん)なものである事が担任証言で明らかになりました。その杜撰な報告書を作成し、事件から10日あまりで簡単なものを教育委員会に提出し、事件を終了させた学校の責任を問わなければなりません。
 学校でのいじめが引き起こした重大な事実を、教育委員会は重要視せず、事務的に受け取っただけと云えます。事件の内容を調査して把握をすれば、杜撰で簡単な事故報告書にならず、第二第三の報告をさせ、いじめ撲滅のための資料に活用出来たと思います。
 一審で「事故報告書の大部分を説明したのだから報告義務に違反はない」と判断されましたが、この一審の判断には疑問を感じます。担任証言で誤記が指摘された事に言及せず、証言を無視した誤った判断です。嘘のことでもとにかく報告さえすればよいことになり、将来に禍根を残してしまいます。私には到底納得の出来る判断ではありません。是非とも正して頂きたいと思います。

・追悼文焼却追認について
 全校生徒の「二度と不幸なことが起きないために」と題した作文と1年3組の生徒のものとは、主旨の違うものです。全校生徒の作文は、事件を反省して同様の事態が生じないように認識させる教育目的であったかも知れませんが、1年3組のものは、あくまで、娘の冥福を祈り追悼文として書かれたものです。教育目的だったとした一審の判断は取り消すべきです。
 教育委員会は、追悼文作成の主旨を理解されないまま、反省文とか、単なる作文として間違って理解されています。前にも述べたとおり、担任は生徒達に娘の冥福を祈り「岩脇さんへ」と手紙形式で書かせました。そして冥福を祈るものばかりであったと陳述書に記載されています。生徒達のひたむきな気持ちを踏みにじり、焼却の行為を正当化しようとする教育委員会に無理があります。
 その上、富山市教育長は「追悼文を遺族に見せれば、先生失格」などと発言しています。この教育長の言葉に強い怒りを感じ、教育長の資質に疑問を持ちます。
 焼却の実行者の担任とその行為を追認する教育委員会を許すことは出来ません。1年3組の生徒達が書いた「岩脇さんへの別れの手紙」の再現を求めます。

3.一審の判断について

・手首捻挫の件
では、娘は男子上級生を特定したとする壽恵証言を退けて担任証言を採用しています。壽恵証言を退けた理由を示していません。控訴審で新たに提出しましたE子さんの陳述書の中でE子さんは、生徒指導用アルバムを見て、「この人」だと娘と二人で担任に「はっきり言った」と当時の様子を具体的に述べています。一審認定の誤りがはっきりしたと思います。

・7月の「岩脇死ぬことにさんせい、殺すことにさんせい」のメモの件で壽恵は、一枚の紙片に書かれ、ショッキングな内容だったと具体的に証言しています。E子さんの陳述書でも、メモは7月で内容も同じだった、と壽恵証言と一致した事が述べられています。
 一審の判断は、懇談会の席で話題にならなかった、というだけの理由で被告側の主張を採り入れています。しかし、壽恵証言では、@いじめメモの件は解決済みだと思っていた事、A捻挫の事故や骨折の事故の件が未解決だった為に、感謝の言葉を言える状況でなかった心境をこと細かく語っております。この壽恵証言を否定した根拠についての理由の記載はどこにもありません。
 このメモの件を、9月末ないしは10月初旬とした一審の判断は誤りであると言えます。
 いじめのメモは、この「岩脇殺すことに賛成」の他にも幾種類もあったと考えられます。担任がいう「岩脇殺してくれますか、訳は・・・です」のメモもその一つです。しかし、このメモの存在は原判決の判断から完全にはずされてしまっています。
 U子さんから聴いた話では、11月末から12月初めに同じようなメモをゴミ箱から拾ったのを見たと言っており、メモは何回もあったのです。メモの回数をあいまいにしようとする考えは、担任証言にもみられました。

・広木教授証言への考察欠落について
 広木教授は、いじめの本質にせまり、いじめられている子供の心理状態を分析しながら証言されました。娘が、いじめが始まった当初に担任に訴えていたが、何も対処しない担任に話さなくなっていった過程を考えれば、子供の心理を詳しく証言された広木証言は、このいじめ裁判の判断において大変重要な証言だったのですが、何故か一審判決は、この広木証言には何ら触れられていません。
 広木教授の証言を聞き入れることなく、子供の心理を理解されることなく、判決が出されています。
 いじめの認識を深めるために、常に子供達の悩みを聴き、実践されている教育専門家の意見に、謙虚に耳を傾けるべきです。専門家の意見を無視して、正しい判断を得ることは決して出来ません。


むすびに

 教育委員会をはじめとする教師の方々が、娘の自殺事件を反省して、なぜ不幸な事件を引き起こす結果になったのか、事件の真相を明らかにし、言葉の上だけで無く、真剣に、二度と子供を死に追い詰めてしまうことのない教師集団になって貰いたいのです。娘は、勇気をもって担任に相談しています。しかし娘の真剣な訴えに耳を傾けず、最大限の努力を行わなかったため、不幸な結果となってしまいました。自分の手におえないからといって放置したり、大したことはない、と軽く考えてはいけないのです。いじめにあっている生徒にとって、学校の中で頼れるのは教師だけだということを自覚してもらいたいのです。娘の死を無駄にしないことです。

 子供たちからみれば大きな影響力と権限とが教師に与えられているのですから、子供の命を守るために全身全霊を傾けて子供を守って頂きたいのです。子供のプライドや心理事情から、不幸にして子供を救うことが出来なかった場合には、教師や学校は、何があったのかを包み隠さず親に話して、自分のいたらなかった点を謝ることが大切なのですが、何も話さず隠蔽ばかりで臭いものに蓋をするがごとく、調査などもせずに事件が風化するのを待ってしまう学校の現状を改めなければ、いじめは無くならず、子供達の死を無くすことは出来ません。保身と体面ばかり気にし、自分たちの非をけっして認めようとしない教師や学校が子どもたちに何を教えることが出来ると言えましょう。
 学校がそして教師が、保護者と子供達から信頼されてこそ正常な学校運営が行われると思います。
 信頼される学校になる努力をなされる事を、この裁判から学んで頂きたいと思います。
 
 以上、私の心情を述べさせて頂きました。高等裁判所におかれましては、私達の心情を酌み取られ、学校の現状に思いを致し、深いいじめについての御理解のもとに、一審判決の再審理を行って頂くようお願い申し上げます。
                                                                       以 上



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