わたしの雑記帳

2010/2/18 北海道江別市私立とわの森三愛高等学校寮内病死事件(S070216)、棄却判決

2007年2月16日、北海道江別市の私立とわの森三愛高等学校の寮の自室で、体調不良で学校を早退してきた関川智和くん(高2・17)が死亡しているのが発見された。智和くんには、解離性障害があった。
両親は、学校法人酪農学園を安全配慮義務違反があったとして、民事裁判に訴えた。
その判決が、2010年2月15日(月)、札幌地裁であった。結果は棄却。

判決文を送っていただいたので、内容を少し見てみたいと思う。
原告と学校との主張の争点(以下は武田が独自でつくったもので、裁判所判決文にある争点の並びとはずれている)を比べてみると、裁判所はほとんど学校側の主張を鵜呑みにしたことはがわかる。

原告の主張と証拠証言 学校側の主張と証拠証言 裁判所の判断
@ 智和くんが養護教諭に早退を申し出た時点で、顔面蒼白で、ふらふらだったという内容の智和くんの友人との会話の反訳と陳述書を提出。 担任や養護教諭はとくに、智和くんの顔色が悪いなどの外見上の異常は感じなかった 友人らは智和くんが歩いて寮に帰るのを見送ったとあることからすると、友人らの陳述内容はやや不自然。友人らの陳述書は両親との会話や要請に基づいて作成されており、内容どおりの事実を認定することはできない。
養護教諭の証言からすれば、外見からわかるような特段の異常は認められなかったというべき
A 1000人を超える生徒に対して、養護教諭は1人しかおらず、当日も、午前0時45分から、午後0時50分までの間に5人の生徒が記載されていた。
養護教諭の負担が過大だったため、検温をしておらず、問診も不十分だった
養護教諭が検温したところ、体温は37.3℃
顔色、目の症状、口元、足取りや問診の結果などから、微熱のほかは異常がないと判断
複数の養護教諭が配置されていることが望ましかったということはできるが、養護教諭が検温や問診をしなかったとはいえない
養護教諭は数本の体温計を持っていたので、どの体温計で検温したのか特定できないとして、見せたり交付したりしなくても、不合理とはいえない。
B 両親は智和くんに解離性障害及びアレルギー性鼻炎の持病があったことから、たびたび何かあったら連絡してほしいと依頼していた。
智和くんは、当日深夜ないし早朝に発作が起きたことを舎監に報告している。
健康調査票に特段の記載がないこと、修学旅行前調査にも、持病の解離性障害の記載があり、悪化したり発作がおきたときの処置として「なにもしない」「よく眠るように注意してもらえたらと思います」と記載されている。
両親から「連絡してほしい」と言われた職員は入寮する生徒の一般的な依頼を超える意味が込められていると認識するのは困難。
解離性障害には死に至るような危険はなく、教職員らが特別な配慮をしなければならないものでもなかった。
17歳で健康面を含め年齢相応の自己管理能力を備えていたと認められ、成人と同様とまではいえなくとも、それに近い判断能力を備えていたと推認されるから、自己申告に重きを置いた上で、様子などをもとに判断すれば足りる。
高校の救急体制には、生徒が早退する際の手続きとして、保護者に連絡するとされているが、連絡するのは生徒が帰宅することを保護者に知らせるためであること。入寮している生徒については、そのまま病院に搬送すべきような場合を除いて、寮に連絡をすることで足りる
C 養護教諭や舎監には、智和くんを病院で受診させるべき義務があったにもかかわらず怠った注意義務違反がある。
寮で直前にインフルエンザの患者がいたことからも、速やかに診断を仰ぐべき義務があった。
病院で受診するかどうかは本人の自主性に任せてよいものであって、教職員らに義務はない。
重篤な症状があったのであれば、自覚したであろうから、自ら病院に行くか、職員らに申し出るか、保護者に電話で症状を訴えるなどしたはず。そのような行動を一切とっていないのは、しばらく休めば回復すると本人も考えていたはず。
本人様子や会話から大きな異変が生じていると判断できるような状態ではなかった本人から病院で受診したい旨の申告がなかったので、病院で受診させなかったことをもって注意義務に違反したということはできない。
D 養護教諭や舎監らは、家庭におけるのと同程度に、1時間に1、2度程度は様子を観察し、熱の上昇の有無、顔色、発作を起こしていないかを確認するという経過観察をするべきだった。
徒歩で20分もの距離を1人で帰らせるべきではなかった。
暖房が入り、十分な温度が保てる部屋に居させ、栄養をとらせるなど病状悪化を防ぐ措置をとるべき義務があった
経過観察は本人の自主性に任せてもよいものであって、教職員にそのような義務はない。
風邪やインフルエンザの症状もなく、それ以外の病気を感じさせる状態でもなく、疲れがたまっている可能性があったことから、ゆっくり休ませようと、起こさないようにあえて声をかけなかったのは極めて合理的。
他に所用がないようなときには、舎監が迎えに行っていたが、寮生が早退する際には通常、舎監が迎えにいくことになっていたとか、必ず迎えに行っていたというわけではない。
連続運転の暖房設備ではないことから、室親が一定程度低下していたことは否定できないが、早退してきた生徒を休ませるのに不適切といえるほど室温が低下していたとは認めがたい
熱が37.3℃程度あるものの、ほかに異変が生じているとはみられないから、ゆっくり休ませれば回復すると考えて、頻繁に様子を見にいかなかったことは注意義務に違反したとまではいえない
E 死因は、風邪による体力の消耗と低体温による血圧の低下による致死的な不整脈による心停止、ウイルス性の脳炎で浮腫を起こしたことによる呼吸停止、長い罹病期間の間に脱水症状になり、凝固線溶系の異常によって心筋梗塞を起こしたことが考えられる。原因となったウイルスを完全に特定することはできないが、最も可能性が高いものはインフルエンザウイルスである。 死体検案書には直接死因として、「急性心停止」と記載されているのみで、死亡原因は不明
帰寮したあと、30分から1時間30分の間に急死している。死亡に至る機序も不明
死体検案書には直接死因として、「急性心停止」と記載されているのみで、原因については記載されておらず、死亡の原因及び死亡に至る機序は不明といわざるを得ない。
症状として、悪寒戦慄や数日前からのふらつきがあったと認めることはできない。
死体検案書に急性心停止を発症してから死亡するまでの時間は「数分と推定」されることから、職員らがいかなる措置をとっていれば救命が可能であったかも明らかではない教職員らの不作為と死亡との間に因果関係があるということも困難。


とくに大きいのが、@の当日の智和くんの様子
複数の生徒たちは早退を申し出た時点で智和くんの様子を、「顔面蒼白で、ふらふらだった」と証言しているが、裁判所はその証言を信用できないものとし、教職員らが言う「微熱のほかには、異常はみられなかった」という証言のみを採用している。
そして、その結果をもとに、両親に連絡する必要も、医師の診断を仰ぐ必要も、経過観察する必要もなかったとしている。

学校で事件事故が起きたとき、学校関係者は責任の追及を恐れて口裏あわせをする。重かった症状も日を追うごとに軽い症状に変えられていく。(体育の授業で持久走をしたあと、体調を崩し、自宅に教師が連れ帰ってから救急車を呼んだが死亡した小野朋宏くんのケースS020507を参照 )

生徒は内申書や推薦等を学校に握られている。先生ににらまれたら、学校生活は針のムシロになる。また、親は裁判等に引っ張り出され、ゴタゴタに巻き込まれることを恐れる。原告側に有利な証言をしたからといって、デメリットはあっても、メリットなどまずない。そんななかで、証言してくれる生徒を探すことがどれだけたいへんなことか。たった1人を探すことさえ困難ななかで、当該裁判では何人もの生徒たちの証言を証拠提出している。
生徒たちにとって、同級生の死という重大な結果に対して真摯に向き合った結果、そして、両親の子どもに何があったか事実を知りたいという強い気持ちに応えての勇気ある告白であり、証言だったはずだ。
一方、教職員には明確な利害関係がある。私立であればなおさら、他校に移れるわけでもなく、この不況下にクビをかけてまで真実を言ってくれる教師がどれだけいるか、考えればわかるだろう。

また、裁判所は、生徒らの証言が信用できない理由のひとつとして、「智和の顔色が真っ青で、ふらふらしていて歩くのもおぼつかない様子であったとすれば、智和の友人らのいずれかがI担任やA養護教諭その他被告高校の教職員らに智和の様子を伝え、保健室で休ませるとか、寮まで被告教職員らに智和を送るなどの対応を求めるのが通常と認められるところ、智和の友人らは、智和が歩いて寮に帰るのを見送ったとあることからすると、被告教職員らに特に智和の様子を伝えたとうかがうことはできず、友人らの陳述書による智和の様子を前提とすると、そうした行動はやや不自然なものといわざるを得ないし、A養護教諭は、昼休みに、職員室で智和に対応していたのであるから、職員室にいた被告教職員らが智和の様子を見て異変を感じるのが通常であるところ、I担任やA養護教諭のみならず、他の被告教職員らも智和の様子から重大な異変を感じていないものと認められる」
とある。

しかし、高校2年生ともなれば、日ごろの教師らの対応がどういったものかは十分に承知しているだろう。
本人が職員室に行って、多くの教職員がこの様子を見ていながら、自分で寮に帰るように指示している。自分たちが何かを言っても無駄だと思い、これから午後の授業が始まるときに、友人の様子を心配しつつ、見送るしかなかったのではないだろうか。
そして、職員室での他の教師らの対応にしても、養護教諭と担任が「大丈夫」と判断したことに、口をはさむことなどできないのがむしろ普通ではないだろうか。自分たちも見殺しにしたと思えば、責任がふりかかってくることを恐れ、見た目にも、かなり辛そうな様子だったとは教職員こそ、証言できないだろう。

そんな状況のなかで、裁判所に生徒の証言は信用できないと判断されるなら、学校で事件事故が起きたとき、どのようにして当事者や保護者は立証していけばよいのだろう。学校職員が口裏をあわせてしまえば、何でも通ってしまう。


Aの養護教諭の体制について。
ここは裁判所も、「複数の養護教諭が配置されていることが望ましかったということができる」としている。しかし、「そのことから直ちにA養護教諭が検温や問診をしなかったとはいえない」とする。
智和くんが職員室にいる養護教諭のもとを訪ねたのが、午後0時47分頃。
当日の午前0時45分から、午後0時50分までの間に5人の生徒が記載されていた。しかし、裁判所は「この記載をもって直ちに、A養護教諭が智和の問診に1分以内の時間しかかけていないと認めることはできない」とする。
しかし、智和くんが訪ねたとき、養護教諭は職員室にいた。他の4人の生徒はどこで診たのだろう。保健室で診たとすれば、そのわずか5分間のなかから、移動時間も差し引かれれるだろう。体温をはかるのにどの体温計を使ったかはわからないが、水銀式なら5分から10分かかるというし、電子体温計で30秒しかかからないにしても、洋服のボタンをはずし、わきに挟み、計測してその値を確認して、それを拭いてしまう一連の動作には数分間を要するだろうと思われる。
それを考えれば、むしろ、養護教諭は「熱は?」と聞き、「朝、登校する前に計ったら37.3度でした」と智和くんが答え、それを聞いて風邪、もしくはインフルエンザの初期症状と判断して帰寮を許可したと考える流れのほうがむしろ、自然だと思う。
実際には、その頃はもうかなり高い熱が出ていた可能性もある。

そして、職員室で立ったまま、体調不良を訴える生徒の話をきくなどという行為自体、通常では考えられない。
きちんと対応しようとすれば当然、保健室に一緒に戻り、熱をはからせたり、喉の奥が腫れていないか見たり、生徒の既往症が書かれたカルテのような書類と照らし合わせたりするのではないだろうか。
また、職員室のようないろんなひとがいる場所では、自分の持病のことやここ数日の体の変調など、プライバシーにかかわることは相談しにくかったと思われる。
Cで、本人が病院で受診したいといわなかったからとあるが、もし、保健室の落ち着いた雰囲気(同時刻に5人も押し寄せるようでは保健室にしても無理かもしれないが)で、最近の体調の変化や今の具合を聞かれれば、病院を受診したいという話も本人から出てきたかもしれない。

同高校の養護教諭であれば、智和くんがこれから体調不良をかかえたまま寮にひとりで帰ること、時間的にも、帰寮しても同室の生徒はおらず、部屋でひとりにされる可能性があったことは十分に予測できたはずだ。
もし、舎監に電話1本かけて、学校に迎えに来てもらったり、帰寮後は汗をかいた下着を着替えさせて、温かくし、水分を補給、インフルエンザの可能性もあるので定期的に検温すること、異変があれば医師の診断を受けさせるようにと指示を出していれば、帰寮後の対応も変わっていたのではないだろうか。
もちろん、それは養護教諭個人の責任というより、そういう配慮さえできないほど多忙にさせている学校管理者の問題だと思う。

Bの解離性障害について、裁判所は「解離性けいれんは、てんかん発作に似ているが、重大な症状には結び付かないものといえ、解離性障害には死に至るような危険はなく、教職員らが特別な配慮をしなければならないものでもなかった」とする。また、今回の死亡に至ることと、解離性障害との間に何ら関係はないとしている。
私は解離性障害についての知識がほとんどない。ネットなどで得た知識をもとに考えると、たしかにけいれんそのものが重大な症状ではないのだろう。しかし、智和くんは一週間前から、毎日のように発作を起こしていたという。
もしかすると、体調不良の兆しを敏感な神経がかぎとって、けいれん発作につながったのではないか。
それに医師でもない舎監に、そして養護教諭であったとしても、そのけいれんが解離性障害から来ているものなのか、別の原因から来ているものなのか、診断することはできないはずだ。(実際に、前述のケースS020507でも、バレー部合宿中の死亡事故のケース030729でも、ラグビー部のシゴキが原因で自殺に至ったケース020325でも、過呼吸と思われる症状があり、過呼吸は死につながるおそれがないとの安易な考えがかえって、重大なサインを見落とす結果につながったと思われる)

また、けいれん発作があれば、体力的にはかなり消耗するだろう。また発作におそわれるのではないかと強い不安を感じれば、安眠もできないだろう。発作そのものに危険はなくとも、不眠などが体調に与えた影響は大きいのではないだろうか。
そして、たしかにけいれんの最中は、周囲の人間にしてあげることは何もないのだろう。そのことと、発作後も両親にも知らせず、何もしなくてよいということとは別ものではないだろうか。
親であれば、持病であっても、夜中、発作があったと聞けば、最近の様子はどうなのか、もっと注意深く本人に聞いていただろう。そして一週間も毎日、発作が続いていたと知れば、睡眠不足を心配して学校を休ませたり、専門医の受診をさせただろう。そういう意味での、「何かあったら連絡がほしい」という両親からの要請ではなかったのだろうか。
学校に何ら対応してもらう必要がなければ、わざわざ解離性障害と書く必要も、連絡がほしいという必要もないはすだ。

そして、BとCで、本人から自己申告がなかったので、教職員には義務はないとするもの。
しかし、智和くんは1日のうち3回も、別々の教師に対して、体調不良を訴えている。
1回目は登校前。寮の舎監室で体温を計測している(37.2℃だった)。そのときに、就寝中にけいれん発作を起こしたことを報告している。それまで1週間もけいれん発作のことをだまっていた。それがなぜ、わざわざこの時に言ったのか。
体温がこの時点で、もっと高ければ言う必要は感じなかったかもしれない。しかし、微熱。このくらいなら授業を受けろといわれるだろう。だからこそ、発作のことを話した。それだけ、その朝はすでに体調不良を感じて、学校を休みたいと思っていたのではないだろうか。

2回目は登校後の朝のショートホームルームの後、担任に、昼から早退したいと言っている。
本当はすぐにでも早退したいほど体調が悪かったのだろう。だが、微熱で、舎監にも休ませてもらえず登校してきている。すぐに早退することは無理だと思うからこそ、「昼から」と言った。本当に体調の悪さを感じていなければわざわざ、登校してきてすぐにその後の体調の悪さまで予測して帰りたいなどとは言わないだろう。

3回目は、職員室で養護教諭と、担任に早退を申し出た。保健室で休ませてほしいではなく、早退。本人は、その日のうちの体調回復が望めないほどひどい状態と認識していたのだろう。
しかも担任に朝、体調不良を告げても何も響かない、感受性のにぶさ。また言っても、響かないことが予測できるからこそ、わざわざ養護教諭にも同意を求めにきている。
一般に、持病であっても夜中に発作が起きたと聞かされていて、そこに発熱と早退するほどの体調不良が重なれば、もう少し慎重な対応があってしかるべきではないかと思う。しかし、帰寮してからも、直接、本人の顔色を確認できるところで様子を見たり、実家への連絡や医師の受診を受けるかどうかの確認もない。あまりに漫然としすぎているのではないだろうか。

17歳ともなれば、自分で言えるはずと裁判所はいう。しかし、17歳の男子生徒だからこそ、甘えや弱音ともとれることは言えなかったのではないだろうか。
体調不良の事実を伝えることはできても、「学校を休みたい」「すぐに帰りたい」「具合が悪いので、よくなる薬がほしい」「自分ひとりでは病院に行けそうにないので、連れて行ってほしい」「寮で安静にしたいが、ひとりで帰れるか不安なので、車に乗せて送っていってほしい」「学校に迎えに来てほしい」などと、自分から言えるだろうか。そして、それを口にして断られたら、かなり落ち込んでしまう。
親にならもしかすると言えたかもしれない。しかし、教師には口に出したくても出せなかったのではないか。
自殺も、中学生より、高校生のほうがずっと多い。女子より、男子のほうがずっと多い。それは、男の子は強くなくてはいけない、弱音を吐いてはいけないという呪縛に縛られていることも影響していると思う。

普段、さぼることもない、体調不良による欠席さえない、がんばりやで真面目な生徒が、体調不良を訴えるときには、早退したいとまで訴えるときには、もうがまんできないほど、体調が悪いと考えるべきだったと思う。
少なくとも、担任や養護教諭であれば、本人の性格やそのときの様子から、万全を期し、本人が「大丈夫です」と言っても、ストップをかけるくらいでなければならなかったのではないか。
部活動でも、この年齢の男子、女子はともに、逆に精神的な我慢強さが育っているからこそ、死に至るまで、がまんにがまんを重ねてしまう。

朝から体調不良を訴えても、教師たちの誰ひとりとして心底、心配はしてもらえない。「迎えに来てもらおうか」「寮まで誰かに送ってもらう?」「親に連絡する?」「医者につれていってあげようか」の一声さえかけてもらえない。どんなに惨めで悲しい思いで、ひとり、学校から寮へと帰ったことだろう。

Dで、裁判所は暖房の入っていない寮の部屋の寒さを認めても、「早退してきた生徒を休ませるのに不適切といえるほど室温が低下していたとは認めがたい」としている。しかし、北海道の、それも2月。当日の気温はわからないが、かなり寒かったに違いない。まして、コンクリートの建物だったり、大きな建物は、あたたまるのに時間がかかり、底冷えがする。マンションなどであれば、まだどこかの部屋で暖房をきかせていれば、他の部屋でも多少は暖かくなるかもしれないが。
そして、体調不良で、防寒着を着て20分の距離を歩いて帰れば、汗もかなりかいていただろう。寝巻きには着替えていたのだろうか? 体調のひどさとやっとの思いで帰寮したことを考えれば、タオルでふくこともなく、汗でぬれた下着のままベッドにもぐりこんだことも考えられる。体は一気に冷えたに違いない。

そして、本人が言わなかったからと言っても、本当に体調の悪いときには、話をすることさえ億劫になる。
たとえ携帯電話をもっていても、一旦、倒れこんだベッドから起き上がり、カバンの中から携帯電話を取り出す行為さえできなくなる。広い寮のなかで、助けを求めても、舎監には届かないだろう。
具合が悪いときには、水を飲もうとしても、こぼしてしまい、ベッドや寝巻きをぬらしてしまうこともある。吐いたものを自分で処理することができずに、詰まらせてしまうこともある。そういった想像力さえ、大人たちに働いていない。
インフルエンザなど、感染する病気では、同室の人間に看病を頼むこともできない。
そういうことを想定すれぱ、当然、体調の悪い生徒に対応するための専用の部屋と、見守る専用の人間が、これだけの規模の学校の寮であれば、必要なはずだ。病人が出ることなど、当然、予測範囲内のはずだ。
学校は、生徒を預かるのであれば、健康なときだけでなく、病気をしたときにどのような対処をすればよいか考えておく、安全配慮の義務があったと思う。それが、この学校では全くできていなかったと思う。

E死因不明について。死因がわからなければ、救命措置をしても助かったかどうかわからず、行為をしなかったことと、亡くなったこととの因果関係も証明しようがないということなのだと思う。
しかし、現実には、たとえ同じ結果になったとしても、周囲があらゆる手立てをつくして亡くなった場合と、何もせずに放置して死に至らしめてしまった場合とでは遺族の心情に雲泥の差ができる。
前者であれば、感謝もしよう。裁判にもならなかったのではないかと思う。しかし、後者であれば、遺族には、もしあの時、適切に対応されていたら、死なずにすんだかもしれないという思いが一生つきまとう。

もし、智和くんが寮ではなく、自宅から通っていたら、親の看護や病院の受診で死なずにすんだかもしれない。
もし、舎監が朝の段階で学校を休ませていたら、病状は悪化しなかったかもしれない。
もし、養護教諭がきちんと問診し、異変に気づいて医師の診断を仰いでいたら、救命できたかもしれない。
もし、舎監が生徒の体調不良を聞いて、学校に迎えに行き、その後も目のとどくとこころで、経過観察していたら、症状の悪化を防げたかもしれないし、救急車を手配して、救命できたかもしれない。

小野朋宏くんの場合(S020507)も、裁判のなかでも死因は不明のままだった。しかし、横浜地裁で、県が責任の一旦を認めて、遺族に解決金1000万円を支払うことで和解している。死因が特定できなくとも、救命の可能性があったかなかったか、その努力を学校がしたかしなかったか、だけて足りると思う。

この「もし」をなくしていくことが、次の命を救うことになるのではないかと思う。
しかし、現実には、過去の教訓さえ生かされていない。

昭和43年、徳島県立水産高校一年生の男子生徒が、授業中気分が悪くなり保健室へ赴いたところ、養護教諭が一過性の暑気当たりと判断して右生徒を寝かせ、他の公務に赴いて約30分後に保健室に戻ると右生徒の容態が急変していて急性心臓死により死亡した。

両親は、養護教諭の過失責任をあげて、県と学校長に賠償を請求。
この判例で、結果的に損害倍所責任までは認められなかったが、徳島地裁は、養護教諭に生徒の経過観察義務を怠った過失があるとしている。

「生徒の救急看護に当たることを職務とする養護教諭としては、単に、かすり傷に赤チンをつける、といった場合は格別、かかる場合は、やはり体温、脈拍の測定、簡単な問診はもとより、その後も細心の注意を払い急変に備え、少なくとも半時間以上も病人の側を離れるようなことはなく、必要とみれば、臨機の措置、すなわち、医師(校医)への連絡、担任教師、家庭への連絡等をする心構えでおり、無事気分回復を見届けるのは当然である」「学校の養護教諭たる者は、その職務の特殊性の故に「個々の生徒について、場合によっては、その保護者(両親)以上の予見能力をもってその病状の推移について注意を払うべき義務が存すると解すべきである。」
養護教諭は、生徒が「授業中も冷や汗をかき、顔色を悪くして、気分が悪いと訴えて、級友らに連れられながら保健室に来た上、少量の嘔吐をしたのに対し、二、三の質問と体温、脈拍の測定をしただけで、それに特段の異常が認められなかったことに安心し、かかる場合、一過性の暑気当たり、食当たりのものもあるが、危険な恒久性のあるものもあることを職業上の知識として承知していながら」「簡単に前者の場合と判断して怪しむことなく、ただ備付けのベッドに寝かせて、頭をタオルで冷やす程度の措置にとどめ、安静にしておれば、やがて回復すると考えたことは、例え、当人がその後特段苦しみを訴えず、静かに寝入ったとしても、十分に非難に値し、殊に、前記のような状態で入ってきたAを保健室に独り置いて外出し、目をはなし、少なくとも半時間も空室にしていたことは」「養護教諭としては日頃の油断、軽率のそしりを免れないものである。」

さらに、『伊藤(進)・前掲書203頁は、「養護教諭の専門教育機関の不足や不備、養成内容の貧困さが強く主張されていることや、学校の養護施設や養護体制の不十分さが加わって、能力的にも、体制的にも、施設的にも十分な養護活動を行いえない状況にある」ことから、事故が生じた場合にそれを養護教諭の個人過失の問題としてのみ捉えることは妥当ではなく、組織過失として捉えていくことも必要であると指摘している。』

判例時報679号、63ページ
実務判例 解説学校事故/伊藤進・織田博子著/三省堂の401ページ参照
学校事故全書A 学校事故の事例と裁判/学校事故研究会編/総合労働研究所の105ページ参照

また、当該裁判でも証拠提出された作陽高校いじめ事件(930901)の判決では、寮は生活の場であって、強制的に入寮させた場合、寮という閉鎖的空間は単なる学校生活(教室)よりも高度な安全配慮義務がある。」と判示している。

これらをあわせれば、寮生活での健康管理には、家庭並みもしくはそれ以上高度な安全配慮義務があるといえるのではないだろうか。たくさんの子どもたちを預かっているからこそ、不測の事態にも備えなければならないのではないだろうか。
現状では、子どもが寮生活のなかで体調不良を訴えたなら、親はすぐさま子どもを自宅に引き取ったほうがいい。あるいは押しかけ、看病するほうがいい。でなければ、子どもの命を守れない。
もっとも、子どもは体調不良をわざわざ親元に報告しようとは思わないだろうし、学校もまた連絡をくれない。




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